【アックスボンバー】昭和の新日本プロレス50【三叉槍】
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>>355
木戸と組んでハンセンとハンディキャップマッチとかある。 渕「全日本プロレスは入った時からサブミッションスタイルだった。ウチは馬場さんの性格もあって言わないでしょ」
渕「今だから話せる事だよな。フロリダで鶴田さんとゴッチを合わせて、スパーリングをやったんだよ」
ーゴッチとジャンボがスパー!!
渕「うん。ただな。」
ーな、なんですか?
渕「ゴッチ信者には申し訳ないけどな。。」
ーいえいえ、お願いします!
渕「一緒に練習した俺から言わせてもらうと、鶴田さんの方が強かったと思うよな。ゴッチが「ユー・ストロング」って一生懸命言ってたしな」
https://imgur.com/a/JOocNwF
https://imgur.com/a/bJ7YCux
https://imgur.com/a/wi5ylVm 金曜夜8時マン、今までも嫌みを書きに来ていたのは知っていたけど
ついに放送時間帯の話まで持ち込んできたか
こいつは昭和全日スレでも
「全日が金曜8時に放送していたなら、デストロイヤーがタイガーマスク並みのヒーローになって人気番組になった」
と主張して向こうのスレ民からもキチガイ扱いされた超問題児 そこまで書く気はなく潮時と思ってたが、
デストロイヤーの話を持ち出したのはそっちだからな。
当時全日が金曜8時で新日が土曜8時だったら
全日はお茶の間の人気者デストロイヤーで
圧勝してた。 デストロイヤー
昭和全日を知らない奴は
デストがいかに国民的にお茶の間で大人気だったか知らないのさ。
力道山亡き後の圧倒的な日プロエースで外人レスラーより
デカい208センチの我らがジャイアント馬場だ。
そして馬場に引けを取らない194センチで躍動感あふれる若大将 ジャンボ鶴田。
ジャイアント馬場 対 ザ・デストロイヤー
デストが敗れて日本陣営入り。
対アブドーラ・ザ・ブッチャー
ジャンボ鶴田 対 マスカラス
対アブドーラ・ザ・ブッチャー
何より、日本の馬場、鶴田のデカい師弟コンビが凶悪外人レスラー
ブッチャー、シークを迎え撃つ。
そしてデストロイヤーの影響は甚大だ。 ザ・デストロイヤー
リング上だけでなく、歌手の和田アキ子がMCを務める日本テレビ系『金曜10時!うわさのチャンネル‼』(1973年10月〜1979年6月)にレギュラー出演し、お茶の間の人気も獲得した。
以下引用
「『うわさのチャンネル』に出てから、さらに人気がすさまじくなってね。毎年夏になると麻布十番で『納涼祭り』があるんですが、そこでデストロイヤーが試合会場と同じようにサイン入りの覆面を売ったら、1日の売り上げが100万円くらいになったのかな。飛ぶように売れたから、デストロイヤーには『ここでこんなに売れるんだから、試合会場ではもっと売れるはずだ』とハッパをかけられましたけど(笑)」
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『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(きんようじゅうじ うわさのチャンネル)は、日本テレビ系列局で放送された日本テレビ製作のバラエティ番組。和田アキ子とタモリが最初に共演した番組でもある。製作局の日本テレビでは1973年10月5日から1979年6月29日まで、毎週金曜 22:00 - 22:54 (JST) に生放送。遅れネット局では録画放送。
初回(1973年10月5日放送分)の視聴率は4.7%だったが、和田アキ子とザ・デストロイヤー、せんだみつおらの掛け合いが人気となり、1か月も経つと20%を突破[1]。井原は後年「この番組がヒットして正直ホッとして胸をなで下ろした」と述懐している。
全盛期には視聴率30%を超える人気番組となった うわさのチャンネル デストが清水國明にドロップキックとボストンクラブかけられる!
https://youtu.be/rfWOcKYNJII
うわさのチャンネル 和田アキ子が女装下着姿のデストにハリセン!
デストが西城秀樹と徳光アナに足4の字!エアープレーンスピン!
和田アキ子、せんだみつお爆笑・大人気!
https://youtu.be/oyZ5S6URNSg
うわさのチャンネル 和田アキ子とデスト人気者!
https://youtu.be/C1utVWKfdyQ
うわさのチャンネル デストの隣が和田アキ子!
https://youtu.be/-I-Ko22Y44w
和田アキ子 デスは同志みたいな存在!
https://youtu.be/VdXBr-eMxpg 知名度ランキング
猪木 81.5% 馬場が足元にも及ばない王や長嶋よりも上
武田鉄矢 87.8%
石原裕次郎 71.2% 死後もランクインの超有名人
郷ひろみ 76.0% 沢田研二は圏外
萩本欽一 69.9% この人、何の芸も無いから
馬場は圏外、ガッツ石松より無名な事が確定
馬場なんかがドリフに勝てる訳無かったという事。
猪木は武田鉄矢や石原裕次郎という強力なライバルと毎週切磋琢磨した。
数字は嘘付かない。
馬場信者は息しながら嘘ばかり付く。
https://mattaridoudesyou.com/?p=11844 >>363
それで?いまの知名度だろ。
没後20年以上経った人と比べるのはフェアじゃないと
言ったはずだが。
こっちはあくまで当時の全日と新日のテレビ視聴曜日時間
についてを書いてるんだが。
別な争いに持ち込むのはよせよ。 >>358
板橋のタイソンを自称する障害持ち
猪木ヲタだが金曜8時マンにもなりすます
気持ち悪いから即NGにしてるわ 昭和の全日は知っててもデストロイヤーだの馬場だのが人気者だった時代なんて知らんわ >>367
だろ。新日オタはそうなんだよ。猪木1神教だからね。
井の中の蛙って事。
だが全日オタは新日も見てて両方の状況を知ってるのさ。
1神教じゃないからね。
まあマシなプオタったら全日オタの方だろうな。 補足。両派が人間としてどうかは知らん。
あくまでもプオタとしてって意味ね。 >>368
単に世代の問題だよ
馬場なんてみんな馬鹿にしてたし猪木ですらすでに下り坂だった
それでも猪木のプロレスは面白かったし馬場はつまらなかった
それだけのことだよ >>371
違う。70年代中盤を想定しなけりゃな。
まだ長髪だった頃の馬場ね。 あと俺は日プロなんて知らん世代だが
当時の青少年や大人はは日プロの大エース馬場の姿
が強烈に一般人にすら染み付いていたのは想像できる。
猪木はあくまで補佐。言っとくが日プロ時代ね。 馬場の全盛期って60年代じゃないのか?力道山と組んだ6人タッグとかの素晴らしい動きをビデオで見てしまうと、
インター王者やBI砲時代がすでに下降線に見えてしまう。リアルタイムで見ていた人は、もうみんな鬼籍だと思うけど。 猪木はあれをリアルタイムで見ていたんだから、本人が言った「当時は嫉妬と絶望感しかなかった」は凄く納得ができる。 >>374
お前は随分と平均寿命が短い国に住んでるんだなあ
せめて算数くらいできるようになってからレスして 猪木個人の強さ検証はここでやってくれ
【弟子からも笑われる】アントニオ猪木のうんと弱い話★4 【運動音痴】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1701749160/ >>374
俺も馬場の試合を実際に肉眼で見てるのは80年代以降のみの世代だけど
過去の試合映像を一通り閲覧した限りだと68年のブラジル戦辺りがピークで
翌年暮れのドリー戦の頃になると明らかに動きが遅くなってるのが解る
逆に猪木はドリー戦からなんだよね「アントニオ猪木」のファイトスタイルが確立されたのは
何のかんの言ってドリー戦〜ボック戦までの猪木が他の追随を許さないレベルにあったのは間違いない
中立を売り物にしていたビッグレスラーでさえ糖尿で欠場中の猪木を特集した記事の中で
「この10年間(1982年以前)プロレス界の『太陽』はアントニオ猪木でありジャイアント馬場は『月』であった。」
と書かざるを得ないくらいの差がリアタイ時にはあったんだよ猪木と馬場の間には まあ
馬場と猪木を同世代みたいに語る人が多いけど
年齢差5歳って大きいよ 馬場の全盛期は、1964年かもな。
この海外武者修業時代のNWA世界戦。
世界最強だったかもな。
https://youtu.be/aOnkGRSOFQs?si=RA-7QQWxCkQe_nNJ 未だにプロレスラーに対して最強とか言ってる全日ヲタのどこがまともなんだよw おれは全日ファンで、スレの反対派側に位置してるんだが
スレが荒れる方向に持っていくてるのは新日オタという皮肉(笑) おれは全日ファンでスレの反対派側に位置してるんだが
スレが荒れる方向に持っていってるのは新日オタという皮肉(笑) さっき書店で猪木本を立ち読みしてきたけど、
80年あたりから新日は外人の使い方が下手だってあった。
当時はモッサリ坂口以外に大型選手がいなかったから、
ガタイのいい外国人選手といい試合ができる選手がいなかったせいだろうか。 ガタイのいい外国人選手といい試合が出来ないと言えば長州だろ。
猪木、藤波はあしらうことが出来るから
ガタイのいい外国人選手といい試合が出来る。
ロードウォリアーズなんかと藤波がやったら面白かったと思う(ホークとはヘルレイザーズ時代にやったが)。
藤波ってむしろフレアーとか体格の大きくない選手と凄い試合が出来ないんじゃないか? 80年あたりだと藤波はまだジュニアだからね。
受けのうまい藤波はガンガンくる外国人を光らせていい試合にはなるが、
逆に言うとあの体格で外人に正面から勝つ姿は説得力がなかった。 ガタイのいい外人に、大きい馬場や鶴田が良い試合やってたら
人気も出てたろうし、長州にわざわざ助けてもらわなくてもゴールデン復帰できただろうに。
結局屁理屈こねても全日は切符が売れなくて、テレビの視聴率もあがらなかった事実はどうしようもない。 猪木の糖尿病が悪化して、医者から引退勧告をされたのが1982年。
猪木がダメになってしまうと他は
プロレスが下手くそな坂口
外国人レスラー相手にまともな試合が作れない長州
上手いけれど小さくて大きい外国人相手に勝つのは説得力がない藤波
だからね。 新日本ならラッシャーや前田でも十分プロレスになるからな
全日は世界チャンピオン集めても大して話題にならないが 82年ならタイガーマスクが猪木並みに人気あったし
ホーガンを日本側にするという奇策が成功した
他ベビーでもヒールでも使えるカーン戸口がいて
海外組含めると前田、平田、ジョージ、谷津、高田、山崎、俊二と若手の陣容が厚いのでやりくりはできたと思う 当時って藤波の逆さ抑え込みによる勝利見て萎える人ってあんまり居なかったの? 普通のファンは逆さ押さえ込みで勝っても喜んでたでしょ >>395
物足りなく感じてた。
上で書いた「藤波ってむしろフレアーとか体格の大きくない選手と凄い試合が出来ないんじゃないか?」ってのは、そういう意味もある。藤波本人が凄味・迫力を見せる選手じゃなかったために、相手もそういうタイプだと凄い試合にならない。 >>395
>>396
オールスター戦は逆さ抑え込みで最高の盛り上がりを見せた。テレビ中継ないから、あれは現地にいた人しかわからないよな。 オールスター戦の逆さ押さえ込みって猪木の?
猪木の返し技や丸め込みでの勝ちは良かった。
藤波と違って延髄斬りや卍固めでのまともな勝ち方がある上でのアクセントとしてのクイックだったから。 藤波が大型外人相手にドラゴンスープレックスやるわけにはいかないよ
ジャーマンですらスーパースター以外は絶対嫌がる 藤波はヘビー級で必殺技を開発出来なかったのが結局は物足りなかった。
ドラゴンスリーパーで勝つのは二級線相手の時だけという感じだったし
(天龍のテキサスクローバーホールドみたい)。 >>401
それは藤波ファンのおれですら認めざるを得ない ドラゴンスリーパーは一応マシンや蝶野に勝ってるからそこまで扱い悪くない 今日アップされた記事
やはり谷津優勢との見方が多い
ジャンボ鶴田、長州力、谷津嘉章...最強だったのは?アマチュア時代のライバルが語る
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/77853 >>403
マシンや蝶野相手にドラゴンスリーパーで勝っても必殺技としての格には特に影響しないよね…むしろ観客萎えたのでは? 藤波、ヘビーに転向してからはキッドとかジュニアの選手にはアルゼンチンバックブリーカーで勝ってたりしてたな。 >>405
ウルティモもドラゴンスリーパーがフィニッシュとか興味半減。みんな空中殺法期待してるんだから。ケガだから仕方ないが。 >>406
キッドやレーンにアルゼンチンバックブリーカーで勝ったのはWWFジュニアタイトルマッチ ストロングスタイル(笑)という呪縛がなければ
藤波はフライングボディアタックなんかをフィニッシュでよかった 売り出し中のベイダーから初めてピンフォールを奪ったのが藤波
逆さ押さえ込みだけど。
飛龍革命と同時にベイダーの価値も維持できるから便利よね。 >>410
ここぞの一番でクイックで勝つなら上手さが際立つんだろうけど、年がら年中そのスタイルだと玄人好みみたいな感じになっちゃってヘビー級のスターとしては厳しいよねぇ… >>403
蝶野にドラゴンスリーパーで勝ったのってデビュー30周年記念みたいな時だよね?
その時の蝶野ってまだ第一回G1の前で三銃士の中で明らかに一番格下だったから。
その後その年の11月に足取りドラゴンスリーパーみたいなので再び勝つけど。 猪木が藤波を後継者として考えた事は無いというのは正しかったという事か 当時の感覚なら猪木の後継者は前田だよ
今なら不器用すぎて失格だが >>405
武道館で蝶野に勝った時はドラゴンスリーパーからの変則技で勝って
めちゃくちゃ盛り上がったよ
ああいった味のあるプロレスを
単調で大味な展開が好きな
80年代以降のファンが普段は求めなくなったというのもある 藤波の必殺技は何かって言われてドラゴンスープレックスとは言い難かったな。
毎回のように逆さ抑え込みばかりやってた気がするわ。
84年でもアドニス、シュルツ、バレンタインにそれだぞ。 逆に何やればよかったかと考えても
受ける側の事を考えれば藤波に合う技ってないんだよな
当時ブレイクした選手は大概ラリアットだし 首固めと逆さ押さえ込みの2強だな
他は回転エビ固め、グラウンドコブラ、ブレーンバスターやバックドロップを反転して体を浴びせるとか >>417
考えられるのはHBKのトラースキックみたいなやつかね。 83年にはサソリ固めから弓矢固めに移行する技をやっていたな。
キムケンのトライアングルスコーピオン同様ネタ技に終わったが。 グラン浜田の高角度前方回転エビ固めとかも鮮やかだったな
。ウラカンラナも、後のフランケンシュタイナーの原型みたいな技だし。 >>394
今日がカーン戸口を相手の猪木ホーガンの優勝日 藤波はジャパニーズレッグロールクラッチとかもよくやってた印象 >>423
相手にリフトアップしてもらって高く跳ね上がってからというのはユニバ時代から?
なんにせよワグナーJrとのそれは絶品だったなあ >>426
脚折り式後方回転エビ固めだよね。昭和の技の名称は凄かった。小鹿とかのコブラツイストは共通名称アバラ折りだし。 >>426
噛ませ犬以前の長州とのシングルは
すべて回転足折り固めで藤波が勝ってるはず >>401
武藤がドラスク→足4の字固めの必勝パターンを編み出したけど、藤波が先に思い付かなかったのは残念だったな。 高田はUインターで猪木の劣化コピーというか猪木のエピゴーネンを嬉々としてやってたのに
対武藤戦ではS小林の役割だったな。 >>411
藤原や木戸のようなシューターでもないし
ようわからんレスラーだな藤波は 藤波の雪崩式ブレーンバスターはミスター高橋の介助なしではほぼ無理だったしな。
キラーカーンとの広島だったか試合は見応えあったけど、ブレーンバスター出来なかったな、別に相手が非協力的という訳でもなかっただろうけどその程度のレスラーだったな。 >>433
国際関係者から悪く言われた小林と違うのは
高田は、経営危機の団体の為に負けブックを飲んだことだな。
小林は沈没前の団体から一人だけ救命ボートで脱出したようなもん。 国際のIWA世界タッグに小林永源てのもなあ。
むちゃくちゃ失礼だな。 >>430
藤波のジャパニーズレッグロールは後方回転しない
うつ伏せの相手を横にひっくり返してブリッジする
後方回転式はローリングバッククラッチと呼ぶらしい
フィニッシュの形は同じ >>436
武藤が猪木って感じでもないしね。武藤と高田は短期間とはいえ新日本で一緒だったし、10.9時点での二人の格はほぼ同格だし、明らかに小林が挑戦者だった、猪木、小林戦とは二人の関係性がかなり違うのでは。 >>421
トライアングルスコーピオンはネタ技ではなく、危険すぎて封印 藤波はミサイルキックをフィニッシュホールドにできたはず ジュニア時代なら上限のある枠組み内で好きなようにトペや飛龍原爆とか代名詞的なものは表現できたが
ヘビー(無差別)となると今度は体格ゆえのハンデが浮き彫りになる。
新日系外人もエース級が当時だとアンドレ、ホーガン、ブッチャー、マードック、マスクドと重量級が多く
マーテルやスティンボートのような存在がほしかった。 ジュニアの体型のままで打撃を練習して、ホッジプラスオコーナー的なのを目指せば良かったと思う。猪木の後継者は前田に譲ってね >>442
でもヘビー級での藤波と、余り体格が違わない外人レスラーの試合って余り名勝負が思いつかないんだよな。フレアー戦とかジェリーローラー戦とかつまらなかった。 藤波の名勝負相手なら剛竜馬が一番体型がちかいかなあ >>445
日本人相手ならあるんだよ。
でも大型でない外人レスラー相手では思いつかない。
歴代NWA王者(WCWは除く、フレアーまで)も余り大きくないんだけどね。
190cm以上は馬場とキニスキーだけとも聞いた。 バッドニュースアレン辺りを藤波のライバルにすればどうだっただろう? 藤波と大差ない体型の外人自体が希少で経験不足か、単に割合の問題か アレンはレスラーとしての完成度は高いが、アレンの試合そのものは地味なので魅力を感じる事はなかったのが惜しい バドアはぁプロレのセンスはぁかなりぃ高かったかんな。
シンニプロがぁー本気で売り出したらぁタジェシ、スタハ級んなれたぞぇ。
二番手のポジショがぁー長すぎてもぉたっちゅうにぃ。
バドアにゃあサイキョの二番手っちゅう称号もらあってた位だしぃ。 アレンは試合が絶望的につまらん。中途半端なラフと反則が小物感を増す。柔道殺法で秒殺オンパレードぐらいやらせていればなぁ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています