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日本史の勉強が嫌だったので受験も政経選択。そのままジジイになりました。 日本人としてしっかり自国の歴史を学んでから死にたい! 能力的にペースはゆっくり。 経験上、2週に1レスでも上出来。 いきなり専門書に飛びつかずに、高校日本史から始めるのじゃよ。 キーボードがぶち壊れたので、スクリーン・キーボードってやつで打ち込んでるのじゃ。 教科書をただ読んでも頭に残らないのはわかってる。 これをノートもとって見ていけばば良いのではないか。http://historiamundijapan.blogspot.com/ 全部で200回。週4回で1年。 やっすいキーボードと大学ノートと石川晶康『日本史B講義の実況中継』を買ってきた。もう安心。昼寝しよう。 座敷の天井にガスを引いて、それに細い綿糸で作ったガスマントルなるものをかぶせて火をつけると、 青白い光を発して灯火になる。大正初年の東京。『湛山回想』59頁 明治42年? の軍隊生活。かっぱらいの横行。122頁 初回の旧石器時代のところに出てきた相沢忠洋。 彼の自伝みたいな本がキンドルでセールになってた時に買って読んだんだけど、 こどものころに家族バラバラになって不幸だったな身の上話だけ覚えてるね。以上! ちょっと読み返してみたら、黙って家を出て行った母との再会とか、なかなかドラマチックやな。 今日は縄文時代のところやったよ。 なんか最近、縄文アゲが流行ってるみたいだね。死んだ津川雅彦も縄文文化の宣伝に熱をあげてたとか。 でもそっちの界隈だけの流行りじゃないらしい。国立博物館が特別展をやってた。 天声人語も「縄文芸術」をネタに取り上げていて、それへのツッコミをツイッターで見つけた。 ここにURLを貼ろうと思ったけど、外部リンク貼ってアク禁ってのを何度かやられたので、 連続ツイートの最後のところを勝手にコピペさせてもらっちゃう。 「だいたい古代の人口数十人の社会に「王や特権階級」がいないの、日本だけなわけないでしょ。 縄文時代に身分制度がなかったわけでもないし。縄文ナショナリズムの行きつく所は W真の日本人たる縄文人は犬を埋葬したが、大陸から来た野蛮な弥生人は犬を食ったW ですからね。警戒してしすぎることはない。」 疑問なんだけど、僕ら日本人は弥生人の子孫だよね。縄文の遺伝子は沖縄とかアイヌのほうに 多く残ってるんじゃなかったっけ。そのアイヌと琉球を虐げてた側がぼくら本土人だよね。 縄文アゲは「自虐史観」ってことにならないのかな。 >>12 こういいう書き方をツイッターでしたら即効で叩かれてるね。 おまえも日本人単一民族観に囚われてるアホじゃんて。気をつけないとね。 ところでぼくみたいな民族的多数派っぽいのは、そのまんま倭人の子孫て考えていいのかね。 弥生時代よりもあとに朝鮮半島から入ってきた民族の血はどれくらいを占めてんのか、 そういうことは高校の参考書を読んでもわからないよね。 弥生時代。 子どものころは気にもしてなかったけど、「邪馬台国」の「卑弥呼」って、ひっでい当て字くらってるな。 「倭」もたいがいだし。文化だか文明だかがはるかに進んでいたむこうにしてみれば、 ああいう下等な意味を含まない字を使ったりしたら、かえって不自然だったんだろうな。 それはともかく、当時の通訳はどうやってバイリンガルになったんだろうかね。 それはともかくの英語 : be that as it may / be the matter as it may / however that may be Pやんのよもやま話ってスレで 南京大虐殺はなかったっていってる人いるよ 見てみて >>16 どーでもええ いつまで過去に捕らわれるな 見るまでもなく、ぼくの手には余る症例なんで、 もっとふさわしい人に診てもらったほうがよいでしょう。 ムンディ先生の日本史、7回まで見終わった。弥生時代から次は古墳時代。 山田康弘国立歴史民俗博物館教授が、縄文研究の入門書をツイッターで紹介してる。 一生読まないと思うけど、念のためにメモ。 「縄文研究にアクセスするための入門書」 1.佐原真『日本人の誕生』 1987年 大系日本の歴史第1巻,小学館 2.甲野勇『縄文土器の話』 1976年 学生社版他 3.千葉県文化財センター編 1986他 『縄文時代』1・2房総考古学ライブラリー 日本史は現代史→近代史→近世史→中世史→古代史の順に学ぶべきだ! 石ノ森章太郎の「日本の歴史」も副読本に! ついでに「風の大地」も読もう! ひとがせっかくやる気出して始めたばかりなのに、わざわざやる順番について個人的価値観を押し付けに来るやt。 その名前が首都大学東京とかいう独善語順のネーミングがあっさり廃棄されたばかりの石原慎太郎って、 ちょっとしたギャグのつもりかめんどくさいわ! 石ノ森章太郎の「日本の歴史」は南北朝のあたりの人物を知っておこうと思って読んだことがある。 あんまり自分には向いてないかな。あと、「風の大地」って、調べたらゴルフ漫画じゃんか勉強のじゃますんな! しかしマンガ脳のクソ麻生太郎って、いちおう考えて名前つけてやがるな。 第9回「古墳時代中期」まで見た。 『日本史B講義の実況中継』も読みだして気づいたんだけど、ムンディ先生、講義の中ではあまり年号を教えない方針なのかな。 このあいだのところ、卑弥呼が魏に遣使した年にも触れてない。ちなみに239年ね。ノートにメモっとこ。 「卑弥呼にふみく(239)る」 ムンディ先生、「弓月の君」を「ゆげつのきみ」と読んでるし、板書もそう書いてる。もちろん「ゆづきのきみ」が正解。 先生がこれまでに読んだ教科書・参考書は10冊や20冊では済まないだろう。 数限りない危機をくぐり抜けた奇跡の一本松のような読み間違いを目撃したのが本日のハイライト。 昨日で古墳時代のところは見終わった。 石川晶康先生の参考書のほうが内容が詳しいから、後からノートに加えたい事柄が出てくる。 ノートの見開き左側にムンディ先生の板書を写して、右側のページは丸々あけておくことにする。 つぎからいよいよ飛鳥時代。たくさん人名が出てきて辛いんだろうな! しかし好太王碑文にある「倭寇潰負」が391年か。 日本と朝鮮半島の関係で軍事的に攻めこむのがいつも日本だというのは、日本のほうが国力が大きかったということなんだろう。 それはやっぱり、より温暖な日本の農業生産力が高かったということかな。 20世紀の時代でも、寒い北海道でとれた米はまずいと言われてたくらいだから、大昔の朝鮮半島での農業は厳しかったろう。 >>27 「倭寇潰敗」ね。 「潰敗」では一発変換できなくて、「ついえる」+「まける」に分けての後者で誤変換。 日本史関係の積読本がいくつもあって、授業で出てきた項目と関係する本があったなと思うと無性に捜索したくなる。 でもそれを見つけて読み出したら授業もその本も途中で飽きて投げ出すのは目に見えている。 ここは我慢して授業一本にしぼりましょう。 しかし、授業ノートとって満足してたら、教わったはずのこともすぐに忘れるのは分かってるので、 基本的な知識の定着を図るために『スピードマスター日本史問題集』という薄い本を買ってきた。 これは是非とも何周か回そう。 中公新書の『歴代天皇総覧』は手元に置いとくか。 それと末木文美士『日本仏教史』くらいは読んでてもいいかな。 文美士で「ふみひこ」って読むの今知った。 虐殺のイワノフカ村で日ロ慰霊祭 https://this.kiji.is/405657112418911329 >1918年から日本が軍事介入したシベリア出兵中、旧日本軍が約300人の住民を虐殺したロシア極東アムール州イワノフカ村 この事件知らんかったね。 日本兵、住民300人虐殺の衝撃 https://mainichi.jp/articles/20180327/ddn/012/040/019000c 有料部分は読めないけど、ツイッターで引用してる人がいるのでそれをコピペ。 >最も残酷なのは、25人の村民が一棟の物置小屋に押し込められて、外から火を放たれて、 >生きながら焼け死んだことである。殺された者が、当村に籍のある者で216人、籍のない者も多数殺された。 それと、今日9月16日が平頂山事件の日ということもツイッターで知った。 ムンディ先生、自分のことを「世界史の人」と言ってはる。 どおりでちょこちょこあやしいところがある。 今日見たところでも、南淵請安を「留学生」としてるけど、本当は僧旻と同じ「留学僧」のほうだ。 石川晶康先生の本を買っておいてよかった。年号ゴロ覚えも載ってるし。 「煬帝怒ったブレーナ(607)国書」 有名な「日出づる処の天子・・」で怒らせた翌年には言葉遣いをあらためて、 「東の天皇敬して西の皇帝に白す」としていたことも初めて知った。 ム先生がちらっと言ってたから『歴代天皇総覧』を見たんだけど、武烈天皇ってマジひとでなしじゃん。 「妊婦の腹を割いて胎児をみようとした」 「人の生爪を剥いで山芋を掘らせる」 「人の髪の毛を抜いて木に登らせたうえ、木を切り倒して楽しむ」 「人を池の樋の中に入れ、出てくるところを矛で刺して殺す」 「人を木に登らせて弓で射る」 「大風や大雨に民が苦しんでいるのをよそに、民の上におかまいなく美食を重ね」 『総覧』には「悪行を尽くした天皇により応神・仁徳王朝が断絶したとする中国的な考え方を指摘する説もある」 と書かれている。あそこまでの悪行を記録するということは相当無理のある皇位継承だったんだろうし、 そのまんま思い切って中国の易姓革命なみに皇統というものは断絶してましたってしたほうがよくねってレベル。 ム先生の板書では、大伴金村の失脚は継体天皇の時代に入れているけど、本当は欽明天皇のとき(540年)じゃん。 これ続けていいのか、だいぶ心配になってきた。 継体天皇のころから朝鮮半島の勢力にかなり押されてるな。 任那4県割譲が512年。 磐井の乱が527年。 伽耶が新羅に滅ぼされるのが562年。 間違いがあるという前提で自分でちゃんと調べることでかえって勉強になるのかもしれないから続けよう。 山川の『詳説日本史研究』も買っておいたほうがいいかな。気になったところを確認するために。 ひどい遅読じじいだから通読しようとしたら全部途中で投げ出すことになる。 >>24 >>33 「年号」というのは元号のことだから、この使い方は正しくないというべきなのかな。 歴史の勉強で西暦での年数を覚えるときに「年号を暗記する」というけど、厳密には誤用なのかな。 『詳説日本史研究』を買うのはやめた。 粗くてもいいからまず骨格になる知識を定着させて、そのあとは一般書を好きに読むようにしよう。 今までよりも身になる読書ができるでしょう。 また年表的誤りがあった。大津宮遷都667年で中大兄はまだ称制のとき。 天智天皇になるのは668年。 あまり意味のない前後関係かも知れないけど、板書に間違いがあるというのは気にはなる。 7世紀後半、朝鮮が激動してます。 660年 唐と新羅が百済を滅ぼす。 663年 白村江の戦い 668年 唐と新羅が高句麗を滅ぼす。 676年 新羅が朝鮮半島統一。 一発で記憶に残そう! (甥をつぶして)ロクナニ(672)んげんじゃない ?壬申の乱 672年 北を背に南を向くよ(694)くよ藤原京 : 藤原京遷都 694年 推古天皇607年の遣隋使。あの有名な小野妹子が日本に戻る途中の百済で煬帝からの国書を紛失したんだって(『総覧』80頁)。 国を代表する超エリートがなにやってんの。のちの時代の武士だったら切腹ものの大失態なはずだけど、罪には問われなかったって。 この件を教科書に書いとけば、日本人ももっとおおらかな国民になれるんじゃね。 物部守屋との戦いに勝利できたら四天王の像を作って寺を建てますと厩戸皇子が誓いを立てて、 それでできたのが四天王寺なんだって。聖徳太子のイメージが崩れた! なにが聖徳よ。 もっとなんか、思弁的な感じか、それか現世利益にしても衆生救済みたいな願いで仏教に帰依してたのかおもてたわ! >>45 煬帝からの国書の内容が辛辣すぎて、とてもじゃないけど天皇には見せられないからわざとなくしたとかかな、 と思って検索したらやっぱりそういう説があるらしい。 それと、流刑になったあとに赦免されたとか、なりそうになったけど免れたとか、どっちが正しいのかわからないけど、 そういうことはあったらしい。 なかつかさ しきぶ じぶ みんぶ ひょうぶ ぎょうぶ おおくら くない 先生、田の面積の「段」を「だん」と読んでるけど、「たん」だよね。 律令制度のところでやる気が急速に減退してちょっと苦痛。 だって、中国さまの真似をして立派そうな制度を作ったけど、けっきょくずるずるのうやむやのなし崩しになるの知ってるもん。 26 継体 507-531 27 安閑 531-535 28 宣化 535-359 29 欽明 539-571 30 敏達 572-585 31 用明 585-587 32 崇峻 587-592 33 推古 592-628 34 舒明 629-641 35 皇極 642-645 36 考徳 645-654 37 斉明 655-661 38 天智 661-671 39 弘文 671-672 40 天武 672-686 41 持統 686-697 42 文武 697-707 昔の政争はどっちかが死なないと決着つけられんかっていう。 奈良時代なんて陰謀含みの権力闘争ばっかじゃん。 こんなの戦前の教育ではどう扱ってたのか。とてもじゃないけど皇室を神聖視するなんて無理やろ。 まあ当時は今の高校に当たる教育を受ける国民は少数派だったんだろうけど。 こういう堕落しきった歴史歪曲者の名前が通勤電車の中吊り広告に太字で晒されることはない。 あまりにもいびつな社会だと思うね。 『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/09/26/antena-332/ ム先生のツイッターアカウントを見つけた。やっぱり世界史がメインの先生なんだな。 初めから知ってたら違う方法で勉強を始めてたかも。 「台密」は「だいみつ」ではなく「たいみつ」だと思いますよ。 学校の先生も時間拘束が厳しいし、ましてやサブ教科だと関連教養書を読んでいる暇もなかったか。 あと、ケアレスミスだと思うけど、桓武天皇のところで「徳政相論」が「徳政論争」になってました。 ここに書くネタとしてはミスの指摘が多くなりますが、基本的に授業を信頼して学んでますよ。ノートもちゃんと取ってるし。 密教と顕教の峻別 (末木文美士『日本仏教史』109頁) さて、それでは先に触れた仏教のなかでの密教の特殊性はどこのあるのであろうか。 原始仏教以来の根本原理の一つに無我の原理がある。一切の存在は自我のような 固定的な実体性をもたいないというものである。言いかえれば因果性を離れた永遠の 存在はありえないということである。この原理が大乗仏教では「空」とよばれ、やはり 最も中心の原理とされる。ところが、密教の絶対者大日如来は永遠の宇宙的実体であり、 それまでの仏教の仏が究極的には空に帰するのと根本的に異なっている。冥想のなかで 自我がこの宇宙的な大日如来と一体化することにより、自我も絶対性を獲得できるという のである。そこには、ウパニシャッドにみられる、ブラフマン(宇宙原理)とアートマン (自我の原理)の一致の理論との近似性もうかがえる。空海によるこのような密教の 理論化は後でみることとして、ともかくも従来の仏教の無我・空のもつ現世否定性が 消えて、密教においては顕著な現実肯定性が支配するようになっている。 平安時代をやってますけどね、これどうやっておぼえますかね。 天皇ごとに事績をおえばよかった奈良時代がなつかしい。 「おぼえればよかった」ね。 どうも9世紀半ばから藤原北家の権力がまだ安定してない10世紀後半くらいまでが苦手くさい。 風邪が長引いて休んでました。痰がからんで咳が出て夜寝られないってのが辛かった。 今日は3時間か4時間眠れたので、昼寝でもできたらまた始めよう。 百田尚樹が『日本国紀』なる本を出すそうで、ツイッターの反歴史修正クラスタが手ぐすね引いて待機中。 金谷俊一郎という予備校日本史屋さんが監修したということで、本の宣伝めいたツイートも発していたのを 最近になってすべて削除したとか。かかわりを否定したくなるような酷い内容なのだろう。 しかし金谷という人物の本は金輪際購入しない。 途中ブランク入ったけど、なんとか4分の1の50回まで来た。鎌倉時代。 その前の院政期はなんだかもや〜っとして印象薄い。 12世紀に入っても前半まるごとイベントがない感じになってるのもなんとなく頼りない。 1156保元の乱、1159平治の乱、ここから急に面白くなる。 あぁ 清盛ね 清盛 なんか清盛つー人が頑張ったみたいだよ 諸行無常 諸行無常 保元・平治の乱で清盛が出てくるってことは、1週間前のぼくよりインテリってことだからなおまえな。 承久の乱で後鳥羽は隠岐、土御門は土佐、順徳は佐渡と、流された土地も受験生は記憶するらしいんだけど、 権力者に歯向かった上皇を島流しにするって、やっぱり明治以降の天皇・皇族に対する感覚とはまったく違うよな。 幕末あたりから急速に変えられたんだろうけど。高校日本史では詳しくやらないだろうな。 島流しに対する感覚自体がちがうし いまは遠いところへ配流とかいっても刑罰になりにくいのでは 身内にいたらストレスたまりそうな名前の人に話しかけられた。無視しよう。 始皇帝の墓 人形が沢山 劉禅の墓 何度もぶっ壊されてる 楊貴妃の墓 傾国の遠因になった人物だがなぜか一応ある 万暦帝の墓 文革の時に掘り出されて遺体にオイルかけられ燃やされた 毛沢東の墓 遺体は防腐処理を施され永久保存 大麻もいいけど見た目が汚いババアになっちゃってるじゃん こりゃ大麻は美容によくないなと 始皇帝陵の兵馬俑ね。あれは人形ったって規模が違うもんね。 等身大のがたくさん並んでんでしょ。そのごく一部だけだけど、上野でやってた大兵馬俑展に行って見たもんね。 ひとつひとつちゃんと個性があるんだから。ヒゲとか首に巻いてる布とか頭巾だか冠だかとか。 倭人なんてあの何百年もあとに埴輪作ってんだから埴輪。兵馬俑と埴輪が動きだして戦ったら、 パンチ一発で埴輪粉々じゃん。 あの展覧会があったのが2004年。サッカーアジアカップが開かれた重慶ですごい反日騒動があったすぐあと。 笑点で歌丸が「ああいう国にオリンピックを開催する資格があるんでしょうか」と言って、 観客も拍手で応えるというような空気感の年に中国文明の偉大さを見せつけた大兵馬俑展。だからよく覚えてる。 なぜか主催がウヨクの産経新聞社だったね。 なぜか楊貴妃の墓が残ってるということだけど、岩戸山古墳が「磐井の乱」の磐井だってのも不思議だったね。 新羅と通じてヤマト政権に反乱したヤツの墓がなんであんなに立派なのか。 ウィキを見たら、生前に造ってたということらしいんだけど、それにしたってあんな形で残してもらえるのは謎でしょ。 何十年前の話してるんだよおっさん 明徳は最近偏差値かなり伸びててバカ校だけど最底辺は脱しつつあるし、元千工商こと敬愛学園も昔ほどひどくない 経済はあんまり変わらんけど 思うんたけど国際Aマッチを日本視点だけで語り過ぎじゃないか? キルギスにとっては「格上の日本とアウェーで試合をする」 ことはアジアカップ前の強化として意味あるわけやん? 日本はその手助けをしてるわけやん? ブラジルだっていつも圧勝できる日本と試合する意義ないけど ちょくちょく日本の強化に付き合ってくれてるやん? 世界は助け合いなんやで? アラフォー女性(笑) 閉経前の悪あがきもムダに終わったのか 確かに同じ展開だらけでワクワク感無くなったのは否定できないわ 最後の二行がいらない買い物先まで追い掛け回してストーカーかよ ちょくちょく日本の強化に付き合ってくれてるやん? 世界は助け合いなんやで? 過激なのをやれば面白いわけでもないし、手柄はそれをやらせたヤツのものでもないのにな テ○ー○藤とか勘違いしてる老害みたいなのいるし オレはほとんど仕事をしてなくて、株とFXで億を軽く超えるんだから 楊貴妃あんなに忙しく働いて男に媚びてる指原だったら余裕で3億もらってるだろ 荒らしのくせに精神的ダメージを与える意図がつゆほども感じられないのが謎だな。 こういうのって僻地に陸スタ建ててる事が多くて そこで試合させてるのはむしろ非効率じゃないかって認識が広がって、 Jリーグクラブがあるなら適正な規模で利用しやすい場所に サカ専や球技場作るべきではって流れになってるんだよ それが行政や自治体の認識 まあどんな出来かこのスレ民なら 劇1話は見に行くでしょ 若い奴も行くしイケメン声優出したら女ヲタも釣れるし 稼げそう 女に教えておく。 確かに男はコンマが好きだ。 ただ好きなのは若くてスベスベの奴だ。 わかったらさっさと失せろクソビッチが。 後醍醐天皇ね。『異形の王権』というのを昔読んだけどおぼえてないねなにも。 土台となる基礎知識もなくああいうの読んでも内容が定着しにくいよね。 ちなみに「ごだいご」と言えばこっちのゴダイゴな世代。 「ゴダイゴ」の由来 http://www.studio-g3.com/godiego/05-topic/05-godiego.htm 年内に半分の100行かせるつもりで頑張ってるで保守。 文化史のところはサッと流す感じになってる。 これに関しては家庭教師のトライが公開してる動画講義のほうが充実してるようだ。 ぼくの若いころは本の著者はみんな戦前の教育を受けた人たちだったから、 尊王の楠木正成や新田義貞について知識があることが前提の文章をよくみたものだけど、 いまの学校教育では彼らのなにがそんなに偉かったのか伝わってこんよね。 見逃した。ゴールデンタイムにやってくれ。 「死刑になった学徒兵 〜獄中絶筆が訴える戦争の不条理〜」 https://www.tbs.co.jp/jnn-thefocus/archive/20181202.html 木村久夫遺書全文を公開する https://blogos.com/article/85514/ 日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。日本は無理をした。 非難する可き事も随分として来た。全世界の怒りも無理はない。世界全人の気晴らしの一つとして 今私は死んで行くのである。否殺されて行くのである。之で世界人の気持が少しでも静まればよいのである。 それは将来の日本に幸福の種を残すことだ。 私は何等死に値する悪はした事はない。悪を為したのは他の人である。然し今の場合弁解は成立しない。 江戸の仇を長崎で打たれたのであるが、全世界からして見れば彼も私も同じく日本人である。即ち同じなのである。 彼の責任を私が取って死ぬ、一見大きな不合理ではあるが、之の不合理は過去矢張り我々日本人が 同じくやって来たのである事を思へば矢鱈非難出来ないのである。彼等の目に留った私が不運なりとしか 之以上理由の持って行き所はないのである。 日本の軍人、殊に陸軍の軍人は、私達の予測していた通り矢張り、国を亡した奴であり、 凡ての虚飾を取り去れば私欲、其の物の他に何物でもなかった。今度の私の事件に於ても最も態度の賎しかったのも 陸軍の将校連中であった。之に比ぶれば海軍将校はまだ立派であったと言い得る。 大東亜戦以前の陸軍々人の態度を見ても容易に想像される所であった。陸軍々人は余り俗世に乗り出しすぎた。 彼等の常々の広告にも不拘、彼等は最も賎しい世俗の権化となっていたのである。それが終戦後明瞭に現れて来た。 生、物に吸着したのは陸軍々人であった。 大風呂敷が往々にして内容の貧弱なものなるとは我国陸軍が其の好例であるとつくづく思われた。 我国民は今や大きな反省をしつつあるだろうと思う。其の反省が今の逆境が明るい将来の日本に 大きな役割を与えるであろう。これを見得ずして死するは残念であるが世界歴史の命ずる所、所詮、致し方がない。 全日本国民のために必須なる以上、私一個人の犠牲の如きは涙を飲んで忍ばねばならない。 苦情を言うなら、敗戦を判ってい乍ら此の戦を起した軍部に持って行くより為方はない。然し又更に考えを致せば、 満州事変以後の軍部の行動を許して来た全日本国民に其の遠い責任がある事を知らなければならない。 日本人は凡ての面に於て、社会的、歴史的、政治的、思想的、人道的、試練と発達が足らなかったのである。 凡て吾が他より勝れリと考へ、又考へせしめた我々の指導者及びそれらの指導者の存在を許して来た 日本国民の頭脳に凡ての責任がある。 日本は凡ての面に於て混乱に陥るであろう。然しそれで良いのだ。嘗ての如き、 今の我に都合の悪きもの意に添はぬものは凡て悪なりとして、腕力を以て、武力を以て排撃して来た 我々の態度の行く可き結果は明白であった。今や凡ての武力、腕力を捨てて、 凡ての物を公平に認識、吟味、価値判断する事が必要なのである。それで之が真の発展を我々に与へてくれるものなのである。 凡てのものを其の根底より再吟味する所に、我々の再発展がある。ドグマ的な凡ての思想が地に落ちた 今度の日本は幸福である。それを見得ないのは全く残念至極であるが、私に更にもっともっと立派な頭の聡明な人が之を見、 且指導を行ってくれるであろう。何と言っても日本は根底から変革し、構成し直されなければならない。若き学徒の活躍を祈る。 此の兵士は戦前はジャワの中学校の先生で、我軍に俘虜となっていたのであるが、 其の間、日本の兵士より撲る、焼くの虐待を受けた様子を詳しく語り、其の人には何故日本兵士には撲る蹴るなどの事が あれ程平気で出来るのか全く理解出来ないと言っていた。私は日本人全般の社会教育、人道教育が低く、 且 社会的試練を充分に受けていないから斯くある旨を よく説明して置いた。又彼には日本婦人の社会的地位の低いことが大変な理解出来ぬ事であるらしい つまらぬ之等の兵士からでも、全く不合理と思へる事が日本では平然と何の反省もなく行われている事を 幾多指摘されるのは全く日本に取って不名誉な事である。彼等が我々より進んでいるとは決して言わないが、 真赤な不合理が平然と横行するまま許してきたのは何と言っても 我々の赤面せざる可からざる所である。単なる撲ると言ふ事から丈でも、 我々日本人の文化的水準が低いとせざる可からざる諸々の面が思ひ出され、又指摘されるのである。 殊に軍人社会、及び其の行動が其の表向きの大言壮語に不拘らず、本髄は古い中世的なもの其物に 他ならなかった事は反省し全国民に平身低頭謝罪せねばならぬ所である。 日本の軍人には偉い人もいたであろう。然し、私の見た軍人には誰も偉い人は居なかった。 早い話が高等学校の教授程の人物すら将軍と呼ばれる人の中に居らない。 監獄に居て何々中将少将と言ふ人に幾人も会ひ共に生活しているのであるが、 軍服を抜いだ赤裸の彼等は其の言動に於ては実に見聞するに耐え得ないものである。此の程度の将軍を戴いていたの では、日本に幾ら科学?物資があったとしても戦勝は到底望み得ないものであったと思はれる程である。 特に満州事変以後、更には南方占領後の日本軍人は、毎日利益を追ふ商人よりも根性は下劣なものであったと言ひ得る。 木曽義仲が京へ出て失敗したのと何処か似た所のあるのは否定し得ない。 彼が常々大言壮語して止まなかった忠義 犠牲的精神、其の他の美学麗句も、身に装ふ着物以外の何者でもなく、 終戦に依り着物を取り除かれた彼等の肌は実に耐え得ないものであった。此の軍人を代表するものとして 東條前首相がある。更に彼の終戦に於て自殺は何たる事か。無責任なる事甚だしい。之が日本軍人の凡てであるのだ。 然し国民は之等軍人を非難する前に、斯かる軍人の存在を許容し又養って来た事を知り、 結局の責任は日本国民全般の知能程度の低かったことにあるのである。知能程度の低い事は結局歴史の浅い事だ。 歴史二千六百有余年の何かは知らないが内容の貧弱にして長い事ばかりが自慢なのではない。近世社会としての 訓練と経験が少なかったのだと言っても今ではもう非国民として軍部からお叱りを受けないであろう。 私の高校時代の一見叛逆として見えた生活は全く此の軍閥的傾向への追従への反撥に外ならなかったのである。 私の軍隊生活に於て、中等学校、専門学校や何処かの私大あたりを出た将校が、 只将校たるの故を以て大言壮語をしていた。私が円曲乍ら彼等の思想を是正しようとするものなら、 彼等は私を「お前は自由主義者だ」と一言のもとに撥ねつけてきた。彼等の言ふ自由主義とは即ち 「彼等に都合のよい思惑には不都合なる思想」と言ふ意味以外には何もないのである。又それ以外の事は何も解らないのである。 軍人社会の持っていた外延的な罪悪、内包的な罪悪、枚挙すれば限りがない。それ等は凡て忘却しよう。 彼等も矢張り日本人なのであるから。然し一つ言って置きたい事は、軍人は全国民の前で腹を切る気持ちで謝罪し、 余生を社会奉仕のために捧げなければならない事である。軍人が今日迄なして来た栄誉栄華は誰のお陰だったのであるか、 凡て国民の犠牲のもとに為されたにすぎないものである。 労働者、出征家族の家には何も食物はなくても、何々隊長と言はれる様なお家には肉でも魚でも果子でも幾らでもあったのである。 ーーーー以下は語るまい、涙が出て来る計りである。 天皇崇拝の熱の最も厚かったのは軍人さんだそうである。然し、一枚の紙を裏返へせば、天皇の名を最も乱用、悪用した者は 即ち軍人様なのであって、古今之に勝る例は見ない。所謂「天皇の命」と彼等の言ふのは即ち「軍閥」の命と言ふのと 実質的には何等変らなかったのである。只此の命に従はざる者の罪する時にのみ天皇の権力と言ふものが用ひられたのである。 若し之を聞いて怒る軍人あるとする ならば、終戦の前と後に於ける彼等の態度を正直に反省せよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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