>>211
プロレス番組はイメージが悪くスポンサーが付きにくいのでTV局として合格点の視聴率
を上げていても編成局での評価は高くなかったとテレ朝の船橋アナでさえ証言していた。
>>215
生乾きの臭いの中で試合をやった時もあったので選手間では不評だった。最後は夏に
涼しい北海道でたまに使うくらいだったらしい。
>>224
大木が韓国国内で行っていた海苔事業等の不振が原因で泣く泣くインターを手放して
馬場は封印したアジアヘビーと交換でインターベルトを奪還した。そして韓国で行われる
復活アジアヘビーのベルトの争奪戦に全日の協力する事となった。