【モーニングベーコンエッグ】SWSについて語ろう その26【プリーズ】
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団体設立30周年イヤーだけれど公式イベントの予定は新型コロナウィルスに関係なくまるで無し
プロレス業界に突然現れてバブルと共に消えた時代のあだ花団体SWS
SWS スレと言いつつ、SWSとは直接関係ない話題で盛り上がることが多いのはお約束だ!
※前スレ
【ケツ決め内緒で】SWSについて語ろう その25【勝利者賞ごっつあんです】
https://medaka.2ch.net/test/read.cgi/wres/1590051928/ 当スレテンプレ
カブキ 灰色の追憶 悲劇のUN王者
1973年3月8日 ダイナミックシリーズ最終戦佐野大会
カブキは強豪J・バレンタインを破りUN王者となる。
猪木・坂口と巻いた由緒正しいベルトをついにカブキが手にしたのだ。
しかしこの翌日、NETは日プロの放映打切りと新日本への移行を発表。
このカブキの試合がNETの日プロ最後の放映となってしまった。
1973年4月19日 アイアンクローシリーズ横浜大会
カブキは強豪K・クラップを相手にUN王座を防衛。
ただ翌日の群馬大会をもって日プロは崩壊した。
弱冠24歳のカブキにとって、これは心に大きな傷を残すことになった。
カブキがよく自分の分をわきまえれというのは、ここからきているのだ。
さらなる悲劇がカブキを襲う。
カブキは日プロ残党として全日本へ合流するも
馬場「おい高千穂、おまえUNのベルト持ってるよな? それ、ジャンボにやってくれるか?」
カブキ「ああ、いいですよ。どうぞ」
まず鶴田対カブキで鶴田が勝つ。
そして鶴田がブリスコに勝ちUN王者となる。
カブキはUN王座を分捕られたばかりか、鶴田の踏み台にまでされてしまった。
馬場「キミ程度じゃUN王者は無理、アジアタッグくらいがちょうどいい」
馬場の言いたいことはまさにこれであり、決してそれは間違ってはいない。
この後カブキはアジアタッグ王者となるも、あくまでクツワダの底上げの為であった。
このようにカブキにとってUN王座戴冠は悪夢そのものであった。
それは40年以上を経た今現在でもカブキを苦しめているのである。 カブキ 灰色の追憶 引き立て役人生
今も昔もカブキは、もっともうまいレスラーはG馬場という。
同じく自分の目指すレスラーは吉村という。
この点でカブキは自分自身をわきまえていた。
カブキは60年代後半の馬場の全盛期を目の当たりにしている。
同時に馬場と猪木の引き立て役に徹していた吉村を目にしている。
カブキには引き立て役としてしか生きる道がなかった。
サンダー杉山、グレート草津、マサ斎藤、ラッシャー木村、坂口征二。
自分が踏み台になり越えていくことを承知で稽古をする。
全日本へ行ってもそれは変わらない。
大仁田、渕、園田、天龍。
全日本入団の彼らのコーチを務める。
外様のカブキはあくまで踏み台であり、彼らはカブキを越えていく。
カブキはあくまでコーチであり、前座のレスラーでしかない。
カブキはこの状況を変えようと馬場に海外遠征を頼み込む。
馬場はダメの一点張りでカブキの言うことを聞こうとしない。
元子「そうよ高千穂さん。あなたがアメリカに行ったら、誰が練習を教えるんですか?」
カブキ自信、全日本ではレスラーとしては見られていないと自覚していた。
そして、このようにハッキリと元子から言われそれを確信したのである。
カブキはこの状況から全日本を出てアメリカへ行く。
「源ちゃんは日本に帰るところがある。俺にはないんだよ」
レスラーとしてはダメ、トレーナーやコーチは拒否。
結局、カブキという見世物として生きていくほかはなかったのである。
それにしてもカブキは哀れである。
自分を踏み台にしてのし上がっていく、彼らはトップで名声やギャラを手にする。
カブキはあくまで踏み台で前座でギャラも低いままであった。
どういう気持ちで引き立て役に甘んじていたのか聞いてみたいくらいだ。
最初の日プロから最後のインディーまで、カブキはしょせん引き立て役の人生であった。 カブキ 灰色の追憶 悲運の海外挑戦者
今も昔もプロレスの本場はアメリカである。
アメリカに武者修行に行き凱旋帰国することはスターへの花道であった。
カブキも当然アメリカ進出を意識する。
