プロレスは八百長と呼べるタイプの演し物では無い。

八百長だと言いたがる向きは昭和の頃には居たが
単に、構造や目的が理解出来ていない人物が居た
というだけの話である。

平成、令和と時代は移り変わり、世の捉え方もすっかり変わったのである。
未だに八百長だのやらせだのと言いたがる輩は、
前時代的であり、取り残された可哀想な生き物なのである。
人類とは呼べない、生き物ではある何か。

私は、このような時代に取り残された遺物を
八百長原人と呼ぶ事にしよう。