会社、学校内での自分のポジションに近いプロレスラー
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カブキ
外様の地味キャラが開き直って大暴れしたら
なぜか役員にウケて色んなプロジェクトにバッテキされた。
役員、上司、先輩とは仲いいが同期の飲みに誘われない。。。 全日商事シリーズいいな
新日商事はなんかリーマンぽくなくてなー リアル全日本プロレスはけっこう従業員50〜60人の町工場と似てると思う
創業社長がいて頭の切れるたたき上げの番頭さんがついてて創業メンバーも
数人残ってて、で会社の先行きちょっと考えて大卒も採用するようになって
日本テレビを中堅の埼玉銀行とか東海銀行とかに置き換えればそのまんま あのやや不合理に金にうるさいところも含めて完璧に名古屋の町工場だな そうだね
意外と地銀だけでなくメガバンクあたりにも信頼されているところも 全日商事のかた、
次は全日の良心、田植えをお願いいたします! 馬場ブッチャー両国のDVDが届いた。
ゲスト出席のクレジットの順番が
川田、武藤、馳先生、田植え、小橋なのは、
元子イズム全開すぎる
たぶん、元子社長夫人に近い人間が依頼したのかと 佐藤昭雄 中卒で日本プロエンタープライズに入社、坊やとして雑用からスタートを切る。
ほぼ同期の藤波(のちの新日商事専務)と同様に一癖も二癖もある先輩に囲まれて営業に
回る。営業マンとしての華は藤波に劣るも昭雄の武器はその頭脳だった。一教わればそれを
確実にこなしさらに応用して五にも十にもバリエーションを広げていく柔軟な思考は彼に
しかないギフトといえた。若手出世頭の馬場営業部長の側近として活動範囲を広めていくが
馬場が昭雄を買ったのはやはりその頭脳と口の堅さ、何より十代とは思えぬ気配りの
できる人間だったからに他ならない。当然全日商事設立に参加し黎明期を支えた一人である。
社長となった馬場の妻元子にも気に入られ未来の中心人物と目される。
ただ能力は高く評価されてはいるもののまだ年功序列の社風も色濃くさらに大卒新入社員の
入社も常態化するにつれ営業というより総務系の仕事をこなすようになる。
そんな折取引先のテキサスブロンコ物産に出向が決定し単身海を渡ることに。 テキサスのアマリロ本社でも昭雄の能力の高いことはドリーjr社長もすぐに見抜き
早速全米各地から声がかかり各所を周り営業活動を開始、先輩の高千穂主任のように
大ヒット商品は編み出さなかったがどの州の営業所でも期待以上の数字をきっちり残し
手堅い信頼のおける日本車のようにコストパフォーマンスが高い営業マンとして重宝される。
ここで各州の顔役とも知己を得るが中にはjjディロンのように後の大物も多く含まれており
昭雄の財産となった。特筆すべきは昭雄はこの時期アメリカ独自の商慣習と言える
テリトリー制、ブッカー、マッチメイカーといったビジネスの根本の仕組みを完全に理解し自分の
物にしたことだろう。馬場社長もアメリカが長くそれなりに理解はしていたが昭雄は
のちに「社長は最初から上取って大事にされてたから理解してるとは言ってもうわべしか理解して
いなかった。」と語ってる。さらに現地でニコライ夫人と結婚、英会話はネイティブレベル
となった。ここで一度目の帰国指令が下りる。主に海外取引で全日商事は赤が累積しており
日テレ銀行より目付け役として社長が送り込まれる事態となっていた。 会長に棚上げされやる気を失った馬場元社長と夫人、黒字転換を旗頭にリストラも辞さぬ構えの
銀行筋の松根社長、体を張っても待遇が向上しないで腐ってる鶴田課長に天龍係長を筆頭とした
将来に不安を抱く社員たち、いきなりこの状況に投げ込まれた佐藤主任はまず馬場会長に談判し
人事経理に手を突っ込む、「リストラ無し、黒字の暁には給与増額」を松根社長に約束させ鶴田を
次長、天龍を課長に昇進させやる気を取り戻させることに成功。経理面でも今までファンク物産との
口約束に基づいた言い値取引をいったん破棄しアメリカ流儀の商品に見合った適正な金額での支払方式
を導入し資金繰りを無理なく行えるように改善し会社は持ち直す。またこの時期馬場会長が反対した
高千穂主任が米国でヒットさせたオリエンタル商品の取り扱いも強行し大成功に導くという今までにない
柔軟な発想で社内を活性化させた。ただ会社が持ち直し日テレ銀行も手を引き馬場社長体制が復活すると
昭雄は2度目の海外赴任を申し渡される。その意図に馬場社長の昭雄の頭脳と剛腕への嫉妬といずれ自分の
地位を脅かすのは昭雄だろう、という思いがあったのは想像に難くない。 2度目となった米国勤務で昭雄はもはや営業でなく未曾有の好景気に沸く日本とコネクションを
付けてくれるエグゼクティブ、もしくはフィクサーとして引く手あまたとなる。
特に近代化の遅れていたメンフィス地区では赴任して1週間でトップに昇格してしまいキングの
異名で地元の名士だったジェリーローラー社長はあっさり降伏、昭雄に新日商事との仲介を依頼、
昭雄の仕切りでローラー社長と藤波部長の間で取引が成立し商品輸出入提携で一定の成功を見る。
目ざとい猪木社長が昭雄に食い込もうとしたが社長の体調不良で流れたのも知る人ぞ知る逸話となっている。
ついには全米を網羅するWWFトレーディングに役員待遇としてヘッドハントされるまでとなった。その後の帰国では
馬場社長もあきらかに昭雄の出世を認めWWFトレーディングとの単発的な取引を行いそれなりに
成功したが「国内市場だけで十分会社は成り立つ」という方向性に舵を切ったこともあり
昭雄を仲介者としての取引継続を望まなかった。だれよりも可愛いはずの愛弟子がいつの間にか
自分の能力以上のものを身に着けてしまった以上は避けられない別離であったとも言えなくもない。
その後日本の中小商事会社との取引などで二国を股にかけての活動を続けていたが
業界の度重なる離合集散に嫌気がさしスッパリ身を引いた。現在米国で大型トラックの
ドライバー業に就いてるが白人が多く閉鎖的な業界に高齢を顧みず飛び込み平然とこなして
しまうあたりに昭雄の頭脳明晰と人付き合いの上手さを再確認できてうれしく感じてしまう。
業界誌のインタビューも定期的にこなすようになりその確かな記憶力と数多くの歴史の
重要ポイントに身を置いた故無尽蔵に飛び出す裏話にうならされるファンは多いようだ、 高木功 期待値は完全に同じ転職経歴で同期の田上を上回っていたとみられている。
いきなりの初仕事が馬場社長のお供としての米国出張だったことからもそれが十分見て取れる
順風満帆のスタートだった。営業に配属されてまずスケールの大きさを買われ海外取引を任されたのだが
不発が続く。反面国内中小の小口取引を任せると実に小器用にそつなく仕事をこなす一面も見せた。
営業テクニックは先輩中途入社の高野や中野に引けを取らないインサイドワークも持っていたが
今一やる気アピールが苦手なようでランクアップもせず残業もほとんどやることがないので人事の評価は
「きっかけが何かあれば急成長する可能性もあるがやる気がみられず典型的な5時から男」という
辛口なものだった。三沢主任が営業部の課を横断して結成した社内派閥の「決起営業隊」に参加はするものの
これと言った目立った実績がないまま馬場社長から解散命令を食らってしまう。本来高木は人脈的には
革命営業で社をけん引してた天龍課長につながる系譜なのだがどちらかというとそこからあえて遠ざかろう、
避けようとしてるのが見て取れた。憧れる半面ハードすぎる残業に巻き込まれまいとしてる高木を
猫の手も借りたい天龍課長が見逃すはずもなかった。 隣の課の高木を天龍課長は強引に連れまわしぐうの音も出ないほどしごきまくった。
パワハラなどという言葉が裸足で逃げ出すほどの手も足も出る「英才教育」で高木は
短期間で見違えるほど仕事をこなすようになり天龍課長に堂々と口答えするまでに生まれ変わった。
が、好事魔多し、体調を崩し短期休暇を取ったまではいいが生来のナマクラ気質がタイミング悪く
目を覚ましてしまいずるずる休み続けそのまま天龍課長の独立に同調して全日商事を退社してしまう。
SWSトレーディングに移籍しても出社に応じずそのまま社を解雇される。その後はまさかの闇落ち。
業界ゴロとして総会屋活動を行ったり行く先々の同業他社でトラブルを起こす。
後に全日商事に専務待遇で復職した天龍専務の手引きで高木も復職、ここでは武藤新社長にもそれなりに
評価され営業マンとして一定以上の業績をあげたがまさかの不法薬物所持で逮捕され解雇される。
その後また業界ゴロに身を染めるが今度は天龍商店を自宅改装し開業した天龍に拾われ
番頭格の一人としてまっとうに働いた。天龍商店が店じまいした後はとんと消息が途絶えてるが
闇落ちしていないことを祈るばかりである。評価は賛否あるがやる気さえ伴っていれば
四天王に数えられていたことは間違いなかったはず、返す返すも「もったいない」という
言葉がこれほどふさわしい営業マンもそうはいない。 嵐はたしかにけっこうギフトもっていましたよね。。。
しかし、マスクがわるすぎるのもあったと思う
ダサイ系の田植えや、菊地ですら全盛期の嵐よりかは
女性顧客がいたと思いますね。。。! アキオさん、今、トラックドライバーやってるのかwwww
しかし、そこでもけっこーお米もってそうですよねww 本人がそういうのに無自覚なのが個人的にツボでひそかに好きなレスラーでした
あのルックスなら「た、か、ぎ、ブー」コール発生は必然なんだけど本人はインタビュー
でコールについて「そんなの高木って苗字が悪いんだから仕方ない」と言ってたけど
苗字が高井でも高野でも高尾でもブーコール発生したと思う >>225
あっちのトラックドライバーって組合がすごく強くてほとんどイタリー系でマフィアとも
繋がっていて、って映画の見過ぎかもしんないけどそういう閉鎖的な職場に若くないのに
入り込んで何とかこなしてるって本当にすごいと思う
日本でいうと築地のマグロの仲買でアメリカ人が働いてるみたいな感じだと思う >>226
そのマスク、ルックスのわるさを気にしてもいないけど
逆に変にイケメンキャラとかナルシストキャラで
永田さんとかイケメン二郎みたくネタにしないあたりも
彼の誠実さとか不器用さがあって味になっていましたよね
あのまま残っていたら田上とタッグ組んでいたかな。。。 田上はデビュー時から見てるけどほかの同世代と比べて起伏に乏しいんですよ
何となくじわじわ番付上げて何となくじわじわ降下していった印象があり書くの難しそう
この一戦、みたいのがあるようなないような 前から思ってて一度ほかで書いたことあるけど
三沢君 全日本高校の3年生でとにかくスポーツ万能、サッカー部も野球部も掛け持ち
でどっちもエース。事情があってお父さんがいないという噂だがその陰がまた
女子を引きつけてやまない学校一のモテ男。性格は結構さばけててエロ話もするし
後輩からも慕われてる。
川田さん 三沢君と幼馴染の2年生。モテモテの三沢君からは嫌がられてるのに気にせず
まとわりつく図太い女子。当然三沢君の彼女面をしており毎日三沢君の好物
の入ってない弁当を作って持参し三沢君を困らせてる。
「私たち二人の間には誰にも見えない赤い絆があるの!私じゃなきゃダメなんだから」
小橋さん はつらつ女子の1年生。一途に三沢先輩にあこがれ続け猛アタックを繰り返す。
そのため川田さんから蛇蝎の如く嫌われてるが気にせず三沢先輩を追いかけてる。
「だって川田さんは別に三沢先輩の彼女さんじゃないでしょ?」
最近三沢君もその情熱にほだされ憎からず思ってる。
田上さん 都内の高級住宅地からお父さんの仕事の都合で田舎の全日本高校に転校してきた
お嬢様3年生。最初三沢君を見た時は元の学校の男子と比べやぼったく感じて
見向きもしなかったが周りの空気に流され恋の巴戦に参入し二人と違い
微妙な距離で都会仕込みのラブテクニックで三沢君にちょっかいをだすようになる。 田上明 日本相撲財団からの転職組で時期的に取引先である財団を刺激するのを避けるため
まずジャパン人材派遣に籍を置いたのち全日商事へ入社する。配属された営業部は折しも
天龍課長が革命的営業を開始した時期だった。馬場社長の友人でありアドバイザー的存在だった
円楽商店の番頭、楽太郎の肝いり紹介ということもあり乳母日傘で大事に扱われた。
同期入社の高木もそうだったがそれ以上に社長の厚い加護下で育成されたイメージが強い。
まずは前の職場で二枚目と評判だったのを利用し女性顧客を担当するが釣果はゼロ。
次に担当させられた海外業務も取引先に赤子の手をひねるようにあしらわれ使い物にならなかった。
ここで馬場社長は方針転換、放任することに。田上は若手の営業決起隊に参加するも
ここでは三沢主任の足を引っ張りまくり、田上=お荷物のイメージが定着してしまう。
それを見守ってた馬場社長は田上の可能性をしっかり見抜いてた。
「いずれあいつはでかい仕事をするよ、田上のいいとこは言っちゃあなんだが小橋とかと
違ってガツガツしないで飄々としてるとこだな、何より優しさがあってハートがいい。
育った家庭にも恵まれたな、両親が揃ってるのは大きいな。」と渕係長に話した。 天龍課長一派が一気に引き抜かれ独立したため、今まで営業成果を全く上げることができなかった
田上は本来若手主体の営業二課に再配属されるはずだったがここで人事も手掛けていた馬場社長の
眼力が真価を発揮、若手でただ一人一課に配属され鶴田部長直属の部下となる。
営業成績はいいがおおざっぱでどちらかというと個人プレーを好む鶴田部長に若手育成はミスマッチ
ではないか、という声をよそに渕係長の正確かつ至れり尽くせりのフォローもあり見事に
一課は機能し全日商事にやや舐めた態度で取引してた海外の営業マンたちと五分以上に
渡り合い二課との競争でも優勢だった。この時点で営業マン田上は覚醒完了と誰もが思ってたが
まだ伸びしろを残してるところが田上の不思議な持ち味だった。
二課の川田係長とは顧客を取り合いガンガンぶつかり社内でも二人の意地の張り合いは
知られるところとなった。ただこういういい時間というのは長続きしない、
鶴田部長が病気で長期休養に入り嘱託に転籍したのに伴い組織改編が行われた。 渕人事部長、三沢営業統括次長が営業二課を統率し三課を田上課長とライバルの川田係長で
回していくことが決定、尚三課は新設のため軌道に乗るまで渕部長が兼務でヘルプする、という
体制が確立し全日商事は毎年過去最高収益を更新し社として円熟期に入っていく。
田上課長は鷹揚に構えてるが時に有り得ないほどの規模の契約を取り付けるなどで社に大きく
貢献する様は業界で田上火山と揶揄された。
馬場社長逝去後は三沢次長を支え新会社ノア物産にも参画し時折火山噴火をし
ベテランの安定感を若手に見せた。まさかの三沢社長の事故死の後を受け社長に就任したが
周期が業界の暗黒期だったこと、最重要取引先の日テレ銀行に切り捨てられる等の
最悪の時期であったこともあり業績は低迷、リストラを繰り返し会社を縮小したが三沢社長時代の
不明朗経理に端を発した巨額負債はいかんともし難く社長在籍8年目で社は破産する。
田上も清算にあたりそれなりに被弾したはずだが「三沢にはいい目も見せてもらったし」
と意外とさばさばしてる。こういうところが馬場社長が買った田上の良さなのだろう。
同期の小橋専務が最後までできなかった「自分を殺して後輩にいいとこを取らせる」ことを
何気なく飄々と全日商事時代からやっていた、というのも後年評価されてる。
現在はつくば市で外食業を営んでるが川田の店と違いルールが緩く自由度が高いのも
その人柄のなせる技、と評されてる。実際店内で煙草をくゆらす田上を見るとなぜか
優しい気持ちにさせられる客は少なくない。 冷静に自分の立ち位置を考えてみると平成維震軍崩壊後の小原がピッタリで、物凄く虚しくなった クレイジードッグスなら
まだ、ベルト巻けるだけ、ましじゃね?? そういや、田上、顔だけ見れば二枚目系ですよね……
しかし、それを変に気取らず
愛されるキャラクターになっていったのら
興味深いですよね ノアの負債全額返済して、
さらにステーキ屋できるって
田上社長、じつはけっこーお米持ちだったのか。。。 >>244
奥さんがすごくしっかりしてるんじゃないかな、相撲やめて全日本入ったころだから
もう30年以上前にすでに亀戸でスナック経営してたらしいし
夫の仕事がいつまでもできるもんじゃないのを見越して、なら計画性があるよな むしろ長いのがいいんだよ
ここまでレスラーの半生を面白く書いてくれる人もそういない 全日商事のかた、
厳しい評価になりそうですけど、
丸藤、ケンタも見てみたいです! 田上社長の店、
いちおー丸藤、杉浦も来てるんだよね
あと、やっぱチョークスラム、断崖技の元祖として
アメプロ系、ルチャ系のレスラーも
遊びに来ているみたい 四虎
コネで入社したけど、使えないことは分かってるので重要なポジションは与えられない
でも、いつもチーム内には入れてもらえる。存在感はなし >>247
丸藤以降は3行くらいしか書くことがないわ、今本田多聞とかどうかなと思案中です あ、秋山、まだフルサイズでは
やっていなかったはずですよね! 秋山潤(準)全日商事としては鶴田部長以来の青田刈り入社を果たした期待大の新入社員だった。
期待通りいきなりの営業配属で先輩に混じってバリバリ一線で仕事をこなした。
馬場社長が「未来の会社を牽引する人材」と公言し、また自ら幹部社員の心得や振る舞いも教え込み
仕事ができすぎるゆえのスランプや壁に悩んだ時期もあるが概ね順調な成長を見せた。三沢部長と仕事上
組むことが多かったが言葉少ない三沢より隣の三課課長で何かにつけてエリートの秋山に難癖をつけ
喧嘩を吹っかけてくる川田から仕事の勘所を学んだようである。先輩社員である浅子、井上、泉田あたりを
あっさり追い抜き同期入社で伸び悩む大森とは圧倒的な差をつけ係長に昇進、渕人事部長の采配で大抜擢をうけ
営業成績若手No1の小橋課長が仕切る新設の営業四課に移動し小橋と仕事をするようになったが
思えばここが秋山にとってのサラリーマン人生の分水嶺だったと見る向きが多い。 小橋課長は24時間365日仕事を続けるワーカホリックの典型で一切のデータを無視し
執念と根性と汗と涙で大口契約を力尽くで分捕ってくる剛腕営業一本やりだった。秋山は
本来頭脳派で、前年実績、為替相場、市場の需要、取引先の財務状況を読み切り少ない手数で
契約にこぎつけるスタイルだったが小橋課長と行動を共にするうちに次第にその色に染まって
しまった感があった。会社が収益記録を更新してる最中で馬場社長もその点には目をつぶっていた。
救いは秋山本人が「いつまでもこの営業スタイルを続けていたらどこかで破綻する、新しい手法も
いずれ必要になる」と自覚し自己研鑽を怠らなかったことだろう。秋山はこの時点で小橋課長だけでなく
三沢部長、田上課長、川田課長らの営業四天王の身を削る営業スタイルに限界がくることも
予見していたようだった。 馬場社長逝去後のノア物産設立に参画した秋山は営業統括企画部長の職に就く。
三沢社長の「自由にやれ」の声を信じた秋山部長は今まで4回5回6回とぎりぎりの値段
を提示して更に値下げした見積もりを繰り返しエンドレスに繰り出す2,9商法を改めて
緻密なデータ分析によりはじき出した必殺の数字一発で勝負をつけるスタイルに切り替えた。
当初は新味もあり受け入れられた新スタイルは従来の商法に慣れ切った顧客にすぐ飽きられ
売上に影響が出たため小橋専務ら守旧派が復権し従来のスタイルにあっという間に戻ってしまった。
秋山部長は学生時代のネットワークを駆使し新日商事の永田主任と禁断の業務提携を執り行ったり
新しい風を吹かせようとしたが黙ってみていた三沢社長派の反感をかなり買ってしまったようだった。
ノア物産では後進の育成もうまくいかず秋山が手塩にかけて育てた社員が揃ってのちにリストラ対象
になってしまうなどの悲運もあった。三沢社長が事故死した後は営業を外れ人事付き部長になるも
社の業績は右肩下がりとなり、心機一転、総会屋が介入していた末期の全日商事に出戻るという大博打
をうつ。誠実、堅実な人柄ゆえか上手く総会屋一派を追い出し小口株主の協力を仰ぎ
現在全日商事の立て直しに奔走する日々だ。ぎりぎりの小所帯で現在は秋山社長の唱える効率よい営業が
機能しており更新も育ちつつあり若き営業部長宮原は業界注目株として脚光を浴びている。
現在の悩みは筆頭株主がしゃしゃり出て営業に首を突っ込んでくるあたりか。ここいら辺を
秋山社長がどうハンドリングして見せるかに静かな注目が集まっている。 白石オーナーが総会屋になってしまっているwwwww 初期ノアの秋山のフロントネックロックはカッコよかったですよね
MMAの技を全日系の選手がカッコよく使うのは非常によかった
後年、VS武藤戦で切り札的に使っていたのは本当に素晴らしい 初期ノアの秋山のフロントネックロックはカッコよかったですよね
MMAの技を全日系の選手がカッコよく使うのは非常によかった
後年、VS武藤戦で切り札的に使っていたのは本当に素晴らしい おお
筆者は現在見る団体は
秋山全日と大日と大仁田関連とウルトラセブン関連と見た
あとは田上の店、川田の店、カブキの店とか >>260
サムライ加入してるんで放送されるものは格闘技とDDT以外は見手ますね
生観戦は思い立ったら当日券でもゆったりみれる全日本が多いです >>261
田上の店、川田の店、カブキの店にはよく行かれるのですか??
自分も、今度ライガーの引退試合で久々に上京しようと思うので、
どれかには行ってみたいかなあと 田上の店以外は各一回ずつ行きましたがカブキの店は移転前の方ですね
田上の店は行ってみたいですねええ、ついでにシンの親戚のカレー屋さんもはしごしたい 全日商事のかた、アポロ菅原お願いできます??
近況がまったく分からないので、気になりますね アポロって存命なはずなのにGスピリッツの国際プロインタビューとかにも
出てこないんですよね 本田多聞 履歴だけ見れば過去最高値の大型新入社員だった。鶴田部長の系譜に連なり
部長も入社当時の本田をかなり気にかけていた。「俺みたいに幕下付け出し
でやるより一番下からスタートしたほうがいいな、その方が味方も仲間もできるよ」という
アドバイスは本田にとって非常に有用であったと思われる。本田はそれこそ雑巾がけから
年下の先輩に交じって汗を流した。経歴を鼻にかけることなどなく謙虚かつ寡黙に黙々と
作業をこなすのだがどうにも要領の悪さばかりが目についた。二度手間はおろか三度手間も
多く1の熱量でこなすところを3かけてバテてしまうケースが多く営業で独り立ちする
のにかなりの時間を要した。 営業に配属されてからもその真面目さと裏腹に不器用な面が目立ってしまい
最終的に全日商事在籍時には一本立ちを果たせず補佐役がせいぜいだった。
三沢部長の独立→ノア物産設立に参画してやや潮目が変わった気がした。
三沢社長の決断で業界内では絶対交わらない水と油といわれてた橋本真也CEO率いる
ゼロワン本舗と禁断の業務提携を交わした際敵陣に井上雅央営業係長(心得)を伴い
乗り込んで無理筋交渉を仕掛けてきた橋本CEOに一歩も引かずイーブンに渡り合った
のは本田の真骨頂だったと言える。(井上は交渉中に卒倒し病院送りとなった)
以後小橋専務が実権を握る時代になってからは中堅としてポジションが固定し
ルーチンワークをこなす日々になってしまったのはあまりにもったいなかった。
三沢社長急死後の経営不振の流れの中リストラ宣告を受けることになる。
永遠の未完の大器のままフェイドアウトし現在は学習塾を経営しちびっこの指導に
当たっている。本田の愚直なまでの熱心さと真面目さが報われてほしいと切に願いたい。
また現在でも自身がボーカル兼リーダーだったベタなパンクのカバーバンドの活動は
継続しているのだろうか 多聞、バンドのボーカルしてたんですねwww
おお、破壊王とも渡り合ったのは
かなり濃いノアオタでも忘れているのでは??
多聞の育成失敗はなんとなく谷津さんにも被るかも 全日商事のかた、
あまり面白い社員ではないですが
マサオもお願いできます?? 井上雅央 社の売り上げの4割を一人で稼ぎ出すとまで言われていた天龍課長の独立
のダメージは馬場社長が想定したような大きな穴にはならず、逆に鶴田部長の
営業一課と三沢課長の営業二課の激しい数字争いによりあっさり前年実績をクリアしてしまった
のは嬉しい誤算だったと言えよう。ただ問題がなかったわけではない、社員総動員体制で職務を
回してる状況で圧倒的に不足していたのが下働きだった。ここで新人採用の条件をやや下げ
入ってきたのが浅子覚と井上雅央の二人だ。井上は山梨県人会のつてで鶴田部長経由で入社した。
その証というかお守り替わりが鶴田部長から受け継いだ星柄のネクタイで井上も誇らしさと恥ずかしさ
の入り混じった様子で着用してたのは広く知られていた。同期の浅子と雑務に励んだが
リクルート活動を強化した全日商事には泉田、秋山、大森、本田という期待値の高い
学卒新人が直後に続々入社し二人はもれなく後輩4人に抜かれるという屈辱を味わってる。 二人は営業に回され、浅子は三沢次長の二課、井上は川田係長の三課配属となる。
営業といっても主な仕事は川田係長の鞄持ちが多く中々一人前の仕事を与えられることなく辛抱の日々が続く。
ポスト鶴田部長時代に入り渕人事部長が腕を振るう時代になってもあまり大仕事には
恵まれなかったが評価は低くなく、持ち前の柔らかさと腰の低さ、あたりのソフトさ
は認められており、この頃体調が思わしくなく仕事に影響が出ていたベテランの井上海外業務
渉外担当主任の代わりに新規の海外小口取引先を様子見的に担当する役を任されたりもした。
馬場社長逝去後の三沢部長独立に賛同しノア物産に移籍し秋山人事部長の推薦で
大取引担当に抜擢されるなどしたが結果を残せず万年主任のままリストラ退社という結末を迎えた。
結末を迎えただ全日仕込みの腰の低さと当たりの柔らかさは需要が尽きず業界に残りフリー営業マンとして
活動中。自身をリストラした会社などとはまず関わりあいたくないものだが気にせず
ノア物産の要請にも応じてるところあたりに雅央の人柄を垣間見る事ができる。 おお
確かに普通の社会人でも
リストラした会社とは縁切りたいものですよね
マサオ、そこはちょっと不思議かも ちょいとレスラー(営業)じゃないので
むずいかもですが、
京平と龍、あとジョーさんとかもお願いできますかね??
例えづらそうですが。。。 ちょいと、全日商事臭が少ないですが、
大仁田と高山、お願いできます?? おお
ちょいとスレが止まってしまった
全日商事まだみてみたいなー 元子時代 馬場社長逝去に伴い三沢営業部長が社長に就任することとなった。
業績が高止まりから緩やかに下降線を辿っていた全日商事にとってはピンチ
だったが悪しき古慣習を一掃、刷新、の大チャンスでもあった。だが夫の死により頑なさ
を増した元子夫人は平取ながら筆頭株主の権限で三沢社長の社内改革にことごとく待ったを
かける事態が頻発し事は一向に進まぬどころか退行気配が強まり閉塞感の蔓延というかなり
悪い状況が続いてしまった。
年7回行われる日本武道館での見本市兼即売商談会は社を挙げた一大イベントであったが
内容のマンネリと旧態依然な商品ディスプレーの改善を三沢社長は強く主張したが夫人の
「それは夫のやり方ではない」の一言で片付けられたあたりで三沢社長も独立を決心したようだ。
約款上代表取締役社長は簡単に辞任できるものではないが元子夫人も脛に傷がないわけではなかった。
高利益を上げているアパレル部門の子会社の(有)全日巨大サービスの利益を赤字の本社に還元せず
自分の口座に入金させている公私混同がまさに夫人の権力の源泉でもあり泣き所でもあった。
この件を不問にすることと引き換えに三沢社長一派は独立を果たす。 ここからの夫人の動きは目を見張るものがあった。業界の巨人ももはやここまで、の大方の
予想に逆らうかの如く残留した渕人事部長、川田営業課長を役員に昇進させハワイ在のモスマン
駐在員を軸に自ら代表取締役社長となり社継続を宣言、さっそくかつて袂を分かったジャパン物産の
大塚部長に連絡を取り営業マンの頭数を確保し営業活動を継続する。更には隠密行動でフリー営業マンの
天龍を役員待遇で復職させるという荒技を繰り出し「元子社長は侮れない」という空気を醸成することに成功する。
その上同時進行で永遠の敵と言われた新日商事の当時の本流だった長州人事担当取締役ーゴマシオ広報部長との
パイプを通してしまい業務提携も開始される運びとなった。ここでの白眉は野心家のゴマシオ部長に社長の座を
ちらつかせ提携の都度有利な条件を引き出し続けることに成功したうえ、その気にさせたところで
好条件での友好的買収を持ち掛けてきた新日商事の武藤営業部次長に赤字会社を売りさばいた
事であろう。その後の全日商事の顛末はご存じの通りトラブルと規模縮小を交互に繰り返し今に
至っている。夫人を「女が口出しすると国が傾く」の実践者であるとみる関係者は多いが
夫人が社長だった時代の得体のしれぬカオスぶりと熱量、反体制ぶりを懐かしむ者も
一定数存在し鬼籍に入られた今、再評価の声が高まっている。「3回忌までは私財を食いつぶしても
絶対会社は潰させない」、業界に二度と出現しないと断言できる愛すべき女傑である おお
川田が健介に勝ったり、
VS新日で優位にことを進めれたのは
ゴマシオ部長に社長をちらつかせたからだったのですね 元子最後の意地、
ハンセン引退ドームはやっぱ私財もあったんですかね
ハワイに豪邸とか勝ち組すぎるww 女の意地というのはすごいと思います、大量離脱があった以降のシリーズは
すべて赤字だったと思う
3回忌の武道館はびっしり入ってたけどよく最後まで武道館を手放さなかったと思う 最期まで元子シンパ
→殺人医師、曙、ケア、TARU、ジミー鈴木、京平
かなりクセのあるメンツですよねww
ヤ〇ザチック、暴走族チックなひとが多いかも スティーブウィリアムスが馬場の何回忌だったかに呼ばれてないのに
わざわざ自費ではるばるやって来た、というのはいい話 木村健吾
とりあえず主戦力の一人としてメインの仕事は任されているが、
全体的に見ると足を引っ張るのが俺。 ダメ社員の代名詞のように健吾がでてくるけどその実態は社内本流の坂口派の番頭格で
歌唱力と腰の低さで藤波長州なんかより段違いで座持ちが良く取引先接待要員として欠くことの
出来ぬ存在だと思う、かといって仕事ができないかというとそんなことはなく十人並みにはこなしてる
という印象がある、マイティ井上からポリスマン的な要素を除去すると健吾になるのかな 大熊元司 リキ商店時代からの馬場の側近であった。
リキ商店の幹部連の乱脈経営に見切りをつけ新会社である全日商事
立ち上げにも創立メンバーとして参加する。メイドインUSAの商材輸入をリキ商店
に妨害されるというピンチがあったがタイミングよくアメリカで単身移動販売をしていた
大熊がリキの息のかかってないアマリロのファンク商店の創業者ドリーシニア社長に
気に入られてその後10年以上にわたり輸出入の太いパイプを構築するきっかけを作る
という殊勲をあげている。本来なら幹部候補生として帰国後はそれなりの地位についても
不思議ではないが人材不足の時期と重なり営業に配属される。 営業では愚直なまでの力と恫喝一本で押し切る商法を得意とし一定の業績をあげる。
中途入社の小鹿とのコンビ営業も同様のスタイルで中堅社員エースの地位を確立した。
ただ人柄が優しいのか不器用なのか仕事がうまくいってもはたから見ると小鹿がコントロール
してるような印象が定着してしまい大熊=頭脳労働には不向き、というレッテルが貼られてしまう。
そのせいなのか大熊自身は実績を積み幹部コースに編入されるのを待ちわびてる節があったが
馬場社長は翻意したかのように大熊を現場に置き続け経営陣に引き上げなかった。
それらのストレスか元々多かった酒量がさらに増え体を壊し唐突に逝ってしまった印象である。
社史のなかでそれなりの章を割かれてしかるべき人物だが語られることは少なく
後輩から聞こえてくるのはその酒癖の悪さばかりなのが現在の評価であるが確実に全日商事の
顔の一人であったことは間違いない。外様的な存在の長州元営業課長やハンセン駐在員の口からは
思い出として「全日商事でナンバーワンのタフネゴシエーターは大熊だった」と名前が
上がったりもする。この人の顔とグリコポーズを見ると全日商事の華やかなりし時代が
蘇る、という感慨に浸っている関係者は多いはずだ。 クマさん、ありがとうございます
なかなか
ラッシャーとかもお願いできます?? ラッシャー木村 双六のような人生のふりだしは老舗の国際商事だった。大口取引先
を失って以降の国際は低空で迷走を続けており人材流出もあり消去法
で営業部長に抜擢されたのが木村だった。地味にかつ確実に仕事をこなす職人的なイメージ
が強い木村だが実のところいち営業としては及第の数字をあげるのだが営業部丸ごと、ひいては
会社を潤すほどの大仕事は全く出来なかったといえる。全日商事の提携においても若手の
鶴田主任がカウンターパートにあてがわれ馬場社長を交渉の席に引きずり出すこともかなわず
うまみのある部分はすべて全日商事に取られてしまったのは木村の限界値を示す好例と言えよう。
資金繰りが苦しくなるなかアイデアマンの吉原社長が金網、チェーンなどの鉄鋼製品に商機を見出し
独占販売を開始するなど全日と新日の二大商社の隙をついて延命を図るが長続きは
せず国際商事は倒産、社員はそれぞれの道を歩くことになった。 木村は浜口寺西を伴い新日商事に移籍する。当初は大物の移籍が業界内でセンセーション
を呼び営業成績も上がったが賞味期限切れもことのほか早く子会社のUWF物流に左遷され
最終的に全日商事にたどり着く。ここでも余剰人員になりかけるも「隠れた超有能営業マン」
の異名を取る旧知の鶴見社員のサポートもありしぶとく生き残る。天が木村に微笑んだのは
何と言ってもその後馬場社長の懐に飛び込んだことがきっかけだった。寡黙な男同士立場を超え
意気投合、「馬場社長に接触したくばまず木村」という鉄壁の流れが構築されその絆は馬場社長
の逝去まで続いた。
以後ノア物産に参加するも木村の営業マン人生は実質馬場時代の終焉と時を同じくして幕が
降りていた、とみるのが妥当だろう。
「木村を悪く言う関係者はいない」といわれるほど業界では珍しく敵のいない好人物だったという
評価が定着してるがかつての国際時代の部下〜米村、寺西、剛、高杉、菅原、鶴見、
原ら〜がリストラされるのを見殺しにしてしまった罪は永劫消えないだろう。
木村の立場で何とか口添えしてやれなかったものか、とは思う。
ただ裏切り同然に新日商事に移籍した際の契約金を丸ごと吉原社長に渡したのも
木村である、場面場面で本人なりの言い分もあったはずだが愛する家族にすら何も言わず
に墓の中へもっていってしまった男は損得への執着が薄い人物だったのだろう。 ラッシャーすげえです
筆者のかたはお好きな作家とか誰なんです??
なんだか三島とか昭和のガチ作家の文体ぽくて
かなり味わい深いですw 三島由紀夫は戯曲が好きです、特にサド侯爵夫人と鹿鳴館
後は井上靖、シェークスピア う〜ん
昭和のプロレス者は文学、映画好き多かったのも理解できますw 永源遥 取引先の意向一切無視で短時間で強引に契約を取り付ける、という斬新な
ハイスパート商法で業界を一世風靡した新日商事の長州営業課長が全日商事
に掟破りの移籍を結構した際にその一員としてついてきたのが永源だった。永源は猪木社長の
ベンチャー、東京商店を振り出しにリキ商会、新日商事と渡り歩いた業界の古参でもあり
長州グループの中では真っ先に馬場社長の懐へ飛び込んだ。キャリアも長く営業マンの腕も
万人が認める実力の持ち主であったがそれ以上に事務能力、折衝能力が高いことを旧知の馬場社長
は知り抜いており永源を総務に配属する。そこで永源は実力を発揮、それなりにこなすが
仕事が大雑把でミスも多かった小鹿総務部長の椅子をあっさり奪い取ることに成功する。
暇な時期に営業をやらせればその人たらしぶりをいかんなく発揮し数字をあげるため
馬場社長の懐刀的な地位を得るのに時間はかからなかった。馬場社長がプロパーに気を
使い永源の役職を総務課長以上にすることはなかったが実質の番付では役員同然の
所まで上り詰めることに成功している。長州らが新日商事にUターンする際もいち早く
馬場社長に忠誠の意を示して見せ離反組の情報収集を行う等フットワークと立ち回りの
良さを周囲にいやと言うほど見せつけた。 馬場社長逝去まで永源の地位は盤石と言えた。特筆すべきは社内の若手に対しても
自分の手柄を主張することなく相手を立てることを第一義として貫いた事だろう。
役得が非常に多いポジションに長くいたためそこいら辺の気前はたいそう良かったらしい。
三沢社長時代になるやここでも変わらぬ存在感を発揮しノア物産設立に際しては
総務の枠を飛び越え金庫番としての立ち位置も手中に収める。三沢社長の腹心の
仲田専務とも表面上は波風を立てずノア物産は一時業界の雄とまで目されるようになった。
ただ三沢社長急逝前後から大口取引先であった日テレ商事から足切りされたりリストラ策を無理矢理
推進したため業績は急降下、ダメ押しは永源が連れて来た出資者が反社認定の詐欺師であった
ことなどからその出資者を取り合っていた仲田専務とともに平に降格させられる懲罰人事を食らう。
その後の突然の死まで永源は社の裏仕事を仕切り続けてはいたようだ。
故人をかばうわけではないが反社との付き合いは業界の成り立ち上避けて通れるものではないのだが
それでも常識の範囲を超えず付き合っていた永源は時代の流れによって大きなとばっちりを
食わされたと言えまいか。氏の葬儀には大物政治家や有名芸能人が参列するなど
死してなおその交友関係の広さを見せつけた。風貌からは想像も及ばないが業界で
ナンバーワンの筆まめと言われており達筆でもあったらしい。
あ 凄くマメだったらしい、小さなタニマチにも巡業で札幌行けばラーメン、
函館じゃ蟹とか付け届けも欠かすことがなかったという
それであの風貌と語り口だからやくざだってコロっといかれちゃうかな 京平と龍 おそらく子会社で下請けの(有)全日商事巨大サービスに籍があったと思われる。
巡回直売の会場設営撤去などの下働きに従事していたがほかならぬ馬場社長が二人を
引っ張り上げた。社長の目に留まったのは恐らく、若さ、要領の良さ、身のこなしの軽さ、そして
何より二人が社長に憧憬の情を強く持っていたことが決め手だったのだと思われる。本来は裏仕事で
終わるところを特別待遇ともいうべき若くしての本社勤務にともに抜擢される。
京平は社内警備、龍は社内放送担当としてキャリアを積んでいく。無論抜擢された裏で二人は
一年365日、プライベートなく寝る間も削り馬場社長に仕えた。周囲、特にサービスの先輩からやっかみ
の声も出たが「ハワイに同行しても朝から晩まで自由時間は一分もない、お前らにおんなじ事ができんのか?」
という京平に反論できる人物はいなかった。社長の右腕左腕として忠実に仕えた時間は馬場社長の急逝まで
続くことになった。 元子未亡人が筆頭株主として社の経営方針にまで口を出す時代が来て二人は明暗を分ける。
「いずれ三沢社長に全権を譲るのは既定の路線だから気が済むまで夫人の好きにやらせたらいい」
という京平と「馬場社長に恩義はあるが夫人の言うことは受け入れられない」とする龍。
龍は結局三沢社長を焚き付け独立に参加し社長の懐刀、実質ナンバー2の地位を確保し
ノア物産をメジャー企業に持ち上げることに成功したがその強引すぎる交渉方法や取引先への
恫喝まがいの案件を無理やり飲ませる等批判する声も多く三沢社長急逝後、業績が著しく悪化する中
反社の出資者に金銭をたかっていたことが露見し失脚、ほどなくして急病でこの世を去っている。
京平は武藤社長時代に一度退社してるが短期間で復職しずっと全日商事に籍を置き
夫人がなくなるまで仕え続けた。現在に至るまで本社社屋兼工場兼寮を無償で貸与されてるのは
京平が警備のトップとして社に居続けていることが大きく影響してるそうだ。
ただ近年は年のせいか仕事の精度はかなり低下してると言わざるを得ない。
「俺のいるところが全日商事」という発言は賛否両論といったところか。 改訂版)マイティ井上 国際商事の営業部を一時といえ牽引する立場だったほど
仕事に華がありかつ的確だった。ヨーロッパ全土を行商して
回った国際商事の営業マンと言えば井上と鶴見の名が上がるが契約を取り付ける手練手管
はイーブンとしても仕事ぶりの派手さ、独自性という点では井上に軍配が上がるだろう。
大人しい営業マンが多い中でその勝気さは抜きんでており新日商事との業務提携においては
なにかあってはいけない、と切り込み部隊の山本星野と距離を取るよう吉原社長が腐心したほど。
国際商事倒産時も本来なら社長の斡旋で新日商事に行くはずだったがそれを拒否し全日商事の
馬場社長に談判し入社を決めた。その際に引き取り手のなかった新入社員の冬木と菅原も一緒に
連れていくという面倒見の良さも見せた。 全日商事に再就職してからは経験を買われ小口取引を取りまとめる主任として
活躍する。国際商事からの移籍組はほかにもいたが最前線でリストラの心配をする
必要なく働き続けた、という点では井上に勝るものはいなかったはずだ。
安定感という点では生え抜きでも井上レベルの営業マンは数えるほどしかおらず
馬場社長の信頼も厚かった。また新規海外取引先との様子見の折衝では鶴見と並び
社に貢献したがヨーロッパ時代の経験が大きかったと思われる。
井上は意外に裏社会に通じる人脈も持っており馬場社長が民族派右翼を装った総会屋に
恐喝された際にも井上の顔で輩を撃退するなどの影の貢献度も高かった。
遊び人を自認してたゆえか後年は成人病に苦しみ営業から身を引き嘱託として
警備員に転身した。
こういう歯に衣着せず社長にも直言を辞さないタイプの社員を馬場社長は嫌い閑職に追いやる
事もあるのだが最後まで一線で働きとおせたのは馬場社長が井上をできる奴と認めていた
証拠に他ならない。余談だが井上は多芸で座持ちが非常によく取引接待で先方からの
指名ナンバーワンだったそうだ。全日商事では多少ランクが落ちたが宴席には欠かせぬ人材
だったと言われている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています