2006年〜2011年くらいの新日本復興期
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
今もすごく好きだけどこの頃も好きだったな。極悪gbhとか、越中ブーム、武藤のiwgp奪還とか面白かった。 >>40
面白くなかったよなぁ。結果的に藤浪と西村に大きな亀裂を生んだのもまた残念だ。 RISEは大失敗ユニット。
新日はあれ以来ベビーユニット作らなくなった。 >>20
若手の頃に開場後物販売り場をウロウロしてても誰にも気付かれてなかったのを覚えてるわ >>41
ケロと尾崎の間にいたハスキーな声の人いたけど、あれはよくなかった。すぐにいなくなったのは評判が悪かったからかな。 >>47
面白かったよなぁ。特に大森が棚橋と真壁に勝って誰か止めてくれと思ったら新日本で最初に止めたのが矢野というw思えばこの時から矢野は伏兵として大事な役割を担ってたんだな。
TAJIRIが反則負けばかりしてたときにオカダが突っかかっていったのも熱かった。 >>44
まあ、苦しい時に途中で逃げた奴が苦しい時に頑張ったやつに文句を言う資格はないよな。 >>46
最近面白いよね。こういう逆に新鮮に映ると言うか。 >>50
何がやりたいのかよく分からなかったしgbhと敵対するのなら別に本隊でいいじゃんと思った。 >>52
上手いとか下手とかではなくて単純にリングアナに向いてなかったね >>51
それが今はサイン会開けば行列、新日本プロレスのレスラーの中で知名度ナンバーワンと言ってもいいほど。頑張ったよなあ。 暗黒期のジュニアはしばらく4虎、金本の時代が続いたよね。外敵丸藤からベルトを取り戻して一気にデヴィット、田口、飯伏の時代が来た印象。 ライガーの良いところはたくさんあるけどその一つに実力があったり努力してたりする選手にはインディー出身だろうか関係なく、技を受けていい試合にして負けたりする時もあることだと思う。
これは永田や棚橋、そしてオカダ達にも受け継がれたし、選手が大量離脱したときにもインディーから選手が来てカードの幅が広がった。 棚橋の「愛してまーす!」も最初は失笑、暴言、悪口ばかり言われてたのにやり続けて今では東京ドームの3万人超えのファンが叫ぶんだもんなあ。続けるって大事だな。 Iwgpインターコンチネンタル初代王者決定戦がmvpvs矢野通という意外すぎるカード 思えば「何がロブヴァンダムだ、俺はヤノ・トー・ルだバカ野郎!」がバカ受けしちゃったのが
矢野通のターニングポイントだったかな
それまでは、トリッキー気味ではあったけど普通に悪役だったが >>64
確かにあの辺から徐々に面白いヒールになっていったね。完全に相手を小馬鹿にしてお客さんの笑いを誘うおもしろヒールになったのはみのるとの抗争辺りかな。 鈴木軍襲来時の勢いはホントにスゴかったなー。小島、真壁、バーナードとか当時のトップクラスがどんどん負けていくし、g1タッグも獲られるし、東京ドームで棚橋がみのるのゴッチ式パイルドライバーを喰らったときは終わったと思ったよ。 カートアングルは永田さんと極上の名勝負をするし、棚橋、中邑にも負けてくれるし、3代目のiwgpのベルトを返してくれたり、日本のレスラーに敬意を持っていたり大物だけとちゃんとしてる人だなあと思った。 >>65
武闘派のはずが陽性ヒールになっちゃったからな >>69
最後のヒールモードはテンコジ警察と抗争したり、杉浦を血祭りにしてghcのベルトを強奪したときかな。真壁の記念試合で一瞬戻ったけど。今の矢野も好きだけどね。 >>70
「過去と闘って何が悪い」とか「猪木!旧iwgpは俺が取り返す」とか「生きたいように生きる」とか言ってた頃だな。 中邑もいい意味で開き直ったよね。クネクネとか「イヤァオ!」とか何食ったら思いつくんだろうと思ったし特に2013年〜退団するまでの人気とカリスマ性はスゴかった。 ユークスにも感謝だな。とてつもないマイナスをプラスにしてくれたおかげで今がある。 真壁は金村達との抗争で株を上げて中邑を引きずり落として、永田とのiwgp戦で手応え掴んで一気にトップに食い込んだ印象。その後に天山を追放してgbhのリーダになったし。 丁度山ちゃん、東スポ柴田、ゴング金沢が主な解説陣になったのが2006年頃だな。安田かくりょうとかいう人もいたがオカダを認めないし、ヤングバックスのどちらかを間違えるしで干されたんだろうな。 丁度山ちゃん、東スポ柴田、ゴング金沢が主な解説陣になったのが2006年頃だな。安田かくりょうとかいう人もいたがオカダを認めないし、ヤングバックスのどちらかを間違えるしで干されたんだろうな。 永田とかいうブスがチャンピオンになってから観るのやめた。
あとジュニアの井上亘の良さが全く分からんかった。 >>77
内藤が棚橋から初勝利した試合は2010年のnjcだったと思う。g1で時間切れ引き分けで、両国名古屋と棚橋が2連勝して一旦抗争は終わったと思う。 >>76
中邑、矢野に裏切られ着いてきたのが好漢の本間という流れもよかったね >>81
良くも悪くも真っ直ぐ過ぎたんだよなあ。ヘビー級転向の理由もトレーニングのしすぎで筋肉がついて体重が抑えられなくなったみたいだし間違いなく努力してる人だから報われてほしいとは思う。 >>83
本間だけは真壁についてきて、案の定ボコボコにされるんだけどしがみついて、退団で少し遠回りになったが真壁と二人でワールドタッグ優勝したときは泣けたねえ。 >>49
何か自分のレスに返信してたわ。お恥ずかしい。申し訳無い。 >>84
ヒールだった頃の真壁が「井上は厳しい頃の新日本を耐え抜いてデビューしたから
俺は認めてるよ」って素で語ってたたのが印象に残ってます。 >>87
井上亘が理不尽なことがあって雑務を放棄したとき当時寮長の真壁は生真面目なアイツが放棄するなんて余程の理由があるに違いないと思って今日はやらなくていいよと言ってあげた話ホント好き。 真壁のエピソードってどれも泣けるよなー。
若手時代に先輩に理不尽にボコボコにされて、一人で泣いてたときに山本小鉄に「強くなれば誰も手を出さない」って言われて努力してほとんどの選手が真壁にスパーリングで勝てなくなった話とか
小鉄にもらったお小遣いを使わずに大切に持ってる話とか
g1優勝の時に涙ながらに「諦めないでよく頑張ったな」と言われたこととかホントいい話。 藤田は若手時代に寮に入って半年間口を聞かなかった真壁とひょんなことから打ち解けてお互いに愚痴を言ったり真壁には色々話せたんだろうな。当時の藤田の口癖は「真壁さん!寮で飲みましょう!」だったらしい! 2010年の東京ドーム大会は他と比べると少しだけど落ちるね。真壁vsヨネとか後楽園でやれレベルだったし。 2008年の武藤iwgp政権も面白かったな。武藤とムタでiwgpと三冠を同時に保持してたり、武藤の何度目かの全盛期だったと思う。棚橋とのバトンも綺麗に渡せたし。 >>89
あの藤田和之も真壁とはウマあったみたいだし… >>63
あのアメリカ遠征の時、ワープロが珍しくライガー真壁服部で
ロケクイズ企画やったの面白かったな
行く先々にJJジャックスの写真が置いてあるというw >>93
20周年の記念興行でも藤田はビデオメッセージを送ってたり良いところあるよな。だからと言って再び参戦はしなくていいけど。 矢野はこの頃、新日本は絶対復活するのに何でみんな退団するのかと不思議に思っていたと自伝に書いてあった。 その頃は中西学のiwgp初奪還もあったなー。棚橋からピンフォール奪った瞬間後楽園が大騒ぎになって祝福ムードに包まれたよね。個人的には棚橋が大阪のお客さんに認められたのは違う人も書いてたけどその後のリマッチからだと思う。 >>98
これ見に行ったなぁ…中西が勝った瞬間の会場の大爆発は凄かったし泣いてる人も何人かいたなぁ… ヒデオサイトーも居たわこの頃。永田さんと泥沼抗争したり、飯塚さんのアイアンフィンガー盗んだりしてたな。最後は矢野石井飯塚に袋叩きにされて追放、その後のキャプテンニュージャパンに繋がるという。 >>100
ヒデオサイトーはもう少し上手く使えなかったかな…いいキャラだったが >>99
小鉄さんも泣いてたよなぁ。不器用だけど素直で愛されてる男がiwgp初奪還。これは泣けるよなー。 >>101
少なくとも高山を虫取り網で捕獲したり矢野の木槌をゴングで受け止めた結果「カーン」という音が会場に響いたり約半年の活動期間で珍場面は多く残したんだかな…流石に意味もなくよだれを落とすのはいただけないが… 永田の最後のiwgp奪還もこの頃。棚橋が当時ファンから反感を持たれてて、永田さん待望論が出てからの奪還は燃えた。個人的に永田さんに最年長記録を更新して欲しいんだけどなあ。 天山もこの頃は身体全体がボロボロだったよなー。お客さんの目から見ても分かる位に。凱旋直後の後藤戦で怪我する前から明らかに絶不調だった。10年近く第一線で闘ってこの頃はいつ大怪我してもおかしくなかった。
飯塚さんとの抗争から少しずつ第一線から下がっていってホントによかったと思う位ガチで身体が限界超えてそうだった。 まあ、結局この時代に新しい芽をちゃんと育てたから最高の今があるんだろうな。 jrだと丸藤政権も面白かったな
あれでデヴィットがjrのエースになった感じがあったし、逆にタイガーは完全にシングルベルト戦線から見放される結果になった 質問なんだけど安田かくりょうがヤングバックス兄と弟を間違えたという噂はホント?噂だったからもし違ってたらかくりょうに悪いなと思ったんで質問した。 ってこれ自演どころか
スレ主がほぼ一人で語ってるだけじゃねーかw >>108
タイガーは丸藤とのリマッチで株が大暴落したよなー。多分あれからiwgpジュニアに一度も挑戦してないと思う。デヴィット政権は楽しかったなー。デヴィットvs飯伏vsロウキーの戦いはジュニアの歴史に残る戦いと思う。 オールトューゲザーもよかったなあ。日本武道館と仙台で興行があったけど選手たちの思いが感じとれてよかった。テーマソングもいい感じの曲だった。 やっぱり智宏が支えたんだよな
そうなんだよな、うん >>111
タイガーの不甲斐なさというかナチュラルヒールなところに客が気付きはじめちゃったからな
で、タイガーがマイクしてたらブーイング飛んだのに「聞こえるか!お前に納得いってねぇんだよ!」って丸藤に詰めて、ブーイングが更に激しくなるという
たぶんあのとき、丸藤がスカしたマイクして盛り上がったんだけど、あの頃の丸藤はそういうことしても許されるくらい大活躍してたな >>23
バーナードはブシロードの時にいなくなってたっけ? >>84
井上はキャラと体つきが小橋を連想させた。 >>46
結局無我スタイルとアメリカンスタイルだったり、格闘スタイルの異文化のファイトスタイルとやるからおもしろかったんだよな。
無我だけになるとロマンがなくなるんだよな…。 >>67
サイモンは2007年3月に辞めている。ゴングの
最終号に報じられていたから覚えてる。
去り際の言葉が「今の新日本はシングルヒットばかり量産している。新日本の魅力はホームランか三振だったのにそれをしなくなった」 だった。
今思ってもこんな社長辞めて正解だと思っている。
菅林が社長に就任して今の新日本があると思う。 >>118
ホームランと三振が目立ってるだけで、シングルヒットもキッチリ打ってた、
意外と保守的な団体だからね、昔の新日って スレ主に質問です。
棚橋の試合内容が良くなったのはいつ頃からですか?
両国の後藤戦が良いと言われますが、その前の永田戦や金本戦も良かった記憶があります。 >>121
やっぱり金本戦という印象だけどなぁ
2007年ドームの太陽ケア戦はバタバタしてて見づらかったと思う
ただ金本戦、永田戦でも2chの評判は「相手が良かった」だったけどね >>122
金本戦はそこに行きつくまでのあおりも良かったので期待感が高い試合だった… >>122
確かに棚橋やるじゃんと思った試合は金本戦からかな。翌年の後藤戦から2008年のチャンピオンカーニバルでの名勝負連発で完全に見る目が変わった。 >>115
一瞬だけ居た。2月のレインメーカーショックの時の大阪大会を最後に退団したと思う。 >>121
<<122さんが書いてくれていますが私も金本戦から徐々に良くなり始めたと思います。 内藤vs中邑の因縁抗争は面白かったなー。このスレの最初に書いたけど控室の大乱闘とか中邑がブチ切れてたしその直後の名古屋戦では中邑は潰すような試合で内藤に勝ってた。
個人的にはスターダスト期の内藤は中邑とあまり絡まなくなってから面白くなくなっていったと思う。その後のロスブームを作ったのは流石だけど。 >>121
2006年に週プロでCIMAと対談してなんかいろいろ気づくところがあったらしく、少しずつ試合が良くなっていったんだよね。
ハイフライフロー開発もCIMAにインスピレーションを受けたからだと記憶している 棚橋はチャラ男にキャラチェンジしてから
凄く試合内容が良くなった気がする。
チャンピオンカーニバルでの小島とか諏訪魔との試合は良かった。 >>130
諏訪魔も週プロのインタビューで後世に残したい試合で棚橋戦を上げてたな。 みんな書いてるけど、やっぱりターニングポイントは2007のIWGP棚橋vs後藤だよなあ
観客閑散、リング広告なしのひどい状況からあの試合内容は希望が見えた >>132
あの暗くてどんよりした会場の空気を吹き飛ばしたからなー チャラ男ターンした頃の棚橋は
裕二郎的R18系のチャラさと、ちゃんと少年漫画に出せるチャラさとの間でブレていた
新日道場の餅つき大会の時、「餅つきはセ○クスと同じだ、つくだけじゃダメなんだぜ」
と言ってしまっていた、東スポの記事を俺は忘れない >>130
武藤戦もな
あの頃は中邑でも、武藤の対角線に立つとあきらかにオーラで押されていて、
スーパースターVSモブ、みたいになっていた
もちろん武藤にオーラで「勝つ」のは不可能にせよ、
「老いてなお健在のカリスマVSノリに乗ってる若きスターの師弟対決」の絵面が
しっかり成立していたのは、業界の未来を感じたよ
試合自体も2009年1.4ドームの下敷きになる好勝負だった >>136
参戦当初のアンダーソンが弱ってる中西を挑発してドヤ顔で中西に突っ込んでチョップ一発でふっ飛ばされたのを見て惚れたな。 G1の優勝決定戦の日が札止めにならない年もあったね。今では考えられないが。 >>138
俺毎年当日で行ってた
2011年までは行けたはず >>113
2011年の大阪、永田戦が石井の出世試合だと思う。見てて単純に面白かったもん。 >>140
普通の選手がそれをしたら冷たい目線をあびせられるけど棚橋は人気も実力も功績もあるからなーそこまでたどり着くのは苦労しただろうけど。 >>139
レインメーカーショックの1年前か。今のところg1最終日は9年連続超満員札止めが続いてるらしい。 >>135
棚橋はあの試合でホントに緊張してたんだってな。で武藤がミサイルキックを失敗して天才でも失敗するんだと吹っ切れたとか >>107
自分はデヴィット飯伏ロウキーの試合をたまたまつけたワールドプロレスリングで見てプロレスにハマったの思い出した >>129
棚橋とCIMAって関わりがあったんだな。知らなかった。 >>146
俺もあの試合でさらにプロレスが好きになったわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています