恋愛が彩(フィギュール)であるというのは、実はバルトも言っている。

バルトは、「文章を書く」という行為は、読み手と書き手、
あるいは過去の書き手と現在の書き手が綾なす/彩なす「協働行為」だと考えていた。
文学というものは経糸と緯糸で生みだされる織りもののようなものなんだ。

それは恋愛も同じでね。
誰かの気持ちと誰かの気持ちが綾/彩なす、その全てで恋愛で、
ひとりの気持ちでは成立しない。
だから文学のなかには恋愛が多く描かれる。

これをふまえてバルトはこういう本を書いたんだが、
まあ、あんまりこのスレでは必要ないことかな。