【LOVE】日村とロンギのハッテン場【LOVE】
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>>98
やれば出来るが魔法の合言葉だ
書け書け
遠慮はいらんぞ 哲学アトム?
またみょうちくりんな綽名をw
どうでもいいけど。 >>101
すまんが、嫁とのセックスのほうがプライオリティ高くてな。
がまんしてくれ。
きみはさっさと寝たまえ。 >>103
哲学者がセックスなんかするのか
あんなもん犬や猿がすることぞ
まあ仕方ない今夜で最後にしてくれよ
今夜は私も寝るわ >>104
ソクラテスには子どもがおったがなw
そんなことも知らんのか
無教養め
とりあえずウンコ丸めてろ
フンコロガシが ソクラテスの嫁はアホだったことは知ってます
それを苦に哲学の道に逃げ込んだと伝記にあったな
どっちにしても大した人間じゃねえよ
ありゃあ現場処理の男だ 悲しい本、読みました
今はマトモな感想も言えない批評も出来ない
私自身を見せずにそれが出来ないから
そしてロウソク。の場面で感動して泣いた
悲しみを知った者は、もう加われない幸福を祝福して一本のロウソクと共に生きていく
これは救いだと思うよ、ロンギ 物語で人は救えないな、確かに
笠地蔵はあれを救いということにして耐える民衆の祈りだと思ったし >>108
おはようごぜます。
読まれましたか。それはよかった。
こういう本を読んで頭をぶん殴られたような気分になることは
人生のなかで大事なことであるように思います。
彼には誰の声も届かない。
どんな物語も効果を発揮しない。
たとえばあの男にアンデルセンの童話を差しだして慰めることは
いまこの瞬間、まったく無意味なことですからな。
それはアンデルセンのせいではない。
あの男の世界がそういう世界だということです。
そういう荒涼とした世界に耐えきれないひともいる。
宝石がなければ生きていけないひとがいるように。
これもまたよくわかります。
それも、よしあしの問題ではない。 死の受容についてキュープラー・ロスというひとが「段階説」というものを唱えています。
とても有名な説なので、知ってるひとも多いはず。
オレ自身は、人間の精神はひとつのメカニズムの綜体であって、
規則に従って運動しているものだと思っています。
これは信念です。
そうでなければならない。困ります。日常生活ができなくなる。
きっと悲しみは段階を追って受容に向かうはずです。
これもまた物語です。
物語であるから、ハッピーエンドあるいはバッドエンドへ向かうのです。 しかし、その一方で、オレは頭の片隅で、
人間はそんなに単純な生き物なのだろうか、と思っている。
根拠はないけれど、たぶんそうなはずだと考えている。
物語的に記述されるような決定論から逃れられる存在であるはずだと、
心のなかのどこかで考えている。
これもまた信念です。
しかもまったく根拠がない信念。
信念というより、希望です。
人間は、そうであってほしい。 『悲しい本』のろうそくは希望なのか。
そう、あれは物語的な希望です。
では裏表紙の絶望的な男の姿はいったいなんなのか。
物語がなんの効力もないということを指し示すことに、いったいどんな意義があるのか。
ただ人間が救われない存在であるということ「だけ」ではないか。
Pやんの疑念はそこにある。
だけれども、オレには、あの姿がなければならなかった。
ろくそくに希望を見出す男、ろうそくから目をそらし物語を捨ててしまう男、
実はこのふたつを並置することで、人間はほんとうに自由になる。
受容段階説のような単純なメカニズムで記述されるような人間像ではなく
いつまでも救われないこと、悲しみの縁に踏みとどまらざるを得ないこと、
物語から外れてしまい得る存在でもあること、
これをよく深く知ったところから、人間のほんとうの自由はスタートするのではないかと
まあオレは思うのです。 >>113
朝起きて、目が覚めて、スレタイを見てまた絶望した。 >>たとえばあの男にアンデルセンの童話を差しだして慰めることは
>>いまこの瞬間、まったく無意味なことですからな。
ロンギヌスって話を大きく自分の考えている方向へ飛ばすよねー
私はアンデルセンの話があらゆる子どもを失った人に有効の癒しになるとか
そういうことを言いたくて書いたわけではないですよ
あくまで比較対象として差し出したんです
自分のことをただそのままに書いたものと、作品として完成させたもの
(多分あの「母」の話は民話をもとにしているのではないかな)
の違いを比較したんです
なかなか思い込みの激しい人だな
みかと一緒で >>109
笠地蔵はどこに焦点を当てるかで違ってくる
みかの言い方だと、良いことをすると、
見返りがあるところに焦点を当てて話しているように見えます。
私はおじいさんが、お地蔵さん寒いでしょうと傘をかけてあげて、足りない1つを
自分のものを差し出すところがとても美しいと思ってそこが好きなんです。
あと、お婆さんも、それを聞いて良いことをしましたね、とおじいさんを優しく受けとめるところ
そういうところが好きなんです。
最後にお米や食べ物をもらうところも
いいところではあるけれど、そこより
自分のことよりお地蔵さんを大切にした
優しい心が美しいと思うんですよ。
救いとか祈りの話というより心が温かくなるような良い話ととらえてます。 >>119
いや、別にアンデルセンでなくてもいいんだよ。
アンデルセンは死を主題として扱うお話が多いから例にしただけさ。
グリムでも長新太でもル・グウィンでも石井桃子でも村上春樹でもゲーテでも
なんでもいい。
そもそもそういう問題ではないんだw アンデルセンのところを、
ゲーテに置き換えたってカフカに置き換えたって石原慎太郎に置き換えたって
論旨はなんら変わらないだろう?
Pやん自身が、アンデルセンという宝石を大事にしていることはわかったよw
すばらしいことだ。
だがそういうことをオレは云々言ってはいないんだよ。 rawなものを、煮たり焼いたりしないと食えないという人はいる。
しかし日本の食文化ではrawなまま食べることがある。
お刺身みたいに。
だから、お刺身は料理ではないというひともいる。
お刺身はあきらかに料理だというひともいる。
しかしオレは、そういう話をしているわけでもないのさ。 >>117
確かにあった幸福と喜び
失ってしまった不幸と悲しみ
それらを並列的に理解(受容)しています
時間を超えた記憶の世界に精神の自由と孤独が有って、死に向かって生きる自覚と重なるよ(以上主語は私みか ピース笠地蔵、私の意見をやはり聞いていなかったのねw まあ、たぶんここまで書いても届かないということは
オレの考えていることを理解することは難しいだろう。
朝から陰惨な話を書く。
オレの爺さんは書道の先生だった。
ものすごく字がうまかった。尺八も上手かったが。
じいさんは肝臓の病気で入院して死んだ。
最後は喉を切開して、そこから挿管して流動食を流し込んでいた。
それで口から飲み食いができなくなった。
声も出ないから筆談になった。 オレが見舞いに行ったとき、もう死にかけてたじいさんは
スケッチ帳を持ってこいとぷるぷる震えながら指さした。
オレはじいさんに黒いマジックを持たせて、スケッチ帳を支えた。
なにか言いたいことがあるんだろうと思った。
スケッチ帳には震えた頼りない字でこう書かれていた。
水が飲みたい
水が飲みたい
水が飲みたい
水が飲みたい
水が飲みたい
・・・・・・・・・・・・ 恐らく子供を亡くした寒村の老夫婦
年越しの現金収入を得られなかった
死活問題ですよね
寒い家で寄り添って見る夢は
もしあの子が生きていてくれたら、
ということを言ったよ
地蔵は間引きの子でもあるだろう
笠地蔵は民衆の密かな無念と祈りですよ オレは子どもながらぞっとした。
じいさんは、喉が渇いていたんだろう。
いや、渇いてたんだろうか。
喉はもうないのに。
口のなかが渇いていたのか。
もしかすると、水が喉を通って行くあの感覚、生きているという感覚を
死ぬ前にもう一度だけ体感したかったのか。
オレは元気な時のじいさんが書く字がいまいちわからなかった。
なにを書いているのかもさっぱりわからなかった。
だがあのよろよろと震える字、なめくじがはい回った航跡のような字、ホラーそのものの字だけは理解できた。
rawなものというもののおそろしさを思い知ったよ。
あれが、オレが最初に文字で頭をぶん殴られた経験だったと思う。 それから3日ばかりして、じいさんは死んだ。
オレがじいさんから遺産として受け取ったのは、
そのスケッチ帳だけだった。
いまでも段ボールに入って持っている。
普段は開けない、見ることもない。
だがとても大事なものだ。
オレにとって、自分の信念のスタートにあるものだから。 >>117
>>では裏表紙の絶望的な男の姿はいったいなんなのか。
物語がなんの効力もないということを指し示すことに、いったいどんな意義があるのか。
ただ人間が救われない存在であるということ「だけ」ではないか。
Pやんの疑念はそこにある。
ちがうよ。私は、悲しい本の作者はとても正直だと何度もかいてますよ。
悲しいことがあって、ましてや自分の子どもを失うこと以上に悲しいことはない
そんな状況の中で、安易に救いとかえられるわけもないし
気持ちが少し晴れる日、また慟哭したくなるほど悲しい日、ぐるぐる
同じところを巡ったりすると思う
人間が救われないことに疑念を持っているわけではない
そうだろうな
もっともだ
急に立ち直れるわけもない
正直に書いてある本だと思います
ただ個人的に私がそれを必要としているかというと
そうじゃない
ロンギヌスには必要だったのかもしれないけれども >>125
そんな何年も前のこと覚えてないw
みかがネトウヨなのはよく知ってるけどね >>132
すまない、正直さの話でもないんだ。
個人の趣向や必要性の話でもない。
そういう話をしたいわけではなかったんだ。
オレのレスを最初からよく読んでほしい、とは思うが、
おそらくよく読んだうえでそうなるんだろうから、
いまはPやんにはオレの話がよくわからないんだと思う。
もうオレは言葉は尽くした気でいる。 ポジショントークしていたのにwww
ネトウヨって何それ >>128
お地蔵さんは賽の河原で石を積んでいては鬼に壊される
子どもたちを極楽浄土へつれていってくれる方ですよ
そんな深読みしないといけないの?
もしあの子が生きていてくれたらとかそういう思いで傘をかぶせてあげたのか?
そういう研究があるの?
ストレートに自分ではない大きな力に頭を下げる話ととらえていいのでは ああ、そうだねw
「自分ではない大きな力に頭を下げる話」がPやんは好きなんだよ。
「母」も「ポインセチア」もそうだね。
「傘地蔵」もそうかもしれない。 つまり、「超越的な力が、世界を強力に解釈する/意味づける」って話が
Pやんの趣向なのだろうね。
趣味のレベルで言えば、それが嫌いな人間もいそうだけどね。
みか氏はそうだろうな。 なんか知らんが、本を読んでの感想なんて人それぞれで良くね?
あなたはそう思ったのね、私はこう思った
その感想的な思いに、否定も何もないだろとは思う
なにやってんの?
主観の主張? おやおやこんな時間だ。
きっとみか氏が「ポインセチア」を読んだら、やはりそこが主題ではないとは知りつつ、
もしメキシコの土着宗教が残っていればこういう解決はしないだろうと考えてしまうだろう。
メキシコの貧困は西洋がもたらしたもので、それを西洋の宗教が超越的に解決することに違和感を感じるかもしれない。
そういう読解は、曲解とも言えるが、やはり不可能ではない。 私的に気になったのは、ロンギのおじいさんの尺八もうまかったってところ おじいさんは・・・・・
言葉がないです
>>あれが、オレが最初に文字で頭をぶん殴られた経験だったと思う。
そして「悲しい本」
>>こういう本を読んで頭をぶん殴られたような気分になることは
人生のなかで大事なことであるように思います。
そのように理解しました
そして私がどのような感想を持とうとロンギヌスは認めないとね >>140
そうなんだがなあ。
日本の公教育には根強く感想文文化があるからねw
批評に高めにくいんだ。
ビブリオバトルってのが本好き界隈で流行ったこともあったが、
あれも感想文文化の一形態であって、あそこから批評は育ちにくい。
ここでやってるのも、ビブリオバトルみたいなもんさw
どうしても個人の感想の言い合いになってしまう。
そうじゃない話をしても、そこに矮小化され吸収されてしまう。
まあ、それはそれでいいんだけどね。
5ちゃんねるだから。 ポインセチアを手放しで美しい絵で心が洗われる話だと読む事を強く勧めていて、直ぐネットで断片を読んで見たけれど、自分で考えないピースの権威主義に憤りに近いものを感じたわ >>143
うまかったねえ。
なんとか流の師範?だったからね。
弟子もいっぱいおった。
楽譜もカタカナで書いてあって、意味は分からんが読むのは楽しかった。 >>146
だって、そんなんじゃぴーにはロンギの言わんとすることは理解しにくいもん
私にも理解できん
てか、そこに興味がないだけかもしれんけど私はw
ぴーという人をよく知れば、説明のしかたも変わると思うわ >>145
べつに否定はしてないがなw
貶めたつもりはないんだがなあ。
どこかでそういう表現を使ったかな。
「感想」がオレの言いたいことではないんだよ。 >>148
そうなのね
うん、そっちの話だと思ったより、うんうん
いや、スレタイとは関係ないことはわかっていたんだw >>137
そのとおり
私が一番好きなのは謙虚な人 >>149
ハニーがどのくらい本を読むひとかわからんけど、
オレは「読解」という行為がどういう意味を持っていて、
それがどういうふうに本を変えていくのかってことに興味がある。
ほんとは批評っていうのは、対象の本自体は変わらないのに、本を変えていく行為なんだよ。
個人の感想は感想であって、誰かの抱いた別の感想とは別なものだ。
オレが書いたのは、「読解とはなにか」を問うものであって、
しかしそんな抽象論ではなかなか意味が通じないであろうと思ったので、
本に寄り添って、引用しながら、読解という行為の実践を通して、
「読解という行為そのもの」へ意識を向けてほしかったのだが、
戦略として失敗したようだねw
苦笑せざるを得ない。 >>138
それは知ってるよ
ただ手を合わせるのではなく
それがあの子が生きていてくれたらになるの? >>145
笠地蔵の話はもっと単純に捉えればいいと思うんだ
何故あれが悲しい話になるのかわかんないけど、あれは良い事をすれば、何かの形で返ってくるよ?という単純明解な話だ クラシックの演奏も楽譜の読解の仕方で大きく変わります
バッハ平均律を練習曲扱いしていた時代もあるのよw >>157
日本人は教訓好きだからねw
そういう明快な読みを好む。
アンデルセンの話も明治・大正期に日本に紹介された時は、
そういう教訓話に改変されてしまった。
っていうか、日本の昔話も、そうやって改変されて流布されてしまったものがいっぱいある。
アンデルセンもほんとは、Pやんが引用していたような「恐怖とその克服」みたいな話が多い気がする。
ホラー的な要素があるんだ。
それにしても鈴木三重吉の訳はすばらしい。
あれはアルス社の本だったんだろうか。
アルス戦前版の日本児童文庫は揃いでほしいよ。 >>154
最近はほとんど読んでいないし、私の読む本はくだらない小説ばかりだよ
若いうちは、当然カフカや漱石、ヘッセとかも読んだけど
別に深く読解とか考えたこともなく読んでいたわね
単に1つの読み物として
その感想について誰かと語り合いたい時もあったけど、今はそーいう気持ちはないな
だんだんと、自分がどう感じたかどう思ったかを人に伝えるのが面倒というか
そこに意味があることのようには思えなくなってきたのよ
当然、自分のことも人にわかってもらいたいという気持ちもなく
なんとなーく寄り添ってくれたらそれでいいくらいにしか思わなくなってきたw
攻撃されたら不愉快だけど、まあ所詮そんなもんだよなーくらい どちらにしても、本や映画、曲にしても何にしても
受け手の思いが大きく左右される事柄なのだから
その感じたそれぞれの言葉で、その人を知るためのものにしか
私にはならないな
単純だからダメ、深く読み取らないから馬鹿って話ではないからね >>139
また違ってる
人間は小さく無力な存在だと理解して
ただただ謙虚に日々を生きる人
小さな幸せを大切にする人
明るい方をみて生きていこうとする人
そういうのが好きなんです
超越的な力がどうのこうのはあまり見てない
そこは偉大なる自然=神的な感覚です >>156
手を合わせるのはもう自分の子ではなくなった超越的な存在です
貧しい家で寄り添う老夫婦がもしあの子が、と密かに思ったとして誰が責められるだろうか >>160
> 当然、自分のことも人にわかってもらいたいという気持ちもなく
> なんとなーく寄り添ってくれたらそれでいいくらいにしか思わなくなってきたw
適当な距離をたもつのが「寄り添う」ということだよw
近すぎてもダメだし遠すぎてもダメ。
「なんとなーく」ってのが正解なんだろう。
ま、その「なんとなーく」が難しいんだがw >>163
「偉大なる自然=神」が指し示さないと、アンデルセンの「母」は、ほかの花を引っこ抜いて回っただろうさw >>162
俺もそれに同意
Amazonの評価や映画の評価欄見ても星1つの人もいれば、逆に星5つの人もいる
それは個人の捉え方の違いだと思うしね
自分の感想を押しつけるようになったら喧嘩になるだけだろうね、あっそういう見方もあるね、くらいで止めとかないとw それとミカはどさくさ紛れにぴー攻撃すんなw
アホがw >>163
小さな幸せは大切したいね
ってか、それが分かる人間でいたい
謙虚な人が好きってのはちょっとわかんないな
謙虚ってのは他人には決められないと思う
その物差しは自分しか測れないからね
そこは自分に使う言葉だと思うな僕はね 「天才!志村どうぶつ園」で研ナオコの自宅とペットが
たくさん映っていたが全面大理石のゴージャスな豪邸だった。
研と親交のある志村けんも過去に聖子とコントを一緒に
やってた頃から聖子のことが嫌いだったらしい。 研さんのサイトと"あそこの"サイトのBBSにその手の記述がありましたね。
"愛よもう一度"("よ"でしたね…)はいちおう別でCD化されてるし、
今回はこの選曲でいいんじゃないですかね。
あとは掲載データの内容に期待やね。すっげー楽しみです。
でもNAVのアルバムBOXとリリース重なるのか……薄い財布には痛い話やのう。 んな不細工でガイコツみたいな前科者よく好きだとか言えるな?
キチガイだなおまいら >>170
うちの子会社にもすごく謙虚な人がいたよ
オレもぺーぺーの頃、研修で何度か会ったがほんとうに謙虚なひとだった
オレにも敬語で、さん付けで話をしてくれるんだ
謙虚すぎて、お客さんに空領収書をたくさん出して
内部監査で発覚してクビになったけどね 歌手としての研ナオコのファンってどんな人なんだろう。
声の雰囲気はいいが、歌詞が暗いというかいじけすぎてて俺はいやだ。
ブスな女の人がこれを聴いて共感するんだろうか。
俺には理解できない。
俺も不細工だけど、曲ぐらいはかっこいいのを聴いてイケメン気分を味わいたい。 やることのないウジムシのより集まりだからいいんだよ 美川憲一いはく
「あの女、ハワイのホテルロビーでコッチを見ていながら、会釈するどころか
わざと目をそらしたわよ。いま考えるとアランリードとかいう外人と一緒で
コソコソしていて、マズイとこを見られたとでも思ったんじゃない?まったく!
変な女だわ!」 >>159
鈴木三重吉の訳は素晴らしいですよね
大畑 末吉や大塚勇三もあるけれども
あれはアルスのものを転載した冊子から書きだしたものです
私も日本児童文庫何冊か持ってます
復刻されたものも何冊か持ってる
でも全巻揃えるのは難しかったですね
最近は探し求めてなかったからどういう状況かわかりません そうなの?なんでだろ?
記憶違いだったら申し訳ないけど、研ナオコって元か現か創価信者だっけ?
だからとか? 失礼、安価がw
ナメ、謙虚に名無したちの指摘を聞いて見せてね >>176
謙虚な人が好きって
それは客観視した評価だろ
本当に謙虚かなんて測れないのさ
それこそ人によって評価がわかれるし
それならまず自分が謙虚になるってのが確実です
人に謙虚さを求めるのは烏滸がましいことなんだよ 俺は謙虚ですなんて言わねーよ
謙虚どころかどんだけ図図しいんだよ ワイドショーで薬がらみの犯歴ある芸能人列挙されてるのを最近見たけど、
研ナオコが載ってなかったわ。
古すぎる情報だからかなのか、もう芸能人としての価値がないからなのか・・・
分からないけどw >>186
あんたは後だしばっか
後からごちゃごちゃしつこいんだよ 面白いのは、陽水が大麻で逮捕された翌年にリリースしたシングルは
オリコンで最高100位と売り上げが激減。もろに大麻逮捕の影響を受けたんだけど
研ナオコが逮捕の翌年にリリースした「かもめはかもめ」は30万枚を越える大ヒット。
大麻逮捕の影響を全く受けていない。
ちなみに逮捕はともに1977年。
この年は芋づる式で上田正樹、内田裕也など多くの芸能人が大麻で逮捕されている。
美川憲一が大麻で捕まったのもこの時期。 YouTubeでプレミア映像の、堺正章&研ナオコ&中原理恵のトリオ漫才UP中(新春かくし芸大会)。
まだこの時期は、中原と仲良かったかな? >>183
そうだろうね、ほかで読んだ記憶がない
アルスの日本児童文庫は挿絵も装丁も美しい
しかし、戦後版は紙質も悪いし、装丁も平板化してしまった
やっぱり戦前版が揃いでほしい >>177
だよね、他人からみた謙虚なんてそんな程度さw
あの人は腰が低いから謙虚だなんて単純そのものw 昔、研さんにTVで(本人の前ではない)悪口を言われてしまった芸能人の方々は、黒柳徹子さん、芳村真理さん、中原理恵さん、松田聖子さん等々。
研さん自身が、昔、大麻事件の頃に周りから総攻撃され、傷つき、辛く悲しい思いの苦労経験もある分、人からの悪口の攻撃の痛みには、人何倍も理解済みのはずなのに。 ああ、いいよな!
かなり昔、レコ大だか紅白だか忘れたが歌ってて、当時俺は小学生ながらよく聴いてたよ。
昔は研ナオコに限らず、他の歌謡曲や演歌でも一回聴いたら惚れ惚れするような良い歌が多かった。
歌だけじゃなく、いろんな意味でマジ格好良かった。
小さな子供が当時のように歌謡曲とか聴いて衝撃的に感動する事なんて、今は少ないのかなぁ…やっぱ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています