前田日明がプライドを参戦していたら。
ここを、解いてみたくなってきた。前田がユーチューブをしだして、人間前田が垣間見えてきた。
Uのときは、今からUの神話が始まるとかいわれていて、前田は神代格闘家だった。
マスコミが前田の言いたいことを、アレンジしていたというか、アップしていた。
佐山が「ケーフェイ」みたいな古代ローマ闘技者みたいなイデオロギーを出版し、
プロレス界全体が、ピカドン状態であった。イデオロギーをもってプロレスをしなければ、リングに上るなという
感じだった。前田がプライドに上っていたら、多分、自分が勝てると思っていたら、
自分からリングに上っているだろう。格闘家とは、格闘することが本能だから、
負けることも本能で探知している。
ヒョードルのパンチをもらったら、誰でも倒れることがわかる。
ただ、そこで前田が耐えたら、スタミナがある分、ヒョードルは子供扱いされるだろう。
バックドロップ一閃だろう。プライドは、頭からの受け身ができない。四の字固めでも、泣くだろう。
ヒョードルが、長州のリキララートを受けて、サソリ固めを入れられたら、泣くだろう。
痛いと言うんでなくて、泣くのである。ただ、その前にヒョードルの拳に耐えれる力量があるかどうかなのである。
耐えれる力量を作ることができないので、ヒョードルを倒せれる人間は出てこない。
問題は、耐えれる力量をどうやって作るのか、そこが問題である。電球があるが、電気が流れていないみたいな感じなのである。
電球を持っただけでは、点灯しない。前田のプロレスは、手にもった電球が、電流がないのに、光っているようなものである。
それが、Uの哲学プロレスだったのだろう。