富野監督のジュドーとアムロ、カミーユはこんな印象

NT86年11月号・富野監督・ZZを語る

「ジュドーはアムロでもなくカミーユでもない。いい主人公になれる可能性を秘めたキャラクターです。
いい意味で何も考えない主人公でいられるキャラクターです。」

「それに比べてカミーユは、勝手に自分ひとりで考えこんじゃう」

「(ジュドーは)一度旅に出て帰ってきたら、人間的にも精神的にも成長して、
 いい主人公になってくれる。そう思っています。
 最終回、ジュドーを旅に出させるというのは、それが理由なんです。
 そして、一年の空白の後、彼が帰ってきた時、
 また新しい話で、ジュドーにもう一度看板を背負わせてみたい。
 そういう欲はつくり手として大いにあります。」

「以前のカミーユの場合、相手の気持ちばかり考えて行動していましたが、
それはしょせんカミーユの「ものさし」で測った相手の気持ちにすぎないんです。
ジュドーのように相手のリアクションに対して本能的リアクションすることができなかった。
人間というのはそうしたリアクションが正しくできるかどうかのトレーニングが大事なんです」