ハニ〜ちゃんの独り言☆8
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>>844
満点の星空でもやはり愛は伝えられますね
おそらく西洋人でも月や星にIアイラブユーの想いをのせて
恋を語ったことはあると思いますw
いっぱい曲もあるし >>976
うまいこというねw
>>977
そこまでの意味は上級者でないと読み取れないw >>976
ああよく見たら「うるさい」を入れてるからダメだな
うるさいみたいな個人の感情表現は別の言葉に直すんだと思います
私はうまく変換できないけどw テレビで最近出ている
夏井いつき 先生は流派が違うと父が言うてました
いろいろあるから
一概にどれがいいとは言えませんね >>840
まあそう言うなってロンギくん
それは偏見だぁーよ >>978
もうスレも終わりそうなので1点に絞ってレスを返します。
非常に長いのですが、まあ、許してつかあさい。
映画『聲の形』のこのシーン、いろんな解釈ができるんだけれども。
おそらくPやんは『聲の形』について予備的知識がないだろうと思う。
ほんとうはこの映画(原作はコミック)はものすごく胸糞悪い筋のお話です。
男の子が小学生の頃、クラスにろうあの女の子が転校してくる。
男の子は女の子に興味があるけれど素直になれずに、いつからかいじめるようになる。
後ろから大声で声をかけたり、補聴器を何度も壊したり。
それが問題となると女の子は転校していき、今度は男の子がいじめられるようになります。
クラスメートは、自分たちのいじめの分も、男の子にかぶせてしまったからです。
男の子は心を閉ざしたまま高校生になる。
小学校で使っていたぼろぼろの筆談ノートを女の子に返して謝るために。ひとりで手話を学んで。
男のはノートを返したら死ぬつもりでいましたた。
ところが女の子と再会した彼は死ぬのを急にやめて、
女の子が失った小学校時代の時間を取り戻そうと考える。 考えようによっては、ただの独善に思えるような行動を男の子はとるのです。
おそらくこの映画を観る人のなかには、どうしても最初のあいだはこれに引っかかって
素直に感情移入ができないのではないかと思う。
冒頭の子ども時代のいじめシーンはかなりリアルで、見ていて気持ちが悪い。
子どもの残酷さ、非情さがよく表現されているので、
高校生になった女の子が、すぐに男の子に好意を抱いてしまうようになるあたり、
ほとんど理解を絶します。
あんなにひどくいじめてた相手を、いじめられたほうが好きになるんだろうか?
実際に物語中にも、男の子の独善的な行動や心理をするどく指摘する人物が登場します。
これは映画の作り手も、そういう生理的嫌悪を観客が抱くであろうことを想定しているということです。 橋の上で女の子の告白が失敗した後、
登場人物たちの心の行き違いがあって、男の子が女の子のために頑張って作った小学校時代の同級生集団がバラバラになります。
それまで仲良く遊んだりして、「小学校時代のやり直し」をしていたのに。
コミュニティの崩壊は、男の子が小学校時代にいじめっ子だったことに起因していて、
あるいは彼の独善的な「子ども時代の失敗を償おう」という意識にもよるのですが、
とにかく、コミュニティがバラバラになった結果、また男の子は孤立してしまう。
その様子を見て心を痛めた女の子は自殺を計る。
女の子は、「自分がろうあだから」いじめをうけ、「自分がろうあだから」男の子もいじめられ、
「自分がろうあだから」わたしを守ってきたお母さんや妹が心を痛めるのだと思いこむ。
自殺を計る現場にいた男の子は、彼女を渾身の力で救い、ビルから転落し、
意識不明の重体に陥ります。 女の子は、自分が取り返しがつかないことをしたことを悟ります。
自分を守ってきた母親は、男の子のお母さんに土下座をし、
いつもは優しい男の子のお母さんも、女の子を許すような優しい言葉をどうしてもかけられない。
彼女は誰からも許されない人間になってしまう。
それは、かつての男の子が立っていた立場と同じものだったわけです。
そこで彼女は決意する。
もう一度、今度は彼のために、彼が失ったもの、ひととのつながりを作り直そう。
そのときの彼女の目の描写はすさまじいものがあります。
なにを見ているのでもないけれどもまっすぐに、
誰とともにでもなく自分ひとりで選ばねばならないたったひとつの道を見据えているような、
強く不思議な目の描写です。
そして彼女は骨折した身体で、傷ついたコミュニティを取り戻そうと奔走する。
男の子が眠っている間に。 コミュニティは彼女が中心になり徐々に回復します。
コミュニティの仲間たちは、やはり以前と同様、それぞれに欠点を抱えたままです。
だから、どこか嘘くさい。
だけど、彼女はそれでもいいのだと内心思っています。
みな完ぺきではない。
いざこざを抱えながら、傷つけあいながらも、このコミュニティはあり続けるだろう。
それでいいのだと思う。
欠点や嘘くささを抱えていても、そうやって人間は仲良くなるのです。
でも、やはり重要な誰かが足りない。
それは、まだ意識を失ったままの男の子です。 その欠落に心底震えた彼女は、いつも男の子と会っていた小さな橋に走って行きます。
彼と待ち合わせをしていたのは、いつも火曜日でした。
火曜日が水曜日にかわろうとする真夜中、
彼女は、もう男の子と会えなくなるのではないか、
男の子を永遠に失ってしまうのではないかと恐れながらその橋に向かう。
もちろんそこには彼はいません。
彼女は大声で泣きます。
日付が変わり水曜日になろうとするころ、ふらっと男の子がその橋に現れます。
彼も病院で目を覚ましたものの、彼女のことが心配でいてもたってもいられずに、
点滴やら管やらを抜いて、勝手に病院を抜け出すのです。
驚いて泣いている女の子に、そこで彼は大事な告白をする。 男の子は女の子にこう言葉をかけます。
「きみに、生きるのを手伝ってほしい。」
この台詞だけだと、愛の告白のようです。
映像的にもとても美しいシークエンスで、ラブシーンのようにも表面的には見えますが、実は難解なシーンです。
そのあと、大事な言葉は手話で語られ、しかも字幕がつかないからです。
それが手話であることすら、手話を知らない人は気がつかないでしょう。
さりげなく交わされる男の子の手話は、こういう意味です。
安心してください。
友だちになろう。
女の子は手話で応える。
約束ですよ。 夜の小さな橋の上のシークエンスは、
ラブシーンのようだけれど、単純なラブシーンではない。
生きにくい世界で生きていく同志になろう、なんて愛の告白ではありません。
お互いに対する恋心もあって、だけどその恋心も超えて繋がろうとする、
ちょっと言葉にしがたいシーンになっています。
そして、やっぱりこれは真正なラブシーンなのです。
だから空には月がありません。
月があったら、たぶんこのシーンは恋の要素が強すぎて駄作になってしまったはずです。
星が彼らを見守っている、というシーンになったのだと思う。
このあたりの演出の精密さは、ちょっと類を見ないものです。
まったく無駄がない。 これは恋だけれども、恋ではない。
もっと別の、言葉にしがたい、声にしがたいなにかによってつながろうとする人間を描いたお話です。
だから最後までこの映画を見通すと、
男の子の独善的な善意、女の子が恋に落ちる安易さ、
そこにわたしたちが感じる違和感は必要なものだったのだと気がつきます。
まあ、見るたびに感心してしまう映画です。
あらゆるところにさりげない伏線が張り巡らされ、
文学や映画や音楽からの、さまざまな引用のつづれ織りになっています。
原作もとんでもなく素晴らしいのですが、映画の解釈はまた別次元だと思う。
暇で暇で、うんこするくらいしか時間つぶしが思いつかないときにでも、観てみたらよろしかろうと思います。 このスレッドは1000を超えました。
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life time: 21日 13時間 3分 18秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。