「新日暗黒期だぁ〜w」って騒ぐキッズに本当の恐ろしさを伝えていくスレ
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国技館のマス席は横になるためのスペースとして逆に人気だった プロレスも異種格闘技戦も八百長なのにそれで勝って「俺達はあらゆる格闘技で最強なんだ!」とアピールする
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総合格闘技というプロレスルールに近いガチ格闘技が現れる
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世間から「そんなに強いなら総合でも勝てるはずだろ」という目で見られる
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出場したらボロ負けしてプロレスラーが弱いことがバレる
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強さを売りにしてた新日本のアイデンティティ崩壊
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ファンが離れる
まあ骨法が辿った道と同じだね
ここから巻き返した棚橋とか今のレスラーは凄いね >>67
2006年に選手が大量離脱しスカスカ状態になったが総合系や外敵が一気にいなくなったのて >>68
すいません…
明るい未来を感じた。
復活するのに結構掛かったけど… オレ的にはチャンカー出た時の棚橋が最高なんだけどわかる人いる? >>67
その辺はまぁ猪木のせいだわね
今ある程度盛り返してるのは猪木色を捨てたからともいえる >>54
ドラゴンスタイルって腰悪い人用なとこあったから若かった棚橋には合ってなくて
もっと動けとヤジられてたな当時 >>70
あそこから棚橋は化けたと言われてるやつじゃん共感者しかいないだろ 安田がセコンドに気を取られて背中を向けてる相手の後頭部を殴ってピンフォール勝ちしてた時代 2006年のドーム特番のタイトルが「新春格闘スペシャル」。
プロレスって言葉も使わしてもらえんこともあったな 猪木、長州、三銃士が居なくなってから良くなった
やっぱりある程度の入れ替えは必要 G1安田柴田で「同じ魔界同士だから負けてやるよ」って寝て、
本当に3カウント取られた安田
アゴの中間搾取のためにこんなの押してたらそら客来んわ 両国での健介対藤田
よりによって台風の日にアレはねーよ ドラゲーの神戸ワールドだかでライガーが参戦した時に、通路で新日がチケットと物販売ってたけど
だーれも買ってなかったな >>80
両国のメインが健介対サップの時もあったね… 中邑「一番スゲエのはプロレスなんだよ!!」
柴田「巡業出ないで総合の練習ばかりしてる奴が言うな」 新日が上がり目になったのいつからだっけ?2010あたり?
いつからストロングスタイル路線からアメプロっぽい試合構成にかえたんだっけ?
2006〜2010あたりちゃんと知ってる人はすげぇ面白そうなんだよな >>85
2006年は印象深い年だったなぁ
何とかしてあげたいって言う気持ちで地方大会も積極的に見にいってた…
スーパージュニアの松戸大会行ったら稀勢の里と若の里が観覧しに来てたな〜 よく言われてるのは実数2500くらいしかいなかった
IWGP棚橋後藤の両国(2007秋)が盛り返しのきっかけだった
2008年に武藤がIWGP取ったのはワールドプロレスの視聴率テコ入れのためで
当時は打ち切り寸前だったとかどっかで見た記憶ある >>87
真壁が中邑にチェーンデスマッチで勝ちウンコチンチン発言したときも凄く幸せな気分になれたなぁ… >>88
毎回ビッグマッチでもうすぐ引退する飯塚と誰かのデスマッチやってたよな
天山真壁永田棚橋とか覚えてる
それがなくなった時、盛り返したなぁと思ったわ クレイジーサイクロンの人
「ハッスルポーズを全員で阻止するんだ!」
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「マツケンサンバ うぇ〜いwwwwwww」 2008、2010のG1決勝で比べると2010の方が現地の熱気がスゴくて勢い戻ってきてるの実感したな やっぱストロングスタイルからアメプロっぽいのにしたからウケた?
それの転機がいつ頃からはじまってどうやって徐々に客足回復できたんだろ
そういう試合スタイルならドラゲーがやってるからドラゲーが業界1位になっててもおかしくないだろうに
なんで新日に客が集まったか >>87
2007の棚橋後藤はまぁ一つの節目ではあるが、
そうは言っても2008年1年間は武藤に王座譲ったりとか
イマイチ伸び切れなかった気がする
ただフロントが、苦しいながらも超えるべき壁を用意して
シビアな判断で高い壁にさせたというのは評価できることだったと思う
チャラ男になった棚橋は2008年、チャンピオンカーニバルで武藤や川田に存在感で負けない輝きを見せたな
待望論はあったんだけど、膝の怪我などで2008年一年はトップに立てなかった
個人的には2009年からだな、ようやく新日にもチャンピオンらしい
チャンピオンが戻ってきたじゃないかと思ったのは >>92
一時期、イケメンレスラーが多いから今若い女性から大人気みたいな売り文句で色んなメディアで特集とか組まれてたような
急にどうしたのって思った >>92
2009年、2010年ごろの運営は地味に優秀で、当時のライブ動画配信サイトである
Ustreamで記者会見の生中継始めたり、
過去のコンテンツを利用して公式Youtubeチャンネルを作ったり、
まぁ今で言うワールドの先駆けみたいなサービスだね
公式ツイッターもうまく活用してバズったりしてた
イケメンレスラー売りもそうだけど、そう言ったマーケティング感覚があるスタッフの種まきってのも
地味に効いてるんじゃないかな 新日復活は
ユークス、蝶野、棚橋が三大要因だよ
脱猪木、脱テレビ、格闘技ごっこからの脱却ができたのが大きい
もちろん同じ方向に目を向けて進んでいった他レスラーの功績もあるが棚橋は新日本中興の祖と言える選手だね >>92
スタイルを変えたとかでは無く、失った信頼を取り戻すことが出来たから客足も熱気も戻ってきたんじゃ無いかね
そう考えると転機はリング上で棚橋がプロレスをすると宣言した2002でそれがやっと芽吹いてきたのが2007両国での後藤戦なのかもしれんな 04年1月2、3日の全日の後楽園大会の帰りにロビーで「新日本プロレスです」って言いながらドーム大会のティッシュ配ってんの見たときはプライドないんかと思った。
可哀想だからティッシュだけは受け取ってあげたけど他の客は「うわっ。新日本だっせぇ」ってさんざんなこと言ってたな。 >>48
聞いたことあるけど、実物見てみたいw
誰かタイトルわかる人いません? >>95
ニコニコでPPVやってたのも確かそのへんだよな
コメありで見れなくなったのは寂しいが、毎回2500円とか払ってたあの頃に比べれば今は月1000円でなんでも見られる幸せ… 中堅ベテランを整理解雇せざる得なかった
年収250万提示 >>4
今の信者はすぐヒステリー起こすのも悪い癖
暗黒期も楽しむ余裕が欲しい 後達やサムライは250万だけど稔は邪外がブッカーなの嫌ってじゃないっけ 棚橋アンチスレ見てると07年の後藤戦は大炎上したとかワーストバウトとか言ってるけどまじでター山の考えと同じ人が大半なのか...? >>99
それ聞いて、なんか逆に、そこまでできる器量あるんだ、って思ったけどな
殿様商売がアダになった印象あるから、そんな頭下げるようなことやってたのは意外 いつもの如くダーをやりに登場した猪木が観客から帰れとヤジられる ミラノコレクションが来た辺りから良くなった来たする >>62
いつも新日がやってる事だろ
お前の方が気持ち悪いわ
キモオタ >>39
それは器が大きい証拠だろ。
どっかの同好会なんてオレツエーばかりやって今じゃ観客100人集めるのが精一杯だからなw >>114
あいにくファンは器大きくないんでな
ストレスしかたまらなかった 上井が退社してからカードがファン寄りになっていった気がする 後藤が杉浦なんかに連敗させられてたのはなんだったのかねえ、その分中邑後藤で三沢杉浦に勝ったときは爽快な気分だったけどw サップ、藤田あたりが返上しまくったせいで
トーナメントばっかりやってたな。
ドームを埋めるために外敵呼ぶ、シリーズ中に抗争相手がいない、王者がいない、盛り上がらない。こんなことの繰り返しだった。 転機は2007年の棚橋後藤だけど
会場の熱は2009年ごろの真壁中邑抗争で上がっていった印象
エリート塩だった中邑がケイオス行って
ヒールだった真壁が本間を救ってから声援を集めて
G1で一気に爆発した
そこからスイーツ真壁がピックアップされてきて
一般層にアピールが始まったように思う
それでも集客は2010年秋の両国とかガラガラだったけど
オカダが戻ってからは月を追うごとに増えていった
2013年には後楽園当日が取れなくなっていたな >>114
それを器が大きいっていうのは違うわ。当時は今より団体対抗みたいな意識が強かったし新日ファンのストレスは相当溜まったと思うよ。 >>122
地獄の抗争からGBHを経て今のCHAOSまで続いてるって良く考えたら凄いな >>123
あの流れは何だったんだろう…
客なんか入らなくてもいいとか本気で思ってたのかねって言うくらい大会場は不良カードの連抜だった… >>122
2010年秋の両国、寂しい入りだったよな
実集客でいうと、悲しいことにやっぱりブシロード時代までは顕著な回復は見られなかった
逆に棚橋たちも「ここまで(ドブ板プロモーション的なものを)やってもダメなんだ」
と手詰まり感があったと言っていたし
オカダもそうだけど、やっぱりブシロードのプロモーションノウハウが大きいと思うよ >>126
山手線の全車両が新日一色になっていたのを見たときは感慨深かかったなぁ… >>126
山手線の全車両が新日一色になっていたのを見たときは感慨深かかったなぁ… 当時を知らない人間です。
上井さんの本を電子書籍で読んだら、
選手が大量離脱した中で俺はよく頑張った!的な自己評価だったんですが、皆さんの評価はいかがでしょう?
個人的には、中邑を次世代エースにフックアップしたのは功績。
魔界倶楽部というギミックは昭和ぽいセンスで罪。
総合に選手をだしてIWGPの権威が堕ちたのは、猪木会長の意図が強く断りきれんかったんだろうなぁ、ということで中立かな。 >>129
上井氏は中邑プッシュしか功績無いと思う 上井がいなけりゃあそこまで落ちなかった
アルクラも中西K-1も柴田も全部あいつのせい
おまけに売上ちょろまかしてたんだろ? 夜中のプロレス討論番組で上井が永田がミルコとヒョードルに負けたのはプロレス会のために頑張ったんだとか力説してたな… あの頃新日ドームは秋葉原でチケットバラいたりどこかのサイトで500組1000人に1万円のチケットをプレゼントしたり、ノアではYFC招待券や観覧派遣のバイトで見れたし
ドラゲーもタウン紙でチケットプレゼントしてたりゼロワンなんて無料大会ばかりだったし女子プロの地方大会も招待券まわってきたし金使わず年間20試合くらい見た >>1
マス席一人占めや二回席で空いてる最前列移動余裕でした 暗黒時代は全く見てなかったけど、WWE日本講演武道館の翌日についでに新日両国を見てるはずなんだよな
マス席に初めて座った記憶しかないけど、あれは何年だったのか・・ >>59
あれで軍団編成もグチャったし
棚橋、イービル、デスぺって感じじゃない? >>113
それやってた猪木新日は落ち目になったときに叩かれた
同様にノアも落ち目になったときに叩かれた
因果応報のプロレス業界 >>138
すげー的確な例え
まさにそんな感じだな ドラゲーのCIMA一派もそうだけどリング上では敵対してたのに仲良く退団ってよくあるパターンだもんなw 武藤についてくのは大谷だとばっかり
BATT繋がりで ハッスルがウケたことに影響されて、ハッスルのパクリをやってたのは面白い反面、痛かった。
しかも出すネタが魔界倶楽部とか、昔の使い回しという・・・
タイチを連れてきたことが唯一の功績?か 新日本を、また見だしたのは、オカダG1優勝ぐらいからかな。
それまで、週プロでチラリと見てたが、後楽園クラスでないとIWGP戦できないのかとショックだったわ。 結構人気あっただろカシン
ジュニアじゃ一番人気だったんじゃないか
デスペに例えるのはちょっと違和感 >>145
デスペをSHOかYOHあたりに変えたらしっくり来るかな? >>60
おっさんには申し訳ないが、
武藤には感情移入が全く出来ない。 >>148
武藤は実力、ネームバリュー、海外での実績は誰もが認めても別に親日の顔って感じじゃなかったしな
武藤が抜けたのはショックだったけど結果それほど変わった感はなかったな >>149
今で言えば、オカダか内藤が抜けるイメージか。それよりは中邑が抜けた時のイメージ? >>145
それはない
たまにスポットがあたる曲者の実力者だった
メインイベンター扱いはライガーと金本
次点で田中稔と垣原や成瀬という感じ All Togetherで新日に出戻ったなぁ・・・中邑がクネって興味出てもう一度見始めた。初見だとあの変貌には驚く 中邑が外国のオカマみたいな見た目になったのは思い切ったキャラ変だと思った しぼんだり超合金ボディになったりクネクネと
苦労もんやな 棚橋金本のIWGP戦を升席1人で寝転がって見た思い出 詐欺ですつかまった円天が社員使って駅前で招待券バラマキ >>148
武藤は痛い発言も多かったからね、四天王全盛期にジェラシー丸出しで三沢川田叩いてたのにいざ戦えそうな状況になったら180度態度変わったり ブシロードに買われた時ってヲタはどういう反応だったの?
「オタク企業は嫌だ―」とかそういうのが多かったんだろうか >>159
元々ゲーム会社のユークスが親会社だったし買収自体はそれほどでも
むしろキッダーニ男爵?が出てきた時の拒絶反応の方が多かった どっちかと言うと発信力の高いオーナーに変わったから攻めの経営が出来るなって思ったけどやっぱりなんだかんだでオカダの登場が大きいわ
2013年の東京ドームから色々風向きが変わったな
2014年以降なんてゲスト他団体じゃなくてほぼ自社のレスラーで興行が出来るようになったし その後、全日本に白石氏というわけ分からん人がオーナーになって、木谷ちゃんともケンカしだした時は
新日本はホント、ブシロード傘下でよかったと思ったわ 後楽園IWGPはバカにされたけど、越中人気でとんでもなく盛り上がった。 白石は馬鹿すぎた
中邑と真壁の抗争あたり本当好きだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています