【あーやめてもらいたいこれは!】昭和の全日本プロレス72【アイドルがやられます!】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
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【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
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【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
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【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
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【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】 >>805
そのへんは興味あるね、昭和全日の経営逼迫の一因が外国人レスラーのギャラだというし
特に興味あるのが全盛時のギャラと晩年とでは変動があったのか、ないのかとか
例えば初期全日のデストロイヤーのギャラなど、年1で来日していた晩年と違うのか?とかね。
案外馬場の事だからギャラを落とさずに、来日回数を減らすことで調整してたような気がする >>807
全日外人のギャラは日テレが払っていたから全日の経営は逼迫しない。
ドリーにはNWA王者時のギャラを晩年まで払っていてテリー、マスカラス、レイスらも同様。 >>809
そうなんだ、サンクス
じゃあ1980年前後の「全日の経営が倒産寸前」というのは現実ではなく比喩なの?
普通に考えて人件費の大半であろう外人のギャラを親会社が持ってくれるなら、倒産なんてありえないと思うが…
いや、全日どころか国際プロレスだって何とかなるんじゃ?と思ってしまう。
まあ、親会社から見れば収支的に見返りが少ない金食い虫の子会社があれば出向もするだろうけど… あと、NWA王者時代のテーズや、それに次ぐ長さのドリー
普通に考えてこれだけトップにいたという事は動員力に長けて、収入面でも相当だったのかな?
そりゃペイパービュー全盛の時代のWWFとはケタが違うかもしれないけど
それでも俳優でいえば、何年も主役を張り続けたようなもんで、その数年だけで生涯年収を稼いでもおかしくなさそう
特にドリーなんてブッカーとして、レスラーとして晩年まで高額ギャラを受け取ってたなら、かなり悠々自適なんだろうか? >>810
馬場が「うちにしろ新日本にしろTV局がバックアップしている団体を潰すのは不可能だ」と言ったが
それが真実だよ
新日にしてもアントン・ハイセルの負債が30憶を超えたらしいがそれでも持ちこたえたからね NWA王者になればお金は入るけど長期遠征続きで
自分の家族とはたまにしか会えなくなって
離婚で財産をがっぽり取られるからなあ
フレアーなんて4回も離婚してるし。 >>814
それでもやはり美味しいよね
そういえば馬場関連の本で書名は忘れちゃったけど
ブリスコが日本で一時的にNWA王座を落とすのに、キャッシュで7千万ぐらいをたった一週間で手にする話があった
確か本部にも無理やり承諾させて、みたいなセミドキュメンタリータッチで生々しい記述だった…
まあ、独断でそんな事をする者をチャンプにするには危なすぎるし、長い目でみればブリスコも得をしたかわからんけどね
サーキットの実績で本部の信頼を得られれば、もっと長期で稼げたかもしれないから
でも当時の7千万というのが今に換算すると幾らか知らんけど、一生を引き換えても十分に影響を与える額ではあるのも事実なんだよなあ… >>810
倒産寸前まで極端な状態ではなかったと
思うけど招聘した外人の源泉徴収滞納
に対応しきれず、何らか大ナタをふるう事
が必要になった。
結局内部ではどうする事も出来ず日テレに役員を送り込んでもらい金を融通してもらう事で切り抜けた。日テレの対応次第では倒産もあったかもしれんけど、まだまだ知名度はあった全日を見捨てるとも思えないんだな、当時は。 >>814
夢が叶うとそうなるってのは何なんだろうね。 >>817
うーん、存続が親会社やスポンサーの意思しだいというのは本当にギリギリだよねえ…
2005年の新日のユークス
2005年の武藤全日のサンリオ
これで存続できた状況と似てるのかな 馬場に関しては世田谷かどこか土地を持って
いて売れば数億円は下らない物件
だったらしい。
親しい記者には「いよいよとなったらアレを売ればいいんだ」と言ってて、竹内さんや
菊池さんは全日がピンチになるたび
その土地はまだ手元にあるのか確認してたらしいw
結局馬場の遺産は9億くらいと
発表されたけど、
その大半はその土地では無いのかな?
結局売らなかったらしいし。 馬場の遺産額については
あんなに毎日カネを使っててまだそんなにあったのか? というのと
え、たったそんだけしかないの? という感想があるね。 結局、私有財産は手付かずで全日経営してたんだから
呑気なもんだよな。 馬場のNWA初奪取は鹿児島県立体育館だし、
とられたのは愛知県の豊橋市体育館だ!
三度目の奪取なんざ佐賀スポーツセンターだし
とられたのは滋賀県大津市皇子が丘公園体育館だ!
そんなのまだましな方でノーテレビNWA世界戦となると、
鹿屋市体育館とかスゲー所で馬場は平気でやったからな
ちなみに1983年のグランドチャンピオン・カーニバルでのNWA世界戦三連発なんざ
田コロ〜横須賀市総合体育館〜船橋市体育館、
フレアーvsレイスなんざ船橋で3本勝負でノーテレビだった!
馬場はベルトの価値を自ら下げていたな。
まあ田舎者のオレには嬉しいスーパーカードだったが。 実際には、ローカルな会場でタイトルマッチをするってのは本来的にはNWA的なんだよね。
アメリカでの映像だとものすごく小さい会場でやっていることも多いし。 >>824
当時は地方でノーテレビのタイトルマッチなんて普通にあったし、頻繁に蔵前とか大阪府立とか使えるわけでもないし、地方のファンにもNWA世界戦を見せてあげたい、という思いもあったんでしょ。 >>824
この3大会に比べて終盤の大阪は鶴田対ロビンソン、馬場、天龍対シン、上田…
札幌も馬場対シンとカブキ対上田… >>825
本場アメリカのプロレス事情なんて日本のファンの殆どは妄想、幻想で成り立ってたかもね。
世界戦なんかはいつもキールやマイアミ、アトランタあたりの大会場。威厳、格式に満ちた雰囲気で取り行われる構図。
TV選手権やブラスナックル戦みたいなローカルな試合も認識はあっただろうけどそこまで興味が無いという話。。w >>825
その日の興行の何割とか契約なかったっけ?NWA戦 >>824
84年ね
テレビどころか観客もいないところでフレアーに「俺にも挑戦させろ」と詰め寄るタイガージェットシンw これも良く出る話だが馬場の三度目のNWA王座は
予定には無くてレイスが馬場への友情からアクシデントで失神したフリをして
馬場にNWAタイトルを渡したって話
だからブリスコの時と違ってタダだったって事になる >>811
フレアーは王者になって一年で収入20万ドル 飛行機代はもらえるけど宿泊費・食事代は自腹 >>824
当時のNWA王者はシリーズフル参戦するスケジュールはなかなか取れないから
ほぼ1〜2週間の特別参加になる
そしてその日本遠征可能なスケジュールは米側の王者のスケジュールの合間で
NWA本部のバーネットの指定した時期になる
全日が豪華外国人を日テレの高額ギャラで大勢呼びながら
地方の小会場でのNWA世界戦が多かったのは
ブッカーのファンクスがそのあたりの調整に全く無頓着で
全日側の巡業スケジュールを全く考慮せずにNWA本部側からの
王者の日本遠征スケジュールをそのまま嵌め込むだけで
馬場もそれに唯々諾々と従うだけだったから >>833
>馬場もそれに唯々諾々と従うだけだったから
それってどうなんだろ?
高額の提携料を払ってるわけだし、ある程度は「大会場が〇月の△日にあるから」って伝えたら何とかならんもん?
会場を押さえるのだって蔵前クラスなら半年は前に決まってるんじゃないのかな?
実際にウォリアーズなんかは2日だけの来日、とかやってたじゃん
全部が全部とも日本に合わせろというのは無理にしろ、NWAやAWAに面従腹背ほど立場が弱いわけでもなかろうに…
事実NWA副会長になるほどなんだから、馬場のNWAの招聘は実績力として認められたからじゃないの?
馬場が弱腰、というかファンクスに気を使いすぎな気がするけど… >>833
会場の観客動員はどうでもよく視聴率と団体のハクがつくからかな。 >>834
佐藤の話だと馬場がNWAのシステムを理解していなかっただけで
本当はスケジュールを指定できるそうだ 日プロ時代は大きな会場で
NWA王者を呼べてるのに
全日時代でそれができないという道理はないわなw
全日でも初期はそれなりに大きな会場を使ってる >>831
となると事前に本部の了承を得ていた奪取は二度目のみになるって事か
最初の時はマソニックの管理が厳格だったのでまさに強引な手段で相当な事後の埋め合わせもしたらしいが
しかしある意味でNWAという組織に最初の蟻の一穴を開けたのは馬場でもあったんだよな >>834
>>834
本来なら交渉はもちろんできるわけ
ようするにセントルイスやアトランタ以外の遠方テリにも
王者が遠征するのと基本同じだから
タイミングと期間を調整すれば可能
ただ馬場がブッカーのファンクスにそれを要請しなかったのと
ファンクスもそこまでやらなかった
(単に本当に無頓着だったのかそれとも馬場がそこまで言わないのを幸いに
自分達の側から手間をかける気なかったのか真意はわからんが)
まあファンクスの立場でいえば大都市のビッグマッチに
NWA王者を呼んで馬場や鶴田が世界王座に挑戦するってことは
イコール自分達以外がビッグマッチのメインを務めるってことでもあるわけでね
それはブッチャーやハンセンブロディシンがヒールとして
馬場鶴田の相手としてメイン取るのとはファンクス的にはいささか意味合いが違ってくる
“元NWA世界王者の兄弟”からすればいくらビジネス的には年間契約結んでるとしても
もしかしたら心中穏やかじゃなかったかもしれない 昭和49年暮れ
ブリスコのNWA王座馬場へのレンタルに際し、
通常のギャラ12000ドル/一週間 X 二週間 =24000ドル(当時として超破格)。
レンタル料 25000ドル = ブリスコのNWAへの預入の担保補償金と同額。
計49000ドル(1ドル300円で換算=¥1470)。
日本のプロ野球選手の年俸が1000万で一流とされた時代にブリスコは二週間でそれを手にした。
昭和50年暮れ
言うまでもないあの空前絶後のメンバーを集めたオープン選手権。
ほんと日本のテレビ局ってどんなけ金持ってんだっていうことだわな。 レイスのNWA世界ヘビー初奪取のドリー戦。
https://youtu.be/GU6r5QEXO0s
リング小さいなあ。 今、銃乱射事件のあった
テキサス州エルパソって
昔、全日絡みで何かあったようなきがする地名だな エル・パソってなんかあったような気がするね。
たしかそれ以外でも『荒野の少年イサム』に出てきたと思うんだが、違うかな。
NWA戦の地方小会場は
佐藤が言うスケジュールが云々は言い訳だろ。それも理由のひとつではあろうが。
要はレイスとのNWA戦を大会場でやって客を入れる自信が失せていたんだよ
テリーと鶴田の蔵前がすかすかで恥ずかしかったんだろう。
それ以来、フレッシュでもない、動員に魅力があるわけでもないレイスが来たところでね……。 >>845
エルパソアメリカとメキシコ国境の町でチャボ・ゲレロの出身地。
60,70年代はアマリロ、ダラス、ヒューストン、サンアントニオの大都市以外のテリトリーの1つだった。 >>840
>“元NWA世界王者の兄弟”からすればいくらビジネス的には年間契約結んでるとしても
>もしかしたら心中穏やかじゃなかったかもしれない
うーん、なるほどこういう見方は推測だとしても新鮮だ
後にハンセンが語った「どうしてファンクスを鶴田らより上位ポジションに置くのか?が疑問だった」
という内容にも微妙にリンクするし
でもドリーはともかく、テリーは引退まで1年半の限定だし
「師匠弟子の因縁の下克上」というテーマを利用しないのは勿体無いし、そこを売りにしたのも個人的には悪くないとは思う
ただ、ハンセンが「テリー復帰も事前に知っていた」なら言葉の含みもちょっと違ってくるけどね。 >>848
ハンセン「新日のエースは猪木だが、全日のエースは外人のテリーだったのは問題だった。
テリーがいないシリーズ=エース不在」 エルパソと聞いてなぜかホセ・ロザリオが頭に浮かんだ。 >>845
新日だがワープロ83新春黄金シリーズ予告のブラックジャック・マリガンが「エルパソの爆風」だった テリーとレイスで世界戦をやってたら盛り上がったかも >>849
うーん、同じ外人であるハンセンの言葉というのが重みがあるな
冗談抜きで、この頃のハンセンが社長をやった方が良かったんじゃないか?
まあ、引退後だからこそ出てくる言葉なんだろうけどね
ジャパン軍が来たときも馬場の言葉を信じて、グッと耐えてたのも
「本体である全日が隆盛だからこそ、外人レスラーとして呼んでもらえる」という観点なんだろうし
耐え切れずに新日に行ったブロディと対照的ではあるね
ブロディが新日参戦時のフレーズが「インテリジェント・モンスター」だったけど
この称号はむしろハンセンの方が相応しいとも思える
まあ、レスラーは個人事業主だし「稼げるうちに、高く買ってくれるとこに行く」というブロディの考えも間違ってはいないと思うけど。 >>853
ちょうどジャパンが来た1985年は、ハンセンも悩んだ年だったよね。
この時期に、ニューヨークのビンスからホーガンの抗争相手として誘いがあったし、
空港で偶然出くわした、かつてのジョージアでライバルでWWFで大成功を収めていた
ポール・オーンドーフから「スタン、君もNYに来たらどうだ。稼げるぞ。」と言われ
かなり悩んでいた。
結局、この年全日本に留まったハンセンが、馬場からPWFヘビー級奪取、新設PWF世界タッグ初代王者、
世界最強タッグ優勝、AWA世界ヘビー奪取と、タイトル獲得面ではキャリア最高の年だったのは馬場からの
感謝だったのかもね。 >>854
ハンセンの日本で人気は凄かったし。
アメリカではワントップクラス人気ではなかった。
WWFビンスに行くのもリスキーだったかもね。 日本でもアメリカでもトップ取った選手ってホーガンだけかな。 >>859
NWA,AWA,WWWF,WWAタイトル獲得者で日本で防衛だと
テーズ、キニスキー、プラジル、ドリー、テリー、レイス、フレアー、スティンボート、ガニア、ブルーノ、グラハム、ニック、ハンセン・・・
プラス日本のタイトルも獲得しているだと
ドリー、グラハム、ブラジル、ハンセン、ホーガン、ベイダー、 >>854
プロモーター馬場を信頼していた事
奥さん(日本人)と交際していた事
この2つが残留を決めた理由だったようだ 1985年はハンセンの去就が気になって、小学生のくせに駅売りの東スポを毎日買ってたよ
特に春から夏にかけては毎日のように買ってた
つーか、その頃の東スポ記事の内容はハンセン移籍濃厚みたいな書き方
「新日で超獣組の実現か!」とかだったからドキドキしてたよw
ようやく安心したのは馬場からPWFを取り、デビアスと組んだ頃かな 俺も小学5年から東スポ買うようになったが半分は中のエロ記事が目当てだったな、 同級生がまだウンコー!とかカンチョー!とか言ってた頃に
玉門という単語を知っていた小学5年生、か・・・ >>860
他にブリスコとバックランド。それからブラジルは日本では防衛戦はやってない。 >>864
家族の目があるだろ。結構一面の見出しもやばかったぞ。 大スポ初めて買ったのは、長州がNWA挑戦した翌日だったなぁ
あの頃はちゃんと翌日の鶴田戦もだが、1面にしてくれてたのにな 性格に難がある近所の子の親が東スポ買ってた
その子と遊ぶの嫌だったけど東スポ読む目的で遊んでた想い出 自宅にある読売新聞がコボちゃんとテレビ欄しか読めなかったから東スポを熟読出来る自分が最初は嬉しかったな。野球とかもゴシップっぽい書き方だから興味なくとも読めたし
あと専門誌より全日本の割合が多かった気が 俺も中学時代東スポ買ってたな。夕刊だから学校終わるとちょうど店頭に並ぶ頃。
生中継が途中で終わると結果を知るのは翌日の東スポ。スレチになるけど、新日本の蔵前とか府立なんかは木曜日だったから、金曜8時の放送時には結果を知ることができるんだけど、極力見出しを見ずに買って、放送見終わるまで我慢するのがなかなかの試練だった。 >>849
石原プロ製作のドラマなのに主演が渡や舘や神田ではなく三浦友和だったみたいなものか。 東スポのMVPと年間最高試合って納得出来ないことが結構ある。特にベストバウト、レイスとガニアの試合ってあまり語り継がれてないような
年度 MVP 年間最高試合賞
1974 A・猪木 A猪木vsS・小林
1975 G・馬場 A猪木vsB・ロビンソン
1976 A・猪木 J鶴田vsR・木村
1977 A・猪木 J鶴田vsM・マスカラス
1978 A・猪木 J鶴田vsH・レイス
1979 G・馬場 猪木&馬場vsシン&ブッチャー
1980 A・猪木 馬場&鶴田vsファンクス
1981 A・猪木 G・馬場vsバーン・ガニア
1982 タイガーマスク G・馬場vsS・ハンセン >>878
74年と79年を除いて、MVPとベストバウトを分け合う形になってて、審査員の忖度見え見えなのが興ざめ >>878
レイス対鶴田は、生中継で三本目が知り切れトンボじゃなかったかな?
印象的だったのは、鶴田からギブアップを奪ったレイスの >>881
レイスのインディアンデスロック
鶴田が仰向けでのやつ
前方式、初めてみた >>878
この統計の表だけ見ると
鶴田って1970年代半ばの時点で既に日本人NO.3だったんだと再認識するな
でもAWAを獲ったのが1984年、遅すぎるよな…
やはりテリーの存在、ハンセン移籍による馬場の最浮上が大きいな 馬場も渕選手がやる、グーじゃなくてパーだアピールをゴリラ・モンスーン戦でやってたんですね >>881
テリーからNWAを奪取した技だってのは知ってたけど、
実際に見たのはあの時が初めてだったな。
インディアンデスロックでギブなんてしょっぱいとか思ってたけど、
実際見たら迫力あったし、
プロレスごっこで試してみても、猪木のよくやるうつ伏せ式より
ずっと痛かったから驚いた
総意やずっと後になって、鶴田も天龍からこの技でギブ奪ってたな 地味だけど監獄固めと同じ威力だと思う、当時プロレスごっこしてた印象では レイスのインディアンデスロックは猪木が使っていたことあると思うよ。
「ごっこ」でも、かけ方がすごく強引にやらないとできないんだよね。
これかけられるんなら相手はすでに脚力がほぼなくなっている状態。 確かに猪木もやってたわメジャーな技だね、新日あんまり見てなかったから フロントのインディアンデスロックは、アニマル浜口がレッグブリーカーからクルクルッと回って決めるのが鮮やかだった。 SWS移籍直前の天龍がよく鶴田やウィリアムスのフロントインディアンデスロックでギブしてた >>890
猪木はうつぶせのリバース式だけだね
あれは横に倒れるし足がすっぽ抜けやすいから
まずフィニッシュにはならない
それに対して、レイスのフロント式は真後ろに倒れるから
まず足が抜けないし、効き具合も全然違う
でもその後、レイスはあの技を継続して使った気配がないんだよね
ダイビングヘッド、バーティカルスープレックスと並ぶ三大必殺技
としてアピールできたと思うんだが >>892
本当に痛いわりに、地味な技だから、
プロレス技としては適してない。
トライアングルスコーピオンみたいなもん。 猪木リバースだけだっけ?監獄固めみたいな体制で寝てる相手にパンチを打ってた記憶があるが >>891
あの頃は監獄固めに昇格してフィニッシュ技になってたような >>893
フロント式は掛けられた方は軒並み絶叫してた。
対するリバースはそんなに痛くないが、鎌固めに移行するとかなり苦しい。 >>894
リバースの方が印象あるなぁ
手を叩いて観客煽ってから倒れるやつ >>897
連続して倒れまくればいいのになかなか倒れないで、しまいには相手のタッグパートナーにカットされるのが腑に落ちなかった少年時代。笑 猪木&坂口vs藤波&木村で、リバースの体勢に入った瞬間、カットを防ごうと両手を相手コーナーに向けたシーンはしびれた(伝わらないかなー) 太鼓判クラスの自信はないけど猪木はフロントやってたよ。
ジョントロスが相手あたりの頃にだから印象が薄いのかもね。
リバースはスムーズに入れるけどフロントはそううまくいかないし相手も痛いからやめたんだろ。 >>896
鎌固めは猪木がドームの馳戦のやつが印象深いなあ
オレンジ武藤も上手かったけど、猪木の方が年齢考えるとね…価値が高い
魔性スリーパー時代の猪木って晩年型レスラーのお手本みたいな戦い方をしてたよな
技の引き出しが少なくなったけど、その残り少ない技を昇華させてった
延髄と卍とスリーパーとナックルだけだもんな、それでも達人然とした雰囲気が漂っていた。
キン肉マンに例えるとカメハメのようだった… 4の字やスピニング、フロントインディアンみたいに両者が相向き合ってる状態だと
寝てるほう(受け側)が技に入る瞬間とかで首固めで決めてしまうムーブが割と印象強い。
鶴田や猪木、藤波みたいなタイプ。 >>898
あれはあれで静止する事によってギュッとタメが効き、倒れたときに威力倍増するんだと脳内補正してたよ
実際にデスロックってプロレスごっこでも、足が太いやつは倒れなくてもあの体勢になるだけで悶絶してたし
他に完成未満で体勢に入っただけで、人によってはギブする頻度が高かったのはトライアングル・スコーピオン
あれはひっくり返さないでも十分痛いw >>903
トライアングルスコーピオンは痛い。俺もプロレスごっこで脚たたまれて相手の股間に押し込まれた時点でギブアップしてた。そんな痛い技があるのにパッとしない木村健吾に疑問を感じていた少年時代でもあるww >>904
あとギブさせる技ではないが、天龍がパワーボムを決めた後の
ピンフォール取る時の押さえ込みって凄くキツいらしいね、これは越中や長州、あと橋本や蝶野や馳も言ってた。
手四つで固められて、上から体重かけられて押し付けられるように息がつまるらしい、ある意味ではWARスペシャルの亜流版になるね。 >>895
試合結果でもインディアンデスロックかデスロックになってるし
監獄固めとインディアンデスロックは全然違う技だよ
監獄固めはフロントの足4の字固めって感じで、インディアンデスロックは足首を極める技
https://pbs.twimg.com/media/D2RN-e4U8AAgkjX.jpg レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。