・初代NWFチャンピオンはパワーズが認定されたものの、パワーズは
 「北米ヘビー級王者」としての防衛しかしていない。これは当時
 クリーブランドと並ぶNWFの二大拠点だったバッファローが黒人の
 観客の多いエリアだったため、クリーブランドではパワーズが
 北米タイトルを賭けたジョニー・バレンタインとの抗争をメイン
 カードにし、バッファローではアーニー・ラッド、ブッチャー、
 デヌーチ、ワルドー・フォン・エリックの抗争をメインにしたため。
・NWFベルトを巻いた写真が残っているのはラッド、ブッチャー、
 デヌーチ、ワルドーくらいで、流氏によると「正式な移動もなく、
 その場その場で王者がコロコロ変わっているのではないか」と
 言っている。(国際のIWAタイトルがビリー・グラハムや小林に
 タイトル戦も無しに「移動」したのと同じということか。)
・当時地元テレビで土曜夜に「チャンピオンシップレスリング」、
 日曜の朝には「オールスターレスリング」が放映されていた。
 テレビの司会者はパワーズ、ジャック・レイノルズ、ペドロ・
 マルティネスの息子ロン。(現在利用できる映像はほぼなし)
・72年8月、クリーブランドでレッスルマニアの元祖的な巨大興行を
 開催(メインはパワーズ対バレンタイン)するも興行はパッとせず。