会社、学校内での自分のポジションに近いプロレスラー
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カブキ
外様の地味キャラが開き直って大暴れしたら
なぜか役員にウケて色んなプロジェクトにバッテキされた。
役員、上司、先輩とは仲いいが同期の飲みに誘われない。。。 あと、長州さんと後藤はたしかにウマが合いそうやねw てか小川弱が馬場社長体制でブッチャーに血だるまにされたり
エースにボコされたりしてたのは
社長が、とうに小川弱の人格、性質を見抜いてたんやろねw 全日商事、カブキもめちゃ気になるので、お願いします! ザグレートカブキ 全日商事の前身である日プロ総合商事に就職する。会社として
かなり杜撰な経営が行われている中コツコツと独自に習得した営業術で若手内では
光る存在で経営陣にも目を掛けられていた。最初の海外勤務でアメリカの空気に触れるも
本社が経営難に陥り呼び戻されいきなり営業部長の地位を任されるも重役連の乱脈経営に
より程なくして会社が倒産、全日商事に吸収合併される。新会社の経営陣にいち早く取り入った
小鹿係長以外は冷遇されカブキは主任として直営工場勤務に回される。
元々起用だったカブキはここでも頭角を現し、製品の質、供給の安定に大いに貢献し
また研修で工場に配属される若手社員の育成にも非凡な才を発揮する。ただ本社からの
昇給昇進の声は一切かからず腐り始めたころ、若かりし日の米支社勤務時代の思い出が
フラッシュバックし新天地への渇望が日増しに高まっていく。結局社長夫妻に直訴し
長きにわたる交渉の末アメリカ支社への転勤を勝ち取りアメリカへ再上陸を果たすことになる。 アメリカ支社では異能の現地採用社員のゲーリーハートと出会い敢えてアメリカの商慣習
に従わず日本流のオリエンタルな営業術で現地の取引先を翻弄し引く手あまたとなり
莫大な売り上げを記録する。その後大成功を聞きつけた本社の強い引きで帰国し日本でも
一定の高営業成績をマークするが人材余剰の波にのまれいつの間にか工場長として工場へ
戻される。天龍課長の営業革命に際してはその心意気を買い工場を24時間稼働させ裏側から
課長を全面的にバックアップするなど存在感を大いに発揮した。しかし天龍課長の独立に追随
しSWS物流に移籍してからは大ブレーキ。人事統括本部長に就任するも寄せ集めの人材を
上手に活用することができず不器用さが露呈してしまう。以後新日商事の100%子会社の
平成維新震人材派遣に移籍し現場で八面六臂の活躍を見せ汚名返上、以降定年後もフリー営業
として業界中小を渡り歩き一定の活躍を見せる。現在は昭和の業界の語り部として
業界紙などで舌鋒鋭く活動中。
アメリカで築いた氏の営業スタイルは今でも多くの日本人営業マンが模倣し
ジャパニーズビジネススタイルの代表として現地でも広く受け入れられている カブキ統括本部長カッコよすぎるwww
でも、sws旗揚げ
天龍カブキvs高野兄弟→天龍vsジョージ
とかやっぱ業界をわかっているひとですよね 菊地毅 大卒であり一定の期待を背負って全日商事に入社する。ただ同期に中途入社の
小橋がいたのが良かったのか悪かったのか、異例のスピードで役付きに出世していく小橋の
影となることが多かった新人時代を過ごす。90年に新興同業他社に多くの社員を抜かれた
影響で菊地も物流センターから営業へ配置転換される。時おりしも一課の鶴田部長と二課の
三沢課長が営業成績を激しく張り合ってる渦中に二課へ配属、既に得意先を開拓し数字を
上げてる小橋に比べ何もない菊地は大手商社としては異例の飛び込み玉砕営業を開始する。
効率や疲労度を考慮すると「労多くして〜」の典型だったが菊地はめげずに営業スタイルを
曲げず愚直に玉砕の日々をこなす中少しづつ数字も上がるようになっていく。
そんな矢先、営業中の事故で体を壊し労災認定を受ける事態を招いてしまう。 今までのスタイルはもう無理と悟った菊地は総務に移動し内勤に励むことになる。
が、総務部は木村次長、永源課長、渕課長(人事課長兼務)、百田主任、と曲者の
実力派揃いで上が完全に詰まっており菊地本来の破天荒な持ち味は全く発揮できず
座りの悪い移動となった様だった。後年三沢部長の独立、ノア物産設立に合流するも
希望した営業への復帰はかなわず総務に配属される。結局行動を共にしたやり手の
永源総務部長と百田主任の下働きというポジションは変わらず。年上後輩の泉田社員と
2人で新しい顧客獲得の計画を練り企画書を作成提出するも社長秘書の仲田常務に
握りつぶされる等の屈辱も味わう。会社が上得意顧客を失い詐欺疑獄事案に巻き込まれる
のと前後しリストラ対象にピックアップされ早期退社を余儀なくされる
多くの先例に習い元全日商事の看板で同業中小で契約社員として再スタートするが
事故の後遺症なのか意思疎通にやや難が見られ権限を越えた契約をしたりと不始末が
少なからず目につき「扱いにくい営業マン」のレッテルを張られてしまっている。
ただごく少数小口ながら菊地指名の顧客を持っており居住地の仙台で全日商事絡みの
仕事をこなしたりもしてる模様 渕正信 今まで縁故でしか新入社員を採用しなかった全日商事が一般で採用を
はじめた一期入社。大仁田、薗田と九州三馬鹿とも言われてる。人手不足ゆえ
三人とも即営業に配属されたがスタンドプレーが目立ち仕事の雑な大仁田や不器用
な薗田に比べて四大卒ということもあり飲み込みは早く一歩リードしてみせる。
海外勤務時にはライバルである新日商事の得意先であるゴッチ貿易の社長、カールゴッチ
とも取引を通じて交流するなど交渉力もあるところを本社に見せつけた。
ただ帰国後は大量の中途採用などもあり上もつまり気味で中堅どこの主任として
淡々と業務をこなした。小口取引部門を一手に仕切るなど実績を積んだが転機は
社がバブル投資家による新会社設立に伴う大量引き抜きのターゲットにされた時
であった。 危機感を感じたか扱いだった鶴田部長が突如バリバリ働き始め国内外の大手取引先との
大口契約をガンガン獲得しまくる。それを的確にサポートし引いては社内でのライバルだった
営業二課との数字争いで一課が優位に立っていたのも陰で支えた渕課長あってこそ、と
見る向きが多かった。評価を上げた渕課長は鶴田部長の病気による嘱託転籍に伴い業務を
新設の三課の田上課長と川田係長に引き継ぎさらに軌道に乗るまでヘルプとして三課を
サポートする。その後ついに人事部長に就任し経営陣入りを果たす。90年中〜後期の社の
最盛期をコントロールし社長の側近としてしゃを切り盛りした手腕の評価は高い。
ただ後期に入り業績低迷が始まると三沢部長が株主総会で社員の総意として現社長の退陣と
社長夫人の経営への関与を拒否する提言をしそれが議案通過する緊急事態に。
社長夫人派と目された渕人事部長は無任所課長に降格される。
翌年の三沢派独立ノア物産設立計画にも声を掛けられず残留するも新日商事との業務提携で
窮地を脱し紆余曲折を経ていまも全日商事に在籍、嘱託の警備員というポジションだが
元気に仕事を続けており時の通り全日商事の看板を守り続けている。
人事部長時代の評価は高いが利益確保のため社員に負担の大きい勤務形態を強いて労務管理を軽視したため
多くの社員が後に健康を害した責任の一端を彼に求める声があるのも事実である。 元子社長夫人と三沢部長は最初は仲良かった
三沢部長がメヒコから帰国した際に、
日産セドリックをプレゼントしているとか
龍常務とか小川弱がそそのかしたらしい 最後二人は仲直りしたんだね、天龍のときもそうだけど元子は対立して離反した
人物に後々経って優しい言葉を掛けられるとコロッといかれて評価が180度変わる人らしい そうですね
ただ、元子最後の意地、
ハンセン引退記念ドームのメインはあの謎のタッグマッチじゃなく
川田VS天龍、三冠戦でいくべきだった
でも、アレ、元子さんマッチメークじゃないくさいですよね
たぶんゴマシオさんかと 川田利明 高校の三沢先輩の引きで縁故的に全日商事に入社する。入ってまず川田を
驚かせたのは想像を絶する人手不足だった。どうやら三沢先輩は早くも素質を買われ
営業に配属されるという特別待遇的な立場を確立しておりその三沢から聞いていた内情
の耳触りが良かったのは当然でそれがそのまま自分に当てはまるわけもなかった。
社内の雑用を一手に引き受けつつ後輩は定着しないという無間地獄のような数年を過ごす。
ようやく順番で海外勤務の機会が回ってくるも現地でアシストしてくれるはずだった
ゲレロ商会のチャボ社長は夜逃げ同然に失踪しており住居にも困った川田は万策尽き
ライバル社の提携先だった(有)安達アシストの安達社長を頼りカナダはカルガリー
で日本特産品の小口巡回営業を下請けで開始するが半年ほどで就労ビザ不所持が発覚、
国外退去処分を受けることになってしまう。 帰国後も海外勤務の実績など認められず一兵卒として下働きを続けたが
天龍課長の革命的営業に共鳴し営業特課に移動し残業を厭わぬハードワークに
生活全てをささげる日々を過ごす。そんな折特課を支えてきた阿修羅係長が失踪してしまう
事件が勃発、安易な穴埋め要員補充を良しとしない天龍課長の判断で川田が係長心得になり
今まで阿修羅係長のこなしてた仕事をスライドで担当、だがここをチャンスと見切った川田は
経験に乏しい海外の大型案件もなんとかこなしきり年を超え評価と信頼を勝ち得た。
新年に入り特課は海外採用の大物ハンセン駐在員が補充され営業の難局も何とか
切り抜けたものの天龍課長に未曾有のスケールのヘッドハンティングの手が伸びる。
結局営業特課は解散、天龍課長は役員待遇で新興商社へ移籍、追随する社員も多発し
全日商事は絶体絶命の崖っぷちにいきなり直面する。 社長の窮余の策は営業をベテラン主体で鶴田部長が仕切る一課と気鋭の三沢主任が
若手をまとめる二課に再編集約し両課を社内で競わせるという革新的なアイデアだった。
これが大当たりし業績はあっという間に回復し過去最高益をはじき出すに至る。
鶴田部長を病気で欠くに際しては二課を分割して田上課長、川田係長の2トップで
三課を新設、渕人事課長がそのサポートに回るという理想的な配置で社内の成績争いを
引っ張った。ただこの頃より従来顧客を大事にする三沢課長と新規開拓の必要性を説く
川田係長の間で営業観の食い違いが生じその齟齬は年々大きくなっていった。
結局創業社長没後のノア物産設立に川田は関与せず残留、営業取締役としてライバル社との
業務提携においても渕総務兼人事部長と二人三脚で八面六臂の活躍を見せる。
その後天龍課長の専務待遇での復職、まさかの敵対関係だった新日商事の武藤元営業部長の
社長就任時代も含め忠実に職務をこなすが経営悪化が進んだところでハッスル貿易へ移籍。
慣れぬ派手な営業スタイルも無難にこなしたが社は乱脈経営で倒産、商事勤務時代の
激務で肉体も限界に達しており業界をリタイア、現在都内で外食業を営む。
めんどくさい性格は変わらず多くの独自ルールが追加変更され一部の好事家にウォッチング
され続けており時に業界紙の取材を受けたりもしている。 う〜ん
川田係長も素晴らしい
麺ジャラスKの近況なんて誰も知らんww
てか全日商事シリーズは絶対、秋山全日、白石ノア関係者は見てますよww
もしかしたらブシロード新日の関係者も! 川田がカ ワ ダなところに全日愛が見てとれる
ってか川田の本「俺だけの王道」読んでないとわからないレベルw 昭和全日どころか平成全日、さらには令和の全日レスラーまで
ご存知なことに驚愕している 石川敬士 エリート中のエリート。日本大学相撲学部の特待生にして首席卒業の金時計組。
日本相撲財団に入社しとんとん拍子で出世し業績を上げるが持病の悪化で休職に至り退社。
体調を戻し全日商事へ再就職する。財団との無用な軋轢が発生するのを避けるためとはいえ
いきなりのサンフランシスコ支社勤務は前職の経験を買われたからこそであろう。
帰国後は取引先の国際商店で短期の出向を経て本社営業へ配属される。この時点でオールド
ルーキーだが営業マンとしての仕事ぶりはベテランに全く劣らぬステディさがあり
目立たないが取引先に気を配り上手に相手を立てたりルーチンワークをその都度細かく改良
したりと器用な面を見せ若年寄職人として揺るがぬ立ち位置を築く。
馬場社長も「井上主任と石川主任に任せておけば安心できる、海外取引も相手の商慣習を
きちんと理解して動けるので新規取引先はまずどっちかに担当させるのがいい」とまで
二人の仕事ぶりを称えたほどだった。 後年石川の前職の直系の上司で大学の先輩の輪島元財団支店長(役員待遇)が
金銭問題で懲戒解雇された際に全日商事への再就職の橋渡しを担当する。
輪島が特任部長として全日商事に入社後は特任課長補佐を兼任し三歩下がり部長を支え
部長の全国区の知名度でそれなりの成績を上げた。が、業績が待遇面に反映されぬ事を不服
とし二人そろって退社、その後同僚だった天龍の立ち上げた新興SWSトレーディングに合流、
同社倒産後もWAR人材センターに参加し大活躍、新日商事との取引では格上然としていた
同社の藤波営業部長と対等に渡り合い取引を成功に導いた。従来より広い人脈と取引先を持つ
石川もこの成功あたりで色気が出たか独立を決心、自ら社長兼営業部長の新東京ビジネスを設立。
だが折からの同業乱立による人材難とダンピング合戦に破れ社を畳む破目に陥る。
引退後も大学時代の人脈は健在で特に日本大学理事長経由のパイプはかなり太いらしく
巨大大学グループ関連の事業をいくつか展開し悠々自適の日々を過ごしている。
序列の厳しい世界で揉まれたせいで上に強く出ることはないが下への気配りが厚く
かなり常識的な人格と言われている。業界紙のインタビュー記事を見る限りありがちな
誇張をすることはほぼなく実直で人好きのする性格がにじみ出るタイプのようだ。 九割が脇役なのが哀しい
皆わきまえてるんだね
俺はパトリック田中でいいや スモーピオンデスロックありがとうございます!
小橋と秋山、もう少し詳しいスケールで希望します!! 小橋建太 高卒時に入社試験に応募するも試験さえ受けられず門前払いを食らう。地元で
就職するも花形商社マンへの憧れは捨てがたく退路を断ち上京し直談判し数度の交渉の末
入社が認められた。学歴も特筆する実績もない小橋だったが情熱だけは他の新人の10人前で
土日祝日正月もタイムカードを打刻せず自主的に出社し勝手に人の分の仕事まで片付けるほど
のワーカホリックに早くもなっていた。社長の耳にも熱心な新人の話は伝わりそれとなく
気にかけるようになる。社長は「海外勤務もいいがもうそういう時代でもないしあっちで
変な癖がついても困る。金の卵を日本で育ててみよう。」と決断を下し渕人事係長を目付け役
に指名し仕事ぶりを逐一報告するよう命じたのであった。渕係長は「新人なので仕事運びは
稚拙な部分もあるが大物の諸先輩や大手取引先に一歩も引かず食いついていく、
絶対不利な入札案件でも手抜きせず最後まで全力投球で顧客の評判もかなり高い。
5〜6年で営業課長を任せられる人材っです。」と報告を上申。リポートを一読した社長は
「さすが渕係長だな、いい線行ってるよ。でもな、俺は見落とさんぞ」、業界の巨人と異名を
取る社長は葉巻を一服したのち渕係長に次のように返した。 「あいつのいいとこは確かに一生懸命さが全面に出てるとこだ、ただなぁ、小橋は自分を
(仕事ができる)と見せつけたがるんだ。いくら熱心と言ったってまだ2〜3年の経験しか
ないんだからできない部分も見せて構わないのに絶対それをしない。それとな、商社マン
は得意分野を持つのが鉄則だ。人によっては鋼鉄だったり穀物だったりお前のように繊維とかな、
あいつは見よう見まねで何でも手を出す、今のとこ周りが陰で気い回してるからうまく
行ってるように見えるけどこのままだと器用貧乏で終わりや、ことさら仕事ができるアピールマン
はあまり好かんよ、あと5年で課長?馬鹿野郎、倍かかるぞ、弱さを見せようとしない商社マン
なんていずれ使いもんにならん、出世欲は認めるがちゃんと教えとかんか!」
若かりし日の小橋社員は思いのほか低評価だったようである。 社長の教えは残念ながら小橋は聞く耳を持たずそのままのスタイルで時を経ることに。
とにかく契約をもらうまで汗だくで5時間土下座は朝飯前で業績をあげ特にアメリカの
医療法人グループのウィリアムズ医師との間での40時間超の丁々発止のノンストップ交渉
は語り草となり全日商事が譲歩したものの年間最大級の医薬品取引を成立させ業界に名前が
知られるようになる。医療法人の前任担当だった若手no1の三沢課長が途中で投げ出した案件を
小橋が拾い契約成立させたことで「海外取引に強い」という社内評価も高まりいよいよ
小橋の時代が幕あけ、三沢課長の営業二課から独立し四課係長に就任した。とりあえずは
仕事はいまいちだが抜群に調子のよいエース駐在員と二人三脚で四課を回していくことになった。 エース駐在員とはギクシャクながらもそこそこうまくやり三沢次長、川田課長、小橋係長が
実質会社を引っ張る立場となる。とにかく出世欲旺盛な小橋が営業成績の次に目をつけた分野
が後輩の育成だった。三沢が部長に昇進し経営権人事権を掌握したのを機に若手エリートの
秋山主任に目を付け仕事上のコンビを組み始める。結果としては後輩はおろか取引先にすら花を
持たせたことのない小橋の仕事スタイルは自己愛が強くひたすら自分中心に回していくため
秋山の良い部分をスポイルしてしまい、さらに頭の良い秋山が一歩引いて小橋課長を立てるよう
立ち回るようになり後輩の一本立ち支援は果たせなかった。後年ノア物産に参加し
営業及び人事統括本部長となったことでワンマン体制化、自身の聖域化が進み、放任主義の三沢社長
の方針もあり小橋ばかりが悪目立ちする状態が13年にも及んだ。その後社長の逝去と営業不振、さらに
自身の癌も発覚し一線を引き特任部長にポジションダウンし退社に至る。
退社後も業界への未練はたらたらで自身の名を冠した「小橋夢プロジェクト」を立ち上げ
単発で小口の商取引を継続してるが回を重ねるごとにしりすぼみ感が強まってる現状だ。 す、凄すぎる
小橋の陰と陽がかなり!的確に出ていますね
そういえば馬場社長マッチメーカー時代は
川田どころか田植え以下の扱いだったのは、
馬場社長はとうに見抜いていたのか。。。 あ、もう少し落ち着いたら田植え社長書いてもらってもいいですか?? 全日商事シリーズいいな
新日商事はなんかリーマンぽくなくてなー リアル全日本プロレスはけっこう従業員50〜60人の町工場と似てると思う
創業社長がいて頭の切れるたたき上げの番頭さんがついてて創業メンバーも
数人残ってて、で会社の先行きちょっと考えて大卒も採用するようになって
日本テレビを中堅の埼玉銀行とか東海銀行とかに置き換えればそのまんま あのやや不合理に金にうるさいところも含めて完璧に名古屋の町工場だな そうだね
意外と地銀だけでなくメガバンクあたりにも信頼されているところも 全日商事のかた、
次は全日の良心、田植えをお願いいたします! 馬場ブッチャー両国のDVDが届いた。
ゲスト出席のクレジットの順番が
川田、武藤、馳先生、田植え、小橋なのは、
元子イズム全開すぎる
たぶん、元子社長夫人に近い人間が依頼したのかと 佐藤昭雄 中卒で日本プロエンタープライズに入社、坊やとして雑用からスタートを切る。
ほぼ同期の藤波(のちの新日商事専務)と同様に一癖も二癖もある先輩に囲まれて営業に
回る。営業マンとしての華は藤波に劣るも昭雄の武器はその頭脳だった。一教わればそれを
確実にこなしさらに応用して五にも十にもバリエーションを広げていく柔軟な思考は彼に
しかないギフトといえた。若手出世頭の馬場営業部長の側近として活動範囲を広めていくが
馬場が昭雄を買ったのはやはりその頭脳と口の堅さ、何より十代とは思えぬ気配りの
できる人間だったからに他ならない。当然全日商事設立に参加し黎明期を支えた一人である。
社長となった馬場の妻元子にも気に入られ未来の中心人物と目される。
ただ能力は高く評価されてはいるもののまだ年功序列の社風も色濃くさらに大卒新入社員の
入社も常態化するにつれ営業というより総務系の仕事をこなすようになる。
そんな折取引先のテキサスブロンコ物産に出向が決定し単身海を渡ることに。 テキサスのアマリロ本社でも昭雄の能力の高いことはドリーjr社長もすぐに見抜き
早速全米各地から声がかかり各所を周り営業活動を開始、先輩の高千穂主任のように
大ヒット商品は編み出さなかったがどの州の営業所でも期待以上の数字をきっちり残し
手堅い信頼のおける日本車のようにコストパフォーマンスが高い営業マンとして重宝される。
ここで各州の顔役とも知己を得るが中にはjjディロンのように後の大物も多く含まれており
昭雄の財産となった。特筆すべきは昭雄はこの時期アメリカ独自の商慣習と言える
テリトリー制、ブッカー、マッチメイカーといったビジネスの根本の仕組みを完全に理解し自分の
物にしたことだろう。馬場社長もアメリカが長くそれなりに理解はしていたが昭雄は
のちに「社長は最初から上取って大事にされてたから理解してるとは言ってもうわべしか理解して
いなかった。」と語ってる。さらに現地でニコライ夫人と結婚、英会話はネイティブレベル
となった。ここで一度目の帰国指令が下りる。主に海外取引で全日商事は赤が累積しており
日テレ銀行より目付け役として社長が送り込まれる事態となっていた。 会長に棚上げされやる気を失った馬場元社長と夫人、黒字転換を旗頭にリストラも辞さぬ構えの
銀行筋の松根社長、体を張っても待遇が向上しないで腐ってる鶴田課長に天龍係長を筆頭とした
将来に不安を抱く社員たち、いきなりこの状況に投げ込まれた佐藤主任はまず馬場会長に談判し
人事経理に手を突っ込む、「リストラ無し、黒字の暁には給与増額」を松根社長に約束させ鶴田を
次長、天龍を課長に昇進させやる気を取り戻させることに成功。経理面でも今までファンク物産との
口約束に基づいた言い値取引をいったん破棄しアメリカ流儀の商品に見合った適正な金額での支払方式
を導入し資金繰りを無理なく行えるように改善し会社は持ち直す。またこの時期馬場会長が反対した
高千穂主任が米国でヒットさせたオリエンタル商品の取り扱いも強行し大成功に導くという今までにない
柔軟な発想で社内を活性化させた。ただ会社が持ち直し日テレ銀行も手を引き馬場社長体制が復活すると
昭雄は2度目の海外赴任を申し渡される。その意図に馬場社長の昭雄の頭脳と剛腕への嫉妬といずれ自分の
地位を脅かすのは昭雄だろう、という思いがあったのは想像に難くない。 2度目となった米国勤務で昭雄はもはや営業でなく未曾有の好景気に沸く日本とコネクションを
付けてくれるエグゼクティブ、もしくはフィクサーとして引く手あまたとなる。
特に近代化の遅れていたメンフィス地区では赴任して1週間でトップに昇格してしまいキングの
異名で地元の名士だったジェリーローラー社長はあっさり降伏、昭雄に新日商事との仲介を依頼、
昭雄の仕切りでローラー社長と藤波部長の間で取引が成立し商品輸出入提携で一定の成功を見る。
目ざとい猪木社長が昭雄に食い込もうとしたが社長の体調不良で流れたのも知る人ぞ知る逸話となっている。
ついには全米を網羅するWWFトレーディングに役員待遇としてヘッドハントされるまでとなった。その後の帰国では
馬場社長もあきらかに昭雄の出世を認めWWFトレーディングとの単発的な取引を行いそれなりに
成功したが「国内市場だけで十分会社は成り立つ」という方向性に舵を切ったこともあり
昭雄を仲介者としての取引継続を望まなかった。だれよりも可愛いはずの愛弟子がいつの間にか
自分の能力以上のものを身に着けてしまった以上は避けられない別離であったとも言えなくもない。
その後日本の中小商事会社との取引などで二国を股にかけての活動を続けていたが
業界の度重なる離合集散に嫌気がさしスッパリ身を引いた。現在米国で大型トラックの
ドライバー業に就いてるが白人が多く閉鎖的な業界に高齢を顧みず飛び込み平然とこなして
しまうあたりに昭雄の頭脳明晰と人付き合いの上手さを再確認できてうれしく感じてしまう。
業界誌のインタビューも定期的にこなすようになりその確かな記憶力と数多くの歴史の
重要ポイントに身を置いた故無尽蔵に飛び出す裏話にうならされるファンは多いようだ、 高木功 期待値は完全に同じ転職経歴で同期の田上を上回っていたとみられている。
いきなりの初仕事が馬場社長のお供としての米国出張だったことからもそれが十分見て取れる
順風満帆のスタートだった。営業に配属されてまずスケールの大きさを買われ海外取引を任されたのだが
不発が続く。反面国内中小の小口取引を任せると実に小器用にそつなく仕事をこなす一面も見せた。
営業テクニックは先輩中途入社の高野や中野に引けを取らないインサイドワークも持っていたが
今一やる気アピールが苦手なようでランクアップもせず残業もほとんどやることがないので人事の評価は
「きっかけが何かあれば急成長する可能性もあるがやる気がみられず典型的な5時から男」という
辛口なものだった。三沢主任が営業部の課を横断して結成した社内派閥の「決起営業隊」に参加はするものの
これと言った目立った実績がないまま馬場社長から解散命令を食らってしまう。本来高木は人脈的には
革命営業で社をけん引してた天龍課長につながる系譜なのだがどちらかというとそこからあえて遠ざかろう、
避けようとしてるのが見て取れた。憧れる半面ハードすぎる残業に巻き込まれまいとしてる高木を
猫の手も借りたい天龍課長が見逃すはずもなかった。 隣の課の高木を天龍課長は強引に連れまわしぐうの音も出ないほどしごきまくった。
パワハラなどという言葉が裸足で逃げ出すほどの手も足も出る「英才教育」で高木は
短期間で見違えるほど仕事をこなすようになり天龍課長に堂々と口答えするまでに生まれ変わった。
が、好事魔多し、体調を崩し短期休暇を取ったまではいいが生来のナマクラ気質がタイミング悪く
目を覚ましてしまいずるずる休み続けそのまま天龍課長の独立に同調して全日商事を退社してしまう。
SWSトレーディングに移籍しても出社に応じずそのまま社を解雇される。その後はまさかの闇落ち。
業界ゴロとして総会屋活動を行ったり行く先々の同業他社でトラブルを起こす。
後に全日商事に専務待遇で復職した天龍専務の手引きで高木も復職、ここでは武藤新社長にもそれなりに
評価され営業マンとして一定以上の業績をあげたがまさかの不法薬物所持で逮捕され解雇される。
その後また業界ゴロに身を染めるが今度は天龍商店を自宅改装し開業した天龍に拾われ
番頭格の一人としてまっとうに働いた。天龍商店が店じまいした後はとんと消息が途絶えてるが
闇落ちしていないことを祈るばかりである。評価は賛否あるがやる気さえ伴っていれば
四天王に数えられていたことは間違いなかったはず、返す返すも「もったいない」という
言葉がこれほどふさわしい営業マンもそうはいない。 嵐はたしかにけっこうギフトもっていましたよね。。。
しかし、マスクがわるすぎるのもあったと思う
ダサイ系の田植えや、菊地ですら全盛期の嵐よりかは
女性顧客がいたと思いますね。。。! アキオさん、今、トラックドライバーやってるのかwwww
しかし、そこでもけっこーお米もってそうですよねww 本人がそういうのに無自覚なのが個人的にツボでひそかに好きなレスラーでした
あのルックスなら「た、か、ぎ、ブー」コール発生は必然なんだけど本人はインタビュー
でコールについて「そんなの高木って苗字が悪いんだから仕方ない」と言ってたけど
苗字が高井でも高野でも高尾でもブーコール発生したと思う >>225
あっちのトラックドライバーって組合がすごく強くてほとんどイタリー系でマフィアとも
繋がっていて、って映画の見過ぎかもしんないけどそういう閉鎖的な職場に若くないのに
入り込んで何とかこなしてるって本当にすごいと思う
日本でいうと築地のマグロの仲買でアメリカ人が働いてるみたいな感じだと思う >>226
そのマスク、ルックスのわるさを気にしてもいないけど
逆に変にイケメンキャラとかナルシストキャラで
永田さんとかイケメン二郎みたくネタにしないあたりも
彼の誠実さとか不器用さがあって味になっていましたよね
あのまま残っていたら田上とタッグ組んでいたかな。。。 田上はデビュー時から見てるけどほかの同世代と比べて起伏に乏しいんですよ
何となくじわじわ番付上げて何となくじわじわ降下していった印象があり書くの難しそう
この一戦、みたいのがあるようなないような 前から思ってて一度ほかで書いたことあるけど
三沢君 全日本高校の3年生でとにかくスポーツ万能、サッカー部も野球部も掛け持ち
でどっちもエース。事情があってお父さんがいないという噂だがその陰がまた
女子を引きつけてやまない学校一のモテ男。性格は結構さばけててエロ話もするし
後輩からも慕われてる。
川田さん 三沢君と幼馴染の2年生。モテモテの三沢君からは嫌がられてるのに気にせず
まとわりつく図太い女子。当然三沢君の彼女面をしており毎日三沢君の好物
の入ってない弁当を作って持参し三沢君を困らせてる。
「私たち二人の間には誰にも見えない赤い絆があるの!私じゃなきゃダメなんだから」
小橋さん はつらつ女子の1年生。一途に三沢先輩にあこがれ続け猛アタックを繰り返す。
そのため川田さんから蛇蝎の如く嫌われてるが気にせず三沢先輩を追いかけてる。
「だって川田さんは別に三沢先輩の彼女さんじゃないでしょ?」
最近三沢君もその情熱にほだされ憎からず思ってる。
田上さん 都内の高級住宅地からお父さんの仕事の都合で田舎の全日本高校に転校してきた
お嬢様3年生。最初三沢君を見た時は元の学校の男子と比べやぼったく感じて
見向きもしなかったが周りの空気に流され恋の巴戦に参入し二人と違い
微妙な距離で都会仕込みのラブテクニックで三沢君にちょっかいをだすようになる。 田上明 日本相撲財団からの転職組で時期的に取引先である財団を刺激するのを避けるため
まずジャパン人材派遣に籍を置いたのち全日商事へ入社する。配属された営業部は折しも
天龍課長が革命的営業を開始した時期だった。馬場社長の友人でありアドバイザー的存在だった
円楽商店の番頭、楽太郎の肝いり紹介ということもあり乳母日傘で大事に扱われた。
同期入社の高木もそうだったがそれ以上に社長の厚い加護下で育成されたイメージが強い。
まずは前の職場で二枚目と評判だったのを利用し女性顧客を担当するが釣果はゼロ。
次に担当させられた海外業務も取引先に赤子の手をひねるようにあしらわれ使い物にならなかった。
ここで馬場社長は方針転換、放任することに。田上は若手の営業決起隊に参加するも
ここでは三沢主任の足を引っ張りまくり、田上=お荷物のイメージが定着してしまう。
それを見守ってた馬場社長は田上の可能性をしっかり見抜いてた。
「いずれあいつはでかい仕事をするよ、田上のいいとこは言っちゃあなんだが小橋とかと
違ってガツガツしないで飄々としてるとこだな、何より優しさがあってハートがいい。
育った家庭にも恵まれたな、両親が揃ってるのは大きいな。」と渕係長に話した。 天龍課長一派が一気に引き抜かれ独立したため、今まで営業成果を全く上げることができなかった
田上は本来若手主体の営業二課に再配属されるはずだったがここで人事も手掛けていた馬場社長の
眼力が真価を発揮、若手でただ一人一課に配属され鶴田部長直属の部下となる。
営業成績はいいがおおざっぱでどちらかというと個人プレーを好む鶴田部長に若手育成はミスマッチ
ではないか、という声をよそに渕係長の正確かつ至れり尽くせりのフォローもあり見事に
一課は機能し全日商事にやや舐めた態度で取引してた海外の営業マンたちと五分以上に
渡り合い二課との競争でも優勢だった。この時点で営業マン田上は覚醒完了と誰もが思ってたが
まだ伸びしろを残してるところが田上の不思議な持ち味だった。
二課の川田係長とは顧客を取り合いガンガンぶつかり社内でも二人の意地の張り合いは
知られるところとなった。ただこういういい時間というのは長続きしない、
鶴田部長が病気で長期休養に入り嘱託に転籍したのに伴い組織改編が行われた。 渕人事部長、三沢営業統括次長が営業二課を統率し三課を田上課長とライバルの川田係長で
回していくことが決定、尚三課は新設のため軌道に乗るまで渕部長が兼務でヘルプする、という
体制が確立し全日商事は毎年過去最高収益を更新し社として円熟期に入っていく。
田上課長は鷹揚に構えてるが時に有り得ないほどの規模の契約を取り付けるなどで社に大きく
貢献する様は業界で田上火山と揶揄された。
馬場社長逝去後は三沢次長を支え新会社ノア物産にも参画し時折火山噴火をし
ベテランの安定感を若手に見せた。まさかの三沢社長の事故死の後を受け社長に就任したが
周期が業界の暗黒期だったこと、最重要取引先の日テレ銀行に切り捨てられる等の
最悪の時期であったこともあり業績は低迷、リストラを繰り返し会社を縮小したが三沢社長時代の
不明朗経理に端を発した巨額負債はいかんともし難く社長在籍8年目で社は破産する。
田上も清算にあたりそれなりに被弾したはずだが「三沢にはいい目も見せてもらったし」
と意外とさばさばしてる。こういうところが馬場社長が買った田上の良さなのだろう。
同期の小橋専務が最後までできなかった「自分を殺して後輩にいいとこを取らせる」ことを
何気なく飄々と全日商事時代からやっていた、というのも後年評価されてる。
現在はつくば市で外食業を営んでるが川田の店と違いルールが緩く自由度が高いのも
その人柄のなせる技、と評されてる。実際店内で煙草をくゆらす田上を見るとなぜか
優しい気持ちにさせられる客は少なくない。 冷静に自分の立ち位置を考えてみると平成維震軍崩壊後の小原がピッタリで、物凄く虚しくなった クレイジードッグスなら
まだ、ベルト巻けるだけ、ましじゃね?? そういや、田上、顔だけ見れば二枚目系ですよね……
しかし、それを変に気取らず
愛されるキャラクターになっていったのら
興味深いですよね ノアの負債全額返済して、
さらにステーキ屋できるって
田上社長、じつはけっこーお米持ちだったのか。。。 >>244
奥さんがすごくしっかりしてるんじゃないかな、相撲やめて全日本入ったころだから
もう30年以上前にすでに亀戸でスナック経営してたらしいし
夫の仕事がいつまでもできるもんじゃないのを見越して、なら計画性があるよな むしろ長いのがいいんだよ
ここまでレスラーの半生を面白く書いてくれる人もそういない 全日商事のかた、
厳しい評価になりそうですけど、
丸藤、ケンタも見てみたいです! 田上社長の店、
いちおー丸藤、杉浦も来てるんだよね
あと、やっぱチョークスラム、断崖技の元祖として
アメプロ系、ルチャ系のレスラーも
遊びに来ているみたい 四虎
コネで入社したけど、使えないことは分かってるので重要なポジションは与えられない
でも、いつもチーム内には入れてもらえる。存在感はなし >>247
丸藤以降は3行くらいしか書くことがないわ、今本田多聞とかどうかなと思案中です あ、秋山、まだフルサイズでは
やっていなかったはずですよね! 秋山潤(準)全日商事としては鶴田部長以来の青田刈り入社を果たした期待大の新入社員だった。
期待通りいきなりの営業配属で先輩に混じってバリバリ一線で仕事をこなした。
馬場社長が「未来の会社を牽引する人材」と公言し、また自ら幹部社員の心得や振る舞いも教え込み
仕事ができすぎるゆえのスランプや壁に悩んだ時期もあるが概ね順調な成長を見せた。三沢部長と仕事上
組むことが多かったが言葉少ない三沢より隣の三課課長で何かにつけてエリートの秋山に難癖をつけ
喧嘩を吹っかけてくる川田から仕事の勘所を学んだようである。先輩社員である浅子、井上、泉田あたりを
あっさり追い抜き同期入社で伸び悩む大森とは圧倒的な差をつけ係長に昇進、渕人事部長の采配で大抜擢をうけ
営業成績若手No1の小橋課長が仕切る新設の営業四課に移動し小橋と仕事をするようになったが
思えばここが秋山にとってのサラリーマン人生の分水嶺だったと見る向きが多い。 小橋課長は24時間365日仕事を続けるワーカホリックの典型で一切のデータを無視し
執念と根性と汗と涙で大口契約を力尽くで分捕ってくる剛腕営業一本やりだった。秋山は
本来頭脳派で、前年実績、為替相場、市場の需要、取引先の財務状況を読み切り少ない手数で
契約にこぎつけるスタイルだったが小橋課長と行動を共にするうちに次第にその色に染まって
しまった感があった。会社が収益記録を更新してる最中で馬場社長もその点には目をつぶっていた。
救いは秋山本人が「いつまでもこの営業スタイルを続けていたらどこかで破綻する、新しい手法も
いずれ必要になる」と自覚し自己研鑽を怠らなかったことだろう。秋山はこの時点で小橋課長だけでなく
三沢部長、田上課長、川田課長らの営業四天王の身を削る営業スタイルに限界がくることも
予見していたようだった。 馬場社長逝去後のノア物産設立に参画した秋山は営業統括企画部長の職に就く。
三沢社長の「自由にやれ」の声を信じた秋山部長は今まで4回5回6回とぎりぎりの値段
を提示して更に値下げした見積もりを繰り返しエンドレスに繰り出す2,9商法を改めて
緻密なデータ分析によりはじき出した必殺の数字一発で勝負をつけるスタイルに切り替えた。
当初は新味もあり受け入れられた新スタイルは従来の商法に慣れ切った顧客にすぐ飽きられ
売上に影響が出たため小橋専務ら守旧派が復権し従来のスタイルにあっという間に戻ってしまった。
秋山部長は学生時代のネットワークを駆使し新日商事の永田主任と禁断の業務提携を執り行ったり
新しい風を吹かせようとしたが黙ってみていた三沢社長派の反感をかなり買ってしまったようだった。
ノア物産では後進の育成もうまくいかず秋山が手塩にかけて育てた社員が揃ってのちにリストラ対象
になってしまうなどの悲運もあった。三沢社長が事故死した後は営業を外れ人事付き部長になるも
社の業績は右肩下がりとなり、心機一転、総会屋が介入していた末期の全日商事に出戻るという大博打
をうつ。誠実、堅実な人柄ゆえか上手く総会屋一派を追い出し小口株主の協力を仰ぎ
現在全日商事の立て直しに奔走する日々だ。ぎりぎりの小所帯で現在は秋山社長の唱える効率よい営業が
機能しており更新も育ちつつあり若き営業部長宮原は業界注目株として脚光を浴びている。
現在の悩みは筆頭株主がしゃしゃり出て営業に首を突っ込んでくるあたりか。ここいら辺を
秋山社長がどうハンドリングして見せるかに静かな注目が集まっている。 白石オーナーが総会屋になってしまっているwwwww 初期ノアの秋山のフロントネックロックはカッコよかったですよね
MMAの技を全日系の選手がカッコよく使うのは非常によかった
後年、VS武藤戦で切り札的に使っていたのは本当に素晴らしい 初期ノアの秋山のフロントネックロックはカッコよかったですよね
MMAの技を全日系の選手がカッコよく使うのは非常によかった
後年、VS武藤戦で切り札的に使っていたのは本当に素晴らしい おお
筆者は現在見る団体は
秋山全日と大日と大仁田関連とウルトラセブン関連と見た
あとは田上の店、川田の店、カブキの店とか >>260
サムライ加入してるんで放送されるものは格闘技とDDT以外は見手ますね
生観戦は思い立ったら当日券でもゆったりみれる全日本が多いです >>261
田上の店、川田の店、カブキの店にはよく行かれるのですか??
自分も、今度ライガーの引退試合で久々に上京しようと思うので、
どれかには行ってみたいかなあと 田上の店以外は各一回ずつ行きましたがカブキの店は移転前の方ですね
田上の店は行ってみたいですねええ、ついでにシンの親戚のカレー屋さんもはしごしたい 全日商事のかた、アポロ菅原お願いできます??
近況がまったく分からないので、気になりますね アポロって存命なはずなのにGスピリッツの国際プロインタビューとかにも
出てこないんですよね 本田多聞 履歴だけ見れば過去最高値の大型新入社員だった。鶴田部長の系譜に連なり
部長も入社当時の本田をかなり気にかけていた。「俺みたいに幕下付け出し
でやるより一番下からスタートしたほうがいいな、その方が味方も仲間もできるよ」という
アドバイスは本田にとって非常に有用であったと思われる。本田はそれこそ雑巾がけから
年下の先輩に交じって汗を流した。経歴を鼻にかけることなどなく謙虚かつ寡黙に黙々と
作業をこなすのだがどうにも要領の悪さばかりが目についた。二度手間はおろか三度手間も
多く1の熱量でこなすところを3かけてバテてしまうケースが多く営業で独り立ちする
のにかなりの時間を要した。 営業に配属されてからもその真面目さと裏腹に不器用な面が目立ってしまい
最終的に全日商事在籍時には一本立ちを果たせず補佐役がせいぜいだった。
三沢部長の独立→ノア物産設立に参画してやや潮目が変わった気がした。
三沢社長の決断で業界内では絶対交わらない水と油といわれてた橋本真也CEO率いる
ゼロワン本舗と禁断の業務提携を交わした際敵陣に井上雅央営業係長(心得)を伴い
乗り込んで無理筋交渉を仕掛けてきた橋本CEOに一歩も引かずイーブンに渡り合った
のは本田の真骨頂だったと言える。(井上は交渉中に卒倒し病院送りとなった)
以後小橋専務が実権を握る時代になってからは中堅としてポジションが固定し
ルーチンワークをこなす日々になってしまったのはあまりにもったいなかった。
三沢社長急死後の経営不振の流れの中リストラ宣告を受けることになる。
永遠の未完の大器のままフェイドアウトし現在は学習塾を経営しちびっこの指導に
当たっている。本田の愚直なまでの熱心さと真面目さが報われてほしいと切に願いたい。
また現在でも自身がボーカル兼リーダーだったベタなパンクのカバーバンドの活動は
継続しているのだろうか 多聞、バンドのボーカルしてたんですねwww
おお、破壊王とも渡り合ったのは
かなり濃いノアオタでも忘れているのでは??
多聞の育成失敗はなんとなく谷津さんにも被るかも ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています