【250パウンド、アッ!】昭和の全日本プロレス122【ひどいことをするもんです】
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あれを上回る活況期は新日本にもそうは無い >>236
ここが面白いが馬場の扱いこそが藤波以前の本来のジュニアヘビー
いわばホッジやロイヤルみたいな位置付けとカラーなんだよな 馬場の体重は実質90kgぐらいだろうからジュニア戦線に参戦すべきだったな >>227
NWAが認可し、PWFが認定する・・・
日本プロレス時代のインタータッグはJWA認定王座 >>242
WWAが1968年秋に崩壊してからは、一応、インターシングルと共に
NWAと日本プロレスコミッショナーの認定になったのでは?
シングルは明らかに、世界ヘビー級王座と同じNWA認定だが
タッグは、あまりどこの認定とかは言っていなかったと思う。 >>234
グランのはUWAだから馬場的にどうでも良いのかな?
てか登場UWA王者だったの?現役王者なのに日本で燻ってたのか 全日本で行われた年代順タイトルマッチ(争奪戦は省く)
01.PWF認定(世界)ヘビー級
02.(PWF認定)USヘビー級
03.PWF認定南米ヘビー級
04.PWF認定太平洋ヘビー級
05.PWF認定南半球ヘビー級
06.PWF認定インターナショナルタッグ
07.NWA世界ヘビー級
08.英連邦ヘビー級(ニュージーランド版)
09.NWA認定世界ジュニアヘビー級
10.WWWFヘビー級
11.PWF認定アジアヘビー級
12.PWF認定アジアタッグ
13.PWF認定UNヘビー級
14.ALLLヘビー級
15.UWA認定ライトヘビー級
16.AWA認定世界ヘビー級
17.PWF認定インターナショナルヘビー級
18.IWA認定世界ヘビー級
19.NWA認定インターナショナルジュニアヘビー級
20.NWA認定ミズーリ州ヘビー級
21.PWF認定世界タッグ
22.世界ジュニアヘビー級
23.世界タッグ
三冠ヘビーはどこだっけ? 03、04、05、10、14、15、20
これらが1回だけかな?
一番レアが実はWWWFということではないか、なにせ客がほぼいなかった。 さま
>>246
ミズーリ選手権は石川と天龍とで2回行われてる。 >>244
新春オールスターウォーズではNWA王者 >>245
PWF認定(世界)ヘビー級が制定される前1972年12月14日、岡山で
王者、デストロイヤー対挑戦者、サンダー杉山のUS選手権が行われた。
(当時は、まだPWF認定ではなく、デストがアメリカで保持していたタイトル)
これが、全日で最初に行われたタイトルマッチ(後のPWF世界争奪戦は除く) >>249
ブッチャーが保持しててデストのUSとダブルタイトルマッチやった。 >>40
日本刀持って事務所殴り込みとか、
当時でもニュースになるレベルで犯罪。
ましてや本当に切りつけたら小鹿の人生が終わる。
本当にそんな事あったのかな。 >>245
三冠はPWF・インター・UNの統一王座だから別にいいんじゃない?
同様に世界タッグもインタータッグ・PWFタッグの統一王座だから
リストから外すべき。 ちなみに歌舞伎町の青龍刀事件といえばチャイナマフィアが縄張り争いで敵対組織に青龍刀振り回して殴りこんだ事件と思われがちだが
実際は台湾マフィアの宴会で酒乱が店の飾りの青龍刀を振り回して暴れて怪我人が数人出たショボい事件
犯人は捕まらず(引き渡されず)海に浮かんでた云々 >>243
倉持はシングルとタッグとジュニアのいずれに関しても
「NWAのインター」とか「NWAが認定するインター」等とNWAを強調していたな
テレビのテロップではNWAと表示されたりされなかったり
プロレス誌は概ねNWA認定と表記していたと思う >>253
新日旗揚げ前の有名な話ね。
事務所には藤波と事務員(一般人)がいたらしく
「僕は奥にいて声が聞こえたんだけど、小鹿さんはわかりました」(藤波)
「俺と林で日本刀持っていったんだよ。冬だからオーバーを着て
懐に日本刀を持って」(小鹿)『プロレス取調室』より
この話は東スポの小鹿の手記でも触れられているが、時系列がおかしい。
小鹿によると、日本刀を持って殴り込んだのは全日に合流する直前で
馬場に対するネガティブキャンペーンを張ってる男がいて、そいつがどうしても許せず
殴り込んだらしい。
事務員しかいなかったが、後日、藤波の談によると事務員が
「藤波さん、逃げてください」と奥に隠したらしい。
レスラーがいたら小鹿は何をしでかすか分からないという判断だったらしく
「誰もいません」と言われ黙って帰ってきたという。
『プロレス取調室』の話は新日旗揚げ前だから1972年
『東京スポーツ-グレート小鹿連載』は全日に合流する前だから1973年
話の内容は一致するんだけどね、、、 小鹿のことだから話を大きくしてるだけだろ
爺の武勇伝自慢だ >>254
世界タッグは最初PWFタッグのベルトのみ使っていたようにどちらかと言うと言うとPWF世界タッグがインタータッグを吸収してPWFを外した印象 >>245
昭和期はこれだけやってた全日本が三冠統一後は完全に四つのタイトルのみで回してしまったのが凄い >>245
ジュニアヘビーのタイトル戦を先にやったのも全日本なんだよな
新日本はそれをヒントに本格化させたという感じ >>262
全日のジュニアヘビーなんか
1974年に大型の鶴田を無理に挑戦させたり、
75年、Hマツダに他団体のマイティ井上を挑戦させただけ。
馬場は軽量級を軽視していた。
それ以前にも、国際プロレスでダニーホッジ対マツダや
日本プロレスでホッジ対松岡のNWAジュニア世界戦があった。
国際では、69年から田中忠治を、75年からは寺西を
IWAミッドヘビー級王者に認定し、防衛戦を行った。
新日が、国際を見て、藤波をWWWFジュニア王者にした
ということは考えられても、全日を見て、というのは想像が出来ないね。
逆に、全日が藤波のジュニア路線の成功を見て、大仁田とか渕を
ジュニア戦士にしたんだろ。 >>263
> 逆に、全日が藤波のジュニア路線の成功を見て、大仁田とか渕を
> ジュニア戦士にしたんだろ。
藤波じゃなくてタイガーマスクだろ。 そもそもインターナショナルって何なんだ?
世界とどう違うんだ?
と物思いにふけってたな。 大木がインターヘビーを持って独立、インタータッグは全日本管轄、の経緯がよくわからない。 >>263
鶴田が挑戦したのを見て藤波をジュニアで対抗馬とする発想を思い付いたんだろうな
おそらくは猪木でなく新間だろが 馬場以上にヘビー偏重なWWWFならジュニアヘビー王座なんかいらないだろうし
それら全ての意味を合わせてちょうど良かったろうし >>268
鶴田がNWAジュニアに挑戦したのは一回こっきり、
それも彼の体格からすれば無理な挑戦だった。
その後、UNヘビー級を取らせた。
藤波をジュニアヘビー級王者にしたのは
彼が、そのウエイトだったから、
ただ、それだけだろ?ww 鶴田の挑戦と失敗無くしてジュニアヘビーを活用するという発想がゼロから出てきたかなんだよな
鶴田があっさり取れてその場で返上したりなんかしてたらそんなのはならなかったと思うが >>264
そっちのイメージだが
しかし後出しで大仁田はなあ
岩にトーフぶつけるようなもんだったよ >>271
鶴田のあの体格でジュニア王者にするわけjないし
奪取してすぐ返上という「何で挑戦したんだよ?」と非難されるようなことさせるなんて
さらにありえない。
単にシングルのタイトルマッチの経験を積ませただけだよ。 史上初(かわからんが)のNWAダブルタイトル戦やりたかっただけだろ ちょっと心身共に疲れてそうな源ちゃんがますます老けこみそうで少し心配だ >>274
そう!74年暮れに鶴田をNWAジュニアに挑戦させたのは
日本プロレス史上初のヘビーとジュニアNWA世界戦開催
&師弟同時戴冠を煽ったんだろうな。
ちなみに、1969年暮れ、日プロはNWA世界ヘビー級王者
ドリ―ファンクJrと同ジュニアヘビー級王者、ダニーホッジを
招聘し、ヘビーには馬場、そしてジュニアには猪木を挑戦させる
という案も出た。結局、猪木も本来のヘビー級に挑戦したのだが。
なら、同シリーズには、ヒロ・マツダも参加していたのだから
ホッジ対マツダのジュニアヘビー級戦もやっても良かったのに。 >>264
いや藤波のライバル的なポジションにいたチャボ・ゲレロを引き抜いたくらいだから
ドラゴンブームで特に若大将人気が割を喰った事を意識したんじゃないの?
>>272
大仁田の場合王者に据えるのならもっとスキルアップさせて
試合の幅を広げてからにするべきだった
渕にも言えるんだけど大仁田はプエルトリコやテネシーでやっていた
ラフ中心の日系ヒール流試合スタイルが抜けなくて
それがジュニア=正統派の攻防を期待する当時のファンには受け入れられなかった
後大仁田の良く言えば血気盛ん悪く言えば暑苦しいアブラギッシュなキャラも
ジュニア王者に子供たちのヒーロー的存在を望まれるあの頃の空気に合ってなかった そもそも鶴田ってデビューしたときからすでに100キロ以上余裕でありそうだけど、
当時はジュニアの概念があまり浸透してなかったからそんなに疑問の声とかなかったんかな。 馬場やサムソンとかでかいのがいて外人レスラーも巨漢だから
ファンはそんなもんかって見えたんだろな。 鶴田のジュニア挑戦はその年の正月、NWAヘビーとPWFヘビーの両選手権を
同日にやってしまうような豪華カードをやってしまって
さらなる刺激策として企画してきたものだろうと思う。
マンテルも華のないレスラーだったし、鶴田も気乗り薄みたいな感じだったので
あまり注目されなかったというまぁ企画倒れだったんだな。
鶴田の体重もどうみてもインチキ臭かったが後のタイガーやマイティにしても
ジュニアのリミットはあってないようなものという概念ができてしまったのも罪だな。 初代タイガーは173センチ、鶴田は194センチ。
Jrヘビー級。 >>280
一応NWAは105キロ以下だから。ただ鶴田が実際に105キロ以下だったかは怪しい。 デビュー直後の鋼ですらっとした鶴田は線が細く頼りなかった。
が、周りが巨体揃いだっただけなんだよな。 パンフではいつも115キロだったし
10キロ増し記載を考えるとギリか。 当時の東スポには鶴田の減量報告みたいな感じで
リミットまであと5Kg、数日前にはあと2kg、順調と報道されていたが
おそらく計ってもいないし記者も聞いてないと思われる
確かにシリーズ開幕のころには10s超過なので……とは報じられていた。
変に律儀なところもあってタイトルマッチが終わると
最終戦のブリスコへの挑戦試合に向けて体重を戻してきたとも報じられていた。 新日本ではそれ以上の無茶振りをグレッグ・バレンタインにやらせてたよな “謎の中国人”カン・フー・リー(グレート小鹿)がテリー・ファンクから西部ヘビー級王座を奪取! ブーイングの嵐!!【週刊プロレス昔話】 それでも一番肝心なのは世界ジュニアヘビー王座が平成四大タイトルの一つとしてしっかり生き残ったって点
ヘビー級が無差別級だと明記されている全日本においてはむしろ百五キロ以下でなければ挑戦出来ない唯一の王座って感じで 石立鉄男さんは大好きな役者の一人だが、主演は大抵コメディドラマで脇役のときはガミガミ怒鳴る恐い役が多いのが面白い。
こんなに硬軟自在に使い分ける役者は石立鉄男さんくらいだな。 全日本ジュニアの歴史の中でもう一つ重要なのがロイヤルとマドリルの輸入マッチ
いわば渕時代のプロトタイプって感じも 1987年最強タッグ、木村鶴見組かタイガー仲野組は優勝を期待していまし。 87最強タッグは木村鶴見が1回あったけどタイガー仲野は一度もテレビに映らなかった タイガー仲野のテレビ初登場は翌年のマレンコ兄弟戦が初だったか 87年の最強タッグは豪華だったけど、タイガー・ジェット・シンも参加させて欲しかった。尚更豪華になったのに。 >>298
ほんとに毎日放送がプロレスやってたんだな
いつくらいまでやってたんだろう
新日の中継始まってしばらくは毎日放送がやってたってことだよな >>302
朝日放送はTWWAプロレス中継(国際)を放送して、腸捻転解消後はワールドプロレスリングを放送 MBSはUWFの大阪球場大会を主催したり、旗揚げ間もない頃のノアの
大阪大会の中継をしたりしてたな。 リングアナだった原軍治さんの消息ご存知の方いらっしゃいませんか? >>300
シンがいれば世界最上ヒールタッグ決定戦みたいなものでもあるけど
キャラがいすぎてもったいないよ。
シンにはタッグのそれより一回、CCに出てほしかった。
きっと最終戦あたりまでトップを逃げ続ける展開だったと思える。
来た時にはもうリーグ戦はなくなってたけど。 83年以降のカーニバルは見たかったな
馬場抜きの2ブロック制でできなかったかね・・・無理か退く気ないもんね。。 >>308
85、86年のチャンカーは、長州ら維新軍を
参加させざるを得ないでしょう?
そうなると、正規軍、維新軍同士の予選、決勝戦に
なってしまうかもしれない。
そうすると、軍団抗争のテーマがぼやける。
星を露骨に操作して、その対戦を回避すると
ファンがしらけるね。 AブロックBブロックでうまく分けたら
(今くらいの感覚なら)問題なく楽しめると思うが
当時のまだ青臭いセンスなら「作為、インチキ、ブー!」と糾弾されるだろうね。 >>309
最強タッグでもジャパン代表は一チームだったんだよな リーグ戦に関しては今の方が青臭いというか下手くそだと思うけどな
昭和の最強タッグとか星取りの流れが上手いなと思うわ、今見ても
両者リングアウトや反則決着を存分に使えたというのもあるけど 1番のポイントは時間切れ以外の引き分けは無得点という所だろうな >>313
「時間切れ引き分け以外」は引き分けではない。
「両者リングアウト」は正確には「両者リングアウト負け」
「両者反則」は正確には「両者反則負け」だから無得点という解釈だからな。 >>314
最強タッグとMSGタッグリーグの採点を逆にしたら、優勝チームがかなり変わった まさに心中可能なルールなんだよな
これで存在感を発揮したのがシークと上田 今日はマレンコ兄弟の世界ジュニア対決の日
ファンクスのインター対決が良く引き合いに出されるが同じ会場ではキッドとスミスのWWFジュニア対決もやってたんだよな 伝説継承。プロレス50年を背負った男たち
https://number.bunshun.jp/articles/-/853843
新日中心の内容だけど、渕と大仁田の対談には期待 ちょうど昨日はフットルースと決起軍のアジアタッグの日
史上初の二十代のみによるアジアタッグだったんだよな 冬木と川田ってどんな関係だったんだろ
互いの口からもあまり語られないよな >>325
レスラーとしては高く評価していて、
若手時代は世話になったと感謝している
ようだけど性格的には合わないようだね。 川田はチームリーダーは冬木さんだったと言っていた位で上手さには一目置いていたみたい
冬木と仲が良かったのは三沢だった 昨夜のG+でチャボと井上の初戦をやっていたが冬木と川田がそれぞれのセコンドに付いてたな
チャボと井上はやはりこの初戦がベストの印象 >>326
そこはキッチリ分けるのが川田だよな
逆に分けられなかったのが三沢 冬木は格闘技経験ゼロで国際に入門し全日本へ至ったが、プロレスのセンスをどの時期に身につけたのだろう?
なまじ格闘技経験が無いことが幸いしたのだろうか? >>326
海外修行をそこそこやってたので、そこでかもしれない。川田と組んで、若き日のHBKとも対戦している。 飲みニケーションをいやがる今どきの若い連中には天龍源一郎というクソショッパいレスラーが
記者連中におごりまくることでMr.プロレスなんて持ち上げられて何度もプロレス大賞のベストバウト賞をとり
飲みを断らないことでたくさんタニマチをつけ引退後も仕事にありついてる
(プロレス誌に偉そうな連載持ってるのに一般紙やTVにでると「引退後はプロレスは見てない」とかのたまう)
そういう人脈作りは大事だってことを教えるべきだと思う 元国際と全日本デビューのコンビに対し元新日本のコンビという点に若手層の厚さが表れていた印象 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています