【アックスボンバー】昭和の新日本プロレス50【三叉槍】
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ボック対木村健悟の試合は新日のベストマッチ
これ程興奮した試合は無い Twitterで見た木村健悟が猪木に調子こいて攻めてキレた猪木に反撃されて肩固めで締められタップしてる動画は面白かったw 栃木の小山ではブロディとのシングル
結果は言うまでもないが一度はイナヅマを決めたそうだ 藤波ってブロディとのシングルは年末しかやってないんか
他の選手はやってるし猪木なんて飽き飽きするほど続けてたのに >>760
荒川のギャグ関節技路線って使うのが荒川だからパチモン扱いされてたけど
実際は理に叶った物が多いんだよね
市役所固めなんてザックが披露したりルチャドールがジャベだと称して使ったりすれば
説得力が感じられる形の技だし
まあサラ金固めは力任せ過ぎてちょっと...だけど アンドレ、ハンセン、ブロディ、ホーガンの全員とシングルマッチの経験がある日本人レスラー。猪木、藤波、坂口、キムケン、谷津、タイガー戸口。 新日本プロレス史上最高のトンパチはやはり橋本真也なのか、ドン荒川は実はそうでもなかったって話だし
全日本はトンパチなレスラーの話題あまり聞かない気がする? トンパチって言葉聞いたのはテリーだかマードックだかを称したときに
レスラー界じゃそう呼ばれるって話を読んだ気が
登場人物考えるとジョー樋口の連載だったかな、その辺記憶曖昧だけど
橋本はトンパチだけど「でも頭は悪くないんだよな」って蝶野の言うことに武藤も頷いてたし、
その辺常におかしいだけじゃまあトップクラスにはなれないかねと ANN、古館の番組とか当時、新日本のレスラーがよく出てたけど荒川は一度もなかったな。キャラは面白いのにそういうところに出ないのは、あんまり売り出す気はなかったのかと。それから、高野俊二が猪木とケロと一緒にANNに出た時は20そこそこなのに、場馴れしてる感じで驚いた。 新日道場はシャレにならない事のオンパレードだが笑い話で済ませてしまう恐ろしさ。
更には武勇伝かの如く語り継がれる異常さ。
狂ってんな… 破壊王・橋本真也からピンフォールを奪った強豪レスラー・木村健吾
○木村健・山田・武藤 (イナヅマ) 星野・小杉・●橋本
この試合は面白かった。 >>810
そういえば8.26オールスター戦は、荒川vs奄美のシングルマッチが武道館の舞台で実現したんだよな。 >>793
チャボに負けてインタージュニアのベルト取られた試合を挙げたいな
最後にリングアウトになった場面が、いかにも力尽きたって感じがした >>795
ダブルでなく藤波が健吾のNWAインタージュニアに挑戦 >>812
あの試合見て、健吾はチャボ、キッド、ステイーブカーンあたりには勝たしてもらえないんだろうなと子供なりに思った >>778-779
藤波はミッドアトランティック地区でもメキシコでも最初はヒール/ルードだった
リングネームが当時検死官として有名だった(その名声故関係各位から嫉妬混じりの中傷にも晒されていた)
トーマス野口に肖ったドクターフジナミ(フヒナミ)だったし
ところが顔が良過ぎて女性人気が上がり過ぎたからフェイス/リンピオにすげ替えられたんだよアメリかでもメヒコでも
メキシコでは先生や“センセ”っぽい響きのリング・フヒナミに改名させられていた >>782
アニマル・ウォリアーは「グローバルハンマー」と命名してたけど。
「アックスラリアット」もダサいか? チャボ・ゲレロの名が出たけど、当時のチャボはスピード、技の切れはよかったしラフにも強かった。
もし、チャボが新日本プロレスに残っていれば初代タイガーマスクと歴史に残る名勝負があっただろうな。 >>816
メキシコ遠征した越中、三沢も本名でファイトしていたけど地元のファンがなかなか名前を憶えてくれないので
越中は「サムライ・シロー」三沢は「カミカゼ・ミサワ」と名乗ってファイトしていたね。 ブロディのシングルマッチの相手は木村健吾、高野俊二が多かったような気がするけど。 ブルブとぉスパマのヒラジュンの試合もぉ見たかったかんな。
ブルブとぉワカマのぉストマ軍団っちゅう異次元対決、異色対決だぞぇ。
まぁブルブがぉーシンニプロ初登場ん時にぃヒラジュンの1号とワカマはぁ仲間割れだしぃ。
そっからぁ1号はぁストマ軍団抜けてもぉたんよぉ。 1978年10月、藤波と鶴田が新日本プロレス道場で合同練習をしていたという事実。
当時の東スポは見ていた。 >>805
猪木に決まってるだろ
アクラムとパク、敵地で地元のヒーローに勝ちを譲らないどころか怪我させるキチガイ 武道館でリングに戻ろうとするチャボの足を引っ張り両リンに持ち込んだ健悟にはストロングスタイルの欠片もなかった。 >>819
その2人はめきでジャンピング・ボンバーズだ
これまた超ダサい 荒川さんは人誑しで人脈が凄かったんだよな、新日道場は田園調布に近い
ミスター長嶋茂雄と知り合いになりたいからとミスターの朝のジョギングコース調べて、同じ時間に走るようにして
長嶋さんおはようございますとか言いながら偶然装い話かけ、やがて意気投合したんだよな >>808
たとえば橋本にしても
ヨーロッパで試合したとき最後に全選手でセレモニーやるからシャワー浴びるなと何度も言われたのに浴びてしまい
呼び出されて泡つけたままバスタオル巻いてサンダル履きで出てきた
ぐらいの害のない話は好きなんだけど まぁ猪木が稀代の人たらしだからなあ、力道山は猪木に厳しかったが、実の息子のように可愛いがってもいた
大の猪木贔屓で有名だったテレ朝の三浦専務、猪木の保証人になった佐川急便の佐川会長、福田赳夫総理も猪木がいたくお気に入りでいきなり会場に来て驚かせたりした >>793
千歳市スポーツでの天龍戦だろ
何度も天龍を追い詰めて結局は負けたけど勝った天龍は控室でのびちゃったからな 猪木は太陽のような笑顔で接するし
気前よく奢るし。ビジネスの話にさえならなければ
相手は上機嫌になる。 鈴木みのるに軍手買ってこいって
10万渡して、みのるが釣り返したら
なんだ取っとけと言ったんじゃなかったか。 全日中継で流れてた日本テレビスポーツのテーマ、あれみんな好きなの? ただ猪木って信者やファンは多いけど、友達は少ない
というかほとんどいないような気がする。 >>834
馬場に鶴田にデストにブッチャー♪って歌詞で歌われていたよな。やっぱり全日はあの曲で、新日はこの曲が一番好きだった。
https://youtube.com/watch?v=dsCarocaEvY >>836
うちは
猪木、ボボ・ブラジル、馬場、ブッチャー♪ >>834
好き嫌いはともかく、認知度は全局のスポーツテーマでもNO.1じゃないの?
他の民放はもちろん、NHKのスポーツテーマよりも間違いなく上 TBSのスポーツテーマも月曜夜7時のキックボクシングのOPに使われて有名。
ちなみに後番組はクイズ100人に聞きました。 >>838
冒頭アップテンポ過ぎてなかなか入りづらいが
「スポーツTODAY」「世界のプロレス」でおなじみのテレ東のやつ >>839
「コバルトの空ね」。いい曲だと思うけど、だいぶ前に他の曲に代わったから
今の若い連中は知らないだろうね。
その点日テレのテーマの凄いのは、今でも使われているところ
自分は見たことないんだが、TBSの国際プロレス中継でも「コバルトの空」が
使われてたんだろうか >>834
曲の前半は巨人戦中継で知ってたけど
後半のメロディーは馬場の入場の時に初めて聞いた >>840
国際プロレスアワーのオープニングかな?これは私も大好きな曲。でもテレビ東京ではなくて、東京12チャンネル時代だけど。
https://youtube.com/watch?v=XIL3Pb0kHGI >>836
スタンダード版「馬場に猪木に鶴田にブッチャーーデストロォイィヤー」
京都で聞いた版「馬場に鶴田に猪木に大木ぃ、デストロイヤーブッチャー」 ワールドプロレスリングのオープニングはこれも懐かしいな。この曲のころが新日の黄金期だったイメージがある。
https://youtube.com/watch?v=g3R_WnEjI1I >>847
これはアレンジしてあるけど、最初は原曲のままだったんだよね。原曲のままだとさすがにワールドプロレスリングには似合わない。
https://youtube.com/watch?v=XNQsuzGAWoA 番組終了の時に流れるのはこっちのバージョンだったな
しかしどこのテレビ局もスポーツテーマは似たような雰囲気出してるんだね >>843
そんな古かねえってw どこがアップテンポなんだよ >>847
トランペットの3連符3連発がカッコいいな 1970年代、アメリカは夢の国でそこからやってくる強豪プロレスラーは皆強そうに見えたなあ
馬場の全日にはNWA王者もデストロイヤーもマスカラスもファンクスもブッチャーもいて、猪木の新日にはタイガー・ジェット・シンしかいないw
そんな不利な状況でも様々な仕掛けで人気集めた猪木の行動力とカリスマ性は大したもんだった ブッチャー1人が出場してれば、第1回IWGPは大成功だっだんじゃないかね?
個人的に
猪木、ラッシャー木村、アンドレ、ホーガン、ブッチャー、かネック、マードック、スーパースター、キラーカーン、ウェインブリッジ、オットーワンツ
こんな感じで良かったんじゃねえか? >>842
あれは歌詞がある。
馬場に鶴田に猪木にブッチャー。そして藤波辰巳〜 その前後のシリーズの外人どうすんのw
やはり前田を3位ぐらいにすべきだった >>853
そりゃごった返す新宿伊勢丹デパート前で白昼に
襲撃警察沙汰になれば興行試合で凶器攻撃するより遥かに
宣伝効果があるからな。
しかもコスト0で。 >>854
第1回IWGPはあの面子でもほぼ全ての会場超満員だったんだから大成功でしょ
決勝戦はプロレス史に残る試合だったし。 決勝戦は前田が身代わりに救急車に乗るという
ハプニング >>846
この頃までの各局のスポーツテーマとイメージ違うので
子供心にこの曲の印象残ってるな ブッチャー連続参戦させて、WWFから週替わりでバックランドとかバレンタイン辺り参戦させれば良かったんじゃない?アドニスなんかもいたし >>854
アンドレをカナダ代表ではなくてヨーロッパ代表として出場させて
翌年ヨーロッパ代表で出場したビッグジョンクインをカナダ代表で出場させれば良かった。
なぜかフランス人のアンドレがカナダ代表、カナダ人のクインがヨーロッパ代表だった不思議。 >>859
だったら アックスボンバーの身代わりになるという展開もアリだったのではw
ウエスタンラリアートに比べたら屁みたいなもんだろ >>859
猪木が担架で救急車に運ばれる写真もあったのに何であんな事言ったんかね。 >>836
新日正規軍vs維新軍団 5対5勝ち抜き戦のときに
維新軍団入場に初代曲が使われた。
第1回ヤングライオン杯出場選手入場にも使われた。
5対5勝ち抜き戦で正規軍入場には3代目曲の朝日に栄光あれが使用された。 >>866
馬之助が泉谷よりタレントとしての格が上みたいで面白い。
あと、ユニーで新日のチケットが買えてたというのに驚いた。 >>864
昔の仲間のちょっと盛り上がったヨタ話に自分も絡みたくなった >>866
1978 NET は1976年じゃない? ファンの本音からすると中南米代表なんていらんし、
ボックがダメになったからヨーロッパ代表もいらんかった。 ヨーロッパはもともと強豪がいるイメージだったんだけどねえ
日本での格付けが維新軍台頭からおかしくなったけど
カネックは本国だとアンドレとも渡り合えることになってるし
あとは西アジア代表でブッチャーやアイアンシークを出す手もあったな ヨーロッパ代表:前田がよく嘲笑されるが、ディノ・ブラボーの代役がラッシャー木村と言うのも・・・ でも前田はオーンドルフを一蹴したくらいだし、期待は結構あったと思う。
のちに藤波や長州以下にしたからおかしくなっただけ。
やっぱりサマー以降の前田のポジションがヨーロッパ勢の格を下げた感が強いな。 明らかに体格的にもパワー的にも上の前田を藤波や長州の下にするのは不自然感があった
それくらい猪木戦までの前田のスケール感は凄かった >>872
トーナメントをやったんであれば2位3位が存在するはずなんだが。 >>871
カネックはまだしもエンリケ・ベラって… ヨーロッパ代表が前田で、結局招聘できなかったんじゃねえかと。
ロビンソンまだ現役だから引っ張って来れなかったのかよ。 第一回からIWGPは
新日本チャンピオンだったんだよな。
世界王者じゃなかった。 世界の強豪を集めて王者を決めるはずが
話が違ったガッカリ感 リーグ戦で番狂わせが続出とかならまだしも、結局三強が順当に白星重ねただけだったからねえ
前田が大穴になるかなって期待は開幕前にあったけど >>870
だからこそアンドレをヨーロッパ代表にしなかったのが不思議。
ガチのヨーロッパ人なんだし。
三強の猪木、ホーガン、アンドレがそれぞれ日本(アジア)、アメリカ(北米)、フランス(ヨーロッパ)にばらければ世界感を出せたのに。 仕方ないけど世界感ってよりWWF感しかないような… >>875
ヨーロッパはハノーバートーナメントで決めた
優勝Oワンツ 準優勝前田 そして3位は・・・なんと、あの、 木村健吾!!
なんでワンツが負傷帰国したあと代打で健吾ださなかったんだろう? 中南米代表は必要だったと思う。
プロレスは盛んで日本での認知度も高かったから。
例え白星配給役でも、サッカーW杯でのアジア代表みたいな位置付けで。 ワンツが帰国したのは本当に負傷が理由か?
最初から短期間の契約だったのでは?
ブラボーの「自宅に泥棒が入ったから不安で」というのは、
恐らくただの空き巣ではなくもっとヤバい話だったんだろうけど。 >>877
全日で負けない扱いを受けていたロビンソンが、ワンツみたいな白星配給役の仕事なんか受けるわけないだろ?
それともアンドレやホーガンや猪木と引き分け扱いが続いて、ロビンソンに優勝争いさせるのか? >>886
仮にも世界に乱立する世界ベルトを統一する大会だったんだぞ。
大人の事情抜きで書いただけさ。 >>887
大風呂敷を広げるだけ広げて、開幕戦を迎えたら「MSGシリーズとどこが違うの?」の失望感満載だったからな。 >>888
いや、MSGシリーズの方が豪華だった、メンバーだけ見ると「ビッグファイトシリーズ」。
それに技巧派が1人もいないもんな。 IWGPは企画倒れ、あれはバカみたいに時間掛け過ぎもったいぶって失敗した
昭和55年春に発表して開催が3年後だからな、その間にハンセン移籍、ボックは消え、ブッチャーもダメになった
何より当事者の猪木が糖尿病による体調悪化とハイセルで借金増やしまくりでめっきり元気がなくなった
大体IWGPって何だったのか?プロレス真の世界王者ってコンセプトは良かったが具体性が乏しかった IWGP決勝リーグは例年のMSGシリーズと同レベルの参加者だったセコさは今でも笑える。世界が付いたのは令和になってからだし だからこそ最後のアクシデントが必要だったとも言えそう 初代優勝のホーガンがWWF王者になって全米侵攻があるから
「IWGPなんてどうでもいい」になっちまったのも何だかなだった
結局はWWFより下じゃねえかと IWGPは全日のPWFみたいな新日本部で管理運営する組織で良かったんだよ
当時の新日は世界屈指のプロレス団体だったからな、そこが認定する世界王者でなんら問題ない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています