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○公式が何処までを含むかについての指針@
――GM vol.15(2005.1.15 双葉社発行)p44より抜粋

では、ガンダムワールドにおける”オフィシャル”とは一体どう言った考えの基に決められるのだろうか?
本誌連載でもおなじみの、サンライズ企画開発室 室長・井上幸一氏にお話を伺った。
「まず最初に言っておかなければならないのが、ガンダムワールドにおける真のオフィシャル……
いわゆるサンライズ公式設定と呼ばれるものは、
厳密に言えば映像化されたもの及び映像作品の中に登場するものに限って認められると考えていいということです。
ただし、前述のようなものでなくても、
ガンダムワールドを扱った書物やゲームなどに関してはサンライズが監修して出版許可を出していますから、
そこに登場したオリジナル設定も広義的には準オフィシャルと言えるのかもしれません。
例えば講談社さんとストリームベースさんが主導で設定を作ったMSVはその代表格ですね。
あと、映像化されていないからといって原作者である富野さんが書いた小説をオフィシャル扱いで無いとするのもおかしな話です。
ガンダムの創造者、ある意味”神”である富野さんが作ったガンダムならばメディアを問わず、皆が正史と捉えますよね?
そもそもファーストガンダムだってTVシリーズと劇場版と小説版がそれぞれ違うんですから、
”どれが本物?”と言われても全部富野さんが手掛けている訳で、本当のところを言うと困ってしまう訳です(苦笑)

○公式が何処までを含むかについての指針A
──「公式」を司るサンライズと多くのやり取りをしたであろう皆川ゆか著「公式百科事典」の後記より
 なお、【】内の文は要約する必要上、こちらで書いた文であります。改行は原本とは違います
 あと、「皆川ゆかや公式百科事典は「アレ」だから」という意見はひとまず横へ置いとく方向で

【前略】
フィルムで始まったガンダムですが、続編がつくられることで設定が増していっただけではありません。
雑誌媒体やプラモデルといった二次版権物でガンダムが語られるとき、フィルムへの付加情報として設定が生まれ、
それぞれのメディアにおける魅力をガンダムは与えられていったのです。【中略】
また、この一方で情報の総体の巨大化は、末端情報が全体に与える影響を減らすことになります。
フィールドバックのためにリンクできる情報の量には限界がある、といえば理解しやすいでしょう。
とはいえ、末端同士でのフィールドバックは続きますから、増殖自体は続きます。
結果、距離の離れた情報に整合性が失われるという現象が生じます。

【中略】
末端情報に整合性を持たせようという試みは以前から行われてきました。
しかし、20年余りの時間の流れは科学技術の進歩や社会状況の変化といった〈ガンダム世界〉外部の変容をも意味します。
ある段階で与えられた整合性も、結局のところ風化し、軋みを発することになります。
このような状況に対して版権を所有するサンライズは、今日、「フィルムにおける表現を優先する」というスタンスを表明しています。
ガンダムはそもそもフィルムとして始まったわけですし、サンライズはアニメーションの製作会社ですから、至極、当然な見解です。
〈ガンダム世界〉の魅力は重量感のある設定ですが、
これがフィルムの面白さを制限するようになっては製作会社としては本末転倒なわけです。
単純に整合性を模索することは、ややもすれば過去に生み出されたものの否定という作業に陥ります。
曖昧であること、矛盾することを明確にしたいという欲望は無論、否定されるものではないでしょう。
しかし、これを個人や限られた人間で行うものなら、現在〈ガンダム世界〉に与えられている重量感は途端に失われてしまいます。
重要なことは、現時点【2001年3月現在】で表明されているサンライズのスタンスが、
フィルム以外を否定するものではないということです。
盆栽的に枝葉を切り揃えて形を整えるのではなく、フィルムという幹に沿ったシルエットこそが〈ガンダム世界〉である
──サンライズのスタンスはそのように解釈できるでしょう。
さまざまなメディア展開を行うガンダムですが、根本にフィルムを据えようというわけです。

【中略】
 一般に「ガンダムの設定が混乱している」といわれるとき、情報の末端での肥大が問題視されます。
特に、これは数字において顕著です。
サンライズでは今日、フィルムでの表現を優先するというスタンスから、公式に保証しうる設定を限定しています。
これは数字が一人歩きすることで〈ガンダム世界〉のフィルム表現を束縛することを懸念した結果です。