UWFの新日マット復帰(業務提携)が85年12月、
長州らジャパン勢の新日マット復帰は86年6月
旅館破壊事件が87年1月
87年の第三回ヤングライオン杯で決勝まで行き蝶野に破れ準優勝したのが3月。そのあと橋本はカナダ・カルガリーに武者修行に出た。
つまり9ヶ月ほど長州と不穏な時期を過ごしたのだろう
その後カルガリーでも無茶をやり不遇の時期を過ごした(相変わらず相手を蹴りで壊し試合が組まれなくなり、会場でファンの女児にサインを頼まれマンコの絵を描きプロモーターに完全に干される)
そのことで人間的に少しは成長したのだろう。帰国後は長州ともうまくやれるようになった時期があると思われる