ハンセン、ゴディ、ウイリアムス、スパイビーの時代の全日本プロレス11
馬場元子…
やはり三沢らの離脱は避けられんかったのか
ttps://twitter.com/yude_shimada/status/1788572898774634709
ttps://twitter.com/yude_shimada/status/1788619533504348408
ttps://twitter.com/yude_shimada/status/1788622427452576183
https://twitter.com/thejimwatkins 死んだら途端に美談で溢れるもんだが元子だけは一切出ないな 問題はそれが後の三沢たちの醜態の免責に繋がるかどうかだな ゆでは三沢とも一悶着あったんだよね
三沢主催の飲み会にゆでが出席した時、ゆでが仲間内で作ったキン骨マンのシャツを着てたんだけど、三沢が同席してた丸藤を指して「こいつキン肉マンのファンだから、そのシャツくれよ」って、ゆでは「見内で作って数がないから無理です」って返したら、三沢もムキになって「オレの顔を立ててくれよ!」って押し問答あって空気悪くなったから、ゆでが途中で帰っちゃったんだと
で数年は仲が断絶してたけど、後年にはまた話せるようになったってさ そんなに大事なら着てくんなよ「着古しじゃなくて増刷して新しいの御届けします!」って言えばいいのに
ゆでの財力なら1枚モン特色で刷ってもいけるだろ ていうか逆に自分のも後で作れるだろうに機転が利かんヤツだな….データ以前の版下の時代なのかよ! コメントで元子をかばっているのが天龍の娘というw
元子は、ああいう人だからエゲツないプロレス界でやっていけて
猪木&新間に対抗できたとも言えるし難しいところ。 >>372
元子は悪いが、せいぜいただ働きさせる程度。
猪木や松永兄弟みたいに他人の銭ふんだくったりしてないのに嫌われてる。
逆に猪木や松永兄弟には、落ち目になっても不思議と人が集まってたな。 >>373
猪木からは酷い目にあわされても恩恵も受けているからじゃないかね。
小池一夫の弟子が小池からの借金を踏み倒されても
「今の自分があるのは小池さんあってだから・・」と許すのと似ている。
酷い目に合わされるだけだと剛竜馬みたいに誰も相手にしなくなる。 >>369
デビュー当初は一緒に遊んだりしたがものすごい才能の持ち主ですぐ読者人気投票の超強力なライバルとなり
意識しまくった結果自然と距離ができたって最大級の賛辞だったでしょうが >>371
まさか着てるTシャツタカられるとは思わんだろ?w >>374
小池一夫とか大先生じゃん、金に困ってたの? >>373
いや元子はえげつないぞ
リングやさんが暴露してたが彼女が宿泊先
に手紙送ったら元子がフロントから受けと
ってこんなことさせたらダメと注意した。
プライベートまで介入してくるから性質が
悪い。選手のつきあってる彼女にまで口出
してたヤクルトの野村と陰険さが似てる >>378
そりゃヒデーな
元子や小鹿の全日勢は、SKのエピソードと同じで、何年経っても笑い話にならないな。
悪事ややらかしも有名人独特のスケール感もなく、単なるイジメやイケズでしかない。 >>377
小池一夫 借金でググれば出てくるよ。
堀井雄二も1千万円出資したが戻って来なかったとか。 >>378
K1とかのプロデュースしてた宮田さんが、全日でリング屋してた時代の話だよね
巡業中に帰されて謹慎処分、周りが元子に謝った方がいいよ促したけど、流石に堪忍袋の尾が切れて、そのままリング屋を辞めちゃったという プロレスラーを甘やかすとswsみたいになったり、離合集散を繰り返すインディーとか見ていると元子の方法も仕方ないのかなとも思う。プロレスラー以外にも反社会的組織なんかも対応もあったのだろうし。汚れ役を全部引き受けていたら、一番増長したのが元子だったと >>379
おい雁之助!
お前がかきこみしてたFMWスレあるから
そっちに引きこもってろや 元子実家が巨人のタニマチ筋なんだろ
そのものじゃなくてもそっち方面のお家柄なんじゃね 馬場の汚い部分を元子が引き受けていたからこそ馬場が人格者であるかのように振る舞えてたとも言える。 ターザンは元子を芦屋の華族のお嬢様と言ってた。信じると公家か大名か維新の末裔となるがターザンだし 仲田が馬場の倉庫の片づけしてたときに昔
メーカーにサンプルでもらった馬場ソフビ
が出てきて仲田が馬場にこれくださいと言
ってもらったら後から聞きつけた元子が
記念館に飾るから返しなさいと言ってとり
あげた話もあった。たぶんそんなことが
腐るほどあったんだろね >>389
馬場は元子と三沢の仲が悪いことに頭痛めてたらしいが
単純に権力の誇示欲が強かっただけなんじゃないか ある記者が川田に「川田さんの蹴りはキックボクサーと渡り合えるんじゃないですか?」みたいな事を訪ねたら「いや、本職にはかないませんよ」と謙虚に返してたな 小橋が馬場の付き人時代に会場で馬場と共にエレベーター待ちしてるとき
ちびっこファンが小橋にサイン求めたところ小橋がその待ち時間のときに
エレベーターの状況を見てサインできそうだったのでサインに応じたところ
その直後エレベーターの中で馬場からは「ファンを大切にして偉いぞ」と褒められたそうだが
元子がその現場を見ていて元子からは「あんた馬場さんの前でサインなんかして生意気よ!」と
怒られたそうだ スーファミのファイプロ2にグレート司馬が出た時に元子が一番に開発者にクレーム入れたらしいな。
三沢は「お前ら危ない橋渡ってんな」と笑いながら言ってた。 同じ苗字だけど天龍娘は株上げたな
木原も小馬鹿にしてるしあのハゲ器が小さすぎる でも仮にも一度は超がつく売れっ子になった漫画家に向かって「タダでも描きたいって人はいっぱいいる」とか言っちゃうの、とても元子だなあって
こんな扱いされてたら組長とかデルフィンとか来ても定着せんわな 元子のエピソードって聞けば聞くほど面白いな!
もっと元子エピソード頂戴!
ファンになるわ! >>389
馬場が全日外人引き連れてカジノに行った時
外人が何度もチップせびりに来るので元子が
それを阻止した。馬場の出費を監視するのも
元子の役目だったんだろう >>403
馬場じゃなくて元子がケチの汚名を着るわけか 実家からなかなか結婚認められなかったから
彼らを見返すためにも馬場にはいつまでもスーパースターで居てもらいたい
そんな意地が元子にあったかもね >>394
これは難しい。ちびっこファンを蔑ろに出来ないし、元子の言う事も間違えてはいない。100点の振る舞いはなんだったのか?小橋が「ジャイアント馬場」とサインするのが最適解なのかもしれない >>407
つーか、馬場がいるのに、それより付き人時代の小橋にサイン求めるガキってのもマニアックだな 武藤に渡すまでの二年余りも中々に面白かった
惜しむらくは最後の半年に川田が欠場してしまった事 この時代は、カンナム・エクスプレスがジュニアの良い壁になってたな。 >>405
もう死んでるから、天国か地獄どちらに元子は行ったのやら? >>410
ジュニアというより若手かな
筆頭は小橋で >>408
だね。GRAYに例えるとTERUとHISASHIがいたら、HISASHIにサインを求めるような感じだしね。新日本で猪木と藤原がいて藤原にサインを求めたら藤原はどう言う態度をとるのか、全てifだけど 会場で冬木と外道がいるの見かけて外道にだけサインと握手求めた事あるわ GLAYで例える意味がわからんw
例えるならドリフのいかりやと志村とかにしてくれ >>408
馬場に言ったところで冷たく無視されるというのが見えていたのでは
それはそれで心得たガキではあるな 馬場のサインは既に持っていたから期待の新人小橋のサインが欲しかったのでしょ。 馬場は馬場で寿司屋で好きなもの食べろと
言いながら若手が高級ネタ頼むと機嫌悪く
なるし鶴田が高級車買ったら俺よりいい車
乗りやがってと嫉妬するし周りの人間は
大変だった。京平がベンツの最高クラス買っ
たときも馬場が嫉妬してきたがそれを見越し
て天下のジャイアント馬場を乗せるのに小さ
なベンツじゃ恰好悪いでしょと言ったら納得
したそうだ 馬場を聖人君子化してる人はよっぽどのにわかである事は確かだな
って言うかこの世にそんなものいるのかと >>421
何かガラケーから書き込んでる?みたいな改行だな こないだ鶴田と川田見てたら川田は髭が薄く何処となくあどけなく可愛い顔してたな
三沢は意外と強面で小橋は笑うと変態顔になる >>397
全日本から離れていった三沢や冬木が亡くなった時に通夜に駆けつけた記事を週プロや週ゴンで見たときは
普通の優しいオバハンに見えたけどな
特に冬木の時には泣いている未亡人の薫に泣きながら寄り添っていた
確か三沢と冬木が結婚したときの仲人が馬場夫妻だったはず
他には鶴田、天龍、薗田、田上も 逆に仲人が馬場夫妻じゃない人いるんか
結婚公表してない川田だって報告はしてるだろうし 三沢が社長時代に天龍呼ぼうとしたら大反対したくせにってボヤいてたな 元子さんも逸話あるけど、三沢さんもなかなかなんだよなw 三沢達離脱後の元子全日のなりふりかまわなさは凄かったな。
こんだけやるなら三沢達いたときにもう少し自由にやらせとけよという感じだった。 >>423
おまえまじでしつこいな
FMWスレに帰れや 川田天龍と渕とケアしかいなかった時代の全日が好きで毎シリーズ後楽園は行ってたな
何気に相島がメジャー級の体格してたのが印象的 >>433
大仁田やWARの連中まで上げちゃったからな
もはや何でもアリだったよね
2001年頃から馬場の絵が入った花道ゲートまで作ったのには大いに笑ったw 天龍、川田、武藤、小島、カシン、渕、カズって日本人選手がいて、動けなくなってたけどハンセン、ウィリアムスって言う有名選手と、動ける外人もバートン、ハインズ、スミスとかタレントは揃ってたし、対抗戦やればゼロワンの橋本と、今考えると豪華なタレント揃ってたのに、なんで新日とノアよりダメだったんだろ
武藤達の移籍組が川田や天龍と上手く連携取れなかったからかな >>437
武藤の諦感では熱は生まない。
試合運びは上手いが、見に行く動機付けにはならない。 武藤はまわりが担いでくれて光れてた神輿で
新日の武藤だから魅力があった。本人は
自分の人気で客を呼んでたと思い込んでた
から全日移籍して自分の興行人気痛感した
だろう >>433
やったらやったで三沢たちが不満だったろうな >>437
一番肝心な時期に川田が長期欠場してしまったのが一番痛かった
あれが無ければその後は大きく違っていたはず 戸口もようやく全日復帰できて
「キム・ドクが全日本プロレスに帰ってきました」とマイクアピールしていた >>435
三沢が相島をNOAHに引き抜こうとしたけど
僕は元子さんから離れませんとやんわり断られた話が好き 元子全日最初の世界最強タッグでいきなりバーシティクラブが優勝したの笑った
ヤケクソになった元子おもしれーじゃんって >>445
相島はプロモーター兼業じゃなかったっけ。 >>447
あれは準優勝だった川田渕組、新日の年内最終戦の大阪大会に出場する事が決まってて
結果的に永田飯塚組と30分フルタイムだったけど
全日の優勝タッグが新日の次世代タッグと引き分けではまずい…という懸念からの流れじゃない?
一応は川田渕組より強いチームを設定しておかないと…。 >>448
そう
選手としてでなく九州地区を強化するために裏方として引き抜くつもりだった
相島が元子派だったから実現しなかった 俺が行った元子全日の第一試合が相島と平井のシングルだったわ
キムドクと奥村茂雄のシングルもあったり様々だったなぁ 鶴田の「何かあったらすぐ言えよ。俺は三沢君の味方だから、忘れないで欲しい。」の言葉が泣ける、本当に泣ける
そう言えば5月2日ドームには1番いなきゃいけない人だったんだが 川田が三沢について、「三沢さんは下の人間の意見や不満をまともに聞いては行けない人なんだよ」とインタビューで語ってたのがすごく印象に残ってる。やっぱ高校からの付き合いだから人間三沢光晴の長所だけじゃなく短所も見抜いてたのかなってさ。 今日は三沢の唯一のアジアタッグ防衛戦
アジアタッグとの絡みは四試合だけだがそれぞれに興味深い物ばかり >>452
オレの知ってる元子エピソードだと、三沢離脱直後の地方大会で、たぶん元子だと思うんだけど、入場口でヤクザみたいのに頭をペコペコ下げてるの見たなぁ >>455
元子が川田の復帰戦で小橋とのシングルを企画して三沢が止めた話笑える
三沢でもさすがに川田を庇うんだなって
しかも結局小橋とのシングルになってるし 分裂前の数年はマンネリが続いていたからむしろ新鮮な面もあった
最強タッグなんか三会場も見に行ったし >>458
本来ならむしろ川田が出て行きそうなのに逆だったというのも面白い ゴングで三沢と川田に今後の全日についてインタビューして、2人が真っ正直に答えたら(今の全日じゃダメだみたいな)、元子が怒り狂って三沢、川田、そんでインタビューしたゴングの記者までにも「謝れー!」って謝罪を強要したことがあったんだってね
三沢は絶対に謝らないって、突っぱねて、川田はゴメンなさいしたって話し‥ 三沢て状況的に完全に反ターザンなんだけど直接どうこうしたみたいな話一切無いよな >>462
そもそも大一番で鶴田に勝たせて貰えたのはターザンのおかげなんだがな
それだけでも足を向けられないはず ターザンは96年に長州を敵に回したのが運の尽きだったな
その頃の長州は天龍とはわけが違うんだよ リングサイドで前座試合観ずにスポーツ新聞読んでる客を元子が発見して
会場からつまみ出したみたいなエピソードが90年代の週プロに載ってなかったっけ
美談みたいに扱われてた記憶があるけど読んでて納得いかなかったのを覚えてる >>449
殺人魚雷以来の十年ぶりの外人チームの優勝も良かった
二試合目でフラフラの渕を川田が必死で孤軍奮闘のフォローをする所は義兄弟vs龍艦を思い出させてくれた 新日じゃジョバーだったロトンドが美味しい役もらえて嬉しかったわ
優勝セレモニーで感慨深そうに馬場の写真持ってた ロトンド個人的に好きなレスラーだったから報われた時は嬉しかった 渕の初の武道館メイン
分裂後は残り物の福を思い切り満喫 渕の初の武道館メイン
分裂後は残り物の福を思い切り満喫 いくら熱狂的なら渕信者だからって二回も同じ事を書かなくてもw ロトンド知ったのってミッドアトランティックでのドリーとの抗争 マネー・インクじゃないプレーンなデビアスとのコンビもしくはバリーがフラーじゃなくロトンドとの最強タッグ出場だったらNWOの捨てコマじゃなく実際の評価が全然違うと思う バーシティ云々なくして日本では過小評価 ウインダム&ロトンドの「USエクスプレス」
来日した1986年はちょうどマッチョ系のタッグ(ペイントも)がブームだった頃だったはず
だから同時来日したラシアンズの方が注目浴びてた気がする、それに全日マットは日本人抗争が主だったし…
せめてジャパンが来る前だったら扱いも注目も全然違ったと思う、内容的に昭和になってしまったが。 >>466
今回のXでも話題になってたぞ
年会費も払ってたけど、全部返却された マイク・ロトンドは教育がいいんだろうな
息子のブレイ・ワイアットとボーダラス二人ともファンサよかったわ
特にボーダラスはいい笑顔で感じよかった 元子全日と新日との対抗戦はつまらなかったな
元子全日よりも当時の新日の面子に問題があったな 地方興行で苦戦するようになった四天王末期はガラガラのAF席が写し出される
ことが多かったが、ああいうのは元子は抗議しなかったのか? >>473
失礼
トラブルで一度落ちてるのに気付かなかった
あとディファの柿落としでも初のシングルのメインだった ビンスは地味なロトンドやデビアスにキャラ
つけてうまく使ってたが馬場にはそんな能力
皆無だもんな >>478
WWFみたいに全日本を二リーグ的に上手く活用すれば面白かったかもな
でもNOAHと両天秤なんて不義理をやったから離脱された >>481
当時はWWFの手法の方が日本では道化のキワモノ扱いだった >>483
成功例もあれば失敗も多いよな。
実力者にナイトストーカーとかスキナーとかやらせたり、マッドモンクで宗教団体からクレーム付いたり。 記者「WWFと新日本で違いはありますか?」
ボブ・オートン・ジュニア「何も変わらない」
記者「WWFのプロレスはショービジネスの香りが強すぎます」
ボブ・オートン・ジュニア「それを言うならあのビッグバン・ベイダーと言う奴も
ショービジネスの香りが強いんじゃないのか?」 >>483
まあひたすらアタマからリングに突き刺してカウント2.99連発大好きなノワだけはガチみたいな人も多数いたからねぇ、
俺は必殺技一発で決まるウソ臭い試合大好きだけど。 >>484
その類の話で一番笑ったのはケンゾーをヒロヒトてリングネームにしようとしてケンゾー嫁が全力で拒否したってやつ アドニスがネグリジェで試合してたのは
ショックだったな つーかビンスはスレタイのゴディ、ウィリアムス、スパイビーをうまく使えなかったし他にもベイダーやカンナム、マレンコ、サブゥーもサッパリだったじゃん
デビアスとロトンド持ち出して誉めそやしてるが逆の例だって多いよ WWEは人気レスラーや実力者を塩漬けにしておけばライバル団体より有利になるという考えだったし。高校野球でも同じような考えを持つ監督は多い >>489
ゴディ達やベイダーって日本マットでこそ怪物レスラーとして通用したけど、2メートルクラスがゴロゴロいるアメリカだったらこの体格の奴らなんて珍しくもなんともなくてしかもアクが強烈なのばかり。実際ベイダーがテイカーやケインと向き合うと小さく見えたし。こんな中でスレタイの3人が埋もれないようなセールスポイントなんて持ってないでしょ。 >>492
ベイダーの厚底シューズって膝に負担かかりそうだった。 >>492
人気が出れば自分達の手腕、出なかったらレスラーのスター性の不足
それが典型的なWWEのやり方だってジムコルネットが批判してたな >>494
その代償が巨額の報酬だからな
最後は当人の考え次第 >>489
ゴディは廃人状態をヘイズのお情けで顔がわからないように使ってあげただけ
ウィリアムスは本人がバートガンに対応出来なかったのが悪い
ベイダーはクリック派閥に嫌われてたから出世は無理
マレンコとカンナムは日本とそれほど扱いは変わらん
サブゥ、カンナム、マレンコ、殺人魚雷は日本向きなECWのほうが輝いてたな >>495
ステロイド時代に関してはグラハムが体を張って訴えていたけど
当時のWWFマッチョ系には響いていたんだろうか?
キッドとかスミスはやはり「オレらの考え」だったんかな? >>495
コルネットはレスラーの手柄を掠め取る一方で責任を押し付けるやり方を非難してるのであってギャラの話に持ってくのはピントがズレてると思うが
商品にならないとレッテル貼られてリリースされたらその報酬も貰えないわけだし
>>496
一方的なモノの見方は公平ではないという話をしているワケでコイツらが活躍出来なかったのには理由があるから!って言われてもそういう事じゃないんだよな >>498
それでもWWFにしがみ付くかどうかはレスラー自身が決めるって事
まあWWFに限った事ではないが 「WWFの契約には必ず団体都合でレスラーを解雇できる条項がある」とハンセンが書いていた。 中邑はどういうキャラなの?コスチュームはゲイに見えるが全体的には前衛の世界を表現してるように見えるけど 田上ってスレタイ4人との試合で名勝負あったっけ?小橋だったらゴディに初勝利した札幌とか川田はハンセンとベストバウト大賞獲ってるみたいなさ。 >>502
96CC優勝決定戦のウィリアムス戦しか思い浮かばない
当時ビデオ発売されたけど名古屋の四天王対決がノーカット収録、田上優勝がダイジェスト扱いだった… カーニバル優勝したウイリアムス戦はよかった。
あと四天王対決で初めて三沢を破り三冠を奪取したのが田上であり、96年は絶好調だった。 >>502
1996年のウイリアムスとのCC優勝戦は名勝負じゃね? >>427
三沢が最後に泣き言を言っていた相手が元子だったってのもな
やはりどんな事があっても母は母って感じ >>508
それに加え2階席が半分以上空席で毎年松戸大会やってたけど過去最低で記録的な不入りだった >>509
昭和の全日本プロレスブログによると
90年 3350人(超)
91年 3550人(超)
92年 3600人(超)←ハンセンvs田上 田上はベイダー戦もボッコボコだったしな
そら、後人の格上げに使われるわ 田上って三冠を96年6月に川田戦(塩試合)で1回防衛しただけで
96年7月には小橋に取られてその後3回くらい?挑戦するもタイトル取れず
こんな感じだともし馬場が生きていても全日本が分裂しなくても
田上を再び三冠王者にすることはなかっただろうね? 小橋はプロレスゲームのエディットレスラーみたいな感じだったな
とにかく何でもかんでも技を詰め込むみたいな感じで
ラリアットがフィニッシュになってから技が減ったけど もうムーンサルトを必殺技にするには膝が限界だったから色々と模索してたんだろうとは思うけどね。
このままだと取り残されるという危機感も本人的にはあったんじゃないかな。 パワーボムした後に無理やり起こしてハーフネルソンとか、理屈無視な感じは目に余るものがあった。 ただ闇雲にチョップと大技を脈絡なく繋ぎ合わせて行くだけってイメージ、
組み立てもへったくれもない 小橋のだめなところは技を耐えたり食らってすぐ反撃するところ
技の価値が落ちる >>515
その辺が川田から「プロレスは技じゃないんだ」と批判されたりもしたんだよね。 >>516
その点武藤は普段から使ってたドラゴンスクリューと足4の字で大物を撃破しムーンサルトに匹敵する大技に昇華できたから助かったな
あの後小橋が早速真似たけど様にならなかったからもうやらなくなったけど 小橋がそんなに体にガタがきてたなら、ちょこまか使ってたテキサス・クローバーを決め技にすればよかったかもね
小橋は胴回りが太いし、締め上げるのに上腕も太いから技が決まれば見栄えも良かったと思う。
垂直落下オンパレードの四天王プロレスだし、クラシカルな決め技を入れると逆に新鮮だしね。
三沢のフェイスロックよりは力感もあるし、小橋の身体にも優しいし。 >>515
両膝が壊れる前の全日時代の
ラリアットはダッシュ力もあって
強烈無比だったな
誰よりもウエスタン・ラリアットの
餌食になっていた小橋が自分なりに
研究して叩き込む練習して、
いつしかそれが小橋の代名詞になった、っていう流れも良いと思うけどな >>523
関節技は馬場の意向でフィニッシュに出来なかった 田上自伝を読んだが最初はジャパンプロレスに偽装所属だった事を知らなかった 相撲から直接引き抜いたと思われると角界と揉めるんだっけか
輪島の件で国技館使えなくなったとかだった記憶がある >>515
川田もそうだけど、小橋の真骨頂って負けっぷりにあるからね。散る時は盛大に散る >>527
前年に輪島、その後もジョンテンタや高木功と続いて相撲協会とデリケートな状態だったらしい 相撲協会への体面の対策は石川敬士がワンステップ置いての入団の元祖かな?
確か直接全日に入団する経緯じゃなく、海外から国際のリングを経てだったような? 小橋は三冠戦だけは絶対に三沢には勝てなかったんだよな 小橋はハーフネルソンあるのに
投げっぱなしタイガー使ったりと節操がない ダブルアームDDT
パワーボム(ジャックナイフ式)
ストレッチボム
オレンジクラッシュ
ショートレンジラリアット
バーニングハンマー
ブラッククラッシュ
長滞空垂直落下式ブレーンバスター
ダイヤモンドヘッド
小橋のファイプロで言うところの
正面組み大技あり過ぎ チョップを色々開発しだした時は面白いかもと思ったけど結局不恰好な変なチョップばっかりで駄目だったな 高山は「あれ凄く痛いんだよ、泣きたくなるもん」と言ってたコーナー押し込んでのペチペチのチョップ
本当に痛いとしても、素人目に痛そうに見えなきゃ技としては失敗でしょ
常人にはできない迫力があるからお客さんは生で見たいと思うんだから。 >>531
小橋は三沢が唯一挑戦した四天王だったな
田上や川田には負けても挑戦はしていない チャンピオンカーニバルでは二度、三沢に勝ってるのにね(97年、99年) >>536
元子全日本をとある地方都市でリングサイド観戦したとき、天龍が場外乱闘でケアに見舞った逆水平チョップの迫力にはとても興奮したな。
力道山を別格として逆水平チョップの一番の使い手は天龍だと思う。
小橋の連続チョップもリングサイドの客には伝わるのだろうが、二階席やテレビ観戦者にはペチペチとしか映らないのかもな。 小橋のマシンガンチョップ普通にめっちゃ痛そうと思って見てたけどみんなそうじゃなかったの?
同じ所を何回も叩かれるなんて絶対痛いじゃん 痛そうだとは思う
技自体の見場はあんま良くなかったけど
それよりチョップ連発してる様を見せる一連のムーブって印象だな 小橋のハーフネルソン、なんでフィニッシュ設定にしなかったんだろう?
見た目のインパクトがヤバいから充分フィニッシュにできたのに、連発する繋ぎ技にしてもったいなかった
ファイプロで言うなら、隠し技にしてもいいところをBボタン技にしちゃった感じ >>542
三沢、川田、秋山、大森以外のヘビー級には
もっさりとしか決まらないからとか? >>540
昔、オレが居間でテレビ見てた時にたまたまオヤジが後ろから見てて
「なんだありゃ、パチパチして女の子のケンカみてえだな?」とか言ってたから
オレも含めてもっと素人のオヤジには全く伝わってないんだろうな…とね。
天龍の逆水平みたいに一発一発が重い感じの方がオレにはわかりやすかったな。
>>542
フィニッシュ設定なら新日になるけど、馳の裏投げかなあ
あの高さと角度は本当にエグイし、落下する時は後頭部が一点直撃に見えるし
少なくともノーザンライトより凄そうに見える、ただし馳の体格では大型選手にはキツイけど。 >>519
レスラーをバカにしてるよな、偉そうに。 >>519
技自体がパッとしなかったから結果的には封印してくれてよかった 前にも書いたがブーバー戦の長距離ギロチンはよかった 小橋も鶴田からバックドロップ引き継いでくれてもよかったのにな。
一回だけ川田からそれでピン取ったけどそれで終わってしまった。
まあ、馬場以外は鶴田がもうメインイベンターとして終わったとはまだわかってなかった頃だから仕方ないけど。 仮にバックドロップを引き継がせるとしたら秋山でしょ 健太ッキーボム→週プロ
クラッシュボム→週ゴンだっけ?別の技だったかな >>536
>>539
小島や健介がやったのを見れば小橋のが凄いの分かって良いと思うがw >>551
ゴングのクラッシュボムはオレンジクラッシュだったと思うよ ラスト中島のタッグ戦をG+でやってたが三沢も最後は田上とのコンビでやってくべきだったな 小川でいいじゃん
もう動けなくなった田上と組んでどうすんのよ >>556
義兄弟コンビと同じくセミリタイア状態になるから 小橋はパワー型っぽいけど無いんだよな
バーニングハンマーは担ぐとグラグラしてるし、
チョップも健介の方が上だったしなんかなあって感じ >>557
セミリタイアするにしてもわざわざ田上と組む必要なくね
そんなとこまで馬場のやり方させたがるとか元子じゃないんだから >>559
いつまでたっても四天王時代の面影を引きずる事を強要する連中の声が、三沢の死やノアの沈没の原因なんだろうな ファミ軍みたいになれなきゃ引退するしかない
どっちも出来なかったからあの結果になった
皮肉にもファミ軍の意義を証明する形に >>560
逆とも言える。
提供する側も結局、全日時代を引きずってたから。 >>558
基地外のようなウェートトレで作った見栄え
重視の筋肉だからね。中西なんかは大型の
外人も平気で持ち上げてた。 >>563
見栄え無視だったろ、
筋肉ついてるのはわかったけど、ガムシャラに鍛えまくっただけでしょ。 >>518
相手の技を受けて間をもたせる技術がないから常に攻め続けてレパートリーがなくなりあのしつこいペチペチやるしかなくなる >>536
フレアーとは真逆だな。あっちは痛そうで痛くないチョップやナックル使うというプロレスの理想系とも言える打撃技。 チョップは見栄えいいけど身体に残るダメージもヤバいぞ
ブレットハートがあんなもん使うなってキレてた >>561
ファミ軍みたいにするにしてもわざわざ田上と組ませる必要がわからんと言ってるんだが
何度かこのスレで言ってんの見かけるしよっぽど自信のある主張なんかもしれんが目的と手段入れ替わってねーか >>566
あの時代は嘘を本当に見せて本当に凄い人はそれを隠して試合する時代
それが終わったというか日本は元々フレアーはその場、一発は客のヒートを買えるけど一回だけだろ
天龍とか三沢以後は嘘じゃなくて本当に大変な事をしましょうというスタイルだし比べてどっちが理想とかそういうものじゃないと思うわ ウィリアムスの最後の輝きってベイダーと世界タッグ獲った時かな? >>570
武藤とのファッキュー合戦も悪くなかったw 武藤対ウイリアムスの三冠戦
週プロの見出し「ガラスで鋼鉄を砕く」は良かったな。
即ちボロボロの膝でシャイニングウイザードを見舞いウイリアムスを倒したことを喩えた秀逸な表現だった。 分裂したくらいのタイミングで急に動けなくなったよなウィリアムス
グーパンチ使いだしてからも1回落ちたけど元子全日になってからもう2段階くらい落ちたわ
分裂前の小橋ウィリアムスの三冠挑戦者決定戦はまだ三冠戦としてメインにしても良いくらいの動きだったけど
元子全日になってからはもうサッパリでCC公式戦のシングルなんかほとんどブーイング喰らってたわ 97年の三沢との三冠戦はひどかったよ
眠くなっちゃった 馬場がちゃんと小橋を教育しないからあんな恥ずかしい試合するようになったんだと思う。俺はマジでこいつ基地外じゃないかと思ったわ ウィリアムスとノートンは5年前だったら凄かっただろうね。 しかし分裂元年の元子全日を動画で改めて観てみると、
カードがマニアック過ぎてけっこう面白いんだよなw
当時のウィリアムスも衰えたとはいえ、全日の貴重な戦力だった 中西の試合は笑えるけど、小橋の試合は笑えないんだよな 今日は越中と共に三沢の初タイトルマッチの日
また聖鬼軍コンビの世界タッグ初奪取 馬場のランニングネックブリーカードロップって馬場の真の必殺技と言ってもいい技なのに、小橋と田上は普通に繋ぎ技にしてたな。
鶴田がハンセンからピン取ったり、三沢がコーナーから繰り出して馬場からピン取ったとかはあったけど。
鶴田とバックドロップと馬場のネックブリーカーは必殺技として誰か継承して欲しかった。 ウイリアムスは来日でトラブって、一年間の日本マットのブランク前後でだいぶ動きが変わっちゃったね
ゴディが不在の後は主にシングルプレイヤーとして奮闘してたけど
ブランク後のTOP形成あたりからタッグが主活動になった感じがした。 >>583
なんとなく健介が小橋に忖度してんだよな。
チョップ合戦の途中から、健介が小橋が踏ん張れて無いことに気づいてしまうんだよ。 >>587
打ち合いにおいての足運びというか左手で押して空間を空けさせてたのが健介は上手かった
小橋は空間を空けないで撃つから撃ちづらそうだった
途中から小橋も左手で押して空間を作ってから撃ってたから良い感じになってた
小橋のほうがスタミナがあったから最後に打ち勝った(健介が引いたのもあったとは思うが…) 川田の方が上手かったな
小川、藤田、健介の三大塩まみれと名勝負作るだけある 今日は札幌での四天王対決から三十年
この年の世界タッグは二回だけなんだな 92年から99年までの最強タッグ優勝チーム
92年 三沢光晴&川田利明
93年 三沢光晴&小橋建太
94年 三沢光晴&小橋建太
95年 三沢光晴&小橋建太
96年 川田利明&田上明
97年 川田利明&田上明
98年 小橋建太&秋山準
99年 小橋建太&秋山準
結局こんな感じになっちゃうんだな >>589
川田は試合巧者だよな、一見打撃系でゴツゴツしてるけど繋ぎとか理にかなってる。 2004年の健介はおもしろい試合が多かった
ジャイアント・バーナード戦は迫力あってよかった >>592
攻守の切り替えとか上手いよな。
相手への攻撃ターンの渡し方とか普通に上手い。 >>591
三沢&小橋 出場3回優勝3回
小橋&秋山 出場2回優勝2回
小橋が優勝できなかった時はパートナーが馬場、エース、パトリと 暫定パートナーぽい
ちょっと欲張りではないかと思う >>594
なんせ田上と好勝負になるからなw
三沢が意外と…なんだよね。 >>570
91年横浜で鶴田との三冠戦で大凡戦やらかしてから輝きが一気になくなったように思う >>596
三沢の試合は流れの連続なんで、相手はそれに乗っかる技術や体力が必要になってくる。
だから上手くいきゃめちゃくちゃ綺麗な試合になるし、その逆もありうるんだよね。
川田は相手がデクでも蹴り込んでいって、膝の持病で悶絶してと自己完結で間を持たせたりもできるから
意外に相手選ばないんだよな。
川田がG1出たときに対応力の高さに感心させられた >>597
そう?
そのあと93年くらいにゴディがいなくなって、シングル戦前で小橋とやり合ったりチャンカンや三冠に絡んでた、WWEに行く前くらいのあたりが、いちばん輝いてたと思ったけど 鎖国して反則裁定をほぼ無くなったからブッチャーの存在意義は無くなるわな シングルでのウィリアムスの初の武道館メインは93年9月の三沢との三冠戦
実質的なブレイクはその前の小橋との挑戦者決定戦 >>591
たまには外国人チームに優勝させてもよかった気もするが、
中頃はそれに相応しいチームがなかったか
ハンセンベイダー組はよかったけどね ギリ優勝しても良さそうなチームはウィリアムスエース組とハンセンオブライト組とウィリアムスオブライト組かね >>605
その面子の組み合わせはやはり少しインパクトが弱い感じがするね
圧倒感が足りないというか、無双する感じじゃないというか 90年代以降は「世界」最強タッグじゃなくなったよな。 鎖国期の全日のガチャガチャはハンセンが欲しいだけで出てきたカワダ、田上、オブライトはカプセルも開けず捨てていた..ホントゴメンなさい >>591
98年はハンセン、ベイダー組に勝たせるべきだった
ハンセン、馬場組でも優勝しないところが馬場の凄いところ
猪木だったら自分の出る大会で優勝しないとか、まずない >>607
テリトリー制の崩壊により、WWFとWCWが選手をがっちり拘束してしまうので、アメリカと日本で活動する選手がわかれてしまった。 >>607
他の団体のエンタメ化が進行したので質実剛健的な意味合いが強くなった >>611
>>614
だいたい最初から優勝できそうなの3チームか4チームくらいで、あとヨーロッパ代表とメキシコ代表が加われば世界の大会っぽくなってた。
長州が来た頃からかな、メンバー選定が雑になりだしたの。
87は凄かったけどね。 >>591
92年は鶴田がマニラ旅行で欠場したし、三沢が飲み過ぎて片足怪我して巡業中ずっと足引きずってたのに優勝とか無理があるストーリーだった >>591
それと優勝するのも川田三沢小橋田上と社員ばかりなってる
あと連覇の繰り返し >>605
>>606
世界タッグは取っても良いけど世界最強タッグの優勝はなんか違うチームってあるよね >>511
確か週刊ファイトの井上譲二の本に三沢は亡くなるずっと前から元子と和解済みで長電話するほどの関係に落ち着いたとか >>619
最強タッグは年末の大トリだから、結局その時々の顔役が優勝してしまうんだよな。 >>620
それだったら分かるけど三沢が泣き言を元子にしたとかになるのは違うと思うけど… >>610
馬場がマッチメイカーだったらそうしてたはず
外人嫌いの三沢が実権握ってしまったが為に小橋秋山を優勝させた ハンセン馬場組で世界タッグに挑戦すれば!?って言ってきた記者に
馬場がブチ切れたエピソードあったな ハンセン馬場組で世界タッグに挑戦すれば!?って言ってきた記者に
馬場がブチ切れたエピソードあったな >>624
週プロの市瀬が書いた全日本に書いてあったね
提案された時に馬場が「そんなことやったら、今がんばってるヤツらに失礼だろ。そんなこと二度と言うな」って怒ったらしいんだけど、結局は後年にタイトルマッチやってると言う、馬場の気まぐれ >>626
自己レスだけど、ごめん、タイトルマッチじゃなかったかも
だから、馬場もカード組んだのかな
確認不足で、すんませんでした >>622
仲田の愚痴を延々と言ってたらしい
まさに皮肉な敵味方逆転 >>629
仲田が夫人を最大限に糾弾して三沢に訴えてたがその仲田自身が自分を律することが出来ずに「元子さんの役割する人がいれば…」と夫人みたいに権限を使ってたからな… >>630
愛人にノアの看板使って居酒屋やらせたんだったか >>619
普通のタイトルマッチじゃなくて、
その年を締めくくる「最強タッグ決定戦」だからね
しかしハンセンが殊勲賞だか敢闘賞でもらった盾を
小橋の顔面に打ち付けた演出はよかったw
あそこで古き良き時代のカオス感を出したハンセンは流石だよね 無粋なこと言うけど最強タッグリーグ戦が夏の大会だったら優勝チームも多少変わってた可能性あるのかな 最強タッグは地方プロモーターにとって年末の御歳暮シリーズでもあったらしい
それを買うためにその前の興行も引き受けたりしていたとか >>634
昭和時代の自分が優勝出来ないと表彰式で暴れるパターンの復活だったな
とにかくファンもそれでこそハンセンと大喝采 81年の最強タッグで試合をブチ壊したハンセンが
18年後の最強タッグで日本人とタッグを組んで優勝できず
パートナーに日本語で「ごめんなさい」と言うなんてまったく想像つかんよな >>634
あそこで握手してたらおしまいだったよね。
さすがハンセン。 1989年から反則、リングアウトがほぼ排除されてしまったため、最強タッグの番狂わせも起こしにくくなってしまった >>628
ならお前、読点も内容も完璧なコメを書いてみろ! 99年は最後オブライトが全員で記念撮影しようぜーって呼びかけてたのに(ウルフホークフィールドも「マジかよ!」って笑うくらいに)、でもハンセンが暴れたからオブライトはそそくさとリングから降りた。
その1ヶ月後に死んじゃうんだから、あの記念撮影しようとしてたのが意味あるように感じてしまう。 >>634
天龍と組んだときも最後仲間割れしてリセットしてさすがだなと思った
>>636
外人のギャラは日テレ持ちだったんだろか?
あれだけ外人呼んだら渡航費とギャラだけで
シリーズ赤字だよな テレビ局持ちだろうね。
だからその後外人いらなくなり、外人いなくてもそこそこ
集客できるようになり高額ギャラ不要で
インディーができた。
豪華海外レスラーがいないと客が入らない構造が
変わった。 Iジャって全日落ちの外人たち、幾らで雇ってたんだろ? マスカラスだけは特別待遇だったそうだが、他は全日時代の半値近く? 龍艦砲のリセットはガキながらちょっと強引だと思った 吊りタイツコンビのウイリアムスオブライト組すきだったなー
ザンギエフハシミコフ組も好きだった >>648
その前の最強タッグのゴディの気の毒さをむしろバネにしたのが上手い オブライトは、全日じゃもったいなかったよね
全日じゃジャーマンの安売り状態だったからな KOK前のリングスにオブライトが参戦したら面白かったかも >>646
WINGのサンタナは凄いリーズナブルな
ギャラで出てくれたらしい 100人前後の地方会場にシンデビアスウィリアムスボスマンロトンドバリーウィンダムドゥガンキマラが登場するIWA(笑) 三沢ってハンセンと凡戦ばかり積み重ねてたってイメージしかないけど好試合なんかある? >>656
猪木対ハンセンが名勝負とでも言うのかよw >>656
札幌での王者三沢に挑戦者ハンセンの
試合は好きだった
ローリングエルボーを初めて繰り出して防衛した試合だね >>655
>>660
その豪華メンバー迎え撃つのが松田慶三とかだったんだろ? >>658
猪木とか前田とかストロングギミックありきの試合をちゃんと評価してから鶴田や三沢を語ってほしいんだよね…
場外のハンセン相手に三沢がリング内からえげつないストンピングをしてるんだよ
三沢が亡くなった後の特集で見たが一つ一つの攻防が重い
それが見えないんだからなぁ… 96年くらいのすでに落ち着いたハンセンと三沢のチャンピオンカーニバルの公式戦がそこそこ面白かった
ハンセンがラリアットで勝ってたはず ハンセンのラリアットは初期の
「伸ばした腕を当てる」から
「居合切りのように腕を振り上げる」に
進化したよね。受ける相手の技量にも
よるけど、一撃必殺の説得力が増した。 個人的には88年の最強タッグで天龍を倒した一発がピーク ノアで小橋のチョップに天龍が流血って一体誰がそんな馬鹿みたいなもん考えたんだ >>669
胸のとこチョンチョンとテーピングぐるぐるの親指で突いてたなw
なんであんなツマラン演出やったんだろう >>669
ブック書いてるのは小橋
要するにチョップの第一人者よりも俺が上ってやりたかったんだろ
若手の格上げにも献上しないしベテランの価値は落とすしとんでもない奴やで >>672
結果的には小橋の絶対王者路線は丸KEN コンビと並んでノアに繁栄をもたらしたからいいんじゃね。ただその後明らかに全盛期すぎたにも関わらず、白GHCで絶対王者やろうとしたのは呆れたけど 小橋のためにブックを書ける奴は他にいなかったのかだな
要するに渕の役をやれる奴がいなかった >>673
絶対王者で繁栄したのは全日から移動したファンしかいなかったから
でも新団体なんだから新規をつけなきゃだった
結果小橋引退して団体はしんだ
小橋は引退後の団体や後輩の事を考えてなさ過ぎた
オレツェーしたいだけだった 全日本は馬場以外は小物の小世帯で始まったからこそ一年目で早くも鶴田をナンバーツーに抜擢出来たんだよな
その時のインタータッグ戦こそが本当の意味での全日本のスタート >>675
全日時代、散々壁になって貰い思い入れ人気と格上げをして貰っといて何もしなかったもんな
壁役否定
一度力皇に負けただけ ノアのピーク時も次世代のヘビー級は力皇、森嶋、ヨネという時点で中々難しかったな。
新日本は当時不調だったとはいえ中邑、棚橋、柴田と次世代を担えるのが揃ってた。
丸藤とKENTAがもう少しサイズがあればな。 >>677
ドームで秋山に勝っちゃダメだよね。
小橋が負けないから、新王者に漏れなく田上が負けてた。 >>672
なに妄想爆発させてるんだよw
天龍が小橋に言われてあんな事やるかよw 秋山も自分がトップに立つよりも小橋にトップに立って欲しいと心底思ってたんだろうなと思う。
自分がボブ・サップに負けて小橋にサップ退治をさせようとしてたし。 小橋にはビル・アーウィンをパートナーとして育ててほしかったな ビルアーウィンはのちにWWFでホッケーのキャラやってたのは知ってる ドームで秋山が負けたのは小橋のブックじゃなくて秋山がそうお願いしたという仮説はありえないのかな?あまりに太陽に対する月であろうとするあまりに、初ドーム興行をハッピーエンドにさせようと懇願したとか。98年の全日初ドームで川田が三沢を負かしたけどその後の客入りが激減したのも踏まえて。保守に走りがちだったな当時のノアは。 >>687
武道館で天龍が鶴田を破ったのも含めてあそこはやはり秋山が勝つべき局面だったと思うんだよな
ノアでなく小橋を選んだ事が結局はノアを去る一因になったとも言えそう >>668
相手をロープに振って返ってきた所に放つ正調ラリアットがビッグマッチのフィニッシュになった最終回かな。
以降はカウンター、ショートレンジ、走り込みなどの派生型でないと決まらなくなった。
観客のイマジネーションを上回らなくてはいけなくなった平成プロレスの前夜という意味では、これも印象的な一撃ですね。 >>689
同意
ハンセンも年齢と腰の傷みから走り込んでよりその場での瞬発力に賭けるようになった印象。
それにしても95年に川田から三冠を奪った試合でのラリアットは迫力が無さすぎた。 >>690
ちょっとマイナーな名前を出して通ぶりたいニワカ坊やなんだからスルーしてあげなよ。
恥ずかしいよ、惨めだよ、可哀想だよ。 >>690
アーウィンが小橋を育てて欲しかった
そういう意味では。
とガチレスしてみた。 ビル・アーウインとか愚兄賢弟なんて言われてたが日本じゃ全然評価されてなかったやん。ゴーディのパートナーで売り出されるかと思ったら全くだったし・・・ どのプロレス雑誌新聞もプロレス中継もゴディ表記だったのに
週プロだけ頑なにゴーディ表記だったよね
無意味に子供じみた意地張ってたとしか思えない 大仁田の後楽園ホールに行く発言にそれは困るとたじろぐ馬場 >>563
小橋の劣化が酷かったとはいえ蝶野の25周年記念試合で中西と逆水平の打ち合いで一発の重みも迫力も中西に完全に負けてたな。 >>697
健介みたいに仕事貰えるならキッチリ忖度できるタイプじゃないからな、中西は。 >>697
あのときの小橋は箸も握れないくらいに痛めてた
見た感じで全盛期の時と違うの分からないかね 俺は後期デビアスが大柄な割に意外とレスリングが緻密で、派手に見えて相手は受け身取りやすくダメージ柔らか、確かにこの人は長続きするなって感じで好意的に見てたわ、
流石WWFでトップクラスまで行っただけあるなって。 >>700
そんな状態の選手が白GHC獲ったり、秋山の欠場で流れたとはいえGHCタッグに挑戦とタイトル戦線に絡むのはあかんでしょ。首も悪かったし最悪三沢の二の舞になってたかもしれない >>702
白GHCは小橋の引退によって封印
下位王座としては改めてナショナル王座を新設するんだよな >>695
初来日時はテレビもゴーディだった気がする
気付いたらゴディになってたけど 何度も言うけどアーウィン兄弟は素顔のロングライダーズで最強タッグに参加させるべきだった 大物食いは馬場が許さんだろうが 超獣組ともマスカラス兄弟やリッキー組と並ぶ名勝負してくれるよ 表記ではなく、アナウンスだが
倉持さんは「ウォリアーズ」の事を「ウ…!オォーリアーズ」と発音の度に大変苦しそうだった。 93年ぐらいのプロレスニュースで、ネイティブ発音で外国人参戦選手を紹介するなんて
やってて、その中でジ・イーグルを、ダ・イーグルって言ってて、その翌週の実況で
ダで言ってて違和感あったのを覚えてる。 >>579
最初の武道館の川田天龍vsハンセンモスマンは天龍川田vsハンセンゴディを次の川田ウィリアムスvs天龍ハンセンは龍艦vs殺人魚雷を意識してる感じだったし >>694
少なくとも兄のスコットは弟よりプロレスは上手かった、愚兄賢弟でも賢兄愚弟でもないバランスの取れた名タッグでした。
AWA時代、一連のウォリアーズとの連戦を見てもよくわかります。 >>694
ウィリアムス登場を引き立てる噛ませ犬だったな
それでも判官贔屓の会場人気は高かった >>709
やっぱり当時は渕がマッチメイクしてたのかな?
渕も川田とシングルやったり、
ヘビーの外国人と対戦したりして相当きつかっただろうけどね ビッグ・ボスマン改めビッグ・ブーバーは警察的なコスチュームで動きづらそうと思ってた。 夢のカードの一環で三沢ハンセン組とか2000年に田上ベイダー組とかあったけどこういう四天王×外人の組み合わせタッグで他に見たかったのある? その田上&ベイダーの大阪府立体育会館 主催者発表3600人
酷いね… >>716
大阪は四天王全盛期以降客入らんかったね。 >>716
田上が何でもないローリングエルボー1発で負けたの悲しかった
田上さんの扱いが悪すぎるよ・・・ テンタの相棒のタイフーンもババの名前名乗ってなかった? 「三沢、小橋、川田の三人は何度潰しても立ち上がり向かってきた」って書いてあるのに、
田上に関しては四天王として名前出してるだけだったもんなハンセンの本
良い試合で浮かぶのはウイリアムス相手のチャンカン決勝くらいだな
川田と組んでなんぼの選手だろう >>716
ベイダーウィリアムス組がバーニングから世界タッグ獲った神戸ワールドも客席暗かったけど客入り厳しかったのかね? >>722
正直この頃だったら県立文体でも厳しいと思う。 そんだけ三沢全日本が集客厳しければ、そりゃあ元子は増長するわけだ。逆にもし三沢全日本が続いてたら、その後ののびしろがあったかどうかも想像できない。対抗戦ぐらいしか? >>726
馬場が生きていた頃から、武道館も厳しくなっていたけど、三沢社長が組んだ5大シングルマッチは文句無しの超満員。
それに対して元子は「武道館は三冠戦やらなきゃダメなの!」とグチグチ言ってくるんだから、三沢もかわいそうよ。 >>727
三沢体制、ノーフィアー押し上げたりらFMW勢上手く糾合していって、四天王直下の層分厚くしようとしてたから
ノアなんかやるより、はるかに良い物出来てた気がするな。 全日本の看板という重しが有る中である程自由にやれたらそれが一番良かったのかなと思う。
ノアから全日本になって良くなった部分もあるだろうけど、全体的に軽薄にはなった部分はあると思う。
個人的には三沢社長時代の全日本は好きだったな。 逆だな、全日本からノアになってだ。
やっぱり伝統というスパイスは見る側からしても大きいと思う。 ブロディ スヌーカ ジプシージョー シーク 時代もあったな 四天王以降のレスラーがどれだけ育つのかって考えたら、苦しい感じ。 >>735
ケンタ・丸藤・金丸・石森,杉浦・潮崎くらいか?
潮崎は時間かかったけどw
全員地方で客呼べる知名度じゃなかったけどな。 地方でピンで客呼べるレスラーなんて
どの団体も今誰もいないしな。 >>739
いなくなったねぇ、
チームとしてはロスインゴなんだろうけど。 だからハヤブサ人生が正式に全日入りする世界線が一番ええねん