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日プロ時代はインターで全日本時代は(二代目以降の)PWFだな
逆はあり得ない >>199
小橋もPWFを結構締めてた様な気がするんだけど違ったっけ? 鶴田も勝利後にPWFを締めた場面が
単独では取ってなかったので特に印象的 ウイリアムスがUNを腰に巻いてる画像を見たような気が…
でも、のちに一本になったときにはPWFイメージをセンターに置いたね
あれはいいデザインだと感心した。 >>195
ジャパン撤退がなくても鶴龍解散の流れはあったかも。カードに行き詰ってた感はあった。 鶴田が郡山でアクシデントかなんかでNWA獲っちゃって
武道館前日の地方でひっそりフレアーに奪回させる展開を希望していたが、もちろん無く。。 あれはPWFの防衛戦で、ついでにNWAも賭けたということではどうかしらん チャンピオンベルト実物大写真集ってのがあって
AWAだけは縮小してあるますって書かれてたな >>205
ニックからAWAを取って初防衛した後も地方の最終戦とかで返すかと思ってた >>209
あれは最初からダブル戦の予定じゃなかったかな
先に鹿児島で取ったから同時防衛戦に NWAベルトを腰に巻いて、PWFベルトは手で持ってリングインしたよな。とてもカッコよく感じた。
ただ子ども心に、一度負けたら両方とも持っていかれるタイトル戦は理不尽だと感じたな。 初代タイガーはジュニアの二冠王だったが同時防衛戦は一度しかやってないんだよな >>209
実は馬場の連続防衛の新記録でもあったんだよな >>213
子供心にしたらそうだろうし大人になってみると
賭け金を無くしているのにもう一丁あと半班っていうことだろうから
間違ってると思える >>214
小林邦昭との2戦目蔵前か
実はNWAの初防衛戦じゃなかったっけ ソントンから奪取しての半年ギリギリだったんだよな
本来は広島でリターンマッチだったんだろうが 馬場はジュニアの王座に関してはNWA新日オケだったのが謎 そりゃ藤波が出てくるまではジュニアなんかどうでもいい存在だったし
いくら馬場でもNWAに関する権利を全部独占できるわけではない。 クーデター以前から初代タイガーの一本釣りを狙ってたのかも >>221
キムケンでもNWAタイトル獲ったことあるしな 反ボブガイゲルのエディグラハムが新日と組んで作ったジュニアタイトルが、ベルトごと全日に引き抜かれて、
その後は全日の看板タイトルになる。ベルトが作られた当時に、こんな行く末を想像できた人なんて皆無だろうな。 子飼いの駒かNWAミドル取っても、なーーーんのフォローもしなかったんだっけ? NWAタッグの王座は↓もっとどうでもいい存在だった
https://www.wrestling-titles.com/jp/nwa/j-nwa-t.html
全日のインタータッグはNWA認定だったな。
AWAタッグの王座はロードウォリアーズが王者で防衛戦やっていた時だけ
脚光を浴びた感じだ。 そう?大仁田厚vsドスカラスなんかは名古屋3大決戦の一つとして謳ってたし、それなりに興行の売りにはなってたと思うけどな。
看板タイトルの定義によるけど ヘビーの王者が3人もいるしな
NWAとAWAの世界王者も定期的に来てたし その後は、→インタージュニア→世界ジュニアになったんだから、やっぱり看板タイトルじゃないのかな? 世界ジュニアは武道館だと真ん中位の試合順だったな
98年のモスマンvs浅子は第2試合w 看板タイトルって、試合順とかあまり関係ないと思っていた。藤波や初代タイガーも、メインとかほとんどなかったし。 >>226
後に浜田が全日本に上がった時もミドル王者だったんだよな
馬場の引退興行のドームで初めてサスケがベルトを持ち込んで来たのも因縁か >>232
馬場時代の世界ジュニアは明らかにアジアタッグより下だったな
扱いが上がったのは本人自身も挑戦した武藤時代 馬場の本心はヘビー級至上主義なのでジュニアはどうでもいい
大仁田や二代目タイガーの時は「ジュニアを盛り上げよう」ではなく
「大仁田(二代目タイガー)を売り出したい」だった
三沢をヘビー級に上げてからは渕を長期でジュニアチャンピオンにしてたほど
ジュニアを放置 馬場時代のジュニアの最盛期は平成元年
あれを上回る活況期は新日本にもそうは無い >>236
ここが面白いが馬場の扱いこそが藤波以前の本来のジュニアヘビー
いわばホッジやロイヤルみたいな位置付けとカラーなんだよな 馬場の体重は実質90kgぐらいだろうからジュニア戦線に参戦すべきだったな >>227
NWAが認可し、PWFが認定する・・・
日本プロレス時代のインタータッグはJWA認定王座 >>242
WWAが1968年秋に崩壊してからは、一応、インターシングルと共に
NWAと日本プロレスコミッショナーの認定になったのでは?
