・73年に入り興行が不振に陥り、デトロイトのシークに興行権の
 一部を売るなどしていたが、パワーズと交流のあったジョージ・
 キャノンが坂口と猪木の合流を伝え、ミスター・モト、ジーン・
 ラベールらが提携を進言する。パワーズはNWAに拒絶されている
 もの同士の交流に興味を持ち、ラベールの拠点ロスで新日と会談、
 エリアのレスラーの供給、NWFの看板を新日に委譲することを決め、
 パワーズはプロモート業を引退する。
・この後、TVマネーをバックにした新日の威勢はアメリカにも響き、
 「NWF」は74年頃からアメリカの専門誌でも「4大王座」扱いされる。
 パワーズは「私とペドロにとってはギャンブルだったが、ビジネス
 としてベストな判断だったと思う」と新日への譲渡に満足している。
・ペドロ・マルチネスは75年に新興組織IWAの立ち上げに主力として
 関わり、ブッカーとしてパワーズを起用するもIWAはすぐに崩壊。
 パワーズはレスラーとして散発的に試合をしていたが、事業家と
 なり完全にプロレスと縁を絶つ。
・猪木はIWGP構想を掲げて81年にNWF名義のビジネスを封鎖する。
 後にその理由を「だって飽きちゃうじゃん、同じことばっかりで」
 とぶっちゃけている。

・「NWF」はなんと1986年に復活し、ブッチャー、ブロディらを
 王者にしてペンシルバニア、フィラデルフィアを拠点に1994年まで
 続いていた。コメンテーターには若き日のポール・ヘイマンも起用
 されている。唯一の女子王者はウェンディ・リヒターだった。