>>261
当時の全日本プロレスの社長であった三沢光晴が、
小橋建太、田上明、秋山準、大森隆男、高山善廣らの主力選手を大量に引き連れて全日本プロレスを突如退団し、
プロレスリング・ノアを旗揚げした影響により、全日本プロレスは一時、団体存続の危機に陥ったため、新日本プロレスとの対抗戦に活路を見いだした。

だが、全日本プロレス対新日本プロレスの夢の対抗戦が始まると共に、
四天王の1人である川田利明が今まで決して交わることのなかった他団体のプロレスラーと対戦する機会が増えた一方で、
三沢光晴らの全日本プロレス退団の影響によって、四天王プロレスは事実上、終焉を迎える結果となった。

しかし、川田利明の新日本プロレス参戦以外には、全日本プロレスという団体が生き残る道は他になかったと思う。

そうした経緯を考慮すると、全日本プロレスの経営が苦しくなり、観客が減ったとしても仕方がなかった思う。

武藤敬司や小島聡、ケンドー・カシンらの新日本プロレスからの退団、全日本プロレスへの電撃移籍という大きなニュースがあったとしても、
当時のプロレス界はプロレスリング・ノアの独り勝ちの状態であり、全日本プロレスが低迷するのは、謂わば、歴史の必然であると共に、やむを得なかったと思う。