横浜文化体育館の名勝負といえば?
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1988年8月8日の「アントニオ猪木vs藤波辰爾」だろうな。 名勝負かはわからないが最後の鶴田対天龍戦は横浜文体だったね >>1
正しくは「藤波辰巳vsアントニオ猪木」ね。 >>2
ハンセンの乱入でぶち壊されたけどね(元AKB小嶋陽菜2歳の誕生日)。
ちなみに、1988、89年10月にも横浜文化体育館で鶴龍対決が行われた(88年は天龍反則負け、89年は三冠統一ヘビー級選手権試合。鶴田が勝って王座奪回)。 猛虎七番勝負最終戦「タイガーマスクvsジャンボ鶴田」が行われたのもこの会場だったね(1988年3月9日)。鶴田vs三沢、最後のシングル(92年チャンピオンカーニバル公式戦)もここだった(30分時間切れ引き分け)。 >>3
その試合の他にも、ビッグバン・ベイダーvsクラッシャー・バンバンビガロもあったね。 >>2
試合後乱入したハンセンがスタッフらしき一般人にラリアットしていたのが衝撃的だった。 >>8
セミのゴディ、ウィリアムス対ハンセン、スパイビーは好勝負だったな >>9
その年の年間最高試合賞(タッグ部門)を受賞したんだよな。 1990年11月25日、全日最強タッグ戦
G・馬場&アンドレ対ランド・オブ・ジャイアンツ
馬場が一番小さかった。
メインは○ウイリアムス&ゴディ対鶴田&田上。
あと、○ハンセン&スパイビー対三沢&川田。 文体前のなか卯、ちょいと他店と違う味付けらしいね
昭和の味付けだとか 1984年1月11日だな、マイケルシェンカー横浜文化体育館
演奏最高でのあのライター事件 >>13
PWF世界タッグ王座決定リーグ戦だったね。確かあの時は、馬場が超獣コンビのツープラトン・デットリードライバーを喰らって戦闘不能になったんだよね。そして、デビュー以来の連続試合出場記録が途絶えたきっかけにもなった。
ということで、ハンセン、ブロディ組が初代PWF世界タッグ王者チームに認定された。 全日本プロレスの至宝・三冠統一ヘビー級王座。
インターナショナル、PWF、UNヘビー王座を統一した王座だが、そのきっかけとなったのが1988年3月9日。PWF王者スタン・ハンセンとUN王者天龍源一郎によるダブル選手権試合で天龍がスタン・ハンセンからピンフォール勝ちしてシングル2冠王となったことによって三冠統一の気運が高まった。 ピラニアデスマッチ
大男が降ってきてピラニアも怖かっただろうな 84年MSGタッグリーグ
メイン 猪木、藤波、木村対ジャイアント、マードック、アドニス
セミ 坂口対ケリーブラウン
メイン一択の厳しい時代だったな… >>15
ウドー?の外タレライブもけっこうあったな、メイデンとかボブディランとか見に行った >>14
特に昭和〜平成の初めは関東では千葉公園と並んで
ヤンチャなファンがいた。
俺が驚いたのは、全日の興行でロビーに
馬場がいたのに、入って来るなら
「うおーー!猪木!!」と叫んできたオッサン。
ロビーが凍り付いた。
まぁ純粋に新日と全日の区別が
付かなかったのかも知れないが。 >>21
確か、地方巡業でも売店で馬場さんが椅子に腰をおろしていたような……。 >>1
あの試合は8.8だったのか
どうでもよすぎて申し訳ないがその試合から29年後にウチの娘産まれたわ
全くどうでもよすぎて申し訳ない
そういや蝶野がIWGP取ったのは1998の8.8だった気がするな >>23
ホーガン、サモアン対キッド、スミス
中止 https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=https://sp.nicovideo.jp/watch/sm5022623&ved=2ahUKEwi01Za1luP2AhUHy4sBHcBTC2U4FBCjtAF6BAgKEAE&usg=AOvVaw24PXZcuL8aeds7EEWLOMeB >>26
>ベイダー対小橋
それ、全日時代の1999年1月の終わりだよね?
そして、翌2000年の同時期に今度はベイダー対秋山だった。
全日は、90年代、4月と10月に横浜文体で興行を行っていたが、
それが武道館になり、98年から1月に横文になった。 >>28
三本勝負でフレアーがリングアウト狙ってわざと起きなかったりしたやつ?
俺ああいうの大好き
そういうの伝わらせられるのもフレアーの技量なんだよね >>31
そうだっけ
ああいう試合もいいよね
ウケないだろうけど俺は好き >>33
天龍対フレアー、SWS設立後は
1992年4月17日の横浜文体も,翌18日の東京体育館も
WAR、9月15日横浜アリーナもみんな60分3本勝負だよ。
>>30が書いた3本目、フレアーが自らリングアウトに
なろうとして天龍が上げようとしても上がらず、
両リンになったのはWAR,横アリ。
WWF選手権試合で、リングアウトでは王座は
移動しないルールだったから。 グラジエーターだっけか?小橋を最上段からのボムで落としたの 1993年7月31日JWP対全女対抗戦
メインは8人タッグ60分で、多くフォールを取ったチームが勝ち。
キューティー鈴木&尾崎魔弓&関西&福岡晶(3−2)
井上貴子&井上京子&アジャ&長谷川
60分時間切れ寸前にJWPが勝利。
プロレスにあまり興味がない女の子を連れて行ったが、最後は感動したようだ。
試合前、ヤマモが満員になった横浜文体を感慨深く見渡していたのが
印象に残っている。 寿町が近いからか客層が悪かった
チケットないのに無理やり突入しようとするホームレスとかいたし 92年チャンピオンカーニバル公式戦
鶴田対三沢
時間切れ引き分けだったけど好試合だった 2007年7月1日の鈴木みのるvs武藤敬司
全日本プロレスの三冠選手権試合なのに新日のストロングスタイルの試合だった 蔵前取り壊しで、初めての文体、83年最強タッグ優勝戦、鶴龍vsハンセン、ブロディ。鶴龍初優勝。 そうそう、その時、ジャパンプロレス勢の御披露目でもあったな >>44
訂正ありがとう。
今思い出して訂正しようとしたところ。 >>42
最強タッグの前のジャイアントS開幕戦でも使ってる >>46
その日マーテルの相手を務めたのが阿修羅原
このシリーズ中に蒸発してしまった ブル対アジャの金網デスマッチ。
4メートルからブルがギロチンで飛んだやつ。 最後の鶴龍対決がここだったが会場に着くと当日券完売で結局見ることが出来なかった
前売り買っときゃ良かった 91年7月の鶴田対ウィリアムスの三冠戦
セミでは小橋がハンセンにボストンクラブでギブアップ負けしてた 89年のジャイアントシリーズの鶴龍戦がメインの大会でカブキ対ケンシャムロック
のシングルという後々考えればかなりありえない異次元対決があったが内容を
全く覚えてないので相当つまらん試合だったんだろう
この日は渕対仲野がメインを食ったかもと思えるくらいの好勝負だった >>34
case?全女なんか横アリ、東京ドームで告知無しでカウントダウンイベントだよ >>57
カブキ対シャムロックは確かアキレス腱固めでカブキが勝ったような
おそらくねちっこい試合だったんじゃなかろうか >>60
ムト全はお金がないからなのか国技館でやってもいいようなカードを文体でやったね 一時はノアも力入れてたよな
あと、大日は文体が聖地みたいな位置付け
だったとか 1985年6月12日
新日本プロレス横浜大会
猪木・坂口対アンドレ・ホーガン
日本で初タッグの超人と大巨人
ノーTVが惜しい好カードだった >>25
観に行った。
ホーガン、キッド、スミス
まさか3人いないとは…
試合開始前、椅子に座ってるサモアンを写真に撮った。 >>67
すまん、その試合の結果と試合内容どんなだった? 照明のせいか、暗い感じが良かったな。
ノアとか新日はライト吊るして明るくしてたけど 猪木、藤波は感動したわ
高校時代に同じクラスの杉山君と観に行ったけど
試合後、長州に肩車されて歓声に応える姿に感極まって号泣したのを杉山君に悟られまいとしてたら杉山君も号泣してた
前年の年末は一緒に両国で暴動してたのに…
杉山君は今頃どうしてるんだろう? >>69
ノーTVだったので、会場でのうろ覚えの記憶しかないけど…
ホーガン組の入場テーマは「ジャイアント・プレス」
コールもホーガンが先でアンドレが後
ホーガンはコール時の「イチバーン」はナシで、アンドレのコールの時に拍手
これは「どっちがチームリーダーになるんだろう?」と注目していたので憶えます。
ホーガンが凄くアンドレに気を遣っていた感じ。
試合はまぁ坂口が安定のジョブ
確か18文→ヒップドロップでアンドレにとられたと記憶。
アックスボンバーが出たかどうかは憶えてないです…
試合後、上機嫌のアンドレがリング上で寝転がって大笑いしていたのは強く憶えてます。 1986年4月5日
長州がハンセンからPWFを奪取したのも横浜文体だった。
ハンセンのラリアット2連発がスローで露骨に力抜いていて、後日のTV中継で倉持アナに「まるでスローモーションを見ているような」と言われたほど… ユニバーサルの興行に行って当日券買おうとしたらダフ屋のオッサンから半額でいいよって言われて半額でチケットゲットした 初めてダフ屋からチケットを買ったときはちょっと大人になったような気がした ファンとの距離が近く、
たまに、ハイタッチしてくれる選手もいる会場 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています