【アックスボンバー】昭和の新日本プロレス50【三叉槍】
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ブロディ・スヌーカが参加したタッグリーグも本当はアンドレ・スーパースター組とマードック・アドニス組が参加予定だったんだよな
実現していたら凄いリーグ戦だった
WWFの都合でアンドレとアドニスが不参加になって残ったマードックとスーパースターのコンビになったけど そういやアックスボンバーをホーガンと共同開発して名付けたのはピーターと山本小鉄って話だけどウェスタンラリアートは誰が命名したんだろう 本人の希望通り、ホーガン・ハンマーのほうがよかったのに >>75
あと長州の3部作もあった(これはのちに復刻された)
旗揚げ戦を撮影したことといい新日は映像で記録を残すことに昔からこだわってたような気がする >>76
回転エビ固めか。
確かに長州がスタッドにリキラリアットやサソリ固めでクリーンに勝つのは説得力が無いからな。 >>79
そもそもアックス・ボンバーって和製英語で変だね。
斧爆撃機って意味不明。
アメリカでのフィニッシュはギロチンドロップでアンドレに勝った時もそれだった。 長州はドロップキックやジャーマン出来るから技は持っているけど、トップレスラーになってからは攻めるスタイルで人気が出たから受けに回るとイマイチ あの身長で攻めのスタイルだと大型外国人相手には苦労するわな。
長州・浜口vsザンビアエクスプレスの時痛感した。
正直あの試合見て「ザマーミロ、もっと維新軍にも強い外国人と当ててこういう風に苦労させてやれよ」と思った。 >>84
両国国技館こけら落としの試合も、新日移籍を決めていたブロディに子ども扱いされていたよね。
「お前なんかには何もさせない」って感じのブロディもオトナゲないけど。
https://youtube.com/watch?v=64nV0hDMDlk そう、長州浜口は極力アンドレやホーガンとの対決を回避されていたんだよね。
タッグリーグのエキジビションだってアンドレと戦ったのは藤波前田。
>>81
スタッドの途中帰国は、長州相手に負けさせられたことへの不満もあったかもしれないね。 >>85
夏に藤波とブロディのシングルが組まれなかったのはブロディがそういう行為に出ると予測していたんだろうか。 >>84
他の三人も乱入した時点で維新軍は実質終わった
マズイと見てか藤波も乱入して注目をすり替えたが >>86
長州はともかく浜口はアンドレやホーガンとテレビでやった事は無かったか >>86
でもあのタッグリーグのエキシビジョンで長州・浜口はマードック・アドニスとやった。あれもバイオレンスコンビに一方的にやられたイメージで、vsザンビアエクスプレスの時と同じように「ザマーミロ」と思ったな。 国際時代ならって話だが、浜口アンドレ。
レイキャンディもそうだし、マイクジョージ&ボブスウィータン戦とかホント体力負けって感じしかなかったな。 >>91
そう言えばキャンディは国際に1回来たんだったな。テーズ杯の予選勝ち抜いたが、その後に国際が倒産してしまった。 >>86
スタッドのWikipediaにもあるけど、帰国後2日後には試合出てるから負傷ではないし
そういう理由でもないよね。ワンツも当初から途中で帰るようになってたんだよな。
当時のプロレスメディアでも如何なものか?という意見はあったね。 >>87
ダイナマイト・キッドは
「意外に思うかもしれないがフランクはとても紳士で俺にはいつも良くしてくれた」と回想しているし
ブロディは「私は藤波をミゼットとは呼ばない」と言っていたしチビだから全てNGじゃないらしい。
かと言って藤波相手の負けブックは100%拒否しただろうけどね。
ブロディが露骨に悪意がある試合をしたのはマスカラスと長州。 最強でブロディとマスカラス一緒に呼んだのは馬場さんの思惑だったりしてw ブッチャー引き抜きは痛恨。
あれでハンセンが引き抜かれ一気に凋落。 >>90
しかし公式戦では長州組はマードック組に反則とはいえ勝ってるんだよな。
一方でライバルの藤波前田組はアンドレ組、猪木組の敗戦がオンエアだ。
83夏以降で長州浜口組が反則以外で負けたのってテレビではないんでないかな。 >>97
最近の説ではハンセンの硬い攻めに耐えきれなくなった猪木側から持ちかけたとの話もあるね
結局馬場と猪木って全日新日を共同経営してたみたいなもんなんだよなあ >>99
長州、浜口組って健吾に勝ってるとこしかみたことないような気がする。オンエアされているタッグマッチの負け役ってヘビー級だと健吾ばかりだからか笑 馬場と猪木がホテルで偶然会ったフリしてそのまま密会してて、2人ともニコニコデレデレだったって新間や大仁田も言ってるんだよな
言うても2人は兄弟みたいなもんなんだよな >>101
それは言いすぎだw
バディ・ローズにも勝ってるぞ。
>>102
韓国のプロモーターで馬場そっくりのパク氏が外人控室にいるのを見た若手が、
馬場が来ていると勘違いしてみんなで挨拶に行ったっていう話があったねw >>81
90年代の話だけどラリアット連発でベイダーやノートンにフォール勝ちは説得力なかったな
その点三沢のエルボーは上手くやってたと思う >>99
反則の勝ちだから逆にマードック組が決勝進出 >>105
マードック組が長州組に実力通りに圧勝して決勝進出してほしかったよ。 >>103
正規軍なら健吾ばかりでしょ。藤原は反則絡みばかりだし、木戸はテレビ前が多い。前田に負け役をやらせる事もあったけど、ふて腐れてた感じだし笑 >>104
平成以降のスピードが落ち更にアキレス腱断裂と体重増加で走れなくなった長州と
動きキレッキレだった(多分)97年頃までの三沢とを単純に比較されても
ただ長州も加齢や体調に合わせて試合スタイルを変えるべく試行錯誤するべきだった事には同意 スティーブウィリアムスも新日(というか猪木)では持て余してたしな >>100
へー、そういう話もあるんだね。まあ翌82年から猪木は怪我や持病で欠場多くなってきてるし、あながち本当かも >>110
ハンセンはど近眼で加減が下手くそなんだよな
アメリカでも硬い攻めで嫌われてた >>99
夏以降というのがいつを指すのかによるが、
猪木の復帰戦(vsラッシャー)の特番でvs藤波・前田で
藤波の回転エビ固めで浜口がフォール負けをしている。 >>111
あー、ハンセン自身の問題ね。でも全日ですっかり定着できたし転出はおおむね正解なんだろう。 >>113
ハンセンも気にしてNWAスタイルでやるのかと聞いたら新日本でやってたようにやってくれと言われたとか 猪木の名勝負を挙げるとなった場合、対外国人と対日本人どちらを挙げる人が多いのかな
時代的背景もあって対戦カード自体は対外国人のが圧倒的に多いだろうけど、名勝負となると票はそれなりに割れそう 前者はロビンソンで後者は小林との初戦というのが多そう >>116
猪木本人はロビンソン戦を一番には挙げないんだよな。
猪木としてはプロレスで一番快心の試合はドリー戦で
最高のライバルはシンだとか。 猪木的にはロビンソン相手に思う様な試合運びが出来なかったからかな? >>117
タイガー・ジェット・シンはあの当時のまだ勢いのない新日本をめちゃ稼がせてくれた救世主的存在だったから、みたいなことはピーターも言ってたね
だから猪木がシンを最も印象深い対戦相手に挙げるって >>112
サンクス。見てないかなんだか、ともあれ記憶になかったわ。 猪木vsアンドレで反則以外で決着がついた試合って
1、格闘技世界一決定戦として行われた試合で猪木のレフェリーストップ勝ち
2、猪木がギブアップ勝ちした試合
3、85年IWGP公式戦で猪木のエプロンカウント勝ち
4、坂口とフランクバロアが戦い始め、アンドレが坂口を追いかけていってリングアウト負け
5、フランクバロアが猪木の足を掬って、そこにアンドレがジャイアントプレスを決めてフォール勝ちした試合
6、2の近い前後に何かのトーナメントでアンドレの勝ち
まだまだ有るはずだが。 >>122
場外でカナディアンバックブリーカー→リバーススープレックスで返してリングアウト勝ちってなかったか?第1回MSGシリーズ決勝かな? ジャイアント・マシーンがワカマツの援護受けてフォール勝ちはある >>125
生中継に収めようと無理矢理決着つけたせいで会場が暴動寸前になったみたいね。 >>125
>>126
大木も猪木相手に秒殺リングアウト勝ちってあったよね。蔵前でのワールドリーグ開幕戦だったかな?
猪木が目当てで会場に来たファンからしたら、ああいう結末は「金返せ!」って感じるだろうな。 >猪木が目当てで会場に来たファンからしたら、ああいう結末は「金返せ!」って感じるだろうな。
そういうことならもっと酷いのは84年の3月だったと思うが
猪木が試合前に維新軍に襲撃で試合が出来なくなり、坂口に代わったやつ。
あれは猪木がよっぽど体調悪かったのかな?
確か翌週の中継も欠場だったはず。 対ハンセン戦の戦績という視点からいえば、あきらかに猪木>馬場となってしまうわけだが
馬場的には何の葛藤もなかったんだろうか。 >>128
坂口と谷津がテレビで当たったのはあの時だけか >>128
坂口と谷津がテレビで当たったのはあの時だけか >>129
全日本に来た時のハンセンはむしろアンドレと名勝負をやったハンセンの印象だからな
あれが無かったらまた扱いも違ったかも >>128
この試合の前日は大阪城ホールで初めてのプロレス開催だった
この大会って観客多かったのかな >>129
馬場自身はハンセンとの試合は楽しんでおり「負けても口惜しくない相手」とまで讃えている。
ヘンな話、馬場が初シングル戦でフォール勝ちしていたらファンの興味は半減し、ハンセンの商品価値も落ちていただろう。
それは超獣コンビの商品価値にも直結するから、ハンセン、ブロディに立ち向かう馬場、鶴田、ファンクスという図式を維持することが商売になると踏んだのだ。 >>134
馬場はキニスキーとかブルーザーとかハンセンみたいな真っ向勝負の相手を好んでたんだよな
その意味でブッチャーはあまり格好の相手ではなかったらしい >>129
残念ながら名勝負という視点になれば馬場>猪木になってしまう >>135
>キニスキーとかブルーザーとかハンセン
>みたいな真っ向勝負の相手を好んでたんだよな
>ブッチャーはあまり格好の相手ではなかったらしい
ブッチャーも真っ向勝負型だと思うが?
そうだとしても、キニスキー、ブルーザーは、
もう日プロ時代(〜72年夏まで)のライバル、まぁ全日時代も対戦したが
すでにピークは過ぎていた。そしてハンセンは82年以降、
全日の72年秋〜81年の馬場の相手は主にブッチャーだった。
格好の相手ではない選手と8年も抗争を繰り返したことになる。
あとレイスやドリーか?彼等こそ、真っ向勝負型ではないだろ? ハンセン離脱はかなり痛かったろうけど、それによって新日マットは誰でもラリアットを使用できる状況になった
長州は迫力不足を連発式で魅せ、ホーガンはただ真似るだけでなくエルボースタンプとの合体フォームでオリジナリティをアピール
ラッシャーは得意技が一つ増え、アドニスオートンは仰天ツープラトンを発明
特にホーガン長州はハンセン並みの注目選手として格上げに成功し
現有戦力で人気維持に成功した“持たざる者“新日の錬金術
ただし人気選手が一斉に抜けた84年以降はどうしようもなかったというオチもつく >>135
馬場は著書でブッチャーと対戦した期間を「レスリングしなくなった」と自虐していた。
たぶんグラウンドの攻防ができなかったことを指しているのかと思う。
ブルーザーとのグラウンドも想像できないが、キニスキーとハンセンはグラウンドの攻防ができたから馬場的には満足度が高かったのだろうね。 >>139
長州が連発するようになったのは平成に入ってからだけど >>137
そんなわけあるかw
馬場なんてずっと笑われてただろ >>128
1982年に歩くことさえおぼつかなくなって糖尿病で入院した時に
医師から引退勧告をされたからね。
糖尿病は完治しない事に加えて、加齢もあって、もうコンディションは戻らなかった。
個人的には猪木の実質的な引退試合は1983年のホーガン戦だったと思っている。 >>142
いや、そこは認めようよ
猪木ハンセンより
馬場ハンセンははるかに熱いよ
だいたいラリアットを首をかがめてかわすなんて、プロなら絶対やっちゃいけないこと
馬場は100%受け止めてた >>144
だから馬場の試合はつまらない
必殺技はくらったら大変なことになるから必殺技なんだよ
馬場なんて前田のキックをノーガードで受けてしらけさせた上田と同レベル 猪木VSハンセンの方が、馬場VSハンセンよりはるかにスリリングで面白いと思う。この辺りは新日派と全日派の違いかな >>145
でもYouTubeが出てきてアメリカのファンとかが馬場の試合を投稿してるのとか観てると、やっぱり迫力が猪木とは違うよ
そりゃ同日にデビューしても馬場が前面になるのは仕方がない
それほどの開きがあったってことだ
俺らは世代的に馬場の衰えた後しか知らないのと、ギリギリ猪木が健在の時期しか知らないんだこら 猪木VSハンセンはマタドールVS猛牛
馬場対ハンセンは巨象対猛牛 >>147
UWFの使い方でも猪木のほうが圧倒的にセンスがある
馬場のプロレスはつまらない >>149
残念ながらプロレスのセンスでも馬場が一枚上かな
ハヤブサや人生といきなり6人タッグになっても馬場は本当にプロレスがうまい >>150
それはハヤブサや人生がうまいだけ
猪木は前田みたいに不器用なレスラーも強豪に仕立て上げた
猪木のほうが圧倒的に上 >>148
ハンセンを猪木が調教したから、馬場はハンセンと好勝負ができたんじゃないかな。
猪木からNWFを奪取したころのハンセンの暴れっぷりは馬場じゃ制御できない。 晩年の馬場しか知らないけど本当にしんでしまうのではないかと心配になる演技力だったけど、猪木のは何となく白々しいなと思って見ていた。毎週45分に逆転するし。渕さんの本読むと馬場は猪木の演技を真似しろと教えていたそうだが 全日移籍して馬場と対戦したハンセンによって落ち目と見られてた馬場が蘇った、と当時評価されたらしいね
新日に居続けても早い段階で日本人対決の波で下の世代の格上げのために使われてそうだし、あのタイミングでの全日行きはハンセンにとってベストだったのかもね 転生したら昭和中堅レスラーだった件・第1話〜第5話 85IWGPタッグリーグ幻のフルメンバー
猪木&坂口
藤波&木村
ナガサキ&ポーゴ
ブロディ&スヌーカ
マードック&アドニス
アンドレ&スーパースター
カネック&ドスカラス
ヒギンズ&バーバリアン 85アイダブタグリでぇハルホーがぁー参戦しちょればぁ凄かったぞぇ。
そぉなりゃあシンニプロレの歴史ん残る大会んなっただろぉしぃ。
しかしぃハルホーはぁダブエ王者んなっちょったからぁフル参戦もぉ無理だったらかんな。
しかもぉシンニプロレとダブエはぁ契約がぁー切れちゃったんよぉ。 >>157
これ実現してたら凄かっただろうね。
アンドレとスーパースターはマシーンでの参加だったんだろうか? >>55
おじいちゃんリアルタイマーじゃないけど、
あの時代のホーガンが一番輝いていた
魅力的だったって人多いぞ >>138
ブッチャーのプロレスはむしろ間合いと緩急だと思う >>148
馬場とハンセンの初対決で一番繰り返される場面は序盤の十六文
あれに馬場ハンセン戦の醍醐味が一番出ていた >>151
見てねーだろ
馬場最後の東京ドームの試合
馬場の最後の輝きだったわ
新日ファン、いや猪木オタは馬場という名前が出るだけで攻撃的になるからなあ
BI砲と言ったところで、10年間馬場が上だったことへのコンプレックスじゃねーか
認めたくないのはわかるがもういい爺さんだろ、お前らも シンニプロレでぇハルホーとブルブの試合はぁ見たかったかんな。
ブルブのシンニプロレ移籍で実現するっちゅうにぃ期待しちょったぞぇ。
ハルホーやアンジャやマエアとの試合はぁ見たかったんよぉ。 >>168
そう、パンフでは組み合わせこそ変わっていたが選手の説明文は猪木藤波と坂口木村だった。
前年のファン投票で見たいタッグマッチの第一位が猪木坂口vs藤波木村だったし、
藤波木村は新日限定とはいえインタータッグのチャンプでもあったんだから、
この組み合わせで行くことが本来の姿だったはずだよな。
もし当初の予定通り猪木藤波と坂口木村だったとして、
決勝でブロディ・スヌーカがボイコットしてしまったら、
決勝戦は猪木・藤波vsマードック・スーパースターってことになってたわ。
これだったらいくら大人しい仙台のファンでも激怒したのに違いない。 >>152
当時のハンセンはまだバタバタした動きだった
最終的にハンセンをスーパースターにしたのはやはり田コロのアンドレの印象 86年IWGPでのアンドレvs藤原ってどういう試合だったのかね? >>171
この年のリーグ戦では他にも坂口対藤原、前田対スヌーカ、猪木対ワラスなど見てみたいカードが多かった
あと名古屋での藤波対上田がやったとしての結果が気になる >>171
アンドレが藤原になんか挑発されて場外に追って行って
両リンに持ち込まれたみたいな展開だったかな
すぐ終わったのと、その前の高田vs越中が消化不良なのが残ってて
記憶が正確じゃないかも >>173
それだったらツマラン試合だな。
ワラスといえば、柔道時代に山下から幻の一本を取ったんだよな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%82%B9
新日も全日もプロレスマスコミもワラス本人もなんでそっちを強調しなかったのかね?
当時山下ってロス五輪の後で国民的ヒーローみたいな感も有ったから、
「山下から幻の一本を取った男!」は凄いアピールになっただろうに。 坂口が猪木をアトミックドロップの体勢から股間をトップロープに打ち付けてリングアウト勝ちしたのは、猪木がシリーズ中に写真週刊誌に女性との密会写真を撮られたバツの為とかホントかね。 >>173
もしアンドレ−ブロディ戦が組まれたらワカマツに挑発されたブロディがリング下に降りて、
そんな感じの消化不良の試合で終わる予感しかないな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています