ここだけEDF本部
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Xmasイベントの曲が良すぎてやばい
オルゴールと他の楽器のミックス曲ってなんていうんだろう? よく知らないけど
盛り上がりすぎた木下優樹菜も
変に格好つけて話を大きくした姉さやかも
どっちも悪いと思う
でもやっぱり1番ダメなのは姉さやかでしょ 気付いたら
ゆりもこじゃなくて
ただひたすら田村さんを追っかけてる自分がいた
もこっちはもう成長を見たし、今後もなんとなく…
狂言回し的な印象に擦り変わってる
だから、田村さんが出て来ると心が踊る
サイゼリアで魅せられた もこっちのお母さん、娘が謹慎してキレてるけど
しっかり早起きして謹慎の都合に合わせて世話焼いてあげてるんだよね
後ろ姿が怒ってても、行動に愛情を感じる
いいなあ
今更なんにも思わないし
こんな愛情を不自由なく受け取れることの方が幸運なことなんだって知ってるけど
それでも、やっぱり、少しだけ憧れる 変態シーン以外はちゃんと一歩引いて描いてるからか、群像劇に変わった後のわたモテはすらすら読めてしまって
いっつも物足りなくなる
単行本が出る度に、満足感と飢餓感に襲われる
次はいつなんだっけ……え?半年後?嘘だろ長過ぎる
毎回毎回、分かってることなのに軽い絶望感が襲ってくるんだよな
良い作品なんだ 俳優さんって、舞台役者さんって、
いや、そういう修行をしてる人達って、
人が集まったらどこに自分を配置するのかを心得てる人が多い
当てはめて、こうするってなって、
自然とそこで空気を上げ下げ出来てしまうというか
下積みが長い人ほど、不興を買わずに注目を集めるにはどうすればいいのか
どうしたら面白くなるのか、解散するのか、そういうのを心得てる気がする 気付いたら、もう別にhideが好きなことを咎めるような人達が周りにいなかった 明治維新から世界大戦終わりまでを知って、それでも尚、慰安婦がなかったと確信してる人は大日本帝国を神格化し過ぎてる
日本の愛国者であれ、いくらなんでも行き過ぎだ。
ところが、リベラル層は全く逆に、いくらなんでもそこまでするかという具合に『戦争に参加しなかった戦後の子供たち』を標的にして反省させ続けた。
自虐史観で飯を食ってた馬鹿野郎共が少なくない数で存在してた。戦争を国のために命懸けで戦った先祖にも、その子孫たちにも無礼極まりない行動だが、彼らも彼らで帝国の被害国に対しての善意があった。
視野が狭窄した人間たちが問題を非常に複雑なものに、変えたのではなく変え続けた。だから、この責任を日本は支払い続けたわけだが、韓国は韓国で『日本ってのはまるでATMだな』と調子に乗ってしまった。
だから、まあ、皆色々言いたいだろうけど、今すぐ解決なんて無理なんだよ。絶対に不可能。 命と尊厳が金で買えるもんじゃないなら、それらの被害に金で応えるのがそもそも論理的じゃないことなんだよ だから、キリスト教の『罪は許される』っていう考え方も、平和的ではあるけど論理的じゃないと思う
償えない罪は犯さない
犯してしまったなら、それが出来心でも死罪を受け入れる
事情を鑑みて第三者が加害行為の減免を判定する制度は理にかなってると思うから、それは残してもいいと思う
そうやってくと人間は繁栄出来ないから
存在する限り許す許さないを延々繰り返してくんだろう
それも人間に与えられた自由だから、甘んじて受け入れる
解決出来ないモヤモヤに対して諦める
それも人間という仕事の一環だよね BUMPのギルドって名曲だよね、という話
まちがって全然関係ないスレに書き込んだわ ビジネスジャーナルとLITERAと日刊サイゾーは色んなところで雑な取材姿勢が露呈してて、見る価値がないどころか見たら危険なサイトとして認識できた セックスレスで悩んでる夫婦に効果的な解決方法とか、なんで見始めたのかわからんものを見てて以外にビックリしてる
一番てっとり早いのが、
奥様に目隠しをさせて、今着てる服を違う服に着替えさせることなんだってさ
ふーんってなったけど、だったら
ラブホに行って証明を暗くするか消すかして、奥さんの体を洗ってあげるだけでも良い気がする 服に着替えさせるんじゃなくて、旦那さんが奥さんに目隠しをして、旦那さんが服脱がしてまた着せるってことね
想像してみたら、相当きもいっていうか恥ずかしいっていうか
確かに2人ともテンションおかしくなるとは思った
非日常なんだねーセックスって それとは関係ないけど
福岡ドームの名前を真剣な理由から『ペイペイドーム』に変えた孫正義オーナーはちょっと頭おかしいんじゃないかと思った
ヤフオク!ドームも変だと思ってたけどさ
福岡民で遊んでるといつか逆襲されるよ 韓国のトップ棋士が引退のニュースを見て
神の1手っていうのも人の尺度から生まれてるものなんだなぁと寂しくなった 「なぜ政権を倒せないのか?」
って見出しのニューストピックを見て
「倒す必要がないと思ってる人が多いからでしょ」って答えが浮かんだ ネットのトラッキング広告が何故ああも鬱陶しいのか疑問に思ってたところ
たまたま動画で1980〜90年代のセールスマンの保険契約の取り方みたいなのを見て、理由が分かった
ああいう強引なやり方に遠慮がない(取ったもの勝ち)な価値観が下地にあるアメリカが主導してるんだから、そりゃこうなるよ チョレギサラダのチョレギって、塩漬けのキムチを指す方言のようなものらしくて
韓国内で広く使われてる言葉ではないそう
エバラ食品がネーミングしたんだってさ 体は鍛えられても
心は鍛えられない
そういうこともあると思う
自分が見えてない時
見えてるけど認められない時 殊勝になる時
尊大になる時
部分部分で切り取られれば印象は全く違う
伝え方で人間性なんて180度受け取られ方が変わる
本なんかも一緒
作者の伝え方で面白い←→つまらないは変わる
受け取り手の精神状態、疲労状況、関心事によっても…
上でゲームやらなんやらを書き散らしてる自分が全然別人に思える
自分に対して、「平和でよかったね」と呟く
他でもない自分に対してそうなのだから。
他人だったら、尚更だろう? どうでもよいことが多すぎて
どうでもよいことに熱心になれる期間を、平和と呼ぼう
みんな一人一人、平和と戦争を繰り返してる
大きな何か…何でもいい
恋人なり
友人なり
自尊心なり
目標なり
お金なり
家族なり
なんでもいい
自分にとって大きなものが失われた時
或いはその記憶がフラバしている時
そういう環境に置かざるを得ない人と一緒にいる時
心が平和から程遠い位置にあって、何でもかんでもマイナスに考えるような時期
それこそが自分なのだと思いたい自分も自分の中の1人に過ぎない そうした、事更に臆病で陰気でいて、だけど思いやりや労りを欠かさず行えるような精神にある時
とてもどーでもいいことを熱心に呟いてる、平和期の自分が酷く疎ましくなる
思いやることが出来るのに?
人を選んで思いやり労れる、それは単純に、好ましい人に優しく接せられるというだけの話
対等の立場……例えば、
囚人服を来ていない松永太と対等な立場で話が出来ると仮定して、彼に思いやりと労りの感情をもって接せられるのか?
向こうはサイコパスで、そうなるようにこちらを誘導するから、思考停止して会話の流れに身を任せてたら100%、彼に優しくしてしまうんだろう
好ましくない相手であっても、相手の能力の影響下にあってはそうなる 精神状況で人間性は変わる
継続して相手を観察出来ない空間では、相手のその時々の言葉で印象が大きく変わってく
関係を紡ごうとすれば、そんな荒波に揺さぶられるような状態は非常に辛い
だから、ぼくの場合は、相手を素晴らしい人だと仮定して接していく
人によっては、相手をうんこ野郎だと仮定して接していくかもしれない
方向に違いがあるだけで、やってることは同じ 素晴らしい人だと仮定して動くタイプは、自分に対する他人の評価が気になって仕方ないタイプではないだろうか
ぼくは、そのタイプ
だからそう思う
自分がそうだから他もそうだろうと、短絡的に今考えてる 上にぶつぶつと書き連ねていたMMOの、アルケミアストーリーをまだ続けていて
とあるプレイヤーと、深く接触した
以前、初対面同士のじゃれ合いが大きくなっていく中で、楽しい時間を過ごしたプレイヤーの1人
ぼくからすればずっと先を行ってるプレイヤーだった
じゃれ合い後に初心者さん達をパワーレベリングしようということになった時、彼女のリーダーシップに尊敬の念を抱いていた
たまたま、アルスト内の人間関係で深く傷付いた状態の彼女は、じゃれ合いの中で沢山しょーもない発言をしていたぼくのことを覚えていて
ある集団の中で中心的な存在だった彼女が、ゲーム内で恋人として接してた相手(複数のギルドに跨り中心的な役割を担える大きなプレイヤー)の不義理によって、孤立の痛みを抱えていた 初心者さんへの導き方がすごく上手で頼もしかった彼女への印象は、会話の中で総崩れした
虐待されて育ち、愛情を注がれず、自分が幾人にも分裂しかかってる(彼女は分裂してると判断してるけど、ぼくの目にはまだしかかってる状態だと感じた)、哀しい人
寄り添える人にも過酷な暴力と裏切りを与えられて、
なんだかもう、
それはもう、
ぼくの餌食にピッタリな人材だった 自分について
自分の過去について
喪失した存在について
抱えた痛みについて
忘れられないけれど考えないようコントロールして今を生きてた僕は、この48時間で、ぼくを見事に取り戻した
オンラインゲームなんてやる必要が全くないものに触れてるのは、きっと、ぼくが自己主張する時間を求めてたからなんだろう この休日、現実でやるべきことは沢山あったのに、その全てを放置して、ぼくは彼女から沢山の栄養を貰った
無力感、自己否定、虚無感、絶望に繋がるありとあらゆるものを彼女はぼくに与えてくれた
彼女を慰めながら、彼女の主張を肯定しながら、沢山勘違いしては謝りながら、労ってるのか食い散らかしてるのか分からない状況が続いた
人に依存してなきゃいられない彼女をぼくに依存させて、ぼくは自分を取り戻して、そして、
彼女はぼくに捨てられた
たった48時間で、ときめいて、悦んで、泣いて、全てはアバターを通して得られる空虚なもの
彼女は、自分が人に依存する代わりに、オンラインの時間で楽しみたい多くの人を明るく楽しませられる潤滑剤でもあった
ぼくとは違う
ぼくは、1体1でおどけることは得意だけど
大人数の中で盛り上げるのは苦手だ
だから安心して、彼女を食った
ぼくに食われても、彼女には仲間がいる
独りになることはない
彼女が自分で閉じた扉を出れば、彼女を待ってる人は沢山いるのだから もし、本当に、彼女が申告通りに多重人格であったなら
その制御は並大抵の精神力で出来るもんじゃない…
申告してから入れ替わるなんてことが、出来る人間なんて極々一部の天才なんです
ぼくはそう思う
ぼくは分裂症ではないけれど
分裂症の母親に育てられて
分裂症の恋人を持ったことがあったから
彼女は、そう思い込んでるだけだとよく分かる
憎しみも怒りも持たない攻撃種なんて、多重人格には存在しないんだよ… 人に依存することを強く自覚してる人間が出来ることじゃあないんだ
それこそ松永太のような、他者と自分が生態系の種別の段階で違ってると認識してるような破綻者でないと、おそらくは出来ない
都合よく自分を守ってくれるナイト役の人格が、何のストレスも抱えずに感情も持たずに牙のみを研いでるなんてことは、ない 人間の喰い方は多様で、たぶん、ぼくなんかが自覚出来たのだから、世の中にはとっくに広まってる認識なんだろう
インターネットで世界が拡がって、コミュニティも爆発的に増大した結果、食べ方に気付いた人も多い
無自覚に喰ってる人はもっともっと多いことだろう
これは麻薬に近い
依存性がある
認識の仕方で、快楽物質を自在にコントロール出来る
ぼくは中毒者だった
知らなかった いや間違ってることを、めちゃくちゃに書いてる
全く論拠がないから
体験を通して決めつけてるだけだ
間違ってる可能性の方が高そう
合ってたら悲しい
相手は、たぶんぼくに会う直前の状態よりも更に深く傷付いた
傷付いていないかもしれないけれど、可能性としては傷を負った確率の方が高い
独りぼっちだと悲観していて、打ち明ける相手を探していた状態と
打ち明ける相手を見つけて心を分け合って傷を舐めあって安心もして、この人になら甘えていいんだと思ったのに突然、理不尽に突き放された状態と
どっちがマシかと言えば、そりゃあ前者だろ さて
ぼくが今この状況で、相手を喰った状況で、
喰われた相手に出来ることは何だろう
1 存在を認識させず忘れさせる
2 謝罪しながら再び近づいて、限界まで甘えさせる(その後はまた突き放す)
3 一瞬で相手をコントロールする方法を編み出して、依存の対象を別のものに向ける
1だ 喰ったつもりが喰われてる
というか、喰いあってるのか
そういう考えも出来なきゃいけないのかも…
すごく客観的に、書き立てたことを見たら
ものすごく夢見てる人に思えた 夢・独り言なのだから、合っているんだけど…
一線を引いてケラケラ笑ってるのが分かる人にたいして、女でも男でも、羨望と苦手意識があるのは…
何かあった時にそれをダメージとして受け取る前に、客観的に処理出来る気持ちの余裕を持ってるからなんだろうなあ
それはきっと訓練で身に付くもので、その訓練っていうのは何のことはない、ただ沢山の人と時間を過ごせば良いだけ 場面をどう捉えてるか、なんだよね
大きく見てるか、小さく見てるか
じゃないか…
人の数で乱暴に例えたら、
5人いたとして、5人を1つとして見てるか
4対1(1っていうのが自分)として見てるか
それか、2対1が2個、1対1が1個。(右の1がいずれも自分)
みたいな感覚
5人を1つとして見てられると、自然と馴染んでる
でも、そこに強烈な自意識が生まれると、自分が周りから少し浮くというか、色が違って見える
実際のところ、話の流れで誰にでもスポットは当たるものだし、自分っていうのに振り回されない人は、当たったライトを楽しみながら
自然とまた5人全体にライトが当たるように誘導していけるんだよね
余裕がない話題、触れられたくない話題だったら、誰かとすぐ交代出来る器用さも持ってる 劇的な状態と受け取ってしまえば、それは酷い記憶も呼び覚ますし、失意と絶望が蘇ってくることもあって
互いに絶望的な状況の中で身を寄せ合うようにすることには吊り橋効果的な興奮作用が脳に働くわけで
思い込みの度合いが強ければ強いほど倒錯しやすく、繰り返されれば慣れるからより悲壮な状況を演じるようになってく
完全に現実逃避してる人間、孤独な人間にとって、定期的にそれを求め始めてしまうものなのかもしれない
そう考えてったら、ぼくがただ喰ったんじゃなくて、ぼくも喰われてたと認識することが出来る
罪悪感が「それは違う」と叫びまくるから、頭痛がする思考の回し方だけれど…これは合ってるような気がする ぼくの都合が良い瞬間に 誰かの今が傷つけられていたら
その誰かは十中八九 ぼくに少しでも 何かを期待してくれた人だろう 興味を持ったものが心地よくて
それを聞いていたら、知らぬ間に外へ意識のチャンネルが開かれたとしたら
その歌を作ってる人は、そのリスナーを救ってる
欠乏にしろ喪失にしろ
苦痛にもがいてる時、意識は100%自分に向いてるものだから 誰かに心を動かされてる
自分が誘導したように相手が座ってるのでは
意味が無い
それは自分の思い通りになっているだけ 誰かに心を動かされる時、意識は自然と外に向く
そうした時に感じる解放感を、何度でも何度でも味わって欲しい
虚無感ってやつは、そうやって消えるから 似たものに触れる時に、どうして、親近感ではなく不快感を覚えてしまうのか
偽物ではないのに、偽物と認識してしまうのか しばらくログインせずに過ごしてみることにした
やめても別に、何も出て行かない
やめなくても別に、苦労が報われる
一番の関心事は、話の聞けないきみではなくて
きみと会話している時に生じる不快感が追憶を呼び覚まして、、彼女の幻影がちらりと見えるような、その瞬間だから
ぼくはただそれだけの為に、きみを使ってる
でも、別に、きみを介さなくても思い出の中にいくらでも幻影を追えるピースはあって
わざわざきみの飢餓を一層深刻にしてまで、きみを犠牲にしてまで、やることではなかった
だから、せめて、きみからフェードアウトするにあたって、きみが精一杯、ほかの誰かに縋れるように
ぼくはきみを捨てたように振る舞うとする
でも、勇気がいる
少しだけ、数日だけ、時間を置かせてね
その期間でとっくに、きみの関心事からぼくはいなくなるのだろうけれど、終わる時は言葉にして伝えるから きみと会話して きみと苦悩しあって きみと首を締めあって ぼくは得たものがある
とてもちっぽけなものだけれど 今までのぼくにはなかった書き方なんだ
こういう 文体
きみが こんな伝え方をしていたわけでもなく
ただ きみに 伝わりやすい書き方を 模索していたら出来上がった
だから きみに言葉をつたえたい ぼくのために ぼくが考えた この書き方は
これからも ぼくのために 使わせてもらうね あまり内側を知らない人たちから
『きみってもしかしたらアスペルガーなのでは?』 と言われる
これまで生きてきて、9人に同じことを言われた
ここで 累計10人
アスペルガーなのだろうね
でも だからといって もうここまで生きてきてしまった
だから この先も特に何の希望も 夢も持たず
ただ 細々と 自分だけの命を 自分の為に
周りに多くの迷惑をかけながら それでも 少しでも 周りと関わらないよう
少しだけ 少しだけ 頑張りながら 頑張って貰いながら
生き抜こうと そう思うのです 何が失礼になるのかを よく知らない
どうして失礼になるのか 考えるだけ無駄だと分かったから
だから ぼくは 周りの人は 誰だって
こんなぼくより ずっと偉いと 思うことにしてる
だから 邪魔をされるのは とても苦手で
ひょっとしたら 毎日毎日 小さなことで 人を簡単に嫌ってる
それが いつまでも 記憶に残ってて 繰り返すたびに 自己嫌悪して
ぼくは いったい 何様で 人を嫌ってるのだろう
何様で 人から ぼくを邪魔されたと 感じてるのだろう
どうして 人は ぼくよりも ずっと優れてるのに
ぼくの 人を避けるようにして 人に笑顔を配ってばかりいる姿勢を ばかなことだと 罵ってくれるのか
ぼくより 立派なのに どうして 人間の 何が違って こんな風な 括りわけをされるのか ちゃんと 解明出来てるわけでも ないのに
どうして こんな 暖かい仕組みを 理解を 共存の手を 差し伸べてくれてるのか 分からない
どうしたら 応えられるのか 応えなくてはならないのか 何が出来るのか 何をすれば いいのか
どうしたら 何かする気になれるのか
分からない 分からない 分かろうとしていない
分かられることばかり 求めて 自分から 分かろうとしていない それは よく 分かる
だって 苦しむにしろ 悩むにしろ 相手の立場の存在に気付くのは いつだって 途中経過で
きっかけも 思考の回し方も ぼくは いつも 自分本位だから ゾンビっていう奴は 人の血肉を好むらしいぜ
生きてる人に 戻りたいのかもしれない
失ったものを 欠けてるものを 求めて 食うのだとしたら
ぼくだって きっと ゾンビみたいなものなんだろうね ダイの大冒険って漫画にハマりつつある
絵柄は古いけど 中身はドラゴンクエストっていうより
すごく硬派で正道な ヒーローの物語っていうか
世代じゃない作品で こんなに面白い作品読むの ドラゴンボールとかスラムダンク以来なんですけど あと シティハンターもすごく好き
だから 映画の時は がっかりした… 人に引き摺られてなきゃ ひたすら暗くなる一方だもんで
なんでもいいけど なんでか分かんないけど
引きずりあげてくれる場所が 出来た今を
死ぬまで 繰り返していたいと 思うのだけど
あるはず ない いせかる 流しっぱなしにして
家事やってたら
アインズ様の超位魔法でエンディング曲変わって
『やっぱり至高の御方はどこの世界でも最強なんだ』
『そしてデミおもどこの世界でも最高の知恵者なんだ』
と 嬉しくなった オバロがかろうじて腐人気得てるのはデミのお陰なんだってこと KADOKAWA様は御認識してらっしゃるのかしらね
パンドラも よき存在で ありんすけど
宮様は やっぱり 太宰役が一番 なので
オバロでは デミアイ なんですよねえ ふしゅるふしゅる 言葉で通じない部分を
言葉を通して伝えようとするから
もどかしさは消えなくて でも
もどかしさを知って貰えてるから
何度でも 繰り返して 温もりを分け合ってる 今 交わせる範囲で
やるしかないんだ と
言い聞かせて 言い聞かせて
矛盾に蓋をして 何か喋ってる
動物はよくて
人間はダメ
境目はなんだ?
見た目か? 責任能力か?
意思疎通が出来ない相手なら それはもう
動物として相手をすればいいのではないか
動物が 売買を理解してる
そのようなものとして 矛盾に気付き出したら
もう 二重基準だらけで
何から 手をつけていいのか
何から 手をつけていいのか は
整理整頓に過ぎないから
それを 面倒くさいと言うのなら
いよいよ 口を縫いつけた方が よいのだろうね ……
何が大切か なんて 分かりきってるから
大切に出来ない自分が どうしたって顔を出して
だめだ いけない と 言い続ける
それは 結構しんどい
良心なのか 自己否定願望なのか
分からなくなるから
せめて ぼくが言えるのは
奥さんと お話してあげて
お話するのが難しかったら
せめて 一緒の時間を過ごしてあげて
ただ そこに 起きて 目を覚まして
話しかける対象として あなたがかつて
世界で誰よりも愛しいと思っていたヒトに
なんでもいいから 語りかけてあげて みて
それくらいしか 言えなかった そうだねぇ……調律師、のようなものだよ。
この世界にとっての。
−世界に…?−
うん。
何かの弾みで尋常じゃない事態が起こってしまった時、それを治める為に動くのが僕の仕事だ。
−…それは、神、と呼ばれる存在なのでは…?−
神!?
いやいやまさか、そんな大層なものじゃあないよ。
何でも出来るわけじゃあないし、神様みたいに不滅の存在でもない。
たとえば、君と肉体の力のみで戦ったとしたら、ぼくは簡単にやられてしまうだろうさ。 −…その調律師である、あなたが…ここにいるということは…−
うん。お察しの通り。
彼らに与えられた道具はね、本来なら彼らが手に出来るような代物じゃあないんだよ。
あれを手に出来るものは、少なくとも欲望のままに他種族を滅ぼしてしまうような精神は持ち合わせていない。
仮に邪な目的であれを目指したとしても、手にするまでの過程で成長してしまうか、死んでしまうかだ。
今回、なぜ彼らがあれを手にしてしまったのかは分からない。ひょっとしたら神様の悪戯かもしれないね。
− か、神の悪戯…?そんな…神がそんなこと…−
あら、信仰の厚い人だったのかな。それは失礼。
宗派を尋ねてみるべきかもしれないけれど、まあなんというか…神の領域に存在する者たちは1つや2つじゃないのさ。
悪魔と君らが呼ぶ存在も、一定以上の力を持つ者たちであれば纏めて神様と呼んでるよ。
だからまあ、気を悪くしないでくれ。変人の戯言と思ってくれていい。 − …途方もない話で理解が追いつきません。ですが、あなたが何故私の前に現れてくれたのかは、理解しました。−
それはよかった。説明下手だと自認しているものでね、察してくれたなら助かるよ。
− …彼らからスロットを取り上げる、ということですよね?−
そう、その通り。
でも、それだけじゃあない。
彼らがあれを手にしていた時間、それはひと月に満たない僅かな時間であったものの、あの子たちは欲望の塊のような存在だからねぇ。
君が体験したような事件が彼らの生息域を中心として、あちこちで起こってる。
被害者は君ら人間だけじゃあない、彼らが繁殖の対象とする種であればその全てが餌食となってしまったのさ。
− ……!!ケダモノめ……!−
…今回君の受けた…被害と呼ぼうか。
被害はね、あれを取り上げてハイおしまい、という訳にはいかないと僕は思ってる。
実際のところ、取り上げてしまって終わりにしたのなら、僕らがどう説得しようとも、君らは彼らを滅ぼしてしまうだろう? 何もかも韓国のせいにしてるお爺さん達に言いたい
旅行客が多く訪れる接客業をしてみてよと
一番店員を虐めるのは、そういう視野狭窄した中壮年の男なんだよ
外国人の母国流儀での振る舞いなんてのは、すごく小さな問題だよ そして貧富の差も関係ない
普段感じが良くても一皮剥いたらお金を叩きつけるような人もいる
自分は偉いと、そう思ってるか否か
自分は正しいと、そう確信してるか否か
徳がない人はどんな立派なお洋服を着ていても
貴方の周りに人がおらず
お酒を理由に他人に当たり散らすような行動で
あなたという人間が何であるかを証明しながら歩いてるんだよ 大義名分なんてものは、男が個人で持つべきものじゃない
こんなところに書いた所で誰の目にも触れはしないだろうけれど
もしも見た人がいたなら、省みて欲しいです 民主党の議員ならば、本人の痛みは本人にしか分からないっていう当然の話を無視して「オーバーな表現だ」「与党を貶めるパフォーマンスだ」などと揶揄していいのだろうか?
一見元気そうに振舞ってるけれど、実はどこかを痛めてる経験なんて皆あるだろうに
揶揄の前に出来ることは、あっただろうに
人の痛みを知ることは出来ない
だから、疑う前に心配してるでしょう?
もし、目の前にいたのなら
足を怪我して、心も怪我して、結局どこにも行けなくなった
それもまた、命を使ったパフォーマンスと言うのですか? 医者に行けば治る
と医者でもない貴方が言う
それが貴方が頑張れる貴方の役割だとしたら
私といる意味は一体どこにあるのだろう 生きる為に希望が必要で
死が避けられなくなっても希望は絶望より求められるもので
常に前向きでいないと周囲は安心しない
そんな偏った 心に反した まったくの嘘 虚構の自分で
最期を迎えなきゃならない それこそが 人と人との繋がりが抱えさせる病巣なんじゃないのか 苦しみ抜いて迎える死は そんなにダメなこと なの?
終わっていく時間の中でさえ 自分より 周りを気にして 強がって 笑って
それのどこに あなたの自由があるの
望む 望まないで
綺麗 汚いが 決まる
絶望は 汚いものなのか
本当の本当に 考えたことは あるの? 孤独とはなんなのだろう
孤独を感じたことはありますか?
会えなくなったこと=価値が見いだせなくなること?
寂しいとはなんだろう
寂しさを感じますか?
触れられることの不快感の方が上回りませんか? 現実的な問題で見れば、イギリスはEUによって破壊されかかってただけだと処断されても良いくらい
EU自体が各国の富裕層をより富ませる仕組みでしかなかったと
ドイツだってイタリアだって、フランスだって、庶民レベルでは現在進行形でダメージを積み重ねてる 「政府や指導者にとって、嘘は大きければ大きいほど良い。」
「民衆は、ドラマチックな嘘には簡単に乗せられてしまうものだ」
アドルフ・ヒトラー 今あえて思うことは
死者に罪はない
なんてことは、有り得ない
罪とは被害者がいて成り立つものだ
教会が解く神に対しての罪は罪じゃあない
自分勝手に、大勢が目にする場所で、首を吊った
それを見た人の何人かは、心にトラウマを背負った
だが彼は、自ら命を断ってしまった
だから彼に罪はない
そんな馬鹿な話があるものか
彼は死後に罪を犯した
ただ誰も、彼に罪を問えないだけだ
こんな当たり前の話を、今生きてる多くの人が誤ってると考え
こんな当たり前の話をする人間を、間接的に嘲笑する
それが、今の日本だ
ひょっとしたら昔からそうなのかもね もし、仮に、電車に飛び込もうとした人がいるとする
線路に降り立ち、電車が来るのを待っていたとする
それを誰かに救われたとする
彼は、何の罪にも問われず、話を聞いてもらい、誰かから慰めてもらい、説教してもらい、家に帰るだろう
死にたいと思うほどに追い詰められていたのだから、それ以上何かを背負わせるなと
それは当たり前の話なのか?
助けられなければ、彼は死んでいたかもしれない
ひょっとしたら、助けようとした人を道連れにしてしまうところだったかもしれない
自殺が未遂ですまなければ、ものすごく多くの人に迷惑をかけていただろうに
なぜ、罪に問われない?
人前で自分勝手に死ぬ奴が、どうして罪に問われない?
おかしいだろう
狂ってる話だろう?
「ダメなものはダメ」と大声で発表し、沢山のフォロワーに褒めそやかされ、
反論した人間を数で追い込むような人間が、この世界では道徳心に満ちた善人なのだそうだ
違う、違うよ
あんたらは、ただ、浅く考え人任せにして、何も決断せずに大きなグループに所属していたいだけだ…… 善悪なんてものはないと多くの大人が知っている
だから、多数決の多い方に常に立っていようとする
それが賢いことだと
マナーもルールも多勢が決めるのだと
配慮なんてキリがない
だから聞こえの良い方を盲目的に支持する
それがどうやら正しい行いだと、漠然と考えて
だからこう思う
人は皆、とても純朴で清らかであるべきなのだと
1度でも魂を汚された人間は
自ら汚してしまった人間には
もう選択権なんてものはないんだ 考えたら負けだ
考えずに同意しろ
考えるのならば同意する方へ思考を回転させろ
つまらない異議を挟み込むな
力のある者に追従して、多くの人々と同じように笑え
Twitterをやってる人はどれだけいるだろう?
こういったことをどう足掻いても身に染み渡してくれる、とても良い教材アプリだよ
ぜひやってみてほしい いや、電車に飛び込もうとしたら罪に問われるね
間違えた 心神喪失状態って何だろう
自殺する時にそうなってるものなのかな
死ぬ決意と、実行に至るまでって並大抵の覚悟じゃ出来ないことなのに 死んで詫びるって言葉は死を望まない人にしか適応されないことのような気がする
死んだ方がマシだって思うから、飛び込むのに
ふらりと、吸い込まれるようにやることだと
どうして、分かるの?
それはちゃんと嘘じゃないか、証明は出来たの?
そう思う経験は多くの人が共有出来る
でも
実際に飛び込んでしまう時って、本当に、そうなの?
酔ってなかったら、何かで朦朧としてなかったら
ま、いいやって飛び込む時
絶望しきった時
やっぱり止めとけばよかったなんて後で思うような状態なの?
それすら思えない=判断力が正常じゃないってことで、過ちだとするの?
その人には電車、いや、公共の場を選ばないことだって出来たはずなのに、その事実は無視するの? アスペルガーではないな
持ってる知識が欠片ほどしかないから
空気が読めない、例え話がやや分かりづらい
思ったことは衝動的に発言してしまう
(厳密には数瞬可否を自己判断しようとするけど、機会が過ぎ去るくらいなら爆発させた方がマシという欲求に従う、なお思考してる最中はここまで冷静に思えず、内々でパニクってる)
人当たりが良いと言われるものの、半年も付き合えば「こいつ変わってる」が「いや、この人(呼び方にも壁が作られる)明らかにどこか妙だ」
という印象に変わる
場のリーダー格の人を慕うことは出来る、とても簡単に出来る
ただ、自分の中に絶対の判断基準があり、それにものすごく拘る
拘りたくないけれど、気付いたらそれに従ってる
全く理不尽さなんか微塵もない事柄で、場合によってはこちらを100%気遣ってくれてるものなのに、気づかずに反発(或いは無視)することもある
そうしたことが半年も経てば積み重なり、「この人はとにかく言うことを聞かない」という確信を相手に抱かせることになる。 だから「謙虚になれよ」だとか
「お前は俺に恨みでもあんのか?」だとか
「聞にくいけど、精神科にかかったりしてない?」だとか
「すいません、仲良くなろうとしたけど無理でした」だとか
そうした場面に出会う度に、自分を罰してきたものの、自分を自分の裁量で罰することに何も意味はなかった
過度なこともあれば、緩すぎることもあるし、考えてる内に「全て自分が悪い」と殻に引きこもったりする
短時間思考して答えが見いだせないのなら、自分は頭が悪いのだから考えない方がマシだと極端な思考に導かれる 何かを継いだり、生み出したりすることは、きっとぼくには望まれてないのだと思える
1人の力で生み出せるもの、達成出来るものはとても限られてる
まして、集中力が続かない
子供の頃から何かを1から作り上げることが出来なかった
受験の時でさえ、どうしても出来なくて、提出をせずに1と通信簿に書かれてきた
やり方が分からない、こんなものを自分のものと認められない、自由にやれと言われても何も思い浮かばないし、こうなれば良いという完成見本が朧気に頭に浮かんでる場合は、どうしても妥協出来ない
それを「言い訳」と「逃避」だと人は見るものだから、ぼくもそれを信じてひたすら自分を呪った
最終的に、先生の前で真っ赤に塗りつぶしたものを提出したり、途中まで作った何かを目の前で錐で突き刺し、「生徒に完成させること」を諦めて貰った
その上で評価1。とても公平な判断で、今なら感謝を述べられる。当時は絶望するしかなかった。 だから、今の世の中を生きて、ぼくをうんでくれた母親が統合失調症で自殺を遂げ(知らされてないけど生きてないはず、全く何も連絡がなくなったから)
父親はぼくらの代わりとなる、ちゃんとした子供を最後のチャンスに作ることが出来て、幸せな子育てと安心出来る家庭を作っている、
こんな人生に導かれたことは本当に、何の皮肉もなしに、御先祖さまの御加護だったり、神様のお目こぼしだったりするのかもしれないと思ってる
ぶつかりながらパニックになりながら必死に正規雇用を目指す理由だった、人生で唯一、ぼくを好きになってくれた人とは死別した
もう、昔に経験したかったこと、コンプレックスだった未体験なことは、何もなくなった
生きられるところまで生きて、どうにもならなければ首を括ればいい
何も求められていない
誰かを大切にする必要がない
寄り添う人を必要としない
そこまで来て、本当に本当に、父親には申し訳ないのだけど、ぼくは本当に恵まれていると
そう思う 行かなければ行けない場所はまだいくつかある
その時に、ぼくを身内としなければいけない人々が困らないように、泥臭く足掻いて生きてる、ようなフリはし続けないといけない
フリである以上見抜かれるものだし、迷惑となる以上は困らないこともないことだと思うのだけど……
要するに、その場だけの繋がりの人に対して平身低頭であり、人あたりの良い笑顔を崩さず、
税金や年金などは借金をしてでも着実に納め続け、安アパートで隣人を嫌わず、未来には何も望まずに生きていればいい
あと何十年後なのか分からないけど、ひょっとしたら10数年後くらいのアラフォーくらい?で、癌など、薄い貯金じゃどうにもならなくなるような事態に見舞われて富士山か華厳の滝か東尋坊か、そういう所へ鎮魂のお話を聞きに行った後に
どこか人目につかない場所で、警察に通報の上で自殺出来ればいい リスカはSOSというより、精神安定剤の1つ
だからぼくの腕にはリスカの跡が3つしかない
それでは死ねないし、突発的な自殺は本来関わらずに済んだ人達にも迷惑がかかる
計画は凄く苦手だから、習慣化するしかない
日々、自殺のやり方とタイミングを一日内のどこかで考えてる
失敗だらけの人生で
人の為に動いたことはいつの間にか自分の為になってしまって、集中力が続かずに結局失敗を繰り返してきた
だから、人生を終える決断と、人生を終える行為の実行くらいは、せめてそれくらいは、ちゃんと完成させてやるつもりだ
どこかで誰かが、今日も孤独死をしてるわけだけれど
少なくともぼくは、身勝手に異臭を垂れ流して死ぬような過ちは犯さない
死を乗り越える必要のある職業に就いてる人に見つけて貰うようにやらなければならない
誰かの糧になるような死に方をしないといけない
それでも、肉親には迷惑をかけるけれど もう何度目の人生なのかも分からないが
今度も失敗をするくらいだったら、もう、これでおしまいにしてくれないかなぁ
だめかなあ
まだ続くのかな 日本が いつからオリジナルのものばかりを 作れる国になったというのか
元から 技術供与を受ける側で 革新技術と呼べるものを 多く作れたりはしていない
元があって それを改良する それが得意なのが 日本
マスコミが 過大な自尊心煽りを続けた結果
技術者はともかく 一般的な国民にまで 変なプライドがついて 高まった
スマホの苦境は 3大キャリア制度が大きな問題とは思うけれど そればかりでもないよ
1人1人が 要求水準を引き下げて
まずは使ってあげること 買ってあげることが
大切なんじゃないの もちろん それだから
3大キャリア制度は滅ぶべきだと思うし
本体価格の大幅な見直しも 必要だろうさ
それは 結構な痛み だと思う
けど やらなきゃ いつまでも このまま 理由をグダグダ並べ立てるまでもなく
『ダメなものはダメ』に何故過剰に反応するのかといえば
そこに相手への思いやりが感じられないから
そして
言葉にしないと伝わらないことだってあるのに
態度で分かれという暗黙のルールによって
結果的に家が壊れ、自分の過去も壊れ
そうした環境的な問題もADHDに陥る誘因であったからで
つまるところ
自分を認められない
自分が嫌い
だから だった 言い分は大事なことなんだよ
言い訳と一纏めに出来ることじゃない
行動には理由がある
個人個人にアジャストしていたらキリがない、というのならそれは、社会構造の欠陥だと言えはしないだろうか
いいや、俺がそうなっていないのだから必要ない
そう言いきれる人だけを集めて国にしてみたらいい
そう言いきれる人の中からも、自分ではどうにもならない問題を抱えて生きる人間は産まれてくるんだよ
選民思想は、単なる理想だ
傲慢な生き方の行き着く場所 今日も、1人、息苦しさに耐えきれず命をたった人がいる
世の中で彼女を知る人は0.000001%未満だろう
それでも彼女は我慢して
我慢して我慢して我慢しきって
何も叶えられずに散っていった
ぼくは何も出来なかった
なにも出来なかった 死にたい のではなく
死んでる
死んで 死んで 死んでいる
ただ生きている だけ
死んだまま 生きてる
生きていた日々の残滓が
辛うじて 何が理由なのかもわからない まま
ぼくは それを嫌ってはいないから 辛うじて
どうでもよい仕事を 一生懸命なフリをして
生きてる 腹も減って 性欲も残っていて 眠気もあって
生きていられる場所を 辛うじて繋げて
生きてる たまに 幸せな気持ちを 思い出して
憎むことも 拒絶することも なく
流されるまま 幸せを抱いて
すぐにどこかに行ってしまうことを知りながら
浸って 縋ることだけはせず 受け入れて
死にながら 息をしている
そこに 充分だと 満たされた気持ちになりさえもする なにも産むこともなく
なにも残すこともなく
厄介事には 逃げながら 最低限の解決を試みて
失敗しても 気にせず 受け入れて
成功させることより ずっと 必要な結果であることと
思い込むこともなく 本心から 満足をして
生きるために 必要なことの
富むために 必要ななことの
繋げるために 残すために 貢献するために
必要なことの 多くを 望んで失い続けて
ぼくは 死んでいる
陽の差し込むことを 避けてる
薄明かりでは 色までは見えない
どこに何があるのか 視認できても
埃を被ってることまでは 気付かない
どんな思い出があったのか 色が見えないなら
褪せることも知らず それがそのまま 初めからそうであったように
いつだって 半分以下の 思い出に
ぼくは 救われた気持ちになる
穏やかに 死んでいる
息を止める
ほら 死んだ
止めている息が 続かない
息を吸う
ほら また 死ねる あなたが 今 誰かと付き合いたい
その欲求に 理解を示した
ぼくは 上の空で あなたの気持ちを 汲んだだけで
どうして そこから ぼくの世話焼きに 入るのかな
忘れて生きた方が きみの為だよ
そこまでは 分かるの
それは いいんだ
そこから先に 踏み込むのなら
もう聞くに耐えない 中傷と 同じように聞こえるだけで
ぼくには あなたのお世話焼きが とても苦痛だよ
忘れて生きられる そんな程度の 付き合いしか
あなたが 経験したことがない
それは あなたにとって とても幸運なことと 思う 充分だと思えるくらい 大切に 大事にしてきた
ということ
全てが 本当に 納得出来るほど
ちゃんと大切に してきたというのなら
忘れることだって 出来るんだろう
ぼくが ずーっと 自分を許せないのは
失ったことに ずっと 気持ちを沈めてるのは
もっと ああすればよかった
こうすればよかった
もっと大切にすればよかった
あの時 喧嘩しなきゃよかった
そういうものの 重さが 結局
忘れてはいけない もう二度と求めてはいけないという 鎖と十字架にさせた
だから たぶん
忘れた方が きみのためだよ
っていう言葉には 本当に 悪気も悪意も下心もないんだろう
ちゃんと 相手を大切に 大事に出来る人だから
忘れることだって 出来るんだろう
忘れたって 無くならないから
想いを大事にしまい込んで 明日を生きる気持ちを 持てるんだろう
ぼくには そんな資格がない ただそれだけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています