【アックスボンバー】昭和の新日本プロレス50【三叉槍】
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>>193
私も1点差で藤波が決勝進出のブックだったと思う。ケガで欠場したのがアクシデント。猪木vs前田はできないからマードック。 >>207
テレビで観ていたのに忘れていた。
結構優勝候補同士が開幕戦でぶつかるって有ったんだな。
84年MSGタッグのホーガンが最初から開幕戦だけの契約だったと思うのには変わりないけど。 >>200
ホーガン、サモアン組は100%1試合だけ試合して帰る予定だったんだろうね
当時はWWFが全米侵攻を開始していて日本にかまっていられなかった
親日家で一流レスラーをバンバン日本に送ってくれたビンス・シニアと違って
ジュニアは親日家ではなかった。 >>209
俺が話してるのは82年の第三回。
○猪木・ホーガンvsアンドレ・●グレイ 5年後の日米レスリングサミットの時に
新日がWWFと関わろうとしなかったのは
この時にビンスのやり口を覚えてたからなんだろう
そして全日とWWFが上手くいかないことも当然わかっていただろう >>212
誤解しました、ごめんなさい。でも>>206の書き方で誤解してしまったんだよ、第3回では前年優勝組に当たるわけだから。 ごめんごめん。
あの大会ではアンドレ組は坂口藤波以下だったからそんな書き方にしました。 >>208
両国のメインで猪木対マードックは普通のカード過ぎたね >>204
全日本では最強タッグで馬場組の足を引っ張る役割 >>216
IWGPの決勝としては、初めての両国国技館なんだよね。前田が決勝進出同点になった時点で、チケット買った人もいただろうな。 >>204
>>217
上田はUWFとの5対5イリミネーションマッチでは、本当に前田の足を引っ張って場外に転落していたよな。 週プロの浜辺が当時の増刊号で
87年の決勝が猪木対前田のはずだったことを匂わせてた
前田のシリーズ復帰が絶望になった途端に猪木が練習しなくなったらしい
確かに3回連続ビックマッチが猪木対斎藤というのも不自然ではある >>216
でもファンとしてはWWFと切れた後でも新日本を選んでくれたマードックに対するリスペクトもあったんじゃないかな >>220
斎藤のテーマ曲がザファイトになったのはあのシリーズからだったか >>220
あの決勝から5ヶ月後には後楽園ホールで長州への顔面蹴り、その1ヶ月後には両国国技館暴動と急展開になってしまったね。 >>221
選んでくれたと言うか全日復帰しようとしたがNGだった>マードック
戸口も同じで馬場に門前払いを食らった >>224
マードックは新日移籍で輝いたけど、全日としては戻ってほしいキャラではないよな。ジョー樋口とかは相当嫌っていたみたいだし。 上田が猪木や坂口とタッグ組んでいる時にいつ背後から襲ったりするのかと見ていた。 >>224
それは翌年の春じゃないかな
あるいはブッチャーの復帰が既に決まってたのもあるか >>213
ビンス・ジュニアは提携を延長する気が無くて
とんでもない高額の提携料をふっかけて、提携が切れれば
新日が大々的に売り出していたビガロを引き抜いたから良い感情を持つはずが無い。
ただし後にWCWと提携後にケロが「高い金払ってるのに良いレスラーを送ってくれない」と
愚痴っていたって話もあるから一流レスラーを惜しげもなく送り込んでいた
ビンス・シニアが異例だったのかもしれない
ビンス・シニアと強固な関係を作った事は新間の大きな功績だった >>228
フローレスのUWAも含めて三国同盟を組んでたな
その最大象徴がWWFライトヘビー WCW放送でのケロの毒舌というか言いたい放題はすごかったからな >>230
ケロってなんで偉そうなんだろ?
昔全日の批判をしたコラムを見たときから大嫌いだ >>231
確かゴングだかのコラム読んでケロどころか新日も嫌いになってある時期見てないわ。他団体に偉そうにするなら橋本真也をトレーニングさせてかっこよくさせろよと感じた思い出、何もかも懐かしい ビンスジュニアにとって日本マーケットはアンドレのようにWWFの団体を越えた繋がりがあったりで、
ちょと疎ましい存在だったかもしれないな。 ケロは新日にとって商品である外国人レスラーを散々馬鹿にするところあったよね。
一番言われてたのがブッチャー。ローデスやムラコもひどい言われようだった。 ケロちゃんは小者界の大物。政治家に例えると山本一太や河野太郎にあたる。なお馳浩は中堅界の中堅 両国で暴動が起きた時土下座したり、後楽園ホールで暴動が起きかけた時に長州に抗議したケロは好きだったんだけどね。
いつからあんな感じになったんだろ? 闘魂スペシャルのコラムを書いているうちに調子にのった感じじゃない?
はじめはリングアナとしてコールしやすい、しにくい名前とか、
レスラーや観客の名言(笑える方向)とか、
体育館の音響設備について書いていたりしたけど(体育館側はありがたかったらしい)、
だんだん面白おかしく書こうとしていくうちにはっちゃけた感じ。 「馬場さんのことをそう悪く言うなよ」と新間をたしなめる猪木のような存在が、
幸か不幸かケロの周りにはいなかったのだな。 派手なアーミールックと謎の前口上をやり始めたあたりからおかしくなったと思う レフェリーやリングアナは黒子に徹するべきなのに、いつの間にか目立つ存在になってしまったのは大きな間違いだよね。
ミスター高橋もマシン軍の時に阿部四郎の二番煎じやったし。もちろん高橋のアイデアではなく、会社から言われたブックだけど。 >>234
新日参加時のブッチャーやローデスは
ヒドく言われても仕方がないよ。
タイガー服部もローデスのことは
著書で批判していた。 >>241
新日という会社はブッチャーの商品価値を評価していたけどね 結局外国人レスラーで来日回数歴代最多ってブッチャーになるのかな?完全に旬が過ぎたあともインディー団体に出てたしなんだかんだ10年くらい前まではリングに上がってたんよね >>244
ブッチャー、シン、ハンセンのうちの誰かだと思う。
シンもインディー団体にけっこう出ていた ケロはまだ完治とは言えないけど元気になって良かったよ
一時危篤と報道されたときは正直亡くなるのも時間の問題かなと思ったからな >>246
ブッチャー=140回
ハンセン=130回
シン=95回
ぐらいだったと思う。
後はオブライトがかなり多かったはず。
初来日から死亡まで10年程度であることを考えると驚異的(Uインターは一回の来日で一試合だから回数を稼げる点はあるけど)。 >>242
それをいうなら、馬場はローデスを
評価していなかった。
結局、新日でのローデス人とは
ミーハーなアメプロファンが
「ローデスはアメリカでは凄い人気なんだ!」
「これがアメリカンプロレスの神髄だ!」
と有難がってローデスの尻振りダンスに熱狂しただけ。
ローデスのアメリカの人気は、「南部の配管工の息子が
アメリカンドリームを掴む」というアメリカンドリーム
そして、そのマイクパフォーマンズにあるが、
日本では、そういうギミックは通用しないし、
だいたいマイクアピールもしなかった。 >>242
猪木のローデス評で印象に残っているのは
「(悪い意味で)頭が良過ぎる」
「日本ではこの程度でいいかなと手前勝手に決めて自己主張しなくなる」
と厳し目に言ってた事かな
>>243
それは例によって大塚直樹(と営業サイド)の独論
現場(興行部)側は場外戦オンリーなブッチャーの試合態度にウンザリしていた筈
かませ犬発言の翌週か翌々週だったか蒲郡だったかな?
長州欠場の穴を埋める為か藤波とブッチャーのシングルがセミで組まれたけど
ドラゴンロケットからそのまま場外乱闘で両者フェンスアウトと
気の抜けた感の試合内容だったからね
おそらく現場はあの時点で動けない集客力は兎も角会場人気は下降気味なブッチャーに
見切りを付けていたのでは? ブッチャーの商品価値が下がったのはマードックを拒否してディノブラボー指名したこと言われてるけれど、そもそも新日側がブラボーと
やれって指示してるんだから、最初からブッチャーの商品価値を下げているとしか思えない。 >>249
後追い世代の勝手な見方を承知で言わせてもらうと
79〜80年頃のローデスは動きも良く新鮮味があった様に映る
バックランドにも言えるけどああ云うリング上を明るい雰囲気にする外人レスラーは
特に昭和だと流血!場外乱闘!なステレオタイプなイメージを払拭させる為にも貴重だった筈だよ
81年以降だよねローデスの悪い部分が目立ちだしてるのは
試合ぶりがマンネリ化しているのを自覚出来てなくて
マードックとのアウトローズ再結成以外では冴えないファイト内容だった >>250
ブッチャーのギャラは全日時代の倍額だったそうなので、現場からすれば
「高い金を払ってあれかよ」と不満は溜まるだろう。
ttps://miruhon.net/115007
ところが、当のブッチャー本人は「新日本プロレスから全日本の倍のギャラを提示された」と
自著『ブッチャー~幸福な流血~(東邦出版)』で明かしている。
それが本当なのか、あるいはブッチャーの見栄によるものかはわからないが、
「プロは金だ。自分をより高く買ってくれる所に行くのは当然」と書いていた。 ブッチャーは寝ても覚めても全日が合う
全日復帰最強タッグ開幕戦の後楽園は伝説の日と呼べるほどブッチャー一色だった 地方で坂口対ブッチャー見たけど、意外とリング上で闘う時間が多かった 呼んでおいて使い辛いとレスラー以外が腐すってのは新日のお家芸。
ケロだったかレッドブル軍団が来たばかりの頃、巡業先のホテルでアダルトチャンネルばかり観ていたって暴露していた。
公的にリング外のおかしな話でコキおろすのは反吐が出る。 >>256
コキおろすってーけど その件はむしろ親近感持ったけどねw俺は 日本語なんかわかんねーだろうしエロ番組見るのは当然の帰結だと思うけどな
そもそも日本人レスラーだって見てるだろうってw >>256
その話ケロじゃなくてミスターXの本で読んだ気がするな。
ミスターXてターザンだったんだよね? >>259
その話が載ってたのは『プロレスラーみんなまとめて場外乱闘』という本。 ケロはレスラー、フロントが後輩ばかりになってから変わった気がする。相性悪かったのか、上井が中心の頃は居心地悪そうに感じた。 >>262
リングアナの仕事貰って数年で大量離脱があったから、ケロにとってはラッキーだったな。 ミスター高橋は実際にみると思ってたより小さかったけどケロは身長はともかく
鍛えた身体してたな。 >>256-257
> 呼んでおいて使い辛いとレスラー以外が腐すってのは新日のお家芸。
何その解説席でのジャイアント馬場とプロレスニュースの福澤朗 >>253
契約の内容はどうだったのかな
一試合分は倍でも呼んでくれなければ金にならなかったかも 「ナガサキ、ポーゴ組って人気ないなあ。コールしても拍手がまばら。」ぐらいなら、リングアナとしての意見だし、良いと思うけどね。 >>267
前田の長州顔面襲撃事件の試合は唾吐きたくなるような汚い試合って書いてた >>261
橋本真也は「5kgウ◯コ橋本」と呼ばれていたな。 ジミー鈴木に続いて新間もカーンを罵倒。
【ストロングスタイル】新間寿会長がキラー・カーンに辛らつメッセージ「アイツはクレイジー・カーンだ」
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/63c54d5d03678ae7d819ccc8958cd7c818092294
7日の東京・後楽園ホール大会に来場した新間会長は、大会の休憩時間に報道陣を集めると
「先日キラー・カーンから『40年前、ニューヨークで自分(カーンさん)が働いた時のお金を
私(新間会長)が盗んだからその金返してくれ』というメールが来た」と明かした。
新間会長は「どうやったらそんなお金を私がとることができるんだ!
そんなことするわけがないじゃないか。もう彼はキラーじゃなくてクレイジー・カーンだね」と
不当請求だと怒り心頭だ。 >>248
>オブライトはUインターは一回の来日で一試合
その一試合で、まったくファイトしなかったこともある。
ダブルバウトで最初に出たパートナーがKO負け
勝負論に立てば、これでも正当化できるんだが、
プロレスではダメだな。 選手のの商品価値という話なら、サマーファイトで毎週のようにやってた藤波長州より、
ブッチャー&ラッシャーvsマードック&アドニスのほうが見たかったわ。
長州浜口なんてすぐに見飽きたのにM高橋はバカみたいにあいつらをメインに出してたね。 今思えば坂口がカーンを相手にしたくない気持ちも分かるような気がする。 スレチですまんが馬場対スナイダーの世界王座戦みた方いますか?
馬場は外国人エースに大好きなスナイダーを考えていたけど年齢的な衰えが来てたらしいので、どんな試合内容だったか気になる ミスター高橋は藤波vs長州の事を同じ事ばかりやりやがってとか呆れてなかったっけ? 長州は同じことしかできないし藤波は相手と同じことしかできないからそりゃ毎回同じになる
長州勢いあったから面白かったけどな >>274
その頃のマッチメイカーってミスター高橋だったの?
以前プ板で見ただけの情報だが、その猪木欠場のシリーズは藤波がマッチメイカーだというのを読んだが。 >>273
83年や84年の、試合前に維新軍の襲撃を受けて猪木や前田が試合やらなかったのもダメだな。前田の方は高田が代わりでまだ新鮮さがあったが、猪木の代わりが坂口なんて、プロレスの仕組みが分かっていて会場で観ていたら詐欺に遭ったみたいに感じるだろう。 ジャパン軍で谷津、高野、仲野は新日にいらないって言われたのかな?同じ永源は全日で権力者になったから結果オーライって感じだけど 俊二は争奪戦になったはず。
せっかく全日を選んだのに決起軍というジョバー軍団にされて腰を痛めてダメになった。
決起軍てのもター山とその取り巻きが馬場のブレーンになってて、あの若い世代が天龍、鶴田にバチバチ挑んでいく姿
(イメージとしては90年2.10で黄金コンビをボコった橋本&蝶野のような)
ファンは見たがっているって趣旨だったのに、現場のカブキが彼らを単なるジョバー集団にして
「決起してないから解散」という悪い冗談にしてしまった。 >>278
だからあんなカード早々に見切りつければよかったのにね
長州なんて前田の噛ませにしてたらすぐ勢いなんかなくなってただろうに
>>280
もし藤波だとしたら藤波は相当の馬鹿だな >>248
ゲーリーオブライト(2000年1月没)の来日回数
(新日、Uインター、全日トータル)は71回、
1999年12月全日参加まで。出典はゴング増刊
「日本プロレス50年史」の「団体別来日外人リスト」の項。
ちなみにスティーブ・ウイリアムスが2000年チャンピオンカーニバル参加時点で
69回だから、その後、追い越しただろう(それ以降の記録はなし) テレビ側からすればプオタの意見なんて無視して
より数字が取れるカードを放送するだろうから
シビアな目で見れば外人を出すより藤波長州のほうが正解だったんだろうな 橋本が長州にピンフォール勝ちするのが1989。
それなのに相変わらず「鶴田天龍にコテンパンにされる決起軍」では明るい未来が見えませんもんね。 長州や藤波は最初から三銃士たちの「高い壁」感が皆無だった。
鶴田や天龍と大違い。
体格の問題もあるけど、猪木かトップであり続け過ぎたのも大きいだろうな。 藤波対長州が盛り上がった2年後に
@維新軍+α
Aラッシャー木村をボスとしたユニット
Bタイガーマスク+爆弾小僧+虎ハンター
を登場させた団体があってな
2匹目のどじょうはいなかったそうな 長州は猪木にフォール勝ちした時が
自分のプロレス人生の頂点という自覚があり
「あとは下山の準備だ」と
若手や外人や復帰後の藤波やG1で全敗した時のように
気前よく負け始める 長州が両国で猪木をぶっ倒した直後、「平成元年、前田とやる」と宣言してた。
ぜんぜん下山の準備感なんて感じなかった。
逆に「今まで黙ってたけどUをぶっつぶしてやる」くらいの気でいるように見えたよ。 >>288
長州は外国人レスラーと試合するとからっきしダメなのがね・・・。
「高い壁」というより国内でお山の大将をしているチビにしか見えない。 長州にとっては全日なんて眼中になくて目障りだったのは前田とUWFだったからな >>292
上でも書いたようにザンビアエキスプレスやマードック・アドニスに一方的にボコられた印象が強いのがね。あれで日本人レスラー相手に強キャラを通してもねぇ。 >>292
まああのハイスパは自分よりデカくてパワーのある相手には全然説得力ないけど、
そんな外人レスラーいくらでもいるからね ブロディは長州の価値を大暴落させて、直後に新日に移籍。この時の貢献度は高かったな。
https://youtube.com/watch?v=64nV0hDMDlk 長州も海外を拠点にして、日本は年間3シリーズ
程度の参戦なら少しは見直したんだが。
日本参戦時は完全に外人扱いで控室・移動バスも
外人と一緒で。 >>297
長州って当時の海外で人気になるようなタイプなのか…? 馬場のセンスかイジメなのか知らんけど長州力の使い方を間違えて客が増えない事に怒り輪島を入れたら売上が伸びた。このままだと石川隆や輪島の下にされて仕舞うと焦った長州は新日本に復帰。長州は見栄えが悪いけど突進するスタイルが客の共感をよんだのだが 読点を入れないと、文章ってこんなに読みづらいんだな。 >>294
それでもまだマードック&アドニスは維新に合わせていたから試合は作れていたよね。
結果も反則で維新が勝ってるし。
あとはホーガンだけど、83IWGPでは長州がアックスかわしてむラリアットに行く時に、
ジャンピングニーパットで長州を吹き飛ばしてるんだよね。
なのに翌年にはアックスとラリアットの相打ちに付き合うようになってて変だなとは思った。 7日の東京・後楽園ホール大会に来場した新間会長は、大会の休憩時間に報道陣を集めると
「先日キラー・カーンから『40年前、ニューヨークで自分(カーンさん)が働いた時のお金を私(新間会長)が盗んだからその金返してくれ』というメールが来た」と明かした。
新間会長は「どうやったらそんなお金を私がとることができるんだ! そんなことするわけがないじゃないか。もう彼はキラーじゃなくてクレイジー・カーンだね」と不当請求だと怒り心頭だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/63c54d5d03678ae7d819ccc8958cd7c818092294
wwwwwwwwwwwwwww この日は、カーンが所属していた新日本プロレス勢が大挙してMS・Gに登場していて、アントニオ猪木はボビー・ダンカンとNWFヘビー級、藤波辰巳(現・辰爾)はドン・ダイヤモンドとWWFジュニアヘビー級王座のそれぞれ防衛戦を行った。そして坂口征二はワイルド・サモアンズ2号と対戦し、期待の大型新人・谷津嘉章は国内に先駆け、カルロス・ホセ・エストラーダを相手にプロレスデビュー戦を行った。カーンは新日本のトップ3を抑えて、メインイベントに登場したのだった。
さて、カーンといえばアンドレ・ザ・ジャイアントとの抗争が広く知られていて、日本でも82年4月1日に蔵前国技館で「第5回MS・Gシリーズ」優勝決定戦で名勝負を演じた。
本人が選ぶベストバウトは何だろう?
「色んな人に聞かれるんだけどね…。テリー・ゴディとやった試合、テキサスデスマッチだね(84年ごろのテキサス州ダラスでの試合と思われる)。あと、藤波ともいい試合ができたと思うね」(カーン)。 >>298
84ブラディのあと維新軍解体と長州・谷津のWWF派遣企画があったが、
長州がこれを拒否したのは自分がアメリカでは相手にされないことを一番理解してたのかもな。
維新が解体すれば浜口の格は下がってキムケン以下(当時の戸口のポジ)、
寺西は木戸の穴埋め程度で星野と同格くらいまでになるだろうし。
たぶんジュニアエース候補のコバクニ以外は誰も得しない。
ただあの離脱劇で新倉と仲野の二人がいなくなったのは残念だった。 谷津は田吾作スタイルで人気あったからいけたろ。
トラ・ヤツ だがツベ動画で真夜中のドライブ移動中、少年が窓に貼り付いて
トラ!サインくれ!という怪談話は恐怖だったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています