95年の天山広吉
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松山みたいな田舎!ってマイクやったのいつか分かる人いる?youtubeから落ちてもうたか(*_*; 3月シリーズでヤングライオンやサムライ、飯塚とシングルやって、飯塚以外は秒殺で連戦連勝
ゴングの見出しで「秒殺はつづくよ、どこまでも」ってのがあった マウンテンボムは馳が授けた技なんだよな。
馳が体重を乗っけて落とすのが好ましいと言っていたんだけど
いつしか単なる水車落としに成り下がってしまったというw 1月凱旋
2月橋本のベルト挑戦
3月平成の乱だっけ?
その後もシングルで武藤に勝ったりして健介に負けたぐらいで勢い落ちてきたっけな
Uインターとの対抗戦も始まったしね
そう考えると意外に短命w >>11
平成の乱は2月。
6月の武藤とのムーンサルト封印マッチまでは勢いあったよ。
負けて封印したものの、すぐG1で解禁してたけどな(笑) 小物の代表格
小橋蝶野戦
三沢蝶野戦の場違いな振る舞い 「蝶野だろうが越中だろうが山本だろうがお前ら選手会の問題だろコラ」 >>12
あーやっぱ2月か
訂正ありがと
4月にスランプアングル復帰の武藤には勝ったよね
対抗戦ももっと絡んで欲しかったなぁ 4月までに
長州、武藤、蝶野、馳、佐々木、平田、木戸etc
橋本以外全員にフォール勝ち 橋本にはなかなか勝たせてもらえなかったね
シューズ引っ掛かった試合だけじゃない勝てたの 2月の橋本とのタイトルマッチ。
札幌中島で観戦したけど、スゲー良い試合で盛り上がった。 天山は基本パワーファイターなんだけど、健介みたく剛腕でもなく
バランスの取れたパワーファイターだったよな。 でも、95年の時点で考えてみ?
馬場が手塩に掛けて且つ優遇した秋山が全然パッとせずに
当時の若手の通例通り海外遠征して帰ってきた天山が大ブレイクした。
しかも天山は秋山よりも2歳年下だ。
この時点でポテンシャルに差が出過ぎている。 天山のがキャリアは1年ぐらい上じゃね?
プロレス学校も出てるし
95年の秋山か
確かに思いだせん
川田に瞬殺された年かな これがやっぱ新日のシステムの良い所なんだよな。
「経験も与える、場所も与える、後は自力で這い上がれ」だもん。
こういうのって馬場みたいな閉鎖的な風土ではなく
新日みたいな自由な風土の方が育つのが早かったりするんだよな。 >>20
私も現地観戦
実はあれが天山のベストマッチかも 蝶野とヒロが常に近くにいたのも良かったんだろうね、
若くてパワーと体力で押し切るだけじゃなく、
体や力の使い方、間の取り方なんか相当勉強できたはずだな、
うまくコントロールもしてもらえただろうし。 橋本は天山にだけ垂直DDTの角度がおかしいよね
エグ過ぎるよ 「天山、一緒に頑張ろう!」
(モンゴリアンチョップが炸裂!)
「越中さんが出るまでもない!俺が相手してやる!」 >>9
7月の維震軍興行では小原がフォール勝ちしたが特に両者の評価が変わることはなかった 外道の本で天山WCW参戦の時のエピソードがあった
邪道外道もWCW?アメリカ?にいたらしく
当時は天山とは何も接点がなかったけど一緒に来てた新日の先輩よりも俺達と一緒にいることが多かった
たぶんその先輩のことが天山は苦手だったんだろう(笑)
みたいな記述があった
当時一緒にWCWに行ってた先輩は小原さん・・・w この頃はダイビングヘッド額から当ててたよな
途中からチョップ付きでごまかしだした >>30
天山には何やってもいい雰囲気があったな、橋本に限らず。
豪快に受身とってくれるから盛り上がるけど、後々体にガタが来た感じだわ天山。 リングの魂の雑誌版のリンタマで橋本の人生相談コーナーがあったんだが
レスラーのセックスが凄いって話で
天山なんて相手を寝させないらしいぞっていう橋本の発言で
俺の中での天山幻想が膨らんだ 武藤「てんざーん!てんざーん!てんざーん!」
天山「(えー何、試合終わった後なのに…)
何だおらえー!」 天山小島永田中西
いいレスラーであることは間違いないが
永遠の2番手3番手
でもそっちのがいい仕事する おい、とんみとがー!!
は
おい、よく見とけオラー!!
って言ってるんじゃないかな ファイプロのニセ入場曲、
第三世代であるのは秋山、天山だけかな
意外と馳センセイもある
ストーム慶介とサカタさんはなし ――では、天山選手はどんな方でしたか?
永田 マジメというか優しかったですね。ハッキリと「コレはやらなきゃあかんよ」とか
言ったりはしてたけど、基本的には優しかったですよ。
中西 歳は若かったけど、やっぱり貫禄はありましたよ。
永田 あと練習以外はずーっと部屋で寝てるから、一日10何時間ぐらい寝てましたよ(笑)。
――天山選手は永田選手のデビュー戦の相手ですよね。
永田 そうですね。あの頃、若手選手のなかで一番信頼されてたのは天山でしたね。
「しょっぱい若いヤツは天山に任せておけば大丈夫だ」って感じで、長州(力)さんも絶大な信頼を寄せてたね。
――そうなんですか。
永田 札幌の大一番の第1試合に出る天山に向かって、「山本(天山の本名)、頼むな」って長州さんが
言ったのを覚えてますね。やっぱり、彼は受けっぷりがいいし、堂々と正面から相手の攻撃を受けれるし、
間もいいし、一つ一つのテンポもいいし、そういう部分でも天山に一番の信頼を置いてましたね。
当時、いろんな先輩が「天山が一番いい」って言ってましたよ。
中西 いや〜、ポジショニングの取り方とか凄くいい。受けもいいし、
攻める時の場所取りもいいし、“間”がいいんだよね。
――天山選手は海外修行で大剛鉄之助さんの指導もあり、凱旋する時には120キロを
超えていたという話も伺いましたが。
永田 「なにこれ!?」って感じでメチャクチャ変わって帰って来ましたよ。
あの時は123キロぐらいだったと思うけど、そんなデカい身体でムーンサルトを飛ぶは
スピンキックなんて柄にもないことやったり、凱旋試合で中西さんをリフトアップしてましたよね?
中西 あれは強烈でしたね。
https://www.njpw.co.jp/215067 キャラと見た目で猪突猛進タイプかと思いきや、多彩な技も操れた、ヘタすりゃ器用貧乏で中堅固定になる所だったかも知れないが、ガタイ作ったのと足りない部分をヒロと蝶野が手厚すぎるサポートをした、
全盛期の独り立ちは出来なかったかもしれんが、新日本プロレスではひと通り良い所取り出来た選手だと思う。 冬の時代で正直スター不在のタイミングではあったが
よくGP獲るまで行ったよな この年のG1はAブロックにフレアーがいたのとBブロックに天山がいたのがすごく良かった この時の天山の煽りをもろに受けたのが、翌年の小島だよな。天山のコピーって揶揄されてたし。 >>60
天山と比べてただでかくなっただけでいいところなかったからなぁ 全日でベルト巻くまでの小島はショッパかったろ、
下手くそなモンゴリアンチョップをマネしたり、
三流ラリアッターでしかなかった、
天山が脱水牛になった試合では、間の取り方が往年のNWAチャンピオンみたいに立派で堂々としてて驚いた。 >>62
小島は全日本に行くことによって試合運びとカラダ作りを学び、格を上げた。
この時期の猪木の介入で痛い目にあった永田
、中西とは対照的で上手く立ち回った感じだな。 >>63
完全に天山を飲み込んでた、あの時見た小島は見違えてたわ、
ラリアットを始め、技を大切にするようになって、チャンピオンタイプの選手になってた、
全日本プロレスに行って成功したよね。 それにしても、桜庭がモンゴリアンチヤョップを
真似る程天山マニアだとは知らなかった。 まあ、小島は目立ちたがり屋だかね
セコンドにいても目立とうとする まぁ、そうだけど
ストロング・マシンのマスクとか
元々ヒールがやってた事を
ヒーローが敢えてやる発想が天才と思ったわ それまでは「実はいい人」だったのが、天コジで完全にいい人キャラになった。 天山やっぱいいなぁ
凱旋の頃の試合ワールドで見れればなぁ ???「越中だろうが山本だろうが選手会の問題だろうがコラ」 >>7
いつかの東京ドームじゃない?
蝶野vs三沢やった日。
天山ノートンvs橋本小川の試合後だった様な・・・ >>85
二か月以上前の書き込みに反応するお前が一番キモいと思う。 天山ノートン
中西ノートン
ジュラシックパワーズ
密かにノートン様はタッグの名手 山牛はヒールターンしても悪になり切れなかったイメージなんだよな 猪突猛進のようでいて、試合運びが上手かったね。フィニッシュフォールドがいくつか
あるけど、使い方が上手かった。
前座時代に一緒に身に行った友達と、彼は将来エースになるねと語ったのは
武藤、天山、内藤だった。 永田と小島はコンディションいいよな。
アメリカ遠征まで行っているし。 第三世代でNEVERの6人タッグに挑戦してほしい。 昔の親日の試合見れるDVDTSUTAYAで借りてるが
新人のマスコミが天山と小島の名前間違えて
天山が詰め寄る映像見れて面白いわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています