関ケ原の戦いはノー・コンテストだと思う(-_-;)
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徳川家康選手と石田三成選手の試合にいきなり小早川秀秋選手が乱入。
試合をぶち壊しにしてしまった。
これは1982年のブルーザー・ブロディ武将とジミー・スヌーカ武将との合戦
同様「無効試合」にして、後日、改めて決着を着けるべきだったとボクは思う(-_-;) 関係者でもなんでもない俺が立てた。
マイナー団体で伸びてくる選手が好きなんだ。 家康はやっぱりヒールなんだろうな
太閤はスーパーベビー いや、太閤も秀次の件に代表されるように晩年はヒール転向してた。
戦国プロレスにおいてスーパーベビーは真田幸村(真田信繁のリングネーム)。 応仁の乱は「両者レフェリー・ストップ」の裁定が妥当だとボクは思う(-_-;) 関ヶ原のベビーは大谷だろ
当時珍しいマスクマンなのもポイント高い。 天山広吉のマウンテンホーンは、黒田長政リスペクトか。 今川氏真選手の蹴りの実力は戦国プロレス界屈指だったと聞く。
父親の義元選手もそうだが、氏真選手も過小評価されてしまっている選手の典型で、
のちのサッカー王国静岡の基礎を作った名レスラーだとボクは思うのだが(-ω-)/ 家康だって駆け出しの頃は信玄選手にパワーボム食らって
KO負けすると同時に焼き味噌をひり出したとか
酷いブックを飲んでいるぞ。 「噛みつき」と言えばフレッド・ブラッシー選手というのがオールド・ファンの認識
かも知れないが、戦国プロレスの今川義元選手の噛みつき攻撃のほうが凄いとボクは
思う(-_-;)
毛利新介、または良勝という名前の一介の無名レスラーに仕掛けられて、義元選手は
毛利選手の指を食いちぎったと聞く。なりふり構わぬシューターとしての恐ろしさを
感じさせる話だった。
最後は見事に義元選手からピンフォールを奪った毛利選手は、1582年の6月2日、
団体の長・織田信長選手と全く同じ日にプロレス界から引退及び、人生にピリオドを
打った。謹んで冥福を祈りたい(-ω-)/ 小早川秀秋選手はまだグリーンボーイにも関わらず、関ヶ原大会での裏切りブックの荷が重過ぎたか、若くしての狂乱引退が悔やまれる。
2本の鎌をあしらった朱の陣羽織入場コスは、新世代ヒールらしくカッコ良かったのだが。 信玄選手はのちの絶対王者・家康選手に完勝したことと、結果的に引退試合になった
ことで、レスラーとしての評価が落ちることがなく今日まで至っている。
小早川選手は、気の毒な存在だった。本人的には団体移籍は事前に決まっており、
家康選手との約束を果たすべく、関ケ原興行で予定通りの行動に出たまでである。
「裏切り」という言葉に、昔も今も過剰に反応してしまうのが、日本人の美徳であり、
かつ欠点だとボクは思う(-ω-)/
「石橋を叩いても渡らない慎重居士」の家康選手が、息子の秀忠選手が試合会場に
到着していないのに決戦に踏み切ったのは「小早川選手の徳川プロレスへの移籍」と
いう絶対的な切り札を用意していたからだとボクは思う(-_-;) その信玄選手の宿命のライバル謙信選手は試合ではなく
バックステージ、それもトイレで自爆してKO→引退だった。
これを屈辱極まりないブックとみるか、それとも最強の織田プロの勝家選手に
勝ったまま負けずに引退という美味しいブックとみるかは
議論の分かれるところだ。 前田利家選手vs上杉謙信選手は
両者リングアウトで引き分けだったらしいな
利家最強説とかも聴いたことあるわ 謙信のリングアウト勝ちながらNWAルールによりベルトの移動なし、というように
聞きました。
私の間違いかもしれませんね(*´ω`*) 昔のレスラーは謙信もそうですけど頻繁にリングネームを変えました。
北条早雲のリングネームで知られる人物は「ワシは自分では一度も北条早雲などと
名乗ったことはないのじゃが」と首をひねっておられました。
伊勢新九郎さんですね。 斎藤道三選手は実は父子二代が同じマスクを被って同一レスラーと装っていた、
ということが近年になって判明した。 伊達政宗選手はデビューがもう15年早かったらベルト獲れたっていってるけどほんと? 名勝負数え歌を繰り広げた謙信と信玄は
試合内容に関しても選手の実力に関しても疑義をもつ者はいないほどなのだが
川中島特設リングという収容の少ないところでやっていたのが致命的だった。
地場の小さなプロモータを大事にしていたのだろう。
だが、万余のキャパを誇る愛知県体育館を常設にした団体には結局勝てなかった。
テレビも地元甲信越ケーブルテレビが中継していただけ。 川中島は信州のローカル・タイトルを奪われた村上選手に泣きつかれた上杉選手が武田選手からベルトを取り戻しに行った試合でした。
仮に上杉選手がベルトを奪取した場合、村上選手にベルトを返す手筈だった模様です
結果は引き分けといプロレス評論家が多いですがベルトを死守した武田選手が「負けなかった」という点で僅かに上杉選手を上回ったような気がします😊 そう見る人も多いですが
武田菱紋軍は幻ともッドクォーターともいわれたMr.カンスケや
ブラザーノブシゲがピン負けして離脱したからね。 >>19
あのスケールじゃ東北のジュニア団体で飛んだり跳ねたりがいい落としどころよ
トンパチで有名だし業界のトップを獲る器じゃない 松永選手は爆破デスマッチにて火薬の量を間違えて死にました 明智光秀選手の裏切りブックも中途半端に終わったが
あれはあの後に柴田、徳川などと軍団抗争になるはずだったが秀吉のブック破りで明智が引退に追い込まれ軍団抗争はなかったことにしたらしい 明智選手の逆賊→平和の使者の麒麟
とゆうスーパーベビーも極悪ヒールもこなせる
役者ぶりは
なんとなくサージェントスローターぽい 関ヶ原興業の見どころは試合後の乱闘で相手セコンドに囲まれてる中で大立ち回りする島津
あの時の打撃はガチ >>29
あいつ試合中はゲート際で他人ヅラで傍観してたのに
乱闘はじまったら突っ込んでくるのなんなの? 権限もないのにゴング前奇襲ブックとか書いてきたんだよな。
それが受け容れられなかったのを言い訳に
「おいどんらは試合中に反則しないでごんす」なんていって手を出さずで
勝利者テーマの流れるなかでちょっと暴れて帰って行っただけなんだよ
それを鹿児島に帰ってから自分本位にいいように話を脚色しただけ。
よくあるプロレスラーの武勇伝ね。話を盛りすぎ。 でも敵前のど真ん中を行く度胸は素直に凄いと思いました。
数年前、初めて「青春18きっぷ」を使って、関ヶ原特設リング場を訪れました。
島津選手が陣取った跡地や宇喜田秀家選手が陣取った跡地などを見て大満足😊🚞
長篠特設リング場も行きましたけど、場所が広すぎて、一部しか見ていません😢 真田昌幸、大物二世の実質デビュー戦なんだから
もうちょっと見せ場作ってやってもよかったのに
あの体格差でまともに受けたらヤバいかもしれんけど大人げなさすぎ 淀マネージャーは、若き豊臣秀頼選手をプロデュース出来なかったのが、豊臣プロ崩壊の原因かと思う。
もし絶対エースである息子がショッパかったらという不安は分かるが、もし大坂冬クライマックス真田丸興業で、もし真田幸村選手とのタッグでデビューしていたら、と思うとやるせなくなる。 浅井三姉妹は当時のアイドルだったようですけど、武田勝頼選手に殉じて天目山の露と消えた
北条氏の末娘に「滅亡の美学」を感じました👩🌾 ヒデヨリは海外に出してればなあ……
グレート家康がヒデヨリの素質に驚いたという話もあるし
なにより血統はもちろんスーパーヘビーの体格は驚異的だった
家康が米マットに手を回して海外に行かせなかったという可能性がある。 名選手は名経営者ならず、というのは当たり前にしたって
関ヶ原対抗戦のころのウェストはスーツ組の石田が現場仕切りだして
レスラーみんな白けてたんだから崩壊して当たり前だよ
サコンが石田に義理つくして団体と一緒に消えたのはもったいなかった 本多忠勝のプロレスどう思う?いくら徳川プロレスのエースって言っても技受けなすぎな彼の試合はちょっと白ける場面が多かったな
まあその分引退ブックで受けた一撃に説得力があったとも言えるけど >>38
サコンって実績ゼロの癖にやたら持ち上げられてるよな
典型的なメディアミックスタイプのレスラー 四天王の一角・本田選手は、川田選手や田上選手のイメージはない(−−〆)
サコンと言えばウコンなるレスラーもいた。名前はウンコみたいだが、確かな実力を
備えていた切支丹レスラーだったとボクは思う(-ω-)/
姓は確か「高山」だったような気がする(-_-;) >>42
それは3流プロレスメディアのフェイクニュースや ワタシも鳥取城じゃロクに食べられなくてさ
マヨネーズなんて持ってたらもうシンデレラよ! >>40
そりゃ元は奈良のご当地団体だけどさ。その頃は本当いいレスラーだったんだよ。
石田が自信満々で引き抜いた割には現場との軋轢でプッシュできなかったのが悪い 直江兼続
『米澤藩のお客さ〜んっ!
あぁいしてまぁっ〜すっ!』 グレートカブキのテーマに乗って
愛馬と共に敵陣を切り裂く!
前田慶次!!歌舞伎御免!! シロー・アマクサがヒデヨリの隠し子で
太閤の孫だとゆう怪情報が飛んでいるが
サムスピのやり過ぎかな、とも思うが
本当ならロマンあるな 豊臣秀頼選手は大型レスラーで日本よりも海外で通用する男だったとボクは思う(-_-;)
同様に斎藤義龍選手も日本よりも海外向きなレスラーだったような気がする。
山岡荘八氏著の「織田信長」によれば、斎藤義龍選手の身長は6尺5寸。
恐らく195cmくらいに相当すると思う。
きょうびのプロレス界は、小型化が進行して、スケールの大きなプロレスをなかなか
実感出来ないジレンマがボクにはある(-ω-)/
大谷選手同様、ヨシタツ選手もライ病(ハンセン病)に侵されていたようである。
ハンセンの脅威にさらされながらも、美濃の2代目ととして、「蝮の道三」と異名を
とった初代ほどではないにせよ、かなりの実力者であったことは記憶にとどめて
おきたい(-ω-)/ トラブルで参戦が遅れなかったら立花宗茂が宇喜多を抑えて優勝だったか
毛利の不戦敗ブックは変わらなかっただろうが秀秋が仕掛けるのがもう少し早かったか
意外に急な病でまた高宮に逃げ戻ったか
いずれにせよダラダラ長引いている間に秀忠軍着到で佐和山撤退、大坂城で宗茂優勝パレードだな 宗茂優勝パレードのところ、てっきり往年のマラソン・ランナーで双子の兄を連想して
しまった。まだまだボクは修業が足りないと思う(-_-;)
西日本のチャンピオン・毛利元就選手は「三本の矢」で知られるが、確か長男は
元就選手よりも早くなくなっている筈で、後年の創作というのが真相だったような
気がする(-_-;)
広島の厳島は何度か行ったことがあるが、ここは「西の桶狭間」と言われるバトルが
繰り広げられたリング場で、世界遺産にも認定された権威ある場所。
欧米系の外国人の姿を結構見掛けたものである。是非、先人の爪痕を肌で感じて欲しいと
切に願う(-ω-)/ 虚実とヤオガチ入り混じる関ヶ原〜大阪の陣だが
ほんの少し違ったら今
大阪城ホールの場所に日本武道館が建っていたかもしれない 大阪城ホール大会は崩壊した西プロ残党がお飾りの代表だったヒデヨリを担ぎ出した最後の興行
肝心のヒデヨリが急遽欠場でどっちらけになると思ったが
後藤や真田の健闘で会場がなんとか盛り上がったのは救い
とはいえみんな小粒すぎて、真田がイエヤスを2.9連発まで追い込んだのも
結局イエヤスのセルが上手かっただけじゃねっていう 武田信玄選手が春日源助なる6歳下の男性に宛てたラブレターというのは、信玄選手の
意外な人間臭さを現わすエピソードだとボクは思う(-_-;)
他にも当時のレスラーの「二刀流」ぶりを示す資料が出て来ると味わい深いのだが(-ω-)/ >>54
いつも空気の毛利勝永選手のこともたまには思い出してあげて下さい。 >>55
信長選手が宴会の席で前田利家選手のことを「若い頃俺とこいつはホモ達でな」と言い
居並ぶ他の選手達がそれを羨ましがった、話は資料が有ったはず。 利家選手は上杉と引き分けるくらい
ガチ強だったが
坂口やジャンボ、秋山みたく
最強のナンバー2で
キャリアを終えたな 主君から関係を迫られたら、当時のケンドー・家臣では、なかなか断れないとボクは思う(-_-;)
その気がないボクにとって「一番やりたくない戦国レスラーは豊臣秀吉選手」
明智光秀選手は、トップを取りに行くのではなく、2番手の横一線くらいのキャリアで
終えるべき選手だった。たった11日の天下は、のちにキラー・トーア・カマタ選手にも
継承されているが、カマタ選手はすぐにビル・ロビンソン選手にベルトを渡しただけで、命までは落としていない(∩´∀`)∩ >>58
利家は若いときはイケイケだったけど
後年バックヤードの調整役としても評価されてたからね
俺が俺がタイプのエースよりサラリーも高かったらしいから本人的にはいいんじゃない? 大阪城ホールでの試合で宮本武蔵選手も参戦していたようですが目立った動きは、していないようですね(゜_゜;)🏯⚔
あくまでもシングルで実力を発揮した選手で、タッグマッチは不向きだったということでしょうか😊🤼♂ >>59
幸いなことに秀吉選手は数少ないその気が全く無い戦国レスラー。
秀吉選手の男色の気の無さを不思議に思った家臣が
男好きなら放っておかない家中評判の美少年と秀吉選手と二人きりにさせ
後からその美少年に様子を聞いたら、美少年の答えは秀吉選手に
「お前に姉か妹はいるか?お前の女兄弟ならさぞ美人であろうから余にくれぬか?」
と聞かれただけだったと。 「直家さのカミさん美人でええなあ ワシもやりてゃあでかんわ」
病気やなかったら殴ったろ思てましたわ イエヤスは元気な女子
太閤は超メンクイ
ノブナガは気の強い女子と
タッグパートナーを選ぶ基準が
三者三様で面白い >>64
秀吉選手は身分の高い女子
家康選手は身分の低い女子
秀吉は自身の出自の卑しさから
家康は初婚の相手が自分を人質として預かっていた今川義元選手の親戚だったことから
共に身分のコンプレックスがあり
方向は真逆だがそのコンプレックスがそれぞれの女の好みに反映されている。
身長コンプレックスの男ってチビ女を好む奴と
自分より長身の女を好む奴に分かれると思うけれど
それと同じこと。 >>65
七色のコンプレックスってやつ プロレス板としては 家康選手は経産婦・未亡人と関係を持ちましたけど、とても私の感覚では理解出来ません。
戦国時代に生まれていたならば側室は30人くらい欲しかった。少し年上のお姉さんがいいです🥰 家康は寧々に惚れてる、とかいう噂が立つんだから、戦国時代の連中もテキトーなことばっかり言ってたんだろ 広島にいた小早川毅彦は小早川家の子孫と言うが本当か? いっぺん織田信長氏の末裔という織田信成氏と明智光秀氏の末裔という明智憲三郎氏と対談
してみてはどうでしょう。別に信成氏は「先祖の仇だ!」などという考えは持たないと思います😊
明智憲三郎氏の書いた本によりますと、本能寺特設リングで繰り広げられた通称「本能寺の変」で、
本来の標的だったのは徳川家康氏👴だったそうですが、そうだとすると、家康氏にとって、
明智光秀氏は、信長氏の家康氏暗殺計画から救ってくれた「恩人」ということになってしまう
のですが(´;ω;`) アンチ乙
本能寺の変は超人閻魔が明智を甘言で唆した陰謀だから 群雄割拠の戦国プロレスを語り尽くしたあとは、徳川プロレスの旗揚げから崩壊までの検証をお願いしたい。 ミト・コウモン様は陰謀仮面な徳川の一族とは
思えないほど、
ピープルズチャンピオンだったな
実は、秀忠がその名の通り太閤の血が流れていて、
徳川ファミリーに、
時々現れるスーパーベビーは
その影響があるとか聞いたことある 小早川秀秋は関ヶ原興行では気弱な御曹司ギミックでずっとやってきたがバックステージではかなりの武闘派らしいな 人口に膾炙しているあの気弱かつ軟弱そうな顔は
ペイントによるものらしいからな >>73
コウモン様って若い時はストリートファイターだった気が >>76
ハロルド坂田とケンカしてスカウトされたんだよな 徳川本隊がよく「武田は強かった」と持ち上げてたのは出身地が近いとかユニットが合流したのもあるが、一番凄えのはその武田を倒した本隊だというアピールだった気がする >>67
実績重視ということだったんでしょうね
とは言え晩年は新人や若手との対戦も多かったそうですよ 家康選手は信玄選手に負けただけでなく
墓にぶっ掛けるものをひり出すという屈辱的なブックだったな。 安土桃山時代〜江戸時代初期って
日の本プロレスは
スペインやポルトガルに負けない
火力を持っていたと言われてるが、
どうなのだろう 相対的に見れば明治末期〜昭和初期が最強だったのだろうがそれであの結果だからな >>81
鉄砲数十万丁のソースは元はノエル・ペリン「鉄砲を捨てた日本人」がソースでこの本「当時鉄砲の大量生産に成功したのは日本人だけ」とかガバガバな記述ばっか ネジの製法を探るために娘を充てがう親のクズにして鉄砲鍛冶の鑑
八板=ゴールディー=金兵衛
娘の若狭は実はギミックファミリー 伊達輝宗選手の『俺ごと刈れ』は悲しいまでに壮絶な必殺技でした😢享年42歳。 >>84
そうして盗んだ技が「スクリュー・ドライバー」 大阪方がインディ&フリー選手と契約してしてトップとして売り出したのは結構良い試みだと思った
後藤、幸村、木村、母里、明石なんか良かった
新技の騎馬鉄砲含め上手くセルフプロデュースした伊達が、爺父の七光りがありながら燻ってた幸村を引っ張って寝るなんて思わんかった
メジャー所属なのに 松永は信貴山城のバルコニーから飛び降りてブレイクしたんだよな 明智選手が、
スキンヘッドになって
徳川プロレスの参謀として生き延びたとゆう説が
あるが、
意外と信憑性あるらしい 麒麟が来る興行は評判よく、
あと観客動員が悪かった平清盛興行も再評価されているのに、
いだてん興行はアンチ自民のオナニーで
終ってしまった。 いだてん興行の大日本帝国プロレスのみ
A級戦犯扱いに呆れてしまった
連合軍もめちゃくちゃエグいことやってるやろ 明智選手がベビーターンとか、
さいきんの歴史プロレスは展開が早いな
いいはこ作ろう鎌倉幕府だっけ? 麒麟がくる興行では松永選手もベビーターンしていたな。 イイハコは1185年に頼朝が守護地頭を任命した資料があるからもう実質幕府じゃねえか?って事で1185なんだってね
征夷大将軍になったのはやっぱり1192年だそうだ リョウマ・サカモト選手が
選手名鑑から消えてしまったらしいwww 鎌倉も足利も徳川も幕府が15代で終わるってのは誰かシナリオライターがいたってことだよな?
鎌倉は執権だけど
慶喜だけはガチという人もいるが幕府は全てヤオとしか思えん 鎌倉幕府は公家朝廷の力がまだまだ大きく
日本のすべてを治めていた江戸幕府と比較できるようなもんじゃないけどな
朝廷の力が決定的に衰えたのは南北朝分裂であって承久の乱はせいぜい
東国ローカル政権が完全独立するきっかけになったに過ぎない 土岐頼遠が光厳上皇に弓射掛けた話とかプロレスって言うよりリアルGTAの世界 トヨトミの血って完全に途絶えたのだっけ?
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