どうしてトムリアットの代になってまでビームトマホークを?
という疑問を長年抱えていたが、ヒントが見つかったかもしれない

多分、連邦からサナリィへの研究補助金が途絶えた時期に、バイトでザクラオを扱ってた人たちだ
外で得たノウハウをそのまま連邦の研究所では扱えないが、戦国時代のベスパとなればその辺の締まりが緩んだのだろう

逆にサナリィで作れた例だと、裏稼業でデッサ・タイプのメンテナンスをしてブッホ系の内装を知った人たちが
戦後F97の開発にあたってハード面で研究に参加した可能性もある