【パイオニアシリーズ】国際プロレス33【ビッグサマーシリーズ】
光彩とかいうわけわからんクソ株放置が正解ということはなんか運ゲーみたいになりそう
そらハンゲの麻雀をまだやってるになると言ったらジェイクが一人部屋にしてる 一度、小林と木村で日本人同士の金網デスマッチが見たかった >>77
イジメる側とイジメられる側のデスマッチなんか、面白くなるわけがない。
片方だけが「マッチメイカー」という、プロレスラーにとっての生命与奪権を握っているわけだし。 今日は草津木村がコロフバションからIWAタッグ奪取 1973年のグレート草津は本当に強かった
ブックだけど 原とタッグチームを結成して売り出しに協力しようとは思わなかったのか。 >>84
原が国内デビューしたシリーズでタッグ王座から下りて後は実質セミリタイア状態 なんでもかんでも草津を非難すればいいというものではない
浜口・井上にタッグ王座を譲って一戦を退き、原はジュニア王者として売り出そうとしていたのだから
草津がしゃしゃり出たら時代に逆行する 同じ時期に新日では小林が一歩退いた感じだったな
小林は後でその扱いに対する不満を言っていたが、草津は自分で差配できる立場なのに潔かったともいえる >>86>>87
田中メモの79年デビリッシュ・ファイトシリーズの部分見ると全然そんなことないけどな >>88
裏事情はともかく、そのシリーズは放送初戦でストンパーに失神負けのジョバー
その後テレビにはセミ前のタッグで1回出たくらいで、完全に脇に引いていた でも1980年になると
草津はシングルで原に勝ってしまったり
また悪い癖が出るんだよな >>87
自分がヤマハにフォールされてたらもっと潔かった >>86
浜口井上は前年までアジアタッグ王者だったので挑戦者の質も合わせてIWAタッグのアジアタッグ化を印象付けた印象
またその逆が崩壊前後の原井上 田中さんは木村・草津は御大で浜口や井上が切り込み隊長らしいから、草津がヤマハや極道相手に負け役やらないのが防衛ラインみたい。 >>95
馬場鶴田には仕方ないって感じか
それなら木村井上でオープンタッグに出せば良かったのに 草津は鶴田とはシングルやらなかったし、タッグでピン負けもない。草津なりに規準はあるのだろう。 ツートップがそのままタッグ王者である全日本とは重みが違う感じかな 豊登&小林&杉山&木村&草津 VS 馬場&猪木&大木&坂口&吉村
テーズ&ガニア&ロビンソン VS ファンクス&ハリーレイス
やれば凄いことになってただろうな
昔の方が注目度は高かったような気がする。 >>97
75年オープン選手権では対戦している。30分時間切れだった。
中継はなかったが、なかなかの好勝負だったらしい 鶴田草津組はあった。
ブッチャージョナサン組と対戦して
草津がジョナサンのハイジャックバック
ブリーカーに無惨なギブアップ負け! 木村・デストロイヤー対ブッチャー・マードックというとんでもタッグ対決もあった。どうせならマツダ・杉山対木村・草津も見たかった。 小林が80年(昭和55)に古巣の国際に参戦して再度タッグ王者になったが草津や吉原氏とは修復できてたのか >>106
その前のジャイアントシリーズではブッチャー&ローデスというタッグも実現していた。 >>107
吉原とは修復できたからこそ、日本リーグ争覇戦の蔵前大会に出たんだろ?吉原の方は、馬場と絶縁する覚悟で上げたわけだし。
草津はもう関係ないよ。他団体の選手なわけだからイジメたりもできないし、自分が決めたマッチメイクも不可能なんだから。 >>109
小林のIWAダッグ王者復帰戦って、草津はマッチメークしていなかったの? >>110
ブリューワーはその時の乱入で歴史に名を残した印象 というか、小林がよく国際のマットに再び上がる気になったもんだな。
新日のリングでの活躍は徐々に減ってはいたが、役員待遇だったし。 小林が知り合いと電話で話ししていたら、突然草津が電話の相手に代わって「お前今何しているのだ」とか言ったら小林が「お前と言われる筋合いはない」と言って電話をきったから、小林からすれば草津と和解なんてとんでもないだろうな。 草津は昭和の体育会を体現した人物なんだろうな
家来(部下)と親分(上司)しかいない。
オイ! とハイ! の相手だけがいる世界に住んでた。 結局、小林と草津の相性が悪かったんだろうな
他のレスラーは大丈夫なのに小林の性格ならパワハラ体質の草津には耐えられなかったと思う その辺、ラッシャーは草津の性格をもおおらかに?受容できたんだろうかねw
IWAタッグも一番長期保持したし、全日のオープンタッグや全軍激突戦にも参加
このコンビをリアルで見てた世代なので印象も深いのだが 小林がIWAを連続防衛してたころなんだが
それは王者としてbPでいいけど
木村と草津はどっちが格上だったの? >>112
というかそれで一番名前が残ったって意味
一応ヒューバーと組んでタッグ王座に挑戦もしてるんだが >>118
浜口井上がタッグ王者になっても木村草津が最強コンビの扱い ブリューワーはなかなかいい選手だったと記憶してる。
1回だけの来日は惜しい。 木村がワールドシリーズに優勝しても小林のときのロシモフ、ジョナサン、ラシク、ホフマン、ゴーディエンコに比べたら明らかにマリガンでは格落ちだし、予選で草津に負けているからなあ。その頃だと木村と草津に差は余りなかったじゃないか。何せ草津はワフーに小林より先に勝っているし。 木村草津のコンビでIWAタッグ王者だった時はどっちがコールが先だったのか 草津はタッグを組んだ入場時に、馬場に前を歩かせた話は有名だが、あの試合のコール順はどうだったんだろ? 流石にコールで前には出来なかったろうが
あの時は全日本が旗上げ直後で選手も借りておりまだTBSが付いていた国際に立場が弱かったのもありそう 吉原がもっとTV局のいうこと聞いていればなぁ・・・ >>116
それはちょっと違うな
草津は各地の興行主や有力者との酒席での営業(トップセールス)を一手に担ってたのだから
例えば新日では新間や大塚が、坂口らを同道して行なっていた部分を一人でやってた
吉原がそういうことをまったく出来ないから >>134
お得意さん相手に良いところ見せたくてあんなマッチメークしたとかw 生まれた熊本や転居先の三島とかってあまりプロレスの常打ち会場みたいのって
聞かないけど草津の顔で何処かしら興行はできたんだろうか。 >>136
昔は三島市民体育館でプロレスがよく行われてたし、
熊本市体育館は九州で一番多くプロレスやってた。 1973年の草津の戦績を見ると、実質エース級の星をあげている。ただそれでもワールドシリーズの優勝は木村に譲り、小林の離脱後も木村に負けてロビンソンへの挑戦権を譲り。
エース面をしたいのに実際の王者にはなりたくない不思議な感じ。 >>139
ジョバーやる時も自分で決めるんだよ、マッチメイカーなんだから。 勝てば身勝手だと叩かれ、負ければヘタレと罵られる
草津も浮かばれないな エースにはならないくせに負けるのは嫌で
渋々負けるからでしょ ストンパー戦は草津ばかり見せ場たっぷりで素直に相手にやられるわけでもないし、坂口が何時もシンの凶器でマヌケにやられるカッコ悪さを見せるでもないから。いい格好したい人なんだろう。 一応準エースクラスのレスラーが変形スリーパーで締め落とされてリング上で完全失神とか
最大限自分を貶めてのセールと思うが、いい恰好したい人といわれるかね 田中元和
「試合内容では草津がリードしており見ている方にはストンパーは大したことないという印象を与えてしまいます
いかにも最終部分だけ付け足したような中途半端な終わり方で見ている側がバカ負けするような試合でした」 エースは勝ちブックをもらえて美味しいだけではなく
集客の責任が自分の肩にのしかかるから責任重大で負担がかかる。
マードックは「トップは責任重大だし大関関脇クラスの方が気楽でいい」と
思っていた節があったそうだ。
草津みたいにエースの責任を放棄して勝ちブックを持っていくのはタチが悪い。 >>146
田中氏はそういう感想かも知れないが、実際に受けた印象は違う
日プロの時は知らないが、国際と全日でのストンパーのテレビマッチの中では
もっともストンパーの強さを引き出した試合だった >>147
あんなハードスケジュール冗談じゃねえやと言うのもあったろうな >>149
NWA王者の場合だね、会場入りのスーツ着用もまっぴら御免だろう。 そのくせプロモーターの要求は何でも器用にこなしてしまう天才肌 話題に出たスタンパーとシンの対決を見たかった。
70年代末期にカナダで対決実現してないかな。 テーズ戦で勝ってたら草津はエースから逃げられなかった
ああいう結果にしてしまったので草津は好き勝手にやれたとも言える