【250パウンド、アッ!】昭和の全日本プロレス122【ひどいことをするもんです】
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【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】
【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】
【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】
【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】
【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】
【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11)
【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】
【世界王座】昭和の全日本プロレス26【争覇戦】
【メフィスト】昭和の全日本プロレス27【マーシャルボーグ】
【桜田】昭和の全日本プロレス28【轡田】
【駿府会館】昭和の全日本プロレス30【九電体育館】(実質29スレ)
【三沢タイガー】昭和の全日本プロレス31【川田大笑い】
【PWF杯争奪】昭和の全日本プロレス32【タッグトーナメント】
【テリーが行った】昭和の全日本プロレス33【左のパンチ】
【インター】昭和の全日本プロレス34【PWF UN】
【あ!スタンハンセンだ!】昭和の全日本プロレス35【ハンセンですよ】 >>836
レイ・スティーヴンスじゃなくて戦前の世界王者だったレイ・スティールだね
STFの創始者でテーズが度々真の実力者だと持ち上げていた人
83年の3月号か4月号かのデラプロにレイ・スティールがテキサスクローバーの体勢に入る(ステップオーバーしていたかは不明)写真が載っていた
他にサソリ固めは初来日時のマスカラス以前にも国際に来日した欧州系の選手が使っていたらしいし
ドラゴンスリーパーも昔からある技だと流智美が90年代の週プロの連載コラムの中で写真を交える形で紹介していた
>>850
アキレス腱固めの攻防なんて70年代の試合では珍しくも何ともないよ
猪木vs坂口とかデストロイヤーvsマスカラスのシングルなんかでも見られていたし >>853
それってフロントネックチャンスリーでは? >>855
馬場がフロントネックロックを「かけられてる側」
要するに投げっぱなしノーザンライトスープレックスって感じでしょ
写真あったよね、子供のとき見た記憶ある >>853
youtubeに、スレーターをブレーンバスターで仕留めた映像があった。 日本プロレスでは、ブレーンバスターはK・K・コックスとターザン・タイラー
日本側では、猪木。4の字はデストロイヤー、日本側は大木。
と言うように使い手は決まっていた。
相手の得意技は使わないのが仁義。馬場も猪木が卍固めを
開発してからコブラを使い出した。
そういう暗黙のルールが破られたのが全日になってから。
馬場も日プロ時代使わなかったバックドロップ、ブレーンバスター
4の字、サイド・スープレックスなんでもござれだ。
外人も、この選手はこの技というのがなくなった。 >>846
> 馬場の四の字となれば木村戦以外にはどれかな
1977年9月、小樽でのvsロビンソンPWF戦の3本目で使ってる。 >>863
最終戦で組まれたタイトルマッチ。
このシリーズで札幌大会はあったものの中島ではなく西区のヨーカ堂駐車場特設で開催されています。 やっぱり昭和全日で、一番インパクトがあったシーンだろうな。
全日本の控室からブロディ、スヌーカ・・・「あっ! ハンセンだ!」。サプライズ登場の瞬間、実況の倉持隆夫アナは嘘をついた
https://news.yahoo.co.jp/articles/a1fa3fec1a0a7f3ec1ff2d358656305ae0f96dda >>863
そのシリーズは鶴田とマスカラスの雨上がりの田園コロシアムが終わった後に地方でひっそりとやっていたけど、一年前が蔵前だから寂しい感じ。 今日はブッチャーのUS奪取日
そう言えばブッチャーのタイトル奪取は全部十月なんだよな ブッチャーの全日最後の戴冠は80年10月のUNか。
復帰後(87年~)はタイトル獲れなかったな。 >>865
今年のGWにNHKFMでやったプロレス三昧の時
ますだおかだの増田は、この試合の会場を後楽園ホールだと勘違いしていたが
それを訂正した倉持も「あれは東京都体育館です」とさらに間違えてた >>870
復帰後に挑戦したのはPWFタッグとインターだったか >>869
今日はその日
当日はPWFを奪ったロビンソンと奪われた馬場によるPWF戦も行われていた ハンセン乱入後に馬場が怒ってコメントをしているが
竹中直人の笑いながら怒る人みたいで「してやったり!」が隠しきれていない
この後に藤波の結婚式があって長州が
「契約金が四千万円だって?冗談じゃないよ、外人をいい気にさせすぎだよ」と言ってしまった 「あ!スタン・ハンセンだ!」
これが倉持アナウンサーの史上最高の実況だったとは。 自分はオープンタッグの方に一票
あれこそがテリーをスーパーヒーローにした >>870 >>873
いや、これはボビーダンカンジュニアだ 倉持は、控室出口のテンガロンハット映像でハンセンと
わかって驚いたが、テレ朝との関係で言っちゃいけないと思ってたら
場内に思いっきりモニター映って、これはやるしかない!って
叫んだと語ってるね。上の記事で。
なるほどなあ。 >>871
いくらなんでも、蔵前国技館と後楽園ホールを
勘違いするなんて、広さが全然違う!www >>875
その長州も3年後にいい気にさせてもらってたな。 >>877
言われてみれば、ハンセン全日登場はもうゴールデンタイムを追われた後に起きたんだよね。
オープンタッグは土曜20時の全国ネットだから、こちらの方もかなりインパクトはあったよな。
ブッチャーがテリーの右腕をフォークで「えぐり抜きます!」。全日本プロレスの名実況アナが振り返るまさかの瞬間
https://news.yahoo.co.jp/articles/7caed4304ad27d3a812b3aa3a095ef01ebb5456a >>887
ドスはなぜかヒワイな顔つきw
ハンサムナイスガイだというのに >>884
オレが行った横須賀か?
記憶にある一試合目と違うな…。川田vs百田じゃなかったか…。
パンフ見返してみよう >>890
正解!
12月11日
横須賀市総合体育館
6人タッグマッチ60分1本勝負
ジャイアント馬場 リック・フレアー
ドリー・ファンク・ジュニア(1-0)ロン・フラー
ザ・グレート・カブキ バリー・ウインダム
①馬場(15分19秒体固め)ウインダム
タッグ・リーグ戦 45分1本勝負
スタン・ハンセン (1-0)タイガー・ジェット・シン
ブルーザー・ブロディ 上田馬之助
①ハンセン組(9分5秒反則勝ち=凶器攻撃)シン組
タッグ・リーグ戦 45分1本勝負
ミル・マスカラス(1-0)鶴見五郎
ドス・カラス ザ・モンゴリアン
①マスカラス(10分6秒体固め=ダイビング・ボディアタック)モンゴリアン
タッグマッチ30分1本勝負
ジャンボ鶴田(1-0)マイティ井上
天龍源一郎 阿修羅・原
①天龍(17分10秒リングアウト)原
場外戦となり、天龍が原へ延髄蹴りを決めてリングに戻り勝利。
30分1本勝負
石川敬士(14分46秒サソリ固め)越中詩郎
20分1本勝負
渕正伸(12分26秒足首固め)三沢光晴
ウルトラセブン(11分39秒片エビ固め=ダイビング・ボディアタック)冬木弘道
15分1本勝負
菅原伸義(10分19秒エビ固め)ターザン後藤
百田光雄(12分4秒片エビ固め)川田利明 >>884
タイガー後藤って表記されてるけど、此れってターザンの間違い?。 昔がゴムスタンプに入りきらない試合は、表記カットされていたよね。すっかり忘れていた。 川田はデビューの頃はカタカナでカワダのゴム印を継ぎ接ぎして作ったとか 田舎では日曜深夜に全日本中継で、ハンセン乱入事件勃発。
裏番組は白バイ野郎ジョン&パンチ。
少年にとってはどっちも見たいし月曜日の学校での
話題になるからみんなチャンネルガチャガチャしてみてたっていってたな(笑) 田舎では日曜深夜に全日本中継で、ハンセン乱入事件勃発。
裏番組は白バイ野郎ジョン&パンチ。
少年にとってはどっちも見たいし月曜日の学校での
話題になるからみんなチャンネルガチャガチャしてみてたっていってたな(笑) >>866
「テレビはプロレスから始まった」って
日本の場合は決して大げさな話じゃないんだよな >>901
戦後、黎明期のテレビプロレスはトルーマン大統領の「3S」政策を参考にしたらしい
国民をコントロールするための「スポーツ、スクリーン、セックス」で
ブルーカラーはプロレス、ホワイトカラーはディズニーを見て
敗戦国の日本人を高揚させると。
だから読売新間も裏社会も一緒になって力道山を応援し、NHKも日本テレビも中継した。
決して力道山一人のアイディアや行動力でアメリカからプロレスを持ってきた訳ではなく
それは後から作られたストーリーと書かれている書もある。 昨夜のG+でハンセンと鶴田の初トリプル戦を放送
当時はAWAの陰だったが実は鶴田のPWF初挑戦でPWFとインターの初ダブルでもあったんだよな あと実は鶴田とハンセンのシングルでの初タイトル戦でもある >>900
だからってレスまで並行させんでもよろしいわw >>899
ジョン&パンチって、日本では日テレが放送したんだよね?地方だと他系列で腸捻転放送だったのか。 >>907
地方で民放たった2局だったから。
めちゃくちゃだったかも(笑) 今朝、徳光のラジオに舟橋慶一がゲストに来て
徳光が「私の考えるプロレスアナベスト3」を挙げてたけど
1位舟橋、2位若林、3位古館と言ってた
徳光から見たら、倉持は若林より下なのか >>911
倉持は実際に良くない
技の名前間違えてばかりだった >>913
技の名前はどうでもええわ。
ベビーフェースの選手を盛り上げる実況させたら、倉持が一番上手いよなあ。 若林はプロレスファン部分が出過ぎだけど間違いも多かった
古舘はプロレスだけでなくスポーツ実況全般に影響を及ぼしたな スレチ承知で個人的ベストワンは平川アナ
実況の正確さと適度な距離感、プロレスに対するリスペクトも充分だしバランスが良い 猪木の告別式の写真、中央にいて一番目立ってたのがタイガー服部だが
タイガー服部は平成全日本と昭和全日本のイメージ 古舘はウケと笑いはとれるが中身は空虚。
おしゃれ30・30で馬場ファンの中野浩一がゲストの時
猪木をさん付け、馬場を呼び捨てにした事は忘れない。
常識人ならどちらも呼び捨てかさん付けにすべき。
中野浩一が「馬場さんでしょう〜(ズッコケ苦笑い)」 全日本での服部だとやはり横浜のインタータッグでの遮りラリアット
あと最強タッグでのブッチャー組とシーク組の公式戦 劣化フォロワーの辻を産み出しF1を衰退させたポエマー古舘は疫病神 タイガー服部が参入して来てからのジョー樋口の気持ちを知りたいな >>928
服部よりも京平の方が複雑な心境だったと思うけど。ジョーはまだメインレフリー扱いだけど京平は服部がいたら3番手だから。長州達のUターンは京平の運命も変えた。 服部は英語が喋れるからジョーの後釜で外人係とかブッキングとかでも役に立つかもしれないけど、京平にはないものだから。 服部はマサ斎藤と一緒に全米サーキットしてたからプロレス界に場慣れし過ぎてるしねぇ 80年の最強タッグにレフェリーとして参加してんだよな…
月刊プロレスのニックの撮影日記で外人勢と一緒に写ってた。
ジョー樋口や和田京平に比べると胡散臭い謎の東洋人て印象だったw
MSGタッグの方ではルスカにカメラ持たせてた(パワーズのことボロクソ書いてたw)けど、
同じように写り込んでたのがミスター空中。
当時、新日ではミスター空中が外人のアテンドみたいなことやってたんだろうか。
こっちも名前含めて怪しい感じだった。 服部は80最強タッグから翌81新春ジャイアントSまで居たな
大阪でシークに捕まって大流血させられてた
長くハンセンの試合を裁けなかった京平よりはソツなくこなしてた印象がある レスリング部上がりで明大出身だから全日の馬場より新日坂口の方に親近感が有るのかもね 京平は鶴龍対決も88年の横浜から担当してようやくメインレフリーの立場になったけど、それもジョーから日本人対決はお前に任せるって言われてからだからそれこそ苦節十何年の話だもの。 >>936
10月はジョーだったから、そのイメージが強すぎて間違ったな。 京平が初めてヘビー級のタイトル戦を任されたのは87年4月のインター戦(鶴田VS谷津)かな ジョーもなにげに柔道の猛者なんだよな。
旧全日本プロレス出身だしな。 新倉が書いていたが一番試合がやりやすかったレフェリーは和田で
一番やりにくかったのはミスター林だったそうだ たしかガチンコプロレストーナメントで
ジョーはかなり上位に行ったはず >>943
林は何やってもあかんな 図々しさだけがとりえでも 同級生は試合会場へ向かう地方の歩道でミスター林のヒジが当たったのに
「イテーー!!なんだ!」
と言われたと怒っていた >>926
服部は不可解なミスジャッジや、ジャパンへのえこひいき判定が多かったから、ワーストのレフェリーだと思ってる。まあ、今から考えたら、台本通りやってるんだろうけと、ジョーさんのような、許せるような可愛らしい雰囲気が出せないからイライラしかせんかった。
ジョーさん差し置いて、全日のメインレフェリー気取ってたのも好かん。 >>949
仲田龍が「控室で試合後にカブキさんが服部さんにヤキ入れてるのを見た」と
言ってたけどそういうのが積み重なったからなんかね 服部で思い出したんだが 1985年2月21日に大阪城ホールで行われたジャパンVS全日本VS国際血盟軍全面対抗戦(ジャパンプロ初の主催興行)を生観戦した
この日の目玉カードは長州VS天龍、谷津VS鶴田、カーンVS馬場のトリプルメインイベントで問題は谷津VS鶴田戦で起こった
谷津と鶴田の実力差は歴然としていて観客の多くはピンフォールかKOで鶴田の完全勝利を期待していた
しかし結果は服部の超不可解な裁定で鶴田のリングアウト勝ち(詳細は長くなるので省く)
納得いかない谷津とジャパンセコンド勢は服部に猛抗議、場内は「服部帰れ!服部帰れ!」「出てこい樋口!出てこい樋口!」の大合唱でリングにはゴミが投げられる始末でした >>946
自分の見てたのは月刊プロレス(たぶん81年2月号かな)で
あっちは確かモノクロページでの特集だったんで、これらの画像をカラーで見たの初めて。
面白いものをありがとう。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。