0937お前名無しだろ (ワッチョイ 364b-UUyU)
2021/03/26(金) 21:53:51.02ID:6UAaeyMr0「北米ヘビー級王者」としての防衛しかしていない。これは当時
クリーブランドと並ぶNWFの二大拠点だったバッファローが黒人の
観客の多いエリアだったため、クリーブランドではパワーズが
北米タイトルを賭けたジョニー・バレンタインとの抗争をメイン
カードにし、バッファローではアーニー・ラッド、ブッチャー、
デヌーチ、ワルドー・フォン・エリックの抗争をメインにしたため。
・NWFベルトを巻いた写真が残っているのはラッド、ブッチャー、
デヌーチ、ワルドーくらいで、流氏によると「正式な移動もなく、
その場その場で王者がコロコロ変わっているのではないか」と
言っている。(国際のIWAタイトルがビリー・グラハムや小林に
タイトル戦も無しに「移動」したのと同じということか。)
・当時地元テレビで土曜夜に「チャンピオンシップレスリング」、
日曜の朝には「オールスターレスリング」が放映されていた。
テレビの司会者はパワーズ、ジャック・レイノルズ、ペドロ・
マルティネスの息子ロン。(現在利用できる映像はほぼなし)
・72年8月、クリーブランドでレッスルマニアの元祖的な巨大興行を
開催(メインはパワーズ対バレンタイン)するも興行はパッとせず。