『天国のジャイアント馬場を、微笑ませた男』(07年1月4日・東京ドーム)

ジャイアント馬場は、得てして、体の大きな選手がお気に入りであった。それは、彼の率いてきた、
全日本プロレスの生え抜き如何を問わなかったようだ。

ある試合後のことである。「お疲れさまです」高山善廣(当時、Uインター)は、そんな風に言って
シャワー室に入った。と、先に入っていた“御大”がジロリと見やり、答える。

「……おう」(馬場)。「ご一緒に、失礼します」(高山)

高山が、「馬場がシャワーを浴びてる時は、誰も入ってはいけない」というルールが全日本にあると
いうことを知ったのは、それから後のことだった。

ところが、不機嫌になるかと思いきや、ニッコリと笑った馬場は、意外にも、シャワーの手を止め、
「あそこはこうするんだ」と、その日の試合の直すべき点について、雄弁に色々アドバイス。それ
からのことである。馬場のプライベートでの連絡係を務めていた元子夫人から、「高山クン、何日は
空いてる?」と電話が入るようになったのは。

空いていれば、馬場は積極的に、高山をランチに誘った。「アメリカのマーケット(プロレス業界)が
昔のように栄えていれば、オマエを海外に行かせるんだがなあ…。何しろ俺の若い時ときたら…」本当は
話したいのだろう。アメリカン・プロレス黄金期の思い出話を、楽しげに色々話してくれた。高山の素質
や、人格もあったろう。だが、それは、フリーの日本人選手にとしては、極めて破格の扱いであった。
「(自分にとって)至福の時間だった。俺に、力を与えてくれることだった」と、高山は振り返る。