70年9月、初めてのアメリカ遠征に出る。2年間順調に過ごすも
72年9月、芳ノ里「すぐに帰ってこい」と帰国命令。
カブキは不本意だったがそれに従い日プロに帰国する。
カブキは日プロの崩壊後にすぐアメリカに戻ろうとする。
だが、芳ノ里「馬場の全日本へ行け」
またしても不本意ながらそれを受け入れる。
全日本では馬場にアメリカ行きを懇願する。
78年2月、フロリダへ行く。
81年1月、「カブキ」へと変身。
カブキは全米で大ブームを巻き起こすも
83年2月、全日本からの帰国命令が下る。
その後は全日本とアメリカの往復となる。
アメリカでは4ヶ月単位でストーリーを組むが
日米を往復するカブキはストーリーが組めなくなりメインから外れていく。
結局、87年1月より全日本に定着となる。
それにしてもつくづく残念でならない。
・もし日プロでそのままアメリカにいたら
・もし日プロ崩壊後すぐにアメリカに行っていたら
・もし「カブキ」として全米で活躍していたら
カブキは「パンが食える」稀有なレスラーである。
余計な邪魔をされずに存分にやっていたら、今以上の名声を得たことは間違いない。
カブキのアメリカ挑戦は完全燃焼して燃え尽きた、の真逆で
ここぞ、というとき邪魔が入り不完全燃焼のまま終わってしまった。
本人もさぞかし無念の想いが強いと思われる。
カブキはアメリカで大きなチャンスも可能性もあったのにつかめなかった。
それは今現在もカブキに深い暗い影を落としているのである。 カブキ 灰色の追憶 付き人制度の蹉跌
力道山が相撲界からプロレス界に持ち込んだ物の1つに付き人制度がある。
上位レスラーに与えられた特権で、付き人となった若手は先輩の身の回りの世話をする。
ただ、これはそのレスラーの人生を大きく変えてしまう恐ろしい制度であった。
日プロに入団したカブキは芳ノ里、豊登、吉村の付き人を務めた。
1960年代後半の日プロ全盛時代。
芳ノ里社長は全国で超VIPと会合し、都内では高級店をハシゴしていた。
カブキは付き人としてついて回り、社会を勉強したのであった。
後の馬場や猪木もそうだが、社長の付き人というのは出世の最短コース。
日プロがそのまま順調にいけばカブキにも明るい未来が待っていたに違いない。
だが猪木と馬場が抜けて日プロは崩壊。
猪木と馬場が憎むべきダラ幹の筆頭が社長の芳ノ里。
その付き人で芳ノ里派のカブキには国内にもう居場所がなかった。
カブキは日プロ残党として全日本へ合流するも、
マシオ、大熊、クツワダ、佐藤ら馬場の歴代付き人の格下にランク。
大仁田、渕、園田、天龍たちのコーチと踏み台としての役目しか与えられなかった。
日プロから全日本へ行って天から地へ落ちたのである。
UN王座や海外遠征など、カブキは大きなチャンスが逆の結果となることが多い。
この付き人制度もまさにそうで、日プロ社長の付き人というもっともよい位置にいたが
それゆえに馬場と猪木から蛇蝎のように嫌われてしまった。
思うにカブキが最初に馬場についていれば、そのままうまくやっていたであろう。
芳ノ里についたことにより天国から地獄の垂直落下を食ったのだ。
このように付き人制度はレスラーの人生を変えてしまう恐ろしい制度であった。
そしてカブキはその恐ろしさを、自らの身を持って万天下に示したのである。 カブキ 灰色の追憶 マッチメーカー失格
1990年9月、新団体SWSのプレ旗揚げ戦が行われた。
このSWSでマッチメーカー、現場責任者の要職を務めたのがカブキである。
まずカブキがカード案を作成し田中社長へ提出する。
田中が見て次にそれをジョージやワカマツがチェックする。
とにかくSWSはカード編成でもめた。
カブキがいくらカードを作っても、ジョージやワカマツは田中に直接文句をいう。
そして田中がそれをカブキに伝えるということが幾度となく起こった。
選手が誰も言うことを聞かず、第1試合がカブキの定番となった。
ここで有名な大事件が起こる。
北尾 vs テンタと鈴木 vs A菅原の2試合だ。
北尾テンタはもともとテンタの2連勝のブックであった。
ただ神戸の試合当日に北尾がごねて北尾の勝ちブックに変更。
カブキが直接テンタにブック変更を申し込み、それを飲んでもらう有様だった。
「試合当日に選手にごねられてブック変更」
マッチメーカーとして1番やってはいけないことをやってしまう。
結局、この試合は不穏試合となり北尾の「八百長野郎発言」となる。
試合後の北尾は田中夫人に椅子を投げつけるなど大荒れ。
船木が言うように田中もこの日を境にプロレスへの情熱を失っていった。
すべてはこんなカードを組んだカブキの責任である。
続く 続き
もう1つの不穏試合が鈴木アポロ。
SWSと藤原組の提携開始の試合であり細心の注意が必要である。
だが不用意にもこんなカードを組んでしまった。
この試合は不穏試合となりSWSと藤原組の提携はご破算となる。
カブキ「このカードは俺が組んだが、まさかあんなことが起きるとは思わなかった」
はっきり言ってバカ丸出しである。
北尾テンタと鈴木アポロの2試合でカブキはマッチメーカー失格の烙印を押された。
その後もカブキへの批判は続く一方。
92年1月、片山が試合中に大ケガをする。
これも「こんなカードを組んだカブキが悪い」と公然と批判された。
結局92年3月、カブキは試合会場や事務所から謎の失踪する。
ストレスで頭に神経性の発疹ができてしまい、好物の刺身も食えない状態となった。
92年4月、目に涙を浮かべながらマッチメーカー降板を発表。
それだけでなく「自分がいたら天龍が迷惑」とレボリューションからも離脱。
カブキは王者の器量もないのにベルトを巻いてしまい、分捕られた悲しい過去がある。
今回もマッチメーカーの器量もないのにその職についてしまい、失格の烙印を押された。
カブキ「SWSでは人生で1番嫌な思いをした」
SWS崩壊の最大の原因は、カブキがマッチメーカーについてしまったことにあった。 にんにんにん
にんにんにん
にんにんにんたっら
にんにんにん 田中社長がSWSの全レスラーを解雇した表向きの理由は
「団体内でクーデターを企図して親会社であるメガネスーパーの信用、企業イメージを著しく損ねたため」
となっているが、その理由なら「金権プロレス」と叩いた週刊プロレス編集長のターザン山本と出版元のBBM社を真っ先に訴えるべきだよな
そもそもプロレス団体内で何が行われようとプロレスファン以外は全く興味を示さないので
(常日頃から「あの野郎、今度はぶっ殺してやる」とか物騒な言葉が飛び交っている世界であるし)
団体内でクーデターが行われようが、社長の天龍が反天龍派に襲撃され大怪我を負おうがメガネスーパーの信用云々には全く影響あるはずが無いのだが >>12
まあ、田中社長はもうめんどくさくなっちゃったんだよな にんにんにん
にんにんにん
にんにんにんたっら
にんにんにん >>2
テメェでカブキアンチスレでも立てて、そっちでオナニーしとけよ わかった事といえば、
カブキ嫌いの輩がいる事だけだなw SWSスレでカブキを嫌う人間が増えたのは、ひとえにキチガイカブキオタのせいだ 別に。
カブキのアンチがキチガイじみてる事はわかるけど。 >>14
二世会をひとりでやってるおばさんですか?
あ、ふたりか?
天龍とアヤナ >>16 >>17
カブキアンチ、天龍アンチは、粘着キチガイ馬場信者一匹です(笑) 料理人の腕がはっきり出るオムレツと違ってベーコンエッグなんかは
誰が作っても大差ないっつうか逆に不味く作る方が難しいと思う 無理筋な自論をテンプレにするなんてマジキチ過ぎる… >>22
大富豪の田中社長が剛が作るベーコンエッグがお気に入りだったというのはなにかしらあるんだろうな
それまでベーコンエッグを食ったことが無かったとか、奥方が極度の料理下手で卵すら割れなかったとか
しかし田中家で朝食を作っていたということは剛は田中家に住みこみで働いていたのか?
朝食だけ早起きしてわざわざ作りに通ったのか? https://pbs.twimg.com/media/EScf0fmX0AUCb3I.jpg
WWFランキング一位だつたこともあるティト・サンタナ
落ちぶれるとSWSの引き立て役をやらされてしまう
アメリカは世知辛いね 昔はフレアーの良さなんて全く分からなかったから列伝のフレアー編は地味に感じたし、プロレススターウォーズのフレアーがボス的なのも違和感感じてた
天龍vsフレアーでフレアー勝ったのも「何であんなのに負けたんだよ!」って思ったし
見る目が無かったなぁ フレアーはNWAの末期とWCWで変わった印象だな
全日に王者で来た頃は馬場やドリーの評価も悪いし微妙なのは確か 保坂秀樹Twitterより
人間バズーカ高野俊二選手
ご存じですか?
昔 付き人をしてました
毎日 意味もなく喰らわされ
酒の席ではもっと悲惨でした…
朝8時から予定があり6時頃家に迎えに行くと夕方16時頃に出てくるような人です
こんなのは日常茶飯事
でも唯一?!の教え
『人の事を悪く言うな』
守ってます…多分(^O^)! >>29
>『人の事を悪く言うな』
『俺たちメガネスーパーに騙された』
って言ってたヤツが言うな 保坂ってイケメンだったよな
雰囲気とかオーラでイケメン扱いされないけど 人を悪く言ってはいけないけど、深夜のマックで暴れるのはいいのな >>25
この頃はNWAとAWAは世界王者だけどWWFは単なる王者なんだな 人を悪く言ってはいけないけど、深夜のラーメン屋で『ゆで卵を置いていないから』なんてクッソくだらない理由で暴れるのはいいのな >>26
うわー!読み返したくなったが手元にない!
お盆に帰省(できるのか?)したら探そう
その当時の俺なんて、列伝読んで
プロレスの裏ネタを知って、通になった気分だったからなw
いまはこれ読んで、梶原センセイというフィルターを通した
あの頃のプロレスをリヴァース・エンジニアリングできるくらいの
くされプヲタになり果てた自分を嘲笑おうw
若い天竜にすら苦戦か〜www
あいてが誰でも苦戦するんだよ〜と、いまは知ってるわけでwww >>35
この世界にはもう電子書籍というものが
今Amazon見てきたら、297円だった Kindleなら読み放題の無料期間を使えば只で読める
または時々凄く安くなるので待つのもアリ >>25
1985年10月21日 両国国技館
NWA世界ヘビー級 vs AWA世界ヘビー級 両選手権試合
R・フレアー(NWA) vs R・マーテル(AWA)
フレアー「俺はご存知、世界の最高峰」
マーテル「俺はAWA世界王者だ!」
試合は30分を超える白熱の攻防
最後は(お約束の)両者リングアウト
アメリカでも実現しなかったダブルタイトルマッチ。
馬場がガニアを説得し日本だからこそ開催できた試合だ。
G馬場のプロモーターとしての偉大さが理解されよう。 田中社長が剛を飼っていた理由が
「剛の作るBLTが絶品だったから」とかだったら如何にもやり手社長ぽかったんだけどな 3年くらい前のSWSスレは「全日は試合で怪我をしても医療費も払わない」「新日に比べて全日の方が圧倒的に待遇が悪かった」とか馬場を目の敵のように叩いていた奴がいたが(通称ババガー)
「全日は医療費も払わない」の証言元である谷津の証言がコロコロ変わって終いには
「プロレス業界で馬場さんくらい信頼出来る人はいない」とか言い出すし、SWS裁判で両団体が移籍前年に支払っていた具体的な金額が開示されていて
新日よりも全日の方が圧倒的に待遇が良かったことも明らかになってしまうし
(おまけにこのSWS裁判記録のリンクを貼ったのがババガーだったというオチまでついてしまう)
少なくとも医療費と待遇の部分で全日を叩き、天龍達のSWS移籍を正当化することは不可能だと学習したのかもしれない
ちなみに昨年出た谷津の回想録では例の医療費の未払いの部分は
「入院治療費の支払いを求めたが、領収書のない請求には応じられないと拒まれた」
という表記になっている
谷津は領収書を自分の医療保険の請求にでも使ったのだろうか? >>41が晒した馬場信者が、ワッチョイを変えて
>>42を書いたのか? >>43
「全日は医療費も払わないブラック企業」
「新日に比べて遙かに低待遇」という主張が否定されたことがそんなに悔しいか? 川田の、やってはいけないラーメン屋本より
正直、蓄えはそんなにはなかった。プロレスファンなら知っているだろうけど、全日本プロレスのファイトマネーはそんなに高くなかった。
一方、ライバル団体の新日本プロレスは、スター選手になると結構な年収を手にする。さらにテレビ番組や映画などへの出演も多かったから、副収入も多かったようだ。Tシャツやタオルなんかのグッズのロイヤリティもちゃんとあったみたいだね。
その時は「ウチはウチ、ヨソはヨソ」とあまり気にしていなかったけれど、新日本の人気選手の生活を見ていると、「やっぱり格差は大きいな」と実感させられたし、俺のセカンドキャリアもちょっとは違っていたかもしれない。 >>45
SWS移籍前年の待遇の話をしていたのに、川田の話を引用されてもな
それにこの話には具体的な金額がまったく出てこない
SWS裁判で具体的な金額が開示される前から「全日は新日よりもかなり安い」と言われていたけれど、
蓋を開けて見たら全日の方が厚遇だったわけだし
具体的な納税額とか収入証明とかが提示されているならまだしも、こんな噂話だけじゃ全日は新日よりもずっと待遇が悪かったことの証明にはならんよ SWSの頃の冬の時代脱出しかけの頃の新日と、三銃士全盛の90年代半ば以降の新日比べてもなって感じだよな SWS裁判でギャラが明らかになった新日のレスラーはジョージと佐野だけなんでしょ
新日側のサンプルが少ないので新日と全日でどちらの待遇が良かったかなんて判断出来ないと思うが その佐野だが移籍直前まで IWGPジュニアチャンピオンだったのに344万6205円
一方、全日で世界ジュニアチャンピオンを短期間だけつとめた仲野信市が628万円
ポジション的に三銃士の下に位置していた(マシンと同格)ジョージ高野が772万5000円
天龍同盟の下っ端だった冬木が702万円だから川田はもうちょっとよかったのではないかと思う 日本の場合ギャラの年功序列と一度上がったら下がらないという特殊事情も考えないといけないから面倒。
高木がフル出場するとおそらく1千万位。
そうすると田上も同じ位でメインの一角を取りつつあった三沢は更に上。
馬場のおぼえが良くて全日のプリンス三沢と何度プッシュしてもダメな高野の差はあるけど全日の方が良さそうな気がする。追加すると高野の方が団体が違えど先輩。
ジャパン移籍前の保永は住食の保証はあるけど生活保護並みの年収。谷津は回想録で自分のギャラの移り変わりを詳しく書いてたはず。 「一度上がったギャラは下がらない年功序列制」というのはプロスポーツとは思えない制度だったな
(やっぱりプロレスはスポーツじゃないんだ)
プロレスにガチ幻想を抱いていた田中社長はこの辺をシビアに考えていて、勝率の悪い「負け役」のレスラーを成績不振を理由に解雇しようとして天龍に止められた >>49
その範囲の情報ではどっちがどうかは何とも判断出来ないね
なのに「新日よりも全日の方が圧倒的に待遇が良かった」と言い切ってしまう>>42は不誠実だなと思う SWSが出来た90年位の新日と全日の売上はどれくらいだったのか? よく出る話だが目に見える金額だけではなく
全日は厚生年金で元国際の井上や海外に行っていた桜田についてもちゃんと納めていたが
新日はそんなのは無かったというのもある 川田という当事者の談話があるのに、部外者にあれこれ注釈つけられてもな 日本プロレス的なデタラメな金銭感覚は新日の方が受け継いでいた
小鉄が乗っていた高級車は新日の経費で買った
小鉄が若手に渡していた小遣いも新日の経費だった
芳の里と何が違うんだ >>55
川田に貯蓄が無かったのは無計画な浪費をしたからなのに、「全日はギャラが安かったから」と責任転嫁しているようにも思える
全日在籍時に川田がいくらもらっていたか具体的な金額を記していれば「なるほど、それは安いな」と共感を得られたかもしれないけれど 新日本の場合はグッズの分もギャラに加えられるのが大きいからでしょ?
単純に選手としてのギャラだと全日本のほうが高かったって話で >>50
ジャパン移籍前の保永のポジションで「住食の保証はあるけど生活保護並みの年収」なら
結構な厚遇じゃね?特に当時のレスラーは食が一番金かかるだろうし SWSについて語ると結局はお金の問題になる
天龍が田中社長と初めて会った時に単刀直入に年収を尋ねられ、天龍が正直な金額を答えたら田中社長は
「それは安い、安すぎる」と驚いたというし、天龍も女子プロゴルフの賞金女王が自分よりも遥かに稼いでいるのを知って悲しくなったというが、
本当に勝ち負けの存在する世界で戦っているアスリートと予め勝敗の決まったショーを演じているアクターを混合してはいけない >>56
プロレスラーって鶴田や木戸みたいに浪費しないで蓄財すると嫌われるんだよね
天龍とかリック・フレアーみたいに散財する人が尊敬される >>59
保永は海外遠征経験者でもう若手から中堅になりつつあった。
年の半数は出張で帰ってきても道場の2階の寮。これで生活保護寸j前じゃ割が合わない。
その上での本人の生活が苦しかったという証言付きだよ。
SWSはギャラ以上に生活保障の良さを誇るべきで、これは業界史上最高なんじゃないか?
逆に昭和新日は華やかな上辺とは別で上層部の体質と選手の待遇は日本プロレスと対して変わりなく、猪木の
日プロ改革なんて口から出任せの思いつきレベルだったのだと思う。 SWSが出来た時に猪木は「何が補償だ!」と言って不快感を示したくらいだから、選手の待遇に対してどういう考えの持ち主だったかはわかると思う >>61
昔の役者が芸人もそんな感じだな
大勢を引き連れて派手に遊んでることがステータスみたいな >>45
三銃士と比較してなんだろうけど、越中はもっと年収高かったんだろう?
まあ、三沢と違って川田は越中との関係が薄いから、越中は気にしていないんだろうが。 後輩の三沢、川田にボコられて格好がつかな過ぎてSWSに移籍したのに
まさか本当の事を言うわけにもいかず「俺がいたら三沢と川田が上に行けないから」
とありもしない配慮でトップを譲ってやったなどと恩着せがましい態度で離脱
谷津カッコ悪すぎだろ…これがアマレス最強と言われた男の末路か 谷津は団体を辞める時が一番輝く!
・ジャパン分裂で長州にクソをかけ
・全日本離脱で馬場にクソをかけ
・SWSクーデターで天龍にクソをかけ
・WJでの内部暴露でまたまた長州にクソをかける
結果として天龍、長州の引退興行や馬場の追善興行に呼ばれず。
レジェンドたちのイベントやトークショーにも呼ばれず。
youtubeでも誰もコラボをしてくれない。
大変に気の毒だがこれはさすがに自業自得としか言いようがない。 佐野の340万は安すぎ。何かのペナルティーかと疑ってしまう。
ライガーはいくらもらってたんだろ。
ジョージが700万なら三銃士は1千万近くかそれ以上。ライガーはジョージと同じ
ぐらいか、少し下かな。藤波、長州は3千万ぐらいか。 92年か93年の馳が3,000万だった気がする(本人が著書でも触れてた)
何年か忘れたけど武藤と橋本が5,000万って週間ファイトに書いてあった 橋本は「俺、会社から年収は3000万って言えって言われているんですけれど実際はその半分しかもらってないんですよ」と明かしたこともある >>71
考えてみたらグッズの売上やCM料とか考慮すると武藤と橋本で差有るな >>67
今でこそ三沢と川田の為を思って全日からSWSへ移籍したことになっているがSWSの入団会見では
「三沢や川田は俺の教え子ですよ。そんなのと良い試合をするようになったら故郷の人達に笑われる」
と思いっきり本音をぶちまけている
このSWSの入団会見こそ谷津のプロレス人生で最高に輝いた瞬間だったのに、谷津的にはなかったことにしてしまっているのが実に惜しい リングの格とギャラは一致しないから佐野はジュニアのチャンピオンになったけど会社的には若手の一人に過ぎない。
会社的には押すのは畑でも別に構わないはずだから。
リング上の格付けは三銃士>>キムケン>ジョージ>>佐野だがギャラの順位はキムケン>>ジョージ>三銃士(武藤>橋本>蝶野)>佐野のはず。
川田が新日の方がずっと良いと言ったのは対抗戦時にゴマシオが川田のギャラを聞いたときサムライ以下だと言ったのがソースだと思う。
当時新日はドーム興行が大当たりしていたのでかなり払っててもおかしくないと思う反面、
選手の数が多すぎて高額すぎるファイトマネーを上から下までばら撒けるとは思えない気がする。ゴタツとか小原もだよ?
その点で橋本の半分発言はなんとなく納得してしまう。 でも、長年全日はグッズのロイヤリティを選手に払ってなくて、ジャイアントサービスが総取り説を5%貰ってたって覆したのは川田なんだよな。 Sは続いてた?
95年9月武道館大会
天龍vs藤原
G高野vs俊二
カブキ仲野vsマスカラス石川
佐野vsサベージ
ドラゴンvsデルフィン >>74
ユセフ・トルコが佐山はタイガーマスクで売れても前座レスラー並のギャラだったと書いていたな
佐山は梶原のところに来てギャラの安さについて怒っていたとか
坂口は合流時の約束でリング上ではNo.2でもギャラは猪木と同レベルだった
だから小鉄は「なんで坂口がそんなに貰えるんだ?」と嫉妬していた
自分は会社の経費で高級車を買っていたくせにな ↓前スレのこのベーコンエッグの書き込み
初めて聞いた。ソースはどっかの本なの?
0965 お前名無しだろ (スッップ Sdaa-/RG3) 2020/07/01 15:11:40
>>956
同業者には嫌われていたけれど、剛は天性の人垂らしでタニマチを捕まえるのがうまかった
田中社長にも気に入られて家まで建ててもらっている
剛が田中社長から家を建ててもらったという噂はたちどころにプロレス業界に蔓延し、田中社長宅に
「社長、剛ばっかりかわいがらないで俺にも家建ててくださいよー」
と電話をかけてくる輩が続出し、田中社長を閉口させた
0973 お前名無しだろ (ワッチョイW 5324-briu) 2020/07/01 19:53:14
>>965
剛は一時期田中邸で料理担当してたからな
特に朝食でのベーコンエッグは社長の大のお気に入りだったみたいだし >>77
前田も蔵前でのオンドーフとの凱旋帰国第1戦が1万2000円で、坂口から「前田に1万2000円なんて高い」と下げられた」
1万円×200試合=年収200万円。
新日役員の猪木、坂口も小鉄より上のクラスの社用車の外車に乗ってたよ。 >>73
それはSWSの入団会見じゃなく全日辞めた直後の日大レスリング部道場での会見
三沢や川田に関しては
「三沢や川田と必死になって戦っても、田舎の人間が信じてくれるか?谷津は手を抜いている、と思われるだけだよ」 >>78
SWSに関してはそれなりに情報を追ってたけど、このベーコンエッグ云々についてはその書き込みで初めて知ったわ
ガセと断じたりはしないけど、何か元になったエピソードがあってそれに尾ひれが付いてるんじゃないのかな
田中邸に泊まらせてもらってお礼に朝食を作った(田中社長も剛の顔をつぶすわけにもいかないから言われるがまま作ってもらった)→ベーコンエッグをほめる(美味しい!また作ってよ!的な)→「最近、田中社長の家でメシ作ってるんだよ!俺の作るベーコンエッグは社長のお気に入りなんだ!」みたいな感じで吹聴
…こんな感じでさ >>68
あと、SPWFではよかったんだろうか?
>>77
坂口より先輩なの小鉄は? 前田の凱旋帰国時のギャラは1.5万円で坂口が1.2万円へと下げたと出てくる。
坂口を嫌いな選手が多くて小鉄の事を養護する選手が多いのはこんな所なんだろうな。佐山タイガーも2万位だったのだろうか?
小鉄にも色々問題はあるのだろうが坂口は猪木のハイセルへの流用や選手への社債購入などストップしなければならないのに、
やらずに自分はちゃっかり高額ギャラをキープ。丼勘定じゃないのは良いけど此れは良くない。
新日本は構造が複雑で猪木と小鉄で株持って旗揚げした新日本はNETと坂口が作った新・新日本へ再編成したみたいな感じ。
なので坂口はリング内外で猪木と並ぶ立場で小鉄よりずっと上。NETは猪木のことをタレントとして評価はしているが仕事の話は坂口経由。 佐山さんはシリーズ終了後の給料日にセカンドバッグがパンパンになって入り
切らない程のファイトマネーを受け取っていて、付け人の山崎が洗濯する度に
佐山「はい、洗濯代」といって洗濯物を渡す度に一万円をくれたそうですから
一シリーズで500万程貰っていたと推測出来ます
それにしても天龍さんのコーラ代といい佐山さんの洗濯代といいスターはやることが格好良いですよねー
所属レスラーを低賃金・低待遇でコキ使ってきた馬場も、これくらいの気前の良さがあれば、死後あそこまで悪く言われることもなかったでしょうに 天龍はWARのオーナー社長になって初めて馬場の気持ちが理解できたと言っていたな 坂口は一応社の財布を握ってたみたいだから選手のギャラの総額がまずあって
それを皆に分配してって残った分は自分のギャラみたいな感じなんだろうか
そういうやり方だったら若手のギャラも1000円単位でコツコツ削るかな >>81
おれもこれは初見なんだけど、5ちゃんにはもともと
あやしい「剛情報」の書き込みがあるから、
SWS情報をどんだけ追ってても出てこない話なのでは
たとえば、剛がタニマチをだまして
ガイジン招聘費用として大金を出させていたものが
半分以上ポッポナイナイされてて、それ知って怒ったタニマチが
各種債権をヤ〇ザに売り渡し、そいでケジメとしてビデオ出演に至ったなんての
保存はしてないけど、確かに読んだ記憶あるよ
「信じるか信じないかはあなた次第」というレベルではないかなw 念押ししておくけど、>>87に書いたのは
かつて5(2)ちゃんでみかけたことのある
ほんとかどうかサッパリわからん怪情報ということねw
個々人が好き勝手に発信できるんだもの
初見の情報があって裏がとれなかったとしたら、
それをどう扱うかは当人しだい 確かに剛に関しては様々な真偽ただならぬ伝説が飛び交っているな
SWS絡みでは
・田中社長に気に入られてSWS入りが認められたもののSWS選手会が全会一致で剛の入団を拒否した
・SWS入団が反故されたことのへ補填なのか、田中社長が剛に家を用意した
この二つは様々な媒体で語られているのでまず事実ではないだろうか?
オリエンタルプロレスの旗揚げ資金の出所はどこだったんだろう? >>84
洗濯物を渡す度に1万円渡して、新日は年7シリーズ210試合、
1シリーズ30試合でどう推測すれば1シリーズで500万の洗濯代が貰えるんだw
1シリーズ500万÷30試合=16.66だから1日16回以上洗濯するのかw >>90
偏に>>84の文章力が稚拙なせいなんだけれど、おそらくは1シリーズ500万円以上貰っていたのは佐山で、その佐山から洗濯の度に山崎が一万円貰っていたということなんだと思う
「聖人君主」もそうだけれど、馬場アンチって馬鹿ばっかり 佐山は新日から1シリーズ500万円以上貰っていたのに
ギャラが安いのが不満でショージ・コンチャをマネージャーとして雇ったのか 1シリーズ500万というソースは無いけど、
梶原一騎「最初はきちんと指定日に使用料が振り込まれていたが、どんどん遅れるようになった。苦情を言うと忙しいと言い訳ばかり。オフになると佐山がやって来て連日イベントに行かされる。ギャラは全く貰えずでやってられないと愚痴をいう。先生からも会社に言って下さいと頼まれる。それで新間に今は芸能界でもそんな酷いピンハネはしない。待遇を改善しろと何度も言った。」
全盛期タイガーなら1シリーズサイン会20回各100万位は軽いだろうからイベント代込みでファイトマネー500万ならお安いものだな。 >>82
SPWFの時も揉めたよ。
WJに行ける谷津と数名と声が掛からないヴァリオンらSPWF残党で。
その前も、方向転換で夢ファク勢と別れたし。
高田さんとは組んだり離れたりだけど。 >>80
そこはさ
三沢や川田と手を抜かずに必死になってベストバウト級の試合を作れば良かったんでしょうに。
後輩を輝かせて、試合作った自分も大満足やんか。
今だから言える事だけど、それやってたら今、レジェンドとして語り継がれてたのにね。
それどころか…
その場しのぎの言い訳野郎やし
可哀想 天龍もNumberかなにかのインタビューで
「三沢や川田といい試合をやっている最近のジャンボを見ていると情けなくなってくるよ。何やってんだよって」
と腐していたから谷津と似たようなもんだ >>96
82年チャンカンで、鶴田(30分ドロー)天龍
鶴田は「情けねえ・・・やってらんねえわ」と思ったはず。 そうなると鶴田がスゲープロレスラーってなるね。
ジャンボ鶴田が全てを備えた馬場プロレスラーって事には否定できないけど…
ジャンボ嫌いには迷惑やろな… 「なにやってんだよ、ジャンボ」で思い出したが、今年はジャンボ鶴田没後20年ということで東スポで天龍、和田京平、秋山の3人が在りし日の鶴田を語るという企画があった
大阪での三冠戦で鶴田が天龍の得意技であるパワーボムで天龍を(予定外に)ノシちゃってリング上にいた3人(鶴田、天龍、京平)が一様に「なにやってんだよ」という空気になったという、今となっては笑えるエピソードが紹介されていた >>96
天龍のその発言は鶴田へのエールだと思うけどな
谷津は後輩の踏み台になりたくなかったって事でしょ
責めるような発言でもない 83年8月、佐山は新日本へ契約解除の通告をした。
・プロレス以外の催し物への出場報酬が話し合われていないばかりか、
支払いを認めたものでも勝手に関連会社(ハイセル)に流用され、タイガーに支払われていない。
・幹部らはタイガーの人気を利用して得た莫大な利益を私利を計って関連会社につぎ込み、
しかも莫大な損失を出している。
・これらの事実はプロレスの健全な発展を願うファンの期待を裏切るものだ。
よって、タイガーマスクは新日本プロレスとの選手契約を解除する。
佐山に言わせると、一回100万円でトークショー&サイン会があった。
自分が受け取るのは10万円のみで、90万円は行方不明。
説明を求めても答えは返ってこず、何回もこれが繰り返されていた。
純粋な好青年だった佐山の心はズタズタに引き裂かれていった。
ここに付け込んだのが悪名高いショージ・コンチャである。
タイガーマスクの退団は社会に大きなインパクトを持って迎えられた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています