関ケ原の戦いはノー・コンテストだと思う(-_-;)
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徳川家康選手と石田三成選手の試合にいきなり小早川秀秋選手が乱入。
試合をぶち壊しにしてしまった。
これは1982年のブルーザー・ブロディ武将とジミー・スヌーカ武将との合戦
同様「無効試合」にして、後日、改めて決着を着けるべきだったとボクは思う(-_-;) >>58
利家は若いときはイケイケだったけど
後年バックヤードの調整役としても評価されてたからね
俺が俺がタイプのエースよりサラリーも高かったらしいから本人的にはいいんじゃない? 大阪城ホールでの試合で宮本武蔵選手も参戦していたようですが目立った動きは、していないようですね(゜_゜;)🏯⚔
あくまでもシングルで実力を発揮した選手で、タッグマッチは不向きだったということでしょうか😊🤼♂ >>59
幸いなことに秀吉選手は数少ないその気が全く無い戦国レスラー。
秀吉選手の男色の気の無さを不思議に思った家臣が
男好きなら放っておかない家中評判の美少年と秀吉選手と二人きりにさせ
後からその美少年に様子を聞いたら、美少年の答えは秀吉選手に
「お前に姉か妹はいるか?お前の女兄弟ならさぞ美人であろうから余にくれぬか?」
と聞かれただけだったと。 「直家さのカミさん美人でええなあ ワシもやりてゃあでかんわ」
病気やなかったら殴ったろ思てましたわ イエヤスは元気な女子
太閤は超メンクイ
ノブナガは気の強い女子と
タッグパートナーを選ぶ基準が
三者三様で面白い >>64
秀吉選手は身分の高い女子
家康選手は身分の低い女子
秀吉は自身の出自の卑しさから
家康は初婚の相手が自分を人質として預かっていた今川義元選手の親戚だったことから
共に身分のコンプレックスがあり
方向は真逆だがそのコンプレックスがそれぞれの女の好みに反映されている。
身長コンプレックスの男ってチビ女を好む奴と
自分より長身の女を好む奴に分かれると思うけれど
それと同じこと。 >>65
七色のコンプレックスってやつ プロレス板としては 家康選手は経産婦・未亡人と関係を持ちましたけど、とても私の感覚では理解出来ません。
戦国時代に生まれていたならば側室は30人くらい欲しかった。少し年上のお姉さんがいいです🥰 家康は寧々に惚れてる、とかいう噂が立つんだから、戦国時代の連中もテキトーなことばっかり言ってたんだろ 広島にいた小早川毅彦は小早川家の子孫と言うが本当か? いっぺん織田信長氏の末裔という織田信成氏と明智光秀氏の末裔という明智憲三郎氏と対談
してみてはどうでしょう。別に信成氏は「先祖の仇だ!」などという考えは持たないと思います😊
明智憲三郎氏の書いた本によりますと、本能寺特設リングで繰り広げられた通称「本能寺の変」で、
本来の標的だったのは徳川家康氏👴だったそうですが、そうだとすると、家康氏にとって、
明智光秀氏は、信長氏の家康氏暗殺計画から救ってくれた「恩人」ということになってしまう
のですが(´;ω;`) アンチ乙
本能寺の変は超人閻魔が明智を甘言で唆した陰謀だから 群雄割拠の戦国プロレスを語り尽くしたあとは、徳川プロレスの旗揚げから崩壊までの検証をお願いしたい。 ミト・コウモン様は陰謀仮面な徳川の一族とは
思えないほど、
ピープルズチャンピオンだったな
実は、秀忠がその名の通り太閤の血が流れていて、
徳川ファミリーに、
時々現れるスーパーベビーは
その影響があるとか聞いたことある 小早川秀秋は関ヶ原興行では気弱な御曹司ギミックでずっとやってきたがバックステージではかなりの武闘派らしいな 人口に膾炙しているあの気弱かつ軟弱そうな顔は
ペイントによるものらしいからな >>73
コウモン様って若い時はストリートファイターだった気が >>76
ハロルド坂田とケンカしてスカウトされたんだよな 徳川本隊がよく「武田は強かった」と持ち上げてたのは出身地が近いとかユニットが合流したのもあるが、一番凄えのはその武田を倒した本隊だというアピールだった気がする >>67
実績重視ということだったんでしょうね
とは言え晩年は新人や若手との対戦も多かったそうですよ 家康選手は信玄選手に負けただけでなく
墓にぶっ掛けるものをひり出すという屈辱的なブックだったな。 安土桃山時代〜江戸時代初期って
日の本プロレスは
スペインやポルトガルに負けない
火力を持っていたと言われてるが、
どうなのだろう 相対的に見れば明治末期〜昭和初期が最強だったのだろうがそれであの結果だからな >>81
鉄砲数十万丁のソースは元はノエル・ペリン「鉄砲を捨てた日本人」がソースでこの本「当時鉄砲の大量生産に成功したのは日本人だけ」とかガバガバな記述ばっか ネジの製法を探るために娘を充てがう親のクズにして鉄砲鍛冶の鑑
八板=ゴールディー=金兵衛
娘の若狭は実はギミックファミリー 伊達輝宗選手の『俺ごと刈れ』は悲しいまでに壮絶な必殺技でした😢享年42歳。 >>84
そうして盗んだ技が「スクリュー・ドライバー」 大阪方がインディ&フリー選手と契約してしてトップとして売り出したのは結構良い試みだと思った
後藤、幸村、木村、母里、明石なんか良かった
新技の騎馬鉄砲含め上手くセルフプロデュースした伊達が、爺父の七光りがありながら燻ってた幸村を引っ張って寝るなんて思わんかった
メジャー所属なのに 松永は信貴山城のバルコニーから飛び降りてブレイクしたんだよな 明智選手が、
スキンヘッドになって
徳川プロレスの参謀として生き延びたとゆう説が
あるが、
意外と信憑性あるらしい 麒麟が来る興行は評判よく、
あと観客動員が悪かった平清盛興行も再評価されているのに、
いだてん興行はアンチ自民のオナニーで
終ってしまった。 いだてん興行の大日本帝国プロレスのみ
A級戦犯扱いに呆れてしまった
連合軍もめちゃくちゃエグいことやってるやろ 明智選手がベビーターンとか、
さいきんの歴史プロレスは展開が早いな
いいはこ作ろう鎌倉幕府だっけ? 麒麟がくる興行では松永選手もベビーターンしていたな。 イイハコは1185年に頼朝が守護地頭を任命した資料があるからもう実質幕府じゃねえか?って事で1185なんだってね
征夷大将軍になったのはやっぱり1192年だそうだ リョウマ・サカモト選手が
選手名鑑から消えてしまったらしいwww 鎌倉も足利も徳川も幕府が15代で終わるってのは誰かシナリオライターがいたってことだよな?
鎌倉は執権だけど
慶喜だけはガチという人もいるが幕府は全てヤオとしか思えん 鎌倉幕府は公家朝廷の力がまだまだ大きく
日本のすべてを治めていた江戸幕府と比較できるようなもんじゃないけどな
朝廷の力が決定的に衰えたのは南北朝分裂であって承久の乱はせいぜい
東国ローカル政権が完全独立するきっかけになったに過ぎない 土岐頼遠が光厳上皇に弓射掛けた話とかプロレスって言うよりリアルGTAの世界 トヨトミの血って完全に途絶えたのだっけ?
どっか分家筋なら生きてそうだが 秀吉の血って意味なら完全に絶えてるな
秀吉の近親だと姉の血が伝わってる
いまの天皇もそうだ なるほど。。。!
太閤の初期リングネーム、日吉丸、
アレからして、本当はいいとこの血なんだろうな、
と思ってたわ
まさか天皇家と関わる血だとは! 木下議員、vsタピオカ、TKO、藤吉郎
どうして絶頂期から滑り落ちるのか >>104
隣の大陸では東は朝鮮半島(高句麗)から西は甘粛(涼州)まで従えてたのに一度の敗戦で全てを失った前秦苻堅(ロリショタ姉弟丼が性癖)とか言う方がおってだな 桶狭間の戦いは非公式戦というか、只の場外乱闘ではないでしょうか😊🤼♂⚔ 壇之浦のプロレス興行は記録上は平家の反則勝ちの筈です😵
船頭は観客と同じで非戦闘員です。その人に対して攻撃を仕掛けるのは悪辣極まりない義経選手の行為だと思います(´;ω;`)
ザ・シーク選手が倉持アナを襲撃したこと以上に許すべからざる行為で、平家の勝利と結論付けるのは至極当然のことだと思います🎎🎏 波の下にもなぁ! 都は有るんだよ!
からのツープラトンスーサイドダイブは後世に残るムーブ 源平興行の絶対的エースだった義経だが、そのファイトスタイルはヒールさながらの破天荒そのもの。悪のオーナー頼朝との骨肉の争いアングルへと発展する。 レスラーとしての牛若は本人もそうだけど
ベンケイ・ザ・プリーストとのマスクマンコンビだったのもあって
電設的なグッドルッキングレスラーとされている
常識破りな空中殺法を繰り出した立体殺法は革新的だった。
ディーバ人気もあいまって京都府立で超満員を連続させた。
ただマスクを脱ぐとあれ? というお顔だったのは一部で有名 義経選手、ブサイク説と
秀頼選手、イケメン説はなんかだぶってて
面白い
義経選手はブサイクなのがブーイングで滅んで
秀頼選手はイケメンだから潰されたとか
興味深い 「平家にあらずばレスラーにあらず」の名マイクで知られるEVIL清盛だが
牛若台頭の頃は全盛期過ぎてたのが惜しいな 今はプロレスブームじゃない、新日本プロレスブームなんです
と言い放ったシンマに通じるものがある。
というかシンマがぱくったんだよな ここのテリトリーでも
戦国、源平、幕末が人気だな
海外人気も高かったはず
そんな中でも
江戸の飢饉の時代をシリーズにしたサムスピと
明治時代をシリーズにしたるろ剣は
もっと評価されていいはず 「富士川の戦いは源氏のリングアウト勝ちでしょうか?」
「実際には戦っていないんだから平氏の試合放棄に決まってんだろうが」
だそうです(´;ω;`) 義経や沖田総司など、残ってる肖像画と関係なく何故か美形にされがちなレスラー。当時のレスラー名鑑残ってたら確認できるのに。 義経はJrどころかミドル級サイズの小ささだったそうだね
それが誰も思いつかなかったコーナーポストからの逆落としダイブを編み出してヘビー級と渡り合った
義経の技術がメキシコに伝わってルチャの原型になった、という説は興味深いな どうしても天下を取りたい家康と、豊臣家に居場所なくて自暴自棄になった三成の出来レースな感じ。天下分け目の戦いなのに
真面目に闘う武将が少ないし、不思議な合戦だよ。 ベンケイがモンゴルまで逃げ延びて子孫をなし
のちのキラーカーンの系譜に連なるという話もあるが
途中でベンケイがハンに変わってるあたりが作り話くさい >>122
三成「お、オレにもわからないだ。輝元公にそそのかされてむりやり西軍総大将に祭り上げられたんだ……」
家康「イケナイなぁ。輝元公の事を悪く言っては」
真相はこんな感じ 最強のナンバー2、前田利家が
もう少し健康だったら
トヨトミファミリーにも
トクガワファミリーにも
ウィンウィンな世の中になってたと思う 卑弥呼、推古、日野富子、北条政子DIVAの系譜も面白い 夏の陣興行で豊臣が滅ぶのを見届けて死ぬんだから、家康の寿命管理はプロの仕事。ゴッチの言ってた「最強の技とはコンディションだ」とは、まさにこのこと。 日本開闢以来の名レスラーと言われたマサ楠木もスレではいまいち人気がない タッチワークがスムーズだと解説者が褒めるがロープ跨ぐのにも労力使って疲れそうに見える
実際のところどうなのか車懸かりの陣で試して欲しい ミスターデンジャー松永久秀。
爆破マッチの開祖は彼かな? マサ楠木て大日本帝国時代はまさしく
スーパーベビーフェイスの扱いだったらしいね 巌流島興行での『二刀流VS佐々木選手』(岩手県出身の野球選手の話ではありません)は、公式記録上は、
佐々木選手の不戦勝の筈です。
宮本選手は、2時間以上も遅刻した筈です。
規定ですと、遅刻すると、持ち時間の三倍が引かれるとのことで、一日制の対局では、持ち時間が6時間以上
の対局はない筈です。
故・大山康晴15世名人ならば『不戦勝』を当然主張していることでしょう。
宮本選手は、言わば不戦敗決着後の乱闘で佐々木選手を引退に追い込んだと見るのが妥当でしょう。
徳川家康選手が存命中で、豊臣プロレスも存続していた頃のことですが、佐々木選手も宮本選手のお蔭で、
屈指の有名レスラーとして名をとどめることが出来た
のですから悔いはないでしょうね😊 >>121
秀吉選手もガチでミドル級サイズ。
一方、斎藤義龍選手や藤堂高虎選手はスーパーヘビー級。 >>126
戦うDIVAの巴御前、歌うDIVAの静御前も。 プロレスラーの身長のサバ読みは当たり前だとしても、前田利益(慶次郎)の30センチ以上のサバ読みはあんまりではないでしょうか? イエヤスって筋骨隆々のグッドシェイプだったと聞いて凄えなと思ってたが自作のおクスリやってたらしいな 花の慶次の影響で慶次が凄かったみたいになって
いるが
本当は数々の伝説、武勇伝は利家選手の
ものだという罠 中国の三国志興行の、荒くれギミックの張飛のやったダーティファイトは実はだいたい聖人ギミックだった劉備のやったことだったに似てますね。 >>132
試合そのものは普通に3カウント決着だったらしい
試合後武蔵のセコンドが小次郎を暴行負傷させて引退に追い込んだって説がある
これ聞いた時は俺の武蔵最強説が揺らいだ思い出 宮本は吉岡のセコンド陣アホほどボコってたから当時はそういう風潮だったんかもな 島原興行で農民が投げた石が当たって負傷欠場した武蔵。石は剣よりも強しなんすね…。 石投げされそうになって泣いていた女子レスラーを救ったり仲間の傷を癒したりとキリスト選手のベビーっぷりは語りぐさ。
しかし裏切りアングル発動したユダ選手の煽動を真に受けた観客がキリスト選手に襲い掛かりにレスラー生命絶たれる悲劇も起きた。
でもそういう不条理も含めてキリスト選手は伝説になって今も団体続いてるんだよなあ。 理想のプロレス団体を立ち上げようと諸国を放浪するも、ついに団体を立ち上げられずに故郷で没した孔丘さん。
なお弟子はシューター(子路)やドラゴン殺し(澹臺滅明)エスパー(公冶長)株のディーラー(子貢)とプロレスと関係ない連中しかいなかった模様 >>143
約2000年後の日本の作品『北斗の拳』でもキリスト選手が明らかにモデルの
トキ選手、そのまんまのユダ選手が登場したな。 キリストイメージはむしろシュウ様じゃ
最後まんまキリストの処刑で目が治るところもほぼ同じ(聖書だと刺したローマ兵の目が治る) バテレンシローこと天草四郎選手はポッと出のわりに島原興行で大プッシュされてたけどよっぽど太いタニマチがいたのかな
結局は松平“知恵IZU”信綱に格の違いを見せつけられちゃったけど 隠れキリシタン狩りは取り締まる側も多少は見逃してやるつもりだったのに、ゆるい判別方法の大エースのキリストが表紙の週プロを踏むことさえ信者が拒否してやらざる得ない展開に。 島原の乱も非常に魅力的な興行ですが、いいアイディアが浮かばなかったので、私は乙己の変の興行について発言します。
これは西暦645年に『イルカに乗った青年』を大ヒットさせた中大兄皇子選手が蘇我ドルフィンズのエース
・蘇我入鹿選手をノックアウトした興行です。
のちに『テロリスト・藤原』と異名をとった中臣鎌足選手も関与したようです。
中大兄皇子選手の『戦慄のヒットマン』と呼ばれるようになった試合は、蘇我入鹿選手をリング外で一方的
に攻撃したもので、公式戦ではないことが、プロレス評論家の間で囁かれているようですね😊 王者防衛は乱でベルト移動が変だっけか?
役は海外交流戦だったかな? 元冦とも蒙古襲来とも呼ばれる13世紀のプロレスですが、鎌倉プロレスの侍ジャパンが見事に外敵を撃破した戦いでした。
『戦うモンゴリアン』と異名をとった彼らですが、実際はキラー・カーン選手やモンゴリアン・ストンパー
選手と同様に『なんちゃってモンゴリアン』な選手が多数含まれていたようです。
おまけに海が絡むリング上でのデスマッチですから、ろくに泳げない彼らは、勇猛果敢な侍ジャパン軍の
逆襲に泣き叫びながら逃げ惑ったようです。
神風が来ただの台風が直撃しただの、鎌倉プロレスに幸運がやって来たという見方をするプロレス評論家が
少なくないようですが、やはり勝敗の明暗を分けたのは、単純に実力の差ではないでしょうか。
私の個人的な意見ですが、元軍よりはラジャ・ライオン選手のほうが怖いと思います。
元の選手たちは、異国ではメインを張れるかも知れませんが、ニッポンでは、練習生として基礎からやり直す
のが賢明だと思います😊 >>150
役は漢籍の歴史書では対外戦争(国際タイトル戦)か反乱鎮圧(国内タイトル)
ただあんま厳密に考えなくでも問題ない 対元戦ではベトナムも日本も地の利を活かした勝利だが
エジプトは蒙古軍得意の陸戦で圧勝したわけだから
当時世界最強はエジプトで異論はないだろう
しかし日本は最強だった昭和初期にあの体たらくだ
ったのはいただけないね
アメリカ以外になら勝てたのに ナチスドイツ、ソ連にも勝てない。痛み分けが精々。
これ以上この話題は板違いになるから打ち止め。
世界史板か軍事板でお願いします。 関ヶ原興行で島津さんが途中ちっとも動かなかったと非難するプロレス評論家がいらっしゃるようですが、
島津さんは、あくまでも観客の一人として特等席で観戦していたかっただけではないでしょうか(´;ω;`)
島津さんは鹿児島中央駅から新幹線🚄を使ったわけでもなく、西鹿児島駅から『ブルー・トレインはやぶさ号』を使用してもいないことが、調査の結果、明らか
になっております。遠路はるばる、よくぞお越しくださいました、とコメントしたい気分です。🛤
最後に暴れて帰ったようですが、大変な時間を掛けて会場まで駆け付けたのですから、少しはパフォーマンス
も許されるのではないでしょうか。☔ 元寇大会2daysは初日のKAMIKAZEには燃えたが2日目も同じフィニッシュは如何なもんかと冷めたは
スター選手がいなかったのも一因だが 島津はブック飛びとか異言語交流の悲劇とか参加することに意義があるとか言われてるところに新説来たか 関ケ原興行といえば弁当食ってて試合に間に合わず不戦敗を喫した毛利選手のズンドコぶりがいまだに語り草ですな 試合に間に合わなかった徳川秀忠選手も本来は不戦敗の筈なのですが「ややこしいこと言うなボケ!」と
罵倒されそうなので、やっぱりコメントするのは、
やめておきます(´;ω;`)
まだ四国プロレス最強のレスラー・長曽我部元親選手とか、地味な強豪がいて、16世紀あたりのプロレスは
豪華絢爛でした🏯 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています