渕人事部長、三沢営業統括次長が営業二課を統率し三課を田上課長とライバルの川田係長で
回していくことが決定、尚三課は新設のため軌道に乗るまで渕部長が兼務でヘルプする、という
体制が確立し全日商事は毎年過去最高収益を更新し社として円熟期に入っていく。
田上課長は鷹揚に構えてるが時に有り得ないほどの規模の契約を取り付けるなどで社に大きく
貢献する様は業界で田上火山と揶揄された。
馬場社長逝去後は三沢次長を支え新会社ノア物産にも参画し時折火山噴火をし
ベテランの安定感を若手に見せた。まさかの三沢社長の事故死の後を受け社長に就任したが
周期が業界の暗黒期だったこと、最重要取引先の日テレ銀行に切り捨てられる等の
最悪の時期であったこともあり業績は低迷、リストラを繰り返し会社を縮小したが三沢社長時代の
不明朗経理に端を発した巨額負債はいかんともし難く社長在籍8年目で社は破産する。
田上も清算にあたりそれなりに被弾したはずだが「三沢にはいい目も見せてもらったし」
と意外とさばさばしてる。こういうところが馬場社長が買った田上の良さなのだろう。
同期の小橋専務が最後までできなかった「自分を殺して後輩にいいとこを取らせる」ことを
何気なく飄々と全日商事時代からやっていた、というのも後年評価されてる。
現在はつくば市で外食業を営んでるが川田の店と違いルールが緩く自由度が高いのも
その人柄のなせる技、と評されてる。実際店内で煙草をくゆらす田上を見るとなぜか
優しい気持ちにさせられる客は少なくない。