ワイの精神科に通い始めた頃の話する
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
私は小学校5年生の頃精神科に通い始めました。その時のことはよく覚えていません。ただ、長く待たされたことはおぼえています。 私はいつも優秀でいなければなりませんでした。お姉ちゃんだから。おかあさんは厳しかったから。小学校5年生の時には学年一位の成績でした。この頃、丁度一番下の弟が生まれたような気がします。 そうですね、私の生い立ちから話しましょうか。私は両親のできちゃった結婚でできてしまった望まれない子供でした。小さい頃は保育園に預けられ、2歳の時に妹が生まれたので甘えた記憶は一切ありません。楽しかった記憶もありません。 ただ、お姉ちゃんだからと我慢してきました。母と喧嘩をすると、ものを投げられ、あざができました。どうして妹ばかりなの!?と言うと、それで通用すると思うなよとチャイルドシートをなげつけられました。 小学校ではとても外交的で、生徒会に入ったり、壇上で発表することも多かったです。私のことを知らない先生はいませんでした。中学校の時の私は目も当てられないほど醜い頭でした。 小学校5年生の時からの抜毛症が悪化したのです。普通にいえばハゲですね。それでも親にはウィッグにして欲しいなど一言も意見できませんでした。中学校での生活は苦しかったです。ひたすら周りから悪口を言われる。 週に一回の精神科、全ての人が私の悪口を言っているという妄想。よくこの状態で学校に行けていたなと思います。中学校2年生の時には、クラスに数人はいる悪い人達に無理やり引きずり込まれ、いじめをさせられました。 この時、友達はいなかったです。自分のことだけで精一杯のはずなのに、クラスの仕事、みんなの仕事をすべて1人で請け負いました。利用されてることに気づかなかったのです。きづいていたのかもしれませんが、現実から逃げていました。 そのまま中学校3年生を迎えました。去年のこともあり先生が配慮し、友達の多いクラスでした。この1年は人生でもう2度と来ないだろうという楽しい時でした。 合唱祭で最優秀賞のコンダクターを務め、背中いっぱいの拍手を浴びました。あの時ほど快感だった時はありません。修学旅行も着物を着て回り、充実した1年間を送っていました。 受験シーズンがやってきます。親は1つでもいい偏差値の高校に行ってもらいたくて必死でした。私のことなど関係ありません。学校見学もしないまま進学校に入学しました。当然。何も楽しくありません。 部活もみんなに流されて入りました。それが更なる悲劇を引き起こすのですが…はじめのテストから追試。泣きたくなりました。自分に合った高校じゃないので理解できないのです。 部活では、必死にやっていましたが、その頃からうつの症状が出始め、死ぬ気でやれよ。その言葉が、私を追い詰めました。コンクール直前、体調を大幅に崩し、結局コンクールは辞退。この頃から人が何を言っているのか分からなくなっていきました。 僕の知り合いの知り合いができた副業情報ドットコム
役に立つかもしれません
ネットで検索するといいかも『蒲原のロロムムセ』
J8BBO ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています