【門馬忠雄】国際プロレスpart19【菊池孝】
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
話題は変わるけど昭和56年の年頭からルーテーズ杯やらずに阿修羅路線開始でマイクジョージ、ジェークロバーツ、テリーキブス、スティーブO、ポールエラリング、ロッキーブリュワー、スパイクヒューバーあたりを絡ませてやってほしかったなあ。時遅しかもだが >>883
他のレスラーからの草津評と、吉原からの草津評はまったく違うものだと思う。
国際プロレスという会社のために、自宅まで担保に入れて借金したわけだし。 2試合くらいしか見てないのが言うのもなんだが、
ストロング小林さんは動きがドタドタモッサリしてるし、
怒涛の怪力と言われるけどパワーもレスラーの中では普通
そんないいレスラーかな ハンセンが「小林はニューヨーク向きのレスラーだった」と書いていた
イワン・プトスキーとかと似たものを感じたのかな >>887
AWAでもWWFでも王座に挑戦で来たんだから海外での実績は
当時としては馬場に次ぐものがあった。 TBSプロレス第1戦のテーズ戦で、レスラー人生の歯車を狂わされたのが
何か関係してるのかなあ?
あの試合は「分単位、秒単位でスターを作る」というTBSに吉原は口出しできず
テーズの怒りをかったように言われてるけど、マッチメーカーの東郷が日プロから大木を引き抜きエースに据える密約があるから草津に寝てもらう必要が
あったとか色々と説はあるけど、あの無謀な試合が草津のその後を決定付けた
と思う。
IWAシングル王座は1度も巻かせてやれず、吉原にはその申し訳なさがずっと
あったのか、草津には長い間マッチメーカーやらせたり役職を与えている。
(もっとも八幡製鉄時代に社会人経験も積んでるからというのもあるけど…)
他のレスラーとは明らかに違う扱いに見える。 大木欠場のときの国際のポスター
「目、負傷のため欠場!!」 日プロで営業部長だった吉原は本来ならぱトップセールスマンとして国際を引っ張る立場だった
興行会社のトップセールスとは、各地の興行主や有力者相手の酒宴を含めた営業活動ということ
しかし吉原は酒は好きだが飲むのはレスラーや社員、学生時代の仲間など身内ばかりで営業的なことはできない
一方の草津はそういうことがプロレスより好き
だから吉原は草津に営業トップとしての役割を依存し、草津も好んでそれを受けた
これが吉原と草津の関係の根幹
エース=IWAヘビー級王座は草津の立場なら強く望めばどこが実現できたはず
草津がそれを望まなかったということ グレート東郷からのオファーから十数年後に 改めて国際に招聘された大木金太郎のその時の心中ってどうだったんだろう? >>892
「プロレスは元々やる気なかった」とか言ってたね。 大木国際参加は表向きはインタータイトル防衛戦開催のためにとテレビ局力だと記憶してますが 他に理由あるのですか?教えていただけますか インタータイトル防衛戦挑戦者やたらショボく子供な私でもがっかりしました 大木はインターの防衛戦を日本マットでやりたいと考えていたけど、大木が所有したままで
その夢を実現できたのは国際だけだし、割り切っていたでしょ。 マツダの離脱が無く
東プロ崩壊後猪木が合流
大木の引き抜き成功
外国人ブッキングは東郷、マツダ、欧州、それぞれ並行して招聘
史実と違い上記が行われてたら国際は凄い団体になってただろう
草津の人生も大きく違ってたはず 大木はテレ東契約で末期国際 人気の起爆剤として加入したから
吉原も関わってないはず。
しかし木村との2大看板も効果なく
テレ東の契約満了で退団した。
二人がIWAインターのダブル選手権でもやれば話題になったかも… プロレス入りはなく、サラリーマン生活で終わったやろ >>895
国際時代の挑戦者はジョー・ルダック、ジプシー・ジョー、
ビル・ドロモ、上田馬之助だから、そこまでショボくはない
んじゃないかな。大木のメンツも立ったメンバーだと思う。 S55年の大木は全日でブッチャーの子分で小悪党やった後
二大エースじゃなく金一道場の弟子を引き連れて
韓国軍の殴り込みって事で国際軍対韓国軍の方が多少は盛り上がったかも
カナダ、アメリカからの選手を減らして
ギャラが安上がりの韓国選手を使えば経費削減にもなっただろうし 当時の関係者は、国際をなんとかしようと頑張ったんだろうな。
結果わかった40年後に、カスカス言ってる方がずっと楽だろうが。 >>887
日本マットにおける馬場猪木基準で考えるとアレだけど
国際のエース時代も新日初期のまだ三本柱健在時代も
藤波とかタイガーとかが登場するまでのプロレスってだいたいあんなかんじよ
パワーファイタ―タイプは直線的でちょっともっさり脆い感じはあるけど
反撃はじまるとあの“おっとっと”みたいなタイミングとステップで打つ
パンチ(エルボースマッシュ?)を連発してコーナーに詰め
“わっしょいわっしょい”の掛け声に乗ってショルダータックル連発
そこからフィニッシュのブレンバスターやバックドロップアトミックドロップからの
ダメ押しの逆エビかカナディアンをガッチリ決める
だいたいこんな流れ
これであの頃は十分盛り上がれたんですわ
小林の身体硬そうな直線的なムーブは
ある意味、展開と展開の区切りがわかりやすくてあれはあれでよかったんだよ >>897
>東プロ崩壊後猪木が合流
>大木の引き抜き成功
猪木と大木、どっちがエースになるかで、ひと悶着ありそう。
元々、猪木は海外遠征から日プロに戻っても(1966年)
馬場の下になるから、自分がエースになるために東京プロレスを
起こした。そこに兄弟子の大木が加入したら、やりにくい。
大木は当然、「俺の方が格上だ!」と思って(67〜68年なら、そうだな)
エースの座を要求するだろ。
また、日プロとしては、猪木を取られ、また大木を
引き抜かれては、黙っていない。
実際に1968年大木一人を引き抜かれた時も、
ユセフ・トルコがG東郷をぶん殴って阻止したし。 >>898
12ch・田中Pの独断で吉原社長の関与は全くなかったが契約金の10%が国プロに入った
ので文句を言わなかった。大木は契約延長を望んでいた・・・
>>892
原を獲得できたのは草津のラグビー時代の先輩が経営している飲み屋に吉原社長が
出入りしていたからでこの二人に関係では最大にヒットだった。 >>905
ストロング小林を平成で言えば田上明か。
ルックス的には田上よりいいんだよな。
現代でも複数エースの一人くらいは務まるんじゃないの。 >>906
そういう意味では上田の密告で始まった日プロクーデターの最終案で
新日との合併問題に大木が頑なに反対したのも頷ける。
やっと馬場猪木が抜けてエースになれると思っての合併話
反対しないと猪木にエースを持っていかれる危機感があったという説も‥
‥妄想だけどねw >>909
(中西学+田上明)÷2=ストロング小林
このイメージ >>900
かなりしょぼいよ……。
インター防衛戦に値するのは木村しかいなかったんじゃないかな。 >>912
どうみても馬場時代の超一流と比べると、アジア王座防衛戦クラスだな
やはり一度は木村とやるべきだったね。
木村も自分の縄張りなんだから、遠慮しないで噛みつけばよかったんだよ。 前スレより
513 お前名無しだろ 2019/06/30(日) 13:56:02.80
あと今月のGスピで詳述されていたけれど(小泉悦次)、
ほぼ同じ時期にAWAエリアに行ったにもかかわらず、小林は
AWAのメインであるミネアポリス、シカゴ、デンバーなどで
ガニアの王座に連続挑戦、他にもブルクラやロビンソンとの
シングルで各地のメインを張っていたのに対して、入れ替わる
ようにAWAに入った草津はAWA傘下の提携先、不景気で試合数も
少ないオマハ地区に出向させられ、二度のガニアの王座への
挑戦もメイン地区ではなくオマハの会場のみという
ちょっと前の新日で言えば、小林は両国でIWGPに挑戦を
繰り返してメインを貼っていたのに対して、草津は提携先と
言えば聞こえはいいが「二軍」であるノアに出向されられた
鈴木軍の一員、みたいな扱いだったわけで、国際側の意向で
差がつけられていたわけじゃないから、ガニアから見て小林と
草津では、それくらい稼げるレスラーとしての差があったと
いうことなんだろう
オマハで試合が無くて稼げない救済措置としてNWAエリアの
セントルイスに出稼ぎに行った草津は現地で第一試合の
扱いだったとか
518 お前名無しだろ 2019/06/30(日) 14:37:42.14
やっぱり小林をエースのままにしておくのが一番良かったということか。
後にWWFでもサンマルチノに挑戦してるし、
AWA、WWFの両王座に挑戦したのは日本人では小林だけだから
海外では馬場に次ぐ実績を誇ったんじゃないか。 国際時代のセンスなら田上が不動のエースで、三沢川田は井上浜口的な扱いだったかもしれんね。 アメリカにNWA AWA WWWFの3団体あった時代は、馬場の次に小林で
次がカーンだろうね。
80〜90年代になるとムタやエリアは限られるけどカブキくらいかな
米マット界の実績でいうと小林の方が猪木よりずっと上だよ
草津なんて論外 カブキも瞬間風速は高かった
ダラスとトップヒールに君臨する一方で全米の名だたるベビーと抗争
しかしおおかた抗争に決着ついたら後はよばれず
ダラスでもその他大勢ヒールに堕した 井上 譲二著の「昭和プロレス版 悪魔の辞典」、
「アメリカで活躍した日本人レスラー」の項目では、
先ず、G・馬場、次にGムタとK・カーン。
カブキとM斉藤は、活動していた地域が
メジャーではないから入れなかった、
とか書いてあった。
S小林には、全く言及していなかった。
あくまで井上譲二の見解だが。 >>918
ファイトの編集長まで勤めた井上氏が小林を見落とすとは…
まあ米マットを昔主戦場にしてた斎藤は別に入れなくていいよ でもカブキはダラス以外で目立った時期がごく短期間だからダラスがメジャーかどうか
の個人的見解の話でしかないが
元WWFタッグ王者で70年代後半は最も勢いのあったフロリダやジョージアでも何度も
タッグ王者になってるマサがメジャーな地区で活躍してないってどういう基準だよ
歴代マサのパートナーの一人がカブキになる前の高千穂だけど じゃあヒロ・マツダも入れなきゃね。
タイトル戦線に絡むのも入れると、坂口はNWAドリーやシークのUS王座にも、
鶴田もドリーには何度も挑戦してるから…
全米で成功したと言うくくりならマサは当然入るわな
ロス、サンフランシスコ、ニューヨーク、フロリダどれも主要マーケットだよ >>911
ああ、これはなかなか近い感じ
攻めてる時のぎこちないけどそこがまた力強くて豪快に見える中西と
守勢に回った時のなんか頼りないというか
一気に勢いがしぼんでだらしない感じになる田上の合体w 小林がアメリカの主要エリアを転戦できたのは新日の手引きだったの? NWA、AWA、WWWF全てのエリアのベルトを巻いた斎藤は別格に近いだろう
馬場が果たして70-80年代のアメリカマット界で常連として定着できたか
分からない(馬場が短期サーキットした時期はアメリカマットがまだ
好景気だった時期で、その後の馬場は海外のレスラーを好条件で
日本マットに呼んでくれるプロモーターとして有難がられていたわけで)
NWAタッグ王者時代はフロリダを、AWA時代はミネアポリスを
超満員にし続けていた斎藤の業績は、小林などと同様に再評価が
必要だと思う
もう「日本のプロレスが一番」とか「NWA世界王者幻想」などの
昭和の神話から離れてプロレス史を編み直す最後の時期だとも感じるし まあAWA時代はヒール軍団の関脇クラスだったからそれほど大物扱いじゃないけどな
82年秋あたりはテレビマッチで頻繁にホーガンと対戦したりしてたから勘違いされてるけど
あれはビッグマッチでの当時のライバルのシュルツとの対戦の前振りだから
マサはあくまでシュルツのパートナー
AWAは早くから全米ネットに番組を乗せたテレビプロレスの先駆者だったのに
ビッグマッチはノーテレビで客を集めるという古い手法からなかなか脱却できなかった
ようやくPPVやるようになった頃にはすでに退潮 力道山亡き日本プロレスに戻らなかったら、おそらくアンドレが登場する迄の
10年間はトップでいそうだけどね(期待も込めて個人的想像)
NWAベルト巻いてサーキットしてたかもw
当時の米マット界がいくら好景気でも短期間に別エリアで連続世界王座挑戦は凄いと思う 馬場が連続挑戦した頃ってまだ好景気だっけ
遅くとも60年代後半からは80年代前半まで全米ネットの地上波放送がなかった
内容としては各テリトリーごとに独自の進化を遂げて面白いが
商業的にはアメプロ暗黒時代
だからこそテレビをバックにした日本の団体は円スラップでアメリカのトップスター
を招聘できた 力道山が急逝して日本プロレスから帰国命令があった1963年
馬場を引き止めたいマネージャーの東郷は年間27万ドル(当時のレートで5〜6億)を10年保証する契約書を提示したらしい。
(トップレスラーだったキニスキーが10万ドルいってなかった)
半分近くを自分の懐に入れるような東郷がそう言うんだから
それくらい馬場は全米で稼げるレスラーだし、景気が良かったんだろうね。
でも1970年を境に全米でのプロレス人気は陰り始めたそうだよ‥ カブキは、本人のお店で聞いた時、あのSWS時代よりアメリカの方が
遥かに稼げた、と言ってたけどね 名前が挙がってこないがタイガー戸口も現地でAWA王者ガニアに挑戦してるのは
凄いことなんじゃないか。 基礎の出来てる悪役の東洋人レスラーには、世界戦のチャンスは比較的巡ってくる。
挑戦するだけじゃなくて、旋風を起こさなきゃ
馬場、カーン、ムタのように‥ ミネアポリスでホーガンと当たっていた時のことを語る斎藤も、
ダラスでエリックスと抗争していたことを語るカブキも、
「俺のメインで○月の○○アリーナをフルハウスにした」
という具体的な事績を誇りにしていたね
アメリカの現実なんか知るよしもなかった自分なんかは「NWAエリア」
「ニューヨーク」くらいの漠然とした感覚でしか米マット界ってものを
捉えられなかったけど、同じ「東京」でも東京ドームと両国国技館と
太田区体育館と多摩ニュータウン卸売市場特設会場では全く意味あいが
違うわけで、さらに日本だと「新日のドーム大会ならメインが何で
あろうがとりあえず行く」という団体のファンが当たり前だろうけど、
あちらはカードを見に行くから「誰がメインか」がものを言うわけで
流智美が馬場が終生誇りにしていたマジソンでのサンマルチノへの
挑戦試合のギャラについて、当時のパーセンテージ契約やMSGの
キャパシティなどを元にした計算し、同じ時期に同じ規模の会場で
メインを取ったキンジ渋谷のギャラと比較してほぼ同じ額なのを
確認して「妥当」と判断していたのが興味深かったけど、当時の
レスラーは「この会場でこの入りならギャラは幾らになる」というのを
敏感に察知できたから、そこをフルハウスに出来るレスラーか
そうでないかは大きかったんだろうなあ
また斎藤が「例年、冬のミネアポリスはウインタースポーツに客を
取られて入りは最悪なんだ」と言ったように、ビジネスにふさわしい
時期っていうものも現場の
レスラーたちは肌で理解している
カブキが「ベルトなんて飾りでしかない。バカでっかいアリーナが
フルハウスになったのを見上げて、『これは俺の力で実現したんだ』
と実感した時の快感は何ものにも替えられないよ」と言うのも
ちょっとくらいは想像できる気がする >>932
太田区じゃなくて大田区。大田区は大森区と蒲田区の合併で誕生した。 >>931
> 基礎の出来てる悪役の東洋人レスラーには、世界戦のチャンスは比較的巡ってくる。
実際に挑戦した例は少ないんだら挑戦できただけで立派なもんだろ。 まあ戸口は立派だな。
国内海外を問わず実績を残してるし、忘れがちだったよ R木村は長期の海外遠征歴ないし、ましてや海外タイトル挑戦とかはないですよね? スタイル風貌は悪役日本人だが >>938
対戦はしてるがタイトルは掛かってない。
テレビスタジオでのテレビマッチのジョバーだったと
上田がばらしたとか誰かが書いてたな。 ラッシャー木村はどうせ英語は喋れないし理解も出来ないし覚える気も無かったから
アメリカ修行中は一切喋らずジェスチャーのみで凌いでいたらしい
そのせいでドリーは木村をおし≠セと勘違いし、日本で饒舌な木村を見て驚いたそうだ >>932
カブキが主戦場にしたボロボロの掘っ建て小屋のダラス・スポータトリアムは収容人員3500人ほど。
メインはフリッツ・フォン・エリック、エリック兄弟なんだけど、
ダラスでアフリカのキマラと並ぶ色物のカブキは「俺の力で客を入れたんだ」と勘違いしてるんだなw >>941
ダラス地区ってもっと大きいマーケットだと思っていたわ
そんなところで週100万も稼げるのか?
ダラスでそれならさらに小さいアマリロ地区ってどんな状態なんだ? >>941
若松が「俺は猪木と両国のメインを張ったんだー!」と自慢してたのに近いものがある >>943
さすがにそれは言い過ぎ。ただのカブキアンチとしか思えない書き込み。 国際来日外国人の東京のホテルは何処でしたか?新日本京王プラザ全日本高輪東武は知ってますが >>902
渕が書いてたけど、全日の蔵前での最大収容はメインがブッチャーvs鶴田のUS選手権、セミが馬場vs大木の昭和50年10月の興行。
元子が蔵前の人に「蔵前の記録。猪木vs小林より入った」って言われたらしい。
初期全日のビッグマッチ常打ち会場だった日大講堂は
メインが馬場鶴田vs大木ドクのインタータッグ、セミにブッチャーvsロビンソン、マードックvsコックス、
他に天龍断髪式があった昭和51年12月の興行。
どっちの興行も馬場の相手は大木。
国際もぬるくラッシャー、大木の二頭体制なんかにせず、最初だけでも対抗戦モードにした方が良かったかもね。
大木のパートナーとして戸口的な存在が不在だけど、そこは外人選手にマスク被せて「コリアンアサシン1号」とかにすればいいんだからw 大木が木村に寝るのを嫌がるんじゃないかな。
馬場、猪木なら我慢するが木村には嫌だと。 タイガー戸口がタイガーチャン・リーだった時代
WWFのLDでみたが、空手(テコンドー?w)使いのギミックで
石のようなものの試し割りをするのだが、どうせ仕込みかもしれないその作り物すら割れずに
「じゃーっ!じゃあーっ!」と何度もやり直してぶったたいてた映像見たことある。 馬場と猪木は社長だけど木村はリング上のエースだけど何の権限もないから大木も
媚びる必要もないし、結局日本リーグ争覇戦もシードされていたのに棄権したね。 >>946
確かTBS時代はホテル高輪、12チャン時代は高田馬場のサンパークホテル カブキの話になるとなぜか頭に血の上るらしい全日信者が
いつも行き当たりばったりの話をするからややこしい
「ベルトうんぬんよりもテキサススタジアムという何万人も入る
大会場でメインを張れたっていうことの方が満足感が大きい。
それと(83年初頭)フォートワースを満員にした時。あそこも
何万人も入る会場だけど、そこをフルハウスにしたのは
エルヴィス・プレスリーと自分だけだったから(笑)。」
(プロレス・スペシャルF「チャンピオンベルトの魔力」より)
テキサススタジアムの現在の収容人数は約6万5000
当時のWCCWのビッグマッチの映像は「世界のプロレス」
などで観た人が多いだろうけど、海外画像も多く残っている
時期だから、昔から詳しく知っているファンも多いだろうね Gスピ32号 戸口
「ガーデンで満員になると当時は収益のパーセンテージでギャラを
もらえたから、ホーガンの挑戦者は一晩で5000ドル(当時で約120万円)
くらいもらえるわけ。俺もハウスショーだけど、オークランドと
オンタリオでホーガンに挑戦しているよ」
ボストンとかでサンマルチノに挑戦させてもらった小林も相当
もらっていたんだろうなあ
しかも1ドル360円、大卒初任給7万円台の時代に お金の話出たから、教えて下さい
日本選手ギャラランク東京12チャンネル時代で 上位からR 木村 浜口井上寺西原は同じくらい 大木は別格外国人扱い 草津はフロント兼任だから薄給 こんな想像してみました カブキが馬場や鶴田の話をするのはカブキなりの愛情表現でカブキが名前を出すことで
馬場や鶴田が忘れられずにいるからとか小佐野が苦し紛れの擁護をするぐらいだから
カブキに関しては苦情や批判が殺到しているのだろう。戸口はビックマウスでも笑えるけど
カブキはまたこいつって思わせた時点で駄目だな。 >>955
カブキはハリーみたいな存在になってきたな。
自分の適当さは棚に上げて、上から目線で
人の批判ばかりしている。 >>955
亡くなった先輩後輩の悪いエピソードを、得意気に語るのは聞いてる方も気分が悪いからな。 >草津はフロント兼任だから薄給
これが違うんじゃないかな。
フロント+現場で二重取りして結局多めにとっているから井上や小林にいつまでも恨まれるんじゃなかろうか。
結局はカネの恨みじゃないかと。 前スレ512 お前名無しだろ 2019/06/30(日) 13:54:26.51
WWEでガチの実力が序列を作るわけじゃなく、ビンスやHHHの
覚えがめでたいかが格付けを決めているように、国際の場合
吉原の意向が全てみたいなものだったろうからなあ
そしてその吉原の耳には草津の話しか入ってこない
「12チャンネル」本にも書かれてるように、当時役員会議に選手で
出席できていたのは草津だけ、レスラーではなく「吉原一家」の
副社長の位置にいた草津が吉原にあることないこと吹き込んだら、
いち選手にはどうにもならなかったんだろう
「吉原社長から見ると団体内は『現場で何か起きたら、まず草津を
通してくれ』という体制になっており、すべての重要事項は草津を
経由しないと一切トップの耳には届かない絶対的なルートが構築
されていた。」
「タイトルマッチ以外の興行になると、王者・小林はセミ以下の
試合順に落とされ、全般的にセミ・メインに絡んでいた草津の方が
世界王者よりもトータルで高い金額を稼ぐことが常態化していた
訳である。小林が国際を離脱した大きな動機として、この草津による
恣意的な金銭操作を許しがたいものとして感じていた」
ずっと後の時代の1978年のレポートでも、現場のことについて
吉原社長に直接クレームを入れようものなら、「そのような行為に
対しては必ず制裁が加えられ、悪者扱いされる」というんだから
小林ができることは巡業バスの草津の嫌がらせから逃れるために
自家用車で会場入りするくらいのことだったんだろう ラグビーワールドカップ、天国の草津、阿修羅・原も観てるかな! >>954 >>958
草津は取締役でトップクラスの現役でマッチメイカーに事実上の営業部長だから、本来は一番高給
ただ、自宅を抵当に借金して会社に金を入れており、金の点ではうらやましがられる立場ではない
遅配が不満でやめた大位山でさえ、金では草津が一番苦労していたと言ってる
しかし他のレスラーも遅配がひどかったというし、金の面ではみな恵まれてない
小林は新日に行ってファイトマネーはアップ、取締役になって役員報酬も得たから
金の面では断トツに勝ち組 Gスピが来たぞ!
語り手はいつもの面々だけどwww
【特集】 山本小鉄と昭和・新日本
[証言] 大塚直樹 藤波辰爾 栗栖正伸 北沢幹之 高杉正彦
[特別企画] ヤマハ・ブラザーズの アメリカ武者修行
[未発表インタビュー] “荒法師"ジン・キニスキー
[国際プロレス外伝] サンダー杉山【前編】
[単行本刊行記念インタビュー] 『東京12チャンネルの国際プロレス』補足編 ~
田中メモに記されていなかった裏の裏~ 証言=田中元和 元『国際プロレスアワー』 >>960
かつて日本代表で世界選抜にも選出された阿修羅は存命であれば
W杯関連の取材きてたろうな。 ラグビー出身は珍しいね。
大概、日本人レスラーの前職は相撲あがりで外国人レスラーはアメフトか
アマレス出身者が多い気がする。
馳の高校教師や馬場のプロ野球、小林はボディビルでブロディ新聞記者なんて
変わり種もいるけどね。 >>964
ブロディこそ大学→プロチームでアメフトをやり
引退後に記者といってもアメフトのコラム書いてた生粋のアメフト人 >>964
小林は大会に出たことはなくジム通いしていただけ
それをボディビルダーというなら、井上、藤井、紫、米村、高杉、菅原らもそう
大会で好成績のこしたポディビルダーとなると国際では浜口くらい
もちろん遠藤は別格として ラグビーは英連邦系のスポーツだからアメリカ人は必然的に自国のアメフトになるな。
またサモア、ポリネシア系はラグビー強国ながら、出身者であるレスラーはあまり聞かない。
まあ歴史もまだ浅いから昭和プロレスとは時系列的に違うのか。 東京プロレスで活躍して、国際でリングアナに転身した竹下アナもプロ野球選手出身(トンボユニオンズ。なんかかんやで今のロッテの傍系)
ボクシング出身の東亜の東日出雄、キックボクシングの新日の大城大五郎、アメフトの高杉や日プロの大山博なんてものいる
マッハ隼人は実業団野球の東洋工業(マツダ)出身で、引退後はアメリカで造園業の傍ら野球のコーチもしていたらしい 770 代打名無し@実況は野球ch板で 2019/09/21(土) 18:08:13.28
フランス対アルゼンチン、ノーサイドの笛の跡に殴り合いと化す…
ラグビーワールドカップ
760 代打名無し@実況は野球ch板で 2019/09/21(土) 18:03:16.20
ノーサイドの精神で乱闘!
767 代打名無し@実況は野球ch板で 2019/09/21(土) 18:06:46.85
上流者階級の乱闘は迫力あるな
776 代打名無し@実況は野球ch板で 2019/09/21(土) 18:11:03.79
大会2日目で
手に入るのはビールだけ
紳士で上流階級のフィジー人逮捕
ノーサイドで乱闘
805 代打名無し@実況は野球ch板で 2019/09/21(土) 18:30:06.31
立て続けに選手とファンが
紳士や上流者階級らしくないところを見せてしまった
765 代打名無し@実況は野球ch板で 2019/09/21(土) 18:05:31.95
選手が乱闘しとるのに日テレアナはなんでまったり資料読みしてんだよ
プロレス実況の伝統はどうした >>964
馳の高校教師というのは職歴としては変わり種で、バックボーンとしてはアマレス出身だからメジャーな方に入るかな そろそろ次スレのスレタイを考えてくれないか
このスレみたいに以前有ったスレタイは無しで宜しくお願いします 【真の流血王は誰だ】【木村、ジョー、バション、スミルノフ】 >>974
スレタイの長いのは貼れないよ
記号込み16字以内で頼みますよ 冬木のずっと帰宅部でスポーツ経験ゼロってのも地味に異色 >>974
ドス・カラス、ジョージ・スティールも元体育教師という触れ込みだったが
ウィキではインストラクターとしか書いてなかったり、怪しげだな… >>962
どうせならタッグ王座や変則マッチでも関わった浜口のインタビューも聞きたい 動画見て思ったが 国際のチャンピオンベルトはカッコいいね 腹が出たりロングタイツとか柄パンにはあのくらいの大きさが良く似合う >>980
70年代に流行ったね。
個人的には小林が巻いていた2代目IWAベルト(WWWF初期のサンマルチノタイプ)がいいな。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。