今考えると全日の四天王プロレスってキチガイじみてたよな Part2
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>677
モスマンは分裂間際で秋山に引っ張り上げられてようやく頭角現したけど、馬場のお気に入りってだけで存在感は薄かった
三沢はケアを嫌ってたって訳じゃ無いと思うけど、素材は良いのにプッシュしなかったのはあまり努力が感じられなかったからじゃないかな
?
実際、99年頃のモスマンって試合出てたっけ?
って位印象が無い
泉田は正直、どこの団体行っても駄目だったと思う モスマン曰く「家庭の事情があり幼い弟がいるのでシリーズ終了ごとに
帰国してたのがお気に召さなかった」らしい
確かに残ってオフも練習すればもっと早く開花したろうし日本語も何とか
なったとは思う >>679
秋山は多聞、志賀、泉田、橋とかを引っ張り上げるために頑張ってたよな
ノアの未来のために後輩を育ててた 三沢は個々のポテンシャルしか見てない感じ 昔週プロで馳が三沢が苦手にしてることにパワーボム系の技を受けるの嫌ってるって言ってて意外に思ったな >>655
それだよな
プロレスは受けじゃなくてセルだよな 泉田かぁ
本田とのコンビは不器用さが逆に良いチームカラーになってたが
結局何も出来なかったよなあ
晩年の暴露本は酷かったわ
自分の意思でホイホイ三沢についていったのに
三沢批判(自身の無能ぶりはスルー)
「スタンドなら小橋に勝てる」
「体の小さい平柳に絡まれても大した事ない」
とか虚勢ばっか張って見るに耐えない内容だった >>676
川田に言わせればやりたくなかったのに元子に無理矢理ならされたらしいが
三沢はこれだけ苦労してるんだから俺の好きにやって何が悪いというのがありありなんだよな
不機嫌は前からだがとにかくNOAHになってからの顔付はますますひどくなっていった印象
批判的な記事は許さないとは仲田への批判にあるが三沢の意思でもあったのは間違いない 勘違いしている選手よりも元子だけは理解できねえ。あんなのただGBにくっついただけだろ。レスラーを何だと思ってんだ、あのクソババアは。 とにかく馬場にとって不可欠の存在だったのは間違いない 馬場がいるから皆我慢していただけ。空気が読めない勘違いクソババア。
タイチだって「パワハラ受けた」とか亡くなった後でも言うことは余程酷かったんだろうな。 三沢も離脱直後に「馬場さんだったら我慢できても、奥さんまで我慢は出来ない」って言ってたな。
馬場があと5年長生きしてたら三沢も40過ぎてたからノア旗揚げはなかったかな。
もしそうだったら三銃士をはじめとする新日本との対抗戦は実現しなかったかな。 元子のお父さんは馬場なんかじゃなくて広岡達朗と結婚させたかった
らしいけどもしそうなったらサッチーとか落合信子みたいになってたんかな >>683
馳で思い出したけど何かのインタビューで受け身の話になって
「新日は全日に比べて受け身の練習が少ないとよく言われてるけど同じぐらいやってましたよ。でも三沢川田小橋田上の受け身は凄すぎましたね。ロープ際での受け身が巧かったな、あれは三銃士も真似できないですよ」 >>689
我らが愛した元子全日では
元子が登場してリングに向かった際に
「元子さーーん!」「うわぁ〜!」「キャ〜♪」
みたいな歓声が飛び交ってたんだが、信じる?www 鶴田の晩年はファミ悪の試合ばかりだったけど、一回だけ相手に田上がいた時があったな。
鶴田が田上を集中攻撃してたけど、最後は手加減するだけ手加減した田上の喉輪落としで鶴田からピンフォール勝ちだった。
あれはいきなり自分が離脱しながらも立派に一本立ちしたかつてのパートナー田上に対するせめてものプレゼントというか、罪滅ぼしだったのかな。
当時話題になってたのかは知らないけど、何か寂しさを感じた記憶がある。 >>697
そういえば鶴田は欠場後は三沢川田とは一度も対戦せずに終わったのかな?
組むことはあったけど
小橋とは95年辺りでタッグで当たった気がする >>686
立っての殴りあいならと書いてたからボクシング >>680
シリーズ終わる度にワイハに帰るし日本語はいつまでたっても覚えないし
って批判してたね >>670
冬木が三沢に提携持ちかけた時に「冬木さん。うちになんかメリットあるの?」って言われて、そういう考え方じゃ美少女出来ないなって思ったって言ってたわ
聞き手のターザンも三沢はビジネスが分かってないって言ってた それと99年の最強タッグ決勝で解説してた時の、小橋&秋山への肩入れが酷すぎたわ
あれは空気読めなさすぎて萎えた >>698
阪神淡路大震災直後の大阪大会で馬場・鶴田・三沢組が秋山・大森・本田組と対戦したな。
エーストリオが一度しか見られなかったのは実に残念。 >>644
三沢がウイリアムスを切ろうとしたら元子さんに泣きついて
三沢くん。使ってくれる?って言われたって独立直後のトークショーで皮肉っぽく話してたわ でもあの時はハンセンはスポット参戦になりつつあったしエースはもう引退を考えてたのかやる気なかったし
ベイダーだけじゃ外人勢が足らないからウィリアムスに頼るのも分からんでもないけどな >>701
その当時の全日はあんまり詳しくないんだが、
ケアがヘビーに転向するにあたり、
ジュニアのベルトを「返上」したことで
他の選手の反感を買ってたような記憶があるな
つまるところ、次にジュニアのトップになる選手に
花を持たせてやれよ(負けてベルト渡してやれよ)という
意味合いのことを言われていたと思う
このあたりの管理というか、ケアが負けブックを嫌ったら
それが通ってしまうのだろうかとか
けっこうナゾであり、それこそ元子のお気に入り待遇? >>707
ウィリアムスは分裂前から劣化激しかったもんな
よくあれで対抗戦でノートンに勝ったな、と
ノートンはノートンで劣化早かったけど >>698
95年9月のファン感の6人タッグで小橋と対戦。
>>697
田上に負けたのは96年10月の武道館だね。95年3月4日も馬場、鶴田、秋山vs田上、渕、雅夫央という組み合わせで対戦。 >>698
小橋とはファン感謝デーの6人タッグで当たってた気がするな
あれ動画で見てみたいわ >>710
田上がI田の技受けるだけ受けて、
最後は田上が珍しいボディアタックからの喉輪落とし一発であっさりピンだからな(優し目の)
鶴田のあの身体つき見たらもう一線では無理だとは思ってたけど、寂しさがあったね >>708
ケアは分裂後初の武道館でのハンセンと組んでのメインが良かったな
カード的に天龍・川田とハンセン・ゴディの最強タッグも意識だったんだろうが。 >>709
この試合、双方共に劣化していて酷い試合だったねぇ。
ノートンは超竜ボムの叩きつける勢い、ウィリアムスはバックドロップの角度で
劣化の具合が顕著になってるのが痛々しかった。
95年辺りに見たい試合だったね。 >>714
ウイリアムスは元々外国人相手に良い試合できないからなあ ウィリアムスが新日に初参戦したとき「荒削りで強引なヤツ」って
印象しかなかったから全日に無償譲渡が決まったときは
不良債権を追っ払った新日賢いなと思った >>708
懐かしい。当時はゴングを毎週読んでたけど、小川や菊地が、ケアが返上したベルトをみんなで取り合えとか舐めてるって
珍しく会社批判してたね。三沢も責任感がないってケアを批判してたかな? >>717
あ、おれもG誌派だったよ
モスマン(当時)はすでに全日ジュニア枠って感じじゃ
なかったのは事実で、小川らに負けるとしたらもはや
クイック系の技をウッカリ喰らうか、あるいは何かかなり
トンチの利いたことするしかないレベルだったとは思うが
それにしてもそこで批判してたのが三沢、小川、菊池だったのか
これは、その時点でのノワ(分裂)の予兆だったと言えるのかも >>717
あとさ、プロレスをサーガ的な視点からみるとさ
テンルーさんも、ジャンボが返上した
UNを取りに行けって言われてホントは悔しかったって
かなーーーり後になって「ぼそっと」呟いたことあるじゃん
それが最終的には、三冠とったときにテンルーさんが
腰に巻いたのはUNだったわけじゃん
だめだ 思い出したら涙腺がやばいw >>714
ノートンはそれでも5か月後辺りにIWGP王者になってるんだよね
ウィリアムスとタイトルマッチで再戦あるかなと思ったけど
短命で終わったね
ちょうど猪木軍による総合格闘技風プロレスの煽りを受けちゃった >>719
当時、俺は子供だったから天龍とUNの関係性って僅かに聞いたことがあるだけで詳しく知らないけど、選手がベルトに思いを込めるのは聞いていて嬉しい話だ。 >>720
健介からベルトを剥がす役目がノートンだったっけ?それが伝説の「正直すまんかった」に繋がったんだよね。 >>717>>718
そもそもケアにジュニアをやらせたことが誤りだったと思う。
FMWの川崎に出場する直前に小川からケアにスイッチしたわけだが不自然だった。
FMWに出場するから強引にチャンピオンにした感じだった。それまでのケアからは「ジュニアのベルトが欲しい」なんてコメントも無かったし。 >>679
泉田も馬場追悼後楽園の川田シングルとか一瞬光ったよね
たまにはシリアスな試合をやらせてあげてもいいんじゃないかな、位に対応してた >>717>>718
あなたたちが何処のどなたか知らないが過去の記憶を共有できる人がいて嬉しいぜ。
当時の全日は現代みたいにマイクアピールも無ければ、軍団抗争、個人間の遺恨も無かったが何故かお金を使いまくって観に行ったよw
俺はゴングじゃない方の週刊誌を毎週買っていた。 >>725
こっちもむかしの楽しかった頃の思い出話を出来て楽しかったよ。
当時は本当に四天王プロレスに熱中したけど、ノアになってからの三沢や小橋の試合にはなぜか熱中出来なかった。
川田がいなくなったからかな?それとも馬場の呪縛から解放されて緊張感がなくなったのかね。 自由というのは不自由や抑圧の中でこそ光輝くものとは良く言ったもので。
ノアでの自由にはその抑圧や不自由がなかったかな。 それは全日本プロレスではなくなったからだよ。
馬場、鶴田の系譜は大きい。 ベイダーのビッグクランチよりノートンの超竜ボムの方が威力が高そうに見えるのはオレだけか?
超竜ボムは凄いからなぁ。
ノートンは橋本クラスの重量でも軽々持ち上げておもいっきり叩きつけるから。
オブライトのフルネルソンの方がヤバいのは認めるけど
全日の堅いマットで超竜ボムで叩きつけられたら四天王も溜まった物じゃなかったと思うぞ。 >>727
全日本時代はマイクアピールや他媒体への露出を極力禁じられ、三沢たちはリング内でプロレスをすることしか表現方法がなかったからね。
週プロが「純度100%のプロレス」と形容したことがあったが、まさにその通りだと思った。 ノア立ち上げで脱四天王プロレスやるんだと思ってたら、さらにエスカレートしたのは意外だったな
秋山が開幕戦で脱四天王の姿勢は見せたんだけど >>732
開幕戦の謎のバトル・カッキーも脱四天王? 実際ノアと分裂がなかったら
まともな形の全日本は残ってたかね?
日テレがすぐノア中継始めたところからしても
避けれない分裂だったのは確かだけども
小橋、秋山、大森、高山をメインにして興行してたのかね >>733
あれは何だったのかね?ガチガチの三沢派だと思ってたのに
金丸、丸藤推すための踏み台にされるのが嫌だったのかね >>731
当時、大してプロレスに興味の無い先輩が全日を「あれが本当のプロレスだよ」と言っていたのを思い出した。
一方、Uヲタの友人によると「あんなのは只の我慢比べだ」。 三沢小橋戦をゴッチとテーズに見せたらゴッチは褒めていたのにテーズはボロクソに言ってたのは意外だった >>729
ノア旗揚げ時は三沢はすでに38歳?
小橋も旗揚げ直前に膝手術したしね
90年代で四天王はボロボロだったはず
川田も全日残って対新日本で頑張ったけど、
長期欠場明けだったし大丈夫か?と心配だったよ >>738
ノア立ち上げの時に小橋、秋山がダブルエースで自分は第一線から退くつもりだったしね
小橋離脱で結局三沢が最前線に立つしかなくなったし
丸藤からGHC剥がして連勝した時もスポンサーやらタニマチが「三沢さんじゃないと」って >>737
ゴッチは客目線でで高く評価してテーズは「客に受けるのはわかるが」とプロレスラー目線で否定したのは面白いね >>739
あのとき丸藤に色々なものを継承してシングル王座戦線からは引いてほしかったな。
かつての鶴田の役割を担ってほしかった。
別に自分がチャンピオンでなくても、タニマチやスポンサーを納得させられるような方向性はあったと思うんだけどね。
タッグ戦線で存在感を発揮するとか、チャンピオンじゃないからこそ出来るような他団体とのマッチメイクとかさ。 >>708>>717>>718
97年にケアが世界ジュニアを戴冠した時は10月にレックスキング、98年1月にはリッキー・サンタナ。ケアのキャリアでこんなしょっぱい相手とタイトル戦やらされたのがかわいそうだったな。
小川ならなんとかしちゃうんだろうけど、ケアの若さであの相手は酷だなと後で思った。 ケアがジュニア王者だった頃が
浅子にとって最大のチャンス時期だったな
武道館でのケア戦はいい試合だった記憶があるが… しかし、ファイプロのマウナクア・モルダウのネーミングが酷いよなw
三沢とか前田は氷川とか冴刀とかカッコ良いネーミングだったのに
モスマンとかあーいうレベルは手抜き臭全開というw ファイプロの氷川は「オーケー!」と言いながらエルボーを打つw
あと何でエルボーバットで流血するんだよw >>735
自伝読んだけど、旗揚げで新しいものを見せなくちゃみたいなプレッシャーから
ああいうスタイルになったけど受け入れられなくてショックだったとか書いてたような >>737
ゴッチが誉めてたのは知らなかった。テーズが三沢のタイツ上げを皮肉ってたのは覚えてる。当時は熱狂的信者だったからずいぶん腹が立ったわw
グラウンドを知らない二人だから、気楽にタイツ引っ張り上げられるとか言ってたっけ。
橋本vs天龍もタフマンコンテストとかって切り捨ててたね 97年頃にモスマンが誰との試合かは忘れたけど、解説で御大が「あれだけの気迫を出せてまだ21才ですよ」って絶賛してたのが印象に残ってる
正直、ケアのよさがまったく分からなかったけど武藤や秋山が高く評価してたんだから俺の見る目がなかった 天龍のWARスペシャルを誉めていたのってテーズだっけ?ゴッチだっけ?
「今時、こんな技を使ったりするのか?」みたいな。 >>746
そうだったのか すぐに離脱してそのあと普通にプロレスやってたからノアに残ってほしかったな 全日で垣原は菊地をレスリングで圧してたよ
タックル決めてバックを取り次はタックル潰してバック取る
あれ菊地は自分にガッカリしたんじゃねえかな 菊地はウィリアムスとグラウンドで互角にやりあってたこともあったらしいが 秋山がウィリアムスにグラウンド仕掛けた時に馬場さんが
「レベルが違うから秋山は違う事をしたほうがいい」って言ってたな >>751
その頃の菊地ってオッサン体型になってたよね
身体がついてかないか、錆ついてたのかもね レスリングと空手と器械体操をマスターしてる三沢さん最強だな プロ"レスリング"と言ってる割にプロレス界でレスリングの実績や経験って消化しにくいよな
空手やボクシングだったら打撃技が絵になるし
柔道だったら一本背負いや逆十字固めとかも盛り上がったりするけど
レスリングの手取り足取りって中々金取れるようなムーブになりにくいよな カッキーこの前つべでvs金本とのスーパーjr見たら何気にシャイニング式レッグラリアットとレインメーカー式カッキーカッターやってた
何気にめっちゃセンスあるよね >>757
鶴田も言ってたけど日本のプロレスは相撲の影響が大きいからな
食事やら身体作りとか >>757
伝わりにくいね、アマレスの猛者太田章もレスリングの強さは
「相手のいいとこを出させないというか相手の力を吸い取る力」といってた
非常に分かりにくい >>757
多聞なんかアマレスの天皇と言われたくらいなのに大成しなかったし、よそだけど矢野なんてアマレスの技術を見せないしな。
本人曰く「求められていないから出さない」らしいけど。 >>761
アマレス時代の多聞は恐れ多くて秋山や杉浦は話しかけることすらできなかったらしいな うちには多聞ちゃんがいるから
と三沢は言ってたんだ
最終兵器って意味だよね だったら対橋本安田の時の多聞のタッグパートナー雅央じゃなくもう少し
考えてやってほしかった >>764
田上&多聞だったらもっと注目浴びたろうな
田上ー安田は玄人好みのカードだったもんね 多聞の回転地獄五輪シリーズは数少ないレスリングの実績をうまく消化できたパターンだな
長州も中西もレスリングの猛者だけどパワースタイルだし
馳は時々披露したら滑るしプロレスリングってなんだよって思うわ 話ぶった切るけどウイリアムスとオブライトって亡くなるのが早くないか?
ハンセンとブッチャーとドリーなんてまだ健在なのに。 >>762
多聞は自衛隊体育大学時代
兵隊やく○
と呼ばれてたらしいからな。 >>769
ハルシオン ステロイド 酒 長生きしたら奇妙だろ 外国人レスラーって日本人レスラーに比べて早く亡くなるのが多いな。 今も昔も変わらんと思うけど
なんでも頭から高角度に落せば
大技みたいな風潮あるよな
その時代の全日もそうだった >>772
ムッキムキの選手はみんなステロイドの影響か心不全多いね 志賀がゲームのモーションキャプチャー収録で首やらなきゃなぁ
ポスト四天王いけたかも 復帰後明らかに動きおかしかったし >>769
ウィリアムズはともかくオブライトは重度の糖尿病だったらしいから仕方ない
病気持ちの割によく頑張ったという感じ >>775
試合以外で負った負傷の場合、責任は誰に発生したのかな? 超世代軍立ち上げて三沢が最初にタッグパートナーに選んだのは小橋なんだよな
アジアタッグ返上して川田に変更されたのは会社側の意向なのかな >>778
正確に言うと選んだというよりはタイガーマスク&小橋組としてアジアタッグを保持していた。
確かに何の説明(コメント)もなく三沢&川田組とエース&小橋組が始動していたね。 >>779
当時、鶴田のパートナーに小橋を選んでいたらどうなっただろうね。 >>780
天龍離脱前に鶴田、小橋VS天龍、ハンセンが組まれたことがあり、いずれ正パートナーになるのかなと思ったものだ。 ヤングライオン時代の中西がウィリアムスばりの垂直落下バックドロップ出して長州に激怒されてたな
秋山がどんどん先に行くから焦ってたのかな >>782
それって高岩だったはず
受けたのが中西 高岩ならやりかねないな、週プロで見たような記憶がある。
高岩って他のレスラーとなんか違うよな。 長州がいつも高岩にプロレス辞めろ辞めろ言ってたのは
叱咤激励ではなくいつか重大な事故起こすと危惧してたからでしょ >>787
星川を再起不能にしたのは高岩が悪いの?映像を見ていないから何とも言えないけど。 確かカブキは「プロレスでは怪我をする方が悪い」と言ってたな
プロレスにおいて相手を怪我させようとして技をかける訳ではないから、という理由で
四天王は「〇〇なら受けられる」という信頼もしくは甘え、高岩は相手の事を考えないって無責任さ
どちらもプロレスの王道じゃないな、大仁田のデスマッチの方が馬場のプロレスに近いだろ >>788
高さ四メートルの金網マッチで雪崩式のパワーボム食らって、最後ラリアットか
何かで昏睡状態になって搬送されたんじゃなかったんじゃなかった?
もともとその試合の前哨戦でも高岩のラリアットか何かで頭部にダメージ負って欠場してた記憶
金丸も雪崩式のデスバレードライバーとか食らってヒヤッとしたしね
相手の受けの技量とか考えずに無茶苦茶な技繰り出す印象はある >>781
鶴田&小橋、三沢&田上、ハンセン&川田、ゴディ&ウィリアムス、馬場&アンドレとかになったのかな?
この組み合わせだと、殺人魚雷が頭2つくらい抜けているな。 すでに完成されつつあった四天王プロレスに、後から割って入っていった秋山は凄すぎる >>792
秋山は、鶴田の離脱というアクシデントがあったとはいえ、デビュー2シリーズ目には、当時のトップ陣と試合をしていたからな。
そして、ファミリー軍団と悪役商会の試合を見て、間の取り方の大切さを学んだとか言ってのけるセンス。
全日の英才教育もあるけれど、そりゃあ四天王プロレスにも対応できるわね。 ジータス激闘の記憶見てると
秋山のタックルをホークウォリアーが当然対応できるよと潰したりして面白い >>795
99年の東京ドームで6人タッグで対戦してるね。 >>793
ファミ軍vs悪商なんてロートルを救済するためだけでほぼ無意味な試合なのに、そんなコメントする秋山って大人なんだな。 まぁ、ファミリー軍団vs悪役商会みたいな試合は、ある意味プロレスの様式美だからな。
そこにブッチャーやドリーがたまに絡んだりするわけで、そりゃ若手にとっては良い教科書になるよ。 >>798>>799
そういう試合も含めての“興行”だからな。 永源とかのベテランは当時の太い顧客ガッツリ持ってたから重要な人材だったんでしょ >>798
「秋山大人だな」には同意するけど
アレが無意味というのはどうかな。
むかしのムック本かなんかで、初期みちのくについて
ヨネ原人の試合が興行全体のクオリティを上げてるって
力説してたライターがいたよ。
どんなに空中戦すばらしくたって、5試合全部似たようなのじゃ
客も疲れちゃうし飽きちゃうからって。
馬場が出てくるだけでとか。
ラッシャーが「。。。渕!」て言うだけでとか。
俺はものすごく厭だけど、永源のツバとか。
メインとは(ついでに前座とも)違う内容で客を喜ばす。
それは1日のショウを形作る大切な。。。と、俺は思う。 ファミリー軍団と悪役商会は元々全員テクニシャンだしね
泉田だってしょっぱいレスラーじゃないし。百田がちょっとアレなくらい 体が動かなくて技かけれない受け身取れない
間合いで魅せるしかない人たちの試合だから
マジで参考になった可能性 秋山が全日uターンした時会見で「今の全日の人たちは他の選手の試合をあまり
見てない印象がある。渕さんの試合とかは見た方がいい」と発言したら
うすら笑いが起こったらしい。その時秋山は「あっこいつら馬鹿だな」とちょっと
思ったらしい >>805
90年代前半の渕の試合なら見る価値はあるが、ここ数年のボディスラムやって腰を痛めた演技をする、毎回その繰り返し。こんな試合なら見る価値は無いと思う。 ラッシャーは会場の外で子供に至近距離で声をかけられて明らかに聞こえているはずなのに無視していた。
それを複数回見てそれが理由で嫌いになった。 ラッシャーと同じジムに通ってた時期があって3年間くらいで100回以上会ってて
その都度あいさつしたけど最後まで無視されたぞ
俺だけなんか嫌われてるのかと思ったけど他の会員も口を揃えてそう言ってた
着替える時は股間をしっかり隠してたけどそれ以上に補足白い脚が痛々しかった 古館も至近距離でラッシャーに話しかけたのに
まったくの無反応で怖くなったって
>>806
一年に一度くらいはライガー弄んだ赤鬼の本気が見たいよね >>798
ファミ悪は前座のメインイベントだったからな
興行の流れとしては欠かせない試合だった >>808
優しいと聞いてるからその反応は何かしらの精神疾患を疑うな >>808
無口だよ。とにかく無口。1年に2,3回しか喋んないんじゃ 新日時代家族含めてプロレスファンからひどい目に遭わされてるから
ガードが固くなって最終的にそういうとこに行き着いたのかな、と解釈してた >>813
そんな理由で小学生、中学生相手でも100%無視するのかw >>813
酷かったらしいね
毎日のようにいたずら電話きて窓ガラスは何度も割られ飼い犬が毒殺されて
精神的におかしくなるわな でもだからといって子供でも常に無視していたら自分の印象が悪くなるだけだな。 ジム時代で一個思い出したんだけどジム責任者(40代後半)と俺たち会員が3〜4人で
カウンターで休憩しつつ世間話をしてたんだ、友人が「明日の忘年会で新入社員だからって
司会進行を丸投げされちゃって困ってるんだよね〜」みたいな事を言ったら責任者がすぐ
そばでベンチ台に腰掛けて休憩してたラッシャーの方に指さして「そういうことならマイク
得意な人がいるんだから教えてもらわなくちゃあ」とか笑って返したんだ、責任者はラッシャー
がなんか言ってくれると思ってたみたいで軽くいったんだけど普段のラッシャーの姿勢を知ってる
俺たちは顔面蒼白,当のラッシャーはすっと立ち上がってもう戻ってこなかった。一週間位気が引けて
ジム行くの自粛した ラッシャーが永源の唾を食らった時のわざとらしい反応が大嫌いだった。 中々興味深いラッシャーエピソードが噴出してるな
面白いわ 昔、全日に天龍がいた80年代後半だけど海野や福田なんかが
試合会場で若者15人くらい見付けて「雑用手伝わない?」って誘って
リング屋の作業手伝わせた。地方の会場だけだと思うけど
で、小遣いが支払われるのではなくてパンフに全選手のサイン貰ってくれたり
ジャンケンでグッズを数品くれたり
ラッシャーがサインするのってそんな機会しかないよ、基本的に >>819
その友人やばいな
ラッシャー関係なしにだれでも相手にしたくないだろそんな奴 >>819ラッシャーがどうのっていうよりキチガイジム責任者エピソードだとしか思えないな >>806
鶴田軍の頃の渕や田上のスポーツライクなラフファイトは、テクニックがないとできないわな。
外国人だと、このスレで度々名前が出ているクロファットなんかが、この枠に当てはまるね。 小橋&秋山のAK時代と煽って秋山が「AK時代じゃなくてAの時代にする」とコメントして、チャンピオンカーニバルの決勝で小橋vs秋山を期待させておいて秋山1回戦敗退は意外性があって良かったな。
7秒だから秋山の価値も下がらないし大森への期待値も上がってあれは良かった。
2月に分裂騒動の初回の報道があったわけだが、チャンカー開幕前には小橋vs秋山は全日でやらずに新団体でやるってもう決めていたのかね。 >>826
92年の新春ジャイアントシリーズでやった鶴田軍、超世代軍、外国人軍の
三軍対抗戦は地味に面白かった。一応勝率を競うというスポーツライクな
設定も相まってメンバーは豪華でなくとも面白かった 俺は「鶴田軍」というダサい名称が嫌いだった。何のひねりもない。
現代の鈴木軍というネーミングとはなんか違うんだよね。 >>826
ギロチンホイップの世界一の使い手は田上だと思っている 〇〇軍より、フットルースやノーフィアーの方がダサいわw >>834
フットルースもノーフィアーももともとプロレスとは関係ないものが由来だからいいんじゃないの。 フットルースって天龍命名なのかな?天龍はアメリカ暮らしが長かったから
和風な見た目と経歴に反してアメリカのトレンドをずれた感じで取り込んでる
んだよな。越中も天龍から「越やん、こういうナウいの聴かなきゃダメだよ」
と言われてケニーロジャースのCDを貸してもらったと言ってた
イメージだと村田英雄とか吉幾三とか愛聴してそうなんだけど。まあKロジャース
というのもいかにも天龍ぽいか フットルースだからケニー・ロギンスかと思ったらロジャースかよw フットルースはバンダナとロングタイツがねw
天龍に「派手なタイツ履いてみろ」みたいなこと言われたらしいけど、四天王時代に黒&黄色のロングタイツが似合っていた川田には黒歴史だなw >>827
そこまでは決めてなかったんじゃない?
ただ小橋が次の防衛戦には秋山準を指名します!と言ってすんなり挑戦してもその先の構想が見えてこないから大森高山を挟んだのかも知れないね。真相はわからないけど。
三沢全日が続いたとして高山の次は秋山だったかもしれないし。 >>841
ただ4・7松本の三沢がベイダーの腕を破壊したという設定は、もう既にベイダーがノアへの三沢を追うための理由作りって聞いたからそう思っちゃうんだよね。
あの時期の小橋vs秋山って目玉だからね。 あれくらいの時期の田上って何してたっけ?
最後の最後に世界タッグ取ったのとハンセンと最強タッグ準優勝は覚えてるが >>843
1月にノーテレビの鹿児島で高山とシングルやって勝ったような記憶がある。 2000年のチャンカーで田上は誰に負けたっけ?
全然記憶に無いわ。 >>845
スティーブ・ウィリアムス、サンダ!
ヘイ、ヘイ!!
バーバ!バーバ!バーバ!バーバ!! 冬木と川田がエアロビ特訓とかわけわからんのを見た記憶が… >>843
ベイダー田上vs三沢秋山という謎のカード組まれて
2.9も何も無く三沢のローリングエルボー一発で田上があっさり負けるという
四天王の扱いとは思えないような試合があった 田上は、当時トップ戦線に絡んでいない秋山に負けたかと思えば、三沢や川田に勝ったりしたり、リーグ戦の点数の調整に使われていた感がある。 >>844
馳がアジアタッグに挑戦した時だったか
>>850
まさに四天王の調整役なんだよな
いわば初期三銃士の蝶野みたいな感じで
なんで田上がとも言われるがやはり田上がいてこその四天王なわけで >>842
そうだったのか
ノア旗揚げ年の年末での小橋ー秋山が見慣れてしまった日本武道館じゃなくて有明コロシアムだったのが却って良かった
コスチュームも黒ー白で入場も花道作って華やかになってたから一味違った空間になってた
試合は相変わらず過激だったけど
場外マット剥がしてエクスプロイダーで投げ捨てたりしたよね >>851
そう。本田&マスオのアジアタッグに馳&泉田が挑戦。
馳はフルに出ていないからアジアタッグ獲るはずないけど当時はそういう見方をしていなかったw 天龍一派離脱がなければ鶴田の次のエースは田上ぽかったな
高山といい馬場さんはプロレスラーはデカくないと駄目って考えだし 全日正規軍・鶴田、谷津、カブキ、渕、小川
新天龍同盟・天龍、高木、北原、折原
超世代軍・三沢、小橋、川田、菊地
田上軍・田上、冬木、仲野、高野…… 四天王じゃないけどゴディの三沢に対する場外パワーボムはキチガイを超えてる 決まらなかっただけで、田上が三沢に仕掛けたマットを剥がしての断崖式喉輪落とし(断崖式喉輪自体がゴディの花道パワーボムよりもヤバい)や>>408は、>>857よりも危険じゃね? あとコーナーのロープ接続部のクッションカバーに頭が当たるように投げるのを
最初に生でみた時は引いた、三沢小橋戦でどっちがやったかは覚えてない >>837
仙台で小橋&菊地とアジアタッグやったときは、完全にヒールだったけれどもな、カンナム。
あと、小橋&菊地の初防衛戦も、対戦相手の小川&渕は完全にヒールだったな。 >>832
田上のギロチンホイップは、バリエーション豊富だからな。
トップロープ以外にも、コーナーパット、て >>861
続き
トップロープ、コーナーパット、鉄柵、川田の脚等、落とす場所が豊富だった。 >>859
ウィリアムスが小橋に対して、コーナーパットに叩きつけるバックドロップやってたな。 >>859
つ小橋
三沢は、小橋に奈落式タイガードライバー、秋山にコーナーからの雪崩式タイガードライバーやってた。 >>860
小橋&菊地というより小橋が究極のベビーなんだよな
逆に言えばヒールが務まらない
菊地は小川と組んで秋山&大森とやった時はヒールだったか >>857
あれは駄目なヤツ
叩き付け方がリング上のと変わらないから
会場内にドスーン!って響き渡ったよね
普通なら救急搬送レベル
ハンセンでさえ床でパワーボムやるときは加減していた >>852
ノアの最大の失敗は最初のドームで秋山に勝たせなかった事
あれで小橋の絶対王者は確立したが小橋以後が続かなくなった
大一番で天龍や川田に勝たせた馬場とはそこが決定的に違う 田上のスローは足腰が強いからかホイップしたあとも崩れないんだよな
小橋が真似してギロチンホイップやった時は投げながら自分が崩れて膝ついてんだもん >>867
川田がドームで三沢に勝って
直後の武道館で小橋に負けたのがよくわからなかった
その小橋も復帰後の三沢にすぐ負けたし
で、さらに三沢がまた川田に負けて
川田の怪我はアクシデントだけど >>867>>869
98年6月の川田戦も2004ドームの秋山戦も小橋は負けブックを拒んだんだよ。 2000年10月の黒小橋がヒールになるチャンスだったと思う。年明け、ベイダーと秋山に膝壊されて長期欠場になったけど。 >>870
そうか
ドーム以後の川田の防衛ロードも見てみたかったな
秋山との三冠戦は結局実現しなかったし >>871
ベイダーと秋山に壊されたっていうか
もともと膝は分裂前の時点からパンク寸前だったんじゃないかね? 全日本末期の小橋とベイダーの抗争が面白かった
ノーフィアーもいたし
ベイダーに勝つまで髭は剃らないって言ってた髭小橋
めちゃカッコ良かったね >>874
浅野忠信とかTAJIRIに似てるとか言われてたねw >>875
似てるね!イケメンの熊さんみたいな感じでカッコ良かった。 最初のベイダーVS小橋は、小橋がぶっ壊されてくって感じでエグかったな
下手すりゃ死ぬんじゃ?ってぐらい攻められてた 解説の川田
「場外にエスケープすればいいんですけど小橋選手はこういう時逃げないんですよねぇ」
「三沢選手はすぐ逃げるんですけど」 >>879
武道館までとっておかないですぐ一騎打ちやった印象、この時点では「三沢って気前いいな」
と思った >>879
あの時の横浜文体もの凄い人だった
発表も6200人ぐらいだったはず
全日で一番入ったと思う 鶴龍一騎打ちを3回見に行ったけどそのどれよりも入ってたのはたしか >>882
おい、だいぶオッサンだな
俺も大概だけど
お疲れ様です スカパー無料放送日の今日
G+で午後8時半〜11時
1999 6.11三冠戦 三沢×小橋が見れる >>884
『エメラルドフロージョン!幻の技、復活!!』の試合か。
平川アナが、バーニングハンマーとエメラルドフロージョンを連呼してたし、確かテレビの画面にも、バーニングハンマー、エメラルドフロージョンって出ていた記憶がある。(アナの連呼は間違いない)
会場組はドキドキしたかもしれないが、テレビ観戦組は、何となく結果がわかってしまった記憶がある。 >>877
まぁあんだけベイダーの技を正面から受けるレスラーなんて
日本人はおろか外人ですらいなかったしね
場外でもビッグクランチ食らったよね >>887
ベイダーアタックを交通事故とは言い得て妙だと思ったわ。 >>880
武道館の回数が増えたこともあって、全日は90年代半ばは
横浜文体を使わなかった.
98年から再開したけど、そのときの客入りがあまりよくなかったから、
99年は小橋vsベイダーを組んでテコ入れを図ったんだろうな。 スカパー無料放送の99年6月武道館の三沢小橋の三冠戦 なかなかよかった
自然と見入ってしまう熱さがあるね >>890
その他の試合もまだ若手だった金丸と丸藤の才能がヤバいな あとやっぱり志賀の怪我はもったいなかった 志賀のバキバキボディはまじで凄かったな
馳や川田にネジ切られるー!ってぐらい絞め技喰らったりして心配したもんだ >>889
いや90年代前半は逆に後楽園の人気が爆発しすぎてその分横浜を後楽園の代替的に
使ってたな。80年代は武道館級のカードも結構あったけどこのころはいかにも
市瀬がマニア受け狙って組んだような小粒なカードが多く目につくようになった
その後武道館の日程増確保できるようになってから減ったのかな スカパー無料放送って、みんな加入勧誘の字幕出たまま見てるの?あれヤだから見ない やはり過度な大技は無用と感じた昨日の無料放送。
エプロンから場外への大技など。
>>894
リモコンのCSボタン押したら一定時間消えるからそれで見る。 >>891
丸藤は早くから天才児って言われてたから
あれだけど、当時は地味だと思ってた金丸も
良い動きしてるんだよね
秋山が自軍(スターネス)に入れたがってた訳だ >>896
金丸は上手すぎて地味に見えるって感じだよね 小川と同じ
田上と高山のスーパーヘビー同士のモンスターファイトも熱かった
しかしスリーパースープレックス食らった三沢がオデコに激痛走ってる場面は何度見てもゾッとするな
小橋が91やら85を返してるのを見ると四天王プロレスにケツ決めがあったのかなかったのか謎になるな >>897
最終的にエメラルドフロウジョンで決まるからケツ決めありだろうね
エメラルド使う前、いつだったかの三沢小橋の三冠戦でエルボーで前のめりに崩れ落ちて3カウントみたいなやつは本当にスタミナ切れで負けたのかと思えるような展開だった プロレスファンの夢を壊すような無粋な事は言わないぞ 四天王時代の武道館といえば
いつも最前列に座っていたおばあちゃんがいつも気になってたな
ノアの武道館では見る事無かったので
いつ頃まで武道館に来られてたんだろう? >>900
昨日のG+でも映っていた老夫婦の話かな?おばあちゃん隣のじいちゃんに楽しそうに話しかけながら観戦していたのがほっこりした >>901
昨日は99年の武道館だったらしいから
この頃になるといたかどうか…
小柄で白髪パーマでメガネかけてたおばあちゃん なんか高木ブーみたいなおじさんもいつも最前列にいた記憶あるわ
武道館の >>903
いつもスーツで観戦してた人ね
小太りで七三で腕組みして観戦してた
この人も最前列の常連だから
そのおばあちゃんと話してるシーンがあったの覚えてる
意外と観客席見てたんだな俺w >>896
丸藤のデビューも影響を与えたと思うが金丸もデビューした時は飛び技を頻繁に使っていたんだけどな。 >>907
高橋の暴露本とかネットの普及によりプロレスをガチだと思う人が激減したわけだが金丸なんてそれで得をしたんじゃないかな。ジョバーも評価される時代になったことで。
91年92年あたりの小川とか、90年代前半のジョニー・スミスなんかも現代なら高く評価されていたと思う。
小川なんか超世代軍が勝つ時はたいてい負ける役だったからね。 >>905
その人!
秋山の陰におばあちゃんもいる
写真は98年の小橋秋山戦かな?
何となく99年の馬場死去後に姿見なくなった気がする >>908
井上雅、泉田、川畑『健康のためのプロレスも評価される時代が来たな』 >>910
雅央は外から来た奴の適性を見るという点でかなり信頼されていたようだが他の奴らは違うんじゃないのw 雅央はオブライトが来た当初様子見で当てられてたな、あとノア移籍後も
橋本安田に様子見で当てられてたが2回とも大けがしてるのでテストドライバー的な
適正があったかどうかは疑問。ただ相手を壊す心配はゼロだな >>913
雅央はオブライトが来た直後はシングルで対戦していないよ。
オブライトは10月に来て12月の武道館では多聞とやった気がする。 雅央とオブライトのシングルって
オブライトの日本での最後の試合だね
99年最強タッグの最終戦の武道館だと思う 雅央はオブライトとのスパーで病院送りにされたんでしょ
川田が新日ならアクシデントを最強外人の宣伝に使用したろうに
全日にはそういう発想なかったって 全日本でオブライトと言えば、高山や垣原と、「旧Uインター軍」ってな感じでタッグを組んで、
川田や田上と戦ってたって印象があるけど、ここではスレ違いか? ジョニー・エースがメキシカンエースクラッシャーを出した時は驚いたなぁ。
アレは未来の技だと思ったわ。実際今の新日は曲芸的な技が増えたよね。
三沢だからこそできたんだろうなって思う。田上が相手じゃ無理だもんな…。 >>920
四天王に関係ある話ならアリだと思うよ。 四天王プラス
アマレス猛者 秋山。
ってのがファンとして心強かった。 こないだジータスでやってた99年6月の武道館完全版、
川田田上vs大森高山の下剋上の後、場内がめちゃくちゃどよめいた次の試合がエースvs秋山で、
ウラカンで秋山が秒殺って試合、つくづく秋山は場の空気を読むのがうまいと思った。
マッチメイカーがすごいのか、秋山がすごいのか。
あの時まだ若手であの図々しさというか度胸というか… 東京ドームの小橋VS秋山はなぜか何回観ても「危ない!」「返して!返して!」って新鮮な気持ちで観れたな
四天王プロレスの一つの完成形の試合だと思う >>926
長州が馳に「何でアイツを採らなかったんだ!」って怒ったのも分かる気がするよな >>929
腰に爆弾あったから駄目だろうって馳が判断してスカウト見送ったんだよな
対する全日本は馬場自ら獲得に乗り出したっていう >>929
そしてそう言った事を覚えていない長州w 秋山のスキンヘッドは未だに似合わないな。
武藤はばっちり合うけど。 >>925
メインが長くやるからその分、秋山の試合を早く終わらせただけでしょ。 >>935
メインが始まったのが20:50ぐらいで終わりが21:30過ぎだしな 直前に世界タッグ王座獲られたんだよね確か
秋山がエースにフォール負け
リベンジマッチというのもあったけど
お客さんがメイン早く観たがっているからと
短期決着を最初から狙ってたみたいだね
そいれがブッカーの指示なのかはわからんけど
それでも見応えのある試合だったと思う >>937
チャンピオンカーニバルの広島と仙台の世界タッグで秋山はエースに負けているから星を返しただけ。
3分くらいで終わったのは当然ブッカーの指示。その短時間に上手いこと詰め込んだなとは思う。しょっぱいエース相手でも試合を成立させる秋山ってやっぱり凄いんだな。 いきなりお互いフィニッシャー出しあうって、
短時間勝負の定番の展開だしな >>937
秋山の「みんなメインを早く見たいでしょうから前座は早く終わらせました」って試合後のコメント覚えてるわ >>940
武道館の前にも「武道館はみなメインを(一刻も)早く観たいでしょうから僕の試合は早く終わらせますよ」と短時間での勝負を予告していたね。
当時はガチだと思っていたからこの言葉を素直に受け取っていたよ。 >>938
三沢が社長になってからの当時のブッカーって渕?
馬場が亡くなるまでは三沢がやってたような気がするけど 90年代最初は週プロのターザンや市瀬がやっててその後は渕がやってた
98年ぐらいから三沢がやりだした
川田曰く三沢さんがマッチメイクしてる辺りから客が入らなくなったと言ってたな >>943
川田のその発言はおかしいな
三沢がマッチメイクはじめたのが98年の8月頃からだから
その後の馬場死去→三沢社長就任→全日分裂の流れで
客足の減少は感じなかったし聞いた事もないな
個人的には96年頃が客数減少していた感じがする
あくまでテレビで見てた感想だけど
後楽園も空席がチラホラで観客のノリもイマイチ
あの頃はテレビ中継自体やる気が無かったから
かなりテンションも低めに見えた 90年代後半の全日は地方が入らなかった
武道館だけはずっと満員だったから人気が落ちたイメージはないかもしれんけど
川田は全巡業に出てるんだから武道館以外の客入りの落ち込みについては誰よりも知ってたでしょ >>945
プロレス界はバブル崩壊の影響をしばらく受けなかったから、90年代後半から客足が落ちてきた。
あと外国人含めた参加選手のマンネリ化。
マニア以外には超世代軍VS聖鬼軍なんて何のことかわからなかっただろう。 96〜97年ごろから武道館も天辺の方は空席があったよ
やはり年7回体制が続いてメンバー固定化も相まってマンネリの度合いが強くなってきてた
さらにメイン一本で勝負するスタイルになってセミ以下のカードがかなり弱くなっていた
ハンセン対多聞とかセミで見せられた記憶がある 馬場がWWFとの接近を図りだしたのもその辺りの影響がありそうかな
今度は再び海外と組む時期だという感じだがあくまで慎重にといった姿勢で
皮肉にも馬場最後の試合となったベイダー投入の武道館はそれこそ一番上の手摺までギッシリだった
そして三沢は舞台や衣装をリニューアルすることで延命を図った感じだったが >>947
本田vsオブライトはセミ。96年3月の本田vsハンセンはセミの一つ前だったと思う。
ただ95年6月のハンセンvsキマラがセミってのはねw
キマラなんかショルダークローをダラダラやるだけでシングルマッチはつまらなかった。川田にも「キマラが何もしてこなかったから」と酷評されていたくらい。
セミ前のクロファットvsバンダムの世界ジュニアが盛り上がったから世界ジュニアがセミでも良かったくらいなのに。 正にメインと共に「世界」の名に相応しかった一戦だったな >>944
あなたの指摘が正しいね。
三沢は98年に週プロで「ジュニアの扱いが悪い。あれじゃあ選手にやる気が出ない。」という内容のコメントを残していて、翌年の仙台で志賀の世界ジュニア挑戦をセミでやらせるなど扱いを変えようという意思が感じられた。
デルフィン&浪花がせっかく参戦しても第1試合なんて馬鹿な使い方していたけど、あれもいずれ三沢なら世界ジュニアに挑戦させるとかもっと良い扱いしたんじゃないかな。 確かモスマン・浅子が武道館の第二試合だったか
分裂後にはGHCジュニアと世界ジュニアのダブルを武道館のメインでやってたな >>949
クロファット対バンダムは面白かったな
カンナムは本当に辞めたのが勿体なかった >>952
そうだね、世界ジュニアが第二試合だった。
当時はそんなこと考えなかったけど「第2試合なら浅子の初戴冠は無い」今ならそう考えちゃうねw >>953
世界ジュニアをクロファットが取ったのはアジアタッグ王者の時でその後にアジアタッグだけ返上したんだよな
たとえジュニアでも世界はアジアより上という感じで >>955
クロファットは渕から剥がすために無理やりジュニアをやらせていた印象がある。
菊地の初戴冠は96年7月だったが小川、菊地相手にベルトを落とすのが嫌だったのかな、渕は。
タッグなら菊地に何度も負けていたけど大きい会場でベルトを落とすのは別なのかね。 同時期の新日ジュニアと較べると扱いには相当な差があった。 >>944
川田「三沢さんがマッチメイクしてから客が入らなくなった」
三沢「馬場さんが亡くなってから客が入らなくなった」
全日ファン「四天王プロレスが飽きてきた」 ジュニアは渕時代がおわって、
いざ小川、菊池時代になったらライバルと言える様な
対戦相手がまったくいなかったからな ジュニアは本当寒かった
菊地vs浅子だったか小川vs浅子のタイトル戦だけやけに熱い試合だった… ロブヴァンダム,サブーあたりをもっとうまく活用してほしかった
馬場の意向を受けて「椅子あんま使うな」って渕が指示したらしい
それで椅子使わない試合を馬場が見て「あいつはダメだな、もう呼ばん」はひどすぎる なんで人気絶頂とは言わんけど
女性ファンわんさかいて
ライバルの小川を挑戦者決定リーグ戦で倒して挑戦権まで持たせた菊地が
渕にバックドロップでボロカスにされてから
王座戴冠まで三年くらいかけたのか
その間に菊地と小川の地位もそっくり入れ替わってたし オブライト、サブゥー組とかいう訳分からんコンビで最強タッグ出てたな
首位を独走してた小橋パトリオット組に最初に土をつけたのがオブライトサブゥー組だった
そしてあの年の最強タッグは2巡制 >>956
というか本来の準ヘビーという意味でのジュニアヘビーはむしろ渕やクロファットみたいな中量級の感じなんだよな
あのホッジやロイヤルもそんな感じだし
その意味でライガー以後の新日本の軽量級はむしろライトヘビーという感じでむしろメキシコに近い >>960
結局浅子は、一度もベルトを巻かないで引退したな。
まぁ、引退が早かったからなんだろうが。 >>964
あれは元々オブライト・高山組とサブゥー・ヴァンダム組の参加で予定してたのではと今でも思う
開国後初のリーグ戦の割にメンバーが若干弱く、馬場はこの年から不参加
初参戦の藤原もリーグ戦不参加の中
2回戦制の導入でとにかく過酷だったな
このあたりが同一メンバーでまわすうえの限界期だった 泉田キマラが三沢秋山に勝つのは馬場全日とは思えないほど思い切ったブックだったな >>968
前年の小橋・ハンセンとのシングルを経て
ブッチャーが大日本に移籍した事で
妙なキマラ推しがあったな
一時期小橋の準パートナーにもなってたし あんな黒くて太ってふざけたコスチュームとペイントの選手
トップに置けるわけないのにな 小橋はキマラと組むのが嫌で馬場さんに相談しに行った事あるって言ってたなw >>966
浅子のタイトル初挑戦は菊地と組んでのカンナムのアジアタッグだったか
同時にカンナムも最後のアジアタッグ戦で >>969
小橋は、外国人と組む機会が多かった。
エース、パトリオット、キマラ、モスマン等
あと、ハンセンやウィリアムスとの名勝負も多い。
外国人相手の名勝負だと川田とハンセンもあるか。 馬場としてもマンネリ状態は感じていたんだと思う。
98年にはハンセンとエースのパートナーを探していて、「世界最強」タッグですから、それにふさわしい選手をと思っています。って解説で予告してベイダーとバートガンを連れてきたし。
本当ならその後、アメリカに視察に行く予定だったし。
いい外人レスラーを連れてくることでそれを打破しようと思ってたのかな。 >>974
外人を呼んだところで、それで客が増えるとは思えなかったな。 ああ、いいな
98年とか確か小橋秋山三冠でプロレス見始めた時だ
そりゃあんなん観たら信者にもなりますよ、あれでもう翳っていたのか、、、 >>976
東京以外は史上最低レベルの客入りだったからな。 >>976
98年とか内容的には良いんだけど格も固定でカードもマンネリ、話題性にも乏しいっていう手詰まり状態だった気がする
俺的には何故かノアってこの頃の全日本をそのままやってるイメージ
俺は全日本だと86〜88年頃の天龍革命時代と91〜94年の超世代〜四天王の頃が内容も話題性も常に観る側の想像を越えるものが観れて面白かったと思う 98年頃はたしかにつまらなかった
垣原や多聞を格上げすれば良かったのに寄りによって小川弱だもなw
三沢のパートナーにはかなり無理があった 小川の抜擢はむしろ三沢
ハンセン・ベイダー組の参加が発表された時の武道館の反響は凄まじかった
おそらく馬場が生きていたらWWFとの提携に続いて世間的にも通じる有力新人のスカウトのパターンか
もちろん日本テレビの協力も仰いで >>980
最強タッグ開幕戦でベイダーハンセンに子供扱いされた小川w
たしか馬場さんWWFと交渉する予定が病気で断念したはず WWFのレスラーが来たら盛り上がったのにな あの日の武道館で友達と顔見合せて両手挙げて喜んでたファンは今もファンなんだろうか… >>979
三沢の新パートナーはこの中にいる!?タッグマッチ放送があって
井上、泉田、本田、大森?が寒い試合してた気がするぜ 俺は98年のドーム以降は面白く感じた
というより、この頃からテレビ中継が俄然ヤル気出してきたから
そう感じたかもしれない
ただ試合を流すだけの放送から
テロップ多用、ちょっとしたドキュメント
インタビューも増え放送内容が一変した
カーニバルの星取表を手書きボードで紹介してた頃は切なかったから
色々挑戦しはじめたこの頃の中継チームは評価している
小橋のGRAND SWORDなんか
当初は元の曲に戻せ言われてたのに
番組内で大量に流された事によりすぐ根付いた ドーム前の武道館で田上対ベイダーとかを見せられた覚えがある?
いいカードはやはりドーム用に取っておくんだなと思った ふと思い出したけどファーナスって弟連れてきてなかったっけ?
ディートンだったかな >>983
週プロのレポートの中で、『三沢さんのパートナー?何も聞いてませんよ。ぼくの予想は大森です。』とか、語っていたな。小川 >>962
93年2月の武道館で渕から菊地にスイッチかと思ったらまさかの防衛(俺個人としてはまさか)。
ターザンいわく菊地はこの時の敗戦が尾を引いてしまった。
現代で言うとIWGP獲れない後藤みたいになってしまった。 >>968
確かに。思い切ったブック。
しかし次のシリーズの地方の第二試合で泉田が菊地にシングルで負けたのを熱戦譜で見て、リーグ戦の期間中だけ強くなるのはやめてほしいと思った。 >>969>>970>>971
当時の全日ファンは優しいからキマラにも好意的だったな。野比のび太が40点くらい取ったら褒められるみたい。
キマラのシングルマッチみたらショルダークローをダラダラと仕掛けるだけで、川田には「キマラが何もしてこなかったらさっさと終わらせた」みたいに酷評されていた。
キマラはブッチャーの引き立て役として評価されていたが、ブッチャーがいなかったらキマラなんか単なるデブ。
最強タッグのオブライト&キマラ組が発表された時の武道館の客の溜息。あれが全てだよ。 >987
週プロで「僕の予想は大森です」と言っていたのはマスオだな。
小川は「他の人は何と言ってます?僕はないでしょう」だったと思う。 >>985
99年3月だったかな
鶴田の引退セレモニーも行われた時の
そして三冠王者としてチャンカーに優勝してドームで三沢に陥落
>>988
あの時の菊地はアジアタッグ王者だったからな
その意味からすれば冷遇は微妙だが >>985
馬場死去後初の三冠戦
同日に鶴田引退セレモニー
川田が返上した後の三冠戦
流れのうえで田上が挑戦する資格は十分あったよ >>946
それを言ってしまうとプロレスの軍団抗争自体
マニア以外興味ないのでは? パートナーの川田の代理という感じだったからな
とにかく外人相手の田上のメインというのは不安な感じもあったが
確か同日はバーニングとアンタッチャブルの世界タッグも >>994
全日は軍団抗争を売りにしていなかったから、ただ戦うだけ。つまらなくて当然。 >>997
馬場全日では、ドラゴンゲートみたいな興行打つのは無理だっただろうな。
三沢は、そういう面も含めて変えたかったんだろうな。 >>995
チャンピオンカーニバルの後にドームがあったからね。
前の年も、3月の武道館はエースが三冠に挑戦。
セミは川田田上にウィリアムスオブライトが挑戦。
チャンピオンカーニバルは三冠王の三沢が優勝。
人が違えど、全く同じ。 このスレッドは1000を超えました。
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