シングルは明らかに、世界ヘビー級王座と同じNWA認定だが
タッグは、あまりどこの認定とかは言っていなかったと思う。 >>234
グランのはUWAだから馬場的にどうでも良いのかな?
てか登場UWA王者だったの?現役王者なのに日本で燻ってたのか 全日本で行われた年代順タイトルマッチ(争奪戦は省く)
01.PWF認定(世界)ヘビー級
02.(PWF認定)USヘビー級
03.PWF認定南米ヘビー級
04.PWF認定太平洋ヘビー級
05.PWF認定南半球ヘビー級
06.PWF認定インターナショナルタッグ
07.NWA世界ヘビー級
08.英連邦ヘビー級(ニュージーランド版)
09.NWA認定世界ジュニアヘビー級
10.WWWFヘビー級
11.PWF認定アジアヘビー級
12.PWF認定アジアタッグ
13.PWF認定UNヘビー級
14.ALLLヘビー級
15.UWA認定ライトヘビー級
16.AWA認定世界ヘビー級
17.PWF認定インターナショナルヘビー級
18.IWA認定世界ヘビー級
19.NWA認定インターナショナルジュニアヘビー級
20.NWA認定ミズーリ州ヘビー級
21.PWF認定世界タッグ
22.世界ジュニアヘビー級
23.世界タッグ
三冠ヘビーはどこだっけ? 03、04、05、10、14、15、20
これらが1回だけかな?
一番レアが実はWWWFということではないか、なにせ客がほぼいなかった。 さま
>>246
ミズーリ選手権は石川と天龍とで2回行われてる。 >>244
新春オールスターウォーズではNWA王者 >>245
PWF認定(世界)ヘビー級が制定される前1972年12月14日、岡山で
王者、デストロイヤー対挑戦者、サンダー杉山のUS選手権が行われた。
(当時は、まだPWF認定ではなく、デストがアメリカで保持していたタイトル)
これが、全日で最初に行われたタイトルマッチ(後のPWF世界争奪戦は除く) >>249
ブッチャーが保持しててデストのUSとダブルタイトルマッチやった。 >>40
日本刀持って事務所殴り込みとか、
当時でもニュースになるレベルで犯罪。
ましてや本当に切りつけたら小鹿の人生が終わる。
本当にそんな事あったのかな。 >>245
三冠はPWF・インター・UNの統一王座だから別にいいんじゃない?
同様に世界タッグもインタータッグ・PWFタッグの統一王座だから
リストから外すべき。 ちなみに歌舞伎町の青龍刀事件といえばチャイナマフィアが縄張り争いで敵対組織に青龍刀振り回して殴りこんだ事件と思われがちだが
実際は台湾マフィアの宴会で酒乱が店の飾りの青龍刀を振り回して暴れて怪我人が数人出たショボい事件
犯人は捕まらず(引き渡されず)海に浮かんでた云々 >>243
倉持はシングルとタッグとジュニアのいずれに関しても
「NWAのインター」とか「NWAが認定するインター」等とNWAを強調していたな
テレビのテロップではNWAと表示されたりされなかったり
プロレス誌は概ねNWA認定と表記していたと思う >>253
新日旗揚げ前の有名な話ね。
事務所には藤波と事務員(一般人)がいたらしく
「僕は奥にいて声が聞こえたんだけど、小鹿さんはわかりました」(藤波)
「俺と林で日本刀持っていったんだよ。冬だからオーバーを着て
懐に日本刀を持って」(小鹿)『プロレス取調室』より
この話は東スポの小鹿の手記でも触れられているが、時系列がおかしい。
小鹿によると、日本刀を持って殴り込んだのは全日に合流する直前で
馬場に対するネガティブキャンペーンを張ってる男がいて、そいつがどうしても許せず
殴り込んだらしい。
事務員しかいなかったが、後日、藤波の談によると事務員が
「藤波さん、逃げてください」と奥に隠したらしい。
レスラーがいたら小鹿は何をしでかすか分からないという判断だったらしく
「誰もいません」と言われ黙って帰ってきたという。
『プロレス取調室』の話は新日旗揚げ前だから1972年
『東京スポーツ-グレート小鹿連載』は全日に合流する前だから1973年
話の内容は一致するんだけどね、、、 小鹿のことだから話を大きくしてるだけだろ
爺の武勇伝自慢だ >>254
世界タッグは最初PWFタッグのベルトのみ使っていたようにどちらかと言うと言うとPWF世界タッグがインタータッグを吸収してPWFを外した印象 >>245
昭和期はこれだけやってた全日本が三冠統一後は完全に四つのタイトルのみで回してしまったのが凄い >>245
ジュニアヘビーのタイトル戦を先にやったのも全日本なんだよな
新日本はそれをヒントに本格化させたという感じ >>262
全日のジュニアヘビーなんか
1974年に大型の鶴田を無理に挑戦させたり、
75年、Hマツダに他団体のマイティ井上を挑戦させただけ。
馬場は軽量級を軽視していた。
それ以前にも、国際プロレスでダニーホッジ対マツダや
日本プロレスでホッジ対松岡のNWAジュニア世界戦があった。
国際では、69年から田中忠治を、75年からは寺西を
IWAミッドヘビー級王者に認定し、防衛戦を行った。
新日が、国際を見て、藤波をWWWFジュニア王者にした
ということは考えられても、全日を見て、というのは想像が出来ないね。
逆に、全日が藤波のジュニア路線の成功を見て、大仁田とか渕を
ジュニア戦士にしたんだろ。 >>263
> 逆に、全日が藤波のジュニア路線の成功を見て、大仁田とか渕を
> ジュニア戦士にしたんだろ。
藤波じゃなくてタイガーマスクだろ。 そもそもインターナショナルって何なんだ?
世界とどう違うんだ?
と物思いにふけってたな。 大木がインターヘビーを持って独立、インタータッグは全日本管轄、の経緯がよくわからない。 >>263
鶴田が挑戦したのを見て藤波をジュニアで対抗馬とする発想を思い付いたんだろうな
おそらくは猪木でなく新間だろが 馬場以上にヘビー偏重なWWWFならジュニアヘビー王座なんかいらないだろうし
それら全ての意味を合わせてちょうど良かったろうし >>268
鶴田がNWAジュニアに挑戦したのは一回こっきり、
それも彼の体格からすれば無理な挑戦だった。
その後、UNヘビー級を取らせた。
藤波をジュニアヘビー級王者にしたのは
彼が、そのウエイトだったから、
ただ、それだけだろ?ww 鶴田の挑戦と失敗無くしてジュニアヘビーを活用するという発想がゼロから出てきたかなんだよな
鶴田があっさり取れてその場で返上したりなんかしてたらそんなのはならなかったと思うが >>264
そっちのイメージだが
しかし後出しで大仁田はなあ
岩にトーフぶつけるようなもんだったよ >>271
鶴田のあの体格でジュニア王者にするわけjないし
奪取してすぐ返上という「何で挑戦したんだよ?」と非難されるようなことさせるなんて
さらにありえない。
単にシングルのタイトルマッチの経験を積ませただけだよ。 史上初(かわからんが)のNWAダブルタイトル戦やりたかっただけだろ ちょっと心身共に疲れてそうな源ちゃんがますます老けこみそうで少し心配だ >>274
そう!74年暮れに鶴田をNWAジュニアに挑戦させたのは
日本プロレス史上初のヘビーとジュニアNWA世界戦開催
&師弟同時戴冠を煽ったんだろうな。
ちなみに、1969年暮れ、日プロはNWA世界ヘビー級王者
ドリ―ファンクJrと同ジュニアヘビー級王者、ダニーホッジを
招聘し、ヘビーには馬場、そしてジュニアには猪木を挑戦させる
という案も出た。結局、猪木も本来のヘビー級に挑戦したのだが。
なら、同シリーズには、ヒロ・マツダも参加していたのだから
ホッジ対マツダのジュニアヘビー級戦もやっても良かったのに。 >>264
いや藤波のライバル的なポジションにいたチャボ・ゲレロを引き抜いたくらいだから
ドラゴンブームで特に若大将人気が割を喰った事を意識したんじゃないの?
>>272
大仁田の場合王者に据えるのならもっとスキルアップさせて
試合の幅を広げてからにするべきだった
渕にも言えるんだけど大仁田はプエルトリコやテネシーでやっていた
ラフ中心の日系ヒール流試合スタイルが抜けなくて
それがジュニア=正統派の攻防を期待する当時のファンには受け入れられなかった
後大仁田の良く言えば血気盛ん悪く言えば暑苦しいアブラギッシュなキャラも
ジュニア王者に子供たちのヒーロー的存在を望まれるあの頃の空気に合ってなかった そもそも鶴田ってデビューしたときからすでに100キロ以上余裕でありそうだけど、
当時はジュニアの概念があまり浸透してなかったからそんなに疑問の声とかなかったんかな。 馬場やサムソンとかでかいのがいて外人レスラーも巨漢だから
ファンはそんなもんかって見えたんだろな。 鶴田のジュニア挑戦はその年の正月、NWAヘビーとPWFヘビーの両選手権を
同日にやってしまうような豪華カードをやってしまって
さらなる刺激策として企画してきたものだろうと思う。
マンテルも華のないレスラーだったし、鶴田も気乗り薄みたいな感じだったので
あまり注目されなかったというまぁ企画倒れだったんだな。
鶴田の体重もどうみてもインチキ臭かったが後のタイガーやマイティにしても
ジュニアのリミットはあってないようなものという概念ができてしまったのも罪だな。 初代タイガーは173センチ、鶴田は194センチ。
Jrヘビー級。 >>280
一応NWAは105キロ以下だから。ただ鶴田が実際に105キロ以下だったかは怪しい。 デビュー直後の鋼ですらっとした鶴田は線が細く頼りなかった。
が、周りが巨体揃いだっただけなんだよな。 パンフではいつも115キロだったし
10キロ増し記載を考えるとギリか。 当時の東スポには鶴田の減量報告みたいな感じで
リミットまであと5Kg、数日前にはあと2kg、順調と報道されていたが
おそらく計ってもいないし記者も聞いてないと思われる
確かにシリーズ開幕のころには10s超過なので……とは報じられていた。
変に律儀なところもあってタイトルマッチが終わると
最終戦のブリスコへの挑戦試合に向けて体重を戻してきたとも報じられていた。 新日本ではそれ以上の無茶振りをグレッグ・バレンタインにやらせてたよな “謎の中国人”カン・フー・リー(グレート小鹿)がテリー・ファンクから西部ヘビー級王座を奪取! ブーイングの嵐!!【週刊プロレス昔話】 それでも一番肝心なのは世界ジュニアヘビー王座が平成四大タイトルの一つとしてしっかり生き残ったって点
ヘビー級が無差別級だと明記されている全日本においてはむしろ百五キロ以下でなければ挑戦出来ない唯一の王座って感じで 石立鉄男さんは大好きな役者の一人だが、主演は大抵コメディドラマで脇役のときはガミガミ怒鳴る恐い役が多いのが面白い。
こんなに硬軟自在に使い分ける役者は石立鉄男さんくらいだな。 全日本ジュニアの歴史の中でもう一つ重要なのがロイヤルとマドリルの輸入マッチ
いわば渕時代のプロトタイプって感じも 1987年最強タッグ、木村鶴見組かタイガー仲野組は優勝を期待していまし。 87最強タッグは木村鶴見が1回あったけどタイガー仲野は一度もテレビに映らなかった タイガー仲野のテレビ初登場は翌年のマレンコ兄弟戦が初だったか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています