【あーやめてもらいたいこれは!】昭和の全日本プロレス72【アイドルがやられます!】
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【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】 >>181
1969年以前にも
都内の大会場で1万人はいらない大会はチラホラとある
ブルーザーとの東京体育館のインター戦は7千人程度だったが
その数日前の府立のインタータッグは会場に人が這いきれないほどの超満員だったとか
よくわからん現象が起きてる
どちらにしても当時はテレビ視聴率が重視だったから
それほど気にしてはいなかったんだろうね >>190
猪木はコテコテのマッチョタイプじゃないブルースリーみたいなスマート体形だったから人気出たと思うよ
馬場は身長高いけどガリガリでアバラ骨浮いてるしどうなんだろ
馬場みたいな巨人キャラの代わりにアンドレやホーガンらのガイジンレスラーがいたわけだし
小が大を制すのも日本人の感覚にはウケてたはず 「日テレのプロレス中継とその番組におけるエースは力道山の正統後継者の馬場
だから日テレは馬場がいる限り馬場とそのマットを中継し続ける」
日テレとTBSやNETとの最大の違いはここ
TBSやNETは東京放送や日本教育テレビというあくまで企業として
ビジネスで国際やワープロ中継をやっていた
日テレは正力松太郎というカリスマTOPによる
戦後日本における讀賣グループの成長、民間TV放送の普及、
そしてGHQ主導による大衆娯楽提供としてのプロ野球とプロレスの振興という
ビジネスというよりは一種の任務・使命として巨人と力道山を支援した
そしてその正力の遺志を継ぐ形での小林與三次の前述の方針が
馬場逝去までの日テレの社是のひとつみたいなものだった
だからこそ馬場独立以降の思うほど視聴の上がらない
有力スポンサーも徐々に離れていった全日中継が
不相応に莫大な放映権料(外国人選手のギャラ含め)と
何度かの移動はあっても放送枠を維持されたという事情がある
偉大なカリスマ創業者や中興の祖を戴くような企業には
純粋なビジネスとしての損得を多少逸脱してでも
こういう影響力が後々まで残るなんてのは往々にしてありがちなこと
読賣/日テレにとっても正力からその大番頭であった務台・小林の時代を経て
ナベツネが支配する時代になり
さらにその後当の「力道山の正統後継者」馬場が亡くなるに及んで
ようやく「プロレス中継」がその他の番組と同じ存在になったといえる
その日テレの変化が具体的に現れたのが全日打ち切り、さらにノアの地上波撤退 >>191
当時はテレビ視聴率重視?
適当なこと言うな。
視聴率視聴率とうるさくなったのは、
80年代に入ってからだぞ。 なんだか
「自分がこう信じ込んでるから世間も同じはず」
と思い込みたがっている、みたいな気持ち悪いヤカラがスレに張り付いてるなあ
テレビが創業の頃からわずかな視聴率の増減がすべて、の世界だったなんて事は
当時を語った記録や証言を見れば子供でも分かる現実だ
ちょうど今書店に並んでる「東京12チャンネル時代の国際プロレス」を眺めるだけで
1960年代のテレビ番組やプロレスに関わる現実が嫌というほど見て取れるぞ
「ウチ(12チャンネル)は最初のうちはスポンサーなどない堅い科学関係の
番組ばかりで視聴率を気にする必要もなし。しかし開局2年後にはいよいよ
経営が傾いてリストラを余儀なくされ、182人の解雇者を出したこともある。
このままだと放送ライセンスを停止されるという危機的状態に行き詰まって、
他の民放と同様、商業ベースに乗った番組作りをする必要が出てきた。そこで
社内方針が刷新され、スポーツ番組制作に着手することになった」
「雑誌で見ていたアメリカのプロレス業界の華やかさは誇張だらけの表面的な
もので、すでに70年代から急激な衰退機に突入しており、マーケットも縮小する
一方だった。当時マスコミは『馬場は知名度と信用があるのでアメリカから
いくらでも一流選手を呼べる』と書いていたが、『一流であってもアメリカで
食えなくなってきたので、馬場に頭を下げて年に何度も呼んでもらう、結果的に
馬場は何人ものレスラーを経費の無駄を覚悟で呼ばざるを得ない』というのが
実態だった。
その結果、外人に支払うギャラ総額に発生する年度末の巨額税金が負担になり、
馬場は全日本プロレスの社長の座を日本テレビからの出向役員に禅譲。
アメリカマット界衰退のツケを結果的に馬場が払わされた形となった」 >>186
日プロ時代の金曜8時って、巨人戦無かったの?
太陽にほえろが巨人戦で放送されなかった記憶は無いけど。 >>186
日プロ時代の金曜8時って、巨人戦無かったの?
太陽にほえろが巨人戦で放送されなかった記憶は無いけど。 >>186
日プロ時代の金曜8時って、巨人戦無かったの?
太陽にほえろが巨人戦で放送されなかった記憶は無いけど。 >>186
日プロ時代の金曜8時って、巨人戦無かったの?
太陽にほえろが巨人戦で放送されなかった記憶は無いけど。 太陽にほえろの番組本には野球で潰されないのは裕次郎の力っぽく書いてあったが日本プロレス時代からの延長なんだね 当時プロ野球は月曜と金曜が移動日で、この二曜日は試合が無かった。金曜夜八時というのは正に超ゴールデンタイムだった。 >>196
娯楽の少ない昔は確かにプロレスにわんさか詰めかけ
たのはアメリカも同じってことか。 >>204
月曜と金曜は深夜送りてを11PMでイレブンナイターとして放送していた >>196
お前の引用した文章を見て、
どこをどう見たら、かわずかな視聴率の増減がすべて、の世界だった
なんてことがわかるんだよ。アホか。
そりゃ多少の参考にはしたろうが、
視聴率の増減に躍起になったのは、80年代に入ってからだ。
むしろ今の方が視聴率を少しでもあげようと、醜い策が様々練られているだろうが。 妄想発狂wwwwww
> そりゃ多少の参考にはしたろうが、
> 視聴率の増減に躍起になったのは、80年代に入ってからだ。
> むしろ今の方が視聴率を少しでもあげようと、醜い策が様々練られているだろうが。 >>204
んなこたーない。昔から金土日にプロ野球の3連戦が行われてたでしょ。
>>200
このスレで何度も出てるが王選手の756号がかかった試合だけは
太陽にほえろが巨人戦で放送されなかった(結局756号は翌日出た) >>208
アメリカも全盛期の1950年代前半は毎日プロレス中継があるっていう状態で
しかも全米中継だったから、プロレスの「世界王者」はアメリカの隅々まで
スターとして認知されていて、西海岸もド田舎もそのTVスターである王者が
おらが町にやって来てくれるのを待ちわびていた
60年代に入って全米のプロレス人気が落ち、TV中継もローカルエリア単位になり、
活字メディアも全米レベルのプロレスの動向なんか扱わなくなったから、ファンの
知ってる「プロレス」は地元のエリア、おらが町のローカルプロレスだけになった
メディアの発達した東海岸の大都市圏を根城にしたWWWFはサンマルチノを
どの地区でも人気者として巡業させられる「絶対王者」にしていられたけど、
ローカルエリアの寄り集まり所帯、いわば「商店街」であるNWAはそれぞれの
地元に常駐している「おらが町のヒーロー」を興行の中心に据えるしかない
だからNWAシングル王者は地元のファンからすれば「たまにフラッとやって来て
オレが王者だと威張ってるけど、俺たちのヒーロー○○○にボコボコにやられて
みっともなく逃げ帰る情けない悪党」になるしかない
全日本女子プロレスに外人が「世界王者」の肩書を見せびらかしてたまに
来日しても、興行の中心はビューティーペアでありクラッシュであったのと同じ構造
(ただしそれじゃ「NWA」という互助会の意味がないから、NWAエリアには
全ての地区に「NWA世界タッグ王者」が一組づつ存在していた。当時はわざわざ
他地区にプロレスを見に行くヒマ人はいなかったから、「あれ?何でこっちにも
タッグ王者がいるの?」なんてことはバレなかった。そりゃあ後で新日が加盟を
申請しても「い、一地区に一団体だけ!」と言うはずだわw)
地上波TV全盛の時代に全米のヒーローだった王者が、TVでの人気の凋落と共に
地元のローカルヒーローのやられ役になり、80年代のケーブルTV普及と共に
WWF全米制覇の切り札としてのオールアメリカン王者を呼ぶことになるのも
やっぱりプロレスがメディアと共に息づく生き物だということなんだな アメリカで全くプロレスに興味がない人でも、ブルーノ・サンマルチノとハルク・ホーガンだけは知ってるらしい
今ならここにザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)が含まれるのかな?
ちなみに歌手でブルーノ・マーズっているけど、あのブルーノって芸名でブルーノ・サンマルチノから取ったので有名
https://pbs.twimg.com/media/DbH6VqQU8AAa503.jpg >>204
>>206
成る程、よくわかった。世代的に日プロ中継は全く記憶に無いので。
イレブンナイターは記憶にあるな。 >>204
昔は月金は移動日
月曜は雨天等の代替開催とシーズン終盤の日程消化以外はほぼ無し
金曜はたまに日程入っていることもあったが移動日のことの方が多かった
これはプロ野球が春の札幌円山や九州シリーズ遠征などを例外に
まだ移動が鉄道メインだった時代からの慣習
火水木で3連戦、土日いずれかにWヘッダー開催が基本
>>203
上に書いたように金曜がプロ野球お休みがって事情もあったが
映画の衰退により大物映画スター達の身辺が慌ただしくなったのに対して
(勝プロや三船プロの破綻等)、
いち早く映画からTVへと軸足移す決断をした
“戦後最大の青春スター”石原裕次郎に対しては
力道山〜馬場や長嶋茂雄同様、戦後社会の大物達から
様々な形での「支援や配慮」が表に裏に働いていたのは事実 ありゃ、番号の表記がズレちゃってるんだな
> アメリカも全盛期の1950年代前半は毎日プロレス中継があるっていう状態で
> しかも全米中継だったから、プロレスの「世界王者」はアメリカの隅々まで
> スターとして認知されていて、
という書き込みは、
> 娯楽の少ない昔は確かにプロレスにわんさか詰めかけ
> たのはアメリカも同じってことか。
に対するレスです そうか、金曜休んだら三連戦でけへんがな思ったけど、昔はダブルヘッダーが当たり前やったか >>86
ハンセンとウォリアーズは、83〜84年にジョージアで何回かやってるし、ゴングのグラビアにも載っている。 >>196
1982年10月の蔵前決戦を前にした月刊プロレス9月号が
この全日の税金のことを巻頭で書いてるね
この時、国際は倒産が決まっていて、全日は外人ギャラの
税金問題で馬場が社長を降ろされ日テレの松根が実権を握り、
一見好調に見える新日もアントンハイセルに巨額の資金が
投じられて利益が消えていて問題だらけ、と歯に衣着せぬ
とんでもない内容の巻頭特集になってる
当時の月プロの鈴木庄一体制ってすごかったんだなあ
これに比べると一見業界の裏を書き立てているようで、実は
自分たちが取り組みや勝ち負けを決めた試合を絶賛したりと
ファンをペテンにかけていたと言ってもいいターザン体制は
東スポ並みのファンタジーを信じ込ませていた媒体だったな なんかすれ違いのプロ野球中継の話で盛り上がっているから
何かと思ったら金曜8時枠の話だったか。
確かにあの枠は、あの時代のプロレス中継には最適だったのは間違いない。
日テレも馬場を焚きつけて日プロからの独立煽るんだったら、
同時に金曜8時枠を維持することも考えるべきだったのに
何も考えずに唐突に日プロ中継打ち切ったから
速攻NETにあの枠を押さえられてしまった 日プロを打ち切ったあとも
しばらくはプロレスの再放送を同じ枠でやってなかったっけ? 5月19日から7月14日まで日プロ時代の馬場を中心に
過去の試合を再放送していた
エリックとの試合は再放送なのに22%取って、他局の
リアルタイム中継より数字がよかったとか
全日本のスタートをスムーズに出来ていたら、金曜8時を
さらわれることもなかったんだろうけど >>221
全日本プロレス中継を打ち切ったあとに半年間くらいコロッセオを放送してた感じ? 再放送だから違うでしょ。太陽にほえろのドラマ制作中だったんじゃない? 太陽にほえろを土八に放送して金八のワープロの裏に当てようって気は無かったのかね? >>225
馬場→日プロとのこれ以上の喧嘩は望まない
太陽→全員集合の裏+プロ野球で中止多数の土8は勘弁
三菱→せっかく裕次郎主演ドラマ押さえたんだから是非放送したい
もうトラブルばかりのプロレスは懲り懲り
どう考えても無理でしょ >>225
>>226
上にもちょっと書いたが
あの当時「映画スター」である石原裕次郎が
メインキャストで毎週連続のTVドラマに軸足を移すってのは
芸能・メディア業界では“大事件”だったんだよ
しかもGSの大スターショーケンが本格的に役者としての新境地を開くという
言ってみれば裕次郎とショーケンという新旧二大青春スター夢の共演
それが映画でなくTV、それも毎週連続の1時間ドラマで実現するという当時としては夢の企画
それに力道山の正統後継者である馬場の独立を全面バックアップするのと同じくらい
“戦後最大の青春スター”裕次郎を(日活に代わり)東宝と組んでバックアップするのも
大正力の意を継ぐ日テレ的には大命題だったからね
それにこの当時は日テレは芸能界の巨大勢力渡辺プロダクションと冷戦中
GSのもう一方のスタージュリーがナベプロの看板である以上
日テレはメンツもあってショーケンを意地でも看板にしたいって事情もあった
だから『太陽〜』以降も『傷だらけの天使』『前略、おふくろ様』『祭りばやしが聞こえる』と
ショーケン主演の日テレドラマ枠が78年まで続いた 太陽にほえろにソンタクしたんじゃなくてNETが金曜8時に来ちゃったから他の曜日を模索したんでしょ。
新日本に比べ全日本は準備万端の旗揚げと言われてるが土曜8時しか枠がなかったのは急に決まってバタバタしたからかも >>228
NHK-BSであった太陽にほえろ!制作秘話で、当初ジュリーをマカロニ役に起用する案もあったらしい。
実現しなかったものの、ジュリーはゲスト出演してショーケンと競演した。
ナベプロと冷戦というがセミレギュラーにハナ肇が出演しているな。 馬場は全日旗揚げしたあとも
日プロに役員としての籍は残してたらしいね >>228 >>229
日テレとナベプロは紅白歌のベストテンの裏に見ごろ食べごろ笑いごろだったかな
ナベプロ製作の番組が始まったことが原因だったと記憶しているけど。日テレvs
NET(テレ朝)だからプロレスと一緒か。 >>228
その夢の企画の衝撃や悲願度は、当時は生まれてないからわからないけど
それぐらいの大きな事が日プロ中継を打ち切って、たった半年でよく実現できたもんだね
ドラマは収録も考えると、本放送の少なくとも1ヶ月前にはクランクインしなきゃいけないわけで
馬場が朝日系に登場→日テレ激怒→打ち切り
この過程があればこそ、スター達に交渉できたんだろうし、ずいぶんとスピード交渉だったという事? >>229
>新日本に比べ全日本は準備万端の旗揚げと言われてるが土曜8時しか枠がなかったのは急に決まってバタバタしたからかも
それ以外ありえないでしょ。
再放送でさえ22%取ってた優良コンテンツが、たった数か月後に豪華メンバー揃えた旗揚げ戦で一桁連発なんて
どう考えても金8→土8の枠移動の弊害でしかない
日テレが度重なる日テレの不義理に打ち切り決断したのはわからんでもないけど、せめて三菱への根回しだけは
済ませておくべきだったな。
八百長、流血、暴力団などマイナスイメージが強いプロレスは、視聴率稼げても有料スポンサーがつきにくいコンテンツ
だったなかで、三菱は力道山のときから一貫して支援してくれてたんだし
まあ金8を失ったのは馬場の決断が遅かったのも一因だが、逆に言えば馬場に日プロ対談決意させるには
日テレ打ち切り位の劇薬が必要だったのかもね 優良コンテンツだからわざとドリフの裏にぶつけた可能性もあるかも。リアルタイムで見てない世代なんでわからんけど土曜日なら19時からか21時からのどちらかが良かったように見える
(特に21時〜)
http://file.tokusaburo.kakuren-bo.com/19740817TV.JPG >>235
ゴールデンの放送予定の番組が
23:45〜プロレス
と番組欄の最下段で1行だけ…落差がありすぎ
それに子供は起きてられない、大人でも終了が1時じゃキツイな
今と違ってたぶん当時はスポーツは土日は昼間、平日はゴールデンて感じだったんだろうし
見逃しが増えるとストーリー性が遮断されるし、難しいね。
子供の頃に新日が土曜の夕方で、一月の半分がゴルフ中継に潰されてたの思い出した。 プロ野球を放送の場合でしょ?
野球が中止になれば通常通り20時から >>236
当時小学生だったが、23時からのゴルフの途中で寝落ちしてたわw >>235
7時台は子供向け、9時台はドラマが主体か
いずれも全員集合が裏に控えている8時台よりは数字取れそうだけど、
プロレスは社会的なイメージが悪いから、視聴率が取れるとしても
この時間帯では名乗り上げるスポンサーがなかったんだろうな
>>235
雨天中止なんてたまにしかないでしょ
なったとしても裏には全員集合というモンスターが控えている
それ以前に、コロコロ放送時間が代わる番組なんて
視聴者なかなか定着しないよ
つくづく金8=三菱を失ったダメージはデカかった 連投ゴメン
よく見たら、6時台に日テレで、、7時台に12チャンでキックボクシングやってる
これキックの分裂騒動の時期なんだな
沢村忠がいたころはすごい人気だったけど、引退してからはあっという間だったな
K-1もそうだったが、目先の放映権料につられてテレビ局2又かけた
コンテンツは確実に分裂、衰退する
日プロもNETの参入認めた時点で崩壊する運命だったんだろう >>236
深夜ならまだいいよ、地方だと放送自体が中止になる、当時は会場行かせる
ためにワザと放送減らしてるんかと思ってたくらい 「たられば」になるけど、ドリフの裏番組で奇跡的に視聴率戦争を乗り越えて
80年代に入っても土曜20時を死守できたとしても、お笑いの多様化と漫才ブームがやってきたんでしょ?
「ひょうきん族」が土曜20時に参入して、余計に苦しくなっただろうね
ドリフは前半に視聴率が良い番組、ひょうきん族はたけちゃんマン登場の後半が良い番組
ドリフの前半に見た後、プロレスのセミファイナル〜メインエベントにチャンネル移行組があったとして、それもフジにもっていかれそう…
少なくとも当時のガキンチョのオレはそうだった、またそうしないと友達との話題についていけなかった。 ひょうきん族の前にもフジは欽ちゃんの番組が人気あったから難しかったよ、ただスポーツ好きが見るには野球かプロレスしかなかった
我が家は8人家族でテレビ1台だったから基本NHKの7時のニュースの後は野球、野球がない日は祖母の希望で時代劇とプロレスは優先的に見てたからドリフはあんまり見てない うちは親父が刑事コロンボ見てた(毎週ではないけど) >>242
あー、欽ちゃんか…全盛期は記憶に薄いけど、たけしと人気が二分してて
K-1ならぬ、好視聴率番組をTBS・フジ・テレ朝と股にかけてた頃があったよね?
なんかお笑いはプロレスの天敵というイメージが強い
個人的な感覚に過ぎないが、非日常感があってストレス解消という共通項どうしというのかな…
まあ欽ちゃんの全盛期、といったが自分はファミリー受けの頃しか知らないけど
坂上さんと組んでた過激な欽ちゃんを知らないので、人によっては実はその頃が全盛かもしれないけど。 ドリフ大爆笑では志村と仲本がプロレス技をやってたがプロレスの裏時代の全員集合ではやってたんだろうか
>>245
視聴率100パーセント時代はジャパンが来たくらい。人によってピークは違うかな >>246
「視聴率100パーセント時代」って何の事か?だったけど
3番組の合計視聴率の事か、凄いね平均で30パー超えって事だもんね、そりゃ脅威だわ。
全員集合は70年代とかは知らないけど、やってる芸がプロレスと重なるような感じはする
あの体を張ったギャグ、毎週生放送で30分近くやるのは理屈抜きに凄いなと…
初期のジャンボマックス?なども規格外なプロレス的な興奮に近いし
作り物とはいえ、G馬場やアンドレよりはるかにデカいんだから…
ちょっとこじつけだけど、前半30分の等身大ギャグのドリフは新日的で、ジャンボマックス的な演出は外人戦略の全日的な感じ
要はドリフはプロレス的なカタルシスを味わえる番組だったと思う、プラスして可愛いアイドルも出るんだから太刀打ちできないw 志村と仲本工事のプロレスは猪木が入ってたね、アンダバカヤロウ >>245
欽ちゃんが、たけしと人気を二分した時代なんかねーよ。知らないなら書かなければいいのに。 >>248
この前再放送やってた大爆笑'80で、仲本がブッチャー役、加藤が猪木役で驚いた。
1年後のブッチャー引き抜きを予言してた様な設定。ドリフがやっぱりガチだな。 >>249
萩本さんとたけしはほぼ入れ替わりだったよね。
萩本さんのライバルはむしろドリフ。 全員集合で、ごくたまーにオープニングコントで女子プロレスやってたな。
いかりやレフェリーで、残りのメンバー対女子プロレスラーの4対4。 >>250
全日本と新日本に偏らないように配慮したのかも >>252
レフェリーで楽して、ギャラの6割を取るんだから、志村の「いかりや給料上げろ」はガチの叫びだね。
そういう体質は全日と似てるかも。 >>254
大量脱退の際仲良しがいなくて1人残された
が逆に才能を開花させてブレイクした
川田とカトちゃんも似ているのでは? >>251
欽ちゃんが絶対王者(視聴率100%男)の頃はたけしは大熊がレギュラーだったテレビで見たい奴
みんな来いが打ち切りされたりでテレビで成功する方向性を模索していた時期だね。でも実は
欽ちゃん、タモリ、たけしの比較した記事が明星か平凡で見たからマスコミの認識だと最初のビック
スリーはこの三人だったのだろう。 我が家は土曜8時はプロレス好きな兄貴を除けば多数決でドリフを観ていたので、自分も内心全日も観たいと後ろ髪を引かれつつ、結局はドリフを観れば満足していた。
なので、全日が5時30分に移動したのは大歓迎だったな。親がプロレスを野蛮だとか毛嫌いしていた家庭だったことも大きい。 テレビが複数台あるなんて考えられない時代だったもんな
80年代も後半になると小遣い銭で買える時代になったけど 教育上良くないとドリフ見るの禁止だけどプロレスがオーケーの家庭って多かったのかな
我が家がそうだった、チャンネル権が父親の次がばあちゃんだったから >>259
キカイダーが終わって、全員集合も観る気しなくて
どうしようかと思っていた時期に全日を知ってハマった
おふくろが太陽にほえろのチャンネル権がっちり握ってたから
数年後、家に2台目のテレビが入るまで新日はほとんど見られなかった。
俺がずっと馬場派、全日派なのは当時の体験のためなのだろう >>234
日プロとしてあるいは三菱電機がスポンサーから下りてもまた日テレが別のスポンサーを見つけてくれるとかたかをくくってたのかな
あの時点では単独スポンサーではなくなってたようだし
とにかく両局中継から一年足らずで一気にノーテレビ
当時の幹部としてはNETでなく日テレを選ぶべきだったと後悔していたか >>262
>当時の幹部としてはNETでなく日テレを選ぶべきだったと後悔していたか
急に割り込んできたNETより力道山以来世話になってる日テレの方が大事なのは当たり前の話なのに
日テレが中継辞めるなんてありえないとたかをくくっていたのか、
NETの放映権料が高額だったのか
何にせよ、馬場と猪木に食わせてもらってただけで、自分じゃ客も呼べない日プロの幹部や
レスラーの怠慢ぶりは目に余るわ >>263
「馬場は日本テレビ占有」を破ってNETに出して日本テレビを激怒させて打ち切り
その後は坂口が新日との合併を纏めよとしたのに潰す
(新日にはTVがついていないと言う負い目があったのでこの方が対等合併に近い形になったはず)
その後に全日に吸収された時すら
「対等合併だ」「日本テレビに頼まれて来てやった」「芳の里に「馬場を助けてやってくれ」と頼まれた」
日本プロレスの残党のバカさ加減には呆れかえる 猪木追放→やったNO.2が消えた、これで俺の番手が上がるぜ
NET「馬場を出せ」→どうせ日テレが打ち切るわけない。出せ出せ
坂口「新日と合併するぞ」→俺の出番がなくなるからダメだ
NET「おたくは打ち切って次回から新日を放送します」→新日とうちとかわるがわる放送してくれる
馬場「あんな奴ら欲しくないけど、契約だからひきうけるしかないか」→日テレに頼まれて来てやった
しかし末期日プロの連中って、周りがまったくみえてないっていうか、目先のことしか考えてないよな
馬場と猪木に食わせてもらってたのを自分の実力と勘違いしていたとしか思えない >>265
銀行の合併とかでもよく聞く話、潰れないし解雇されないから醜い足の引っ張り合いがなくならない >>265
しかもまだ健在な人でもその感覚は変わっていないというのがすごい。
「あの時は俺たちにも悪い点があった」
という趣旨の話をしているのを聞いた事がない。 SWSが無くなった時の状況にも何か似たようなものを感じる >>268
上田カブキはずっとそんな調子だけどサクラダやカーンの自伝では末期の混乱ぶりに振り回される若手の苦悩や
対等合併なんて寝言という本音が書いてあると感じる。
立場の違いはあるにせよ小鹿上田カブキ等の自己正当化反省の無さはあきれるばかりだ。 まあ上田の場合もう死んじゃってるから反省のしようがないんだけどね 拾ってもらった日プロ勢で一番長く
全日で持ったのはカブキという事か。
17年くらいいたのか。
確かに当初から合流組の中で言えば
扱いは良かった。
本人はかなり外様扱いだったと何度も言っているけど。 >.274
全日入団から退団までの時期でいえばそうだが、
カブキは海外が長かったから、
全日でファイトしていた期間は小鹿が一番長いんじゃない?
その小鹿は、著書で「馬場さんにはがっかりした。猪木さんとこに行けばよかった」とか書いてたが、
日プロ時代、猪木追放の急先鋒だったことを都合よく忘れているのが何とも。
>本人はかなり外様扱いだったと何度も言っているけど。
どう扱えば本人は満足したんだろうね。
日プロ末期みたくUNのベルト巻かさればよかったのか >>275
> どう扱えば本人は満足したんだろうね。
> 日プロ末期みたくUNのベルト巻かさればよかったのか
若い鶴田はまだプロレスが良くわかっていないから
当分は自分がNO,2
UN復活なら当然前王者として自分が戴冠
暫くして鶴田が育ってきたら
入れ替わりに年齢の衰えてきた馬場は一歩退いて
エース鶴田を盛り立てる実力者でプロレス巧者のポジションとして
鶴田のパートナー&そのままNO,2で我慢してやってもいいよ、俺は
まあ実際に試合作ってるのは俺なんだけどね
くらいのかんじじゃない?
あくまでカブキ本人的にはだけどw >>275
小鹿に関して、自分はGスピのインタビューぐらいしか知らなくて、著書は未読な上で。
「終わり良ければ全て良し」の真逆というか、昭和末期に全日から契約解除された点が多分に大きいんでは?
あんがい、四天王ブームの1番美味しいときにまで悪役商会の一員として所属してればどうだったの?って感じ。
猪木や新日にケンカ売られたときにも、馬場の側近としてかなり動き、最前線にも立ってたみたいだし、もちろんジャパン参戦中にも。
ちなみにその時のインタビューでは、多分70年代後半の事を言ってるんだろうけど
「猪木さんに勝てるかはわからないけど、少なくとも馬場さんが負ける事はないと思った」とか言ってた内容の時。
天龍も「小鹿さんが切られたのは驚いた」って後年にまで言ってるよね、つまりガチガチの馬場派にはなっていたわけだよね? >>89
1987年鶴田とタッグ組んだテンタとは対戦してるね。 >>276
鶴田と組んで世界タッグ獲得した途端SWSへ移籍したくせにね。 小鹿は切られるほど素行が悪かったってことだろ、三沢を鍋で殴ったり 高千穂はシングルのベルトを巻かせるかどうかは別として
元UN王者設定を生かせなかったものかね?
あとはカブキ時代に全日陣営ではなく
鶴見や外人と組ませて対立させたほうがよかった
怪奇派がベビーやってもつまらんからねえw >>279
あの離脱の仕方は「UNタイトルを取り上げられた復讐だった」と言ってたな
人材不足でタイトルがまわってきただけなのに何を勘違いしているのか 欽ちゃんとたけし被ってたころあったよ。
欽ちゃんは民放各局に冠番組持ってたし
たけしは同時期に冠番組はまだなかったけど
レギュラーたくさん抱えてた。視聴率争いは
してなかったけど。俺と萩本さんの笑いは違う
とかよく言ってた。たけしはドリフ、欽ちゃんに
敬意を示してた。スレ違いすまん。 >>276
>当分は自分がNO,2
坂口離脱で自分がNO.2に繰り上がった日プロはすぐ崩壊したのに
全日で同じ役目が務まると思っていたならおめでたいね
>>277
小鹿が上田や松岡みたいにすぐに切られず全日に長くいられたのは
馬場にうまく取り入ったことに加え、子飼いの大熊とウマがあったからだろうな
プラス、タニマチ嫌いの馬場の代わりを務めたりもしてたんだろうけど、
それに関してはもっとやり手の永源が来たことで用済みになってしまった。
だとすると、「猪木さんに勝てるかはわからないけど、少なくとも馬場さんが負ける事はないと思った」
って言ってるのは信憑性高いね。なんせ馬場と完全に袂を分かってからの発言だし >>282
ようやくこれから厚遇が期待できる局面だったのにな
SWSではもっとトラブルに巻き込まれる事になるわけだが
小鹿については「猪木さんが坂口でなく自分に話を直接持ってくればむしろまとめ役をやった」とも言ってたな
政治家もそうだがそういう面子的な部分も強かったんだろうが 小鹿では選手が仮に纏まっても
テレビ局は動かんだろw >>283
80年代前半だな。
欽ドン、欽どこ、欽曜日
刑事ヨロシク、テレビに出たいやつ、スーパージョッキー >>283
たけしは萩本さんには敬意を持ってたね。ANNで「俺萩本さん好きなんだ「」。TVでは「あの人の毒舌は俺より凄いから」。当時ファミリー向けの笑いに徹していた萩本さんの本質は「毒」であると。
2人の人気が被ってたのは3〜4年だね,わらべのもしも明日がのメガヒットがS59始めだから。
更なるスレ違いすまん、、 全日本退団の会見で「そこ(全日本)に天龍がいなかったから」と天龍ファンが泣いて喜ぶセリフを吐いたカブキだったが、SWSで袂を分かったときは所詮カネで集まった奴らと思ったわ。 カブキになって受けてた頃に
誰へでも良いけどUNに挑戦すればよかったかもしれない。
できれば王者にさせる、と。
天龍じゃないから「このベルトは青春の思い出」みたいなことは言えないだろうけど
ある意味マニアにはわかる、な感じでよかったと思う。
なのにフレアーNWAとかに行くんだから。 カブキとフレアーの試合はひどかったな
あの2人の試合でブリッジの攻防とか誰が見たかったんだろう?
しかもフレアーが懸命に協力してるのに
下からブリッジで持ち上げられないカブキw
あれがカブキの限界だったと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています