【アックスボンバー】昭和の新日本プロレス50【三叉槍】
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>>16
だとしたら外国人側を上にしないといけない >>10
表記で言えば最近の新日公式は「王者vs挑戦者」「挑戦者vs王者」両方の記載を使うから、あれ?いつベルト移動したんだ?って勘違いしてしまう。公式ならちゃんと左:王者、右:挑戦者で統一してほしいわ >>15
あくまで個人的な印象だとアンドレ>ハンセン>シン>ホーガンじゃないかな。ローデスとバックランドは別格だと思う。 1981年のMSGシリーズがわかりやすいと思う
得点はハンセン>シン>ホーガン
まず猪木とシンで優勝決定戦の進出者を決めて
猪木とハンセンで決定戦
つまりこの頃はハンセン>シン>ホーガン
ただしホーガンはここから3年後には猪木ですら綺麗に勝てない
格のレスラーになった 引き抜き戦争で最大の恩恵を授かったのはホーガンじゃないか?
加えて猪木の糖尿病悪化で拍車がかかった。 >>8
80年(昭和55)闘魂シリーズ? 秋の闘魂シリーズはいつも豪華メンバー
この時はホーガンが初エース、シン&上田、待望初来日のオーンドーフ、フロリダエディグラハム路線からスティーブカーンや
ジムガービン、さらにロンスターやチャボゲレロと新日の保持する王座に照準を絞ったメンツを揃え、それなりに話題を提供した。
そしてその勢いで暮れのMSGタッグ初開催へ繋がる なるほど、まだこの時点ではホーガンもそこまでの強豪ってほどでもなかったんだね。
ハンセン、ホーガン組は本当に魅力的で強かったが、
タッグマッチで敵同士になって戦うのも見たかったなぁ。
例)
ハンセン、シンvsホーガン、オーンドルフ >>22
ハンセンもシンもいなくなって外人エース枠が空いたからね
それに加えてホーガンが伸びていく時期とアンドレが衰えていく時期が
重なったのも大きい
1987年頃に「ホーガンは全米を代表するスーパースター
アンドレはホーガンをつけ狙うヒールにすぎない
2人の立場は完全に逆転した」とか書かれていた。 ホーガンがシンより格上だったら全日にホーガンが引き抜かれてたのかな?
だとしたら第一回IWGPはどうなってたんだろう? しかし当時のホーガンの名勝負と言われると思い浮かばない
ブッチャー戦がまあ面白かったくらいか 駆け出しの頃のホーガンは控えめに言ってデクノボウだったよね >>25
ホーガンはむしろ日本陣営の助っ人でブレイク ハンセンがいない、アンドレはピーク過ぎ、ホーガンは新日本陣営へ。
こうして外国陣営が脆弱になってしまった。
外人エースも藤波や長州にすら勝てないのでは… >>30
それと同時にそろそろポスト猪木は本格的に考えないといけない時期に入ってた
というのもある 1983年の7月頃、猪木欠場のシリーズに来日したアドニスがチャンピオンベルト巻いてたことがあったはずだけど(少なくとも前田・坂口vsアドニス・マードックで巻いてた)、あれは何のベルト? 前スレで話題になっていたブロディとスヌーカだけど、
両者の関係はどうだったのかな?
日本でのランクはブロディが上、アメリカでのランクはスヌーカが上。スヌーカはブロディが蔑視する小兵。 >>35
85年に新日本に来日したときのインタビューではブラザーと呼び合ってた
(本当に言ってたかは不明だが) >>25
ハンセン、シンが全日へアンドレもピークを
過ぎて、ホーガンもまだ経験不足。
そんな82年の新日の外人トップはブッチャーが
なるはずだったのに、これが全く使えない(苦笑)
マードックも、エースとしてはちょっと物足りない。
グットタイミングで国際が81年の秋に倒産。
ラッシャー木村ら国際軍団が格好のヒールになり、
82年の終わりは長州ら維新軍対新日正規軍といった
日本人抗争になり外人が不要になったなぁ。 >>35
>>36
二人を組ませたのは、当時明らかに下降線と思われていた全日としては秀逸なアイデアだったと思う。
ハンセンを引き抜いた後で、仲間割れから敵同士になった二人の絡んだ試合ももっと見たかった。
特に最強タッグでの、ハンセン&ブロディvsレイス&スヌーカが実現しなかったのは残念だった。 >>36
例のボイコット事件の時行動を共にしたぐらいだから仲は良かったのかな?
でも「スヌーカはわけが分からず巻き込まれただけ」とは言え
子供じゃない(スヌーカの方が歳上)んだからスヌーカだって自分の行動の責任は問われるのが普通では?ブロディが全て悪いじゃなくて。
スヌーカに対する新日の事後対応はどうだったんだろう? >>38
実現していれば凄いタッグマッチだな。これ新日ではどんなカードが相当するだろうね。
ハンセン・ホーガンvsバックランド・ローデスかな。
アンドレ・ハングマンのコンビはでかいけどハングマンが役者として弱いし、
84IWGPで実現してる(ノーテレ)ホーガン・スーパースターvsアンドレ・アドニスは、
どちらも正規のパートナーとはいいがたいコンビ同士で微妙。 これがノーTVかよというと、
82年第5回MSGで特別参加枠の後半アンドレと前半ホーガンが唯一バッティングした日程のアンドレ&アトラス対ホーガン&ドン・ムラコ
この2人が顔を合わす意味があってのMSGシリーズではないのかと・・ >>37
それでもアドニス&オートンは軍団抗争に拮抗してたな >>39
ブロディもスヌーカもお互いを「ブラザー」と呼び合う関係だからね。
あのボイコットについてスヌーカは「ブラザーが出ないというからには、独りぼっちに
させておくわけにはいかなかった。オレもブラザーと行動をともにするしかなかった」
と言っていた。
一方、ブロディ未亡人のバーバラさんによると「フランクはあの時、行動をともにした
ジミーにものすごく感謝していた」と言っている。
ステーキハウスで大喧嘩もしたそうだけど、実の兄弟のような関係だたんじゃないかな。 そういえばスヌーカはボイコット事件翌年のIWGPに呼ばれてたな。 殺されたブロディ
殺しちゃったスヌーカ
皮肉な人生だったね >>29
MSGタッグリーグでの猪木のタッグパートナーがまわってきたのも美味しかった。
その上でWWFはジュニアの時代になって、NWA脱退と全米侵攻開始で
「バックランドが王者では駄目だ」って事でホーガンに王者がまわってきてと
全てがホーガンにとって良い方向に行った感がある。 >>40
ホーガン&スーパースターvsマードック&アドニスはテレビマッチでやったな。アックスボンバー一発でアッサリだった覚えがある。アンドレ&アドニスはなかなか珍しいコンビだな。 猪木
ラッシャー木村にボコられる 貴重動画
猪木自分がブック破りされると弱え―――――――――――――wwwwwwww
https://youtu.be/Hns98mz3ggU?si=ieI5_R44xK1bIvvm ホーガンは売れてない時に日本で身につけた相手の後をクルクル回ってアシを掛けて倒すテクニックやらを使うのがセコくて大嫌いだった >>49
アメリカでも日本でも同じ様な試合をするレスラーと違って
ホーガンは「日本で受けるスタイルがある」と理解していたとも言えると思う。
日本だと後ろにまわって腕関節をとるムーブをよくやっていた。
日米レスリングサミットのホーガンVSハンセンも「これは日本向けの試合」と
意識して試合をしていた。 日本でのホーガンは来日を重ねるごとに
緩急と陰影をつけることを覚えてたね
80年と84,5年ごろでは全然違う
しかしアメリカのファンはそんな事求めてないから
あっちでは終始陽気で単調なキャラにならざる得なかったから
本人的にはつまらなかったかもしれないな >>50
あのムーブをホーガンは技術もあると評価するかチマチマしてセコいと思ってしまうかは価値観ですな ホーガン級になると、日本向けに固執するのは逆効果。
フィニッシュをレッグドロップからアックスボンバーに変えるぐらいで
あとは大味なアメリカンプロレスのままの方が、魅力があった。
体格が2mくらいあれば小細工は日本であっても邪魔でしかない。 ホーガンが凄いなと感じたのは
日本側でベビーの時と対猪木でのヒールの時とで
膝当ての色を変えてくるところ 猪木が「ホーガンは意外とゴッチと気が合った」とか言っていたな。2人が談笑している
写真も見たことあるけど。ゴッチは移住だけど、2人ともフロリダ州タンパが拠点だった。 >>56
それ雑誌にも書かれていた。
ゴッチは「あの金髪の大男は好青年だった」と言っていたとか。 >>47
当時のアンドレのパートナーっていえばスーパースターだったけど、
これが敵に回ったら組む人いないんだよね。w
このシリーズでのホーガンも相方になるのが居なくて、
便利屋さんのスーパースターが選ばれましたな。
珍しいコンビと言えばホーガンとマードック組が印象に残ってる。
猪木の相棒藤波が集中攻撃食らい、結果はドローだったけどスリリングだった。 >>56
ホーガンが特別人付き合いが上手いってことなんかな?レスリングスタイル的にゴッチ好みではなさそうだし
若手時代のホーガンはすごい素直で、写真やらインタビューの仕事も嫌な顔せずやってたって話だし処世術に長けてた?のかも 猪木ホーガン組は超獣に匹敵するコンビ。
84年に猪木藤波組となったときの寂寥感。 80年代入って新日最強コンビを考えるなら猪木前田組か。アンドレやホーガンのようなスーパーヘビーでも
充分試合は作れそう。 猪木・坂口vsアンドレ・ホーガンが予定された84年末に実現していたらなぁ。
85年になればもう今更感しかなかった上にテレビマッチにもなってねぇ。
ブロディが来たところで辛うじて残ってたホーガン、まだ動けた猪木とアンドレと四人、
同時にリングに集めて夢のタッグマッチしてほしかったですよ。
しかし組み合わせで一番あり得るのが猪木・ホーガンvsアンドレ・ブロディだが、
肝心のホーガンとブロディがからまないまま両軍リングアウトになりそうで怖い。
猪木・ブロディvsアンドレ・ホーガンが理想だけど猪木とブロディのコンビって考えにくい。 >>61
そもそも81年に優勝出来なかったからパートナー失格の烙印を押された形だったし >>61
ハンセン・ブロディ組の足元にも
及ばないだろ猪木ホーガン組なんて。 >>59
2004年出た『アンドレがいた!』って本でカーンが語っていたけど、
ホーガンは新日の巡業中にビール買ってアンドレのところに持って行ったりしていたらしい。 >>59
ホーガンはヒロ・マツダの弟子。
マツダはゴッチのところで三ヶ月学んだから全く無関係でもない。
孫弟子とでも言うか。 75年頃なら猪木・坂口のゴールデンコンビならどんな相手でも勝てそうな感じ何だろう。 あの手のツカミは金曜8時にはちょうど良かったんだよ。 Xでたまにホーガンの日本での試合の動画が流れて来るけど外国人のリプで「日本でのホーガンはアメリカと別人」とか「ホーガンが受身取ってる!」とかあるのが面白いw >>40
この試合の後に長州対スタッドの公式戦だったんだね >>8
猪木&長州vsホーガン&オンドーフって
猪木タッグ編というシリーズでビデオ化されているんだよね。
30分で9800円だったけど、売れてたのかな?
他にも猪木の海外編、フルタイム編といったものがあった。 >>74
回転エビ固め
>>73
外国人勢がこれだけ豪華だったのも凄いね
それなのに維新軍が出てきてウザかったw ブロディ・スヌーカが参加したタッグリーグも本当はアンドレ・スーパースター組とマードック・アドニス組が参加予定だったんだよな
実現していたら凄いリーグ戦だった
WWFの都合でアンドレとアドニスが不参加になって残ったマードックとスーパースターのコンビになったけど そういやアックスボンバーをホーガンと共同開発して名付けたのはピーターと山本小鉄って話だけどウェスタンラリアートは誰が命名したんだろう 本人の希望通り、ホーガン・ハンマーのほうがよかったのに >>75
あと長州の3部作もあった(これはのちに復刻された)
旗揚げ戦を撮影したことといい新日は映像で記録を残すことに昔からこだわってたような気がする >>76
回転エビ固めか。
確かに長州がスタッドにリキラリアットやサソリ固めでクリーンに勝つのは説得力が無いからな。 >>79
そもそもアックス・ボンバーって和製英語で変だね。
斧爆撃機って意味不明。
アメリカでのフィニッシュはギロチンドロップでアンドレに勝った時もそれだった。 長州はドロップキックやジャーマン出来るから技は持っているけど、トップレスラーになってからは攻めるスタイルで人気が出たから受けに回るとイマイチ あの身長で攻めのスタイルだと大型外国人相手には苦労するわな。
長州・浜口vsザンビアエクスプレスの時痛感した。
正直あの試合見て「ザマーミロ、もっと維新軍にも強い外国人と当ててこういう風に苦労させてやれよ」と思った。 >>84
両国国技館こけら落としの試合も、新日移籍を決めていたブロディに子ども扱いされていたよね。
「お前なんかには何もさせない」って感じのブロディもオトナゲないけど。
https://youtube.com/watch?v=64nV0hDMDlk そう、長州浜口は極力アンドレやホーガンとの対決を回避されていたんだよね。
タッグリーグのエキジビションだってアンドレと戦ったのは藤波前田。
>>81
スタッドの途中帰国は、長州相手に負けさせられたことへの不満もあったかもしれないね。 >>85
夏に藤波とブロディのシングルが組まれなかったのはブロディがそういう行為に出ると予測していたんだろうか。 >>84
他の三人も乱入した時点で維新軍は実質終わった
マズイと見てか藤波も乱入して注目をすり替えたが >>86
長州はともかく浜口はアンドレやホーガンとテレビでやった事は無かったか >>86
でもあのタッグリーグのエキシビジョンで長州・浜口はマードック・アドニスとやった。あれもバイオレンスコンビに一方的にやられたイメージで、vsザンビアエクスプレスの時と同じように「ザマーミロ」と思ったな。 国際時代ならって話だが、浜口アンドレ。
レイキャンディもそうだし、マイクジョージ&ボブスウィータン戦とかホント体力負けって感じしかなかったな。 >>91
そう言えばキャンディは国際に1回来たんだったな。テーズ杯の予選勝ち抜いたが、その後に国際が倒産してしまった。 >>86
スタッドのWikipediaにもあるけど、帰国後2日後には試合出てるから負傷ではないし
そういう理由でもないよね。ワンツも当初から途中で帰るようになってたんだよな。
当時のプロレスメディアでも如何なものか?という意見はあったね。 >>87
ダイナマイト・キッドは
「意外に思うかもしれないがフランクはとても紳士で俺にはいつも良くしてくれた」と回想しているし
ブロディは「私は藤波をミゼットとは呼ばない」と言っていたしチビだから全てNGじゃないらしい。
かと言って藤波相手の負けブックは100%拒否しただろうけどね。
ブロディが露骨に悪意がある試合をしたのはマスカラスと長州。 最強でブロディとマスカラス一緒に呼んだのは馬場さんの思惑だったりしてw ブッチャー引き抜きは痛恨。
あれでハンセンが引き抜かれ一気に凋落。 >>90
しかし公式戦では長州組はマードック組に反則とはいえ勝ってるんだよな。
一方でライバルの藤波前田組はアンドレ組、猪木組の敗戦がオンエアだ。
83夏以降で長州浜口組が反則以外で負けたのってテレビではないんでないかな。 >>97
最近の説ではハンセンの硬い攻めに耐えきれなくなった猪木側から持ちかけたとの話もあるね
結局馬場と猪木って全日新日を共同経営してたみたいなもんなんだよなあ >>99
長州、浜口組って健吾に勝ってるとこしかみたことないような気がする。オンエアされているタッグマッチの負け役ってヘビー級だと健吾ばかりだからか笑 馬場と猪木がホテルで偶然会ったフリしてそのまま密会してて、2人ともニコニコデレデレだったって新間や大仁田も言ってるんだよな
言うても2人は兄弟みたいなもんなんだよな >>101
それは言いすぎだw
バディ・ローズにも勝ってるぞ。
>>102
韓国のプロモーターで馬場そっくりのパク氏が外人控室にいるのを見た若手が、
馬場が来ていると勘違いしてみんなで挨拶に行ったっていう話があったねw >>81
90年代の話だけどラリアット連発でベイダーやノートンにフォール勝ちは説得力なかったな
その点三沢のエルボーは上手くやってたと思う >>99
反則の勝ちだから逆にマードック組が決勝進出 >>105
マードック組が長州組に実力通りに圧勝して決勝進出してほしかったよ。 >>103
正規軍なら健吾ばかりでしょ。藤原は反則絡みばかりだし、木戸はテレビ前が多い。前田に負け役をやらせる事もあったけど、ふて腐れてた感じだし笑 >>104
平成以降のスピードが落ち更にアキレス腱断裂と体重増加で走れなくなった長州と
動きキレッキレだった(多分)97年頃までの三沢とを単純に比較されても
ただ長州も加齢や体調に合わせて試合スタイルを変えるべく試行錯誤するべきだった事には同意 スティーブウィリアムスも新日(というか猪木)では持て余してたしな >>100
へー、そういう話もあるんだね。まあ翌82年から猪木は怪我や持病で欠場多くなってきてるし、あながち本当かも >>110
ハンセンはど近眼で加減が下手くそなんだよな
アメリカでも硬い攻めで嫌われてた >>99
夏以降というのがいつを指すのかによるが、
猪木の復帰戦(vsラッシャー)の特番でvs藤波・前田で
藤波の回転エビ固めで浜口がフォール負けをしている。 >>111
あー、ハンセン自身の問題ね。でも全日ですっかり定着できたし転出はおおむね正解なんだろう。 >>113
ハンセンも気にしてNWAスタイルでやるのかと聞いたら新日本でやってたようにやってくれと言われたとか 猪木の名勝負を挙げるとなった場合、対外国人と対日本人どちらを挙げる人が多いのかな
時代的背景もあって対戦カード自体は対外国人のが圧倒的に多いだろうけど、名勝負となると票はそれなりに割れそう 前者はロビンソンで後者は小林との初戦というのが多そう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています