【アトキンス】BI砲を考える3【クラウザー】
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>>850
71年の写真だから、大熊は駒とアマリロをサーキットしていたんじゃ、、 1971年秋頃に、大熊と駒が日本にいたとして、
このカレンダー用の写真を撮ったら、
大熊は入っても、駒はまだ前座だから入れないと思うな。
このメンバーは、そのまま秋のNWAタッグリーグ出場者だね。 1971年は猪木がシングル王座を獲得し、日テレとNETダブルエース体制に突入
インタータッグ王者のBI砲絶頂期だったね
国際プロもゴッチ・ロビンソン・ロシモフの三つ巴戦でロシモフが優勝し
世界の大巨人伝説のスタートを切り、後半は小林が凱旋
IWA王者に小林、タッグ王者に杉山・木村の布陣(草津は海外遠征中)
プロレスが最高に面白い時代だったが、年末の日プロお家騒動から一転
冬の時代になるんだね… ↑↑
正確には69年から猪木はNETのエースだけどねw 1971年だとプロレス人気は既に下火だな
日プロの東体は惨憺たる入り(馬場vsコロフ、NWAタッグリーグ決勝戦)
TBSは視聴率低下が止まらず翌年1月から30分枠に縮小 >>855
確かに70年位からプロレス人気は下降気味だよね
それに危機感?をもった猪木の馬場への挑戦と解釈して、
猪木は負けブックでも呑んだのかなぁ、、、
テレビ局がバックに付いている両エースだから"痛み分け"しか考えられないし
2局から放送権料が入っていた日プロ幹部連中は、猪木の挑戦を
「世界中に敵がいなくなるまで時期尚早」だとか
危機感ゼロなんだよなw
だけど、自分的には夢中になって見始めた頃だから、この時代は好きだな。
鉄の爪のアイアンクローにブラジルのココバット、マスカラスの来日にはワクワクしたよ 日本テレビ平均視聴率の記録
1970年4月〜同年9月 28.1
1970年10月〜1971年3月 24.4
1971年3月〜同年10月 20.8
視聴率は徐々に低下。
勿論今の基準で見れば凄い数字ではあるけどね。 >>857
まあ週2回もやってたら当然視聴率は落ちるわな。 小鹿が「馬場さんよりトヨさんの方が人気があった」とか未だにほざいていて笑った
力道山人気のおんぶにダッコでエース引き継いでただけなのに
昭和生まれのプロレスラーって旧世界の化石みたいな価値観持ってるんだよな >>859
あるんだったら馬場を呼び戻す必要は無かったはず >>860
豊登をクビにして日本プロレスはなんともなかった
むしろ隆盛した
東京プロレスにはTV放映もつかなかった
それが答えだよね 東京プロレスって、僅か3ヶ月で崩壊した珍しい団体だよなw
猪木と豊登・新間親子が告訴合戦までしたのに新日設立で再びくっつくのも?? 崩壊から数年経ってるし、旗揚げ時の新日にはネームバリューのある豊登が必要だったんだろ >>864
豊登の最後の舞台は猪木・大木戦のレフェリーだったか >>863
俺の初めてのプロレス生観戦は、青森県営体育館で行われた東京プロレスの旗揚げ第2戦だった。 >>866
それは、また貴重な体験をされましたね。
なにか記憶に残ることはありますか? >>868
当時、小学1年で土曜日の晩に父親に連れられて見に行きました。
覚えているのは、セミファイナルが斎藤正典のシングルマッチでメインイベントが豊登・猪木組のタッグマッチだったこと、マンモス鈴木がでかかったことぐらいですね。 >>869
1966年10月15日青森県営体育館
猪木・豊登(2vs1)バレンタイン・マイヤース戦がメインですね
貴方の方が先輩のようだけど、自分の初観戦も親父に連れられて行った
72年ジャイアントシリーズ第2弾 12月14日岡山武道館大会
メインがデストロイヤーvs杉山のUSヘビー級選手権(テレビマッチ)
パンフレットにはなかったバトルロイヤルも行われ、
名前も知らない坊主頭の若手が集中砲火をくらってボコボコにされてた
あと、休憩時間の合間に会場の隅でデストロイヤーがサイン会をやってたなぁ >>865
猪木vs小林戦、第1戦のレフェリーが清美川
猪木vs大木戦が豊登
馬場vs木村戦が芳の里(サブ=M鈴木&樋口)
もし、馬場・猪木戦が実現していたら誰がレフェリーになったのかな?
芳の里でも揉めるだろうし、吉村に出てきてもらうのか
力道山が生きてたら問題ないんだが… スレタイじゃないけど
アトキンスとゴッチがセコンドについてたら萌えるだろうなあ。
時期は合わないんだろうけど。 >>871
力道山のレフェリーとしてはリキパレスでレンジ・ワルドーとエチソン・ハミルトンの外人タッグ戦を裁いたとか >>869
東京プロレスでの猪木豊登タッグは、やはり
豊登が猪木にエースを譲ってきたのかしらね。 >>875
66年に旗揚げしてから猪木の試合はシングル・タッグ全てメイン
67年国際との合同興行で一度だけセミの試合があるが、この頃は豊登と告訴合戦していた 東京プロレスは
「豊登を見に来て猪木を見て帰った」と言われた 日本プロレス時代は「豊登馬場」組と
エースは譲らなかっ戦う豊登。
東京プロレスになって「猪木豊登」組と
一歩引いた豊登。
そんなに可愛がった猪木と決裂し、再び和解するのが
よくわからない豊登だった。 >>878
馬場がインター王者になった後もアジアタッグ戦をやってたらどういうコール順だったかも気になる 馬場がインター王者になった後も、豊登は一ヶ月出場しているが、馬場とのタッグは一切なかったよう。
馬場がメインでシングルをやって、豊登はセミでタッグのパターン。
非常に微妙な何かがあった感じ。 >>878
東京プロレス旗揚げする時、猪木にかなりデカい事言って神輿に上げといて
いざ団体がスタートしたら、売上金手づかみでギャンブルに勤しんでれば
いくら若手時代可愛がってもらった猪木だってキレようというもの
新日旗揚げ時に復縁したのはカネが欲しかっただけ
国際の吉原の義理も平気で捨てるくらい >>881
豊登と馬場の関係というよりも豊登と日プロの関係だよね。この頃の馬場はリングを降りればまだ下っ端。
日本プロレス史屈指のダメ人間で子供がそのまま大人になったような豊登と馬場は最初から合わなかった。
豊登が国際を引退した頃、馬場は「豊さんのようになりたくない」とよく言ってたと昔のゴシップ記事で読んだことがある。
なお馬場はレスラーの体型としては豊登のような体型が好みだった模様。 >>883
豊登が馬場つぶしを計画しているって話が耳に入って
怒ったフレッド・アトキンスが試合中に豊登の肩を脱臼させたという
エピソードがあったね >>882
嘘か本当かわからないが、門茂男のプロレス365によると、豊登は賭場で掛け金がなくなると、東京プロレスの興業権で金を借りて博打をしていたらしいからな。
本当であれば、立派なギャンブル依存症だよね。 豊登が東京プロレス名義で借金を作った為に
その借金はスライドして全て猪木の借金になったって話もあった
後に新日旗揚げでそんな豊登とあっさり和解する猪木のテキトーさも凄いが 豊登はレスラーには珍しく自己顕示欲は強くない人だから
ギャンブル癖さえなければ無害な人らしいけどね
わざわざ会場まで労いに来てたのは良いエピソード >>884
63年4月6日山口県防府市公会堂広場
力道山・豊登・遠藤vsオコーナー・マレラ・アトキンス
アトキンス(18分18秒体固め)力道山
力道山(5分19秒体固め)アトキンス
日本組(3分16秒反則)外人組
この試合後、豊登は11試合連続で欠場している
それまでは馬場ともタッグを組んでいたのに、欠場後もWリーグ期間中は組まず
馬場人気に嫉妬して、ケガをさせる計画がアトキンスに知れ
逆に左肩脱臼の制裁をくらったのはこの試合の3本目じゃないのかな? >馬場人気に嫉妬して、ケガをさせる計画がアトキンスに知れ
これが事実ならギャンブラーとしてはダメだよね。 >>889
豊登の長期欠場があったから勝手に想像しただけで、事実かどうかは不明です(苦笑)
ただ、ギャンブル依存症の血が騒ぎ金銭トラブルを起こしての欠場は
力道山時代からも度々あったみたいで、そっちかもしれないんだよね >>889
後のクツワダがクーデターに失敗したのも口の軽さと言われてるよな
むしろそれで信用を無くしたという印象 >>891
クツワダのクーデターというのは、本人だけでなく周囲の人間の証言もあるから実在したのだろうけど、鶴田を引き入れたとしても、資金源となるスポンサー、外国人レスラーの招聘ルート、中継TV局の確保をはじめ山積する問題を解決できたとは到底思えない。
勝算はあったのだろうか? 馬場の凱旋帰国時の人気ぶりに嫉妬した豊登とのトラブルは大昔から話されてて、80年代の馬場の自伝で詳しく書かれて一般のファンも広く知ることになった。
馬場はその後もインタビューや本で同じことを話しており大筋では全くブレが無いのでかなり真実そのものと思われる。
トラブルを知った外人レスラー達は盛んに馬場にアメリカへ戻ること勧めてきたと大昔に読んだこともある。
馬場人気に嫉妬したのは豊登だけでなく力道山もで、馬場に嫌がらせをしていたと書いてた本があったと思う。東京アンダーワールドだったか?
社長なのになにやってるのか力道山(苦笑)。
>>891>>893
クツワダの話が大きすぎて信用できないのはレスラー間では常識で、入門仕立ての越中にもクツワダの話は信用するなと指導が入る位のものだった。
新団体の話が出ると必ず出てくる笹川氏だが、クツワダ自身が後に語ったタニマチは国際プロレス設立時者のタニマチで当時は既に会社傾きかけで全く当てにできない状況だったらしい。
笹川氏は梶原一騎の大日本プロレスにも名前を出されているが、力道山や馬場時代ならともかくその当時のプロレス界進出を本気だ考えていたという話は甚だ疑問。 >>894
力道山は嫉妬しつつも貴重なドルの稼ぎ手である馬場に敬語まで使ったというんだよな
それだけに猪木などの周囲に思い切り当たり散らしたらしい
ある意味ではそれも刺傷事件の一因になったかも 師匠の力道山に貸付けまでしてるから、嫉妬しても嫌がらせまではできないと思う。
招聘したくても出来なかったバディ・ロジャースと連続対戦したり
出たくても叶わなかったMSGにも登場したり、弟子に嫉妬する気持ちも分かるけど >>896
馬場に借用書を書かされた事を最大の屈辱と感じていたらしいしな
但し馬場にすれば寄越せでなく貸せというなら書いてくれと言ったに過ぎない
そして当時の立場として借金だらけの力道山の立場の方が間違いなく弱かった >>895
力道山は馬場が米マットで稼いだファイトマネーを、東郷経由でピンハネして自分の事業資金に充てていたらしいからな。
馬場は帰国直後、いずれ返済するとの力道山の口約束を信じられないため借用証を取り、そのことが力道山の恨みを買ったとされているね。 ホラばかりのスーパースター列伝だけど馬場の帰国時に力道山が迎えに来て
笑顔で並んで記者会見をやったのは本当なんだよね
あの時に力道山から「馬場ちゃん」と呼ばれて馬場は驚いたそうだ
力道山からすれば「馬場はこれからバリバリ稼いでくれるレスラーだ」と言う事だろうけど >>898
恨みを持っても報復の手段が全く無いからな
この件については東郷もアトキンスも馬場の擁護に回るだろうし
例の豊登の脱臼事件にしてもあるいはむしろ力道山に対する恫喝と牽制だった可能性もある >>899
力道山が海外遠征の稼ぎを精算する時に残りも貸せと言い出した時には「馬場さん」とまで言ったらしい 轡田クーデター未遂繋がりで気になったんだけど、
https://inumimi.papy.co.jp/inmm/sc/kiji/1-1187437-84
このページ(無料)だけ読むと猪木の人間性を疑ってしまうなぁ
『プロレス&ボクシング』の森岡理右氏が馬場のブレーンだから信憑性に?の部分もあるが…
当事者の猪木には元気なうちに真相を語って欲しいな(無料だろうけど)
他のOBの発言はいまいち信用できないw >>902
森岡の記事は無理矢理猪木を悪人に仕立てている部分はあると思う。
だがその一方で、事実の核心を突いている部分もあると思う。猪木の馬場追い落とし作戦の過程は実に
ありそうな花。
日本プロレスのエースの座を奪うために、
ゴッチを使って馬場に恥をかかせようと思ったが失敗→それで自らが馬場に挑戦するも支持を得られず→
そこで自らが日本人プロレスのフロントトップに
立って、自動的にエースの座も確保する作戦に変更。
ない話ではなさそう >>905
そもそもゴッチってのは、自分は強いと天狗になっていた
猪木の鼻を折るためにブッキングされたんだが
双方練習好き故、思惑が外れて仲良しになってしまったとは、確か北澤氏談。 その強いゴッチでも相撲出身の若い身体の大きい選手には容易にテイクダウン取れなかったから、練習がブリッジと寝てからの極めっこが中心になった説があるな。
寝てから始めても容易に決まらないので汚い技ばかり使ってくるというカブキの話にも繋がってくる。 >>908
いやそれは無理あると思うね。ゴッチはグレコだから下半身タックルが
本来ないわけだけど、動きの遅い力士レスラーに対し下半身タックルは
決まっちゃうと思うよ。 でもフリーもグレコもやってた長州が
ゴッチを尊敬しないのも、そのあたりじゃないかね。タックルを知らない。
鶴田に勝てるか? ゴッチはフリーもやってたはずだぞ
五輪はグレコだったというだけ
それと長州がゴッチとスパーやって云々って話あるけど、当時のゴッチは50歳前後だぞ 調べたらゴッチはフリーもやってたね。
ただテーズから
>追記 ルー・テーズによると「ゴッチはグレコの強者だがフリースタイルの技術に難あり」とのこと。事実アマ経験の無いU戦士にまともなタックルができる選手はいなかった。御小の発言もこの欠点を見抜いてのものと思われる。 >>910
年齢考慮しろよwプロレスじゃなくアスリートにおいて
年齢ってのは切実な問題だ。
鶴田においては五輪出場ってのも大したことじゃないでしょ?
アフリカの国が冬季五輪に参加できるようなもん。 初期週プロのミスター珍のコラムだと
強さで言ったら比較にならんほど
ゴッチよりゴリラ・モンスーンの方が強かったそうだ
モンスーンとスパーすると誰が行っても何もできずに秒殺で押さえ込まれる
何もできずに負けちまうから練習になりゃしないんだそうだ >>914
だからさプロレスラーとしてでなくアスリートとして比較したいのなら
年齢考慮に入れるべきと思うのだが。 テーズがゴッチの技術について「グレコでは自分を上回っていたが、フリースタイルでは自分の方が上」と、言ってるのはインタビューで読んだが、難ありとまで言っているのは見たことがないな。 ゴッチ自身の強さ弱さというより、ゴッチが弟子にタックルを教えなかったことで、弟子たちの総合への対応が弱かったことは事実だろうなあ。
高田船木よりタックル知ってる桜庭藤田の方が
通用してしまったし >>902
日本プロレスの経理をしていた三澤氏は、猪木は団体乗っ取りの濡れ衣を着せられた被害者で、猪木に非はないと言っていたな。また、猪木が馬場や上田と共に追及していた日本プロレスの使途不明金は、団体の生命線に関わる事項で、決して表には出せないとも言っていた。 ゴッチは馬場王者時代の日プロに来たとき膝やってるから、これ以降はアスリートとしての強さは無くなったと考えた方が良くないか?
当然年齢的な問題も大きい。
鶴田はバスケ選手が僅かな期間で層は薄いとはいえ強豪選手に見劣りしないほど強くなったことを評価すべきで、プロレス界に行けば全盛期ラッシャーでも
簡単に両足タックルでテイクダウンとってネルソンでフォール取っちゃう位には強い。 鶴田はラグビーもやっていて、タックルはアマレス流にラグビー流がブレンドされて、スピアーぼさもあった。
デビュー当時はこれで馬場も木村もコロコロ転がしてたが、80jp年代以降は封印してしまったね。 鶴田なんか五輪は勿論、アジアでも全く勝ててない時点で論外 >>920
アマレスとラグビーのタックルの混合技は初期シュートで佐山がコーチしてたな。
アマレス的に見るとさほど上手くない鶴田のタックルにラッシャーは全く反応できない上にその後の防御も全くできてない所が悲しい。
>>921
鶴田はオリンピック出るためアジア予選等がないアマレス選んでるんだからその発言は馬鹿過ぎないか?前の発言の強豪選手というのは当然国内レベルだからね。 >>918
「相撲出身者は漏れなく追放する」というのが猪木の計画だった事がバレて
それで選手会が「猪木を追放しろ!」になったと言っていたのは小鹿だっけか
当時の日プロで相撲出身者を漏れなく追放したら半分以上整理対象だろうに なぜかゴッチの話で「鶴田に勝てるか?」とか言ってるのがいたから
五輪は勿論アジアでも実績ないのは論外と書いたまで
横から出てきて人格攻撃とはお里が知れる >>924
あなたの>>921の発言の何処にも>>910への向けての発言とわかるものやゴッチという言葉も無かったので勘違いしてしまいました。
ごめんなさいね。 会社のっとりなどとんでもない!
くさりきった幹部どもを追放し、馬場さんたちと明朗に会社運営しようとしたら
いつのまにか俺だけが悪者にされていたんだ!
これが真実だと思っていた >>923
あの時に猪木追放を強硬に主張したのは、相撲出身者を中心とする芳の里・吉村支持者たちと言われているね。
ただ、これは自分の想像だけど、相撲出身者たちを焚き付け、選手会に猪木追放へと動かさせた黒幕は、大木金太郎ではなかったかと思う。この時に、大木は、途中まで猪木と行動を共にしていた馬場を糾弾し、馬場が務めていた選手会長の座をゲットしたしね。 幹部らを辞めさせたいと思ったこと自体は全レスラーの
コンセンサスだろう。その先の思惑が各自違っていただけでしょ?
現に馬場だってスマートでほこりも立てずに辞めてんだから
猪木より用意周到だろうね。 >>917
ゴッチが教えなかったのはロックアップから始まるプロレスでタックルは不要と考えていたからという説もある >>927
選手会長から馬場を外した事は独立に向けて馬場を野に放ったとも言える 鶴田のアマレスの強さ云々だけど、アマチュア時代はキャリア一年半なんだよな
長州が鶴田と対戦するまでは、大学の途中までバスケの選手だった鶴田に負ける訳ないと半ばバカにしてだ訳だが、いざ対戦したら鶴田をアマレスの技術でひっくり返そず、試合中「チクショウ、チクショウ」って呟いてたって話だから、鶴田はプロになってアマレスもより強くなった可能性があるんだよ >>930
日プロってのは会社と選手の契約が無かったと聞く。
まあそれ以上にヤ〇ザの方が怖かったろうがw
でも馬場さんって日プロの役員でもあったんじゃないの? >>931
鶴田の名前が出るとすぐこういうのが湧いて来るのが本当にウンザリする >>927
日プロクーデターで大木は戸口とたった二人改革の連名書に判を押さなかったから黒幕ってのはキツイかな。
序列で馬場の次は猪木でこの二人が駄目なら大木というのは妥当といえる。三人の先輩だとミツ平井なんだが選手会長としては格落ち感が半端ない。
>>928
選手たちにの要望としてまともな契約と遠藤幸吉の追放は一致していたようだが、芳の里と吉村は猪木以外誰も考えていなかったと思う。 猪木クーデター成功の暁には、
相撲出身者ではないけれど、
ミツ・ヒライも、リストラ候補のトップに
挙がっていたとか聞いた。
まぁ集客力はないもんなぁ。
下手に先輩だから使いずらいし。 >>932
それどころか百田家の旧日プロの役員でもあった 猪木のクーデターの一番の標的は遠藤幸吉のはずだが、その遠藤が後に新日本プロレス中継の解説者に
なるんだから、訳がわからんというか。 >>934
皮肉な事に猪木が一番追い出したかった遠藤が
ワープロの解説者として生き残ってしまったと言う
吉村については猪木は追放しようとしていたが
馬場は追放には反対だったって話だね 芳の里や遠藤を追放しようとして、日本プロレスから
除名された猪木。本来宿敵同士といえる両者。
しかし馬場が日本プロレスから離脱すると、NETの仕掛けとはいえ、両者が接近し、新「日本プロレス」構想が持ち上がる。
その構想は流れてたものの、遠藤は新日本プロレス中継の解説に迎えられる。
結局のところ、残ったものは「馬場と猪木」の対立構造の方だった。 新日がNETの放送取り付けるときに遠藤の参加を条件に付けられたというけど
いったいどんなコネがあったんだろうな…
ワープロ放送中にシンと上田に蹴られた遠藤を見て
猪木は「いいぞもっとやれ」と思ったというのはデマ NETからみれば、日本プロレス中継開始にこぎつける際に、遠藤幸吉の貢献は大きかったのだろうね。だから、NETが日本プロレスを見捨てて新日本に乗り換える際には、NETが遠藤に救いの手を差し伸べたとのでしょうね。 遠藤ってNETの日プロ中継の時から解説じゃなくて、新日からの解説だったの? >>939
>>結局のところ、残ったものは「馬場と猪木」の対立構造の方だった。
これは結局の所日テレとNETの対立で、馬場猪木の両名が強硬に反対したNET放送の決定がそもそもの始まりということか。
遠藤幸吉は多方面から日本プロレスを壊したということだな。
>>941
NETからしたらワールドプロレスは変わらなくて放送している団体を変えただけ。ワールドプロレスの解説者は遠藤で決まりということなんじゃないのか?
つまり初期のNET的には遠藤>>猪木・坂口の序列だった。ファンからしたら想像しずらいのだけど。 あの遠藤さんの解説にそんなに固執した理由も
よくわからないがw >
遠藤「まあ、うかがってるというんじゃなくて、やはり彼の動きに自分がですね、共についてゆかないとですよね、
オフ・バランスでですよね、自分だけがミスが多くなるわけですね、
ですから、やはりー、相手がどのように次の連携技を持ってくるんだということに対しての
自分の心構えでね、今のところなんかもはるかにですね、自分が先を、先を読みましてね」
アナ「・・・ロープ(ブレイク)です」
遠藤「こういう暑い時の試合ですからね、ヘタに反則なんかやってですよね、
バカスカバカスカいっても、こらもう、ちっとも冴えないですよね」 遠藤幸吉とマサ斎藤のダブル解説が実現していたという事実 元テレ朝の栗山の本では
「新日にTV中継がついたのは遠藤さんのおかげだったのに
猪木は恩人の遠藤さんをあっさりと捨てた」と罵倒していた
もっとも猪木にしてみれば遠藤は真っ先に切りたかった対象だったんだが >>944
そうだよな。実況の舟橋アナウンサーも遠藤年齢への対応には苦慮していたよね。
>>945
「オスメスを決する」と「ワンパンチ・ジムオズボーン」も追加で。 猪木と遠藤はお互いに利用する関係だったんじゃないかな。
遠藤切るころには「猪木を捨てて遠藤を取る」選択はNETには無かっただろうし。 >>947
それが本当なら、遠藤は日本プロレス在籍中から
新日本の猪木を引き込んでのNET中継を
考えていたのか。それはそれで腹黒いというか、
自分を追放しようとした猪木とよくやるわ >>950
遠藤はむしろ反馬場兼反日テレって印象
両方共に頭を下げさせられたのが赦せないって感じで レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。