アントニオ猪木のライバルを語るスレ
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ドリー・ファンク・ジュニア、カール・ゴッチ、
タイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアント、
スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン…… >>1
その中だとシンだな
ハンセンやホーガンは長州と世代が同じだから弟子みたいなもんだ ジャイアント馬場、大木金太郎、ビル・ロビンソン、ドリー・ファンクジュニア、タイガー・ジェットシン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ヒロ・マツダ、マサ斎藤、スタン・ハンセン、ディック・マードック、ハルク・ホーガン、ブルーザー・ブロディ >>8
猪木ほど対世間を意識したレスラーはいなかったな >>2
猪木が一方的にライバル視しただけでむしろ目標かも、 観始めた時期にもよると思うんだけどプロレスラーのライバルっていない感じがする
対戦相手ではなく常にその先の一般社会の目を気にしてたというか ドリー、ブリスコ、ゴッチ、小林、大木とやった数年間はまさに猪木の全盛期。 シンだな
二人とも若くて元気良くて、猪木もシンもよく動いて、がんがんやり合って
何度やっても二人のケンカに客を巻き込んでいって飽きさせない
まだプロレスブームが来る前、新日の土台を築いたのは猪木シン 今日亡くなってしまったんだなぁ(´-﹏-`;)
あの世で馬場さんとタッグ再結成だ!
相手はディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーで。 バックランドとハンセンて鶴田とアマリロで同期だったんだよなあ バッドニュースアレン
マネージャーの若松
新国際軍団
維新軍団
たけしプロレス軍団
まだあるか?w アイデアもたくさん出してたな クラッシャーバンバンビガロ
マクガイヤ兄弟
まだら狼 上田馬之助 本当のライバルはプロレスに興味ない一般人
それらを引き込む事に成功した 猪木と名勝負をしたレスラー
ドリー、シン、ハンセン、アンドレがS
ロビンソン、ブロディ、ホーガンがA
バックランド、ブッチャー、フレアー、ベイダーがB
マードック、アレン、マリガン、ウィリアムスがC
対外国人ならこんな印象だ ワンツはCかD
ヨーロッパ関連で大事な人忘れてた
ボックはB ザ・デストロイヤー、ルー・テーズ、ジャック・ブリスコ(・_・;)まだまだいるかも。 異種格闘技戦なら
ルスカ、ウィリアムスがS
アリ、ペールワン、チョチョシビリがA
モンスターマン、ウエップナーがB 対日本人(在日コリアン含む)はエース級と戦ったのはだいたい名勝負だが、実はいちばん印象に残ってるのはラッシャー木村を5分くらいで血まみれにして勝った試合
勝利した猪木の後味の悪そうな顔と勝負のついた後も猪木猪木と叫び続けるラッシャーの姿はプロレスでしか味わえない世界だった ゴッチとのシングルは見ていないのでなんとも評価できないよ ビガロ、バンディ、オートンJr.、アドニスあたりはCかDだが楽しませてくれた 力道山が亡くなった時、フレッド・ブラッシーは
あのホラ吹き野郎のリキは俺様に勝ったなんてウソを墓場にまで持っていきやがった!
リキとはもう一度地獄で対戦して今度も血祭りに上げてやる!
とヒールレスラーとしての立場を守りつつ哀悼の意を示したらしいが
タイガー・ジェット・シンにも同じような感じのコメントを出してほしいなあ >>40
イノキは俺が地獄に送ってやったアゥ アゥ アゥ
と叫んでインタビュアーをサーベルの柄の部分で殴ると、 ザ・シークと対戦して血まみれにされた試合だけは、ちょっと可哀想に見えたタイガー・ジェット・シンさん。 何周年かのドームで猪木とタッグ組んで
試合後のマイクで猪木大好き宣言して抱き合ってオールドファンという名の老害を泣かせて、
そこから変わるわけないだろ ブッチャーは出待ちのガキにニコニコサインにも応じる対応のやさしいおじさんだったけど
シンは出待ちのガキを蹴散らしてリング外でもターガージェットシンを演じ切る、ブッチャーとは逆方向のプロだったけどな
もう素のシンでいいだろ >>45
ボックは>>33で追記した
評価はB、だけどAでもいいのかな
強さだけならたいしたもんだが、うーん ドリーとの試合はYouTubeで見ただけだが、
まだ若い猪木が王者ドリーに引っ張ってもらってた印象だった。 闘魂ライブ2は、海賊乱入直前まで本当に歴史に残る名試合の雰囲気がぷんぷんしてた。
照明の感じとかスモークっぽい空気とか。古館ラストというのもあったし。
一ヶ月後の両国のリターンマッチ(ノーロープよだれダラダラ流血)から巌流島まで、とにかくあの年はマサと手が合ってた。
猪木前田戦が実現しなかった理由の一つに、「マサとやった方が確実にいい試合になるし」というのもあった気がする。 巌流島は2回訪れたがそのうちの1回は一人では旅行が出来ない母親を連れての巌流島行きだった。🌅
3月下車だが雨でとても肌寒さを感じた。
母親は「早く帰りたい」と、とにかく我儘を言ってムッとさせた。
その母親も今年亡くなってしまい、もうこの世にいない。生きていれば今月で81歳だった。
燃える闘魂よりも1学年上だったことになる。
今年は著名人もかなり亡くなった。今は喪失感を噛み締めている。
アントニオ猪木VSマサ斎藤の巌流島決戦は宮本武蔵VS佐々木小次郎の対決と共に記念碑が建てられていた。
山口県下関市に巌流島は属する。🛥
下関からも門司港からもフェリーで10分で着ける。
門司港から下関まで海底トンネルを母親と歩いたのも懐かしく思い出す。 >>15
それだけは貰ってほしくない
破天荒な生き方をした猪木には勲章は似合わない >>31
86年IWGP決勝のマードック戦観てないのかよ…
まあ忘れてても仕方ないけど猪木とあれだけの試合が出来る外人はなかなかいない >>35
この中ではモンスターマンの試合前の期待度は凄かった
それまでの試合映像で凄い飛び蹴りとか見せられてたので、さすがの猪木も勝てないんじゃないかと不安で仕方なかった 磯村
「NHKで取り上げるまでもない茶番劇です。」 【一度対戦を見たかったレスラー】
ジャンボ鶴田、バーン・ガニア、マッド・ドッグ・バション、レイ・スティーブンス、ハーリー・レイス、ラジャ・ライオン、テリー・ゴディ、川田利明、鶴見五郎、ホースト・ホフマン 仏公共放送は受イ言米斗撤廃へ、日本も続こう 10/02 08:43 猪木は知人と別府温泉に行った際、
観光客のオバさんが「あ、ジャイアント馬場さんだ」とはしゃいだので、
「アッポー、アッポー」と手刀を振り下ろす真似をして喜ばせたそうな。
逆の状況で馬場が猪木に間違えられても、
馬場は黙りこくだけだろうからな
間違ってもアゴを突き出して「あんだこのヤロー」とはやらないだろ 猪木が盟友の死を見送った時、明確にライバルと言ったのはマサ斎藤だけ 巌流島から2年後の参院選で猪木の後ろで当確のバンザイしてたマサ斎藤 >>51
C評価というのは高評価なんだよ
マードックは藤浪との方が手が合ってたように思う
あとライバルというには継続性が無い 猪木の名勝負といえば、ハンマープライスで「猪木と戦える権利」を落札した大学の先生との一戦を挙げたい
相手は単なるプロレスファンで全くのド素人のはずだが、
「2の実力しかない相手でも7から8にして自分は10で勝つ」
猪木の真骨頂とも言える見応えのある良い試合になった
この試合に味をしめたフジテレビがその後
「アンディ・フグと戦える権利」を売り出したものの猪木戦のような名勝負になるはずもなく、フグが素人を一方的に叩きのめす後味の悪い試合になった 金曜8時と言ったら、政府広報のCM
「ちょっとお知〜らせ」が頭をよぎる カミーユビダン
シャアアズナブル
ジェリドメサ
パプティマスシロッコ
アムロレイ
ヤザンゲーブル キラーカールクラップ
こんなレスラーでワールドリーグと言い張った厚顔もすごいが
それでリーグ戦が面白かったのは輪をかけて凄い >>33
ギャグで書いたのにランク付けされててワロタ ダスティー・ローデスとは意外に凡戦だった(๑•﹏•) 猪木vsアンドレは、キャラが立ってるプロレスの天才同士が全盛期に戦ってたんだから、つまらなくなるはずないな 横浜アリーナのルスカ対猪木が何気に好き
あのはちゃめちゃさが猪木だ オットー・ワンツはAWA世界王者になっているのにIWGPでダークホースにも挙がっていなかったのは不思議。 >>64
「落選やバッシング等で落ち込んでいる時に真剣なファンの方に励まされた」と猪木自身が語っていた。
試合前は石橋が「タチの悪い素人」とからかい気味だったのが、試合後は感動気味だった。 >>31
隠れ名勝負なら1974年のシーン・リーガン戦
小林邦明もNO1名勝負に挙げているが
俺も同感! 今一つ大成しきれなかったキングコング・バンディ。
新日に来る前に米国でPWF王座に挑戦の実績あり。 猪木にとって不運だったのは、
ドリー、レイス、ブリスコ、テリー、ペドロ・モラレス
ミル・マスカラスといった70年代にブレイクした
中型のテクニシャンタイプの好敵手を全日に取られてしまったこと。
しかし、馬場も、こういうタイプの選手とは手が合わない。
両団体にとって、不都合な時代だった。 しかし、シンという好敵手を作り上げた。
シンは全日ではインパクトを残せなくてイマイチだったな。 レスラーとしての一番いい時期に名レスラーと対戦できなかったのは不幸だった
少しは選手を融通しろよ馬場 4年くらい前の蝶野の番組で言ってたこと総合すると、
・ジェットシン(猪木は常にシンをこう呼ぶ)、ハンセンはよく仕事してくれた素晴らしいレスラー
・自分より年下でライバルはいない
ホーガンは自分のシナリオでよくスターになってくれたという感じだろうし、アンドレは規格外すぎてライバルとも違う印象
坂口に常に一目置いていたのも事実だろうが、自分に忠実な参謀がライバルなわけない
マサ斎藤をライバルと言ったのは年齢的にもキャリア的にも実力的にも妥当
なお、馬場には散々悪態ついたが、結局相手にされなかったし、実際猪木の方が日本のプロレスを象徴するレスラーになったし、何より大仁田によると、馬場の死の直前でも夜の街で会ったら猪木から挨拶に来るんだからライバルじゃない 週プロのレスラー名鑑で猪木が「ライバル」の欄に必ず「ジャイアント馬場」と書いていたことにはある種の感動を覚えたけれどな
(馬場の方は「なし」) 1980.2.8のハンセンとのNWF戦はスリリングな名勝負。ハンセン株急上昇の一戦。
猪木タイトル奪回の4.3は、猪木がまだカバーに入っていないのに、レフェリーがカウントを始めてしまい
そのまま3カウント。
ハンセンがよく抗議しなかったと思う。 ハンセンvs猪木
ラリアットは喰らったら終了の必殺技扱いだったのでハンセンがロープに飛ばすと固唾を飲んで見守ってた ハンセン、バックランド、ホーガン、ブロディも鶴田と同世代で猪木より年下じゃないか >>94
あれは他の項目も毎年同じだったから、自動更新みたいなもの 同じものを翌年以降も使い回したのかどうかは知らんが、猪木に関しては最初の年は週プロの記者が聞き取りでアンケートしている
「ところで猪木さんのライバルは?」
「ライバル?ジャイアント馬場だな」
猪木さんはにっこり笑って答えた…みたいな起債があった 馬場さんのライバルと言うとディック・ザ・ブルーザー、ジン・キニスキー、ウィルバー・スナイダー、
ドリーにレイスにボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリックあたり!?🤔 >>100
ブルーノ・サンマルチノ、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・デストロイヤー、スタン・ハンセンもだね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています