>>30
力道山死後、東郷とアトキンスは破格の条件で馬場にアメリカに残るように要請する。
同じく日本プロレスからも至急日本に戻ってくるように伝えられる。

ここからが馬場の真骨頂。
東郷には返事を保留してスケジュールを淡々とこなす。
日プロの遠藤には「東郷はこの条件を提示している、日プロは?」と待遇を求める。

結局、遠藤は馬場に契約書ではなく念書を渡し
「エースの豊登と同等の給料、扱いをする」
「数年後には必ずエースにする」
「日プロの重役とする」
「力道山が馬場に残した借金は日プロが清算する」
とした。

普通に帰国していたなら、馬場は豊登、遠藤、吉の里の上には行けなかった。
強引に念書をとって、その後その通りになった。

80年代に長州は「自分の価値を理解して動いたレスラー」とよく言われた。
ただ、それより20年以上も前に、馬場は日米をまたにかけてそれをやってのけた。
馬場はプロレスラーだけでなくネゴシエーターとしてもジャイアントであった。

このエピソードから、当時若干20代の馬場に末恐ろしささえ感じるのである。