【新日vs全日】新日本「’90スーパーファイトIN闘強導夢」開催から、本日で丸30年が経過【北尾】
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新日本プロレス 1990年2月10日(土)東京ドーム大会 試合結果
試合開始18時 観衆6万3,900人=超満員札止め ※テレビ収録
▼30分1本勝負
@○飯塚孝之(10分49秒 ブリザードホールド)×松田納
Aペガサス・キッド ○佐野直喜(16分47秒 タイガースープレックスホールド)獣神サンダーライガー ×野上彰
Bヒロ斉藤 ○後藤達俊 保永昇男(13分29秒 バックフリップ→片エビ固め)小林邦昭 ×星野勘太郎 馳浩
▼45分1本勝負
C○ブラッド・レイガンズ(6分13秒 回転首固め)×ザンギエフ
D○スティーブ・ウィリアムス(9分0秒 アバランシュホールド→片エビ固め)×サルマン・ハシミコフ
▼AWA認定世界ヘビー級選手権試合=60分1本勝負
E○マサ斎藤<挑戦者>(14分29秒 首固め)×ラリー・ズビスコ<王者>
※マサ斎藤が第40代王者となる
▼新日本vs全日本 団体交流戦=60分1本勝負
F○ジャンボ鶴田 谷津嘉章<全日本>(15分6秒 空中胴絞め落とし→体固め)木村健吾 ×木戸修<新日本>
G天龍源一郎 ○タイガーマスク<全日本>(18分59秒 リングアウト勝ち)長州力 ×ジョージ高野<新日本>
▼IWGPヘビー級選手権試合=60分1本勝負
Hビッグバン・ベイダー<王者>(15分47秒 両者リングアウト)スタン・ハンセン<挑戦者>
※ベイダーは3度目の王座防衛に成功
▼北尾光司デビュー戦=60分1本勝負
I○北尾光司(9分58秒 ギロチンドロップ→体固め)×クラッシャー・バンバン・ビガロ
▼アントニオ猪木国内復帰第1戦=60分1本勝負
J○アントニオ猪木 坂口征二(15分43秒 延髄斬り→体固め)橋本真也 ×蝶野正洋
※アントニオ猪木は1989年5月25日、大阪城ホールでの対ショータ・チョチョシビリ戦以来の日本マット復帰
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本日2020年2月10日で、あれから丸30年が経過。。。
時が経つのは本当に早いものですね このスレッドを見ている良い子のみなさんへ
みなさんは、ここでおじさんおばさんがケンカをしていると思うかもしれません。
でも、本当にケンカしているのかどうか疑ってみたほうが良いでしょう。
それにもしかしたらここにイジワルなかきこみをしている人は本当のオトナでは
ないかもしれません。
インターネットに書かれている文章をすべて信じてはいけませんよ。
どうかこのことを忘れないでくださいね。 >>438
藤波、木村が相手だったんだからしょうがないだろ
いいとこはみんな長州、天龍が持って行って
ガメつくないジャンボはそういう役割になっちゃうんだよ
レスリングサミットもそうだっただろ レスリングサミットで鶴田がマーテルからフォールとったとき
AWAとられたときのリベンジ果たして凄く嬉しかったな
最初はヘニングがフォールされると思ったから余計にね しょせんハンセン天龍のオマケでしょ
この2人より人気無かったし >>440
いいとこは健悟、木戸、ジョージが持っていったよ。 武藤(ムタ)vs鶴田をやろうとする発想はなかったのか? 無いんじゃないかな、さすがにこの時点では冒険すぎるでしょ 当時は猪木46歳(47歳10日前) 坂口47歳(48歳7日前)
高齢になったと思った。
しかし今はこの年齢を越えてバリバリが沢山いちゃる。
50歳オーバーも普通だし。
この30年でレスラー寿命も伸びたんだな。 >>447
ムタも来れなかったからの全日参戦だから、その発想はそもそも生まれない。
フレアーだけだったら新日勢だけでなんとかする。たとえドームが不入になろうとも。 >>452
武藤は来日していたけどムタとして出られなかったのは、ムタの権利関係を当時のNWAが持っていたのか? >>453
その日に武藤が日本にいたかどうかは知らない。が、いたならこの大会に出ない道理はないと思う武藤として。出なかったんだからいろいろあったんじゃないの、詳しい事は全く知らない。 >>453
武藤は華々しく凱旋マッチの予定だっただろうからね。
橋本、蝶野も凱旋マッチはあった。
華々しくはなかったが。
※蝶野は凱旋マッチで会場大暴動。
晴には武藤は契約切れて凱旋は決まってたわけだし。
影に隠れたが、健介も結果的に武藤と同日に凱旋マッチという形に。 >>455
ドームでの長州戦ではない、日本定着の際の橋本の凱旋マッチって誰とだっけ? >>456
7月埼玉大会でベルコビッチとシングルだったかな?
ショートタイツでテーマ曲もneverだった >>456
確か89年7月の三国対抗戦シリーズ開幕戦。
カードはわからない。
だから橋本もドーム以外の凱旋マッチは華々しくなかったって事だよね。
10月の闘魂シリーズ開幕戦の蝶野の凱旋マッチも元からノーテレビだし。
三人の中では武藤だけが華々しく凱旋マッチを組んで貰えたんだね。
しかも凱旋マッチでタッグタイトル奪取。
あの頃は1・4ドームは固定されてなかった。
だから凱旋マッチや大物外人のお披露目は大会場が定番。 >>457
凱旋時は橋本は黒のショートタイツだったね。
途中から恒例のパンタロン。 武藤はスペースローンウルフ時代にゴールデンタイムで活躍していた選手。
いまいち受けなかったが、サナギマン時代と思えば、後のブレイクも頷ける。 >>455
>蝶野は凱旋マッチで会場大暴動
大どころか、暴動でもない。
みな、座席について「静かに抗議」していた。
俺は現地にいたが、お前もいたのか?
それで、「大暴動」だと感じたのか? >>461
いないが、雑誌にそう書いてあったぞ。
長州が、ヤジった観客に掴み掛かったり。
ケロ田中がリングから詫びたんじゃなかったか?
それはこの二年前の両国だったか? >>463
雑誌(週プロ、ゴング)にも
「暴動」とは書いていないはずだ!
その当時の両誌は保管している。
何号の何ページに書かれているんだ? ケロはその時リングに上がらないでリングサイドからだったんじゃないかな?
関係者なんだろうけど横から見た事ないオヤジ2人ぐらいになんか言われてたよね >>463
>>465
>長州が、ヤジった観客に掴み掛かったり
蝶野の凱旋帰国試合(メイン)が
3分足らずの不消化試合になり、
客が怒って居残ったが
誰も「暴」れても「動」いていなかった。
その後、蝶野と長州がリングに戻り
謝るのかと思ったら、蝶野なんかは
あの調子で客に「何やってるんだよ?」
と挑発する始末。
長州もまたマイクを取ったが、何を言っているのか
分からなかった。
で、リングサイドの客がなにか言い返したらしい。
南側中段にいた俺からすれば、それは聞こえ中田。
長州の顔色が変わりマイクを投げ捨てリング下に
突進していった。
それも暴動とは言えないだろ?
むしろ、客は暴動を起こさないようにしていた。
暴れたら、客の方が悪くなる。
それに客が暴れたなら、団体としては、その客を
追い出せばいいのだから、却って楽なんだよな。 だから、あの時、1989年10月13日、
後楽園大会後、冷静に抗議をした観客
としては、見てもいない奴に
大暴動を起こした、なんて書かれるのは
実に心外だ! >>464
「暴動騒ぎ」と書いてある
ゴングの286号に 蝶野の大暴走で暴動寸前だったな、田中リングアナが何とか収めたが
長州すら「リングアナの分際で」と胸倉掴んだというから救いがたい ガラプー、また急に漢字荒らしや語呂合わせとかしないでね
急にスイッチ入るからこいつにレスするのもやめろよ
いい歳こいたオッサン以上だろここの人間は >>469
その286号は持っていないが、
時期としては11月の終わりだ。
ニュースとして、その号で報じるのは遅いよね?
287号は、もう11月29日の
UWF東京ドーム大会が一面で報じられていた。
百歩譲っても「暴動騒ぎ」だな?
事件があった10月13日の後楽園を報じた
ゴング280号は(もしかしたら280号の間違いでは?)
トップグラビアで「橋本VS蝶野の流血決着に後楽園ホール騒然!」とある。
本文に「暴動寸前騒ぎの」とか「暴動を食い止めたのは田中リングアナの
涙の叫びだった」とあり「暴動が起きた」など書かれていない。
では、286号にどう書かれているか、ここに記してくれ。
俺は、国会図書館でもどこにでも行って確かめるから! 1989年10・13
その現場にいた俺に言わせれば
「暴動寸前」という言葉にも違和感がある。
俺たちは、暴動なんか起こす気は全くなかったよ。
ひとつには1987年両国で暴動が起き、一年以上、
同所でプロレスの開催を許されなかった。
後楽園で同じことは起こせない。
また、1万以上の大会場で暴れても、
誰がやったか特定できないが
後楽園だったら、すぐにばれてしまいそう。
そこで暴れたら、他の団体の後楽園興行にも行けない。
暴れたら、観客が悪くなる。
あくまで冷静に座って抗議をしたんだ。
俺だって、この問題にここまで剥きになって
書きたくはないよ(苦笑)。
最初に>>455が「蝶野は凱旋マッチで会場暴動寸前」とか
「暴動騒ぎ」と書いてあればスルーした。
それを「大暴動」だなんて書くから、「そりゃ、違うだろ!?」
と言いたくなったんだよ。
もう俺も、これ以上は書かないけれど、これが事実だ。 あの後楽園ではケロが「こんなの新日本でない」というマイクに長州が激怒。
ミスター高橋と蝶野が言い合いが続いてこれを見た坂口がマイクで
「長州vs田中、蝶野vs高橋を実現させます」といった記事がゴングで見たような気がするけど
坂口ってそういうことは言ってたかな? 確かケロちゃんが長州に対して、「リング上で謝って下さい」と言ったとか? テレビマッチだったらどうだったか?
逆に意識的に揉め事は回避したかな?
雑誌によると最初に入場した橋本が後から入場の蝶野をロープを上げて招き入れた。
敬意を込めたシーン。
しかしリングインした蝶野は橋本にケンカキック。
そっから揉み合いになり、場外で橋本が蝶野に床にDDT。
これで蝶野流血。
結末は無効試合?だっけ?
試合後にマイクを持った蝶野。
『俺はプロだ!舐めんなオラーエー!』
観客に向かって一喝。
その記事自体もあやふやだけど訳のわからん試合だと思った。
会場行ってないから雑誌記事からだけど。 >>474
当時会場にいたわけじゃないのでわからないけど、3分足らずの試合終了、しかも蝶野の凱旋試合
普通だったら延長戦の流れだったので、観客も「試合しろ!」とかヤジを飛ばして帰らなかった感じなのかね
後楽園のお客さんは暴動とか起こすイメージがない 蝶野のケンカキックがアドリブ無しだったのかな?
そんで試合がグチャグチャになり。
そっから“大暴動”いやっ“暴動寸前”ですか(笑)
そういう経緯から田中や高橋も引き込まれた形になったと。
この話題で現場で見た御方は神様。
この話題では主役になれる。
あくまで“この話題に於いては”…だけんどね(笑)。
でも当時の雑誌に長州がヤジったファンと揉み合いとか出てた気が。
これを現場で見た御方は鮮明に覚えてらっしゃる事でしょうからっねっ(笑)。
30年前でも ね(笑)。 まぁ蝶野の怪我というアクシデントを全員アドリブが利かず締めがgdっただけの話
それにうざいヤジとばして空気悪くさせて「モノ申してる」と悦に入ってる連中をメディアが(取ってたカラーページがつぶれたので)
まるで大事件のように書いてさらに調子に乗らせた事件だ
大仁田マイク投げ事件のヤジ野郎は「週プロは俺たちの味方だ!」とか言ってそれを週プロに寝ぼけたこと言ってんじゃねーと逆に叩かれてたな >>473
その暴動騒ぎのゴングは持ってないけど
猪木表紙のゴングの286号を持ってて
蝶野vs橋本のリポートで「暴動騒ぎを巻き起こした10.13を…」って書いてある
でも53ページには「暴動寸前」とか「今回の暴動未遂事件」と書いてある >>477
>結末は無効試合?だっけ?
ゴング前から4者の場外乱闘になり、
蝶野が橋本の場外DDTで額を切り、
若手に支えられて、退場。
しばらく長州が、橋本&マサ斉藤にリング内で
なぶられていたが、頭に包帯を巻いた蝶野が登場!
橋本、マサを蹴散らす。
流血はアクシデントかも知れないが、ここからが「見せ場」だよな!
「凱旋帰国試合」「メインイベント」だよ!
しかし、蝶野は勢い余ってレフェリー(ミスター高橋)も
殴ってしまい、反則負け(2分39秒) >>483
だから「暴動寸前」「暴動未遂」=「暴動は起きていない」だろ?
俺は、>>455が「蝶野の凱旋帰国試合が【大暴動】だった」
に対して、
>>461で、「大どころか、暴動でもない」と書いたんだよ!
俺に言わせれば、ゴングが「暴動騒ぎ」と表現していることにも
一言、クレームを付けたいところだ。 >>484
さすがに2、3分で無効試合で終わったら客も怒るわな セミだったらよかったかも。
ただ凱旋帰国第1戦なのに、せっかくテーズ道場で習得して
雑誌で煽ったSTFも出さなかったようだから試合が下手だった。 だから語呂合わせや漢字荒らしのガラプーにレスしたりするのやめろって
ここの住人達はいい歳こいた常識あるオッサンたちばかりなんだから
刺激したらまた荒らし始めるぞ
479ですでにちょっとおかしくなっているだろ?ニワカ知識指摘すると発狂するからな ガラケーがまたニワカ丸出しで草
早く病院に帰れよなw 1984年6月3日 蔵前国技館
1987年12月27日 両国国技館
1989年10月13日 後楽園ホール
これが新日での80年代の三大暴動か
1999年1月4日 東京ドーム
こちらはファンではなくリングが大暴動だったけど。 >>490
どう考えても89年の後楽園ホールじゃなくて、海賊男の87年春の大阪城ホールでしょ。 蔵前は解体する目前だったのに暴動で修理代要求されたってよ >>490
煽りのカマッテちゃんか?
惨めだな。
そういう形でしか
他人と関わりが持てないんだろうな。 ガラプー をNGNameに入れればいいだろ
なんのためのワッチョイだよ プ板に関わらずガラケー使ってる奴のレスなんて見たくないから、全板ガラプーNGで快適 ガダルカナル・タカのマイクは凄く聞き取りやすかったな
その後のふんころがしが何言ってんのか全くわからなかった
最後のやらせろ、やらせてくれ、やらせてくださいしかわからなかった >>500
彼らがいうと、やらせてくださいが別の意味にとれてしまう。 「あんたら、猪木を弱虫にしていいのか!やらせろー!やらせてくれー!」 >>479
後楽園の橋本対蝶野は現地で観たけど普通の試合だった
記憶があるけどな。蝶野の代名詞の死んだふりとかも
やってたし。不穏と言えば1月後の11・3後楽園ホールの
橋本ベイダーがやばかった。ベイダーが場外で本気のボディスラムで
叩きつけて音がドスンて響いた。橋本がゲロ吐きながら試合してた >>503
11/3橋本VSベイダーは会場で見たね。
橋本が初めてベイダーに勝利した試合。
リングアウト勝ちだけど。
確かにゲーゲー吐いてたね。
あと11/26の橋本VS蝶野も会場で見た。
ワールドカップだかジャパンカップのリーグ戦。
こちらは何故かノーテレビ。
蝶野がリングアウト勝ちだった。
でも最後は橋本が決勝進出。
両者の立場を考慮しての結果だろう。 >>503
橋本と蝶野の抗争が軸になると思ったが。
ドームでも最初は橋本VS蝶野が決まってたし。
でも年明けに二人が組む流れに。←強引な流れだったけど。
それでドームは猪木、坂口と対戦が決定。
90年と同時に新日本平成黄金時代の幕開け。
嗚呼、懐か… >>504
ガラケーさん嫌な奴ではないだろ
でも30年前の試合観に行ってるから60ちかいのは確かだな ガラケーさんw
語呂合わせや漢字羅列してスレ荒らしまくっていた奴がいたことも知らないご新規さんかな 90年はハンセンからするとハンセンvsベイダーとハンセンvsホーガンという大試合を2試合もドームでやって、6月頃までは新日にレンタルもされるという凄い年だな >>509
鶴田、ゴディ、ウイリアムスと大物とのシングル連戦だったね。
福岡でのベイダーとの再戦も凄かった ハンセンはもっと新日に上がって欲しかった。
ベイダーとのタッグも予定内だったはずだ。
でも新日と全日の提携が止まって。
それに伴いハンセンの新日登場もバトルライン九州が最後。
長州と仲間割れしてベイダーと共に長州を痛め付けたハンセン。
3月には天龍と仲間割れ。
ハンセンは90年には天龍、長州と組んでた。
天龍とは前年からだけど。
この時点でハンセン、ベイダーのタッグが実現したらなあ。
この7年後に全日で実現するわけだが。
またこの時期にベイダーが全日に上がれば。
“たら”“れば”だけどそたうなって欲しかった。 ハンセンは新日登場時に橋本、武藤、蝶野、ライガーとタッグで対戦してる。
放送して欲しかった。
特に橋本との試合は見たかった。
長州と仲間割れした翌日にハンセンはベイダー、ソウルテイカーと共に
どっかの公園だか神社に行ってる写真が雑誌に掲載された。
ハンセン、ベイダー組は予定内だったのは間違いない。
あの仲間割れからの合体と布石も作って。
猪木が現場復帰したから馬場が提携を止めたんだったか。
本当に残念無念何でやねん。 てか、ベイダーとの再戦のIWGP戦の時って確かハンセンも三冠王者じゃなかったっけ?
IWGPと三冠王者の現役王者同士の初対決の割には注目度が低かった様な… >>513
そう言えばそうだね。
6/8武道館でゴディ破って三冠奪取。
ダブルタイトルマッチにすれば良かったのに。
でもそれなら福岡より東京や大阪の方が相応しいか。
でも90年のハンセンは大活躍だね。
ベイダー戦二回、ホーガン戦、ゴディから三冠奪取。
90年のMVPだね。
最強タッグでは残り一秒でのフォール負けも仕方ない。
あれだけの大活躍の一年だったわけだし。
日本人MVPは三沢だろうな。
90年の東スポ大賞は忘れたが。
今なら40越えても現役バリバリ、全盛期(扱い)だけど。
90年頃は40越えたら高齢のベテラン扱い。
その中でハンセンは驚異的に見られちょったんよ、冬至は、いやっ当時は。 プロレス大賞は大仁田、ベストバウトも汐留の電流爆破だったがこれはしょうがないな
ここから東スポと三沢はボタンの掛け違いみたいな感じが始まったのかも >>514
調べてみたらMVPが大仁田、最高試合が大仁田vsターザン後藤だったww
ちなみに三沢は殊勲賞だった
現役三冠王者が1挑戦者としてIWGPに挑んだ事って後にあったっけ?
小島と天山がWタイトルマッチやった事は覚えてるけど。 というか90年は新日と全日関係以外でもSWS発足、UWFが松本バンザイ事件で実質終了、FMWが初の電流爆破マッチと凄い年だな >>516
最優秀タッグチーム賞が武藤 蝶野組だっけ?
90年はBIの30周年記念大会もあり。
ハンセン ビガロ ウイリアムスの新日⇔全日ハシゴ参戦。
アンドレ全日初登場、ウォリアーズ新日初登場、シン新日9年振り復帰。
日米レスリングサミット開催。
平成黄金時代と言われたのもわかるわ。 ビガロ対小橋、対川田のシングルは両方ともビガロがフォール勝ちしてるな。
新日では便利屋的にコロコロ負けるビガロだけど、全日では扱い良かったな。 >>519
あの頃の川田小橋の格を考えたらビガロに勝っちゃまずいよな
まだ外人4強の一番下のスパイビーに勝てるかどうかくらいだったはず >>517
この年の貯金で10年プロレス界が安泰だったって印象だわ。 当時の小橋川田の格なら妥当でしょ
川田もプランチャ(ビガロに受け止められてたな)やらムーンサルトアタックやら使ってたような時期だし 武道館の5大シングルマッチの中で一番盛り下がったのがビガロ対川田だった
二人とも遠慮してるような手探り状態が長かった
「ビガロに負けたら北尾より下だぞ」ってヤジがあったかな この頃の川田は札幌でハンセンに5分足らずで負けて
外人とはやる気がしないと拗ねてた
ブレークするのは7月松戸大会の対ウイリアムス戦から このシリーズで小橋の格上げが目立った。
タッグでシン、ブッチャー組と対戦。
最後はコブラクローでフォール。
“試合後に苦痛の表情で喉元を押さえる小橋”
そんな写真と記事が掲載されてた。
小橋がシン、ブッチャーと対戦とか…違和感ありすぎ。
この頃の小橋は抜擢され(始め)た期待の若手だけど。
最終戦の武道館ではウイリアムスとシングル。
しかも《五大マッチ》と銘打たれた内の一つ。
それまでの川田以上の大抜擢。
これも天龍が抜けたからだけど。 >>507
アホはこれ見とけ
何でここまでガラケーが嫌われてバカにされてるかわかるわ
【プ板のヒーロー】基地外ガラケー荒らし【省略&語呂合わせ】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1550930468/ 四天王って三沢、小橋、川田が新日に上がったのは覚えてるんだけど、田上って新日参戦した事あったっけ? >>513
三冠奪取の四日後にIWGP戦か・・快挙だけど当時あまり話題になってなかったね。
90年のハンセンは化け物だよ。
「俺を新日本に返さないでくれよ」と馬場に頼んで提携が終わったという説もある。 >>528
IWGP王者のベイダーに三冠王者のハンセンが挑む再戦、史上初の現役のIWGP王者vs三冠王者の対決って本来なら当時にもっと話題になってないとおかしいシチュエーションだよね。
そして今でも初戦の方は語られる事も多いけど再戦の方はほぼ語られないって謎がある。
あと三銃士ともハンセンはレンタル中にタッグとかで対戦してるんだよね
1年間でベイダーとのIWGP戦、三冠奪取、四天王&三銃士と対戦、ホーガンと対戦ってとんでもない活躍だね。 忘れられがちだが、スパイビーとのコンビで世界タッグも獲ってるしな >>530
と思ったけどそれは91年だったな
失礼 >>529
あとこの年はルガーからUSヘビーも取ってたね。 >>532
あ!WCWでか!
1990年のスタン・ハンセンって本が書けそうなぐらいの狂い咲きだなぁ >>533
WCWではUSヘビー級奪取の他にも、スティングと初シングルマッチ、フレアーvsルーガーの試合に乱入してルーガーをブルロープで縛り首KO。
また、あまり知られてないけど6月にアメリカのインディ団体でテリー・ファンクとシングルマッチもしてる。
屋外の試合でテリーを川の中にボディスラムで投げ入れるというハチャメチャぶりw
https://www.youtube.com/watch?v=EA-BM7gz1qU&t=610s
それから、9月30日に後楽園ホール『ジャイアント馬場のデビュ30周年記念試合』で馬場&ブッチャーvsアンドレ&ハンセンもあった。
これも入れていいんじゃないかな。
90年のハンセンは、当時の日米主要トップレスラーのほぼ全てと絡んだ凄い年だったよ。 >>2
死にすぎ
全員生きててもおかしくない年齢の人やん。 >>534
全日の中ではゴーディとウィリアムスの突き上げがすごかった上に新日に出張してて留守した期間も
あったのに見事エース外人の座を守り切ったという印象が強いな ハンセンが偉大すぎた。
だからゴディやウイリアムスは後釜になれなかった。
ゴディ、ウイリアムスの責任じゃないね。
他にスパイビー、エースは言うに及ばず。
そう考えるとハンセンは日本人でいう馬場、猪木的に偉大な存在。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています