ガンダムUCの著者である福井晴敏先生は、富野監督に多大な影響を受け、もはやトミノ信者と言ってもいい人なのだが、
その人が描いたガンダムが、従来の富野作品とは大きく異る「父親」の物語を描いたところが、興味深いのな。

歴代の富野ガンダムの主人公たちって、一種「父親の呪い」に縛られていたのよ、
テムの作ったガンダムに乗るアムロ。ダイクンの敵討ちを宿命付けられたシャア。
他にもカミーユ、ジュドー、シーブック、ウッソと、「父親の呪い」とも言えるものを全員持っているのね。

だから、ファーストガンダムの最後って、アムロとシャアが、それぞれ「父の呪い」から開放されたエンドとも見えるのよ。
テムの作ったガンダムは壊れ、シャアは全ての敵討ちを終え、仮面を脱ぎ捨て、復讐者シャアから、セイラの兄キャスバルに戻った。

UCにも「父と子」は描かれ・・・というか、「父と子」の関係すごく多いのよ。
カーディアスの父サイアム、バナージとアルベルトの父カーディアス、リディの父ローナン。
ギルボアにジンネマン。ロニさんも父の因果に苦しめられ、ダグザさんはバナージに「息子がいたらあんな感じか」と語る。

でも「父からの解放」の物語じゃないのよ。むしろ逆なの。
「父親が子どもに許しを請う」物語なのよ。奇しくもそれは第一話で描かれているのよ。サイアムの息子であり、バナージの父であるカーディアス。
サイアムに「私以外に誰があなたを許せるというのだ」と語る。

だが同時に、その一話のラストで、バナージに「許してほしい」というのね。
一話の序と結で、同じ人物が、「許し」を「与える側」と「請い願う側」の二つの顔を見せる、ここにUCのテーマがあったように思ったわけですよ。