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馬場はエース級で売り出したと思う
プロレスへの適応と言う点では天龍より先を行っていたからね
相撲出身なのにプランチャはできるし動きはキビキビしているし >>293
いくら地元の山形でのシングルとはいえ、
阿修羅抜きの全日で4番手以下だった石川が
ジャパンのエースだった長州相手に
その阿修羅の乱入でノーコンテスト裁定だったんだから
異例の好待遇だよ
詳しくはわからんが、やはり配慮すべき何かがあったのだろう
でもWAR時代は、藤波やテンタからピン撮ったかと思えば
木戸や越中に負けたりしてよくわからない扱いだった
>>296
相撲出身なのにジャーマンもプランチャもできたからな
運動神経がよかったのだろう
>>298
さすが横綱。かいなぢからがすごいのだろう
>>299
今の仕事って清掃業だっけ?
学生横綱だけあって、日大相撲部のバックアップ受けてるんだろうな
例の理事長とのパイプも太そうだ
長年の持病の糖尿病ともうまく付き合ってるみたいだし、引退した
元レスラーでは間違いなく勝ち組の部類だね 確かに石川は運動神経良さそうだった。
ただプロレスって表情とか感情表現だからねえ。 >>301
>石川のルックスが良くてもう少し大きかったら
たられば追加すると、国際にいたとしたら完璧なエースだな。 当時、新日贔屓だったけど石川は藤波なんかよりははるかに強いだろうなと
見ていて思ったわ。佐藤昭夫はふくらはぎが太過ぎて損してたな。 俺もジャパン時代にパンフレット買ったら永源遙120キロと書いてあって
マジかよ。。ジャパンには前座にこんな強豪が控えてるのか。。と思った ちょっとメタボになると誰でも簡単に100kgを超す。
しかしそこから上は案外と体重は増えない。 >>299
Gスピで、海外時代ポーゴにパートナーで呼んで貰ったのに、その事をナガサキの前なのか悪口言ってた。
東京プロレス時代も、FMWに次いで参戦してもらっておいて酷い言い草だったよ。
95年のポーゴなんて、ドル箱ヒールで呼べれば集客力かなり有ったのに感謝どころか悪口なのは幻滅した。 >>305
見事なブリッジとは言い難いが、
相撲出身の石川が自分よりデカいドリームマシーンに
ジャーマン決めただけで大したものでは?
例の鶴龍決戦の開始早々、天龍が鶴田に決めた
不格好なジャーマン思い出した。 >>311
> 95年のポーゴなんて、ドル箱ヒールで呼べれば集客力かなり有ったのに感謝どころか悪口なのは幻滅した。
その分のギャラは払ってるだろうし
それ以上に素行が悪かったら悪口言われたって仕方がないだろ。 >>313
> 例の鶴龍決戦の開始早々、天龍が鶴田に決めた
> 不格好なジャーマン思い出した。
あれと比べたら遥かに綺麗だと思うよ。 佐藤のミサイルキックから石川のジャーマンて凄いな
でも凄く見えないのはなんでだろうw 当時の石川の身体能力とセンスのまま
当時の菅原のマスクと体格だったら
全日のエースは決まりだろうな…うまくいかんもんだ >>316
これほど華麗さからほど遠い
ミサイルキック→ジャーマンの連携って初めて見たかも 菅原と石川だったら体格的には変わらないから全日のエースは無理だね。
国際だったらエースで決まりだな。
新日だったら長州、藤波とエース争いができたかも。 そっか、確かに菅原はサイズが全日だと厳しいか…
よく考えりゃ原ですら四番手だったわけで
それとは別だけど、原や菅原はカッコ良かったよね
冬木にしてもデブる前、移籍当時のポッチゃりしてた頃は悪くなかった
井上と鶴見はやくざみたいだったけど、総じて国プロ勢はルックスがいいと思ってたよ。 連レス失礼、高杉を忘れてた
原と菅原と高杉、どれもいい男だわ(移籍当時ね)。 >>322
Gスピリッツで見た国際勢の私服がお洒落だった憶えがある。
原がトレンチコート姿で渋かったような。 ミスター・勝ちブック 小橋建太
現役時代から現場監督になっても勝ちブックを貫き「ミスター・勝ちブック 」と呼ばれる 石川はミラノ失神を含め結構相手に怪我させてるな
健吾程ではないにしても技の使い方が乱雑 >>135
1カ月近いシリーズで休みが3日。
前半は通いだろうし、休みの日は仙台から広島の移動、東京釧路、大阪長崎の当日移動と、この頃はすごいな。
やっぱりチャンピオンカーニバルという名前で地方に売れたのに >>303
田中理事長が牛耳る日大・相撲部閥の恩恵を多大に受けている。
日大関連の清掃業業務と産廃処理を請け負うだけで無く権利を得るのに難しい大学
構内へのコンビニの出店までさせてもらって凄まじい優遇ぶり・・・
今は業務も人に任せて悠々自適らしい。
谷津は「アマレス閥は力が無いから・・・」と羨んでいた・・・
輪島のアメフト部のコーチ就任もこのラインだったんだね。 >>326
WARで天龍、北原と組んで両国で健吾、越中、青柳とやった時、
序盤で健吾がショルダースルーをやろうとしたところをケツで顔をカチ上げて健吾をのばした。
WARが初めて新日に上がった大舞台で相手チームのエースを序盤で伸ばしたらダメ。 >>322
菅原のルックスと石川のプロレスセンスを併せ持った実在のレスラーというと、
タイプ的に一番近いのは維新力かな
相撲出身とは思えない細マッチョ体型だし、空中技やスープレックスができたし
最高位が十両だったから、地力は明らかに石川に劣るが
>>326
中堅どまりだったのはそういう部分も影響したのかもね
健吾よりパワーある分、相手に与えるダメージもガチっぽいし
>>303
インタビュー読んだ時も余裕あるなあというか、他競技から
プロレスに転身してきた選手特有の悲壮感がないなあと感じたけど
こういう背景があったのね
本人は動けるうちはリングに上がって、しんどくなったらサッサと
止めようくらいの気持ちだったなろうな
でも最近のコロナで大学は構内立ち入り禁止でコンビニも商売にならないから
今になってしんどい思いしているのかも 連投スマソ
303は>>328の間違い
>>331
日大相撲部のラインでしょ。
大相撲経験者かどうかは知らんけど >>330
この時はまだ健吾がエースで最後にコールされていた。 >>331
描き文字が学祭プロレス並みで草wwww
有名じゃなくても書道家に迫力のある文字描いてもらえよwww >>336
マスコミの扱いやファン目線ではコンビ結成当初から越中がエース。 >>208 >>222
遅レスで申し訳ないけど
栃内良氏が多用する以前から「馬場さん」表記はあったよ
たぶんイーデス・ハンソンとあと1人名前忘れたけど馬場ファンのタレントがいて
その人達のインタビューやコメントに触発されたのか専門紙誌が段々と
「馬場さん」「馬場社長」「馬場御大」といった肩書付きの固有名詞を
掲載するようになった筈
(ちなみに猪木は肩書無しの「猪木」「アントニオ猪木」が殆どだったけど
これは単に語呂の良さ読み易さみたいな要素が大きかったと思う)
村松友視でさえ「当然プロレスの味方です」「ダーティ・ヒロイズム宣言」の中で
“馬場さん”表記を用いてた(勿論「馬場派プロレス宣言」が出版される前)くらいだから
>>328
輪島の学生援護会(当時)アメフト部の監督就任は
輪島個人のタニマチの縁からだったんじゃないかな?
輪島が日大の選手をスカウトしに
日大アメフト部の練習に出入りしていた逸話と目撃談はあったけど >>332 >>334
石川の日大相撲部での後輩だったそうだね坂下博史 >>335
馬場のランニングネックブリーカーは受けが悪いと上手く見えない
鶴田天龍にはバシッと決まるがラッシャーだとすっぽ抜けるし、石川とかは受ける時に露骨にジャンプしてる
自分より40センチ低い相手にランニングネックブリーカーをかけると想像すれば難易度がわかるが、もう少し対処法がないかなとは思ってた。好きな技だけに >>342
ラッシャーは後頭部からドーンと落ちるから、めちゃめちゃ痛そうだけどなあ。 理事長選にやくざが絡んできたり人死にが出たりとか日大内部の利権ってのは
相当すごいんだろうな >>342
1969年12月19日ロスのインター選手権
9分45秒辺りの変な技はランニングネックブリーカー狙いだよね?
https://youtu.be/ifAZP48Sz6g
12月3日ドリーのNWA王座に挑戦した時は、初披露で完璧だった。 >>345
これは違うんじゃない?チャンピオンカーニバルでブロディーに勝った決め手をフライングボディシザースドロップというくらい無理がある >>342
NWA初戴冠のときのブリスコは最高の受けじゃない? >>348
あれは良かった。良すぎて特集とかの度に繰り返し見せられてブリスコの弱いイメージが定着したくらい NWA戴冠のときはどれも素晴らしいから。レイスの受けっぷりも褒めてあげて下さい。 馬場三度目のNWA戴冠の時は決め手のランニングネックブリーカー以外に
三十二文にバックドロップそしてブレーンバスターまで出してた
サプライズのNWA戴冠だから相当張り切ってたのかな?w >>350
83年2月にセントルイス・チェッカードームで馬場がPWFを奪還した時のレイスの受けもよかったな。
腕を広げて受け身を取って、キャンバスに頭を打った後、横を向いて「効いた」って顔で目をつむるんだよな。
魅せるよ、レイスは。 >>355
81年のカーニバル公式戦のことじゃないかな?
ボディーシザースと言うか正面から倒れ込んでそのままフォールを取った奴のことを言ってるのかと思う >>357
そうそれ、移動中だから証拠動画はれないが >>353
知らされてなかったジョー樋口が可哀想だろ、カウント中に固まるし。 小生が子供の頃(昭和49年頃)、巨人戦で深夜に追いやられた全日本プロレス中継。
そのメインが馬場とある外国人レスラーのシングルマッチだった。
その外国人レスラーが馬場をヘッドロックに捕らえ、リング対角線上を走り、トップロープ
に登りフライングメイヤー。そのムーブを3回繰り返し、その三回目を馬場に捉えられ
アトミックドロップ一発でピンみたいな試合があった。16文も出さずに。
でも客は全然不満そうではなかった。
当時の地方のプロレスファンにすれば、本物のジャイアント馬場が躍動するのを見れただけでも
よかったんだなと感じたわ。 >>357 〜359
なるほどね。
納得しました、ありがとう >>340
やっぱりね。
相撲軍団とのアングルでWARで日大色が強くなったのを
天龍が警戒したのが、石川の離脱につながったんだろうな
石川のタニマチだったバイク便も日大相撲部のラインだったのかな
>>350
あの受けは見事だったな
ロビンソンも後でネチネチ馬場を批判したりせず
「あれは効いたぜ!でも俺はあの技は二度と食らわなかったぞ」
くらい言っておけばもっと株が上がったのに レイスはそれぞれ素晴らしいね。
それぞれ検証してみましょう。
https://youtu.be/k5cj-cOxD64 >>364
やっぱりレイスは上手いし一流レスラーは基本的に上手い、身長もあるんだろうけど
だからこそ石川のジャンプが気にくわない、上手いレスラーなのに
https://youtu.be/GsklCKuHO54
の19分ちょうど >>357
猪木も馬場を意識してかブロディ初対決でボディシザーズドロップ仕掛けてる(他の試合じゃ見たことない) >>348
>>349
自分は決まった瞬間のセコンドのマティ鈴木のオーバーアクション
3カウント入った後、一目散にリングに入場
疲労困憊の馬場を無理やり起こして抱擁&担ぎ上げ
この一連の背景動作が一番印象に残ってる、あの鈴木のリアクション見ると絶対にガチ勝負だと思うよなw >>367
猪木がボディシザーズドロップでハンセンに勝った試合なかったっけ >>345
>>347
相手の首に腕を引っ掛けようとしてるからネックブリーカーでいいと思うよ
ただし使い始めて間もない頃のせいかタイミングの取り方が
ホーガンのアックスボンバーの初期のものと同じで
自分もロープに走ってる分うまくいってない感じ レイスとなるとむしろUNとPWFを取った82年が印象に残る
あの時点での世界最強は移籍したばかりのハンセンでなくレイスでないかと思ったくらい >>371
「レイスがNWA王座を降りたら、最強タッグに呼びたい、PWFやUNの挑戦者にしたい」
ってずっと馬場は思っていたんだろうな。そしてレイスは、その仕事をキッチリとできる人だった。 >>371
馬場からPWFを獲った時の急降下ダイビングヘッドバッド
セントルイスで奪還した時のランニングネックブリーカー
両者ともに見事な切れ味のフィニッシュだったね、レイスも馬場もさすが >セントルイスで奪還した時のランニングネックブリーカー
こっちはそうでもなかったんじゃないの?
ランニングどころかウォーキングだったよw
動画見てきなよ NWA王者はむしろ降りてからの方が強いというのはキニスキー・ドリー・レイスが代表的かな
ブリスコは王者時代がピークでテリーは降りてからがようやく本番という印象 >>375
ありゃ、そうなんか…
壮大?なるオーデトリアムをやや全景で映しながら、馬場とレイスが小さめに写ってて
なんか芸術的というか、ネックブリーカーが決まったシーンが美化されて脳裏に残ってたのかもしれない。 鶴田が馬場に勝つとしたら、バックドロップは綺麗に決まらなそうだから、
2発目のランニングネックブリーカーをスカしてフライングボディーシザースドロップかな? >>376
レイスは本来の金髪でAWAでブルーザー&クラッシャーに揉まれて実力がついたのでは。
(後追いで観た)日本でのブッチャーとの喧嘩マッチも迫力あった。
王者時代には段々モジャモジャになってww 受けに重点を置いたので不満を漏らすファンもかなりいた。
王者陥落後はPWF・UN・WWA・ミズーリ王座と実力をまたまざまざと見せつけた。
WWFに行ったらまた受けに回ったけどw “KING”の称号をもらった。やや滑稽ではあったがw 日本でのレイスのベストマッチはやはり田コロでのフレアー戦かな >>380
あの試合は日テレジータスのプロレスクラシックで見て、まさにプロフェッショナル同士の試合だと
感服した >>369
第二回MSGシリーズの優勝決定戦では?コーナーポスト最上段からダイビングしてボディシザーズドロップのような形で決まったと思います。 レイスは晩年にNWAタイトルマッチの立会人で新日に来てたけど、別人みたいな風貌になってたね。
ウッチャンのコントキャラみたいな。 レイスは馬場にNWA王者プレゼントしたり肥後にNWAベルトプレゼントしたり
プレゼント好きなんだなw >>382
猪木がボディアタックで勝った。ほとんどクイックのようだったね。 よもや後年にジェイムズ・ヘットフィールドがハーリー・レイスの真似をするとはねえ。 >>371
鶴田、馬場と続けて撃破し鶴田には即座に奪回されるもスヌーカと組んで最強タッグ前哨戦
の師弟コンビ戦も完勝と晩年の狂い咲きのような活躍だった。
>>382
コーナーポストに登る猪木が馬場と違いw「猫のように素早い!」(ハンセン談・列伝風w) 幸せいっぱいの新婚旅行があんなことになろうとは
武道館での園田夫妻の遺影を見て悲しさと虚しさを覚えた。 >>380
久々に観てきた。いいね!上手い。守るモノがないレイスは極上。
フレアーも油が乗り始めた頃だから、ちょっとしたタイミングが合わないのも
2人できっちり処理出来るのは流石。
いつもフレアーのトップロープからの攻撃は必ず失敗するから、
何がしたいんだろうと思ってたけど、ボディアタックだったのねw >>389
狂い咲きとは言われるにはまだまだ、と思うけど
どうせなら髪を金髪に、パンツを派手にして咲いてほしかったね。 「リングの目激者」
「馬場派プロレス宣言」
「馬場派vs猪木派」
これら上記の本、かなり後年に古本で読ませてもらったけど
「目激者」の新間・山田・竹内の三者座談会では
今の猪木(1982年頃)とやらせたい全日系の選手は?
という議題では「テリーは老いたし、充実度ではレイスだろうね」と話してたね。 >>393
ニックの名前も出ていてのとファンクスを一時代前のレスラーと桜井発言だっと記憶
しているけど竹内が同意していたのは?。仮にも馬場のブレーンでしょう。 >>394
山田さんは猪木嫌いだけどリング上だけは評価してたのかなあ うーん、まあ内容的に記憶があいまいだけど
竹内さんは良くも悪くも中立の立場で参加してて
記述や座談会でも「馬場が好きな自分も心苦しい部分はある」という風な事を言ってたような?
鶴田に関しても「新日に入団してたら全然違っていた」というのは三者同意だったかな? >>395
基本新日本アゲの本だからな〜
馬場派の山田さんや中立派の竹内さんに新日本アゲさせる誘導があっただろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています