ヨーロッパ路線に変更した頃の、頼りないけれども国際のエース候補としては、
草津がIWA結成ギリギリの時期に『英国西部や南部ヘビー級チャンピオン』になっていた。
ロビンソン来日と、小林・豊登のIWAタッグ戴冠がヨーロッパ路線の決定打となったわけだが、
草津の立場は・・・テーズ戦失神事件もあり、かなり屈折したのではないかと思う。