【アトキンス】BI砲を考える3【クラウザー】
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>>536 同門対決が無理なら、日プロ対国際での団体対抗戦とか交流戦とか、当時の発想は・・・無かったろうね。 なんかの雑誌で、猪木が馬場への挑戦を口にした時、国際のチャンプとも戦ってみたい、と発言した記事があったような。 しかしながらそういうのが実現するのは、日プロ崩壊後の3団体時代以降。 >>543 大木対デヌーチのアジア戦は テレビでも放映されなかったでしょう? なんか、もっさりとした試合が目に浮かぶ(苦笑) >>544 ゴングが出してた「論証アントニオ猪木」に 馬場への挑戦表明の全文の中にその話が出てるね あの時猪木が語ってることは それ以降の日本プロレス界では当たり前になってる事ばかりだった >>544 大物日本人対決は、その後の勝者と敗者の行く末を思うと 複雑な気持ちになるなぁ〜 力道山vs木村政彦、猪木vs小林、大木、R木村… やはり馬場vs猪木戦は実現しなくてもよかった気がする。 どうせ日プロ時代に実現しても試合結果で複雑な感情が残り 最強のBI砲も空中分解なんて見たくないし 猪木の挑戦がパフォーマンスじゃないのなら、公に宣言する前に 事前に幹部なりマッチメーカーなり両テレビ局なりに 詳細を詰めるべきだった。 本当に将来のプロレス界を危惧しての挑戦なら尚更にね。 >>547 > 猪木の挑戦がパフォーマンスじゃないのなら、公に宣言する前に > 事前に幹部なりマッチメーカーなり両テレビ局なりに > 詳細を詰めるべきだった。 > 本当に将来のプロレス界を危惧しての挑戦なら尚更にね。 パフォーマンスだからやらなかった。それだけだろ。 あそこで何かやって見せないと存在感が危ういという危機感もあったんだろう ただし自分の試合中にそれをやられてワールドリーグ優勝の話題を食われた馬場としても当然に不愉快になる >>549 猪木のそぉゆぅパフォーマンスが馬場は嫌だった 馬場からしたら猪木みたいなパフォーマンスは不必要、無用との考えだから 猪木からしたら必要不可欠だろうが そこが馬場と猪木が水と油と言われる所以だろう >>550 > 馬場からしたら猪木みたいなパフォーマンスは不必要、無用との考えだから いやそうじゃなくて自分を持ち上げるためだけの個人プレーだったから嫌だっただけじゃないの。 会社の許可を取ってれば、あるいは取ってなくても 団体全体のためのものだったら嫌がらなかったと思う。 >>550 猪木は土壇場で裏切る姿が透けて見えたからだろうなぁ。 レスラーとしては評価してたけど人間的に信用に値しないということなんだろ。 東京プロレス、日本プロレス乗っ取り計画(猪木がトップで馬場を外すという内容)という事実があるわけで… 試合内容や団体、個人としての見せ方が馬場は信用、猪木は裏切りがセールスポイントだから交わらないだろうなぁ。 馬場、猪木の良い所、悪い所それぞれが相反していたから面白かったと思う。 全盛期の馬場が猪木を蹴散らしても、下り坂の馬場を猪木が圧倒しても残るのは焼け野原でプロレスが終わってしまったような気がする。 むしろ馬場のほうが 猪木が挑戦表明したころの日本プロレスの実情に 何か思うところがなかったのかな? まさかこのまま下り坂でいいとでも思ってたのか? 猪木は人間的に信用なかったみたいだしね 新日でも坂口 藤波 長州 前田 橋本 新間 みんな猪木を信用してなかった ただレスラーとしてはあまりにも偉大だった だから藤波は猪木に追従していた 『レスラー猪木は凄い』 『人間猪木には興味も信用もない』 藤波がよくこんなコメントを出せたと思ったけど というかよくこんなコメントを雑誌に掲載できたよな こういう事を行うとプロモーターから干されるとか、プロレス暗黙のルール・禁じ手というか… 猪木は理解してる筈なのにたまにやっちゃうんだよな しかも、ここぞという大一番でやるから信用出ない 50年代60年代の勘違いしたシューター(主に欧州系)がやるようにw まあ、馬場としては師匠の力道山が木村政彦に仕掛けて 日本マットを統一したから、そういうこともよぎるよな。 猪木がここぞという大一番でやらかしたのって グレートアントニオ戦と第一回IWGPのハルク・ホーガン戦が浮かんだが 他にあったかな 格上の相手に仕掛けるみたいなのは印象にないな >>556 猪木がコワルスキーにシュートを仕掛けて試合がグダグダになって終わった事があったらしい コワルスキーが控室に怒鳴り込もうとしたら猪木はすでに会場から逃走していたそうだ サンマルチノも猪木にシュートを仕掛けられて返り討ちにしたと語っている Wrestling legend Bruno Sammartino tells a story about Inoki trying to "shoot" him during a tag match in Osaka to build his reputation against the then-world champ. Bruno powered out of the hold, pounded Inoki mercilessly and threw him out of the ring.Inoki allegedly refused to re-enter the ring with Sammartino and tagged in Baba to finish the match. >>558 サンマルチノが日本で猪木と対戦したのは 1968年夏と、71年の11月だよね? (67年3月初来日は、まだ猪木が復帰前) で、大阪のタッグマッチでの出来事とあるが、 手元の資料では、猪木とサンマルチノが大阪で タッグをした試合が見当たらないのだが? Youtubeに残っている試合なら、確認できるが サンマルチノの証言だけではねぁ。 彼は、誠実な人柄と聞くが、猪木に対しては辛辣。 こういうと、誠実なサンマルチノが悪くいうほど 猪木の人間性が悪いと反論されるが(苦笑) やらかした試合はもれなく猪木の伝説になっているんだよなw 皆が暗黙のルールを守って成立するのに、そりゃ危険人物扱いされるよ 世間は裏ルールを知らないから猪木は目立って他が割りを食う NHK大河で主役がアドリブかましたら使ってもらえなくなる >>523 >猪木にしてみればそこまで待っていたらNo.2で終わってしまう 馬場が内心を猪木に明かしていれば待ったと思うがどうだろ? 当然だけど馬場が引退するなら、その数年前から流れを作るわけで 馬場が外人に負け→猪木がリベンジ BI対決は無いにしろ、馬場がタッグで負ける→猪木がそのリベンジ 間接的に「馬場より猪木が実力を超えた」という手法もよし あるいは馬場がテリーファンクみたいに「〇〇年後に引退」→カウントダウンで荒稼ぎ ちょっとベタだけどリング上で「寛ちゃん、あとは頼むよ」と馬場がアピール まあ、色々とあるけどちゃんと禅譲がされるなら猪木の不穏反乱もなかったんでは? なんだかんだで30歳前後で猪木の天下のムードは作られ始めると思う、ちゃんとフロントも納得すればね… 一番問題なのは日プロのフロント陣が引退させない為にうるさそう…。 >>562 改革なんかに手を付けなかったら間違いなく猪木の天下になっていたのに 戦わずしてエースの座というのは、どうだかなぁ〜 力道山はアメリカ遠征帰りの馬場の人気・活躍に嫉妬を覚え、 その性格は猪木も似ている。 やはり馬場を倒してでないと納得しないような気がするし プロレスファンもそれを望むだろう 力道山が手本を見せてないからね… >>563 それもよくわかるし、確かにそうだろうなと思うんだけど ただ、猪木が晩年に逆の立場になって 内心は前田を後継者に、と考えていたらしいんだけど、結局は戦うことはなかったよね? 戦うというか、負けなかったというか、負ける前に前田が解雇になったいうべきか… まあ時期やタイミングに左右され、前田が猪木の元にずっといれば違ったかもしれないとはいえ 猪木は戦わずに(実力で負けずに)引退したというのがね… そう思うと自身がNO.2の時に「倒してでないと納得しない」というのが本音なら、 逆にトップの晩年は「負けないと引退しない」になるんだと思うんだよねえ… そうしなかったという事は、若い時は何だかんだでエースの座をすんなりと引き受けそうと思う。 馬場が退いたら馬場派vs猪木派から猪木派vs坂口派に移行してただろう 今では坂口は塩だからとなるが、日プロも坂口には相当な金と労力使ってるからな >>560 に補足する。 >>558 の元記事、大阪というのはサンマルチノの記憶違いとしても 対戦したのは、 then-world champ(当時世界王者)とあるから 1968年夏の時かな?なら猪木も、まだ発展途上だったし。 68年8月7日サンマルチノは大阪球場で馬場のインターに挑戦している BIとは8月3日横浜でサンマルチノ・マーフィー組と対戦 9日田園コロシアムでレイ・スチーブンスと組みインタータッグに挑戦 無冠になった71年の来日は11月23日静岡でリップ・タイラーと組みノンタイトル 最終27日川崎大会でドン・デヌーチと組み同じくノンタイトル 他に6人タッグはあるけど大阪大会で猪木との対戦はない ブルーノが会場を間違えている可能性があるね >>564 前田は何をしでかすか分からない、危なかしいところがあるし 15年前の自分に重ね合わせていたんじゃないのかな? むしろ長州には2.22両国で潔く完敗 引退試合じゃないけど、後を託した政権交代だったと思うよ >>567 >長州には2.22両国で潔く完敗 ああ、あれが政権壌渡か… あの日はソ連軍も来て、外交的にも政権的にも新日が変わり始める日だね 確かに猪木は選挙に出るし、長州に託したんだね 長州の平成元年は凄かった、単にレスラーとしてだけでなく全体感を見る目とか… ドームでの橋本に負ける時の意外感とか、両国でのベイダーへの負けっぷりとか 新日本全体を盛り上げる目線と責任感がね…比べて藤波は結果的に長期欠場の始まり 藤波も新日本のために泥水をすすってきただけに、でもまだ背広組になって会社を支えるには早いし ついてないとしか思えなかった…坂口が最終責任者になって良い意味で長州が生きたと思う。 >>567 横浜の時はマーフィによるサンマルチノへの先発命令事件があったんだよな >>569 サンマルチノはthe then-world champ(当時、世界王者)だろ? そんなことをされたなら、pounded Murphy mercilessly (容赦なくマーフィーを叩きのめし)and threw him out of the ring (リングの外に投げ飛ばせば)良かったのに! 例え世界王者でも、ガチで強いタッグパートナーに、 先発を命じられたら、従わなければならない、 これを「マーフィーの法則」と言う。 あの時は、本当に悔しかった。 仮にも俺はニューヨークの世界王者だぞ! 腹いせに、猪木は、俺様にシュートを仕掛けたが ボコボコにしてやった!と言いふらしてやろう。 それが馬場との友情の証だ! マーフィーは無毛症といわれているけど、ムース・ショーラックによると 頭部には1本か2本毛が生えていて、毎日毎朝剃っていたらしい。 1970年に睡眠薬の過剰摂取で急逝すると、名タッグパートナー ブルート・バーナードはシングル選手として独り立ち 1984年7月自宅の裏庭で射撃訓練をしていた際に謝って自らを撃ち抜いてしまって死亡した。 実弾が込められてないと勘違いして銃口を頭部に押し当てたらしい。 バーナードは13歳の時にマッドドック・バションに説得されプロレスラーになったのは知らなかった。 RIP ジョン・ジョセフ"スカル"マーフィー ジム・プルードホーム 訂正 バションがスカウトしたのは娯情報っぽい 生年月日を確認すると辻褄があわないことに気づいたw >>573 あれを目の前で見ていた猪木が藤波と長州のそれに応用した可能性はあるかも >それって新日本と全日本と変わらなくない? BI以外のレスラーを、二つのリーグにどのように割り振るのか、興味深いところ。 馬場派猪木派等の派閥で分けると、それこそ後の新日全日と変わらないかもね。 例えば、ベテラン前座若手は、両シリーズ終了毎に交互に片方のリーグへシフトさせて、日本陣営入れ替えを行うとか。 当時日プロのレスラー人数は多かったみたいだから、試合不出場が多かったレスラーを稼働させられるのでは。 あとタイトルだけど、インターヘビー、インタータッグはやはり馬場リーグで、猪木はタッグから解消され、猪木リーグはアジアヘビー、アジアタッグ、UNが看板になっちゃうか。 ただしワールドリーグ戦とNWAタッグリーグ戦は両リーグ合同開催にする等。 妄想は尽きまじ。 >>558 猪木はコワルスキーに仕掛けて、ダニーホッジにも仕掛けて怒らせてパンチ喰らったってね やっぱりトンパチ日本一は猪木だよ >>580 コワルスキーやホッジに仕掛ける意味がわからんなぁ〜 二人とも猪木よりよっぽどシューターだと思うが… ゴッチ教室の影響で裏テクでも試したかったのなら相当愚かな行為w こういう話題がでると本当に、オープン選手権で馬場か選んだ シューターとの対戦が見たかった。 コワルスキー、ホッジ、サンマルチノ辺りに猪木が仕掛けた的な話はチラホラ聞くけど 潰そうとかシュートやろうって意図じゃなく、 単にちょっとカタい攻めしただけのような気がするけどな ゴッチがイリーガルと非難されながらもジャーマン使ったとか 前田がオーンドーフにダブルアームでそのまま固めちゃったとかの類 >>582 おそらくそうだろうね 日プロ時代に出戻りの猪木が道場や前座試合以外で シュートを仕掛けるなんて考えにくい プロレスなら馬場、シュートなら猪木、ケンカなら大木なんて言われてたみたいだけど Gアントニオの顔面を蹴っ飛ばしたのも、ペールワンの腕を折ったのも ワンマンに振る舞えた新日時代だからね >>528 >それって新日本と全日本と変わらなくない? 日本プロレスの幹部はバカ揃いで、新日と全日に分裂させずに、2リーグ制で儲けようという発想ができる幹部がいなかった、ということなんじゃない。 2リーグ制は日本テレビが納得しないだろ。 日テレは全選手を放送できる権利があるんだから、2リーグになったら内容ダウン。 各地のプロモーターも承知しないよ なんでウチの興行に馬場が出ないんだ!とか絶対クレームになる 時代的にそれを受け入れる土壌がない 馬場のNET登場についてもインター戦は日テレの独占にさせるからとか言ってたらしいな インタータッグは分からんが >>587 結局、72年のワールドリーグから馬場がNETに登場することになり (優勝戦の馬場対モンスーン戦は日テレ放送) インター選手権は大阪の対バレンタイン戦 インタータッグはロスのファンクス対東京タワーズ戦 札幌の対コワルスキー・ショーラック戦が放送された。 >>584 2リーグ制の話は、前スレでWWEのようなRAWとSMACKDOWNの ブランド分けが参考になると書いたんだが、70年代初頭の 衛星放送・PPVもない時代に、招聘レスラーも日本テレビ・NETで 別々にするわけにもいかず、夢物語なんだよね… 1局時代なら数字(視聴率)を年間で出して 興行収入観客動員も含めランキングを制定 それが各レスラーの査定となり、ギャラも決められる 数字を提示されればレスラーも励みになるし、 自分の努力不足と考える者もいるだろうし、造反も起こりようがない。 もちろん数字でエースも決まる (但し、分単位で数字を出さないとどのレスラーが視聴率を稼いだか分からない) 書いてて思ったけど、視聴率のランキング査定だと目立とうと ショーマンに走ろうとするレスラーが増えそうでダメだな それに実力主義のジャンルじゃないから、アングルが悪いからとか 不満も一杯でるだろうし… やはりダメだw >>588 仙台のブラジル・ダンカンとのインタータッグは? そら日テレが中継打ち切った後だから、馬場のインターでも 放送するわね >>590 東京タワーズはNETの看板になるはずのコンビなのに、仙台の初防衛戦は なぜか放送記録に無いんだよね 馬場・マツダ対ブラジル・ダンカン戦は放送されたみたいだけど。 >>592 後に師弟コンビの代名詞になるダブルカウンターキックは東京タワーズから? ツープラトンのカウンターキックは馬場坂口組が初めてだと思うけど、 このコンビも師弟コンビと同じく「31文キック」と呼ばれていたような… 豪快さは坂口だが、鶴田のように脚が伸びきってなかったね。 >>594 師弟コンビ以後は鶴田は田上と馬場はハンセンとやってたか 東京タワーズと言う名称は、G・馬場&坂口の前に 漫画の世界だが、「チャピオン太」で1962年にアメリカから帰国した(漫画上) ジャイアント馬場とマンモス鈴木組に名付けられてネーミング。 主人公・大東太はデビュー戦で馬場にジェラシーを抱いているユセフ・トルコと 組んで、東京タワーズと対戦。 ちなみに、馬場が漫画で最初に登場したのは、この漫画、このシーンだと思うが、 不気味な巨人に描かれている(仇役だから、当然だが) 得意技は「東京タワー落とし」、相手をリフトアップし、手を離すと 相手の背骨が頭に当たり、まずそこでダメージを与え、さらに場外に 落とす荒技。 実際の馬場の帰国前だが、将来、期待されていたことが窺える。 漫画では、軽量でデビュー戦の太に負けるのだが(苦笑) アメリカで、実際に馬場とマンモス鈴木が組んで、東京タワーズと 称されたことはないよね? だとしたら、このネーミングは梶原一騎が作ったものだな。 猪木は知人と別府温泉に行った際、 観光客のオバさんが「あ、ジャイアント馬場さんだ」とはしゃいだので、 「アッポー、アッポー」と手刀を振り下ろす真似をして喜ばせたそうな。 逆の状況で馬場が猪木に間違えられても、 馬場は黙りこくだけだろうからな 間違ってもアゴを突き出して「あんだこのヤロー」とは絶対にやらないだろ 馬場は、周りが「あ、ジャイアント馬場さんだ」 とはしゃいでも、黙りこくるだろう。 >>596 「チャンピオン太」以外に、現実のレスラーとフィクションとの 絡みで見ると。 梶原一騎原作の「タイガーマスク」を描いた漫画家の辻なおきが イベントか何かで日プロのレスラー達と面識を持ったとき、 大概のレスラー達は笑顔で接したのに、猪木だけは辻に対して 冷たい対応だったとの内容を、何かの本で読んだことがある。 一説には「タイガーマスク」のエピソードの一部である覆面ワー ルドリーグ戦が、猪木が日プロを離脱して東プロへ移ったことを 元ネタにしたとかで、猪木は面白くなかったのでは?とも。 タイガーは物語の中で裏切者呼ばわりされていたから。 盲目の少女の莫大な手術代のために、敢えて馬場達に憎まれ口を を叩いて離れたのがタイガーの真意だけど。 >>599 辻なおきは、同時期「ジャイアント台風」も描いていたが、 むしろ、「馬場を人格者、実力者のように描いている、 太鼓持ち漫画家」と猪木は思ったのでは? >>599 そんな説はねえだろ。 むしろ「タイガーマスク」の中に猪木が出てくるから、その扱いに不満があった可能性ならあるけど。 明らかに馬場の格下に描かれてるし >>600 たしかに想像できない。(笑) ましてや現代と違って、当時は漫画は子供の読むもので、いい年の大人が読む という風潮ではなかっただろうし。 (「ルパン三世」連載時の漫画アクション等、一部の大人向けの雑誌を除いて) >>601 なるほど、馬場のことを良いイメージに仕立ててるといるいうことか。 たしか「ジャイアント台風」の中には、馬場が若手時代に猪木と戦ったことを 振り返る話があって、スパーリングでは馬場が猪木の腕を折ってしまい、 実戦では三本勝負で1対1での三本目に馬場が勝ったという流れだった。 (試合を見ている師匠の力道山が二人に、はっぱをかけてるシーンがあった。 負けてリング状に仰向けで倒れている猪木が涙しているシーンもあったな) >>602 その可能性のほうがしっくりくるね、仰る通り。 馬場が頂点の扱いで、猪木はそれが面白くなかったと。 そんな作品を描く辻なおきに猪木が非友好的な態度を とったのは当然か。 それは辻と言うより梶原一騎が話を作ったんだから梶原の責任なんだけどね そんな梶原は大山倍達と軋轢が生じた70年代後半あたりから猪木とベッタリになって行く 「四角いジャングル」は後半は猪木が副主人公みたいになってくるし 「プロレススーパースター列伝」は猪木絶賛漫画だし新日でタイガーマスクをデビューさせたりとね >>605 誰だって敵にしたら損な相手には卑屈なまでに我慢するだろう そしてその分だけ害の無さそうな相手に八つ当たりをして穴埋めをする 全部、猪木の馬場への嫉妬からきているんだよな。 長州の藤波への嫉妬、天龍の鶴田への嫉妬もそうだけど 確実にプロレス界を動かしてきた。 その逆が馬場で「猪木のことは別になんとも思っちゃいないよ。 昔から二人は不仲だとかライバルだとか言われていたが、それは周りが 勝手にやいのやいの騒いでいただけのこと。ライバルだとか 特別視したことはないんだ。」と >>607 天龍の場合は鶴田への嫉妬なんかじゃなくて、長州たちが去った全日の在り方に 「このままじゃ、会社が駄目になってしまう」との危機感が先に立って、鶴田への奮起を 促すことも兼ねての事だったろうに。 梶原一騎は「タイガーマスク」や「ジャイアント台風」で 別に猪木のことは悪く描いていないけれどね。 悪く描いているのはバディー・ロジャーズ。 猪木については、もう76〜77年に「少年キング」で「猪木物語(マットの獅子王)」 の原作をしているよ。(画・小畑しゅんじ)あまりヒットしなかったが。 >>607 長州藤波って猪木と新間が考えたアングルだぞ。 プロレス史に残るアングルになったけどな。 >>608 そうか、天龍のは嫉妬の感情じゃなかったね まあジャパンが来た時は先頭をたって全日の看板を守ろうとしていたのが天龍だったし 去った後は「ジャンボ!目を覚ませ」という感じだった。 馬場は97年のインタビューで、プロレスで絶対にやっちゃいけないことについて 「それは闘う相手の"虚"を突いてはいけないということ。いいかい、レスラーは 『殴りなさい』と構えることが大事なんだ。そうすると相手は殴るわな。 で、また殴りなさいと構える、相手が殴る。その流れがプロレス。 この流れを無視した攻撃などは絶対にプロレスにおいてやってはいけないんだよ。 だからこそな、殴られても痛くない体を作ってからリングに上がりなさいと 俺は言うんだ」 さらに「俺は、ウチの選手を教える時には、まず相手の攻撃を受けることから教えるわけ。 やられてからどうやって反撃するかを教える。 だけども、他の団体では攻撃することだけ教えている。そうなると 相手の"虚"を突くような試合しかできなくなるよ。体も鍛えていない 攻撃だけしか勉強してないレスラーの試合でも、あんたたちから見たら 同じプロレスになる。 そうみられるのは俺からしたら、やはりいい気持ちはしない。 本当にな、悔しくてしょうがないんだ」 全日と新日のレスリング感の違い、本質を語っている。 >>609 悪く書いてるんじゃなくて、馬場より明らかな格下として描いてる。 「馬場さん、すいませんでした」「猪木、いいんだよ」みたいに あるいは馬場がタイガーに何か助言をして 猪木が「僕も馬場さんと同感です」と重ねるような キャラ扱いね まぁ、1968〜69の春頃までは、明らかに猪木は馬場の 格下だったから仕方がないな。(否、日本プロレス時代はと言っても 差し支えないだろ) タイガーマスクには、馬場の発言で猪木に対し 「そんなことでは、賠償美津子さんに嫌われるぞ」 (71年春の婚約発表後か?)というセリフがある。 また、猪木も馬場に対し「としよりの冷や水はご遠慮願って、 この猪木がとら退治と行きましょう」というセリフがあるそうだ。 >>611 わかりやすいけど 客からしたらすぐに飽きるプロレス感だな >>611 >プロレスで絶対にやっちゃいけないことについて >「それは闘う相手の"虚"を突いてはいけないということ。馬場談 1969年11月1日、蔵前 BI砲対デストロイヤー&Bオースチンのインタータッグ戦、 選手紹介が終わり、コーナーに引きあげる外人組の背後から 馬場と猪木が襲いかかり、無防備なデストから、1本目0分59秒、 馬場が先取したけれどね。(苦笑) こういうプロレスも面白い。 >>615 アニメの「タイガーマスク」最終回の「去りゆく虎」では、タイガー・ザ・グレートを 凄惨な反則で頃そうとしているタイガー(伊達直人)を馬場と猪木が止めに入ろうと リングに上がるけど、解説者だった馬場が背広なのはわかるとしても、なぜ猪木までが 背広なのか疑問に思っていた。(トレーナー姿ではなかった) 最終回直前の回でも猪木は登場していたっけ? あと、レフェリーがリングにいない・・・。 原作漫画だけではなくアニメでも、猪木は結構直情型のキャラクターに描かれていたね。 覆面ワールドリーグ戦の下りでタイガーが離反する時、馬場に対して「そんな奴、ほっ ときましょう!」と突き放していたし。 (実際にああいう状況があったら、本物の猪木も同じように振る舞ったかな) 当時、猪木はキレやすい性質だと、皆認識してたってことか? >>611 水戸黄門は 由美かおるが風呂に入ったり弥七が出てくる場面や印籠が出るタイミングなんかは 時間割がきっちりワンパターンに決められてたらしいけど まさに馬場にぴったりという感じだな その分意外性や変化を望む若い層からは支持は受けにくい そんな馬場だがハンセン戦では意表をつく ゴング直後にいきなりの先制の16文キック そういうのはそういうブックだっただけの話でしょ 「"虚"を突く」の見本は前田の長州への顔面襲撃だろう 猪木が「俺の知る限りアメリカでもあんな風に暗黙のルールを犯した選手はいない。 卑怯千万だね。プロレス道にもとる。 戦争ですら「核兵器や細菌兵器は使わない」と言うルールがあるのだから。」と批判していた それじゃ猪木も結局「虚をつく攻撃を否定」ということで、馬場と同じになってしまう。 てか同じなんじゃないのかね >>620 二年前の名古屋のレイス戦でもやっている >>622 木戸にサソリを掛けようとしてる最中に後ろからいきなり蹴られたんだから 「虚をつく」というレベルからは逸脱してるよ 長州と前田が直接に攻防してるわけではないし 「核兵器や細菌兵器は使わない」はそういう意味 >>622 ミスター高橋が「馬場猪木は根本は同じ血が流れている」と言っていたが俺もそう思うよ だいたい同じ団体でプロレスを学んで試合をやっていたんだから異なるわけがない >>621 一応、肩に手で合図しているようにも見えるが… https://youtu.be/BhRtVrVEkcA プロレス論?とは違うけど、猪木が馬場を回想するなかで 「今、馬場さんで思い出すのは、1999年1月31日に亡くなる少し前に会った時のことなんです。 ホテルオークラのバー『ハイランダー』を出たところで偶然会ってね。 その時馬場さんが『お前はいいよなあ』と言った。 若い時に『プロレスっていいよな』って言った時と同じで、俺の何がいいのか分からないけど 想像すると、あの人は受け身でしか生きられなかったけど、俺は反対の攻めの世界にいた。 そういうところで俺とはまた違う人生の苦労が馬場さんにはあったんだろうなと思います。 俺は一般的な人生の苦労をしていないからね(笑)」(『猪木流』村松友視との対談より) >>626 この動画のコメントでは あんなの合図でも何でもないというのが大半 前田一人だけが当時から「あれは事故だ」と主張していたが 他のレスラー達は一人もあれが事故だなんて思っていない 野球でもビーンボールはプロが見れば一発で分かると言うがそれに近いんだろうね まあ猪木もグレートアントニオの顔面蹴飛ばしたり、何人も相手の目に指突っ込んだりしてるけどな 「相手の虚をついてはいけない」と言ったはずの馬場だが、何故か前田の長州蹴撃に関しては許容の姿勢を示していた。 >猪木は「相手に怪我をさせる行為は、プロレス道にもとる」と前田の行為を批判。これに対して、全日本プロレスのジャイアント馬場が、「リング上では、何をしても構わない」と正反対のスタンスの意見を公言したのも興味深い。なお、前田さんにインタビューしたところによれば、馬場はこの時、前田に非公式に、「何かあったら(身柄を)引き受けるから」と打診したようで、全日本プロレス入りを容認する懐の深さを見せている。 前田日明 >新日本のリングでは天龍-輪島みたいなことはできないって思ってた、絶対。あれ(全日本)はなんでできたか? ジャイアント馬場がブッカーだったからできた。ハンセンをノックアウトしてもああいう大暴れなことやっても、馬場さんが天龍さんを××したんだよ(聞き取れないが、守ったというようなニュアンス)。そしたら(長州がああいう固い感じできたんで)長州力とだったらやってもいいんだと思って、やったら「プロレス道にもとる」とか言われて(笑)。 (井上編集長「川田(利明)さんが『UWF? あんなのたいしたことない』という言葉に高山善廣選手がカチンときて、武道館でいわゆるそんな試合をやってしまったわけですよ。で、『こんなことやっちゃってクビだ』と高山さんは思ったんですけど、試合後馬場さんから『いやー、お前よかったよ、ただお前普通にレスリングできるんだろ。これからは普通にレスリングしろよ』ってお咎め一切なしだったそうで」) 馬場さんはそういう人。あの人はね、スケールおっきいよね。 >>633 上げちまったら四の五の言うなって事なんだろうな 後でガタガタ言うくらいなら最初から上げるなって >>622 猪木は相手を怪我させないでしょ 前田とは全く違うよ、論点が違う 馬場のインタビューの"虚"を突くとは具体的にどういうことなのかな? ジャパン軍が参戦した85年頃のインタビューなら言わんとすることは 何となく分かるけど、あの記事が出たのは97年の『週刊プレイボーイ』だからなぁ… まあ、前田や高山に声をかけたのは社長・経営者としてのものだろうし UWFがプロレスだということも承知してた筈だしね 高田が10.9で武藤に足4の字で負けた時、プロレスがUWFに勝ったように歓喜したが 相手の協力なくして決まらない足4の字固めのフィニッシュこそが UWF=プロレスなんだよね。 散々、全日はショーで新日は真剣勝負だとか UWFこそは正真正銘のリアルファイトだとか世間を欺いてきたけど、 すべてスタイルの違うプロレスなんだよねw >>636 グレートアントニオはマジ流血してたし、前田に蹴られた長州ぐらいの負傷してると思うが >>638 あの時の猪木のセコンドに前田が付いていたのもポイント >>638 前田と長州は2人が直接試合してる場面で起きたことではない 他の相手との攻防の時に いきなり受け身を取りようのない形でケガにつながる攻撃をされたら どんな理由があろうと非難される >>638 61年5月21日岡山市営体育館でグレートアントニオと対戦したのが猪木の師クラウザー(ゴッチ) リストロックを弾き飛ばされたクラウザーはカッとなりパンチ、ヒジ打ち、顔面に頭突き、 さらに鼻に膝蹴り、アントニオは鼻血を出しながら持ちこたえクラウザーを場外に引きずり出し 場外の殴り合いで4分52秒両者リングアウトの引き分け 結果ドローだったが内容は喧嘩マッチの制裁試合 その後、控室でX(Bミラー)・クラウザー・Iアーキンスの3人がアントニオを監禁して リンチ事件が発生している。 この試合は16年後の猪木戦と酷似していて、当時若手の猪木が目の当たりにしているんだよな プロレスの仕組みが明白になった今の目線で見た方が 前田の処分について理解できる 背中を見せてて両手がふさがっている時に後方から忍び寄って 全力で顔面蹴りなんて謹慎で当然 他の新日レスラーもみんな前田を糾弾するわけだ >>641 世界王者バディ・ロジャーズにロッカールームで 暴行を加えるなど、本当にゴッチってチンピラだな。 なにが「プロレスの神様」だよ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる