今考えると全日の四天王プロレスってキチガイじみてたよなPart3
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ありがとうございます!
そういえば今日は川田と武藤の初対決日
全日本と新日本それぞれの所属としての四天王vs三銃士対決もこの時だけで 馬場があと5年長生きしてたらどうなってたかな。三沢も40過ぎてたらさすがに一から新団体やるほどの活力はなさそう。 >>3
馬場が生きてたら経営は馬場、マッチメイクは三沢
98年下半期の体制が継続されてた
そこに元子がどう絡むかはわからないけど
馬場が亡くなる前に99年5月のドーム開催が発表されたけど
当初はどういったマッチメイクにするつもりだったんだろうな
ベイダー絡みだけじゃ厳しかっただろうし 三沢と元子さんは和解して長電話する仲になってたんだってね 馬場全日が続いたとしても2000年はオブライト死んだりハンセン引退したりエースがWWF行ったりでベイダーの長期欠場などで外国人で苦労してただろうな WWFのレスラー大量解雇はもうちょっと後なのかな、タイミングがあってれば
そこらあたりから拾うんだろうな >>4
逆に川田・渕が離脱してたりしてなw
川田は怪我もあったけど小橋:秋山推しのブッカー三沢体制だと
冷遇されてたのは間違いないね
渕もマッチメイク権が無ければただの前座ベテランだし
人望も三沢には及ばないから居場所無くしてたんじゃないか そりゃ小川もだ
小川は長く続けてるだけでレジェンド枠に入ったな 菊地は鶴田や川田と戦ってる時がヤバかったな
悪役商会になってレスラー寿命伸びた
小川は意外にタフだったな ハンセンはじめ外人レスラーたちにも「ジュニアだけど菊地には遠慮なしで攻撃して良い」
みたいなコンセンサスが絶対あったと思う 菊池はめちゃくちゃ打たれ弱かったからな
すぐフラフラに腰砕けになってグロッキーしちゃうから
相手も攻め続けるしかないっていう >>15
そりゃしょうがないんじゃない?
周りはヘビーばかりで、ジュニアも渕、クロファットとか大き目の選手ばかりだったし 菊池のローンバトルは解説の馬場さんが「なんでタッチしないんですかねぇ?」ってガチで呆れてたぐらいだからな
三沢や川田もカットに入らず放置だったし >>16
渕もクロファットも他の団体に行ったらヘビー級の体型だからな。
実力もヘビー級と遜色ないし、渕は、チャンピオンカーニバルでキマラやファーナスを、クロファットもチャンピオンカーニバルでファーナスや秋山から白星取っているし。 渕と言えば小橋にずっとヘッドロックかけられてギブアップした試合
あれ一体何だったんだろ? 今日は四天王としても初となる川田のチャンカー初優勝日
セミの六人タッグもまた印象深い クレジットカード作れなかった人達がよくここまで頑張ったなあ 3月のタッグマッチの再戦的なセミだったがむしろこっちの方が好き
とにかく小橋に突っ掛かるハンセンも凄かったし 誰がクレジットカード作れないって?
そんなバカなことがあるかい。 住宅ローンが組めない、とかの間違いじゃ?
クレジットカードくらい作れるっしょ 馬場が健在なら、丸藤やKENTAみたいなJrのチビはヘビー級のタイトル戦線には絡めなかっただろうな。 若いときの馬場のプロレスっておもしれえな
なんか新日の試合みたいだわ最後のフィニッシュも蝶野のみたい
https://www.youtube.com/watch?v=DxizCmM9vFM 馬場が健在なら力皇や森嶋はもっとプッシュされたかな。 馬場の「でかいやつ偏愛」というのは結構すごいね、Uインターの鈴木健がよく
言ってた「高山をいずれ社長にしてもいい〜云々」というのはほんとうなら呆れてしまう
選手としてはお眼鏡にかなったのかもしれないけど経営の適正なんて未知数も未知数だったろうに 天龍が離脱しなければ、ここまで四天王は格上げされていたかな
川田は中堅で腐っているかも >>30
田上がエースで三沢川田がタッグ屋だろうな 田上って結局財産失って隠居でしょ?
泉田と言い恐ろしい世界だわ >>25
秋山は作れなかったって本人が言ってた。
トップは知らんが。 四天王時代の三沢の年俸が4500〜6000万だったってのはガチ? 馬場にとって三沢は特別扱いだからなぁ
90年代は三沢なくして興行は成り立たなかった訳だし
実際はそのくらい貰っててもいいはず それくらい貰ってもいいって言っても
印象としてはもっと貰ってるもんだと思ってた
トップレスラーでもそのくらいなのか 三沢は全日本社長就任直後に日本テレビの番組で家庭訪問されていたな。
分譲地っぽい団地の三階建て家屋で、BMW3シリーズの赤と白が一台ずつ停まっていた。 全日はケチってイメージ
三沢がそんなにもらってたとは思えないんだが >>35
んなわけない。
三銃士や他の新日本の選手よりはるかに少ない。 三沢は2000万か3000万と聞いたこともあったが 当時の興行規模考えたら多くはない。
新日本はドーム以外の地方でも集客収めているのに全日本といえば武道館頼み。
シブチンのG馬場でもあるし。 プロレス中継以外の番組やCMにも出演していたら副収入と知名度も上がったのにね。 四天王全盛期でもスポンサーがいなかったからな
放送権料とかどうなってたんだろ かつてのゴールデンタイム60分のころで年6億位と言われてたが
深夜帯30分だから半分とまでいかなくとも4億前後だろうと思われる
ただ馬場存命時はチャンピオンカーニバルや最強タッグといった看板シリーズ
開催時は別途日テレから協賛金(1000万円位)が出たと仲田が言ってた記憶がある
あとジャイアントコーンの江崎グリコとかも同額位の協賛金を出してくれたらしい 江崎グリコは武藤全日本も支援していたっけ。
ジャイアントの縁を大事にしていたのだな。 武藤の場合はグリコのプロテインと縁があるからだろう
新日本時代からな。 三沢はいくらくらい貰ってたのかねえ、亡くなる直前の傾いたノアで月給100万(税込)
と書いてあった。全日超世代軍の武道館年6回の頃がピークとして1試合20万円×120試合
くらいで約2500、それと武道館ボーナス300(想像)×6で計4000〜4500くらいかね
ただそれをずっと維持できたわけじゃないだろうから微妙かな >それと武道館ボーナス300(想像)×6
これ余計 何回も聞いた定番話のスレに書こうかと思ったけど
川田の年俸はエル・サムライより低かった 武道館で地方のガラガラを穴埋めするのにそんなに貰えるわけがない 90年代はプロ野球選手の年俸も高騰して一億がそれなりにいた時代なんだけどねえ
愛甲猛が「一流の証が一億なら俺はバリバリの二流だから五千万出してくれ」とか言って
すんなり満額回答されてたのを考えると安いにも程がある 南海がダイエーに身売りして2、3年目くらいのとき
平和台でダイエーvsロッテを観に行ったときのこと。
当時ダイエーのPコーチだった権藤が自軍のPに
「打者の間合いに合わせる必要はない。相手がバッターボックスを外しても
自分のテンポで ドンドン投げていけ」と指令を出していた。
今でいう高橋礼みたいなピッチで打者は自分の間を作りにくい。
愛甲が2ストライクを取られた後、球場のすぐ上を飛んでる飛行機に
目を取られた瞬間、3ストライクを取られて暫く唖然としてた。
ちなみに他の打者は権藤のやり方を知ってるからこんなヘマはしなかった。 >>62
さすがに400はあると思いたい
じゃないとレスラーになる人とかいなくなる レスラーの収入って本人の能力じゃなくて所属してる団体の規模によるから
目指してる若者がいたらその辺アドバイスしたい 主力の拳王がミライースでしょ 年収400万ぐらいだと思うけど
杉浦が随分昔に嫁がパートに出るようになったってボヤいてたし 秋山社長の奥さんも焼肉屋さんでパートで働いてるって言ってた >>65
元学プロのスターで業界に知り合いが多かった稲村があるなぜノアを選んだのかが謎。
各団体の収入事情ぐらいは聞いてただろうに。 橋本小川戦関連の書籍で武藤橋本が当時新日本の現役では一番と誰か言ってたわ。
3800万か3900万だったと。 そんなに地方はガラガラだったんか…。
確かに三冠戦や世界タッグ戦のクオリティが上がり過ぎて、6人タッグがメインの田舎興行なんて見に行く気にならないか プロレス界はバブル崩壊の影響が遅くて、90年代後半から地方の客足が落ちてきた。 >>70
長州らが離脱してマシンでお茶を濁してた頃の
新日より客が入ってなかったからな。 最終戦の武道館以外、ほんとに見るべきカードなかったからな
ジュニアかアジアタッグのタイトル戦が行われればいいほうで、
延々いつものタッグマッチだったし 大阪府立体育会館も全日本は新日本と較べると入ってないね。 リングアウトや反則といった不透明決着を無くした分、地方ではいいカードが組めなくなった部分はあるのかも。 2000年のチャンピオンカーニバルはトーナメント制で刺激があって面白かったし
過酷なリーグ戦を排除して選手の負担を軽減するといった意味でも快適だったが
地方巡業で組んでいったから各会場での対戦カードの格差が凄かったな
名古屋が秋山VS大森、田上VSウイリアムス
広島が三沢VS川田
大阪が高山VSベイダー
岡山が小橋VSエース
そして福井が泉田VSウルフw
これは酷いなと思った ちなみにカーニバルの公式戦自体行わない会場もあった
和歌山・新潟・千葉
こういった部分が翌年にどう改善されるか注目していたが
直後の分裂劇で立ち消えになってしまったのが残念 長年総当たりリーグ戦を見せられたファンからしたら、手抜きとか言いたくなるよね
今思えばトーナメントくらいで丁度良かった。選手の気持ちも分かる。 今はG1もロングランなシリーズになって関心が無くなったわ 昔の最強タッグは反則、リングアウトも多かったけどその分の穴埋めか地方でも
公式戦でなく「夢の対決」という体で豪華なカードがあった 凄いカードをノーテレビでガンガンやってたんだよな
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https://www.ajpw.tv/ 90年代の後半の大阪府立は本当にガラガラだった
しかし98年の小橋vs三沢の三冠戦だけは超満員だったな >>77
広島で初めての三沢vs川田だったけどガラガラだったな
つうか広島サンプラザで超満員は1度もなさそう 武道館と後楽園くらいか?
集客に成功していたのは。 大阪府立の第二をはじめて使ったのはたしか全日だったはず、よほど第一で
入らなかったんだろうな(80年代末ごろの記憶) 地元にプロレス来た時の観戦はもっぱら新日だったなあ、そういえば
三沢vs小橋が見れる時だけ全日の観戦した記憶 >>88
たしか90年、天龍が抜けた後からだったと思う。 阿修羅はヤミ金から借りて会場にヤーさん来てトンズラこいて馬場が解雇したろ
いい選手ではありましたけど 戸田市によく来たけどCCで三沢対ウィリアムスとかあったはず、気前良すぎた 札幌で一度もチャンカン開催されなかったから
三沢vs小橋や三沢vs川田が生で見れないで終わった >>93
その大会を引き合いに出して「地方で手を抜く新日本」と書いた事からター山の没落が始まった >>95
札幌は、スーパーパワーシリーズと最強タッグが開催された会場。
スーパーパワーシリーズがチャンピオンカーニバルの次だったからな。
仙台は、隔年でチャンピオンカーニバルとスーパーパワーシリーズだったからな。あと、毎年最強タッグ来てた。 >>88
男のプロレスでは全日(90年1月)だが、その前に女子プロが使ってた。 俺はチャンピオンカーニバル公式戦でハンセンとエースのシングルなら生で見たよ!!
まぁ〜つまんない試合だったわ(笑) 俺は地方で川田とウイリアムスの流血戦見たわ
めっちゃいいもん見た ハンセンとウイリアムスってお互いの事どう思ってたんだろうね?二人とも長いこと全日本のトップにいたけど。 >>102
お互い信頼してたみたい
試合は噛み合わなかったけどw >>100
高額ではあったが、ドル安になってもギャラアップの要求はせず据え置きだったらしい。
ブッチャーはタイトルを獲得したりチャンカン優勝したときギャラアップを要求したそうだが、ハンセンはそこまでがめつくなかった。 >>105
ハンセンのギャラは
ドル払いだったような印象があるんだけど
違ったかな?
ともあれ、為替相場変動を理由にギャラアップを要求は
いかにハンセンでもミスター・ババには無理かとw 会場でしか売ってないTV未放送のビデオに馬場さんのサインを入れてもらう
ビデオ用のカードも豪華だったなぁ >>107
後楽園の売店を遠巻きに眺めてると一本5000円(だっけ?)のビデオが飛ぶように
売れまくってたもんな、あれは笑いが止まらなかったろうしその後に行くオリガミ
でも太っ腹になるわな 全日2回目の東京ドームで田上ハンセンウィリアムスのトリオがあったが(菅谷アナのオブライトさん事件)
その試合でハンセンがいつもの高い声で「スティーブ!スティーブ!!」
ってエプロンからリングのウィリアムスに声かけしてて微笑ましかった >>103
>>105
調べたら色々出てきた
それなりに貰ってたんだな。
全日本の日本人よりは高い。 ホーガンは売れ出してから新日に週9万ドル要求して飲ませたんだよな
ハンセンみたいに毎シリーズ参戦するわけじゃないからアレだけど
年収に換算したら約7千万(日本円)くらいか 90年代しか観戦に行ったことないんだけど、ざっくりとした感想が
新日→最初から最後まで結構楽しめる印象。
ジュニアのスターもたくさんいたし、ヘビーもスター揃いだった。
全日→後半戦まで暇に感じた。
これって、80年代だと全く逆の印象だったんですかね?
外人も日本人もスターがいっぱいで。 いや、団体のカラーは基本的に変わらんよ
新日:派手、華がある、軽い、スキャンダラス
全日:地味、重厚感がある、打たれ強い、ケチ 全日ってジュニアまでヘビーの縮小版ばっかりで
なんでルチャ系に力入れなかったんだろうな
勿体無いよな 馬場さんがジュニアなんか屁とも思ってなかったから
実況で散々絶賛してた小川良成なんかも話なんかしてもらえなかったし
プロレスはモンスター級の体格の人間がやるもので、ジュニアは前座の賑やかし扱い >>109
「夢のカード」いくつだったか忘れたけど
ハンセン、ウィリアムス、エース対三沢、小橋、菊地ってのあったよね
ハンセンとウィリアムスのタッグはあとは
96年のハンセン、ウィリアムス対オブライト、パトリオットくらいか
滅多に見られなかったタッグだよね 馬場さんのジュニア軽視は聞いてるけど
佐山タイガーが世間に受けたから若手に飛び技もやれ、って言い出したんでしょ?
だったら浅子だの菊地みたいな不器用にやらすんじゃなくて
もっと本格的な選手を引き抜いてくればいいのにって 三沢タイガーだけは儲かったから「俺はタイガーのマネージャー」って可愛がってた
金丸ぐらい動ける人間入れても「またこんな小さいヤツ入れやがって」って三沢に文句言ってたぐらいだし スター俳優が芸能プロ経営するけど上手くいかず倒産(勝プロ・中村プロ)したり、分裂(三船プロ)したりで石原プロも倒産寸前までいったことがあるからね。馬場
や猪木にはやらせたら駄目なんだよ。 >>116
それでも世界ジュニアを四大王座の一角に置いていたんだから全く無意味とは思ってはいなかったろう
たとえそれがヘビーの引き立て役であったとしても >>112
変わんないね
全日はセミから見られれば良いって感じ
前座はかなり退屈だった
ミスター林、大熊小鹿とか気の抜けたビール
馬場、ラッシャーが前座回って変わったかな 分裂前の全日本は一度も生観戦したことがない
分裂後も一度だけ。 鶴田は高給取りだったの?
健康で90年代後半までやれたらよかったけど。 >>123
確かに馬場を前半で観れたのはいいアクセントになりました
生で見て単純にびっくりしたのは馬場とノートン >>120
力道山も猪木もプロレスは皆そうだよ。
ボスが総取り総決め。
だから独立する。 鶴田が肝炎から復帰してから小橋とか上のヤツらと試合したことあったっけ?
なんとなくしてた記憶あるけどファン感かな
テレビではやってないよな? 大森はハンセンに預けて英才教育 高山には馬場自らつきっきりで優しく指導
まぁデカイヤツが好きなんだろうな >>128
覚えてるのは1996年の24周年記念試合。
田上、馬場、ドリー組対三沢、秋山、鶴田組の6人タッグ。
鶴田が終始田上を攻めこんでたけど、最後は田上が喉輪落とし一発で鶴田からピンフォール。
あれには何とも言えない寂しさを感じたなあ。
つべで検索すれば出てくるはず。 >>130
見てきたが鶴田の体つき酷い。
病気になったとはいえあれはちょっとな。 オー!やると胸あたりのたるんだ肉がそれに合わせてプルンプルンするのは
何ともわびしい気持ちにさせられたよ 三冠はともかく病気明けの鶴田は世界タッグ挑戦すら無理な体調だったのかな そりゃあ死にますよあんたって医者から言われたレベルだからな >>130
前スレでもこの話題あったな
田上もかなり遠慮してたし、
三沢や川田とは無理があったろうな
その前年に一度小橋と6人タッグで闘ったのは覚えてる 全盛期は鶴田が一番と全日本オタクは言うんだが色々残念だ。
プロレスやる肉体じゃない。 >>128
三沢はタッグで組んだのみ
川田は全く絡み無し
田上・小橋は組んだ事も対戦した事もあり
だったはず >>136
真面目に練習してればオカダにレスリング技術とパワーをプラスしたような
化け物になってたんだけどな
ドロップキックはあのブヨブヨボディーで
オカダと遜色なかっただけに残念だ ビッグブーバーとかリックルードが長く定着してくれれば面白かったろうに
と今更ながら思う、あとRVDとサブゥー >>138
鶴藤長天とマスコミが付けたが肉体的にはこの4人の中で鶴田は最下位だと思うわ。
運動神経には優れていても。 確かにポテンシャルなら鶴田だけど
肉体的な部分の完成度なら藤波がトップだろうな スレ違いだがその4人だったら天龍が一番だろう。
対戦したことのないトップクラスは前田くらいか。 でも超世代軍vs鶴田軍では
どうやっても鶴田が巨大な壁って感じだったよな
三沢が初めてギブアップ取った時は感動した 若い三澤達とは大人と子供みたいだったな
だからこそ三澤のヤケクソみたいなエルボーもこれくらいしなきゃ鶴田には通じないって感じだった
鶴田はボヤいてたけど >>136
プヨプヨにボロ雑巾にされたタコ藤田。
https://youtu.be/yFGVlivnR68
プロレスも格闘技もやる体型じゃないパンダにやられてんじゃん。 >>133
せめて渕と組んでのアジアタッグ挑戦くらいはやってほしかった
長い割には特筆試合の無い秋山・大森としてもプラスになったろうし
それこそ馬場・小橋の挑戦を受けたフットルースみたいに >>147
サイキョッ(笑)って今更証明しようがないから言いたい放題だもんな、根暗なくっさいガラガラ旧全日系(笑)
まあ精々、バンドーカラテと河内音頭やるくらいがいいとこだったしなw 小橋とは田上とやった前年にやってたのかありがとう
病後とは言え小橋と対戦してるのはワクワクするな
なんか強いまま急にいなくなったから病後の鶴田は受け入れられなかったけど最近はちょくちょく見れるようになった >>148
アジアタッグならば、秋山&大森vsカンナムとか、秋山&大森vsハヤブサ&新崎とか、見たかったかな。
前者は、カンナムがアジア返上して世界にって話で実現不可能だったし、後者は時代が違うから実現しないんだけどさ >>78
高山が小橋からピンを取って、三冠挑戦をアピールしてたよな。公式戦がなかった会場のどこかで。 >>149
サイキョ(笑)ってさ、間違ってサイテョと読んだじゃねーか? >>152
それチャンカン優勝戦の3日前
大森・◯高山vs●小橋・志賀
三冠チャンピオンでチャンカンも制覇した小橋に対して
ベストタイミングでの挑戦だったな >>12
小川に対してはそんなキツイ攻めがなかったからね >>151
95年の最強タッグ公式戦でカンナムを破ってギリギリのケジメを付けたんだよな
意外にもアジアタッグ王者としてはそれが唯一の最強タッグで >>130
馬場全日本でのドリーのラストマッチでもあったか >>1
毎試合タイトルマッチかってぐらい目一杯試合してましたね >>019
ギブアップではなく3カウント。
あれは若手(あすなろ戦士勢)に大技を出さない試合を小橋と渕で示したかったらしいよ。 不甲斐ない志賀に秋山が制裁加えて
ヘッドロックで試合決めたこともあったな
あれはノアだったっけか? >>35
それ武藤の年収、三沢は武藤の三分の一で年収2000万超えたことないよ。 >>43
川田がエルサムライの2000万と聞いて俺より遥かに貰っているだもんw
三沢も似たようなもん。 165
新日本のが海外に道場とか作ってるで
あとはメキシコとのパイプ作り
全日本系は相手が頭を下げにこなきゃ相手しないからね どっちにしろ持ち上げるんがいなくなりゃそりゃ終わりやわな >>163
2000年の3月のワンナイト興行だな。
始めは川田、田上、大森、高山vs三沢、小川、小橋、秋山と発表されていたのに。
秋山vs志賀なんてやったもんだからその8人タッグも無くなった。 分裂前の最後の試合が小橋・志賀vs秋山・モスマンだったか 昔の全日本てGWに興行打たなかったのはなぜだろうね?
シリーズでなくても後楽園2連戦、3連戦くらいやれば儲かっただろうに。
大したカード組まなくても毎回超満員2100人発表だったのに。 >>170
遠征中の宿泊代が高くつくからかも?
御大ケチだったしw >>165
川田ってベンツ三台持ってたんじゃなかったっけ?
妻子持ちで世田谷に家あって年収1000万くらいじゃとても維持無理くない? >>171
本人自身がハワイに行く時期だったりして 興行面だけは新日本みたいに攻撃的でされば…
客が入らなければ意味ないか 全日本は余り攻撃的でないが相手に隙があれば容赦なく付け込む印象 >>175
そうかね?馬場全日本は良くも悪くも他団体、新日に対抗意識が無かったような。
後楽園のカードなんて現代では考えられないくらい酷い日も珍しくなかった。 新日本に内紛が起これば一方と組んだりする事が多い
ジャパンが典型だが不満の外人を引き込んだりもその一つ >>174
全日が新日並みの日程組んだらパンクするだろ。 三沢と川田の最初の三観戦が決まった時、
三沢が「おれと川田がやるってそんなに凄いこと?」って言ってて
当時は三沢の謙遜かなあと思ってたけど、「おれと川田ごときを同列に見るな」ってことだよね? 二十周年記念の超世代軍対決の時か
まさに「川田のくせに生意気な!」って
最初の東京ドームについても小橋と一緒にあれこれ言ってて逆にあの試合の意義をアップさせてたのも皮肉だが 時がたって三沢ごときが川田と同列に語られるのもおこがましいって事になっちゃったが >>179
>当時は三沢の謙遜かなあと思ってたけど、「おれと川田ごときを同列に見るな」ってことだよね?
全然意味が分からないんだがどういうこと? >>183
三沢はもう最前線でやりたくなかったけど丸藤がチャンピオンじゃ興行が売れないから泣く泣く丸藤からベルト剥がして自分が矢面に立つ事になった
当初の予定では小橋、秋山、大森、高山、力皇、森嶋、志賀でヘビー級組めるはずだったのにね >>184
「三沢と川田では差があるから騒ぐようなカードではない」三沢がそう言いたかった、と>>179の人は推測しているのではないかと。
俺は>>179の人とは違う解釈。三沢が周りに「過剰に期待しないでくれよ」という意味で言ってのではないかと。 なるほどねぇ
普通に「俺たち2人で武道館メインでやるのは違和感ないくらい俺達は力つけてきてるでしょ?」
みたいなニュアンスかと思ったが
謙遜というのもピンと来ない あの時の三沢川田の温度差よ 巡業中きら川田が控え室も移動も別行動してノーコメント貫いてたのを三沢は「意味わかんねぇ」ってキレてたんだよな
わざとらしい事して気を引くかまってちゃんの川田が気に食わなかったらしい
不器用キャラにも「普通に器用じゃねぇか」って 188
かまってって考えたら人間関係終わりやがな(°▽°) 三沢にしてみりゃ「前の日まで普通に組んで一緒にいても当日になれば熱い試合できるだろ プロなんだし」
「小橋とはそれができるけど、川田はできない」そんな感じだった あれは巡業では別行動を出来るだけ取ろうとした天龍流もあるだろうな
まあとにかく一番の重要な部分は三沢のリーダーシップを認めながらも部分的には川田を牽制的に使っている馬場の思惑
その最たるが当然今日の日に行われた初ドームなんだろうが 結局初ドームも予定調和というのが全日らしいな。
新日の猪木がボロ負け、マサが飛びつき十字でタップ
長州が橋本にクイックで負け、藤波もボロボロ
あれで危機感演出して次へのストーリー作ったのと比較すると会社の規模と言うか体力の差があったんだな
と今なら十分分かるけど当時は気がつかなかったな。 マサが飛びつきなんかやったのww そこまで覚えていない >>193
マサがロシアの飛びつき十字で一瞬でタップだよ。
新日の東京ドームのリザルト見たら分かるけど勝ったのってライガーぐらいだよ。 馬場のことを高田がボロクソにこき下ろしてたけど、そんな高田について四天王が語ることってあったかな? >>192
後に三沢や小橋があれこれ腐したおかげでむしろあの試合の歴史的な意義が上がったのが皮肉
とにかくマイクアピールでは一番上手い川田が最後を締めたのも良かった >>195
2004かぁ
まだまだ表情の筋肉とかがしっかりしてるな
最晩年はやつれて目にはクマあるしそこまでしてリングに上がらなきゃいけないのか
みたいな顔つきになってたもんなぁ 2005年の川田戦のときにはリングに上がっていい状態じゃなかったな 晩年は飛べない走れない投げれないで
とてもじゃないが見ちゃいられなかったな >>195
41歳で既に頭髪がジョイマン高木っぽい >>200
怪我で練習できないのと
経営難のストレスでやけ酒で体重大増量した上に
最もネームバリューがあったがために
リングに上がり続けなきゃいけなかった
晩年はもうやつれにやつれ切っててかわいそうになったよ 本来ならば馬場やドリーみたいに前座でエルボーやフェースロックだけで沸かせる位置に下がらなければならなかったんだよな >>204
天狗のお面してカンチャーして楽しんでたけど、
ストレスとかあったの?
経営難もまったく客入れる努力してなかったし、
単に本人が堕落しただけじゃないの?
プロレス団体の経営難っていくでもあったけど、
他の人は、あそこまでひどい醜態さらしてはいなかったけど 地方巡業だと本当に天狗のお面装着して橋のバック取ってカンチョー
するシーンを目の当たりにしてビックリしたけど第四試合くらいで楽しそうに
やってた印象だな、そんでそのまま休憩になって売店で缶チューハイらしきものを
摂取しつつサイン、タオル買ったら社長の名刺をくれた だからプロレスゲームだよプロレスゲーム(°▽°)
全日本で流行ったんが断崖絶壁ダイブ
受け身の団体だから最後の決め技の大技は断崖絶壁ダイブで決まり
これが約束 途中で水平チョップで試合が決まりそおになっても逆に相手が引き起こすニダ(°▽°)
とにかく最後は断崖絶壁以外での決まり以外は許さんニダ(°▽°)
みたいなん 固め技っても本気で抑えこんでいないからな
相手を逆さ吊りにして脳天を場外やらマットやらに打ち付ける
死んだか死なないかくらいの衝撃を見てる人間らに植え付けて試合が決まればパーフェクト💯 >>204
首の痛みで寝れないから鎮痛剤代わりに深酒してゲームボーイやりながら寝落ちしてたんだよな 全日に長州一派が来なくて川田が無事タイガーマスク弟として三沢とタイガーブラザーズ組んでたら、その後の歴史は一体どうなってたのかな? ディディディディ〜ン!みたいなん
多分いまも二人してマスクマンみたいなんしてたろどおせ 和製マスクマンのタイガーが出てきてマスカラスが日本にこなくなったろ
お払い箱になったんだ(°▽°)
日本人で同じことやっても人気取れるってバレたから >>202
ノア旗揚げ二年目辺りから錐揉み式のフライングラリアット肩痛めて使えなくなってたもんね
本人曰く、調子のバロメーターとなる技だったらしいけど 最後の戴冠の時はファン批判とすらいえるマイクをやってたりもしていたな >>213
川田の方が動けてただろうから三沢はマスク脱いで川田はタイガーのままだっただろうな >>194
ワッハ・エブロエフの飛びつき逆十字。レッドブルの。
熱戦譜みるとほとんどその技で総ナメしてる。 2008年だったかな?プロレス観戦から離れたけど
小橋の地元福知山でノアを観戦した時三沢大丈夫
かと思った。身体はブヨブヨで張りもなく顔つき
は50代かと思った。メインの6人タッグは出番は
殆どなし。まぁ小橋が完全に主役だったから客は
三沢のことは気にしてなかったし入場はgrand sword
だった。 ウェイトがキツくてもランニングや走り込みくらいは出来なかったもんかね 三沢のやったことはノアオタ以外のプロレスファンを敵に廻しだけだな。 走ったら首に響く
そもそも古傷の膝や下半身が悪化していて走れないという状態だったのかな?
武藤みたいにプールトレーニングをやることも無理だったのか
そもそも三沢本人にそこまで「どうにかしなきゃ」という意思もその頃には無かったか 金策で練習どころじゃなかったんだろ タニマチ回りとか しんどいなりにも体作って試合する方がよっぽど金策になる気も
あんなデブった社長がタッグリーグ優勝したりする会社には投資しようとも思わないだろうに 全日派の連中が晩年の猪木を批判するけどプロディとやった時の猪木の年齢って三沢と大差ないんだよ。
糖尿で痩せてはいたけどあんな腹の出た体型なんかにならないし、地方のタニマチから飲み食い誘われる数から言ったら圧倒的に新日の方が多い。
三沢が資金繰て苦しんだとか言うけど小田原チャンポンで稲川会の893のところにたかっていたのはバレてるのにw
ノアのホームページにも小田原QOOって堂々と乗っていたのにw 同時期に同年代で同じ社長レスラーだった武藤の体つき見たらもっと何とかならなかったの?と思いはしたな。 >>230
一応、オッサンのほうは「うちの嫁には気をつけろ 深入りするな」って忠告してくれてたんだよな
ノア旗揚げの時にすでにセミリタイア宣言してるぐらい体ボロボロだったのに後継者の育成がうまくいかなかったからな
あとはやっぱり日テレの放映権料と世の中への発信力がなくなったのはデカ過ぎた 馬場夫妻に束縛されていたというがある意味では庇護もされていたんだよな
それを失った後は世間的に初心な連中になってしまったともいえる 234
馬場は三沢や川田らにはマスカラスみたいなタイガーブラザースで売り出すつもりだったらしいからの
あまり長州らとも絡まなかっただよ やらせようとしてたんまんまタイガーマスクブラザース
日本〜アメリカ〜メキシコあたりを行き来しての編隊飛行 タイガーブラザーズは原作者も許可出してて川田はブーツぐらいは作ってたらしいね
長州参戦でぶん投げられちゃったけど >>233
三沢はノアの旗上げ以前のタイガーの時から両膝の手術して同時代では武藤よりも酷い状態だったんだけど
両膝ボロボロで飛べないから工夫したのが膝が伸びきったエルボーなんですけどね 三沢の小田原入り浸りの件はホントに失望したわ
ブヨブヨの体でリングで醜態を晒してたのよりよっぽどショックだったわ
そりゃねーよ三沢って 泉田はかわいそうとは思えんなあ
自己プロデュースできないレスラーの末路
自分の意思無くホイホイみんなについていった成れの果て 泉田って詐欺られたんだろ
もう少し面倒見てやっても良かったんじゃねえの 宝島の新刊で泉田の面倒臭さが暴露されてたな
三沢の「普通にしとけよ」の意味が分かったって 泉田は「ガチでやったら俺は小橋さんに勝てる」とか調子に乗っていらんことまで言ってたのが余計だった
そして泉田がフリー選手として各団体が見て興行に呼ぶだけの魅力があるかどうかを考えると…
個人的には泉田かわいそうだとは思うが >>245
まぁ実際にはイズが強いかもな。コミック路線に悩んで鶴田に相談してたりしたし。 プロレスにおける強さって
ガチの強さじゃないのにな 全部台本でガチガチで台本を作るまでがガチなのにね。
頭の悪い全日オタだと長州をへばらせただの。小川をコントロールしただのw
令和になってもプロレスの仕組みも理解できていない >>245
というかガチでやったら殆どのレスラーが小橋に勝てるだろ、膝を集中攻撃するだけで試合終了 >>248
分かってないのはお前
数秒ごとにリアルとフェイクが入れ替わり入り混じるのがプロレス
>>245
そういう発言するレスラー嫌いじゃない
プロレスラーになるような人間が強さへのこだわり捨てられるわけない 小橋は至近距離で放つラリアットはいいと思った。
ただ助走を付けて放つラリアットを見ると足がもつれそうな感じがした。 251
そかそかならおまえがリアルを感じられるよ〜に殴りまくって手伝ってやろか? 俺って親切すぎる人間だからよ〜(°▽°)
手伝ってやるよ >>253
未だにプロレスの仕組みも理解できない還暦過ぎの爺さんだろ
ここまでプロレスの仕組みが公開されてるのにガチってw >>248
小川って、小川直也か。
全日の小川っていうと小川良成が浮かんでしまったorz >>255
猪木が相手の体勢をリアルに崩す場面なんか何度もあったが気付かないほど抜け作なのかな >>253
FUCK YOU
オマエのヤワな拳が折れるよ >>258
253,254は最近いろんなとこ荒らしてるき〇〇いだからかまわんほうがいいよ >>258
こいつほんまもんのアレな人だから気にするな とんねるずと工藤静香がよく観に来てて週プロにも取り上げられてたよな
工藤静香が「小橋はいつも顔作りすぎ」って 97年チャンカン武道館で萩原聖人、和久井映見がリングサイド観戦していた。
萩原は川田のファンのようで、川田優勝の瞬間ガッツポーズとって喜んでいた。 >>264
萩原プオタに麻雀狂い底辺だな 自分も同レベル >>230
アゴ信者w
金と女と政治で散々周りに迷惑掛けたよな
あいつがヤクザと関わってたのも知らないのかw >>230
このスレで猪木の話なんかすんな、俺は興味ないから。もともと俺は猪木の批判なんかしていない。 >>267
別にアゴなんかどうでもいいのにw
三沢が体調悪い中頑張っていたって書くから同じ年の頃の他団体の社長レスラーの例出しただけじゃん。
小田原QOOで893相手に喜んで飲食業開始なんて抜かしていた事実は困るのかね? それも3日以上も前のレスに必死に書いてw
アゴ上げとか信じてレスしてる痛いノアオタが未だにいるんだな。 叩くってなんだ?
事実を書くと叩くになるのか?
珍日って言ってる時点でアレじゃん。 死天王と違って珍日は敬称じゃないのか?
阪珍タイガースのように限りなく弱いが子供・女からの人気だけは絶大 また、猪木の最強とかに洗脳された全日ノアオタが来たよw
プロレスって演劇だって理解できてる?
強い弱いってw
褌担ぎ、幕下のトンガが最強とか言ってる世界で強い弱いってw >>262
工藤静香やぱっり芸能人だけあって、見抜いてるなw 猪木がリアルに格闘技術駆使して体勢崩したこともあれば
組技出身レスラーに嫌がらせのようにリアルに投げられ抑え込まれたこともあるのに
そういうせめぎあいを見逃すヌケサク>>230 >>248猪木信者のくせに もうこのスレで猪木の話はやめろよ。無視に限る。相手にするな。 シーズンオフになるとジャイアントシリーズの武道館とか現役時代の原が
子分引き連れてリングサイドで観戦してた、超世代の頃だったかな バカは敵を作るんが得意やなあ
それまさか人気とか思てるん? 腐った顔の工藤がどした?って話よな
こいつらが代表ヅラみたいなんして発言してる時点でアウト >>279
ラッシャーにマイクでいじられたりしてたな 武蔵丸や志村けんもいた ナイナイの岡村隆史はブーイング浴びてたがプロレスに敬意もってるみたい 282
ほれほれ逆逆
プロレス板でほざくこっちゃないだろ 敬意もたないん示したんか?
ならそいつが敵を作った
そんだけの話(°▽°) >>282
岡村はプロレスに敬意なんか持っていなくて仕事で来ただけだと思う。メインの三沢vsベイダーで若林に話をふられても「(三沢に)リベンジしてほしいです」を繰り返すだけだった。 >>283
だからお前はアンカ覚えるまで書き込むなよ 鬱陶しい >>285
そのあとオールナイトニッポンで大仁田がたばこくわえて入場したの興奮して語ったりトランプ当選した週もWWEがらみで特定のシンパがいたんちゃうかとか詳しくはないが好きそうなリアクションだったが 田上って器用だよなダイナミックボムとかジャーマンも相撲出身なのに綺麗
小橋のスープレックスってアマレスの下地がないからなのか見てるとヒヤヒヤしたもんだ
やっぱり三沢、川田、秋山はスープレックスはキレイに投げてたな ライガーボムの崩れっぷりと比べたらダイナミックボムは綺麗だな ギロチンホイップも綺麗
小橋はヨタヨタしてたから尚更思ったわ 小橋も綺麗だったよ、94年くらいまでは。
あすなろ杯での川田へのジャーマンも高角度だったし、
三沢とのWジャーマンとかいかにも超世代軍らしかった。 田上がウィリアムスを小手投げで転がして
呆然とさせたという試合を見たいんだよ 持ち上げようがない田上に高い評価をしている全日オタク >>294
鶴田と田上は鍛えなくても強いのがわかるな 田上は相撲時代の貯筋
天龍は鶴田はバスケやテニスとかレジャーの話ばかりしてと不満だったが
飲み歩いてる天龍と違って趣味と実益兼ね縦横無尽に動けるトレーニングになってたんでしょ
180センチ以下がいくら横幅と厚み付けても2メートル近くには敵わないものある >>294
高山も一番チカラ強いのは田上のオッサンだよ、って言ってたね 田上は力士だったから押す力はもちろん、引きつける力が強かったと思う。
それで長身なのだから強くないはずがない。 田上はあのでかさの割には良いドロップキック打つね。 田上がかい?
それ相撲だからか?
相撲自体が要望なくなっていただよ
90年くらいからの プロレスにおいて相撲取りレスラーらの入ってほしい!って要望がなくなってたの
90年代はどちらかっちゃ柔道出身やらアメフトから流れたよなんが暴れ周っただ
空手思考のやつらは格闘技だの流れたがそんなん自分らのカテゴリでやっとりゃよいだよ 新日はどちらかっちゃ90年代はそおよな
そいからUWFを見ていたやつらはみな全日本観戦に切り替えた 90年代の新日は柔道出身のやつらがメイン張ったよなスタイル
全日本ははっきりアメフトスタイル タックルでブチかまし
とにかく隙があれば打撃につぐ打撃
相手を吹っ飛ばすスタイルが信条 格闘技出身者あまり使えない(°▽°)
ラガーマン連れてこいラガーマン(°▽°)
はるかにプロレスで使える >>302
四天王じゃないけど田上の比較対象だった高木の方がドロップキックもジャーマンも
すごく上手だった、相撲取りにしては有り得ないブリッジの反り具合だったと記憶してる
残ってりゃ田上の代わりに四天王だったのかも、とたまに思うよ 高木は運動神経抜群だったな
動けるデブの典型
泉田のような固太りではなく
柔らかいデブだから反り投げが映えたし
歳食ってからもあの体でフロッグスプラッシュやってたしな
太ったあとの佐山を一枚落としたような感じ
不細工でなければ… 田上はデビュー間もない頃
トップロープから素晴らしい横っ飛びのミサイルキック出したことがあって
あの動きのままシッカリ練習積んでたら大化けしたんだろうなと 馬場さんは鶴田の次のエースは田上にしたかったんだよな
その次の世代は高山
ただ超世代軍が馬場さんがコントロールできないぐらいファンに押し上げられたから
馬場帝国をファンの民意が変えた 高木→失笑、ブー連呼
田上→聞くに堪えぬ野次罵詈雑言
88年ごろの後楽園のファンの反応 高木、後の嵐か
ゼロワンで橋本と三冠戦翌日のスポーツ誌の記事を思い出す。
フロッグスプラッシュではなくてケロッグスプラッシュと技名が間違えられていたっけ。 >>310>>311
高木の空中で90度回転するフロッグスプラッシュ。
>>312
田上の斜め飛びのミサイルキック
それぞれ見事だ。 314
88年ころの全日、完全にレスラーら潰すプロレスやってたからの 鶴田の天龍暗殺疑惑試合あったべ〜
かなり顔面蹴るだの平気でやるしレスラーらの技術淘汰ひどかっただ(°▽°)
新日みたいなぬるま湯じゃなかったからなあんころ 田上はデビューしたての黒パンだったころは必殺技がブロックバスターだったような
抱え上げる前に腹にニーもらって不発か万一決めても3カウント入った記憶がない
雅央も最初はブロックバスターホールドが決め技だったけど柔らかいのか田上より全然奇麗だった >>319
混同しやすいけど田上が使うのはバックフリップ。 >>314
>高木→失笑、ブー連呼
>田上→聞くに堪えぬ野次罵詈雑言
>88年ごろの後楽園のファンの反応
シャー 客のレスラー弄りが酷かったな
客の推し以外は見世物みたいな見られ方してた
そりゃ腐る奴も出る 安田は本来は全日本入門する予定だったらしいね
Youtubeの1回目の動画で言ってたけど >>321
冬木→んああぁ〜、ゴーゴーサムソン、ため息 >>320
混同してたわ、ありがとう
バックフリップはただ後ろに倒れるだけの方か
ブリッジ効かせてそのままフォールする方は田上には無理っぽいね、あとイメージとして
小兵が使う技だわ女子プロとか 週刊プロレス、週刊ゴングですらバックフリップをブロックバスターって書いてたからな 中継でも若林アナはずっとブロックバスターって言ってたな。
福沢アナは途中からバックフリップに変わってた。 ブリッジせずともそのまま背中で押さえ込んだらホールドには違いないよ ブロックバスターは顔の前で抱える。
フィリップは後頭部に担ぐ。 >>329
言われてみればそれくらい大きな違いがあるのか、ありがとうございます >>329
バックフリップの典型は浜口
最初はエアプレーンだけだったが途中からバックフリップを加えて最後はバックフリップだけに ブッチャーのバックフィリップは
なぜか山嵐と呼ばれて恐れられていたな。 >>333
ブッチャーはたま〜にやるバックドロップみたいのも山嵐式バックドロップ
と実況が言ってた ブッチャーは技らしい技がないしハクを付けたかったんだろう 毒針エルボーってのはすごくいいネーミングだったと思う、あと地獄のアイドル >>338
もしかしてブッチャーの毒針エルボーって、ハンセンのウエスタンラリアットくらい説得力のあるフィニッシュホールドだった? >>339
キックアウトした奴を見たこと無いけど…。
誰か見た人いる? >>339>>340
ハンセンのラリアットくらった鶴田と、ブッチャーのエルドロくらったシンが足を伸ばしてロープブレイクって見たことある。
あと鶴田がハンセンの一発目のラリアットをキックアウトしたのは見たことある。
両方とも基本的にキックアウトしてはいけない技なんだろうね。 >>342
自演じゃなくて付け足ししているだけだろ。 >>340
高田が東京プロレス時代のブッチャーのをカウントワンで即返しした記憶が
高田は野暮と感じたが今思えば対戦OKした高田が大人だったのかも リーガルが橋本の直下型DDTをあっさりフォール返しちゃったことあったね ケアのハワイアンスマッシャーは決め技になったのに、初公開の98・1・2ホールではリッキー・サンタナがあっさりキックアウトw
あとロブバンダムの全日初登場のホールで川田のストレッチプラムでなかなかギブアップせず川田が技を解除したのはバンダムが段取りを忘れたのかと思った。
川田は試合後「ハンセンが気になってストレッチプラムに力が入らなかった」と言っていたが…。 タイガードライバー91を返すやつが現れた辺りから、四天王プロレス→ >>347
俺もヴァンダム日本初試合現地で見たけどあれはヴァンダムが日本の細かい事情
をよく知らなかったんじゃないかと思う
来日初戦からいきなりメインだったからそういう待遇だと思ったんじゃないかね
たまたまメインだっただけで結局はジュニア賑やかし要員でしかなかったという >>354
確かその頃のヴァンダムってドラゲーの望月達(というか当時のM2K)と絡んだんだよな
見たかった >>356
それは2001年2月くらいかな?
バンダムの初来日は93年2月ね。川田&小橋vsハンセン&バンダム。
熊谷でドリーファンクとシングルマッチ観たよ。 仙台大会の第二試合でさりげなく行われた、サブゥvsバンダム
97年のスーパーパワーシリーズだったかな? >>359
三沢&小橋&志賀組の日だっけ?
俺はそのシリーズの後楽園のサブゥーvsバンダムを観たよ。面白かった。 渕が言ってたがサブゥーに「椅子使うな机使うな場外やるな」はちょっとかわいそう
なら呼ぶなよと思うわ >>361
ハンセン『勝つためにはイスを使うこともある!!』 ハンセンは川田と小橋には遠慮なかったな、二人とも血ダルマにされて
病院送りにされてる、反面対三沢では「壊しちゃいけない」という感じの
ブレーキがかかっててた様に思える 三沢は特別扱いだし壊したら興業に影響が出るからかね
ハンセンにイスでボコボコにされてた頃の二人は
まだ2番手未満だったからある程度無茶していいって言われてたんでしょ ハンセンの対三沢は遠慮ではなくスタイル的に手が合わないのだと思っていた。
川田、小橋は正面からガンガン行くからハンセンも応えたのかなと。
三沢vsハンセンてあまり印象ない。川田vsハンセンは92年6月、93年2月。小橋vsハンセンは91年4月、93年7月とか印象強いのが三沢よりは多い。 確かに言われてみればハンセン対三沢は武道館のメインで2度ほど見たけど
どっちもこれで終わり?みたいな感じのあっさりした味付けだった ハンセンは天龍にはガンガン行ってたし三沢とは合わなかったんだろう ハンセンは三沢が絶対的エースになる過程で踏み台にされた感じ
エルボーの説得力の更なる上乗せに協力したし
小橋と川田は三沢に挑むための箔をつけるために壁になった感じ >>370エルボーの説得力
言われてみると…三沢三冠初戴冠の時がそうだね。
翌年のチャンピオンカーニバル中に三沢がハンセンに連敗してその武道館の借りを返したと思ったら、次のシリーズでは札幌でハンセンが三沢に回転エルボーでダウン。
持ちつ持たれつの関係だったんだな。 >>371
鶴田だけじゃなくてゴディの分もだな
鶴田もゴディも(特にゴディ)あのまま一線でしばらくやれてたらハンセンの負担なんかもっと楽になってた
48歳までチャンピオンカーニバルに出てたハンセンのタフさは相当
もっと言えば馬場やファンからとか色々と不評なウイリアムスだけど
ハンセンからすればかなり助けられた存在じゃないかな 川田は試合しなくなって長いし
田上は大病患ったからな
小橋は無理の無い程度(一般人からしたら無理)にトレーニング続けてるんだろうな 小橋はトレーニングしないと死んでしまうからしょうがない ゴディとデビアスの離脱。
鶴田の離脱。
ブーバーが定着できず。
パトリオットの移籍。
オブライトの急逝。
これらが半分くらい無ければ
四天王プロレス→死天王プロレスは防げたかもね。 その頃のオブライトってもうダメダメだっただろう
ウルフと組んで最強タッグに出た時にゴングか週プロで
「もっとテーマを持って試合に取り組めオブライト!!!」と書かれてて笑った記憶あるわ 天龍が出ていかなかった場合
四天王プロレス自体が生まれなかった可能性が非常に大きい
その場合
鶴田、天龍+大型外国人の構図が更に続いて
馬場の寵愛を受けていた田上がそこに食い込み
三沢と小橋がそこに入れるかってところ
川田は下手したら渕、菊地、小川らとジュニア戦線まである
よって天龍の離脱は必須 >>383
ブロディが出続けてたら鶴田・天龍・ハンセン・ブロディで四天王だったんだろうな。 >>380
ジョニー・エースみたいにしょっぱい奴に限って12年もいたんだよなw
鶴田がリタイアしなかったら93年の三沢vs川田開戦も無かったのかなあ。そうなると小橋は超世代軍の3番手のままか? >>380
ブーバーとデビアスは上手いから好きだったなあ。ずっと全日本にいてほしかった。
特にあの巨体で動けるブーバーは貴重。新日でいったらビガロみたいな感じ? パトリオットにそこまで影響力ないな
エースはまあまあ好きだわ俺は ゴディは三沢の対等な外人ライバルとして必要だったと思う。
ハンセンとは世代が違うし、ウィリアムスは川田や田上とだったら対等なライバルと言ってもいいけど、三沢のライバルとしては格が不足してた。
ゴディだったら世代も一緒だし格としても技量的にも三沢と対等のライバル関係が築けたと思う。 >>386
ブーバーのスライディングして一番下のロープすり抜けて場外からパ〜ンチ、の
流れは見ていて最高に気持ちよかった、本当に定着して欲しかったけど馬場的には
上着はおってる時点でダメ評価なんだろうな いやブーバーはWWFで契約切れてWWCに移るまでの腰掛けだぞ
定着もクソもない
常連になったら面白かっただろうけどね
よく言われてる四天王についていけなかったと言うのはガセ リックルードなんかも1,2シリーズいたように思うけどやっぱ腰掛なんかね? ブーバーは95年くらいに新日に参戦していきなり武藤とシングル組まれていてマッチメーカーには既にある程度認められていたのにレギュラー参戦しなかったね。
ブーバーなら全日、新日どちらでも重宝される選手だったと思うけど。
それとは対照的にジョニー・エース。エースは全日には向いていなかった。だからといって新日向きかと言ったらそうでもない。あれは何処へ行っても駄目だ。アピールばかり頑張って肝心の試合内容が酷すぎたw エースは元子の寵愛を一身に受けていたと聞いたけど長くレギュラーの地位を守れたのは
そういうのもあったのかね エースは主に対wwf(現wwe)とのパイプ役だったから
しょっぱい試合でも切られなかった
後にwweの幹部になったのもその業務が優秀だったからだろう
三沢との三冠戦みたいに
いい試合するときもあったけど
内容にムラがありすぎて三沢からの評価も低かった
後世に残る技を開発したり
四天王プロレス用の技も編み出したから
プロレス頭はあったんだろうが
先述のムラと身体のショボさが
ファンから叩かれてしまう原因になっている
本人もプロレスラーとしての能力より
フロントとしての才能があったことを自覚していたのか
三沢達の大量離脱時にスッパリ辞めたし 渕はエースを「下手くそだけどまじめだった、よく俺たちの試合を見て「よかったぜ」
とか言ってたな、三沢は「センス無いからやめた方がいいって言ってやった方がいいですよ」
とか言ってたけど。研究熱心だし新しく来る外人に色々教えたり面倒見たりとかできる
奴だった、あと頭が昔からきれたね、円ドル相場もこまめにチェックしてたよ」と エース経由で全日参戦を売り込む海外選手が多かったって話は当時週プロで見た
それとエースは全日参戦の合間に母国で出場した試合ではタイガードライバー使ったりしてたんだよね
>>402
エースも盟友の小橋には引退コメント寄せたけど、ノアとは距離取ってたね、WWEがでかくなりすぎて他団体と絡めなかったって事情もあるが
なのにエースとのパイプを盛んにアピールしてた愚かな仲田龍w >>403
ベイダーとハンセンはタイツを毎日洗わないから臭いとかブッチャーは高いから呼びたくないとかか 三沢が全日離脱直後にタガが外れたように辞めた団体の選手やフロントの悪口ばかり言いまくったのはげんなりしたな
自伝とか見てると公の場であんまりものを言わないほうがいい人間なのはなんとなく察してたが 一切反論せず良試合連発してた川田との違いが凄いよな それもそれで癪にさわって余計に悪口ばっか言ってたんだろうな。 あの頃は元子と三沢が「バーカ、バーカ!」って罵り合ってた印象だな
週プロの広告1p丸々使って元子が離脱組への糾弾文掲載したり オフでガチ喧嘩して馬場に手打ちしてもらったのって三沢と川田だっけ?
会社の事情関係なく
包み隠さず言いたいことをハッキリ言っていた三沢
実は喋りが上手かったんだけど寡黙キャラ作ってた川田
水と油だった可能性 412
キャラってなんなんキャラって
凄まじい言い分だな(°▽°) おめまさか相手にそんなこと言ってるか?
だいぶ舐め切ってんなこいつ 三沢は親分肌だったから
自分以外の人間から(しかも年下の後輩)痛いところ突かれるのが嫌だったんだろう
しかも一言多いからそりゃ三沢から嫌われてもしゃあないな 川田は高校時代から一言余計で「なんで三沢さんは練習もしないのに強いんですか?」とか平気で言ってくるんで、三沢はよく殴ってたってエピソードあるよな
川田はめっちゃお喋りでバスの中でも打ち上げでもずっと喋ってるから、また三沢に怒られる
一度飲んでる席で川田が下克上して三沢をKOしたり 2014年の三沢追悼番組での川田の発言
(三沢さんはプロレスラーの才能があった、プロレスラーになって良かったと説明する下り)
「器械体操を取り入れた柔らかい動きがあった、でもねあの人球技が下手だったのよw」
「球技が上手い人って運動神経いいって言うでしょ?三沢さんは上手くなかったですねぇwwだからレスラーになって良かった」
(三沢の受身について)
「凄い綺麗に取りますよね」
「それが綺麗すぎて迫力なく見えちゃう時もあるんですよね」
これはシバかれますわ >>422
三沢の受け身ついては川田の言う通り一理ある。
俺は嫌いだった。 >>421
91年?最強タッグのリーグ戦中に川田が試合後の飲み会で三沢をボコって(真犯人はモ橋?)
眼底骨折やらかして三沢は翌日のリーグ戦を欠場した
その次の日に博多で三沢・川田組のダブルヘッダーが組まれたんだが
1試合目:木村・井上組、2試合目:キッド・ジョニースミス組という白星配給係。。
とにかく三沢の紫に潰れた片目がグロかった 川田ガチで殴ってる ウチ、ラーメン屋じゃないんでー、ラーメンだけ頼むのやめてくれます? >>424
川田は、95のチャンピオンカーニバルでも三沢の目に怪我負わせているからね。
チャンピオンカーニバルの決勝で田上が案の定三沢の目を攻めた上敗れていた。 三沢は川田にかなりキツイからな ノア旗揚げに川田が参加しなかった事を聞かれて
「知らねーよ みんなに嫌われてるから誰も誘わなかったんじゃねーの?」とか言っちゃうし
川田も誘われなかったって発言したけど、田上は川田もノアに来るように誘ったって証言してたな
川田は構ってちゃんっぽいところあるし あとは藤原喜明なんてのは職人レスラー
前田は成金レスラー
三沢はカーニバルレスラー
猪木は商魂レスラー
藤波は技術屋
鶴田は芸人レスラー 鶴田は唯一無二の存在、B型肝炎レスラーだろ。
三沢達も辛かっただろうな。 >>422
そういえば川田は野球も相撲もスカウト来るレベルだったらしいな
野球は団体競技が嫌で相撲は尻出すのが嫌だったって
中2で新日本の若手とスパーやって圧倒して内定もらったけど、親と教師の猛反対にあって足利に進学
その選択で足利に進学してから超世代でブレイクするまで、長い茨の道になるんだがw
超世代でブレイクして歴史に残るレスラーになって良かったな >>428
95年・準優勝
96年・優勝→三冠奪取→年間グランドスラム
たしかに、この準優勝が何らかのきっかけになったね。 武道館のメインで田上ウィリアムスのシングルという大冒険
博打大当たりで中々の盛り上がりを見せた
無駄な危険技に頼らず最後のフィニッシュも通常喉輪落とし でも大盛り上がり >>435
川田ってしょっぱい奴とも試合を成立させて「上手い」なんてよく言われていたけど、そんな川田でも新人の時、何連敗もしているんだっけ?信じられないよな。
若い頃の連敗の屈辱が後の川田を生んだって見方もできるけど。
フットルースの時とか、90年にビガロとシングルやった時なんか観ても後にこんな凄いレスラーになるとは想像できなかった。 >>438
新日本入団を蹴って足利入ったら同級生が少なくて使いっ走りをするのが嫌でずっと押入れに隠れてた
三沢が優遇されてるの見て全日選んだら小川が入るまで4年半一番下で200連敗以上 雑用ばかりで着替えはトイレ
タイガーマスク弟としてデビューが決まるが長州一派の全日参戦で流れる
特に意味のない海外遠征でとんでもない貧乏暮らし
プロレスオールスターで天龍のパートナーに大抜擢されるがスポンサーの意見で三沢タイガーと交代させられる
それから時は流れ超世代軍で大ブレイク
名勝負製造マシーンとしてプロレス界に名を残す
めでたし めでたし >>438
デビット・アイズリーを41秒で片付けたり、スマザース相手にテレビ放映できないくらいにボコボコにした試合もあるがな。 >>437
三沢との三冠戦も、川田との三冠戦も危険技を出さずに試合を作っていたからな。川田戦の内容は別として…。三沢戦は、田上の三冠奪取っていう結果があるからインパクトは強い
頭から落とす四天王プロレスの全盛期でも、三沢vs田上に関しては、ほとんど脳天から落とす技は出てないんだよな。
奈落式はあるけど >>402
エースなんて週プロの各記者から酷評されていた。一時的に良くなるが結局、時間が経つと元に戻る。
アピールばっかり、コスチュームを変えることばかり。三冠挑戦がたった一度。それが全てだよ。
だから評論家に「猿回しみたいなプロレス」なんて言われるんだよ。
ドームのvsハンセン&ベイダーなんて何もできなかったじゃねえか。 442
エースは将来の外国人レスラー渉外担当部署役員候補レスラーなんですが
全日が残っていれば将来的には全日本プロレスの役員になった WWEに送り出したんも顔を売らせる目的もあったみたいだが
要するに他の外国人レスラーら相手への人脈作りが期待された
そんなレスラー >>440
週プロ曰く「豊橋の怪」だっけ?観たかったのに放送されなかったからたぶん日テレ側の「自粛」だとは気づいたけど。
あと92最強タッグの後楽園でケンドールをボコボコにしたね。しょっぱい外国人には厳しい。 >>445
ケンドール・ウィンダムは、血筋だけでプロレスをやっていたようなヤツだからな。
兄のバリー・ウィンダムは鶴田の三冠挑戦もしているのに…、どうしてこんなに差がついたんだ? 誰だっけ?スペースローリングエルボー使ってた外人が下手過ぎるってんで川田がスペースローリングエルボー出した相手 >>429
これに関しては色々な説が飛び交ってるよな
川田の自伝だと三沢から直接電話で「コレコレこういう事になったから—」と伝えられて
川田が「全日本の名前が無くなるのは寂しいですね・・・」と言って話終わったらしいよね
新団体に来い、とは三沢は言わなかっただろうけど
来るなら別に拒まなかったと思うけどね
当時の情報だと田上も川田に自分は新団体に行く、と電話はしたけど誘っては無かった気がする そこで川田が全日残ったのはプロレス界全体にとって大きな分かれ道だったかもな。 >>424
このシリーズでキッドの引退試合が行われたんだよな。
そして、その試合のせいでプロレスニュースでネタ外国人にされた、サニー・ビーチ 三沢体制の元だと三沢や小橋の下の方に追いやられそうな嫌な雰囲気だったのでむしろ残ってくれてよかったと思ってる >>452
三沢、小橋ならともかく更にキャリアが下の秋山相手に川田の扱いは難しいかな。
ただ、川田はあすなろ戦士と言われた中で秋山だけは認めていたから秋山の格上げには協力したような気もする。 >>453
96年に世界タッグでいきなり秋山に寝てるからね川田は
それ以降もちょくちょくフォール取られてるし(シングル以外だけど)
分裂以前から秋山の格上げに十分協力してるよね いきなりでもなんでもないだろ
実績積み重ねて肉薄してからの待望の四天王越えでの戴冠だろ >>455
俺個人としては「いきなり」に同意かな。96チャンカーではパトリオットに勝ったくらいで、大阪で川田に1分台で負けた年ではなかったかな?その次のシリーズだから番狂わせだった。
1月の川崎で田上に勝った時も6人タッグだったしね。
当時の全日は初挑戦初戴冠て滅多に無かった。翌年のケア世界ジュニア初挑戦初戴冠くらいしか思い出さないくらいレア。 世界タッグ初出場初戴冠でベルト巻かなかった覚えがあるな
馬場も底上げしたかったんだろうけど >>453
大森『オレも川田からピンを取ってるぞ。』 >>456
3月だったかに武道館で川田、田上対小橋、秋山ってカードがあったと思うんだけど
アレ見た限りだとまだ力量の差は感じたよね
確か最後はダイナミック琉球ボムで秋山が負けた気がする
チャンカーも結果は微妙だったし、
その後の札幌2連戦でいきなり世界タッグ戴冠
だからね
三沢は翌日、三冠戦で田上に負けて5冠王として一日天下で終わったはず >>459
オブライト初の三冠戦の日ね。観に行ったよ。 オブライトは、川田には何回か勝ったが、三沢、田上、小橋には勝ってないよな。
その前のブーバーなんて、田上にも、小橋にも勝たせてもらえず、四天王格上げの踏み台にされただけだった。
ドムみたいな体型だったから、まさに踏み台にされたのか? >>461
98チャンカーの福井でオブライトが小橋に勝った気がする。 >>461
ブーバーは松本の小橋戦は内容が良かった。継続参戦していれば良い位置まで行ったと思う。
あのサイズであれだけ動けて良い素材なのにもったいなかったね。
エースみたいなしょっぱいのに限って12年も居座って砂かけるような辞め方しやがってw瀕死の全日を見捨てて急遽引退w >>463
ただあの状況でエースに居残られても困っただろ?ギャラ高い分いい試合するわけじゃ
ないし客呼ぶわけでないし
頭数にはなったかもしれないけど対新日とかでどう使えばいいんだって存在 中堅外国人の話題になると、必ずエース↘の発言をする人がいるんだけど
93年の夏くらいから、全日の外国人がかなり離脱しているんだよ。
93年の夏、ゴディ休場
93年の冬、デビアス離脱
93年の冬、ブーバー契約切れ
94年新春、ゴディ来日できず→ウィリアムスのパートナーにエース(暫定)
94年の春、パトリオット移籍。
95年の春、ウィリアムス来日できず。
そりゃ、エースを使うしかなかったんだろうな。
94年の新春は、ウィリアムス&エースは、ハンセン&ノードに負けているから、全日サイドもエースを重宝する予定はなかったんだろうが。
でも、一番かわいそうなのは、実力もないのに、格上げされたエース自身だよ。
本来ならば、当時のジョニー・スミスくらいの位置でのびのびやらせてあげられればよかったのに >>465
使える外国人は定期的に離脱するのにエースみたいなのに限ってぴんぴんしてんだよなw
スティール(ラクロス)は素材が良かったからもっと上手く使えば良かったのに。 >>466
スティール→ラクロス→ウルフ→スティール
6〜7年くらいでこんなにキャラ変しているからな…、全日サイドが、どのようにしたかったのかすら不明。 >>465
でも格上げされて本人も満更でもなかったんじゃないかな
ハンセンとかウィリアムスがファーストクラスで行き来してんの見て
「自分も同じ待遇にしてくれ」とか言ってあっさり却下されたりしてるし
エース自身は家賃の高い無理目な番付に格上げされてるとは思ってなかったかも ラクロスは塩だぞ
ウルフ化して感情移入できるようになって
更にタイプが真逆のスミスと組んでバランス取れて
本人のモチベーションも上がったんだろう
その辺から良くなった パトリオット
イーグル
ファルコン
ラクロス
トルネード
全日の仮面外国人レスラー
塩分濃い目の方々ですな。
個人的には、中堅外国人はクロファットやジョニー・スミスのようなタイプが好きだから、よけいに塩分濃い目に見える。 >>461
タッグマッチでならオブライトは
三沢にも世界タッグで一度だけフルネルソンスープレックスで勝ったよね
田上は一度も取られてないかと
オブライト相手には強いw
ベイダーにはシングル全敗だけど エースは外人の復権を掲げてムーブメントを結成したのにベイダーに全部持って行かれたのが痛かったね
しかもベイダーのスタイルをオールジャパンのレスリングじゃない、ただのバイオレンスなストリートファイト、オレたちはオールジャパンのファミリーなんだとまで言って批判していたのにベイダーが三沢から三冠を取り返した時はすっかりベイダーの腰巾着になってたし エースは「ムーブメント」を立ち上げてからのインタビューを週プロで読んだが勘違いぶりが酷かった。 ハンセン&ベイダー、ウィリアムス&オブライト、ベイダー&ウィリアムスみたいなスーパーヘビー級タッグがもっと活躍してくれれば良かったのにね。 オブライトは全日来たときはピークすぎてたでしょ
糖尿やっちゃったみたいだし 田上対オブライトはCC公式戦を後楽園で見たけどUインターのオブライトとは
別人に見えるくらいオーラと殺気と覇気がなくなっていた
試合も15分クライアントで田上が勝ったはずだけど全く思い出せない Uインターの頃は巨漢だと思ってたオブライトが全日来たら「あれ?意外とちっちゃくね」が最初の感想だったなw
川田の適当な腕ひしぎでタップしたり気の毒だったな インスリン注射が欠かせなかったらしいから相当重度だったんだろう
もし生きてたとしたらサンボ浅子コースだったかもな 糖尿は怖いよ
サンダー杉山が右手首と両足の切断
キング・イアウケアも足切断 オブライトは全日来てすぐ馬場に「アマレスシューズじゃなくレスリングシューズ履け」
と言われて二つ返事で従っちゃったと聞いたけど素直すぎ
もうちょっと我を通すわがままさというか信念の強さみたいなのが欲しかった
言われるがままに会社の注文受け入れて挙句がエースと同格くらいの番付になってしまった
のは返す返すももったいなかった オブライトは当時体調最悪だったけど
それでも全日に拾ってもらって恩を感じていたらしいよ
馬場が解説で「本当にパワーのあるやつはオブライトのような樽のような身体をしてる」って誉めてたよ
後で体幹が強いって意味で言っていたのがわかってハッとしたよ どんだけ衰えてもスープレックスのスピード感は落ちなかったしあれは天性のものなんだろうな 全日本でもフルネルソンでギブアップ勝ちしまくるのを見たかったけど無理だよな Uインターがフルネルソンスープレックスを禁止技に
って言い始めた時は笑った >>488
当時はオブライトがフルネルソンスープレックスやったら冗談抜きで死人が出る、って言われてたよね オブライトは、立ち位置が変わりすぎ。
95年の参戦仕立ての頃は、ハンセンのパートナーだったが
96年の最強タッグはサブゥの踏み台になり
97年は、ウィリアムスとTOPを結成(この頃の立ち位置は理解できる)
98年はキマラ
99年はウルフ(TOP復活みたいな言われ方もしていたが、TOPにいたのはラクロスというキャラクター)
ここまでたらい回し状態なんて、こんなのレスラーとしてのよさが出ないだろ。 >>489
中野とか普通に使ってたのにオブライトは駄目っていうね フロントスープレックスも凄かった
相手が凄い勢いでマットに叩きつけられてるっつうか ハンセン・オブライト組って駄目だったかな・・
絶好のパートナーが見つかったと思ったけど。 >>490
高山を全日本に呼び込んで世界タッグに挑戦したが、本格的コンビには至らなかったのが残念だった。 キマラと組まされたときは
そりゃねえだろうって思った
完全に色物扱い キマラはブッチャーがいなくなって自由にファイトできるようになって期待されてたんだよ
ただ答える実力が無かった
それならカンナム格上げしろと
だから離脱されるんだ キマラはドロップキックできたりして
身体能力は良かったんだけど
いかんせん技が少なすぎた
上を食えるような技も無かったし
自由にっていってもせいぜいアジアタッグ程度だったでしょ
その程度の奴にオブライトあてがったのは当時納得いかなかったな >>490
毎年のようにパートナーが変わるのも珍しい。
96年7月の武道館で川田に勝った試合は良かった。川田もオブライトをよくぞ活かした。 オブライトに世界タッグを獲らせたのは三冠挑戦の資格を与えるための暫定的処置。
例外はあるが川田、田上、小橋、秋山らが世界タッグ戴冠を経てから三冠に挑戦したことに倣った。 >>489
あれはトリックがある。
投げっぱなしというね。
ブリッジしてフォールするには
自分のクビも保護しなけりゃならんから限界のスピードがある。
投げっぱなしは柔道でもご法度。 >>498
カンナムは、馬場全日本以外ならばもう少し格上げされただろうな。
クロファットは、他の団体に行けばヘビー級だし、外国人のタッグ屋としてタイトルに絡む活躍はできただろうな。
三沢もNOAHでは、スコーピオ&Dウィリアムスにタッグのベルトを巻かせているし。 >>502
安生とか佐野がフルネルソン原爆食らったの見ると、人形を相手にしてるのかってくらい一瞬でぶっこ抜かれ叩き付けられてるね >>504
スカウトもデカさよりも上手さを優先したから馬場さんはあんまり良く思ってなかったみたいな >>506
安生とか小兵だから、誰でもぶん投げられそうだけどね。
ウィリアムスが真似したらオブライトどころじゃないと思う。 オブライトのほうが断然ぶっこ抜きの力強い 要領を得てる >>509
オブライトの方が体重あるし、単純に後ろにぶっこ抜く力はオブライトの方がありそうだね
川田も言ってたし
ただ当たりの強さとか腕力自体はウィリアムスの方がありそうだけど オブライトは相手に張り付くというか吸い付く力が強そう、相手の力を無力化する
とか吸いとるとかよく長州とかアマレス出身の人が言うやつ オブライトは来た時期が悪かった気がする。
四天王プロレス全盛期ではなくて超世代軍全盛の90〜92年あたりで来てればもっと存在感を示せたんじゃないかな。 やべー!CSテレ朝チャンネルのワールドプロレス オレの激闘ベスト5 川田利明
川田と蝶野の対談が面白過ぎる! >>503
カンナムはカーニバルの公式戦ではボロボロだったな。シングルはさっぱりだったな。
現代ならタマ&タンガみたいにマッチメッカー次第でタッグ屋として活かせたかな? >>490
96年の最強タッグは
オブライト・高山組
サヴゥ・ヴァンダム組
での参戦予定だったんだと思う
で、それが無理になってオブライト・サヴゥ組になってしまった
上記2組は翌年実現してるしね 馬場が小林邦をジュニアリーグ戦に参加させたかったから
ジュニアの上限を102.5sに引き上げた これに対する疑問
・つーことは当時は厳密に計量なんかしてたの?
・なぜそれ以降、現在まで日本の業界基準に戻さなかったのか?
→ミゼット化が著しい作今、102.5s対75sなんかじゃ無理があるだろ。。 >>479
適当どころか腰も浮かせて折りに行ってる
あれでタップしない奴は居ない >>517
飛行機投げだけはかけてる方が絶対に疲れるよな。 川田と蝶野がプロレスラーあるあるで椎間板の軟骨が潰れて、どんどん背が縮むって言ってたな >>515
チャンピオンカーニバルでクロファットは秋山に、ファーナスはパトリオットに勝っているが、所詮は中堅の星の調整だからな。
馬場が常々言っていた通り(全日本プロレスのトップでやるには)身長、体重が足りなかったのだろうな。馬場は大きい人が好きだからな。
他団体には、カンナムの下位相互のダック専のタマ&トンガやオズ&クエルボ、ベッドハンターズ、モデスト&モーガン等陽の目を見たタッグチームもあるのに。 >>519
ヒロがTV放送された新日jr座談会みたいので計量はすごくいい加減って言ってた
坂口立ち会いで体重計にのっかるそうなんだけどヒロは当時リミットをかなりオーバー
してて体重計の針がぶれてるうちに坂口に「もうええ、もうええ、降りろ!」って言われて
結果パスしたことになってたと >>501
ハンセンを付ける事で全日本のプロレスを学ばせるという意味もあったろうな >>529
思い出したけどそう言えばリーグ戦開幕前日に
各選手が計量してる写真が週プロに載ってたね >>530
ハンセン自体が、パートナーが決まっていなかったからな。
90年以降の外国人パートナーは、
スパイビー→エース→デビアス→ノード→オブライト→ダンカンジュニア→ベイダー
日本人パートナーは、馬場、大森、田上
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数分の作業で出来ますのでご利用下さい 川田の相手をストレッチプラム(グラウンドVer)で締め上げて疲弊させた後にフォールというムーブが好きなのはオレだけか? >>536
それで決まったのは93年10がつ、武道館の小橋戦が初めてだと思う。
ギブアップしない小橋に捻りを加えたストレッチプラムから3カウント。その時は良かったが、後にその流れが当たり前になったのが悪かった。
大舞台用のみのフィニッシュだからこそ良かったのに。 小橋の三冠発戴冠
菊地のジュニア発戴冠
オブライトが川田を潰す
本田多聞の側転
これらが同じ大会で起こった。 >>538
多聞の側転を見て三沢が笑いを堪えられなかったシーンは96年総集編で放送されたのに、YouTube探してもその年のスペシャルだけ無いんだよねえ。面白いシーンなのに。 >>539
試合もテレビで放送されたが、多聞の側転の場面は放送されていなかったからな。
週プロで掲載されていたから、楽しみにしていたんだが…、 >>541
そう。その試合はYouTubeにあるんだよね、日テレの。
何であんな面白いシーンカットしたんだろ。笑う演技じゃなくてガチで笑っているから面白いのに。 96年の総集編面白かったな
城麻美がゲストで来て何とも言えないエロい雰囲気だったw
三沢のエロ本自販機の話(音うるさいよー!)もよかったな >>543
99年の橋之介のときもよかったな。
菊地にヘッドバットをするところとか
橋之介『(ヘッドバットを)受けましょう!』
肥後『橋之介さんがやるんです』からの、菅谷アナが菊地のヘッドバットを食らうまでとか
平川アナが実況しながら三沢のエメラルドフロージョンくらうところとか
肥後が三沢のエメラルドフロージョンくらうまでのやりとりとか。
橋之介の『だからこそ見たい!』って言ったときのマジキチスマイルとか 田上の断崖式ノド輪をダチョウ倶楽部の誰かが食らったが、あんなの分厚いマットを敷いていたら全然痛くないからやる意味が無いと思った。 >>537
いつしかグラウンドストレッチプラムが主流になっちゃったね
俺はスタンディング式の方が好き >>547
確か、川田が馬場にかけたときが初めてのシットダウン式だった。
川田と馬場の身長差だと、スタンディング式は無理があったんだろうが
その後冬木がスタンディング式ストレッチプラムを“冬木スペシャル”って命名して使って『指のかけ方が違うから別の技』って言い張って使っていたが、これに関しては、冬木のプロレス頭が出ているわ。
プロレスニュースでは、冬木は○禁(高野俊二もだが)扱いだったがね。 >>547
よくストレッチプラムってドラゴンスリーパーに似てるとか言われているけど
スタンディングで決められるか否かで差別化は図れているんだよな。 >>546
え!痛くないとやる意味ないと思ってるの? >>548
あすなろ杯の◯禁映像懐かしいw
実況が選手名言うたび、ガラス割り音でピーしてたなw >>550
まあ、無いね。プロレスラーがキャンバスの上でやるのとは意味が違う。
あんな分厚いマットの上に落とされて痛くないはずなのに、何でおおごとのように騒ぐんだか。 「中野龍雄と神風&小坪は元子に挨拶しなかったから継続参戦させてもらえなかった」と言ってる奴がいたが本当? >>549
>指のかけ方が違うから別の技
かけ方じゃなくて指の小指の角度が2度違う >>538
こう見ると小橋の三冠まで菊地の世界ジュニアは待たされていたのか
それとも小橋が三冠となるので菊地の戴冠もといった印象が >>556
小橋の戴冠は、チャンピオンが田上だとチケットが売れないから。だから前のシリーズの札幌で挑戦者決定戦で川田に負けた小橋の挑戦がすぐに決まった。
週プロのインタビューでも小橋はその点が引っかかっていたようだが気持ちを切り替えていたね。
逆に「合わせた」のは菊地の方かな。シリーズ2戦目の小川vs渕でベルトが渕に移動したが、渕を挟んで菊地に異動したのは何かありそうなw 当時は良席確保のために武道館当日会場前に次回の切符を買ってたけど
その後のカード発表で田上絡みのメインだったりすると軽い絶望感を感じた 地方出身だから武道館も三冠戦も現地で見た事ないけど
田上ってホントに人気無かったんだな
俺らの周辺じゃ三沢川田がもちろん人気で田上ファンもいたことはいたけど
ネットでの東京近辺のファンの話を見ると558のような生の意見を結構見て驚く
田上の試合も面白いと思って見てたけどなぁ 四天王っつって田上込みにした奴って誰なんだろうな
三銃士の新日と数を合わせたくなかったんだろうか >>559
人気ないっちゅうわけじゃないけど三人に比べるとね
後楽園のメインのタッグに田上が入ってるのは当然と思うけど
武道館のメインとなると信頼度が三人よりだいぶ落ちるわ 力皇が塩防衛続けての田上戦での大田上コールは凄かったけどな
力皇が気の毒になるぐらい そんなに田上って人気あったのかと 力皇は同世代にライバルいなかったし、上の世代がポンコツだったからな。秋山より酷い状況で戴冠したのが運のつき。当時の棚橋レペルにドームで防衛戦って
どんな拷問だよ。 >>559
96年の田上カーニバル初制覇→三冠初奪取の流れはすごかったけどな
何気に年間グランドスラムやってるんだよな
この年は小橋も三冠初奪取
川田はUインター参戦等話題があった中
三沢の印象がすごく薄いんだよな
三冠戦で勝利したのはVSオブライトのみ
カーニバルは予選敗退
秋山と世界タッグ奪取したけど
どちらかというと秋山にスポット当たってた
最強タッグは決定戦で敗退
武道館でも脇を務める事が多かった
何となく不思議な1年だったな 常時三沢にスポットが当たってたら寿命が更に縮んでいただろうな
新日みたいに持ち回りって程ではないが
主役が一時的に入れ替わるのは
それまで主役だったレスラーを休ませるいい機会だろ 武道館
シングルならば、
三沢vs川田
三沢vs小橋
川田vs小橋
は、三冠戦一本で
タッグならば、四天王決戦は、それ一本で勝負していたが、
それ以外のカードがメインのときは、
三冠戦+世界タッグ
三冠戦+特別試合
なんかで、保険がかかっていたからな。
タウンからみだと
vs三沢のときは、
95年は、サバイバルタッグマッチ
97年は、世界タッグ(GETvsTOP)
みずからが王者のときは、
vs川田は、世界タッグ(三沢&秋山の初防衛戦)
vs小橋は、川田vsオブライト
ベイダーとの決定戦は、世界タッグ(バーニングvsアンタッチャブル)
馬場からの信頼感はいまいちだったのだろう。 レスラーとしての技量や成長ぶりは馬場も間違いなく田上の事を認めてたんだろうけど、人気面では元超世代の三人には引き離されてはいたと思う。
田上も厳密には元超世代だけど。
チケットやグッズ売上は正直だったんだろう。 95年の三沢vs田上の三冠戦(中継)の前に福沢と金子が三冠戦の見所をトーク形式で紹介していて、福沢が『同じ“アキラ”という名前なので、田上選手を応援します』って言っていたき >>574
続き
言ってたけど、実際に実況では、完全に三沢側だった。 >>571
自己レスですまんが
96年の小橋vs川田の三冠のときは、
セミとセミ前は、特別試合だった。
ハンセン&ウィリアムスvsオブライト&パトリオット
馬場&田上&ドリーvs三沢&鶴田&秋山 >ハンセン&ウィリアムスvsオブライト&パトリオット
この前これをYouTubeで観たけどひっでぇ試合だったな
客が終始「この試合大丈夫か・・・」ってザワザワしてザワザワしたまんま終わった
最後のハンセンのラリアットとオブライトの場外転がりジャーマンのとこだけ盛り上がってた 試合を見てないんだけど、98年チャンカーで何で川田はエースに引き分けたの? >>564
早坂よしえは鶴田、ハンセン、田上ファンという渋さ >>574
思い出したw
福澤「そっちがタイガードライバーっつったら、こっちはジャンピング・パワーボム〜ン!!だよ〜」「ならばこっちはエプロンサイドからの喉輪落としだ、どうだ?」 日テレの野口だったかな。「セミメインイベント」という意味不明のことを言っていた。しかも一度ではない。 >>578
なんでだろうねえ。あんなしょっぱい奴に。
あとハンセンて秋山には負けたのにエースにはタッグを通じても一度も負けなかったな。認めなかったのかね。 >>559
鶴田のパートナーに抜擢されてから
煮え切らないファイトにブーイング浴びていた
全日末期は秋山の踏み台にもなってたしな >>581
若林“恩知らず”健治
福沢“ジャストミート”朗
金子“若僧”茂
野口“性獣”敦
日テレ男性アイドルアナウンサーグループ『どら息子』だぞ。 蝶野が小橋にハーフネルソン6連発食らった時に小橋が蝶野を引き起こす度に「大丈夫ですか?」って言いながらブン投げてたってのは笑ったw
「俺が首が悪いのに酷いよね」ってw >>584
あれ
金子が性獣だと思ってたわ
俺の記憶違いか >>587
???『(プロレスニュースで)“エセジャニーズ”野口が、偽物の馬場さんを登場させてやりたい放題。放送終了後日本テレビに抗議の電話が鳴り止まず…』 >>579
掛布も副音声ゲストで来ていたときに、川田ではなくてハンセンの応援をしていたな。(ハンセンvs川田の三冠戦があった) >>590
あの試合は凄かったな
掛布はハンセンはよく知ってるけど川田のことはあまり知らない感じだったなあ 82年頃、掛布と松山千春が相次いで全日本の会場を訪れたことが報じられていたっけ。 >>591
掛布『あなたがハンセンですか?ボクは阪神です』
ハンセン『ミーとバースは、良い仲だったね。掛布さん、ユーとも仲良くしたウィー!!』
※会話の内容は事実かどうかはさだかではありません。 そう言えばハンセンの子供はマリナーズにドラフト入りしたんだったな メジャーリーグには上がれなかったみたいだが >>583
田上が初めて歓声を浴びたのは91年最強タッグのハンセン・スパイビーとの対戦だったか
あの時の援護のスライディングキックが見事だった
そして次の武道館大会のメインでようやく世界タッグ初奪取 川田とハンセンのシングルで張り手合戦が行われた時に
実況の福沢が「張った張った!!張りのある人生だ!!!」と言って笑った記憶アリ 川田とハンセンのシングルとなるとやはり92年のベストバウト試合 川田vsハンセンなら92年チャンカーの大阪も良かった。手が合うんだろうね。 川田が一番プロレス上手かったんだよな
センスもあったし、身体能力も高かった
会社の方針で四天王時代は武骨なスタイルだったけど
それまでは飛び技もやってて上手かったし、蹴りなんかはタイガーになる際の三沢と
同じタイミングで特訓したら三沢より上達してしまったし
相手に合わせるスキルは
新日に上がったり、ハッスルに出てたときに証明済みだし >>605
江頭2:50のムーブまで完コピしてたな >>605
三沢が川田をやたら悪く言うのは嫌いというより嫉妬と思ってるわ 三沢が引退まで生きていたら川田との邂逅もあったかもしれないけどなあ
妙に拗れたまま逝っちゃったし ガキの頃は純粋にリングの上だけしか見てなかったけど
大人になって一歩引いたところからバックステージの考察すると
色々と真実が、その中にある見たくないものも見えてきてしまうものなんだな 三沢「試合じゃ性格は直らない」by 福澤。
聴いてて川田は性格悪いんか?と思った。 三沢は川田に辛辣だったな「小橋とかおおらかなのと違ってあいつは技掛けるのも
受けるのも恐怖心があるのか一瞬躊躇するから変な間ができてタタイミングがずれて
結果ケガするんですよ、自業自得」とまで言ってた、たしか川田が腕骨折した三冠戦
の直後の発言だったのでこれは関係こじれてるなと感じた、結局技術論じゃなく
川田の人格をdisるのでこういう事言っても三沢にも何の得もないな なんだろ
女子プのいがみ合いは笑って見れるのに
男のは残念感すごい 信頼あるから技受けあってるはずなのに。
ファンとして、選手同士仲悪いとか聞きたく無いよなあ。
川田は何故三沢先輩のいう全日本に行ったんだろう。
ルックスや華では三沢にかなわないのに。 おいおい心底憎みあってるわけないだろ...
三沢川田のそれは兄弟ゲンカみたいなもんだ >>614
川田は中学時代に新日本入りが決まったんだけど高校に進学して、三沢が全日入ってまだ川田が高校生の頃によく電話してたらしい
三沢が川田を全日に誘った
全日はその頃タイガーマスクブームの新日本を見てジュニアヘビーを充実させようとしてた
川田が後楽園に試合観に行ってその時三沢に鶴田とかに紹介されて全日入りが決まった 川田が三沢を慕っていたのは間違いないだろう
でなければ川田は全日にいる三沢に電話したりしない
他に何か裏があるだろうか?
三沢は親分肌だから頼ってきたり慕ってくる奴は無下にしないが
痛いところを嫌らしく突いてくる時の川田は嫌いだった
後は馬場、元子絡みで他に何かあったか 三沢が90年代末にかけて元子とどんどん険悪になってくのに反比例して
川田は元子と口きく機会がすごく増えたというのは川田が言ってた
あと川田は社内では渕派≒ほぼ元子派というか馬場家べったりと見なされてた
というのはよく聞く話だな >>617
誘ったってことは若手の仲間内が欲しかったんかな。
川田も一人新日より、全日は入りやすいかもな。 後輩だし雑用とかこき使えると思ったかね
学生時代から痛いこと突かれてたら
誘おうとは思わないよな普通 >>620
当時の全日はシゴキもイジメも凄かったから練習生が入ってもすぐ辞めてしまってたって
小橋菊池が入る頃にやっと改善されたって話
三沢は川田なら辞めないと思ってたんじゃないかな
川田は川田で三沢が冬木や越中辺りの先輩より給料良かったって話を聞かされてそうだし 元子が川田の復帰戦で小橋とのシングルを企画して実際に行われてたけど
あれは川田嫌いの三沢ですら「あまり無茶をさせるな」と川田を庇ったというエピソードがあったな
嫌い度が川田より元子の方が更に上だったとかいう単純な話だとは思うけど >>623
確か、大阪のプロモーターが元子の親戚かなにかだっけか? >>619
三沢を牽制するために元子から川田に接近した可能性も >>623
三沢『川田、大阪は、大変だったな。次の横浜では、大森相手に寝てくれればいいから。』
これもある意味きついだろ。 元子全日に残った川田が一番の勝ち組か
三沢 試合中死去
小橋 癌闘病からの引退 今現在何言ってるかわからない
田上 不良債権会社任されて業界から撤収 小橋は癌営業で稼いでるし
川田も体ボロボロでいつまでラーメン屋できるかわからんし
大差ないよ 田上が一番ジリ貧でしょ、テレビ需要は全く無いし店も大人気って訳でも無いし
小橋はテレビ含め色んなところからチョイチョイ呼ばれるから一番安泰そう 田上はノアが潰れるときに喉輪(意味深)しなくて本当に良かった
あの時のやつれっぷりは本当にヤバかったからな 三沢のタイガードライバー91は相手によって落とし方が違うんだよな。
小橋なんかはスルッと滑り落ちたように落とすんだけど
川田の場合は思いっきり叩きつけるように落とすからね。 >>631
三沢亡き後のノアの社長って小橋に決まりかけていたのに、三沢婦人の鶴の一声で田上に決まったんじゃなかったか?
だから、小橋は大荒れで田上体制のノアの役員の集合写真を撮ろうとした記者に凄んだり、
小橋を社長に推して土壇場でひっくり返された百田がノアを去ったりしたんだよな。 仲田が操りやすい田上にするように婦人に言ったんじゃないの 田上は一度社長になるの断ったのに三沢夫人が電話で説得したんだったな
丸藤が育つまではやれとか言って
大丈夫かいなと思ったけど結果的に貧乏クジ引いたなあ でも小橋よりは田上の方が社長向きだと思うけど
それは単に馬場にシルエットが似てるからそう思うだけかな
>>635
小橋がそこまで社長をしたがってた事に驚く
当時のノアなんか一番キツイ時期だろうに 小橋が社長って社長特訓シリーズくらいしかできねえじゃねえかw
いや、他の四天王と違って社会人経験してるから
一番マシな人材だった可能性が… 小橋は社長の肩書きが欲しかっただけのように思うな ある意味絶対王者として
ノアが上向くプランがあったとは思えないけど もしかしたら自分が描く路線は万人に受け入れられるという自信はあったかも? 肩書というか三沢のあとを継ぐのは自分だって自負があったんじゃないか
あと対立してた仲田とそのバッグを排除したかったとか >>642
むしろ仲田が小橋にいて欲しくなかったんだろ 仲田がノアを私物化したかったんだろう
反対勢力を排除したは良かったが仲田は不審過ぎる死に方をするわ
ノアは潰れるわで百田や小橋は正直助かったよな 確かに追い出されて小橋は助かったと思う
小橋が社長になってても結末は変わらんかったと思うし
田上が可哀想すぎるが 武藤全日の頃、武藤が麻雀でスポンサー引っ張ってきたってマジなんかな?
一時的に地上波まで獲得して、ちょっとだけ夢を見せたな >>648
半年くらいやってたテレ東は自腹らしい、月800万くらいかかって
結果かなり経営を圧迫したらしいな あんなの明らかに調子に乗りすぎた結果の自殺だからな
自業自得としか言いようがない 仲田がいなければ、三沢の独立はなく
全日本プロレス中継もしばらくは続いていて、リングの上で死ぬこともなかったのだろうな。
勿論、歴史のifだけどさ あんなこと続けてりゃ遅かれ早かれ間違いなく三沢は死ぬだろ
馬場全日路線継続だとしたら三沢の故障具合から見て
40そこそこでファミリー軍団路線行くか引退するしか
三沢の死を防ぐ方法は無いだろう >>655
三冠戦線は、
小橋、秋山、高山、大森、ベイダー、ウィリアムス、ガン、誰か
世界タッグ戦線は
小橋&秋山、大森&高山、川田&田上、三沢&小川、ベイダー&ウィリアムス、エース&ガン
若手が出て来たら、三沢&川田&田上辺りは、前座に移っていくことができたら、なんとかなったかなぁ?
三沢も最後の方は天狗のお面被って橋と戯れていたくらいだから、その路線は考えられたんじゃないか。 三沢が独立しなかった場合
元子が常に現場に口出ししただろうから
丸藤、KENTAや小川、杉浦のトップ戦線参入も無かったかもな
ヘビーの人材が怪我や病気、衰え、引退でどんどん先細りしていく中で
一体どうやりくりするんだろうかと考えると… ノアと全日に入ったヘビー級を羅列してみる
森嶋、力皇、潮崎、清宮、諏訪魔、河野、浜
この辺から、抜擢したんじゃないか?
参考程度だが
新日は
三銃士→永田→棚橋→オカダと世代交代しているから
全日も
四天王→小橋&秋山→諏訪魔&潮崎→清宮
くらいには世代交代するだろ。 森嶋が馬場プロデュースを受けてたらもうちょっと良いレスラーになってたんじゃないかな
三沢は若手にも自主性()とか言って好きにやらせてたし 思ってみたら馬場全日末期はインディー勢も積極的に参戦してたよな
ハヤブサ人生とか時代が時代なら
あらゆるタッグ王座を総ナメにできるコンビだな カンナムエキスプレスvsハヤブサ&人生
サブゥ&ヴァンダムvsハヤブサ&人生
見てみたかったな。 >>662
大川隆法が元子の魂を呼び出しているかもしれないぞ。 三沢が独立しなかった場合武藤は全日経由せずに独立してたのかな 三沢一派の全日本離脱はプロレス界にとって
あまりにも大きな分岐点だよな
これが無かったら…を語るのが非常に面白い 武道館のセミ前辺りで
特別試合30分1本勝負
三沢光晴vs武藤敬司
レフェリー・西永秀一
解説・川田利明
解説・百田光雄
実況・平川健太郎
実現してもこの位置だろうが
ドキドキしませんか? >>666
妄想してみよう。
三沢たちが残留した場合の30周年大会
主要カードのみ
三冠戦
小橋vsベイダー
世界タッグ戦
大森&高山vsウィリアムス&エース
特別試合
三沢&秋山vs武藤&馳
特別試合
川田&田上vs天龍&冬木
世界ジュニア
小川vsカズ・ハヤシ
アジアタッグ
本田&井上vsスミス&モスマン 元子が健在だから天龍は戻って来れないし
武藤もそこに入れるか微妙なんだよなあ 30周年恩赦はなかっただろうか。
馬場自身は天龍を上げたかったけど、SWSへ行かずに残った選手の感情を鑑みて断念したんだよね。
馬場が亡くなり、三沢以下全員が天龍出場を受け入れるのなら元子夫人もOKを出したのではないだろうか?
日本テレビも要求しそうだし。 元子さんが一番、天龍参戦を反対してたんだよな
葬式にも来るなと言ってたぐらいだから
選手で反対してたのは小橋 ジャイアント馬場が亡くなったときに冬木は
「馬場さんさえ許せば全日に参戦する可能性は残っていたが、その可能性もなくなった」
みたいにコメントしてたな 全日分裂後
天龍、越中、冬木、大仁田、T後藤、高木、折原
三沢、小橋、秋山、大森、高山
みんな戻ってこれたけど田上と高野はダメだったな >>674
折原の全日復帰っていつ?2001年のWAR勢参戦の時にあったっけ? 馬場の三回忌くらいで手を引く、とか元子が期限を区切れば三沢達も辛抱の
しようがあったかも >>676
独立の話は日テレ込みであらかじめ出来上がってたろ
辛抱とかそういう話じゃないんじゃね 死天王…、失礼。四天王プロレスをノアでは、やめようとしてたよな。三沢
ただ、某絶対王者は、四天王プロレスしかできなかったから、意味なかったが…、
全日本プロレスの四天王プロレスと男塾死天王は、四ではなくて、死の印象だな。 三沢も小橋も秋山も四天王プロレスしなくても問題なかった
客が求めたからやらざるを得なかった >>675
武道館のメインで武藤軍と10人タッグ戦 >>679
影慶-三沢
羅刹-川田
センクウと卍丸は小物過ぎて該当しない。 ファンが求めたんじゃなく
あのメンバーで観客動員するにはあれしかなかった。
主体は彼らだよ。 >>683
逆水平とラリアットが俺と被ってるじゃねーか!!
とかそんなとこだろ >>686
当時の天龍が寝てくれなさそうだからだろ。
技は被っているが、寝てくれた健介とは、戦ったし。 >>684
センクウはいいヤツだろ。
富樫との絡みは(●●なみ的ではなく)素晴らしいせんぱいキャラだろ。 ここまで、スレが進んだ状態で質問するのもなんだが
四天王時代って
川田が田上とコンビを結成した93年5月のスーパーパワーシリーズから、秋山が世界タッグを取った96年のスーパーパワーシリーズまででいいのかな?
皆さんの意見を聞きたいです。 始まりは93年6月の札幌の4大シングルじゃないかな。
三沢対ハンセン
川田対ウィリアムス
小橋対ゴディ
田上対スパイビー
これで日本人4人が全勝。
特に小橋がゴディに勝ったのが大きかった。小橋も後年ここから四天王と呼ばれるようになったと言ってたな。
その後のゴディの離脱で「ゴディ・ウィリアムス組」というタッグでの壁が消えて、前年の鶴田の離脱、ハンセンの緩やかな衰えでシングルの壁も無くなっていった。
そうしてどんどんレスラーとしての格と実力を積み重ねた四人が突出したというのが四天王時代だと思う。
終わりがいつかは何とも言えない所。三沢が小川と組んでベイダーが参戦してきたあたりか?
馬場の死去目前あたり。 馬場は本当に経営者として優れてるよな
ハヤブサ人生入れたり高山も
三沢の経営は田上ですらかばいきれない
ボロカス言ってたよなw 秋山も「レスラーの三沢さんは尊敬してるけど経営者の三沢さんは反面教師にしてるとこも多い」って言ってたしなぁ
まあ しゃーないわ 最初の頃は称賛されてたんだけどね
身銭切って社員(選手)の給料捻出したり
スポンサー探しに奔走したり
晩年はお察し 馬場は長期間エースで社長だったよなあ
晩年は違うが、三沢がやっていた期間よりずっと長いぞ 景気が良かったもんあの頃は
プロレスにもまだ幻想が残ってたし >>693
99年に三沢が社長に就任してから武道館の5大シングルとか、ファン感の抽選とか、CCをトーナメントでやってみたり、カードが面白くなったけどノアに行ってからはさっぱりだね。
やはりリーグ戦を旗揚げから何年間もやらなかったのが大きすぎた。
それに加えて秋山vs高山というこれからノアの中心になる2人のシングルも出し惜しみしたしね。 レスラーが経営するってこと自体が間違ってるから新日に学んでプロに頼んだんだが遅すぎたな >>698
三沢には期待してたけど、これが三沢の言う活性化?
って落胆のほうが大きかった
手抜きなのかダレなのかわからないけど試合の質も明らかに落ちてたし、
あいかわらず武道館以外のマッチメイクは消化試合だったし 赤…田上
橙…小橋
緑…三沢
黄色と黒…川田
青…秋山
パンツ百花繚乱
色とりどり >>700
いきなり小橋対ベイダー組んだ時は三沢ナイス!って思ったけど続かなかった 全日本末期の路線は好きだったからもう少し続けてほしかったな。
ノアになったからは出し惜しみもそうだけど、ファンのためというよりは、所属している選手のためという感じが強かった。
それがイコールになる部分もあるけど、ファンが見たいものは選手の負荷になる。そういう時に後者が優先されてたかな。 三沢の保守路線もしょうがない気もする
馬場が無理させすぎだよ
何回も言われてるけどチャンピオンカーニバル走りきったあとに三つ巴とか最強タッグ2周とか嫌でしょうがなかっただろう >>704
96最強タッグ総当たり2回戦って凄いよな。
いくら、参加チームが少なかったっていってもさ。
ちなみに、93最強タッグも7チームしか出ていなかったけど、総当たり1回戦だった。 >>707
何がタイツだ無粋な。
貴様こそパンツと言えバカ
プロレスラーはパンツいっちょだからプロレスラーなのだ
考えの浅い奴め 馬場は海外の繋がりもあるし凄い
やはり猪木馬場はさすが
新日本プロレスを暗黒期から盛り返した人も凄いけど
誰か知らんがw 確かにパンツ一丁の長州力も凄いな
あの人サポーターも絶対しないしw 三沢社長は放任主義だもんな
特に仲田を
最近のインタビューでも京平百田田上も非難してるから確定だわな
馬場存命なら森嶋力皇もなんとかなってたと思う潮崎もしかり 馬場存命だったら…
森嶋はマシになってたかもしれんな
少なくとも太った少女にはされなかったろう
力皇は大きかったから気に入られたかもな
潮崎は…小さいからダメだな
三沢は今風を履き違えてたところがあったな
ぶっちゃけダサ過ぎた
しかるべき外部に意見を求めるべきだったよな 馬場鶴田がほぼ同時期に亡くなったのが痛かったな
三沢に意見できる人間が誰もいなくなった 新日のヤングライオンに対して全日はあすなろ戦士だもんな。口に出して言うのが恥ずかしいネーミングw >>717
山田恵一は若手の頃あすなろキッドとか呼ばれていた。 ヤングライオンは普通で、あすなろ戦士は恥ずかしい。
新日は大嫌いで全日が大好きだった俺の意見。
でもチケット買って何度も観に行ってたけど同じことの繰り返しでつまらなかったなあ。紙芝居みたいでw
四天王クラスの試合が丸め込みで決めることは無いし、必殺技は返しちゃうし「30分以上戦えば凄い」みたいな変な風潮があった。
パンフレットも毎回同じ内容だしw
三沢体制になってそれらが変わるか?とも思ったけどね。
結局、ノアに行って秋山が始めはフロントネックロックを用いたけどいつのまにか四天王プロレスに戻っていたw ノア初期の頃は秋山から丸め込みで小川が勝ったりもしてたな。 >>715
武藤は三沢について「なんであの色のタイツ履いちゃうの?」とセンスに関して疑問を呈してた >>722
GHCヘビー級チャンピオン小川
GHCヘビー級チャンピオン丸藤
ヘビー級っていうには違和感があるわね。 馬場が悪いというより、シークレットサロンだろ。ターザンと市瀬だよ >>725
ターザン後藤(尊師に似ている)『おれは関係ないぞ。』 超世代軍と鶴田軍の頃は、渕がブッカーじゃなかった?
四天王末期はまた三沢がブッカーだったっけ? ターザン山本編集長
宍倉清則編集次長
すげえ時代だな。 当時の文春の花田とかもだけどタブー無視で破廉恥でヒステリックな作りの雑誌が売れた
いい時代だったんだな、スター編集長とかはあの時代ならではで今はもういないもんな
しいて言えば中瀬ゆかりくらいかな 昔、関根勤がターザン山本の物真似をやっていたけど、にていたのかどうかすらわからない。 四天王時代は、四天王の中でベルト回している感じで、カードもマンネリしていたからな。
シングルは、ハンセン、ウィリアムスが繋ぎの王者になった程度。
タッグもハンセン&オブライト、ウィリアムス&オブライトが短期間ベルトを巻いたくらい。
長期政権敷いたのは、ジュニアのクロファットくらいか。 四天王時代の外国人のチャンピオンについてレスしたつもりだったが、
分かりにくくてすまん。 >>735
いや>>734の理解力が無かっただけでしょ。外国人の話していることくらいすぐ理解できたよ。 CSテレ朝チャンネル、蝶野MC「俺の激闘ベスト5」今月のゲストはカブキ。
当然新日本マットでの試合ばかりだが、またまた大ボラ吹きまくるのだろうな。 >>737
カブキの新日での印象的な試合なんか
ムタと藤波ぐらいか
後は闘魂三銃士の解散の時の試合 >>736
そう言っていただけると、気が楽になるわ。
超世代スレもそうだが、外国人。特に中堅外国人の話は、レスポンスが多くて、スレが盛り上がるんだよね。
このスレも、1か、2辺りでカンナムで盛り上がっていたし。 >>728
意見は聞いていたが最終決断はあくまで馬場
天龍も三沢も部外者の口出しを嫌ったという点では保守型 >>739
カンナムはアジアタッグ関連だと盛り上がるな。
世界タッグにしては力不足だし、シングル戦線も駄目だったね。CCでは戦績も内容も悪かった。ファーナスはドロップキックくらいしか評価する所が無いw
クロファットは体格がジュニアに見えなくて、ジュニア王者やってるのは「反則」って印象w カンナムのアジアタッグ関連は91年が面白かった。
小橋がエースまたは菊地と組んで絡んだり、ファンスティックス、キッド&スミス。あとディートン&ブラックに一度短命だが獲らせたのも良かった。
サザンロッカーズ、ブラックハーツ、92年だけどステイトポリスに挑戦させたのも良かった。彼らがしょっぱいからカンナムが際立つw パトリオットもアジア戦線にいたが、ポテンシャルからみて、アジア戦線に埋もれさせるには、もったいなかった。 四天王プロレスの是々非々について語るスレのはずが
すっかり90年代の全日について語るスレに >>347
レフリーがそれっぽい動きして止めちゃえばいいだけ >>743
これからって時期に日本を離れちゃったからな
小橋との三冠戦は見たかった 第一次小橋政権がもう少し続けば、(地方で)vsエース、vsパトリオットの次世代三冠戦はあったかもね。 エースは三沢との三冠戦は良かったけど三冠戦やらせちゃ駄目だろ。技の精度が低すぎる。
馬場さんに「ひとつひとつの技が何をやっているのかわからない」と酷評されていたし。
ギロチンエースクラッシャーとか小橋またはエースのバックドロップにエースクラッシャーを合体させる技もただ手を添えているだけ。 それ言い出したら馬場の16文なんて足あげてるだけだろ >>599
その直前のツープラトンの
今で言うデンジャラスバックドロップをカウントぎりで返した所で泣いたわ! >>752
アレは今見てもゾクッとする角度だよね
アトラクションの乗り物が後ろにひっくり返ったように真っ逆さまに落ちたもんね
ハンセンもスパイビーも加減出来なさそうだもんなw >>750
コーナーに振ってからのニールキックは最悪だったな >>753
ハンセンのラリアットが誤爆して敗れたスパイビー。
次のシリーズから、エースにハンセンのパートナーを取って代わられたスパイビー。
二年後の最強タッグでは、もとハンセンのパートナー同士のタッグと言われたスパイビー&エース。 それぞれハンセンと組む前に一度互いで組んでもいるんだがな 確か、
スパイビー&エース→パトリオット&イーグル
パトリオット&イーグル→カンナムエクスプレス
カンナムエクスプレス→スパイビー&エース
で星を回していたけれど
スパイビー&エースが合体パワーボムで、パトリオットを沈めて、ファーナスには、合体パワーボムを切り替えされて負けたんだよな。
確か、この年は、参加チームが少なかったんだよな。 参加チームが少なけりゃ2順させれば良いだろう(葉巻を吸いながら) しかし、川田のジャンピングハイって何気に秀逸だよな。
猪木の延髄斬りの顔面バージョンという事もあるんだけど、例えば体格がデカい外人を相手に投げられない場合
打撃で決めるしかないんだけど、川田のジャンピングハイ顔面キックはそういうの関係無しにピン取れれる技だし。
これがベイダー戦の川田と秋山に顕著に表れた。
秋山はエクスプロイダー連発しかフィニッシャーが無かったけど、川田はベイダーをパワーボムで持ち上げられないにせよ
ジャンピングハイの連発でベイダーを沈められた可能性があったわけだ。 そんなこと三沢のエルボーが
ずっと前に証明してるだろうが 三沢の場合、タイガー時代は膝の手術でシリーズ全休が風物詩の虚弱体質だったのにw
マスク脱いだら強くなって飛び技使わずエルボーだもん、ブックと言え笑えたな。 タイガー時代は下っ端だったから休めたんだよなあ…
確かにマスク脱いだあとのageは露骨ではあったが
それ以降は休みたくても休めなかったんだよなあ…
ブックは理解できても
立場上休めないポジションだったのは理解できないのか…(困惑)
あと、虚弱体質とか言ってるが
そうだから死んだとまでは言わないのなwww
何から何まで中途半端だから
3年くらいromっとけw 単に試合に出ないと給料が出ない全日の遅れた体制で休むに休めないと言われてもなw
観客動員にって言われても、いなくてもいい様に複数スター制してるのにプロデュース能力がないことを抜かされてもw
それでウンコ漏らして死んだのを涙流して喜んだカスにロムっていろって喚かれでもな
もう無理だから前座でお笑いプロレスしろって散々アンチが言っていたのに三沢さんは不死身とか抜かしていたキチガイの仲間かな? 中立だから三沢は虚弱体質で死んだとか書けるんだけど
その辺も理解できてないみたいだから相当バカだな
romってろも理解できてないようだしあとはNG放り込んでおくわ >>767
俺もキチガイ自らNGにしてくれて嬉しいよ。 よくわからんけど虚弱体質で死んだってのは中立的な意見であり正しいってことなのか >>767は
>>765に書いてある内容にかかってるからな
断言はしてないぞ
中立だよ
三沢の全盛期の強さとカリスマ性は凄まじかったが
晩年と経営者としての三沢はゲスでクズだと思ってる ゴディ&ウィリアムスとハンセン&デビアスが同時期に存在していたら、大分違っていただろうなと思う、三沢の三冠初戴冠ノート日。 93年のハンセン&デビアスってあんまり記憶に残って無いんだが、鶴田&渕の上位互換みたいな感じ? >>774
川田&田上に連勝しているチームを鶴田&渕と比べるなんて
ハンセン&デビアスは実質1シリーズしかまともに機能していないからな。
俺は、強烈に印象に残っているけど デビアスはすぐケツまくったからな。
武道館のシングルで秋山相手したくらい。 デビアスのフィニッシッングブローは、ミリオンダラーバスター。
同時期にいた、ブーバーのフィニッシッングブローは、スクラップバスター。
危険性は少なくともそれなりには説得力はあった。
無理矢理頭から落とさなくても、プロレスできるはずなんながな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています